ニコラウス・アーノンクールがコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンと録音したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」と交響曲第35番「ハフナー」他<SONY>を聴いた。
いずれも、アーノンクールにとっては再録音。
セレナード第9番はその詳細な経緯ははっきりとしないものの、なんらかの祝典・行事を見込んで作曲された編成、時間ともに大規模な作品である。
で、ここではそうしたセレナードを演奏する際、入場時に楽士たちが奏でたと思しき行進曲ニ長調K.335-1が演奏されているのだが、まずもってその行進曲からして威勢がいい。
晩年に至ってなお激しい音楽づくりに驚く。
ただ、アーノンクールはあえて角を矯めない鋭角な音楽を生み出すが、それは決して粗雑なものではない。
全篇、アーノンクールの音楽像、演奏美学に則って徹頭徹尾統べられた首尾一貫した演奏なのだ。
中でも強く印象に残ったのは、第4楽章のロンド。
フルートとオーボエのかけ合いが美しい、それこそロココ調の音楽として通常は軽やかに演奏される。
しかし、アーノンクールはそんな予定調和を選ばない。
なにしろ、冒頭などフルートとオーボエよりもそれを支える弦楽器の動きがやけに強く聴こえてくるのだから。
でも、そうやって聴き進めていくうちに、まるでこの楽章が『フィガロの結婚』か何かの二重唱のように聴こえてくる。
そういえば、アーノンクールが京都賞を受賞したときの公開トークと京都フィルハーモニー室内合奏団を相手にした公開リハーサルの席で、自らの劇場感覚についてしきりと語っていたっけ。
続く第5楽章のアンダンティーノも宗教曲のような悲嘆としてではなく、オペラのアリアのような悲哀のように感じられた。
もしかしたら、アーノンクールはこの曲をシンフォニックな楽曲としてばかりでなく、様々な仕掛けの施された一種のシアターピースとして捉えているのではないか。
いずれにしても、充実した演奏であった。
続く、ハフナー交響曲もいわゆる「機会音楽」的な要素の強い作品だが、当然の如く、強弱緩急のはっきりした祝祭的気分の横溢した演奏に仕上がっている。
第1楽章や終楽章など、まさしく攻めの姿勢の音楽だ。
だからこそ、第3楽章のメヌエットのトリオや、それより何より第2楽章の憂愁さ翳りが浮き彫りにされてもいた。
コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンはアーノンクールに応えて万全のアンサンブル。
セレナード第9番のニックネームのもととなった第6楽章のポストホルン(郵便馬車のホルン)も朗々としたソロだった。
それにしても、改めてアーノンクールは凄い音楽家だったなあと驚嘆する。
2024年01月31日
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