*犬神家の末裔 第12回
ここでは、小説『犬神家の一族』で描かれた犬神家の人々と、実際の戌神家の人々との違いについて詳しく確認しておきたい。
横溝正史は、『犬神家の一族』の発端で犬神佐兵衛について、「幼にして孤児となった」「自分の郷里を知らない」「両親がなんであったか、それすらもわきまえない」「第一犬神という妙な姓からして、ほんとうのものかどうか明らかでない」と記した。
しかしながら、実際の戌神恒兵衛の出自は明らかである。
(戌神恒兵衛に関する記述は、主に戌神恒兵衛顕彰会発行の『戌神恒兵衛伝』を参考としているため、そこに「正史」ゆえの誇張や虚偽が含まれている可能性はある)
戌神恒兵衛は、幕末の一八六七年・慶応三年八月、近江国能登川の名主山田喜兵衛を父に千代を母に生れた。
一八八三年・明治十五年、その恒兵衛を那須に呼び寄せたのは、那須神社の神官野々村大弐に嫁いでいた姉春世である。
能登川は、那須藩八万二千石富形松平氏の飛び地として代官所が設けられており、幕末の代官滝藤左衛門は野々村家の出身で、その縁から春世は野々村大弐に嫁いだものと思われる。
なお、『犬神家の一族』では、犬神佐兵衛、野々宮大弐晴世夫妻を巡る一種異様な人間関係が物語の鍵となっているが、野々村大弐春世夫妻の一子範子が生れたのは、恒兵衛が那須に移る一年前だ。
次に戌神の姓であるが、『戌神恒兵衛伝』に、以下の記述がある。
「もともと戌神家は那須神社の神事と深く関わりのある家柄だったが、嘉永の頃途絶して長く野々村家が姓を預かったままであった。
それが、幼少の頃より秀才の誉れが高かったものの、山田家の没落によって高等教育を受ける機会を逸した弟を不憫に感じた姉春世の口添えもあり、恒兵衛を那須に呼び寄せ、戌神の姓を復活させることになったのである。
恒兵衛翁曰く。
わしは、戌神だの蛇神だの大嫌いや、と言うたんやが、義兄や姉がやいのやいのと言うんやな。明治の御世に、山田なんぞでは平凡に過ぎる。商売をやるんやったら、まずは人に覚えてもらわな損や。那須で戌神言うたら誰でも知っとる。いや、これがその通りやったんや。世の中、わからんもんやな」
(原文ママ)
2016年04月14日
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