2007年05月11日

クレンペラーのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:交響曲第4番、第7番
  オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
  第4番=1957年録音、
  第7番=1955年録音
  <EMI>CDM5 66795 2

 昨日購入した、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏による、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番のCDを聴く。
(なお、第7番は全集中の1960年の録音ではなく、それより前の1955年の分が収められている)

 クレンペラーのベートーヴェンを聴くのは、いったい何年ぶりになるだろう。
 たぶんLP末期からCD初期の頃以来だから、少なくとも15年以上は経っているのではないか。
 確かに、最近のピリオド奏法による演奏(ジンマンとか)に慣れた耳からすれば、少々「遅さ」を感じずにはいられないものの、作品そのものの持つ「動き」「力」は、かえってより克明に表現されているようにも思われる。
 それにしても、こうやって改めて聴き直してみると、ベートーヴェンの交響曲の持つ情報量の多さがよくわかる。
 そして、クレンペラーの演奏=録音の持つ情報量の多さも。
(ただ、こうしたこと、例えば「遅さ」などを、全てクレンペラーの意図したものと判断することに関しては、若干の疑問が残る。結果として、ベートーヴェンの音楽の構造や何やらがはっきりと示された演奏=録音になっているにしても)

 少々「機械的」には過ぎるが、音質もクリアになっていて、音楽を愉しむという意味では、あまり不満はない。
 僕は、中古で税込み557円で手に入れたが、税込み1000円程度は出すべきなんじゃないかと思える一枚だ。
 大いにお薦めしたい。
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2007年04月23日

キング・オブ・ハイC

 ☆パヴァロッティ・スーパー・ヒッツ!
  ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)他
  <LONDON>POCL−5155/国内盤

 友だちから貸してもらった、『パヴァロッティ・スーパー・ヒッツ!』を繰り返し聴いている。
 これがオペラ全曲丸ごと入ったCDならば、何だかんだの神田橋と、重箱の隅をつつくような批評家ぶった物言いもできるんだろうけど、残念ながらこちらはいいとこどりの名唱集。
 おなじみ、オー・ソレ・ミオやフニクリ・フニクラ、女心の唄や星は光りぬ、人知れぬ涙、誰も寝てはならぬ、といった名歌名アリアをパヴァロッティの圧倒的な美声美唱で愉しむ他ない。
 まあ、パヴァロッティがそれほど好きではない人でも、その声の明るさと輝きだけは認めざるをえないCDだろう。
 「そこそこ」ブルーな方にお薦めしたい一枚だ。
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2007年04月17日

恋は神代の昔から

 ☆パリー:交響曲第5番他
  マティアス・バーメルト指揮ロンドン・フィル
  1991年録音
  <CHANDOS>CHAN8955

 恋をしましょう、恋をして…。
 って、何も血迷ってしまった訳じゃない。
 たまには、こんな訳わからんちんな始め方をしてみてもいいかなと思ったまでだ。

 で、今日とり上げるパリーの交響曲第5番、並びに『死から生へ』、『ブラームスのためのエレジー』のCDなんだけど、こりゃあもう死ぬほど好きでたまらない、極私的名盤と呼ぶ他ない一枚である。
(実は、バーメルトとロンドン・フィルの演奏によるパリーの交響曲全集+管弦楽作品集のCDは、以前手元にあって、それこそLPなら盤面が擦り切れるほどに聴き返した愛聴盤だったのだが、諸般の事情で手放したままになっていた)

 もちろん、ブラームスの影響丸出しのどうにも甘ったるい音楽、と言われれば、確かにそりゃそうだ、と認めざるをえない。
 でも、好きなもんは好きなんだから仕方がない。
 あばたもえくぼ、その甘ったるくて大構えな造りさえもが、聴き心地がよくって心落ち着く大きな理由になるのだ。
(いくら周囲が、「やめとけよ、あんなつまらない奴」って言ったって、そこは惚れた弱味、頭でわかっていても心がね…)

 演奏、録音ともに、作品を愉しむという意味では、全く不満がない。
 と、いうことにしておこう。

 個人的には、フルプライスでも全然惜しくない、掛け値なしにお薦めの一枚。
 大大大推薦!!!
(「ちょっと、あんた変なもんでも食べたんじゃない?」、と呼ぶ声あり。わかってまんがなわかってまんがな)
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2007年04月16日

ロシアロシアと言うけれど

 ☆サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル
  オリヴィエ・ボーモン(チェンバロ)
  1996年録音
  <ERATO>3984−21665−2

 昨日購入した、オリヴィエ・ボーモンの弾く『サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル(ロシアのチェンバロ音楽)』を聴く。

 『サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル』は、18世紀末から19世紀初頭にかけてサンクト・ペテルブルクで活躍した、イタリアの作曲家(マンフレディーニとパイジェッロ)とロシアの作曲家(ボルトニャンスキー、グリリョーフら)のチェンバロのための作品を集めたCDである。
 ただし、最後のカラウーロフの『みなしごのおまえよ』による変奏曲や、作者不詳の『カーチェンカは村いちばんのべっぴんさん」による変奏曲などに、ロシア的な雰囲気が感じとれる程度で、基本は、バロック的な様式を巧みに踏まえた、聴き心地がよくて耳なじみのよい音楽が集められている。
 ボーモンは高度なテクニックと洗練された楽曲解釈で、全く危なげのない演奏だし、パイジェッロの前奏曲とロンドでは、ミリアム・ジュヴェールの流麗なヴァイオリン演奏を聴くこともできる。
 チェンバロ好き、バロック音楽好きの方には、中古で税込み1200円程度までなら安心してお薦めできる一枚だ。
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2007年04月08日

ブラームスはお好き?

 ☆ブラームス:セレナード第1番、第2番
  チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団
  1998年録音
  <TELARC>CD−80522

 確かに、ブラームスは好きだ。
 クラシックを熱心に聴き始めた頃とは違って、今では交響曲第1番の力みぶりにはいささかくどさを感じてしまうものの、交響曲第2番、弦楽6重奏曲第1番、弦楽5重奏曲第1番、ピアノ4重奏曲第1番、ピアノ3重奏曲第1番、ホルン3重奏曲、クラリネット・ソナタ第1番、8つのピアノ小品(作品番号76の2曲目)などは、何度繰り返しても聴き厭きない、とても大好きな音楽である。
 そして、またぞろCDを購入してしまった、ブラームスのセレナード第1番ももちろん大好きだ。

 で、そのCD、チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団の演奏による、ブラームスのセレナード第1番と第2番を聴き直す。
(これは、マッケラスとスコットランド室内管弦楽が録音した、ブラームスの交響曲全集の補完的な役割を果たすCDである)

 先述した交響曲全集同様、ピリオド奏法を援用した小編成のオーケストラによる演奏で、金管楽器など「独特」のくすんだ響きが聴こえてくるのだが、ううんどうなんだろう。
 アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラによる若々しくてエネルギッシュなCDを聴いた後では、単に音色云々ばかりでなく、演奏そのものもくすんで聴こえる感じは否めない。
 ただ、繰り返し聴くと、マッケラスの細やかな楽譜の読みがわかってきて、作品の多様な側面を識ることはできると思う。
(第2番についても、同じことが言えるのではないだろうか)

 どちらかと言えば、クラシック音楽を長く聴き重ねてきた方にお薦めしたい一枚だ。
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2007年04月05日

さりげなさの魅力

 ☆グラナドス:スペイン舞曲集、詩的なワルツ集
  アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)
  1994年録音
  <RCA>09026 68184 2

 ジュージヤのセールで購入した5枚のCDのうち、最後に残った一枚、アリシア・デ・ラローチャの弾くグラナドスのスペイン舞曲集と詩的なワルツ集を聴きなおす。

 一言で言うと、さりげなさの魅力だろうか。
 スペイン舞曲集は、タイトル通りスペイン各地の舞曲の形式を利用してグラナドスが作曲した12のピアノ小品だが、ラローチャはその一曲一曲の持つ魅力を、過剰さや華美さを避けつつ丹念に描き分けている。
 中では、5曲めのアンダルーサがもっとも有名な作品だろうが、他の11曲も、個性豊かでとても美しい。
 まさしく、何度聴き返しても厭きない音楽だし演奏だ。
 また、カップリングの詩的なワルツ集も、リリカルな美しさに満ちている。
 大推薦。
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2007年04月03日

シューマンよりも

 ☆シューマン:チェロ協奏曲、ブラームス:セレナード第1番
  ナタリー・グートマン(チェロ)
  クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
  2006年録音
  <DG/ドイツ・グラモフォン>476 5786

 先日購入した、ナタリー・グートマンの独奏、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラによる、シューマンのチェロ協奏曲とブラームスのセレナード第1番のCDを聴く。

 メインはもちろんシューマンのチェロ協奏曲で、確かに作品の内包する劇性、エネルギーをこれ見よがしでない抑制された緊密な表現で描き出したグートマンのソロは、それを巧緻に支えたクラウディオ・アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラともども、見事と言う他ないが、個人的により魅了されたのはブラームスのセレナードのほうだ。
 なぜなら、あまりにも力感豊かで、作品の持つどたどたどしどし感さえ前面に押し出されるかっこうになった箇所さえなきにしもあらずだが(特に、第1楽章)、その分、歌うべきところはよく歌い、ためるべきところはよくため、喜びはしゃぐべきところはよく喜びはしゃいだ、実に多彩で聴きどころ満載の録音に仕上がっているからである。
(マーラー・チェンバー・オーケストラも、エネルギッシュで清々しい演奏で、とても魅力的だ)

 音楽好きの方には、ぜひお薦めしたい一枚。
 大推薦。

 ところで、ブラームスのセレナード第1番の第1楽章って、どこかでベートーヴェンの交響曲第7番の第1楽章に影響を受けてるんじゃないだろうか?
 ふとそんなことを思ったりした。
posted by figarok492na at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴァイルとターフェルムジークのモーツァルト

 ☆モーツァルト:交響曲第40番(第1稿版)、第41番 ハ長調 「ジュピター」
  ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジーク
  2006年録音
  <DHM>82876−89504−2

 少し前に購入した、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークの演奏による、モーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」のCDを聴く。

 ブルーノ・ヴァイルとターフェルムジークといえば、ソニー・クラシカル(ヴィヴァルテ)におけるハイドンの交響曲集をはじめとした一連の録音でおなじみだったが、ソニーのリストラ策で契約が切れてしまい、最近ではカナダのアナレクタ・レーベルからベートーヴェンの交響曲第5番と第6番がリリースされている程度だった。
(なお、このCDも、カナダ国内ではアナレクタ・レーベルから発売されている。それと、CD録音はなくなったものの、ヴァイルとターフェルムジークの演奏活動自体は活発に続けられている)

 で、このCDの売り文句は「ジュピター・シンフォニーの第4楽章のファゴットのパートの誤りを発見し、本来の姿で演奏した」といったもので、実際ブックレットにも詳しい解説がほどこされているのだけれど、ここではくどくどとそれを記そうとは思わない。
 興味がおありの方は、ぜひブックレットをご参照いただきたい。
(第40番がクラリネット抜きの第1稿で演奏されている点についても省略する)

 ピリオド楽器やピリオド奏法の援用によるモーツァルトの交響曲といえば、すでにアーノンクールやブリュッヘン、ノリントン、コープマンらの演奏を耳にしてきたが、そうした明らかに刺激的で過剰ですらある解釈に比べ、このヴァイルとターフェルムジークの演奏は、バランスのよくとれたクセの少ないもののように感じられる。
 と言っても、作品の持つドラマ性が失われている訳ではなく、特にジュピターの両端楽章では、ヴァイルの持つ劇場感覚がいかんなく発揮されているのではないかとも思った。
(ただ一方で、両曲の第2楽章には素っ気なさを感じたことも事実である。ヴァイルとターフェルムジークの一連のハイドンの交響曲集の中で、僕は第50番、第64番、第65番の3曲の入った一枚を好んで聴くのだが、これらの曲と比べて、モーツァルトの音楽=緩徐楽章は、明らかに「情報量」が多いのだ)

 ファゴット云々は置くとして、心がうきうきしてくるようなジュピターの終楽章は、個人的には一聴の価値があるように思う。
 試聴コーナーで試聴の上、購入か否かを判断されては如何だろう。

 それにしても、ヴァイルとターフェルムジークによる、ハイドンの交響曲集の録音は再開されないものか?
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2007年03月29日

死者の歌

 ☆ショスタコーヴィチ:交響曲第3番、第14番
  ラリッサ・ゴゴレウスカヤ(ソプラノ)
  セルゲイ・アレクサシュキン(バス)
  マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団他
  2005年録音
  <EMI>CDC 3568302

 先日購入したCDの中から、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団他の演奏による、ショスタコーヴィチの交響曲第3番「メーデー(五月一日)」と第14番「死者の歌」のCDを聴く。
(なお、複数のオーケストラによって進められてきたマリス・ヤンソンスのショスタコーヴィチの交響曲全集だが、このCDがその完結篇となる)

 何と言っても、メインは交響曲第14番だろう。
 「死者の歌」という副題通り、死について語られた詩をもとにした歌曲をより集めて一曲の交響曲に仕立てているのだから、その結構に「やられた!」と思う。
 で、音楽自体も、様々な工夫と仕掛けがこらされながらも、作曲者自身の伝えようとするものがしっかり滲み出てきているというもので、まさしくショスタコーヴィチらしい一筋縄ではいかない内容になっている。
 一方、第3番のメーデーは、「死者の歌」の持つ韜晦性、晦渋性には不足するものの、そのつかみどころのなさには、これまたショスタコーヴィチらしさを強く感じる。
 マリス・ヤンソンスはそうした二つの交響曲の持つ性格を充分に認めた上で、基本的にはまとまりのよい、どちらかというとスタイリッシュでエネルギッシュな「わかりやすい」音楽を造りだしているのではないか。
 少なくとも、感情に流されてぐだぐだになった演奏とは対極にあり、作品を識るという意味では適確な一枚だろう。
(バイエルン放送交響楽団も、独唱者陣も、ヤンソンスの解釈によく添った演奏を行っている)

 それにしても、ショスタコーヴィチは本当にショスタコーヴィチだなあ。
 市川崑が市川崑であるように。
(「自同律の不快!」、と呼ぶ声あり。あっそうですか、そりゃいけませんね。私とポリデントしちゃいましょう=これ、船越英二の声で)
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2007年03月26日

喜劇序曲が聴きたくて

 ☆ブゾーニ:管弦楽作品集第2巻
  ネルソン・ゲルナー(ピアノ)
  ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィル
  2004年録音
  <CHANDOS>CHAN10302

 先日購入したCDの中から、ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィル他の演奏した、ブゾーニの管弦楽作品集のCDを聴く。
(第2巻と題されているように、すでに同じ演奏者たちによって第1巻目のCDがリリースされている)

 ブゾーニはピアニストとしてもよく知られたイタリアの作曲家だが、母方の祖父がドイツ人だったこともあってか、ドイツを中心に活躍し、実際ドイツ的な作風の作品を数多く残している。
 で、このCDには、喜劇序曲、ピアノと管弦楽のための『インディアン幻想曲』、インディアン日誌第1集から「幽霊の輪舞の歌」、歌劇『嫁えらび』組曲の4曲が収められているのだけれど、いずれも新古典主義の様式に則った巧緻で耳なじみのよい音楽だと思う。
 特に、個人的にお薦めなのが、冒頭に置かれた喜劇序曲だ。
 モーツァルトの『後宮からの逃走』の中のオスミンのアリアの主題にそっくりな主題が、面白おかしく展開してくのだが、それがまるで、古典派から初期ロマン派、ロマン派、後期ロマン派にいたる「序曲の変遷」を体現しているかのような感じにすらなっていて、聴いていてとても愉しい。
 正直、これ1曲のためにこのCDを買ったほどだ。
(もちろん、ブゾーニのヴィルトゥオーゾぶりが明瞭に示された『インディアン幻想曲』や、劇場感覚全開の『嫁えらび』組曲も聴いて損のない作品だと言えるけど)
 ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィルは、ブゾーニの音楽の持つ多様な側面をドラマティックに描き出しており、加えて、機能的な面でも不満がない。
 機会があればご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

柳の下に…

 ☆ウェーバー:歌芝居『アブ・ハッサン』、交響曲第1番
  イェルク・デルミュラー(テノール/アブ・ハッサン)
  ヨハンナ・ストイコヴィッチ(ソプラノ/ファティーメ)
  フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ(バス/オマール)
  ヴォルフガング・フォルツ(ナレーター/カリフ)
  ブルーノ・ヴァイル指揮カペラ・コロニエンシス他
  2002年録音
  <DHM>05472−77979−2

 先日購入したCDの中から、ウェーバーの歌芝居『アブ・ハッサン』と交響曲第1番の入ったCDを聴く。

 詳しい物語については、ブックレットや解説書をご参照いただくとして、『アブ・ハッサン』はその設定やら何やらから考えて、明らかにモーツァルトの『後宮からの逃走』を意識した作品といえる。
 てか、トラック15の二重唱(第6番)などを聴けば、これってまんま『後宮』やないか! と突っ込みたくなること請け合いだ。
(他に、『魔法の笛』の影響を感じるナンバーもいくつかあった)
 ただ、だからと言って、このぱくり野郎が! と腹を立てた訳ではない。
 なぜなら、劇場感覚にあふれた聴き心地のよい音楽の連続で、実に愉しい一時を過ごすことができるからである。
 もちろん、それには、タイトルロールを演じるデルミュラーをはじめとした三人の歌手の、伸びやかで清々しい歌唱が果たしている大きな役割を忘れてはなるまいが。
 また、ブルーノ・ヴァイル指揮カペラ・コロニエンシスもツボをきちんと押さえた演奏で、この作品の持つ性格(古典派と初期ロマン派の過渡期に位置するという)を適確に表していると思う。
 一方、交響曲のほうは、これまた劇場感覚に満ちてはいるものの、ノリントン盤ほど過剰にジンタ調を強調しない、抑制の効いた演奏で、個人的には好感が持てた。
 オペラ好きはもちろんのこと、古典派好き初期ロマン派好きの方全般にお薦めしたい一枚だ。

 なお、ブルーノ・ヴァイルとカペラ・コロニエンシスは、同じウェーバーの名作『魔弾の射手』も録音しているが、こちらも清潔感にあふれたクリアな演奏に仕上がっている。
 これまたお薦めである。
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2007年03月24日

疾風怒濤って言葉があったんだ

 ☆ベック:交響曲集作品番号3から他
  ミヒャエル・シュナイダー指揮ラ・スタジョーネ・フランクフルト
  2003年録音
  <CPO>777 014−2

 フランツ・イグナッツ・ベックの交響曲集作品番号3から、第6番、第2番、第1番の3曲と、『オルフェウスの死』序曲の入ったCDを聴く。

 ベックは、主としてフランスで活躍した18世紀後半の作曲家で、CPOレーベルからは、10年ほど前に同じ作品番号3のうち、第3番、第4番、第5番の3曲がリリースされている。
(演奏は、今回と同じミヒャエル・シュナイダーとラ・スタジョーネ・フランクフルトのコンビによる)
 基本的に、初期のハイドンやモーツァルトの交響曲と共通する快活闊達な作風だが、さらにそこに「からっ風野郎」風と評したくなるような激しさの芽のようなものが加わっていて、実に心が動かされる。
 ミヒャエル・シュナイダー指揮ラ・スタジョーネ・フランクフルトは、録音の加減もあってか、木目の粗い演奏に聴こえるが、その分、ベックの音楽の持つ性格を見事に表現しきっているとも思う。
 古典派好きには一聴をお薦めしたい一枚だ。
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2007年03月19日

アーノルドはアーノルドでも

 ☆サミュエル・アーノルド:管弦楽作品集
  ケヴィン・マロン指揮トロント・カメラータ(トロント室内管弦楽団)
  2004年録音
  <NAXOS>8.557484

 昨日購入した、サミュエル・アーノルドの管弦楽作品集のCDを聴く。

 ブックレットによると、サミュエル・アーノルドは1740年にロンドンに生まれ、1802年に亡くなった18世紀後半のイギリスの作曲家だそうで、このCDには、彼が作曲したオーケストラのための作品の中から、6つの序曲集(題名は序曲だが、実質的には3楽章形式のシンフォニア)作品番号8、『マクベス』のための音楽、歌劇『ポリー』序曲が収められている。
 6つの序曲は、とりたてて先鋭的刺激的な内容ではないけれど、一曲一曲が巧みに組み立てられている上に、劇場感覚にも富んだ、聴き心地のよい音楽だと思う。
 また、『マクベス』のための音楽は、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』なんかとは似ても似つかぬ穏やかな表情をしているが、往時のイギリスの劇場をしのぶことのできる音楽ではある。
 ケヴィン・マロン指揮トロント・カメラータは、作品の性格を精確にとらえており、音楽を愉しむという意味でも問題がない。
 手頃なお値段ということもあり、バロックから古典派の音楽が好きな方には一聴をお薦めしたい一枚だ。

 ところで、ブックレットの表紙には演奏オーケストラがトロント室内管弦楽団と記され、裏面と日本語カバーにはトロント・カメラータと記されている。
 後者が前者に改名する過渡期ゆえの「混乱」だろうか?
posted by figarok492na at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

第10番もお薦めです

 ☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番〜第11番
  アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
  1994年録音
  <PHILIPS>442 774−2

 先日購入した、アルフレッド・ブレンデルの演奏するベートーヴェンのピアノ・ソナタ集のCDを聴いた。

 このCDには、第8番、第9番、第10番、第11番の4曲が収録されているが、何と言っても有名なのは、第8番の「悲愴」ソナタである。
 で、ピアニストによってはことさら「悲愴性」を強調したり、逆に、第2楽章をサッカリンのような甘さで弾き崩したりしがちな作品だが、その点、ブレンデルの演奏に心配はない。
 テキストを丹念に読み込み細部まで磨き抜いた鋭敏な演奏でありながら、あくまでも「過剰」さを避けた、聴き応えのある演奏に仕上がっているからだ。
 ただ、個人的には、ベートーヴェンの音楽の持つリリカルさ、歌謡性、一方で高度な技巧性がバランスよく表された、第10番の第1楽章が非常に好きだ。
 これは、何度繰り返して聴いても飽きはしない。
 いずれにしても、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚である。
 大推薦。
posted by figarok492na at 12:39| Comment(2) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

落ち着く一枚

 ☆ブラームス:弦楽5重奏曲第1番、第2番
  ベルリン・フィルハーモニー8重奏団員
  1970年録音
  <PHILIPS>426 094−2

 昨日購入した、ベルリン・フィルハーモニー8重奏団員の演奏による、ブラームスの弦楽5重奏曲のCDを聴く。

 以前触れたこともあるが、このCDは、今から15年近くも前の院生時代に、友人のFから貸してもらって、何度も何度も聴き込んだ一枚だ。
(特に、第1番の第1楽章が大好きで、それこそLPならば盤面が擦り切れてしまうほど聴き返したんじゃなかったっけ。その点、CDはありがたい)

 で、今回久しぶりに聴き直してみた感想だけれど、正直言って、現在の研ぎ澄まされた演奏に比べると、残念ながら細部が甘い。
 それに、古めかしいとまでは言わないけれど、若干古さを感じる演奏スタイルである。
 加えて、録音の加減もあってか、いくぶん音の豊かさにも欠けている。
 ただ一方で、聴いていて、胸にすとんと落ちるというか、とても「落ち着く」演奏であることも事実だ。

 標準的な名演と評することはためらうものの、中古で税込み1000円以内ならお薦めしたい一枚。
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2007年03月05日

ピフルの交響曲

 ☆ピフル:交響曲集
  ケヴィン・マロン指揮トロント室内管弦楽団
  <NAXOS>8.557761

 ナクソス・レーベルの3月の新譜、ケヴィン・マロン指揮トロント室内管弦楽団の演奏による、ピフルの交響曲(シンフォニア)集を聴いた。

 ピフルは、18世紀後半に活躍したボヘミアの作曲家で、ブックレットの解説によると、モーツァルトの『魔法の笛』をチェコ語に翻訳したりもしているそうだ。
 このCDには、そうした彼の交響曲が4曲(「カリオペ」、「メルポメネ」、「クレイオ」、「ディアナ」と、ギリシャ神話の女神の名前が副題に付いている)収められているが、いずれも古典派の4楽章形式に則った、実に明朗で聴き心地のよい音楽である。
 また、ケヴィン・マロンとトロント室内管弦楽団は、ピリオド奏法を巧みに援用しつつ、個々の作品の持つ特性(楽器の使用における作曲家の工夫など)を適確に表現していると思う。
 演奏、作品ともに、安心してお薦めできる優れた一枚。
 特に、ハイドンやモーツァルトといった古典派の音楽がお好きな方には大推薦だ。
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2007年03月03日

前進前進、また前進!

 ☆安部幸明:交響曲第1番、ディヴェルティメント、シンフォニエッタ
  ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィル
  アレクセイ・ヴォルコフ(アルト・サキソフォーン)
  <NAXOS>8.557987J

 ナクソス・レーベルが進める日本作曲家選輯の最新盤、安部幸明の管弦楽作品集のCDを聴いた。

 惜しくも昨年末に亡くなった安部幸明は、日本における「ソヴィエト楽派」を代表する作曲家の一人なのだけれど、彼の人となりについては、片山杜秀の懇切丁寧な解説を参照いただければ充分だと思う。
 このCDには、交響曲第1番、アルト・サキソフォーンとオーケストラのためのディヴェルティメント、シンフォニエッタの3曲が収められているが、特に交響曲とシンフォニエッタの「前進前進、また前進!」ぶりには、どうにも心が動かされてしまう。
 まさしく快活活発と呼ぶ他ない音楽だからだ。
(なお、シンフォニエッタの第1楽章には、ストラヴィンスキーの『花火』の影響が強く感じられる)
 一方、ディヴェルティメントはその名のとおり、聴き心地のよい聴いていて実に愉しい作品に仕上がっている。
 ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルは、いささかたがの外れた感の強い演奏で、できればもう何ランクか上のオーケストラによる録音ならばと思わなくもないのだが、まあ、こうして安部幸明の作品を気軽に愉しめるという点だけで、よしとすべきだろう。

 多くの方にお薦めしたい一枚。
 必聴!
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2007年02月19日

冬の旅

 ☆シューベルト:歌曲集『冬の旅』
  クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン)
  ゲロルト・フーバー(ピアノ)
  2001年録音
  <ARTE NOVA>74321−80777−2

 『冬の旅』といえば、どうしてもディートリヒ・フィッシャー=ディースカウも一連の録音が耳の奥にこびりついていて、その後に発売されたバリトン歌手の『冬の旅』のCDには、ついつい彼の影を見てしまうのだが、このゲルハーエルの歌唱にも、やはりフィッシャー=ディースカウの強い影響を感じる。
(てか、ゲルハーエルはフィッシャー=ディースカウにも学んでいたのだった)
 ただ、ゲルハーエルが単なるエピゴーネンに終わっていないのは、フィッシャー=ディースカウ譲りの繊細で鋭敏で丹念なテキストの読み込みとともに、暖かく清潔感に満ちた声の魅力を彼が持っているからではないだろうか。
 いずれにしても、よく考え抜かれ、よく歌い抜かれた演奏だと思う。
 中古で、税込み357円で手に入れたCDだけれど、たとえフルプライスだったとしても強くお薦めしたい一枚だ。

 ところで、斎藤晴彦と高橋悠治の『冬の旅』が聴きたいなあ。
 関西では、公演はないのかなあ。
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2007年02月17日

物は考えよう?

 ☆モーツァルト:序曲集
  コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン
  1998年録音
  <RCA>82876 76235 2(再発盤)

 今日購入したばかりの、コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏による、モーツァルトの序曲集のCDを聴く。

 正直言って、冒頭の『フィガロの結婚』序曲を聴き始めた時は、あれっ「外れ」かなと思ってしまった。
 と、言うのも、最近流行のピリオド奏法を援用した解釈に慣れた耳には、この演奏があまりにも微温的に感じられたからだ。
(どこかもやもやとした録音、というか、リマスタリングも大きく災いしている)
 で、続く、『バスティアンとバスティエンヌ』、『劇場支配人』でもその印象はあまり変わらなかったのだが、4曲目の『ルーチョ・シッラ』あたりから、「おやこれは」と思えるようになってきた。
 コリン・デイヴィスは、表層的な激しさを求めるのではなく、モーツァルトの音楽の持つ多様な側面のうち、負のエネルギーを丹念に描き込もうとしているのではないかと感じられたのだ。
(特に、そうした趣きは、後半の『イドメネオ』や『皇帝ティートの慈悲』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔法の笛』などに強く表れているのではないか)
 むろん、かつてイギリスのオーケストラと録音した同種の序曲集<EMIレーベル>と比較すれば一聴瞭然のように、コリン・デイヴィスの老いがこの演奏に少なからぬ影響を与えていることも確かな事実で、そうした点も含めて、大きく好みが分かれるかもしれないと思う。

 様々なモーツァルト演奏に親しんだ方にこそお薦めしたい一枚だ。
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2007年02月12日

誰にでも得手不得手はある

 ☆ブラームス:交響曲第2番、悲劇的序曲
  ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団
  1990年録音
  <PHILIPS>432 094−2

 昨日購入した、ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団の演奏による、ブラームスの交響曲第2番と悲劇的序曲のCDを聴く。

 ハイティンクとボストン交響楽団のブラームスといえば、許光俊のいう「百貫デブがおどけているような」ダサさ(『クラシックCD名盤バトル』<洋泉社新書y>より)の体現、とでも評したくなるような交響曲第1番のCDをすでに持っているが、こちらは作品が作品だけになかなか堂に入った演奏に仕上がっていると思う。
 特に、たっぷりと時間をとって悠然とした音楽を生み出した第1楽章などは、個人的には好感が持てる。
(ブラームスの交響曲第2番の第1楽章は、僕の大好きな音楽の一つなのだ)
 一方、悲劇的序曲には、ところどころ第1番に通じる重たさを感じた部分もなくはないが、基本的にはスケールが大きくまとまりのよい演奏になっているのではないだろうか。
 中古で、税込み1200円程度までなら、安心してお薦めできる一枚だ。
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絢爛豪華じゃあるけれど

 ☆ムソルグスキー:『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)、『はげ山の一夜』
  リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団
  1990年録音
  <PHILIPS>432 170−2

 今日購入した、リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏による、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)と交響詩『はげ山の一夜』の入ったCDを聴く。

 一言で言って、絢爛豪華、ドラマティックでエネルギッシュ、パワフルな演奏だと思う。
 リカルド・ムーティの骨太な音楽づくりは相変わらずだし、フィラデルフィア管弦楽団も技術的にはほぼ問題のない仕上がりになっている。
 ただ、無理を承知で比べるならば、例えば、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの演奏が持つような、作品に対する繊細で鋭敏な読み込みはあまり感じられない。
 まあ、力強く威勢のいいオーケストラ演奏を愉しみたいむきには、安心してお薦めできる一枚だ。

 ところで、これは余談だけれど、国内盤のブックレットの表紙がムーティのポートレートだったのに対し、こちら輸入盤のほうは、モダアンを装った、その実ポンチ画すれすれのイラストが使用されている。
 なんとも趣味が悪い…。
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2007年01月04日

ワインガルトナーのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:交響曲第1番、第2番他
  フェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィル他
  <NAXOS>8.110856

 昨日購入した、フェリックス・ワインガルトナーの指揮するベートーヴェンの交響曲第1番(ウィーン・フィル)と第2番(ロンドン交響楽団)を中心にしたCDを聴く*。
 *他に、『レオノーレ』序曲第2番(ロンドン交響楽団)、『フィデリオ』序曲(ロンドン・フィル)、『アテネの廃虚』序曲(ロンドン交響楽団)、『プロメテウスの創造物』序曲(ウィーン・フィル)が収録されている。

 フェリックス・ワインガルトナーは、20世紀前半のオーストリアを代表する指揮者の一人で、ウィーン・フィルとの「第九」を始め、当時としては数多くの録音を残している。
(また、作曲活動も行っていて、近年、CPOレーベルから、その管弦楽曲が継続的にリリースされてもいる)
 このCDには、彼が得意としたベートーヴェンの作品が収められているが、基本的には比較的速いテンポで、まとまりのよい音楽が造り上げられていると思う。
 また、序曲では劇場感覚もしっかりと発揮されていて、間然とするところがない。
 フルトヴェングラーやトスカニーニのような鮮烈さはないものの、予想以上に聴き応えのある内容ではないだろうか。
 音質(復刻)もなかなかのもので、個人的には、その点でもあまり気にならなかった。
 大推薦とまでは言えないが、機会があれば、ぜひご一聴をお薦めしたい一枚である。
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2006年11月03日

ショルティのハイドン

 ☆ハイドン:交響曲第96番「奇跡」、第101番「時計」
  ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィル
  1981年、デジタル録音
  <DECCA>417 521−2
  税込み 693円(中古)

 昨日購入した、ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルの演奏による、ハイドンの交響曲第96番と第101番のCDを聴く。

 交響曲第96番と第101番は、ハイドンの2回のロンドン滞在中に作曲された、いわゆる「ロンドン(ザロモン)・セット」に含まれる交響曲で、いずれも、ハイドンの作曲技法の進化が明らかに示された作品だと評することができるだろう。
(作曲に関する経緯や、ニックネームの起源については、専門書などをご参照いただきたい)

 で、何を今さらショルティのハイドンなんて、と目をむく、もしくは呆れるクラシック・ファンの方も少なくないかと想像するが、俵孝太郎が『新・気軽にCDを楽しもう』<コスモの本>で指摘しているように、>彼の芸風から一般的に想像されるような、牛刀をもって鶏を割くようなところがない、すっきりした<演奏だと、当方も思った。
 もちろん、第2楽章(緩徐楽章)や第3楽章(メヌエット)における、旋律の歌わせ方・フレーズの処理には、「古さ」、「大仰さ」、「角々っぽさ」を感じたことも事実だが、両端楽章のシンフォニックでドラマティックな音楽づくりは、作品の持つ一面を巧く表していると思うし、テンポ感もよく、聴いていて爽快である。
(これは、オーケストラがシカゴ交響楽団ではなく、ロンドン・フィルであることも大きいかもしれない)

 中古で、税込み800円程度までならお薦めできる一枚だ。
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2006年10月26日

石丸寛のCDを聴く

 ☆『威風堂々/舞踏へのお誘い』
  石丸寛指揮東京都交響楽団
  <DENON>38C37−7304/国内盤

 今日購入した、石丸寛指揮東京都交響楽団の演奏による『威風堂々/舞踏へのお誘い』というCDを聴いたのだけれど、さて、何から書き始めようか。

 石丸寛は、今は亡き日本を代表する指揮者の一人で、アマチュア・オーケストラとの、ネスカフェ・ゴールドブレンド・コンサート*1で広く知られていた。
(デビューを飾ったのが九大フィルか九州交響楽団の前身かだったこともあって九州での演奏会も多く、地元長崎のアマチュア・オーケストラ、長崎交響楽団もしばしば振っていたはずだが、残念ながら、僕は結局一度も石丸さんの指揮するコンサートに接することができなかった)
 また、岩城宏之ほどではなかったものの、文筆活動も積極的に行っていて、亡くなる少し前に、指揮の先生である山田一雄について記した短いエッセイが朝日新聞に掲載されていたと記憶している。
 九州交響楽団や九大フィルの定期演奏会の記録をひもといたり、最晩年の演奏活動を思い起こせばわかるように、石丸さんは本格的なシンフォニーにも当然取り組んだにもかかわらず、いわゆるポピュラーな名曲・小品の演奏、言い換えると「クラシック音楽の啓蒙活動」に熱心だったために、そちら専門の指揮者と目されることもしばしばだったようにも思う。

 この『威風堂々/舞踏へのお誘い』は、石丸寛にとってたぶん唯一のスタジオ・セッションでのデジタル録音のCDなはずだが*2、タイトルにもなっているエルガーの行進曲『威風堂々』第1番とウェーバーの『舞踏へのお誘い』(ベルリオーズ編曲)をはじめ、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『マドンナの宝石』間奏曲第1番、ヴェルディの歌劇『椿姫』第1幕前奏曲、チャイコフスキーのスラヴ行進曲、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ、ハチャトゥリアンのバレエ音楽『ガイーヌ』から「剣の舞」「子守歌」「バラの乙女たちの踊り」と、やはりポピュラーな管弦楽曲が集められている。
(このCDが発売されたのは、LPからCDへの移行期間にあたる1984年の12月だが、LP時代にはたびたび企画されていた日本人指揮者と日本のプロオーケストラの演奏によるこうした名曲集は、これ以後ほとんど録音されなくなってしまう*3)

 で、本当ならば、「石丸寛の熱のこもった指揮もあって、非常に聴き心地のよい、愉しい一枚になっている」と記したいところなのだが、正直言って、そこまで素晴らしい内容の録音とは僕には言い切れない。
 と、言うのも、今から20年以上前の東京都交響楽団の演奏は、どうしても柔軟性が不足しているため、聴いていてあまり心が乗らないからだ。
(特に、スラヴ行進曲がひどい)
 『マドンナの宝石』や『椿姫』、舞踏へのお誘いのようなウェットで情感にあふれた音楽は、なかなか聴き応えがあったにしてもである。

 懐かしさもあって、個人的には買って損をしたとはちっとも思わないけれど(税込み693円だったし)、一般的には「ノスタルジー」を求める方か石丸寛の熱狂的なファン以外にはあまりお薦めできない一枚だ。

 *1:石丸さんも、「違いのわかる男」の一人だったはずだ。
 *2:最晩年の、東京交響楽団とのブラームスの交響曲第4番やドイツ・レクイエムのライヴ録音が発売されたことはある。
 *3:その原因としては、CDの登場によるクラシック音楽の聴き方の変化を第一にあげるべきだろう。
 また、こうした名曲小品集の録音自体は、このCD以後も国内レーベルによって企画されたのだが、ちょうどバブル期と重なったこともあって、海外の指揮者と海外のオーケストラが起用されるようになった。
 例えば、以前ここでとり上げたことのあるチャールズ・グローヴズ指揮フィルハーモニア管弦楽団による録音の他、東芝EMIのフィルハーモニア管弦楽団やヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン州立管弦楽団による録音がそれだ。
(そうした企画も、バブル崩壊以後の経済不況の中で、ほぼ消滅してしまったが)
posted by figarok492na at 22:39| Comment(2) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

またまたコンパクトなベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、第2番
  イエフィム・ブロンフマン(ピアノ)
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
  <ARTE NOVA>82876 82587 2

 交響曲にはじまり、ミサ・ソレムニス、序曲集、そして一連の協奏曲と進んだアルテ・ノヴァ・レーベルのデヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の「ベートーヴェン・チクルス」の特徴は、何と言っても、軽さ、コンパクトさ、聴きやすさにあるのではないだろうか。
 もちろん、その軽さは軽薄さとは無縁の、充分に考え抜かれた上での軽さであって、単純単調な演奏とも一線を画しているのだけれど。
 今回購入した、ピアノ協奏曲第1番と第2番は、そうしたジンマンによるベートーヴェン演奏の特性、美質がくっきりと表れた一枚になっていると思う。
 なぜなら、作品の持つ軽やかさ、快活さ、古典性がジンマンの解釈とよくあって、非常に聴き心地のよい音楽を生み出しているからだ。
 加えて、ベートーヴェンのベートーヴェンたるゆえんである、ドラマティックな雰囲気やリリカルな雰囲気にも欠けてはいない。
 いくぶん不安定に聴こえる箇所もなくはないが、ブロンフマンも、ジンマンの解釈に添った、クリアな演奏を行っている。
 まさしく、CDで聴くにはうってつけの一枚だが、この一枚が、何と税込み690円で手に入るというのだから、これは安すぎだ。
 大推薦!
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2006年08月21日

コジェナーが歌うモーツァルトのアリア集

 ☆モーツァルト:アリア集
  マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
  ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
  サイモン・ラトル指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
  <ARCHIV>477 5799

 メゾ・ソプラノのマグダレーナ・コジェナーが歌うモーツァルトのアリア集のCDを購入した。

 公私ともに親密な関係にあるサイモン・ラトルとの録音ということでも話題の一枚だが、乙羽信子と新藤兼人、岡田茉莉子と吉田喜重、岩下志麻と篠田正浩を持ち出さずとも、そんなことよくある話。
 要は、CDを聴いて愉しめるか否かなのであって、聴き手の側までいちいち大はしゃぎする必要はあるまい。
(「って、まんまひっかかっとるやないのおたく」、と呼ぶ声あり)

 コジェナーは一応メゾ・ソプラノに分類されているが、このCDでは、高音部まで伸びる声質を活かして、『フィガロの結婚』(スザンナ)の「とうとう待ってた時が来た…さあ、早く来て、いとしい人よ」と、その代替アリア「あなたを愛している人の望みどおり」や、『コシ・ファン・トゥッテ』(フィオルディリージ)の「あの方は行く…恋人よどうぞ許して』、『イドメネオ』(イリア)の「いつ果てるのでしょう」など、本来ソプラノ歌手が歌うべきアリアも披露している。
(もちろん、『フィガロの結婚』のケルビーノの二つのアリアなど、メゾ・ソプラノのためのアリアも歌っているが)

 コジェナー自身の素質から言えば、シリアスなアリアをまずは挙げるべきだろうが、いずれをとっても、クリアでありながら柔らかさを持った声の美しさと細やかな表現があいまった見事な歌唱で、非常に聴き心地のよい一枚に仕上がっていると思う。
 特に、先述したフィオルディリージのアリアの感情変化の妙は聴きものではないだろうか。
 一方、サイモン・ラトルとエイジ・オブエンライトゥンメント管弦楽団は、テキストを丁寧に読み込んだ伴奏を行っているが、さらなる歯切れのよさを望みたい部分がなくもなかった。
(あと、コンサート・アリア「どうしてあなたを忘れよう…恐れないで、いとしい人よ」では、ジョス・ファン・インマゼールが作品と演奏によく添ったフォルテピアノを聴かせている)

 で、ここからは、あくまでも一定度以上の水準をクリアした上での話として付け加えておくが、例えば、同じメゾ・ソプラノのチェチーリア・バルトリの歌唱が劇場感覚に満ちた「歌役者」のものだとすれば、このコジェナーの歌唱はよい意味で「声楽家」のものだと、僕には感じられる。
(繰り返すが、これはコジェナーという歌手のベースにあるものについての話で、コジェナーがオペラ歌手として演技が下手だといった次元の低いことを口にしたい訳ではない)

 そうそう、あと『フィガロの結婚』の「恋とはどんなものかしら」は、別の録音があるせいかもしれないが、やたらと「装飾」がくっついて、別の何かを聴いているみたいだった。
 一度聴く分には面白いけれど、何度も繰り返して聴くCDという意味からは、ちょとうっとうしいなあ。
 コジェナーは巧いんだけど。

 とはいえ、モーツァルト・イヤーに相応しい一枚であることは確かだろう。
 機会があれば、ご一聴をお薦めしたい。
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2006年07月09日

ショスタコーヴィチの室内楽曲

 ☆ショスタコーヴィチ:ピアノ5重奏曲、ピアノ3重奏曲第2番
  エリザベート・レオンスカヤ(ピアノ)
  ボロディン・カルテット
  <TELDEC>4509−98414−2

 昨日購入した、ショスタコーヴィチのピアノ5重奏曲とピアノ3重奏曲第2番の入ったCDを聴く。

 単純に聴けば、ともに「純音楽的」な作品だと評することになるだろう。
 5重奏曲のほうは、いわゆる新古典派的な雰囲気を持つ、シンプルでありながら巧緻に構成された作品であり、3重奏曲のほうも、ショスタコーヴィチらしい音型が数多く登場する密度の濃い作品に仕上がっている。

 だが、本当に「純音楽的」な作品というものは存在するのだろうか?
 例えば、第2次世界大戦中に作曲され、親友の評論家ソレルチンスキーの追悼のために捧げられた3重奏曲に引用されたユダヤ的な旋律を、ただ「純音楽的」なものとして、僕は聴くことができない。
 少なくとも、この2曲の室内楽曲が、シリアスな内容を秘めた作品だと、僕は思う。
(もちろん、思い込みは禁物だけれど)

 レオンスカヤとボロディン・カルテットは、一言で表すと「真摯」な演奏を行っているのではないか。
 ボロディン・カルテットの渋い音色と、レオンスカヤの硬質な表現は、時に重苦しく感じられる部分もなくはないが、作品の持つ性質を適確に描いていることも確かである。

 選曲、演奏ともに、ショスタコーヴィチ・イヤーには相応しい一枚。
 中古で税込み662円は安い。
posted by figarok492na at 13:08| Comment(2) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

コンパクトな皇帝

 ☆ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
          合唱幻想曲
          カンタータ『静かな海と楽しい航海』
  イエフィム・ブロンフマン(ピアノ)
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団他
  <ARTE NOVA>82876 82585 2

 昨日購入した、イエフィム・ブロンフマンとデヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」他のCDを聴く。
 「皇帝」は、華麗なピアノ独奏に加え、充実したオーケストラ伴奏もあって、ベートーヴェンのピアノ協奏曲中、と言うよりも、あまたあるピアノ協奏曲の中でも傑作の誉れの高い作品である。

 ブロンフマンとジンマンのコンビは、作品の持つ豪壮さや巨大さといったイメージには不足するものの、シャープで統一感のとれた、コンパクトな「皇帝」像を描き上げていると思う。
 当然、ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の伴奏には、ピリオド奏法の影響を指摘することができるが、ここではブロンフマンとともに、非常にシンプルで聴き心地のよい演奏を行っているということを、僕は重視したい。
(ブロンフマンの独奏は、テクニック的に万全でありながら、これ見よがしさがない点で好感が持てる)

 交響曲第9番のひな形となった合唱幻想曲や、ゲーテの詩によるカンタータ『静かな海と楽しい航海』(静と動の対比が面白い)でも、ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、隙のない引き締まった音楽を聴かせている。
 また、ジンマンの楽曲解釈によく添った清澄感にあふれるスイス室内合唱団の活躍にも、この二つの作品に関しては触れておかなければなるまい。

 「皇帝」にある種の幻影を求める方には物足りなさの残る録音かもしれないけれど、素直に音楽を愉しみたいという方には、全く問題のない一枚だろう。
 新譜セール中ということで、税込み700円程度で入手することが可能なはずだから、迷わず購入されることをお薦めしたい。
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2006年03月27日

ヒロシマを聴く

 ☆大木正夫:『日本狂詩曲』、交響曲第5番「ヒロシマ」
  湯浅卓雄指揮新日本フィル
  <NAXOS>8.557839J

 昨日購入した、大木正夫の『日本狂詩曲』と交響曲第5番「ヒロシマ」の入ったCDを聴く。
 このCDのメインとなる、交響曲第5番は、丸木位里、俊夫妻による『原爆の図』に触発されて作曲された作品で、タイトルの通り、直接的には広島への原子爆弾投下が、さらには原子爆弾そのものの恐怖も、描かれている。
 作品の性格上、真摯で深刻な表現が全編繰り広げられていることは言うまでもないが、同じ大木正夫が作曲した、カンタータ『人間をかえせ』(峠三吉の詩による)のような「言葉」がない分、作品の持つ「前衛性」が明確に表されているようにも感じられた。
 湯浅卓雄は、作品の本質を十全に把握した楽曲解釈を行なっており、新日本フィルの演奏にも、基本的には不満がない。
(新星日本交響楽団が現存すれば、彼彼女らこそが演奏に最も相応しかっただろうな、とも思ったりはしてしまったものの)
 一方、『日本狂詩曲』は、太平洋戦争前に作曲された陽気な曲調の作品で、大木正夫の作曲技法の妙を再認識させるとともに、「ヒロシマ」の陰惨な世界と見事なコントラストを生んでいる。
 言わずもがなのことではあるが、片山杜秀による解説は、非常に詳細かつ精緻で何読もの価値があると思う。
 「ヒロシマ」だから、ということだけではなく、日本の作曲家の作品に触れるという意味からも、できるだけ多くの方々にご購入いただきたいCDだ。
(余談だが、『日本狂詩曲』の冒頭に、佐藤勝による映画『日本の熱い日々』のための音楽を思い出してしまった)
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2006年03月18日

シャープなシューベルト

 ☆シューベルト:弦楽4重奏曲第15番、ノットゥルノ
  タカーチュ・カルテット
  アンドレアス・ヘフリガー(ピアノ)
  <DECCA>452 854−2

 昨日購入した、シューベルトの弦楽4重奏曲第15番とピアノ3重奏のためのノットゥルノの入ったCDを聴く。
 弦楽4重奏曲第15番は、全曲で50分近くかかる大曲で、抒情的な旋律や「転調」といったシューベルトらしいあれこれがふんだんに盛り込まれた作品であるとともに、その構成等から、後のブルックナーの登場さえも予感させる内容になっている。
 ハンガリー出身の中堅弦楽4重奏団、タカーチュ・カルテットは、非常に引き締まった、シャープでクリアな音楽づくりを行なっているのではないだろうか。
 シューベルトの音楽に「優しさ」を求める人たちには、少々「鋭く」聴こえてしまうかもしれないが、個人的には、テキストの読み込みの鋭い、聴き応えのある演奏だと思う。
 一方、アンドレアス・ヘフリガーの加わったピアノ3重奏のためのノットゥルノは、作品の穏やかな性格が丁寧に表現されていて、弦楽4重奏曲第15番のアンコールとしてもぴったりのように感じられた。
 税込み580円で手に入れることができたCDだけれど、中古で税込み1200円程度までなら、充分お薦めできる一枚である。
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2006年03月02日

心踊るCD(CDレビュー)

 ☆ヘンデル:『水上の音楽』、『王宮の花火の音楽』
  ケヴィン・マロン指揮アレイディア・アンサンブル
  <NAXOS>8.557764

 今さらな話だけれど、この25年ほどの演奏様式の変化には目を見張り耳をひくつかせるものがある。
 特に、バロック時代や古典派、さらにはロマン派にまでいたる、いわゆるピリオド奏法の進展は、もはやこうした時期の作品を演奏する際には、無視して通れないほどの存在になってしまったといってよいだろう。
 このCD、カナダのピリオド楽器オーケストラ、アレイディア・アンサンブルをケヴィン・マロンが指揮して録音した、ヘンデルの『水上の音楽』と『王宮の花火の音楽』は、そうしたピリオド奏法の成熟の模範的な見本と評したくなるような演奏に仕上がっている。
 CDの売りは、まず『王宮の花火の音楽』の「平和」におけるフラウト・トラヴェルソの使用や、舞曲におけるチャッチャチャッチャという打楽器の使用なのだろうが、それより、快活で軽やかなテンポ設定や作品のツボをおさえた楽器の鳴らし方が、この演奏の何よりの魅力だと思う。
 録音のせいもあってか、ところどころ金管が「遠く」感じられるような部分もなくはないのだけれど、音楽を愉しむという意味では、全く問題はないのではないか。
 税込み1000円以内で手に入ることもあって、多くの方々にお薦めしたい心踊るCDだ。
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2006年02月26日

欲目のない録音(CDレビュー)

 ☆モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番、第27番
  マレイ・ペライア(ピアノ)指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
  <SONY>SK46485

 端的に言って、欲目のない録音だと思う。
 そして、まずはペライアのピアノ・ソロを楽しむための録音だとも思う。
(無駄のない、ではなく、欲目のないという言葉がぴったりくる)

 第21番にせよ第27番にせよ、ペライアのソロは、繊細で丁寧で、何より音色がクリアだ。
 一鍵入魂的な暑苦しさも、モーツァルトとの霊的な対話式の神憑かりぶりも、はたまたアンドレアス・シュタイアーのような羽目の外しっぷりもここにはなくて、ただピアノという楽器を通して音符が音楽に変わっていくような印象を強く受ける、という演奏である。
 また、ヨーロッパ室内管弦楽団は、弾き振りということもあってか、ペライアのソロによくあった伴奏を行なっているのではないだろうか。
(オーケストラの合奏水準の高さについては、あえて駄弁を労すまい)

 部屋で、一人で音楽を向き合うという意味では、非常にぴったりなCDだと、僕には感じられた。


 余談だが、ケルン滞在中に駅近くのCDショップでペライアを見かけたことを思い出した。
 2階のコーナーに二人っきりになって、何だか「気まずい」思いをした記憶が残っている。
(確か、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の定期に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のソロで客演した時だ。そういえば、ペライアの同じ曲は、イギリスのウォーリック大学のコンサートで、ジェイムズ・レヴァイン指揮フィルハーモニア管弦楽団とのコンビでも聴いたんだった)
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2006年02月10日

個人的にはこちらが好み(CDレビュー)

 ☆ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス第1番、第2番
  クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
  <ARTE NOVA>82876 76994 2

 昨日購入した、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とロマンスの入ったCDを聴く。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とロマンスといえば、去年の10月にマキシム・ヴェンゲーロフとムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン交響楽団のコンビによるCDを買ったばかりだが、あちらとこちらでは、受ける印象が全く異なっている。
 まず、ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、これまでのベートーヴェン・シリーズ同様、速めのテンポで弦楽器のヴィヴラートも控えめという、いわゆるピリオド奏法を援用した、クリアでスマートな演奏を行なっているし、テツラフも、スリムでべとつかない、研ぎすまされた鋭いソロを聴かせているのである。
 時にぎくしゃくとした感じがしたり、前のめりっぽく感じられたりする部分もなくはないが、個人的には非常に好感の持てる音楽を創り出していると思う。

 なお、ヴァイオリン協奏曲のカデンツァは、ギドン・クレーメルがニコラウス・アーノンクールと協演した際<テルデック・レーベル>にも使用していた、ベートーヴェン自身によるピアノ協奏曲編曲版のカデンツァを引用したものだが、これは、かつてのミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団との録音でも使用していた、テツラフ自身が作ったものである。
(カデンツァについては、ライナーノートにもきちんと触れられている)

 ジュージヤ三条本店では、税込み679円。
 あまりにも安すぎる、としか言い様がない。
posted by figarok492na at 14:47| Comment(0) | TrackBack(1) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月30日

マンゼのモーツァルト(CDレビュー)

 ☆モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、第4番、第5番
  アンドリュー・マンゼ(ヴァイオリン、指揮)イングリッシュ・コンサート
  <ハルモニアムンディ・フランス>HMU907385

 昨日購入したCDを聴く。
 バロック・ヴァイオリンの奏者として知られるアンドリュー・マンゼが、手兵イングリッシュ・コンサートを弾き振りした、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲集である。
 実は、いつものような、ピリオド楽器云々と紹介せず、あえてバロック・ヴァイオリンと記したのには、この録音におけるマンゼの楽曲解釈が大きく関係している。
 つまり、マンゼはそのヴァイオリン独奏において、ボーイングやフレーズの処理、強弱のつけ方など、バロック時代の奏法を濃厚に感じさせる演奏を行なっているのだ。
(と、偉そうに書いてはみたが、本当は耳で聴いた「印象」というのが一番大きい)
 そうしたマンゼの解釈は、モーツァルトの作品が、例えばバッハらのバロック時代のコンチェルトの流れの中で生み出されたものであることを想起させてくれる。
 特に、第5番第3楽章の、おなじみトルコ風の旋律の「整然」とした表現などは、マンゼの解釈と作品自体の持つ「面白さ」がぴたっと重なった部分であるように、僕には感じられた。
 ただ一方で、第3番のコンチェルトでは、軽快さはあるものの、しなやかさには欠けるような気がしないでもなかった。
 悪い演奏では毛頭ないけれど、個人的には、もう少し柔軟な演奏のほうが好みかな、というのが、全体を通しての正直な感想だ。
posted by figarok492na at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする