2024年03月15日

今日も花粉にやられっぱなし(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 日中、今日も気温が上がる。
 もちろん、花粉も飛ぶ!
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 今日も花粉にやられっぱなし。
 鼻水が出る、くしゃみも連発する。
 偏頭痛も耳鳴りもひどい。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでヴァルター・ギーゼキングが弾いたモーツァルトのメヌエットヘ長調K.4とヘ長調K.5、アレグロハ長調K.5a(9a)、コントルダンス変ロ長調K.15gg、アンダンテ変ロ長調K.15mmを聴き、ヴァイオリンの中村太地、チェロの辻本玲、ピアノの佐藤卓史が演奏したブラームスのピアノ3重奏曲第1番とクララ・シューマンのピアノ3重奏曲、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したリストのメフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」、サン・サーンスの交響詩『死の舞踏』、ヴァインベルガーの歌劇『バグパイプ吹きシュヴァンダ』からポルカとフーガ、カレル・アンチェル指揮ウィーン交響楽団が演奏したチャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』抜粋とバレエ音楽『眠りの森の美女』抜粋を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、いろいろとあって4時少し前に寝床に就く。


 9時少し前に起きる。

 午前中から午後にかけて、CDでクラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲を聴きながらパスタを茹で、ABCラジオの『きっちり!まったり!桂吉弥です』を聴きながら朝昼兼用の食事をすませ、amazon music unlimitedでガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団が演奏したベルリオーズの歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲を聴き、ニコラス・コロン指揮フィンランド放送交響楽団他が演奏したオウティ・タルキアイネンの管弦楽作品集、ベンヤミン・シュミットがムジカ・ヴィーテを弾き振りしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、第4番、第5番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスのバレエ音楽『泡立ちクリーム』から泡立ちクリームのワルツを聴く。
 ベンヤミン・シュミットのモーツァルトは、実に爽快だ。


 15時台に外出して仕事関係の用件を片付けたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番を聴き、メゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌ったシューマンの歌曲集『女の愛と生涯』とブラームスの歌曲集、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したリストのハンガリー狂詩曲第1番、エネスコのルーマニア狂詩曲第1番と第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたりする。



 夕飯後、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したリストのハンガリー狂詩曲第2番を聴き、リムスキー=コルサコフの歌劇『金鶏』からの4つの音楽的絵画と序曲『ロシアの復活祭』、ソプラノのモンセラート・カバリエがレナード・バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団の伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスの5つの歌曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 入浴後、amazon music unlimitedでジャン=イヴ・ティボーデとマイケル・ファインスタインによるアルバム『ガーシュウィン ラプソディ』を聴き、アンドレ・プレヴィンとアンドレ・コステラネッツ指揮アンドレ・コステラネッツ・オーケストラが演奏したガーシュウィンのピアノ協奏曲とラプソディ・イン・ブルー、モニク・アースとハインツ・シュレーターが弾いたモーツァルトの2台のピアノのためのソナタニ長調、アースとフェルディナント・ライトナー指揮ベルリン・フィルが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日も仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/15)

 「悲しくて、とてもやりきれない」
 と歌う歌が昔あった。
 グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番<WARENER>を聴きながら、この歌のことを思い出した。
 1955年8月のステレオ録音。
 心のうちには熱い想いが湧き起こっているのに、それを思い切り外に向かってぶちまけることができない。
 悲しくて、とてもやりきれないそんなあり様がひしひしと伝わってくる作品だ。
 逡巡しつつ、ときに後戻りしながら前へ進んで行く第1楽章、晴れたと思ったらすぐに曇り出し、また晴れ間が見えてくるような第2楽章、映画『さよならをもう一度』で効果的に使われた熱い想いが切々と募る第3楽章、遂に想いの一端が表れ出るものの、どうしてもぐっと呑み込んでしまうような第4楽章。
 以前聴いたシューベルトの未完成交響曲と同様、カンテッリは過度に角を立てることなく宥めるように音楽を進めていく。
 とともに、冒頭の主題が形を変えて交響曲全体を支配していること、この交響曲の音楽的構造を明確に示してもくれる。
 もちろん、そうした構造は心のうちの感情表現と不可分なものであることは言うまでもない。
 冒頭の主題が展開していくといえば、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」が有名だけれど、あの曲が世界に向けて雄弁に語り続けているものだとすれば、こちらは自らの内側への問いかけ、自らの感情の折り合いをどうつけていくかということに主眼が置かれているように聴こえる。
 全楽章、静かに終わっていくのもこの交響曲の特徴だが、カンテッリはそこで一層音楽を宥める。
 とてもやりきれないが、けれど絶望することはない、そんな感情を抱く素晴らしい演奏だ。

 第3楽章だけもう一度聴いた。
 名手デニス・ブレインのホルンのソロも含めて、本当に美しい。
posted by figarok492na at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月14日

花粉忌むべし!!!(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 朝晩は冷え込むが、日中は気温も上がる。
 当然の如く、花粉の勢いも増す。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 花粉症全開!!
 鼻水が止まらず、くしゃみを連発し、目の周りも痒い。
 ワセリン由来の薬を鼻に塗るとしばらく治まるが、効果が切れるととたんに症状はぶり返す。
 偏頭痛と耳鳴りも続く。
 なんともかとも。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでソプラノのルチア・ポップが歌ったドイツの子供の歌を聴いたりしながら準備をすませたあと、ヴァルター・ギーゼキングが弾いたモーツァルトのメヌエットト長調K.1/1eとヘ長調K.2、アレグロ 変ロ長調K.3を聴き、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、そのあといろいろとあったあと夕飯用の買い物をすませ、21時半過ぎに帰宅した。


 遅めの夕飯時、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第17話の拾い観をする。


 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を聴き、ヴィルヘルム・ケンプとアナトール・フィストゥラーリ指揮ロンドン交響楽団が演奏したリストのピアノ協奏曲第1番と第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいた甘いものを食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 花粉忌むべし!!!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から(2024/3/14)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』<WARENER>を聴いた。
 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらは、ドイツ史上屈指の反逆精神の持ち主、ティル・オイレンシュピーゲルの伝説を交響詩化したものだ。
 交響詩『英雄の生涯』の感想をアップした際、ちらと記したかと思うが、リヒャルト・シュトラウスという人自身、相当な諧謔精神の持ち主で、この交響詩でもティル・オイレンシュピーゲルに自らのそうしたメンタリティを仮託しているように感じられてならない。
 一方、フルトヴェングラーは、ユーモア精神がなかったとはいえないが、その音楽を聴く限り、どちらかといえば、悲劇のほうによりシンパシーを感じる人物のように思える。
 このティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらでも、もちろん軽やかなティルのいたずらぶりを巧く表現してはいるが、それと対立するかのような重くて執拗な低音がやはり強く印象に残る。
 そして、裁判での金管楽器の強奏よりも、僕はそのあとに続く静かで圧倒的な低弦の響きにぞくぞくとした。
 クラリネットの節回しをはじめ、ウィーン・フィルの魅力も十分に発揮されている。
posted by figarok492na at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月13日

今日聴いた音楽からA(2024/3/13)

 グイド・カンテッリが亡くなった1956年の5月にフィルハーモニア管弦楽団と録音した、ベートーヴェンの交響曲第7番<WARENER>を聴く。
 超快速のテンポではないけれど、非常に流れのよい演奏で、全く鈍さと遅さを感じない。
 また、作品の持つ劇性には忠実ながら、確固としたフォルムを保ってもいて、見通しが実によい。
 『のだめカンタービレ』で有名になった第1楽章の盛り上がる部分や、終楽章のコーダの追い込みも印象に残るが、カンテッリの美質をことに象徴しているのが第2楽章だろう。
 過度な感傷に浸ることなく、クリアでスタイリッシュに音楽を進めていく。
 それでいて素っ気なさとは無縁だ。
 おまけに、ステレオ録音ということで音の拡がりも十分にある。
 非常に聴き心地のよい演奏。
 かなうなら、カンテッリが指揮したベートーヴェンの交響曲全曲を聴いてみたかった。
posted by figarok492na at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

当然、花粉が飛ぶ!(CLACLA日記)

 どんよりとした感じも強いが、青空の見えた一日。

 日中、気温も上がる。
 まだ風は冷たいけれど。
 当然、花粉が飛ぶ!
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 花粉にやられっぱなし。
 鼻水が出て、くしゃみを連発する。
 偏頭痛も耳鳴りもひどし。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでアチソン・カルテットが演奏したギブスの弦楽4重奏曲集、フォルテピアノのロナルド・ブラウティハムとアレクサンダー・ウィレンス指揮ケルン・アカデミーが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番と第23番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、ヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーの2つのアラベスクを聴き、3時少し前に寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーのピアノのためにを聴き、ソプラノのヌリア・リアルとニコレッタ・パラシヴェスク指揮ラ・フロリディアーナが演奏したマルチェッロのシンフォニアとカンタータ集、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、櫻木みわの『コークスが燃えている』<集英社>を読み進めたりする。
 マルチェッロはながらで聴いたが、ヌリア・リアルの声が実に美しい。


 13時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 ついでに、明日のホワイトデーのお菓子を買っておく。


 帰宅後、amazon music unlimitedでマキシム・エメリャニチェフ指揮スコットランド室内管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」と第5番「宗教改革」を聴き、ノルディック・ヴォイセズ他が演奏したヘルステニウスの『公的行動』と『ともに』、ハワード・シェリーがニュルンベルク交響楽団を弾き振りしたテレフセンのピアノ協奏曲第1番と第2番、カルクブレンナーの嵐によって中断されポロネーズが後に続く大行進、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したグリーグの古いノルウェーの歌と変奏を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたりする。


 『コークスが燃えている』を読了する。
 作者がどうしても書かなければならない、書かずにはいられない作品だということはよくわかる。
 そして、伝えたいこともよく伝わってくる。
 特に後半はそうだった。
 ただ、せっかく取り上げた別の著書の使い方も含めて、しっくりこない部分があったことも事実だ。


 夕飯後、amazon music unlimitedでギーゼキングが弾いたドビュッシーのマスクを聴き、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』のゲストは、今週も剃刀負け弁護士軍団の長谷川さんと大谷さん。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第7番を聴き、フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したレーガーのヒラーの主題による変奏曲とフーガ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第1番(1959年録音)を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したブラームスのハンガリー舞曲第19番、第20番、第21番、第17番、第18番を聴く。


 今日は、カヌレを食す。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/13)

 ここのところ、歴史的な録音ばかりながらでなく聴いていたので、昨年リリースされたマキシム・エメリャニチェフ指揮スコットランド室内管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」と第5番「宗教改革」<LINN>を聴くことにする。
 マキシム・エメリャニチェフはもともとチェンバロやフォルテピアノといったピリオド楽器の鍵盤楽器奏者として活動していたが、ピリオド楽器アンサンブルの指揮でも知られるようになり、現在ではモダン楽器のオーケストラの指揮者としても活躍中である。
 東京交響楽団や新日本フィルへの客演もあり、今年の9月には新型コロナのせいで流れた読売日本交響楽団との共演も予定されているはずだ。
 当然、メンデルスゾーンでもピリオド・スタイルがとられているのだけれど、エメリャニチェフの場合は強弱緩急のコントラストを極端に強調することなく、まとまりがよくて流れのよい音楽を創り出す。
 結果、メンデルスゾーンの音楽の持つ感傷性や抒情性、躍動感が巧く再現されていた。
 ただ、もしかしたらガット弦を使用しているのか、LINNのクリアな録音の音質もあって、少し弦楽器が塩辛く聴こえる箇所もなくはなかった。
 いつもより少しヴォリュームを上げると、幾分気にならなくなったが。
 エメリャニチェフの特性とメンデルスゾーンの特性がもっともよく合ったように聴こえたのは、スコットランドの第3楽章だ。
 歌曲『歌の翼に』に通じる、淡い希望を伴った甘美さが、的確にコントロールされた、なおかつ素朴で澄んだ音色にも不足しない管楽器と弦楽器のやり取りの中からよく表れていた。
posted by figarok492na at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月12日

今日聴いた音楽から(2024/3/12)

 今年亡くなった小澤征爾が、2年ほど前にサイトウ・キネン・オーケストラを指揮してベートーヴェンの劇音楽『エグモント』序曲を指揮したことがあった。
 宇宙の若田光一に音楽を届けるという企画だったが、いずれにしても小澤さんはなんとしてでも指揮をしたかったのだろう。
 何度キャンセルを重ねても現役であり続けようとした小澤さんの強い意志は十分に理解できたが、正直その感想はつらいの一語に尽きる。
 短調から長調へ、暗から明へという意思のはっきりした音楽こそこうした企画に相応しいということでの選曲だったのだろうが、テンポの速さとよくコントロールされた総奏が求められる曲だけに、必要以上に小澤さんの老いが目立った。
 これが、恩師の斎藤秀雄が亡くなる直前に演奏し、小澤さんも好んで取り上げていたモーツァルトのディヴェルティメントK.136の第2楽章なら、テンポが遅かろうと粗はそれほど目立たないだろうし、何よりもっと気兼ねなく感動に浸れたのにとすら思った。
 たぶん小澤さんはなお現役であり続けたかったのだろう。

 人間は老いる。
 もちろん、老い方はそれぞれで大村崑ちゃんや草笛光子のように90を過ぎても元気ハツラツな人もいる。
 音楽の世界でも、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズは矍鑠として未だ指揮台に立っているし、レオポルド・ストコフスキーが最晩年に録音したブラームスの交響曲第2番やメンデルスゾーンの交響曲第4番、ビゼーの交響曲を耳にしたときはそのあまりの若々しさにびっくりした。
 でも、なかなかそうはいかない。
 老いとともに体力も、精神力も衰えていく。

 今夜オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番<WARENER>を聴いた。
 1968年だから、クレンペラーが亡くなる5年前、80を越えた最晩年の録音だ。
 非常にゆっくりとしたテンポの大きな構えの音楽である。
 であるけど、これをクレンペラーの至芸、巨匠の楽曲把握と単純に評価してよいのかといえば、僕は否と答える。
 ライヴ録音ではなくスタジオで行ったセッション録音、しかもきちんと編集が行われた上でリリースされているにもかかわらず、音楽の進み具合はよたよたとしているし、オーケストラにも粗が多い。
 それがかえって、シューマンのこの交響曲の持つ奇妙な部分、特異な部分を強調することにもなっているが、それは結果としてそうなったということであって、手放しでは誉め難い。
 ただ、それでも、第2楽章の中間部など時折美しさにはっとなることもあったし、もつれつつもなお歩き続けるのをやめず、遂にゴールに到着したような終楽章には感動もした。
 それは、やはりこの演奏に、何度も悲惨な出来事にあいながら、それでもなお生き続けたクレンペラーの長い人生が反映しているからだろう。

 そうそう、この演奏を聴きながら久しぶりに旧EMIの音の悪さを思い出したんだった。
 ちなみに、<WARENER>と毎回記しているが、WARENERレーベルが配信しているクラシック音楽の音源の大半、例えばここでよく取り上げているグイド・カンテッリだとか昨夜聴いたヴァルター・ギーゼキングなど、その多くがEMIを吸収して手に入れたものである。
 で、はじめステレオ録音に消極的だったこともあるのか、旧EMIレーベル、ことに1960年代後半から1970年代のオーケストラ絡みの録音の中に、やけに音質の悪いものがあるのだ。
 もともとじがじがしているところに、割れるというのか、極端に音が粗くなっている。
 JEUGIA四条店でクラシック音楽担当のアルバイトをしていたとき、グランドマスターという日本のEMIがリマスタリングして再発したCDのシリーズを買ったお客さんから、あまりの音の悪さに苦情があったことを思い出した。
 リマスタリングでだいぶん改善されているとはいえ、やっぱり音がよくない。
posted by figarok492na at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨が本格的に降っていた(CLACLA日記)

 朝から雨。
 それもべしゃばしゃと本格的に降っている。
 それでも昼頃には止んで、青空が見えているなと思っていたら、夕方前ぐらいからまたどんよりとしてくる。

 じめ寒い一日。
 それでも花粉が飛んでいる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒暖差に花粉のせいだろう。
 偏頭痛と耳鳴りが続き、くしゃみを連発する。
 うんざり!


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時50分過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでメゾソプラノのブリギッテ・ファスベンダーがハンス・グラーフ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の伴奏で歌ったオペラ・アリア集を聴いたりしながら準備をすませたあと、8時17分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したラヴェルのバレエ音楽『マ・メール・ロワ』組曲を聴いたりしながら、夕飯の準備をすませる。

 途中夕飯を挟み、amazon music unlimitedでベニー・グッドマンとマルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したウェーバーのクラリネット協奏曲第1番と第2番を聴く。


 夕飯後、amazon music unlimitedでダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンが演奏したベートーヴェンの交響曲第2番と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、櫻木みわの『コークスが燃えている』<集英社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番を聴き、オッリ・ムストネン指揮トゥルク・フィル他が演奏したムストネン自身の交響曲第3番「天空の光」と第2番「ヨハネス・アンジェロス」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 花粉が怖い!!!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月11日

今日聴いた音楽から(2024/3/11)

 ヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーのベルガマスク組曲<WARENER>を聴く。
 ギーゼキングはドイツ人の両親の子としてフランスのリヨンで生まれ、その後、ドイツで育ち、音楽も学んでいる。
 ベルガマスク組曲を聴いてまず思ったのは、ギーゼキングの根底に当時の潮流である新即物主義があるということだ。
 第1曲の前奏曲の終盤もそうだし、第2曲のリズミカルなメヌエットなど特にそう。
 対象との距離を的確に保ち、過度の感情吐露を避け、速いテンポで音楽を進めて行く。
 テクニックの面でも精度の高さが求められる。
 ただ、それだけでは、それこそ機械的で冷淡な演奏に終わってしまうところだが、ギーゼキングの場合はそれに加えて、軽妙な指づかいによる節回しと澄んで美しい弱音という武器がある。
 終曲のメヌエットの軽い味わいは、ギーゼキングならではのものだろう。
 そして、このベルガマスク組曲でもっとも有名な、というより、ドビュッシーの作品の中でも一二を争うほどにもっとも有名な月の光のなんと美しいこと。
 非常にクリアだけれど、ほんのりとした暖かみもある。
 特に、最後の弱音の美しさには、はあっとため息が出た。
 とても素晴らしい演奏だ。
posted by figarok492na at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東日本大震災から13年が経った(CLACLA日記)

 東日本大震災から13年が経った。
 犠牲となった全ての方に、深く、深く、深く、深く、深く黙禱を捧げます。
 喉元過ぎれば熱さを忘れるといった感じが年々増している。
 そのことが、今年の能登半島地震に対する諸々にもあらわれているのではないか。
 本当に他人事ではない。
 自分もいつどうなるかわからない。


 晴天。
 ただし、夕方ごろからどんよりとしてくる。
 明日は雨らしい。

 夜から朝にかけて、寒さが非常に厳しい。
 が、日中は気温が上がってくる。
 その分、花粉が怖い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒暖差に花粉のせいか、偏頭痛がして、耳鳴りがひどい。
 どうにもこうにも。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでミュンヘン狩猟ホルン・ブラス・アンサンブルが演奏した『狩りの音楽』を聴いたりしながら準備をすませたあと、ヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーのスケッチ・ブックからを聴き、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』組曲第2番を聴いたりしながら、夕飯の準備をすませる。

 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん2』第19話の拾い観をする。
 メインのゲストは、林ゆたか。
 ほかに、長谷川待子、瞳順子、蟹江恵三も出演していた。


 夕飯後、amazon music unlimitedでマルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したマルティノン自身の交響曲第4番、ラヴェルの序奏とアレグロを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、櫻木みわの『コークスが燃えている』<集英社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでギーゼキングが弾いたドビュッシーのベルガマスク組曲を聴き、フロレスタン・トリオが演奏したフォーレのピアノ3重奏曲、ドビュッシーのピアノ3重奏曲、ラヴェルのピアノ3重奏曲、マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したルーセルのバレエ音楽『バッカスとアリアーヌ』組曲第2番とラヴェルのスペイン狂詩曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進め、ギーゼキングが弾いたドビュッシーの夜想曲を聴く。

 灰原薬の『応天の門』14<新潮社>を読了する。
 ああ、面白かった!!!
 ますます先が気になって仕方ない。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 雨、降って欲しくないなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年03月10日

今日聴いた音楽からA(2024/3/10)

 ベートーヴェンの交響曲第5番、運命交響曲を聴く。
 演奏はレナード・バーンスタインが指揮したニューヨーク・フィル<SONY>で、1961年の録音。
 ときたら、もちろん冒頭から一気呵成、飛ばしに飛ばして大興奮。
 だって、あの超特急、ウェーバーの舞踏への勧誘を演奏したコンビだもの。
 だが、予想は裏切られる。
 冒頭の運命の動機以降、遅くはないものの、ゆったりとしたテンポ。
 大きな構え、なおかつ細部まで目配りの届いた演奏で、ジャジャジャジャーンの動機が音楽を支配して、遂には華々しい終幕を迎えるというこの作品の構造を見事に明示する。
 もちろん、知情意を兼ね備えたバーンスタインだけに、ここぞというところではしっかり熱が入る。
 入るが、崩れることはない。
 ニューヨーク・フィルもそうしたバーンスタインの意図によくそって、シンフォニックな拡がりとまとまりのよいアンサンブルを聴かせてくれる。
 中でも、第2楽章のファゴットのソロが印象に残った。
 ところで、バーンスタインがどうしてこのような演奏を行ったのか?
 推測するに、自身とニューヨーク・フィルの組み合わせということも含めて、ベートーヴェンの交響曲第5番をよく知る人よりも初めて聴く人のほうがこのアルバムを購入することをバーンスタインは意識したのではなかろうか。
 啓蒙の人、バーンスタインならばそれも当然のように思われる。

 なおこのアルバムには、バーンスタインによるこの曲の第1楽章の解説が含まれている。
 ベートーヴェンがどのように今ある形にこの曲を完成させていったのか、その一端がよくわかる解説だ。
 バーンスタインの語りも明晰である。

 そして、ウィーン・フィルとの再録音の第1楽章<DG>を途中までながら聴きした。
 解釈自体は共通しているけれど、録音のせいもあるのか、なんだか良くも悪くも老成してしまったような感じだな。
 なんだかなあという気持ちで、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音<DG>も同じようにながら聴きしたら、おお、こっちは活き活きとしていて聴き応えがあるぞ!
posted by figarok492na at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図書館へ行った日曜日(CLACLA日記)

 どんよりとした感じも強いが、青空の見える一日。

 日中、気温が少しだけ上がったか。
 風は冷たいものの。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 身体はだいぶん楽だけれど、やはり頭は重たい。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでアンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルが演奏したベートーヴェンのバレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲を聴き、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、いろいろトラブルが発生し4時少し前に寝床に就く。


 10時過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーの小さな黒ん坊とハイドンを讃えてを聴き、フルートの新井道代、ヴァイオリンの池田梨枝子、チェロの野津真亮が演奏したハイドンの6つのディヴェルティメントを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、櫻木みわの『コークスが燃えている』<集英社>を読み始めたりしたのち、CDでハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの大学祝典序曲を聴く。
 ながら聴きになってしまったが、新井道代らがピリオド楽器で演奏したハイドンはとても聴き心地がよい。
 録音も実にクリアだ。


 13時台に外出し、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、灰原薬の『応天の門』14<新潮社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』とシューマンの劇音楽『マンフレッド』序曲を聴き、ダリオ・サルヴィ指揮フラデツ・クラーロヴェー・フィルが演奏したマルシュナーの序曲と舞台音楽集第2集、ダニイェル・プレツェリが弾いたブラームスのピアノによる変奏曲集、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のバレエ音楽『ファクシミリ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『コークスが燃えている』を読み進めたり、『応天の門』14を読み始めたりしたのち、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したヴェルディの歌劇『アイーダ』第2幕からバレエ音楽を聴く。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したウェーバーの歌劇『オベロン』序曲を聴き、レナード・スラットキン指揮アメリカ・ソヴィエト・ユース・オーケストラが演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『コークスが燃えている』と『応天の門』14を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番を聴き、ラン・ランとサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とバルトークのピアノ協奏曲第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『応天の門』14を読み進めたりし、ギーゼキングが弾いたドビュッシーの夢を聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら雑件を片付ける。


 今日も、チョコレートを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/3/10)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』とシューマンの劇音楽『マンフレッド』序曲<WARENER>を聴く。
 フィンガルの洞窟は、音の風景画家といったメンデルスゾーンのイメージを象徴する作品だが、フルトヴェングラーが指揮すると風景そのものというよりも、風景を見ている人間の中に残った風景であるとか、風景に対する感情の変化とかを耳にし、目にしているように思えてくる。
 長調に転じた感情の放射や、中間部での哀切さをおびた優美さ、終盤のぐんぐんと音を前に進める追い込みが強く印象に残った。
 音質は今一つ。

 一方、シューマンでは、作品の持つ悲劇性もあって、鬱々と沈潜する感情がより色濃く表現される。
 とともに、フルトヴェングラーはこの『マンフレッド』序曲の中に、ベートーヴェンの序曲『コリオラン』や劇音楽『エグモント』序曲を見ているのではないか。
 ベートーヴェンの一連の短調の作品の如く、何か曰く言い難いものが、運命として迫ってくるかのように音楽が響く。
 だからこそ、一瞬の抒情的な旋律がひときわ甘美に聴こえもする。
 そして、徐々に音楽が消えていくラストが忘れ難い。
 こちらもモノラル録音だが、フィンガルの洞窟よりはクリアに音が聴こえた。
posted by figarok492na at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月09日

今日聴いた音楽からA(2024/3/9)

 ヘンリク・シェリングとアンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲<Mercury>を聴く。
 シェリングは硬めで澄んだ音色の持ち主。
 技量の高さをひけらかすようなことはせず、折り目正しく一音一音を丹念に演奏していく楷書の藝だが、リリカルさを失うこともない。
 特に、オーボエをはじめとした管楽器のソロと絡み合う第2楽章の美しさが印象に残った。
 粗さは若干残るものの、ドラティ指揮のロンドン交響楽団も大柄な演奏でシェリングを支えている。
 ミネアポリス交響楽団とのせかせかした演奏が嘘のような堂々とした音楽づくりだ。
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TARAKOさんのことなど(CLACLA日記)

 青空は見えるが、どんよりとした感じも強い。
 霰か雪か霙も降っていた。

 気温、下がる。
 寒さを厳しく感じる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 メンテナンスのおかげで、身体はだいぶん楽だ。
 寒暖差もあって、頭は重たいが。


 テレビアニメは極端に好きなもの以外は、ほとんど目にしない人間だった。
 それでも、大学生のころに始まった第一期の『ちびまる子ちゃん』はよく目にしていた。
 長崎では放送していなかった第一期の『じゃりン子チエ』の再放送にはまっていた時期なので、二つのアニメの違いについてあれこれ考えたりもしたっけ。
 『じゃりン子チエ』が徹頭徹尾昭和のアニメなら、時代背景は同じ昭和なのに『ちびまる子ちゃん』のほうは明らかに平成の臭いがした。
 原作者のさくらももこがどうこうではなく、当時のフジテレビのつくり方がまさしく時代に密着していたのだろう。
 そういえば、『ちびまる子ちゃん』の後追いする形で第二期の『じゃりン子チエ』がスタートしたが、内容もテーマソングも無理に時代に合わせようとしている感じがして、正直辛かった記憶がある。
 『じゃりン子チエ』が中山千夏なくして存在しえないアニメであれば、『ちびまる子ちゃん』もTARAKOなければここまで長寿アニメとはならなかったのではないか。
 柔らかくてもやもやとしているようで、実は切れ味もある。
 TARAKOはその独特の声で、まる子という女の子の様々な側面を存分に表現してみせた。
 あとで、さくらももこの声とTARAKOの声があまりにもそっくりなのを知って、なるほどそういうことなのかと感心したものだ。
 ただ、TARAKOの存在を知ったのは『ちびまる子ちゃん』が初めてではない。
 『ちびまる子ちゃん』から遡ること6、7年前か、NHKで放映されていた『スプーンおばさん』で僕は彼女のことを知った。
 男の子の役も演じていたが、強く印象に残っているのはドンというネズミのほう。
 もやもやっとした話し方がやけに耳に残ったのだ。
 エンディングの声の配役で見たTARAKOの文字もインパクトがあった。
 そうそう、このアニメでは飯島真理が歌うオープニングテーマ『夢色のスプーン』が好きでよく口ずさんだものだ。
 ついでに記せば、アニメ自体は全くはまらなかったくせに、『ドラゴンボール』は橋本潮が歌うエンディングテーマ『ロマンティックあげるよ』を好きだったんだ。
 ただ、B.B.クィーンズが歌う『おどるポンポコリン』はあまり好みではなかった。
 そのくせ、学生時代に「電信柱の陰から公安警察登場、いつだって忘れないミヤケンは人殺しそんなの常識」などと一番と二番をまぜた替え歌を歌って大顰蹙を買ったこともあったなあ。
 しかし、踊りに踊りまくった末、見るも無残な状態に陥ったというに、それでもまだ踊りを踊り続けようとするような今の状況から考えれば、あの歌は本当に時代を象徴する歌だったと思う。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでブリッジ・カルテットが演奏したアーノルド・クックの弦楽4重奏曲第3番、第5番、第1番、新井眞澄が弾いたモーツァルトのアダージョロ短調K.540とロンドニ長調K.485、シューマンのクライスレリアーナとアラベスクを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたりしたのち、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したマスネの歌劇『タイス』からタイスの瞑想曲を聴き、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いたりしながら雑件を片付け、3時20分過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、CDでフェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」とバレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲を聴き、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴きながら朝昼兼用の食事をすませ、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したケルビーニの歌劇『アナクレオン』序曲を聴き、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番と第6番「田園」、ロランス・エキルベイ指揮インスラ・オーケストラが演奏したファランクの交響曲第2番、序曲第1番と第2番、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のディヴェルティメント、ミュージカル・トースト、政治的序曲『スラヴァ!』、ミュージカル『オン・ザ・タウン』から3つのダンス・エピソードを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 堀江敏幸の『中継地にて』<中央公論新社>を読了する。
 よく書くということは、よく読み込むことから始まるということを改めて痛感する。
 そして、自分自身のそうした能力の明らかな欠落を思い知らされる。
 これから先、どう読み、どう書くかだ。
 諦念や開き直りではなく、透徹した自覚を持っていくしかない。


 14時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでナッシュ・アンサンブルが演奏したチャイコフスキーの弦楽6重奏曲「フィレンツェの想い出」とコルンゴルトの弦楽6重奏曲を聴き、マンフレート・ホーネック指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番とシュルホフの5つの小品、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする・


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
 「音楽ショートショート」と題して、1曲が1分たらずといった短い作品が集められていた。
 実に面白し。

 入浴後、amazon music unlimitedでヘンリク・シェリングとアンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴き、メゾソプラノのアンナ・ルチア・リヒターがアミエル・ブシャケヴィッチのピアノ伴奏で歌ったブラームスの歌曲集、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したヒンデミットの気高き幻想、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』から7つのヴェールの踊りを聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、チョコレートを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/9)

 イギリスの室内アンサンブル、ナッシュ・アンサンブルが演奏したチャイコフスキーの弦楽6重奏曲「フィレンツェの想い出」とコルンゴルトの弦楽6重奏曲<hyperion>を聴く。
 今年リリースされたばかりのアルバムである。
 まずは、チャイコフスキー。
 実にかっこいい演奏だ。
 歯切れがよくて、それでいて歌うべきところは流れるように歌う。
 しかも、民俗音楽的な装飾風の処理も加味されている。
 いわゆるピリオド奏法の影響もあるかもしれないが、そのスタイリッシュで洗練されたスタイルには、ネマニャ・ラドゥロヴィッチらが積極的にやっている「クロスオーバー」な音楽をすぐに思い起こした。
 このフィレンツェの想い出は、リズムとテンポの組み合わせを間違えると、ただただ泥臭くいなたい音楽になってしまうのだが、ナッシュ・アンサンブルの演奏ならば無問題。
 第3楽章の急所などもやすやすと越えているし、終楽章の追い込みもよくコントロールされている上にエネルギッシュに決める。
 だが、こちらの心は動かない。
 ついつい、そんなにかっこつけんでもと口にしたくなるのだ。
 この前、グールドが弾いたバッハのフランス組曲について書いたとき、音楽への反応が生み出した感興といった言葉を記したと思う。
 もちろん、ナッシュ・アンサンブルの演奏にそれがないとは言わない。
 けれど、この演奏からはそれが二義的以下のものに感じられてしまうのも事実である。
 本来の表現欲求とは異なる、後付けによる演奏スタイルというか、あまりにも完璧にスタイルが決まり過ぎているというか。
 これが実演ならば、ノリのよい演奏にきっと興奮するだろうに。
 それこそPCやスマホで動画の炎を目にしているような感じなのだ。
 確かに、その炎は赤々と燃えている。
 この動画を映している人間は、その熱を間近で直接受けていることも想像に難くない。
 しかし、炎の熱を液晶画面を通している自分は全く実感できない。
 ただただ燃えているなあという認識が生まれるだけだ。
 そんなもどかしさに囚われて、最後まで違和感を覚えたままだった。

 コルンゴルトも基本のスタイルは同じだが、上述した装飾風の処理がないことや、作品の音楽性の違いもあって、こちらはチャイコフスキーほどの違和感を持つことはなかった。
 コルンゴルトの旋律美には、ちょっと塩辛い音色だなと思う反面、彼がシェーンベルクら新ウィーン楽派の人々と同じ時代を生き、同じ空気を吸ったことをうかがうことができた。
posted by figarok492na at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月08日

お米を買ったり、身体のメンテナンスをしてもらったりした一日(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。

 気温、上昇せず。
 風が吹き、寒さを強く感じる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 身体のメンテナンスのおかげで、だいぶん楽になった。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したワーグナーのジークフリート牧歌を聴き、ガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団他が演奏したドビュッシーの選ばれし乙女、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したコープランドのクラリネット協奏曲(スタンリー・ドラッカーの独奏)と劇場のための音楽を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時50分過ぎに寝床に就く。


 8時過ぎに起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、amazon music unlimitedでヴィリー・ボスコフスキー指揮フィルハーモニア・フンガリカが演奏したリストのラコッツィ行進曲を聴く。

 洗濯物を干したあと再び外出し、文具店で用件を片付けたのち、お米10キロを買って帰宅する。
 お米もどんどん高くなっている。
 腹立たしいかぎり。


 帰宅後、午前中から午後にかけて、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したラロの歌劇『イスの王様』序曲を聴き、カルロ・アルベルト・バッキが弾いたクレメンティのピアノ・ソナタ集、TBSラジオ『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャスト、バーンスタイン指揮ロサンゼルス・フィルが演奏したバーンスタイン自身の『ウェストサイド・ストーリー』からシンフォニック・ダンスを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、堀江敏幸の『中継地にて』<中央公論新社>を読み進めたりする。
 『イスの王様』序曲は、ワーグナーの影響がはっきりとうかがえる音楽だ。

 昼過ぎ、少し昼寝をしようとしたが、斜め横のマンションの清掃作業がかまびすしく、寝損ねる。
 掃除機を使って3時間も4時間もバワバワバウバウ、親の仇かと思うほどバカみたいにうるさくやっている。
 自分のマンションだけきれいになればそれでいいというやり口に腹が立って仕方ない。
 近いうちに、掃除を行っている愚か者に天罰天誅が下らないか非常に心配である。


 夕方になってまた外出し、仕事関係の用件を片付ける。
 そのあと、身体のメンテナンスをすませる。
 じっくりメンテナンスしてもらった。
 ああ、すっきりした!!!
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、CDでフェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第31番「パリ」とバレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲を聴く。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したワーグナー編曲によるグルックの歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲を聴く。

 入浴後、amazon music unlimitedでスティーヴン・ハフが弾いたモンポウのピアノ作品集を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの吹雪まんを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽からA(2024/3/8)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮したワーグナー編曲によるグルックの歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲<WARENER>を聴く。
 ギリシャ悲劇によるグルックのフランス語のオペラをワーグナーがドイツ語に訳して編曲した上に、さらに演奏会用にコーダを施したもの。
 冒頭から重々しい足取りで、まさしく荘厳な古典劇が始まる予感がする。
 そして、そのまま重たい足取りのまま音楽は続く。
 時折、まるで宿命天命を表すかのようなファンファーレが何度か繰り返される。
 フルトヴェングラーの持つ音楽的劇性が全開となった演奏だ。
 しかし、この曲で最も強く印象に残ったのは、徐々に静謐さに向かうコーダだ。
 特に、消え入るような最後にはぞくぞくとした。
 濃密な10分間だ。

 念のため、原曲であるグルックの『オーリードのイフィジェニー』の序曲を聴いてみる。
 ジョン・エリオット・ガーディナーがピリオド楽器のオーケストラ、イングリッシュ・バロック・ソロイスツと録音した全曲盤から。
 テンポは速めだが、冒頭部分は荘厳さを感じないでもない。
 ところが、しばらくすると音楽は一転、フルトヴェングラーではそのまま歩む速度は変わらないのに、こちらガーディナーのほうは突然駆け出す。
 悲劇もへったくれもない走りっぷりは、軽やかで楽し気ですらある。
 まあ、もとはといえば、グルックの音楽自体、本当はそういった性格のものであって、フルトヴェングラーとウィーン・フィルの演奏はあくまでもワーグナーという19世紀最大のロマンティストのフィルターを通したものであるということだ。
 ちなみに、こちらのほうは6分ちょっと。
 そら速いわな。
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/8)

 亡くなった1956年の5月にグイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音したラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』組曲第2番<WARENER>を聴く。
 ここでもカンテッリはよくオーケストラをコントロールして、華々しさと拡がり、静謐さを兼ね備えた音楽を生み出している。
 フィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブル・ソロ両面で優れた音楽を聴かせる。
 もしこれが良質のステレオ録音だったら、そして実演だったらと思わずにはいられない。
posted by figarok492na at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月07日

今日聴いた音楽から(2024/3/7)

 グレン・グールドが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのフランス組曲全曲(6曲)とフランス風序曲<SONY>を聴いた。
 ちなみに、オリジナルは第1番から第4番までと、第5番、第6番、フランス風序曲の2枚のLPレコードでリリースされている。
 一昨年の12月にamazon music unlimitedに加入して以来、グレン・グールドの録音をよく聴くようになったが、正直、作品によってはグールドのスタイルと音楽との齟齬を感じることも少なくなかった。
 ところが、水を得た魚ではないけれど、バッハとグールドの相性は抜群。
 全曲、1時間20分があっという間に過ぎてしまった。
 よく考え抜かれ、ついでによく編集し尽くされた演奏であるにもかかわらず、自由さと即興性を失わない。
 グールド以上に表面的な技術的精度の高さを誇る演奏は少なくないだろう。
 けれど、対位法をはじめバッハの音楽の構造を丹念に解き明かしながら、なおかつグールドほどにリズミカルでノリと流れのよい音楽を生み出し得ている演奏はそうそうない。
 また、グールドは演奏に没入するが、それでいて作品との適度な距離を保っている。
 例えば、第4番の終盤、エールからジーグにかけて音楽は高揚する。
 しかし、その高揚はドラマティックな感情吐露とは異なり、音楽そのものに反応した感興によるものである。
 そして、軽やかで柔軟でありながら、確固とした音楽的核、芯を持ち続ける。
 本来ならば両立し難い要素をバランスよく兼ね備える、それこそグールドが愛し強調した対位法のような演奏だ。
 それにしても、グールドの弾くバッハには時間を忘れてしまう。
 しかも、もう一度初めから聴き直したくなる。
posted by figarok492na at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花粉め!!!(CLACLA日記)

 ようやく晴天に。

 それでもまだ寒い。
 なのに、花粉は飛んでいる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 昨夜、寝る少し前、急に咳が止まらなくなる。
 くしゃみを連発する。
 鼻がぐじゅぐじゅする。
 一瞬、風邪をひいたかと思ったが、すぐに違うとわかる。
 花粉め!!!
 偏頭痛もひどし。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分過ぎに寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでヴァイオリンのドミトリー・シトコヴェツキーとピアノのブルーノ・カニーノが演奏したクライスラーのヴァイオリン・トランスクリプション集を聴いたりしながら準備をすませたのち、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したワーグナーの歌劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲を聴き、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第16話を拾い観しながら夕飯の準備をすませる。
 『天を斬る』のメインのゲストは、中野誠也。
 ほかに、岩本多代、中村敦夫も出演していた。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したワーグナーの楽劇『ジークフリート』から森のささやき、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第3幕から管弦楽曲抜粋、歌劇『タンホイザー』序曲とヴェヌスベルクの音楽、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したヴァレーズのアルカナ、マルタンの7つの管楽器とティンパニ・弦楽器のための協奏曲、バルトークのバレエ音楽『中国の不思議な役人』組曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、堀江敏幸の『中継地にて』<中央公論新社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグレン・グールドが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのフランス組曲全曲とフランス風序曲を聴き、アントニオ・ヤニグロ指揮ザグレブ室内合奏団他が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハの管弦楽組曲第2番とブランデンブルク協奏曲第5番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 晴れたと思ったら、花粉症だもんなあ。
 やんなっちゃうなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年03月06日

今日聴いた音楽からA(2024/3/6)

 ディミトリ・ミトロプーロスがニューヨーク・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」<SONY>を聴いた。
 1957年11月のステレオ録音。
 実は、この録音は国内盤の廉価盤LPを持つには持っているのだが、大学生の頃に帰省した際中古屋で見つけて買いはしたものの、当時モノラルのポータブルプレーヤーしか実家にはレコードを聴くシステムがなく、第3楽章だけ拾い聴きしてあとは聴かないままだった。
 だから、きちんと聴くのは今回が初めてである。
 一言でいえば、突き抜けたドライさとなるか。
 素っ気ないとか、感情がないというわけではない。
 じっくり耳を傾ければ、細やかな感情の変化が窺える。
 けれど、旋律を歌わせてなんかいられるものか、なんとしてでも前に進まねばならぬといった風で、音楽の進め方が徹底してドライなのだ。
 第1楽章などあまりのせかせかした始まりに、マスターテープの回転数が間違っているのではないかと思ったぐらい。
 そのおかげで、かえって第2主題の甘やかさを強く感じたほどである。
 以降も、前へ前へのテンポは続く。
 結果、40分ほどで全曲が終わった。
 これでオーケストラが精緻にコントロールされていれば、それこそ肝胆寒からしめる低音冷淡の極致のような音楽が生み出されたのだろうが、良くも悪くも雑然とした感じで人間らしさを覚える。
 時折、聴き直したくなるような気がしないでもない。
posted by figarok492na at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おとなしくしていた一日(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気が続く。

 寒さも続く。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 うっとうしいかぎり。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでクリストフ・ケーニヒ指揮ソリステス・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク他が演奏した『ルクセンブルクの現代音楽』第3集、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したコープランドのコノテーションズを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、関本郁夫の『映画監督放浪記』<小学館スクウェア>を読み進めたりしたのち、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したバーバーの弦楽のためのアダージョとボロディンの夜想曲を聴き、2時40分過ぎに寝床に就く。


 朝早くから予定をすませる。

 その後、午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したグリーグの2つの悲しき旋律とマスネの歌劇『タイス』からタイスの瞑想曲を聴き、ソプラノのマリー・ペルボーとペジマン・メマルザデー指揮ジェネラシオン・モザールが演奏したヨーゼフ・マルティン・クラウスのアリア&管弦楽曲集『光の声』、エイミー・リンが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第7番、第15番、第18番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。
 『光の声』は、ペルボーの声も清澄で美しいし選曲企画もいいのだが、いかんせん音質がセッコに過ぎる。
 あともう少し響きがよければ、ながらでなく聴いたのに。

 『映画監督放浪記』を読了する。
 伏見高校卒業後、大学出身の監督助監督が犇めく東映京都撮影所の美術部に入り、その後製作部へ転じて助監督となり、遂には監督として一本立ちした唯一の高卒監督関本郁夫が自らの映画、テレビドラマにおける闘いを記録した一冊。
 面白くて、どんどん読み進めてしまった。
 人生の体験や経験を映画はもちろんのこと、2時間物のサスペンスドラマも含めて描き込んだという点にも強く感じ入る。
 そして、関本監督の作品を一度じっくり観たいと思った。

 続けて、堀江敏幸の『中継地にて』<中央公論新社>を読み始める。


 13時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでパスカル・ロフェ指揮国立ロワール管弦楽団が演奏したドビュッシーの小組曲、バレエ音楽『おもちゃ箱』、子供の領分を聴き、エレーヌ・ティスマンが弾いたラヴェルの古風なメヌエット、夜のガスパール、ハイドンの名によるメヌエット、高雅で感傷的なワルツ、亡き王女のためのパヴァーヌ、ラ・ヴァルス、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団が演奏したデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』、フォーレの劇音楽『ペレアスとメリザンド』組曲、ルーセルのバレエ音楽『蜘蛛の饗宴』組曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『中継地にて』を読み進めたりしたのち、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌと道化師の朝の歌、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したサン・サーンスの歌劇『サムソンとデリラ』からバッカナールを聴く。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団他が演奏したウェーバーの歌劇『オイリアンテ』序曲を聴き、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『中継地にて』を読み進めたりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』は、剃刀負け弁護士軍団の長谷川さんと大谷さん。

 入浴後、amazon music unlimitedでディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を聴き、アンドレア・カルカーノが弾いたティシチェンコのピアノ・ソナタ第10番「エウレカ!」、第4番、第8番、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーのスラヴ行進曲とバラキレフのイスラメイを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『中継地にて』を読み進めたりしたのち、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したグリエールのバレエ音楽『赤いけしの花』からロシア水兵の踊りを聴く。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 おとなしくしていた一日だった。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/6)

 ドビュッシーの作品の中で一番好きなのは、小組曲の第1曲「小舟にて」だ。
 それも原曲のピアノ連弾によるものではなくて、ドビュッシーの友人アンリ・ビュッセルが編曲した小管弦楽版のほう。
 かそけきハープに乗って奏でられるフルートのたゆたうようなソロが、なんとも美しい。
 初めて聴いたのは、今からもう40年近くも前になる1987年9月の長崎交響楽団の定期演奏会で、指揮者はフォルカー・レニッケ。
 演奏自体は正直当時のアマチュア・オーケストラの水準通りで厳しいものだったが、それより何より音楽の美しさに魅了された。
 それ以来、いろいろとCDを聴いているが、この一枚さえあればという録音には巡り合っていない。
 強いてあげるなら、ジャン・マルティノンとフランス国立放送管弦楽団ということになるが、明晰な音楽のつくりには魅かれるものの、録音の音質その他、何がなんでもとまでは言い切れない。
 自分にとってベストの小組曲を見つけたいという思惑で、フランスの指揮者、パスカル・ロフェが国立ロワール管弦楽団と録音したアルバム<BIS>を聴いてみた。
 よくコントロールされたオーケストラで、リズミカルな演奏。
 悪い演奏ではない。
 でも、残念ながらやっぱりしっくりこない。
 一つには、明瞭だけれど奥で狭くなるような録音の音質もあるのかもしれないが、全体的に音が低めでくすんだ感じがする。
 あくまでも自分の好みをいえば、この曲には夕方前の陽の光がきらきらと水面に映えているような明るさが欲しい。
 小組曲では、それこそリズミカルな終曲「バレエ」がロフェの柄に合っているように感じた。
 というか、ロフェはリリカルでナイーブな表現よりも躍動感があるものや、細部への徹底した腑分けのほうに一層特性を発揮する指揮者ではないだろうか。
 このアルバムでは、アンドレ・カプレが編曲したバレエ音楽『おもちゃ箱』と子供の領分がカップリングされているが、ビュッセルの素直な編曲に比較して、より捻りが効いており、ドビュッシーの音楽の持つ「新しさ」も巧く強調されている。
 そして、ロフェはそうした部分、良い意味でのぎくしゃくとした感じや音の組み合わせを的確に再現している。
 国立ロワール管弦楽団も、ロフェの解釈にそって洗練されたまとまりのよいアンサンブルを聴かせていた。
 自分にとってのベストの小組曲探しはまだまだ続くが、これはこれで聴き応えのあるアルバムである。

 ところで、1872年生まれのビュッセルが亡くなったのは1973年。
 自分が生まれ頃には、彼はまだ存命だったのだ!
posted by figarok492na at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月05日

今日聴いた音楽から(2024/3/5)

 オランダ出身の指揮者、ベルナルト・ハイティンクの実演には一度だけ接したことがある。
 今からちょうど30年前のヨーロッパ滞在中、1994年1月16日の本拠地ムジークフェライン大ホールでのウィーン・フィル定期演奏会だ。
 プログラムはハイドンの交響曲第86番、ベルクの管弦楽のための3つの小品、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」の3曲で、まさしくウィーン・フィルらしい組み合わせだった。
 ハイドンは編成を絞らないオーソドックスな演奏で、ベルクはロマン派の残滓を色濃く感じる若干古めかしくすらあるスタイル…。
 それより何より、ムジークフェライン大ホールのほわふわとした残響の豊かさに圧倒されたというのが正直な感想である。
 その点、ゆったりとしたテンポで進むシューベルトはまさしくホールの音質との相性がどんぴしゃだったので、それこそシューマンによる「天国的な長さ」というこの曲への言葉に大いに納得がいったものだ。
 実際、ハイティンクも、そうしたホールの響きとウィーン・フィルの特性を活かした音楽づくりを行っていた。
 そういえば、ハイティンクの評価が徐々に変化し始めたのもこの頃のことではなかったか。
 30代前半でアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に抜擢されたことで、世界的な知名度を得ることはできたものの、かえってそれが仇ともなり、ハイティンクの音楽的評価が高まることはなかった。
 それがコンセルトヘボウ管弦楽団を退任し、ベルリン・フィルとマーラーの交響曲の、ウィーン・フィルとブルックナーの交響曲の録音を進めた1990年代半ばあたりから、彼の大柄で小細工を弄さない音楽性の真価が発揮されるようになってきたのである。
 と言っても、そのマーラーの交響曲やボストン交響楽団とのブラームスの交響曲には、PHILIPSレーベルの若干もやつく音質もあって、重たさを感じたことも事実だが。
 今夜聴いた、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(ただし、拍手など会場のノイズは聴き取れない)<BR>は、1981年11月のものだから、それより15年近く前のことになる。
 上述したようなハイティンクの音楽性は、例えば第1楽章のコーダ―や第2楽章のクライマックス、そして全曲のラストによく表されているように感じた。
 あえてはからず、頂点に向かって音楽を歩ませて行くといった。
 ただ、その分、オーケストラの細部が詰まりきっていない感じは否めなかったし、第2楽章の前半であるとか、第3楽章などにはことにさくさくと進み過ぎている感じもしないではなかった。
 一つには、あまりクリアとはいえない音質も影響しているようにも思う。
 いずれにしても、最晩年の円熟に向かう過程の一つのドキュメントといえるだろう。
posted by figarok492na at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨、止んでくれないかな(CLACLA日記)

 雨降り。
 それも結構強い降りに。

 じめじめとじめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 雨降りというのにね。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分過ぎに寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでフリッツ・ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したラヴェルのラ・ヴァルス、ドビュッシーの管弦楽のための映像からイベリア、ベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』からラコッツィ行進曲、ラヴェル編曲によるドビュッシーのスティリー風タランテッラを聴いたりしながら準備をすませたのちユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したヴォーン・ウィリアムズのグリーンスリーブスによる幻想曲を聴き、8時19分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 帰りは自転車を押して帰る。
 ちょっと滑って危ないと思い。


 夕飯後、amazon music unlimitedでレスリー・スガナンダラージャ(指揮)チネケ!オーケストラが演奏したフローレンス・プライスの1楽章のピアノ協奏曲(ジェネバ・カネー=メイソンの独奏)、交響曲第1番、アメリカにおけるエチオピアの影から第2曲、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの弦楽セレナードを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、関川郁夫の『映画監督放浪記』<小学館スクウェア>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第7番を聴き、クラリネットのステファン・ジーゲンターラーとプラハ・シュターミッツ・カルテットが演奏したライヒャのクラリネット5重奏曲とノイコムのクラリネット5重奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 雨、止んでくれないかな。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月04日

今日聴いた音楽から(2024/3/4)

 フランス出身のヴァイオリニスト、ジノ・フランチェスカッティとユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番<SONY>を聴いた。
 パガニーニといえば19世紀を代表するヴィルトゥオーゾ中のヴィルトゥオーゾであり、鬼才中の鬼才として知られる。
 そのパガニーニが自身の高度なテクニックを披歴せんがために作曲したのが、このヴァイオリン協奏曲第1番だ。
 フランチェスカッティは生前パガニーニのオーソリティーと評されていたそうで、実際この録音でもそうした彼の高度な技量を聴くことができる。
 ただ、イメージ的にパガニーニが身体をくねらせながら変幻自在にヴァイオリンを操っているイメージとすれば、フランチェスカッティのほうは背筋をぴんと伸ばして格調高くヴァイオリンと向き合っている感じがする。
 正直、終楽章の超高音あたりでは、現在の耳からするとちょっと厳しさを感じないでもないが、その豊かなヴァイオリンの音色と丹念な演奏はやはり魅力的だとも思う。
 オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団はなんとも威勢がよい。
 粗雑な感じはしないものの。
 1950年のモノラル録音だが、フランチェスカッティの美音を愉しむという意味では問題ない。
posted by figarok492na at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花粉症も加わる(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。
 が、明日はまた雨らしい…。

 気温はあまり上昇せず。
 寒さがまだ厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 花粉症も加わって、体調は芳しからず。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分に寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでフリッツ・ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したブラームスのハンガリー舞曲集(8曲)、ヨハン・シュトラウスU世のワルツ『南国のばら』、宝のワルツ、ワルツ『ウィーン気質』、リチャード・ロジャースのミュージカル『回転木馬』からワルツを聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん2』第18話の拾い観をする。
 メインのゲストは、葉山葉子と辻萬長。
 悪役は、菅貫太郎と中村孝雄。
 ほかに、安部潮らも出演していた。
 安部さんは関西発のドラマではちょこちょこ出ていた人だけど、Wikipediaに項目はないみたい。


 夕飯後、amazon music unlimitedでレナード・バーンスタインがウィーン・フィルを弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第15番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、関本郁夫の『映画監督放浪記』<小学館スクウェア>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでジノ・フランチェスカッティとユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を聴き、アンサンブル・アラベスクが演奏したイベールのチェロと管楽器のための協奏曲(エマニュエル・ベルトランの独奏)、ハートマンのセレナード、ドヴォルザークの管楽セレナード、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したラヴェルのスペイン狂詩曲(1950年録音)とコダーイの『ハーリ・ヤーノシュ』組曲(1946年録音)を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『映画監督放浪記』を読み進めたりし、シューベルトのセレナードを聴く。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月03日

今日聴いた音楽からA(2024/3/3)

 グレン・グールドが弾くワーグナーのピアノ・トランスクリプション集<SONY>を聴いた。
 収録曲は、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、楽劇『神々の黄昏』から夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリート牧歌の3曲で、いずれもグールド自身の編曲による。
 音楽的効果を考えて、マイスタージンガーのラストでは二重録音が用いられているというが、と言って、自らの高い技量、ヴィルトゥオーゾぶりを発揮するためのアルバムでないことは言うまでもない。
 そして、音色そのものでは当然大管弦楽の持つ華々しさにかなわないことは、グールドも十分承知していただろう。
 ここでもグールドは、メロディーやリズムといった音楽的構成、音楽的構造を明瞭に腑分けする。
 マイスタージンガーの中間部や、ラインへの旅あたりの音の細かい動き、対位法の強調はグールドの本領発揮といってもよい。
 ただ、23分をかけてゆっくりと演奏されたジークフリート牧歌では、グールドのロマンティシズム、リリカルさが全面に押し出される。
 後半の高揚する部分も抑制が効いて、うるささを感じない。
 特に、繰り返しあらわれる冒頭の主題の愛しむような表現が忘れ難い。

 今、晩年のグールドがトロント交響楽団の団員を指揮して録音した初演時の編成によるジークフリート牧歌を聴いているが、ピアノ独奏版の録音がこの演奏のための予行演習のように思えてならない。
 実に美しい演奏だ。
posted by figarok492na at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする