2008年10月08日

英国軽音楽小品集

 ☆ミニアチュアズ(ブリティッシュ・ライト・ミュージック)
  アーネスト・トムリンソン指揮RTEコンサートオーケストラ
  1993年、デジタル録音
  <MALCO POLO>8.223522


 人からあたえられたものほど教条主義に陥りやすいというか、二昔三昔前のクラシック音楽ファンにもそのきらいが濃厚で、特に熱狂的な交響管弦楽愛好家など「交響曲にあらずんば管弦楽曲にあらず」的なのりすら感じたほどだった。
 それは言い過ぎとしても、例えば愛好家仲間のうちで「ぼかブルックナーのシンフォニーなんかより、ケテルビーの『ペルシャの市場にて』のほうが大好きだなあ」なんて言葉は口が裂けても言えなかったのではないだろうか。
 もちろん、本場ヨーロッパとて、オーケストラ音楽のメインストリームは交響曲という考え方はゆるぎないものだろうし、どのジャンルを誰が好むかという「クラス」の問題も厳然と存在するだろうけれど、それでもライト・ミュージック(軽音楽)の占める位置は、この日本という社会に比べればもっとずっと大きいものであるような気がする。
 少なくとも、シンフォニーオーケストラのポップス・コンサートから公園などでの小編成のバンドの演奏にいたるまで、僕らの想像以上にライト・ミュージックは欧米の「市民生活」と密接に関係を持ってきたし、今も持ち続けていると僕は思う。
 特に、ラジオ=放送媒体との兼ね合いもあってだろうが、イギリスにおけるライト・ミュージックの人気、というか人口への膾炙具合は著しいものがあって、マニアックなファンを対象とした側面もあるとはいえ、ハイペリオンやワーナー・ミュージック(UK)といった各レーベルが自国のライト・ミュージックを集めたCDをリリースしている。
 中でも、マルコポーロ・レーベルはイギリスのライト・ミュージックの録音に熱心で、個々の作曲家を特集したアルバムをも多数発売しているほどだ。
 今回とり上げる『ミニアチュアズ(小品集)』は、そうしたマルコポーロ・レーベルのシリーズばかりか、イギリスのライト・ミュージックそのものの恰好の入門篇ということになるのではないか。
 なぜなら、自らライト・ミュージックの優れた造り手でもある指揮のトムリンソン編曲によるアーンのガヴォットを含む全18曲を聴けば、イギリスのライト・ミュージックの傾向とともに、その耳なじみのよさ、愉しさなども充分に識ることができるはずだからである。
 残念ながら、アンソニー・コリンズの『ヴァニティ・フェア(虚栄の市)』やヴィヴァン・エリスの『コロネーション・スコット』、アーサー・ベンジャミンの『ジャマイカ・ルンバ』、エドワード・ホワイトの『パフィン・ビリー』を競合盤のバリー・ワーズワース指揮ロイヤル・フィルの録音<WERNER 2564 61438-2>と比較すると、オーケストラの技量という点でも、演奏のクリアさという点でも、このトムリンソンのCDは若干聴き劣りはするものの、それでも各々の作品の音楽のツボはよく押さえられているとも感じた。
(もしかしたら、このトムリンソン盤の肩ひじの張らない感じのほうが、ライト・ミュージックの本来の親しまれ方には添っているのかもしれない)
 教条主義的な愛好家相手じゃなくても、フルプライス(2000円程度)でまではお薦めしにくいが、中古やセール品で税込み500円ぐらいまでで手に入るのであれば、興味がお在りの方はぜひ。
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2008年10月03日

ショルティの『フィガロの結婚』ハイライト

 ☆モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』ハイライト

    伯爵夫人:キリ・テ・カナワ(ソプラノ)
    スザンナ:ルチア・ポップ(ソプラノ)
   ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)
    フィガロ:サミュエル・レイミー(バリトン)
      伯爵:トーマス・アレン(バリトン)
    バルトロ:クルト・モル(バス)

     管弦楽:ロンドン・フィル
      指揮:ゲオルク・ショルティ

      録音:1981年、デジタル
   <DECCA>417 395−2/旧西ドイツプレス


 モーツァルトの『フィガロの結婚』は、ブログでfigarok492naなどと名乗っていることからも推察していただけるように、僕がもっとも大好きなオペラである。
 うきうきとした序曲に始まって、許しと喜びに満ちあふれた幕切れまで、アリアや重唱はもちろんのこと、領民たちの合唱やレチタティーヴォにいたるまで、その音楽的魅力には抗い難く、実演録音ともに、それほど豊かとはいえない僕のオペラ経験の中でも大きな位置を占めている。
 だから、できればこのショルティ&ロンドン・フィル他による録音も全曲盤を手に入れたいところではあるのだけれど、経済的にも時間的にもそうそう余裕のない身であることもまた事実で、ならばハイライトぐらいはと、このCDを購入することにした。
(一つには、このCDが輸入盤で、しかも初出盤だったということも大きい。僕は、CDを集めるに際して、基本的には国内盤や廉価再発盤は買わないことにしているのだ)

 で、このCDには、序曲、フィガロのカヴァティーナとアリア2曲、ケルビーノのアリアとアリエッタ2曲、伯爵夫人のカヴァティーナとアリア2曲、スザンナのアリア2曲、伯爵のアリア、バルトロのアリアに加え、第3幕の6重唱、伯爵夫人とスザンナの手紙の2重唱、第4幕のフィガロとスザンナの仲直り以降終曲までの計15曲が収められている。
(CD初期の時間的制約も考えれば、まあ妥当な選曲とも思えるが、個人的にはバルトロのアリアを除いて、第2幕の伯爵とスザンナの2重唱を入れて欲しかった。そういえば、以前NHKが教育テレビでルネ・ヤーコプスの指揮した『フィガロ』のハイライトを放映した時も、なぜかこのバルトロのアリアが選ばれていたっけ。あの時は、フィガロの「お殿様が…」その他大事な部分が相当カットされていて、海老ジョンイルめがと腹を立てたんだった)

 この文章を記すにあたって、五回聴いてみたが、やはり聴きものは、ルチア・ポップのスザンナとショルティ指揮のオーケストラということになるだろうか。
 ただ、ポップの歌でも、第2幕のアリアはいくぶん気品があり過ぎというか、もともと上流階級にある女性が召使いに身をやつしているといった感じで、確かに素晴らしい声だけど、絶品とまでは言いにくい。
 文句なしに絶品なのは、第4幕の「とうとう嬉しい時が来た…」で、ここではポップの美質、凛として透き通るような美しい声をたっぷりと愉しむことができる。
 まさしく、聴きものだ。
 また、ショルティとロンドン・フィルも、例えばアーノンクールをはじめとしたピリオド・スタイルとは完全に異なるものの、音楽の流れを活かした、軽快かつテンポ感のよい演奏で、序曲以下、全く聴き飽きない。
 グラインドボーン音楽祭でオーケストラピットに入っているだけあって、ロンドン・フィルも巧みな伴奏ぶりである。
 一方、他の歌い手たちも概ね優れた歌唱を披瀝しているが、僕の声の好みの幅があまりにも狭いこともあって、「めっちゃええで!」と喧伝したくなるまでにはいたらなかった。
 伯爵夫人のキリ・テ・カナワは立派な歌いぶりだが、正直、僕はこの人の声と、どこか硬さの見える(聴こえる)「エロキューション」は好みではない。
 レイミーは美声の持ち主だけれど、ドン・ジョヴァンニ的な大柄さと教科書的な生真面目さが混在していて、魅力的なフィガロとは言い難い。
 逆に、アルマヴィーヴァ伯爵のアレンは、強い個性の持ち主ではないが安定した出来で、予想以上に感心した。
 声の美しさでいえば、ケルビーノのフレデリカ・フォン・シュターデだが、チェチーリア・バルトリやマグダレーナ・コジェナーを経験した今となっては、どうしても物足りなさを感じてしまう。
 それに、この人の場合、語尾がだらけるというか、節の終わりを歌い流しているというか、そういう点が非常に気になる。
 モルは、彼の役者ぶりが十二分に発揮されていて面白くはあるが、先述した如く、あえてハイライト盤に選択する必要があったかは疑問である。
 それと、これはショルティの解釈のせいもあるのだろうが、歌の後半、「Tutta Siviglia…」からの迫力がいくぶん不足しているようにも感じられた。
(ショルティという指揮者には、角々しかじか力みんぼうのイメージがあるのだけれど、第3幕の6重唱、それまで敵と思っていたマルツェリーナ・バルトロ・ペアがフィガロの実の両親と判明して大喜びの4人に対する伯爵とドン・クルツィオの間の手を比較的軽く処理していることからもわかるように、少なくともオペラでは音楽の流れに強く配慮した解釈をとっているように思われる)

 とはいえ、中古で税込み530円でこれだけ愉しめたら僕には充分だ。
 我ながら、なかなかいい買い物でした。


 なお、このCDの全曲盤に関しては、吉田秀和が『この一枚』<新潮文庫>で詳しく触れている。
 ご興味ご関心がおありの方は、ご参照のほど。
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2008年03月21日

ベートーヴェンの交響曲第10番?

 ☆ベートーヴェン:交響曲第10番から第1楽章
  (編曲者バリー・クーパーによるレクチャーつき)

  ウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団
  1988年録音
  <IMP>PCD911


 今回は、先日中古CDショップのAvisで購入した、ウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団の演奏による、ベートーヴェンの交響曲第10番から第1楽章のCDをとり上げる。

 えっ、ベートーヴェンに交響曲第10番なんてあったっけ?
 と首を捻ったあなたは、大正解。
 ベートーヴェンその人は、もちろん第10番なんて交響曲を作曲したことはない。
 けれど、そこはシューベルトの未完成交響曲を完成させてしまったり、ホルストの惑星に冥王星をひっつけてしまったりするようなお国柄、イギリスのバリー・クーパーというベートーヴェンの研究者が、遺されたスケッチ(? と言うよりもアイデア?)から、この交響曲第10番から第1楽章なる音楽をこねくりひねくり上げたのである。

 で、実はここらあたりのいきさつは、今から20年ほど前に日本テレビ系の『謎学の旅(TVムック)』という番組で詳しく紹介されていて、実際、その時に放映されたクーパー博士の指揮した読売日本交響楽団による演奏を収めた非売品のCDを僕は持っていたほどだ。
(そのCDは、大学院生の時、友人に譲ってしまったが)

 まあ、音楽そのものは…。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章と第九の第3楽章、悲愴ソナタの第2楽章を混ぜこぜにしたような冒頭部分と終結部分は、これといったひらめきの輝きはないものの、なんとか落ち着いて聴いていられるのだけれど、スケルツォ的な中間部となるとどうにもたまらない気分になってくる。
 シューベルトチックというかシューマンチックというか、音楽がなんとも初期ロマン派初期ロマン派しているし、それより何より、音のつくりがどうにももっさい。
 加えて、この中間部分が長めのパウゼのあとに繰り返されるのが悲しいくらいにもっさい。

 しかも、ウィン・モリスという指揮者が大がまえでパワフルエネルギッシュな入魂の音楽づくりをやるもんだから、そのもっささぎこちなさが一層強調されてしまっている。
 それこそお芝居に喩えるならば、柄本明や斎藤晴彦、三宅裕司といった面子に任せておけばよいものを、仲代達矢に演出お願いしたばっかりにとことんまじめにやられてしまって公演大失敗、てな感じだ。
 その点、クーパー博士自身の場合は、のび太君がドラえもんの助けもなしに頑張って指揮してますってのりで、なんともかわいげがあった。
(となると、モリスは明らかにジャイアン的な演奏かな?)

 いずれにしても、マニアックなクラシック・ファン、それもCDコレクターにのみお薦めしたい一枚。
 なお、このCDには、バリー・クーパーによるレクチャーも収められているが、こちらは英語が得意で相当暇ならば、とだけ記しておこう。


 *余談1
 この交響曲第10番第1楽章を含め、ウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団の演奏したベートーヴェンの交響曲全集は、国内でも、CD初期にファンハウス・レーベルから発売されていた。
 僕自身、第4番と第5番がカップリングされたCDを持っていたが、やけにくせが強かったような記憶が残っている。

 *余談2
 この交響曲第10番第1楽章には、他にヴァルター・ヴェラー指揮バーミンガム・シティ交響楽団の録音もあったはずだ。
 確か、イギリスのCHANDOSレーベルの交響曲全集(作品集)中の一枚だったと思う。
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2008年03月16日

カラヤンの『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』を聴く

 ☆リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』
               交響詩『ドン・ファン』
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
  1983年録音
  <DG/ドイツ・グラモフォン>410 959−2


 先日、中古CDショップのアビスでただでもらった、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏による、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』のCDをとり上げる。
(なお、盤面に傷があるのでただということだったが、音楽を愉しむという意味では全く問題はなかった。ただより安いものはなし!)

 で、すでに日記のほうでも触れたけれど、基本的には、リヒャルト・シュトラウスの作品の持つシンフォニックな性質、管弦楽管弦楽した性格が巧みに表現され、なおかつベルリン・フィルのオーケストラとしての水準の高さが示された、「凄い」演奏だと思う。
 例えば、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』でおなじみとなった『ツァラトゥストラ』の「ぷわあーぷわあーぷわあーぷわあぷわあー、どんでんどんでんどんでんどんでん…」という出だしからしてぴしっと決まっているし、『ドン・ファン』も、カラヤン&ベルリン・フィルならではの流麗豪壮な音運びが非常に印象深い。

 しかしながら、そうした基本的な感想は感想として、なあんか押し付けがましいというか、時にくどさやうっとうしさを感じてしまったことも事実である。
 特に強奏部分など、ニーチェつながりで言えば、それこそエッケ・オケ(このオーケストラを観よ!)とでも言いたくなるような「これ聴きよがし」の強引さで、いくらニーチェが超人思想を唱えたからといって、それをオーケストラで実現しようなんて思わなきゃいいのに、と勝手に思ったほどだ。
(もっと俗っぽく言えば、こんなツァラトゥストラの説教にはあんまり耳を傾けたくないし、こんなドン・ファンとセックスしたってちっとも愉しくなさそうだなどと感じたりもした)
 まあ、これには、デジタル初期のドイツ・グラモフォンのギシガシグシガシとした硬質でいくぶん機械的な録音も大きく影響しているのかもしれないが。

 ただ、一方で、カラヤン流の流麗かつパワフル、たっぷりと音を鳴らしきる音楽づくりだからこそかえって見えて(聴こえて)くるものもある訳で、『ツァラトゥストラ』の「さすらい人の夜の歌」(トラック9)には、彼がウィーン・フィルを指揮して録音したあの『ばらの騎士』を思い起こしたし、これは『第三帝国のR・シュトラウス』を読んだこともあってだが、消えそで消えないラストにはリヒャルト・シュトラウスの「いたずら心」を感じたりもした。
 また、『ドン・ファン』のラストの「弦のさざ波」にぞくぞくしたことも、やはり付け加えておかなければなるまい。

 正直、このカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が、『ツァラトゥストラはかく語りき』と『ドン・ファン』の「ベスト」とは僕には言い難いが、カラヤンという不世出の音楽家のプラスとマイナスの両面がよく表れた録音でもあることも、また確かだろう。
 カラヤン以外の演奏で、この二つの作品に広く触れたことのある方にこそお薦めしたい一枚だ。
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2008年01月11日

ブラヴーラ!

  ☆ブラヴーラ・アリア集

   ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
   ジェレミー・ローラー指揮レ・セルクル・ドゥ・アルモニー
   2006年録音
   <VIRGIN>395250 2


 ドイツ出身で、最近めきめきと頭角をあらわしているコロラトゥーラ・ソプラノ歌手、ディアナ・ダムラウが歌った、サリエリ、リギーニ、モーツァルトのアリア集をとり上げる。
 なお、アルバムのタイトルにもなっているブラヴーラ・アリア集のブラヴーラとは、高度な技巧、技術を要するといった意味合いがあって、ひらたく言えば、めっちゃ難しい!

 で、タイトル通り、モーツァルトのおなじみ『魔法の笛』の夜の女王の2つのアリアをはじめ、そのライバル(ってのは、後世のでっち上げ?)や、モーツァルトと同じ年に生まれたボローニャ出身の作曲家リギーニが作曲した難度の高いアリアの数々を、ダムラウは、軽くて透明感のある声質と高度な技巧、技術を駆使して、見事に歌い上げている。
(何箇所か、「つないだね」とわかってしまう部分もあるが、まあ、これは仕方あるまい)

 ただ、鼻のあたりで歌っている気味(別の場所では「口の中」って書いたんだけど、「鼻のあたり」のほうが、より受けた印象に近いと思う)がなくもなくって、例えば、ダニエル・デ・ニースの歌唱の持つ爽快感には若干欠けるような気がしないでもない。
 それと、ところどころ地声のようになるのは、ダムラウの癖なのか?
 個人的には、それほど嫌いじゃないが。

 ジェレミー・ローラー指揮レ・セルクル・ドゥ・アルモニーは、予想していた以上に聴き応えのある伴奏で、こうした古典派のオーケストラ作品も一度聴いてみたいと思った。
(このフランスのピリオド楽器アンサンブルには、チェロのサカイアツシも加わっている)

 いずれにしても、ディアナ・ダムラウという歌い手を識るには恰好の一枚ではないか。
 歌好き、オペラ好きには、ご一聴をお薦めしたい。
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2007年12月21日

武満徹のギター作品を聴く

 ☆武満徹:ギター作品集
  福田進一(ギター)
  1996年録音
  <DENON>COCO−70936


 先日購入した、福田進一の弾く武満徹のギター作品集『イン・メモリアム』をとり上げる。
 なお、このCDは、1997年1月に武満徹を追悼する意味合いもこめて発売された録音を、クレスト1000シリーズ中の一枚として再発売したものである。

 まずは、何と言っても『ギターのための12の歌』がお薦めだろう。
 と、言うのも、『ロンドン・デリーの歌』を皮切りに、『オーバー・ザ・レインボー』、『早春賦』、『星の世界』、ビートルズの『ミッシェル』、『ヘイ・ジュード』、『イエスタデイ』、そして革命歌『インターナショナル』*といった、おなじみの12の歌たちが、武満徹の手によって、リリカルで美しいギター独奏曲に生まれ変わっているからだ。
 このうち、『ミッシェル』以下の3曲は、すでにエマニュエル・バルエコの弾くビートルズ・アルバムで慣れ親しんだものであるけれど、他の歌の編曲の巧みさも見事という他ない。
(個人的には、特に『早春賦』のほのかな温もりと、『星の世界』のポップなのりが大好きだ)

 また、他の『フォリオス』、『すべては薄明の中で』、『エキノクス』(エキノコックスではない)も、武満徹の特質がよく表れた透明感と抒情性に富んだ音楽で、非常に魅力的だ。

 一方、武満徹の死を悼んでレオ・ブローウェルが作曲した『HIKA 〜イン・メモリアム・トオル・タケミツ』も、ギターという楽器の持つ機能性を十二分に活かした聴き応えのある技巧的な作品だけれど、ちょっと異質というか、微妙にしっくりこない感じがしたことも事実である。

 福田進一のギター演奏は、とても素晴らしい。
 技術的な冴えはもちろんだが、12の歌で如実に示されているセンスのよさも忘れてはならないと思う。

 税込み1050円ということもあって、ぜひとも多くの方にお聴きいただきたい一枚。
 大推薦だ。


 *追記(書き忘れ)
 社会主義共産主義が退潮してしまった今となってはなんのことやらわからないかもしれないが、「立て飢えたる者よ、今ぞ日は近し」で始まる革命歌『インターナショナル』は、このギターのための12の歌が編曲された1977年当時は、ある種のノスタルジーが含まれているだろうとはいえ、一応「コモンセンス」を得た歌の一つだったし、相当時代のずれはあったにせよ、僕も学生時代に何度か歌わされたことがある。
(歌詞もメロディーも忘れてしまったけれど、『国学連の歌』という歌も歌わされたことがあったな。さすが、立命館!)

 そういえば、岩下志麻が父親の影響か何かで映画撮影の合間にこの『インターナショナル』を口ずさんでいることがある、と以前林光さんがコンサート(確か、イシハラホールでの日本の歌関係の)で語っていたんじゃなかったっけ。
 岩下さんの歌う『インターナショナル』、一度聴いてみたいような気がする。
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2007年12月12日

プーランクづくし・2

 ☆プーランク:室内楽曲全集
  エリック・ル・サージュ(ピアノ)他
  1998年録音
  <RCA>74321−63211−2(2枚組)


 今度は、プーランクの室内楽曲全集をとり上げる。
 なお、このCDは、前回とり上げたピアノ協奏曲集と一まとめにされて、廉価盤=「タンデム」シリーズとして発売されている。

 これはもう、耳のごちそうと呼ぶ他ないCDではないか。
 と、言うのも、リリカルで清澄な響きを持ったフルート・ソナタに始まって、次から次へと耳なじみがよくって聴き心地のよい音楽が繰り出されるのだから。
 しかも、ただただ甘ったるいだけではなく、時に、過去を振り返るかのようなちょっとしたほろ苦さもそこには混じっていて、全編聴き飽きない仕掛けがほどこされている。
(もちろん、プーランクお得意の、おもちゃ箱をひっくり返して蹴り散らかしたような騒々しさにも不足していない)
 個人的には、管楽器のための作品が大好きなのだけれど、コリア・ブラッハーの弾いたヴァイオリン・ソナタや、フランソワ・サルクの弾いたチェロ・ソナタのしゃれた味わいにも心惹かれる。

 フルートのエマニュエル・パユ(ただし、ソナタはマチュー・デュフールの演奏。こちらも素晴らしい)、オーボエのフランソワ・ルルー、クラリネットのポール・メイエら、若手奏者陣の演奏は見事だが、そうした面々を巧みにバックアップし、時には前面に出て妙技を披露したエリック・ル・サージュのピアノ演奏も忘れてはならないだろう。

 録音も、作品と演奏によく添って実にクリア。
 フルプライスでも大推薦の2枚組CDが、ピアノ協奏曲集とあわせて税込み1500円前後で手に入るというのだから、これは
どう考えたって買うしかない。
 室内楽ファン、管楽器ファン、フランス音楽ファンならずとも、大いにお薦めしたい。
 CDショップへ急げ!!
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プーランクづくし・1

 ☆プーランク:ピアノ協奏曲集
  エリック・ル・サージュ(ピアノ)
  フランク・ブラレイ(ピアノ)
  ステファヌ・ドネーヴ指揮リェージュ・フィル
  2003年録音
  <RCA>82876−60308−2


 プーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調、ピアノ協奏曲ハ短調、そしてピアノと18楽器のための舞踏協奏曲「オーバード」を集めたCDを聴く。
 なお、このCDは、次回とり上げる予定の室内楽曲全集と一まとめにされて、「タンデム」シリーズ=廉価盤として発売されている。
(僕自身も、「タンデム」シリーズ分を手に入れた)

 プーランクといえば、甘くて切なくてやかましい音楽の書き手、という印象が、僕にはどうしても強いのだけれど、まさしくこのピアノ協奏曲集は、そうした印象を裏切らない「魅力的」な一枚となっている。
 特に、まるで松竹製作、野村芳太郎監督『鬼畜の器村』*のテーマ音楽的な出だしを持ったピアノ協奏曲は、プーランクのイメージ通りの作品に仕上がっているのではないか。
 モーツァルトやらフォスターの『スワニー川』そっくりのメロディーがとび出す終楽章など、プーランクの面目躍如だろう。
(この曲のリハーサル中、オットー・クレンペラーがえらく毒づいたことは案外有名だけど)
 一方、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』のようなちょっと激しい開始の2台のピアノのための協奏曲も、よい意味ですぐに腰がくだけるし(その後、打楽器の乱打があるとはいえ)、「オーバード」だってミステリアスな雰囲気を漂わせつつも、きちんと「オチ」を決めてくれる。
 いずれにしても、ニ短調、ハ短調、という調性がついていることからもわかるように、全編耳なじみがよくって聴きやすい音楽のオンパレードである。
(まあ、あまりにも歯応えがなさすぎると感じるむきもあるだろうけどさ、プーランクだって、何も自分のピアノ協奏曲ばっかり聴いてくれとは思っちゃいないだろうし。要は、バランスってことじゃないでしょうか?)

 エリック・ル・サージュの演奏は、クリアでスマートだ。
 べたべたやってしまうと、ただの馬鹿騒ぎとしか思えないところを、きちんとセンスよく聴かせてくれる。
 また、2台のピアノのための協奏曲で共演しているフランク・ブラレイも、遜色のない出来。
 ステファヌ・ドネーヴ指揮リェージュ・フィルも、基本的には不満のない伴奏で、ことに管楽器の音色が美しい。

 フルプライスでもお薦めできる録音だけに、お得な廉価盤なら買いも買い。
 「タンデム」シリーズならば大推薦だ。

 *このCDを聴いていて、芥川也寸志って、プーランクの影響も受けてたんじゃないかとふと思ったりした。
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2007年12月04日

デジタル録音時代のスタンダード

 ☆ベートーヴェン:弦楽4重奏曲第13番、大フーガ
  クリーヴランド・カルテット
  1995年録音
  <TELARC>CD−80422


 先日購入した、クリーヴランド・カルテットの演奏する、ベートーヴェンの弦楽4重奏曲第13番と大フーガのCDを聴く。
 なお、このCDは、惜しまれつつも解散したクリーヴランド・カルテットの置き土産と評してもよい、ベートーヴェンの弦楽4重奏曲全集中の一枚である。

 で、聴き応えのあるCDだなあ、というのが、僕の正直な感想である。
 もちろん、だからと言って、ベートーヴェンの後期の弦楽4重奏曲は難解でね、なんて高説をぶつつもりなんてさらさらない。
 つまりは、作品の持つ情報量の多さ、言い換えれば愉しさが巧みに表現された録音である、と僕は言いたいのだ。
 しかも、まるでオーケストラのひな形といった風に機能的で密度が濃いい演奏を行っているにもかかわらず、例えばアルバン・ベルク・カルテットやハーゲン・カルテットのように「鋭角さ」が前面に押し出されることがない。
 本来、この弦楽4重奏曲の終楽章となるはずだった大フーガも充実した内容となっており、CDとして繰り返し聴くのに相応しい一枚に仕上がっているのではないか。
(「鋭角さ」が悪いって訳じゃないけど、繰り返して聴くのにはちょっとねえ…)

 テラーク・レーベルらしい録音のよさも含めて、クリーヴランド・カルテットによるベートーヴェンの弦楽4重奏曲全集は、デジタル録音時代のスタンダードの一つとすら感じた。
 大いに推薦したい。
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2007年11月14日

ニーノ・ロータの交響曲はいいよ!

 ☆ニーノ・ロータ:交響曲第1番、第2番、第3番
  大友直人指揮日本フィル
  1997年録音
  <キング>KICC241/国内盤


 先日購入した、大友直人指揮日本フィルの演奏による、ニーノ・ロータの交響曲集(番号つきの3曲)のCDを聴く。
 なお、この録音は、ブックレットに詳細な解説を記している、片山杜秀ら「有志」の尽力によって実現したものである。

 で、ニーノ・ロータっちゃ映画音楽の雄。
 『山猫』、『太陽がいっぱい』、『ゴッドファーザー』、そしてフェデリコ・フェリーニの一連の作品と、名作映画の影、どころか正面にもニーノ・ロータの音楽は大きな刻印を残している。
 そんなニーノ・ロータには、少なからぬ純クラシック音楽の作品があって、その中でも交響曲は…。
 って、片山さんの受け売りはこのぐらいにしとこ。
(言わずもがなだけど、このCDの解説は、例のナクソスの一連のシリーズの解説の「ひな形」にあたると思う)

 前から欲しいなと思っていたCDで、もちろんニーノ・ロータの交響曲なんて聴いたこたなかったんだけど、やっぱり購入して大正解だった。
 「新古典派」などと腑分けするのもおかしいくらいの、全くもって耳なじみのよい音楽。
 ちょっとべたやなあとは思いつつも、映画音楽でならしたメロディの美しさはさすがだし、例えば第2番の第4楽章のように、聴いてて「うきうき」してくるようなのりのよさもたまらない。
 おお、フェリーニ!

 確かに「現代音楽本流」好きのむきからすりゃあ、言いたいことはいっぱいあるだろうけどさ。
(「ちょと俗っぽいぜ、おっさん」と口にしたくなる「場面」もあるにはあるから…)
 少なくとも僕は、3曲の交響曲を十二分に愉しめた。

 オーボエの広田智之をはじめ、日本フィルの演奏は聴き応えがあるし、片山さんは別所(『レコード芸術』2002年12月号
の特集「交響曲のすべて」。実はこの号に、僕の投書した文章が掲載されている…)で交響曲第3番第3楽章の解釈について「釘を刺している」が、大友直人さんの音楽づくりだって言うほど悪くないんじゃないかな。
 個人的には大いに推薦の一枚だ。


 ところで、ナクソス的なレーベルって日本で立ち上げることは無理なんだろうな、きっと。
 日本のオーケストラを使ったあまり知られていない作品の録音を「安価」でリリースしていっても、採算とれないか…。
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2007年11月07日

カラヤンのオペラ間奏曲集

 ☆オペラ間奏曲集
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
  1967年録音
  <DG/ドイツ・グラモフォン>477 7163

 先日購入した、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルによるオペラ間奏曲集のCDを聴く。
 なお、LP時代から名盤として知られていたこのオペラ間奏曲集だが、オリジナルの形でリリースされるのは、輸入盤では今回のCDが初めてとなるようである。

 音楽之友社刊行の『不滅の名盤800』で吉松隆が記しているように、冒頭の『椿姫』の第3幕への前奏曲(ヴェルディ作曲)や『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲(マスカーニ作曲)からして、『アダージョ・カラヤン』のひな形!? と口にしたくなるような「のり」で、特に3曲目の『修道女アンジェリカ』の間奏曲(プッチーニ作曲)の弦の音色などムード音楽すれすれの艶やかさなのだけれど、カラヤンの音楽づくり、音楽運びの巧さには、やはり感嘆する他ない。
 当時のコンサートマスター、ミシェル・シュヴァルベが活躍する『タイス』の瞑想曲(マスネ作曲)や、没溺惑溺的な濃厚さがたまらない『ノートルダム』間奏曲(フランツ・シュミット作曲)、かろみをおびた滑稽さがよく表現された『マドンナの宝石』第3幕への間奏曲(ヴォルフ=フェラーリ作曲。ただし、有名な間奏曲とは異なる)と、一曲一曲の出来も素晴らしいが、これまた吉松隆が記しているように、これはオリジナルの形で、全編愉しむべきアルバムだと思う。
 ベルリン・フィルの演奏も万全だし、リマスタリングが成功しているか否かはひとまず置くとして、音楽を愉しむ上では音質的にも不満はない。
 LP時代を彷佛とさせるデジパックということも加えて、多くの音楽好きにお薦めしたい一枚。
 約50分という収録時間も、こうしたアルバムには悪くないはずだ。
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2007年11月03日

フェイのハイドン

 ☆ハイドン:交響曲第52番、第49番「受難」、第58番
  トーマス・フェイ指揮ハイデルベルク交響楽団
  2005年録音
  <henssler>CD98.236


 先日購入した、トーマス・フェイ指揮ハイデルベルク交響楽団の演奏によるハイドンの交響曲のCDを聴く。
(フェイとハイデルベルク交響楽団はハイドンの交響曲の全曲録音を進めているが、いわゆる「シュトルム・ウント・ドランク=疾風怒濤」期の3曲を収めたこのCDは、その第6段にあたる)

 一聴、師匠アーノンクール譲りの歯切れがよくて激しいハイドンだと思う。
 ただ、アーノンクールがハイドンの音楽の持つ一種の「毒」を見つけ出しえぐり出していたのに対し、こちらフェイとハイデルベルク交響楽団の演奏では、いくぶんシンフォニックな、言い換えれば、スマートな音楽づくりがはかられているようにも感じないではなかった。
 ハイデルベルク交響楽団は、基本的にはモダン楽器のオーケストラということになるのだけれど、奏法音色ともにピリオド楽器の団体と遜色のない出来で、個々の作品の持つ性格を柔軟に表現しているのではないだろうか。
 個人的にはチェンバロつきのハイドンの交響曲演奏はあまり好みではないのだが、聴けば聴くほど耳になじんできたことも確かだ。
 古典派好きには特にお薦めしたい一枚。
 録音も演奏によく合っている。
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2007年10月26日

パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:交響曲第4番、第7番
  パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマー・フィル
  2004年〜2006年録音
  <RCA>88697 129332


 パーヴォ・ヤルヴィと手兵ドイツ・カンマー・フィルがすすめているベートーヴェンの交響曲全集から、その第二段、第4番と第7番のCDを聴く。

 基本的にはピリオド奏法を援用した、非常に見通しのよい演奏だが、同じ流儀のジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団がどこか「静的」な雰囲気を漂わせていたのに対し、こちらはエネルギッシュで活き活きとした「動的」な音楽づくりが行われていると思う。
 特に、両曲の両端楽章には、そうした音楽づくりがひときわぴたりと決まっているのではないか。

 録音の良さもあって、何度も繰り返し愉しむのに相応しい一枚。
 大いにお薦めしたい。
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2007年10月24日

若さあふれるシューマンとブラームス

 ☆シューマン、ブラームス:ピアノ5重奏曲
  レイフ・オーヴェ・アンスネス(ピアノ)
  アルテミス・カルテット
  2006年
  <Virgin>VC3951432

 ノルウェー出身のピアニスト、レイフ・オーヴェ・アンスネスと、ドイツの新鋭弦楽4重奏団、アルテミス・カルテットによる、シューマンとブラームスのピアノ5重奏曲のCDを聴く。

 一聴、若々しくって躍動感があって、とても胸踊る演奏だと感じる。

 第1楽章冒頭の華やかや元気さが印象的なシューマンはもちろんのこと、あのどうにも陰々滅々としたブラームスでさえ、何度聴いても「いいーっ」となることがない。
(もちろん、その「いいーっ」となってしまうところが、ブラームスの室内楽の魅力の一つであることは百も承知しているが)

 と言って、力任せ腕任せのごりごりぐいぐいというやり方をアンスネスとアルテミス・カルテットがとっている訳ではなく、テンポ設定の他、いわゆるフレーズの処理等々、彼彼女らの歯切れのよい音楽づくりがそう感じさせるのだと思う。

 また、両曲の第2楽章においても、抑制がきいていることによって、かえって各々の作品の持つ抒情性が巧く表されているのではないだろうか。

 特にブラームスの場合、もっとどっしりとしたりゆったりとした演奏を好まれるむきもあるだろうが、今の僕には、このアンスネスとアルテミス・カルテットの若さあふれる演奏がしっくりとくる気がする。
 どちらかと言えば、シューマンやブラームスの室内楽は苦手という方にも強くお薦めしたい一枚だ。
 録音も非常にクリアである。
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2007年10月12日

横綱相撲のショスタコーヴィチ

 ☆ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番、ピアノ5重奏曲他
  マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
  セルゲイ・ナカリャコフ(トランペット)
  アレクサンデル・ヴェデルニコフ指揮スイス・イタリア管弦楽団他
  <EMI>5 04504 2


 時節柄、相撲のすの字も口にしたくないところだけれど、マルタ・アルゲリッチを中心にしたこのショスタコーヴィチ・アルバムは、相撲も相撲、まさしく横綱相撲に徹した一枚だと思う。
 と言っても、大味でぶくぶくぶくぶく肥え太った重量級戦車大進軍といった類いの野蛮なやり口とは毛頭違う。
 切れ味鋭くて、時にスリリングで、それでも最後は堂々と押し切ってしまうという胸のすくような演奏なのだ。

 まずは、何と言ってもピアノ協奏曲第1番が面白い。
 アルゲリッチ自身の旧録音<DG>や手元にあるエリザベート・レオンスカヤ盤<TELDEC>に比べると、いわゆる「完成度」という点ではいくぶん不足するものの、ライヴ録音(ただし、何箇所かつないであるような気がしないでもない)ならではの生々しさ、活き活きとした感覚には、やはり魅了される。
(ケルン滞在中、アルゲリッチの弾くバルトークのコンチェルトを生で聴いたことがあるが、その時のことをすぐに思い出した)
 言わずもがなだが、ナカリャコフのトランペットも「聴きもの」だし、スイス・イタリア管弦楽団も、このオーケストラにしては「大健闘」以上の出来なのではないか。

 また、ルノー・カプソンやミッシャ・マイスキーらと演奏したピアノ5重奏曲も、これまたレオンスカヤ&ボロディン・カルテット盤<TELDEC>と比すると安定感には若干欠けるとはいえ、演奏の若々しさ、音楽の放つエネルギーという意味では、充分魅力魅力的だと評することができる。

 さらに、リリヤ・ジルベルシテインと弾いた2台のピアノのためのコンチェルティーノも、愉しい「インテルメッツォ」になっていて、素直に嬉しい。

 録音も非常に優れており、アルゲリッチ・ファンならずともお薦めしたい一枚だ。
(なお、3曲とも、2006年のルガーノ・フェスティヴァル、マルタ・アルゲリッチ・プロジェクトにおけるライヴ録音である)
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2007年10月07日

気軽にドヴォ6

 ☆ドヴォルザーク:交響曲第6番、チェコ組曲
  イヴァン・アンゲロフ指揮スロヴァキア放送交響楽団
  2001年録音
  <ARTE NOVA>74321 91054 2

 先日購入した、イヴァン・アンゲロフ指揮スロヴァキア放送交響楽団の演奏による、ドヴォルザークの交響曲第6番とチェコ組曲のCDを聴く。

 ドヴォルザークの交響曲第6番、特にその第1楽章は、僕の大好きな音楽の一つで、チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィルの録音<ドイツ・グラモフォン>を愛聴しているのだけれど、あちらがメジャーレーベルの「大名演」であるならば、こちらはバジェットプライスレーベルなりの、気軽に親しむことのできる一枚と評することができるのではないか。

 確かに、全体的に前のめり気味であるとか、力こぶが入り過ぎ気味であるとか、いちゃもんをつけようと思えばいくらでもつけることはできるだろうが、そうした点が作品の持つ性質をうまく表していることも事実だし、スロヴァキア放送交響楽団(ナクソス・レーベルでおなじみ)の出来だってそれほど悪くない。
 録音のかげんもなかなかで、個人的には気分よく全曲を聴き通すことができた。

 また、ドラマの『のだめカンタービレ』で効果的に使われていたチェコ組曲も単なるおまけ以上に聴き応えのある作品だし、税込み500円程度でこれだけ愉しめたら、まずは言うことないと思う。


 なお、アンゲロフとスロヴァキア放送交響楽団によるドヴォルザークの交響曲全集がエームス・レーベルからリリースされていて、この第6番の録音もその中に含まれているのだけれど、アルテノヴァの単独盤は、もしかしたら手に入りにくくなっているかもしれない。
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またまたヘンデルのアリア集

 ☆ヘンデル:アリア集
  ダニエル・デ・ニース(ソプラノ)
  ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン
  2007年録音
  <DECCA>475 8746

 先頃発売されたばかりの、ダニエル・デ・ニースの歌うヘンデルのアリア集を聴く。

 ぶっちゃけて言えば、正直好みの声質じゃない。
 バーバラ・ヘンドリックスほどじゃあないけれど、顎にひっかかったというのか、喉にひっかかったというのか、どこかこわばりのある歌いぶり、声の出し方が、まずもって僕には苦手なのである。
 加えて、抒情的なアリア(例えば、有名な『リナルド』の「涙の流れるままに」=トラック2)における、どこかべちゃついた感情表現も、あんまり好きじゃない。
 ないものねだりは承知でも、もちょっとクールに決めてくれればいいのに、とついつい感じてしまう。

 などと、いきなり悪口で始まったけれど、このCDは、歌好き、ヘンデル好きには大推薦の一枚ではないだろうか。
 と言うのも、彼女を一躍有名にした『エジプトのジュリアス・シーザー』のクレオパトラのアリア(トラック1)をはじめとして、ダニエル・デ・ニースの張りがあって晴れやかな高音を何度も愉しむことができるからだ。
 特に、陽性なアリアでの彼女の声の輝きには、感嘆する他ない。
 まさしく、耳のごちそうとでも呼ぶべき歌唱だと思う。

 また、ウィリアム・クリスティ率いるレザール・フロリサンの伴奏がいい。
 キルヒシュラーガー盤の折り目正しいバーゼル室内管弦楽団、コジェナー盤のバロック・アクロバティックなマルコン&ヴェニス・バロック・オーケストラ(誰かがヴィヴァルディみたいと評していたが、確かにそうだ)も悪くないけれど、クリスティとレザール・フロリサンの軽やかで柔らかで流麗なヘンデルは、聴いていて、本当に心地がよくって仕方がないのだ。

 と、言うことで、一聴どころか、何聴もの価値あるCD。
 大いにお薦めしたい。


 余談だけれど、ブックレットはデ・ニースの写真がふんだんに盛り込まれたアイドル仕様で、こういうのが好きな人にはたまらないんじゃないかな。
 ブックレットを取り出すのが面倒なので、僕は一回きりしかのぞいちゃいないけど。
posted by figarok492na at 12:29| Comment(0) | TrackBack(1) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

コジェナーのオペラ・アリア集

 ☆モーツァルト、グルック、ミスリヴェチェク:オペラ・アリア集
  マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
  ミシェル・スヴィエルチェフスキ指揮プラハ・フィル
  2001年録音
  <DG>469 483−2

 ジュージヤ三条本店のセールで買ったCDの3枚目、マグダレーナ・コジェナーの歌う、モーツァルト、グルック、ミスリヴェチェクのオペラ・アリア集を聴く。

 コジェナーといえば、この前ヘンデルのアリア集を買ったばかりだし、少し前にはラトルと入れたモーツァルトのアリア集も買っているのだが、こちらは今から5年ほど前に発売されたCDである。
 最近の歌唱に比べると、いくぶんストレートな表現のように感じられる部分もなくはないが、その分、コジェナーの透明感があって伸びのある声の魅力や、技術的な確かさを再認識することができる録音だと思う。
 また、モーツァルトに限らず、グルック、ミスリヴェチェクのアリアも、時にアクロバティックな表現の盛り込まれた聴き応えのある音楽で、特にミスリヴェチェクのアリアの感情表現の激しさには、よい意味での驚きを味わえた。
 ミシェル・スヴィエルチェフスキ(あいた、舌噛んじゃった)*の指揮するプラハ・フィルも、コジェナーの歌にぴったりのスマートでクリアな演奏で、耳に心地よい。

 オペラ好き、歌好き、古典派好きの方を中心に、広くお薦めしたい一枚だ。
(なお、ラトルとのアリア集では、やたらと装飾のついた『恋とはどんなものかしら』だけれど、このアルバムではノーマルな版が録音されている)


 *かつてNHK・FMの『気ままにクラシック』の中で、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ・コーナーというのがあったが、このミシェル・スヴィエルチェフスキも相当ややこい名前の指揮者だと思う。
 ついでに、両次大戦間にポーランドの大統領だった、スタニスワフ・ヴォイチェホフスキという人物のことまで思い出してしまったほどだ。
posted by figarok492na at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

こよなく美しき歌

 ☆こよなく美しき島(イギリス・リュート歌曲&アリア集)
  バーバラ・ボニー(ソプラノ)他
  <DECCA>466 132−2

 続けて、バーバラ・ボニーがイギリス・バロック期のリュート歌曲とアリアを歌った『こよなく美しき島』を聴く。
(なお、このアルバムのタイトル『こよなく美しき島』は、パーセルの同名のアリアからとられている)

 最近ではどうしても声の衰えを感じずにはいられないバーバラ・ボニーだが、このCDでは、彼女の澄んで清潔感あふれる美しい歌声を十二分に堪能することができる。
 ダウランド、カンピオン、バード、ジェンキンス、パーセルといったイギリス・バロック期の素朴で繊細で静けさをたたえた歌の数々が、ボニーの囁きかけるような優しい歌唱で再現されており、全篇聴き飽きることがない。
 特に、モーリーの『好いた同士の彼氏と彼女』(なんだ、このやぼたい訳は…)の、「ヘイ、ディンガディンガディン」の繰り返しの部分には、これを聴くためだけにこのCDを購入しても全く惜しくないと、あえて断言したい。

 リュートのジェイコブ・ヘリングマン、ヴィオール・アンサンブルのファンタズム、クリストファー・ホグウッド率いるアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの伴奏も各々万全で、全く不満がない。

 音楽好きの方全般にお薦めしたい一枚。
 大推薦だ。
posted by figarok492na at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オッターの歌を愉しむ

 ☆マイアベーア、ベートーヴェン、シュポア:歌曲集
  アンネ・ソフィ・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ)
  メルヴィン・タン(フォルテピアノ)他
  1999年録音
  <ARCHIV>469 074−2

 ジュージヤ三条本店のセールで購入した、アンネ・ソフィ・フォン・オッターの歌う、マイアベーア、ベートーヴェン、シュポアの歌曲のCDを聴く。

 オッターの歌声は往時に比べるといくぶん衰えが聴こえてきたことは確かで、時にペギー葉山っぽい声だなあと感じた箇所もなくはないのだが、例えば、シューベルトの『漁師の娘』のパロディ、マイアベーアの『おいで』を聴けばわかるように、音楽を愉しむという意味では、まだまだ充分張りと伸びがあるし、各々の作品の持つ性質、インティメートな雰囲気をよく表現しているとも思う。
 交響曲第9番第4楽章の有名な旋律のひな形となった合唱幻想曲のさらなるひな形である、ベートーヴェンの『愛されない者のため息−愛のこたえ』(の「愛のこたえ」のほう)や、モーツァルトの『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリアを思い起こさせる、同じくベートーヴェンの『愛の嘆き』など、選曲面でも実に面白く、今ではモダン楽器に「転向」してしまったメルヴィン・タンのフォルテピアノ伴奏も細やかで、見事と言う他ない。
 加えて、マイアベーアの『羊飼いの歌』でのエリック・ヘープリヒのクラリネットや、シュポアの6つの歌曲でのニルス=エーリク・スパルフのヴァイオリンもオッターの歌唱によい彩りを添えているのではないか。

 しゃっちょこばらない歌好きにはとても嬉しい一枚。
 大いにお薦めしたい。
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2007年09月15日

ヤマカズさんと新星日響のチャイコフスキー

 ☆チャイコフスキー:交響曲第5番
  山田一雄指揮新星日本交響楽団
  1989年録音
  <FONTEC>FOCD3239

 今は亡き山田一雄が、これまた今はなき新星日本交響楽団を指揮したチャイコフスキーの交響曲第5番のCDを聴く。
(なお、1989年初出のこのCDは長らく廃盤となっていたが、最近タワーレコードの企画によって限定最発売された)

 ヤマカズさんの愛称で知られた山田一雄といえば、全身全霊をこめたかのような激しい指揮姿と、「ううっ、いいっ、ああっ」といった演奏中の唸り声が懐かしいが(京都市交響楽団の定期演奏会でモーツァルトの交響曲をとり上げた時など、あまりの声の大きさに、隣の着物姿の女性が必死に笑いをこらえていたほどだった)、以前にも記したことがあるように、それは「笛吹くから踊ってくれよ」という、山田一雄の強い想いの表れだったような気が、僕にはするのである。

 一方、新星日本交響楽団は、東京フィルによる事実上の「吸収合併」で消滅してしまったオーケストラだけれど、その「先鋭」と呼ぶ他ない成立過程*や、日本の作曲家の作品を積極的にプログラミングしていたこと、オペラでの活動など、非常にユニークな存在だったと思う。

 で、その山田一雄と新星日本交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第5番だが、ライヴ録音ではないということもあって、若干熱気のようなものには不足するものの(唸り声も聴きとれない?)、その分造形のしっかりした、オーソドックスな演奏に仕上がっているのではないか。
(個人的には、第3楽章が一番好きだ)
 新星日響も、オーケストラの「限界」は感じさせつつも、山田一雄の解釈によく添った演奏を行っていると思う。

 単に貴重な記録というだけではなく、チャイコフスキーの交響曲第5番を愉しむという意味でもお薦めできる一枚。
 機会があれば、ぜひご一聴のほどを。


 *第1回目の定期演奏会でカンタータ『返せ沖縄』(抜粋)が、第2回目の定期演奏会で清瀬保二のレクイエム『無名戦士』が演奏されている、ということだけをここでは記しておく。
 以上、『日本の交響楽団 定期演奏会記録』<民音音楽資料館>より。
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2007年09月04日

コジェナーのヘンデル

 ☆ヘンデル:アリア集
  マグダレーナ・コジェナー(メゾソプラノ)
  アンドレア・マルコン指揮ヴェニス・バロック・オーケストラ
  2006年録音
  <ARCHIV>477 6547

 少し前に購入した、マグダレーナ・コジェナーの歌うヘンデルのアリア集のCDを聴く。

 ヘンデルのアリア集といえば、アンジェリカ・キルヒシュラーガーのCDをとり上げたばかりだけれど、あちらが折り目正しいスーツ姿、もしくはぱりっと決まった宝塚の衣裳風の歌唱だとすれば、こちらコジェナーは、変幻自在の早変わりとでも評したくなるような歌いぶりを発揮している。
 このCDには、『アルチーナ』、『ヘラクレス』、『アリオダンテ』、『オルランド』、『リナルド』といった10の作品から、それぞれ聴きどころ満載のアリアが選びとられているのだが、コジェナーは透明感のある美しい声と豊かな表現力を活かして、一つ一つのアリアの持つ性格性質を見事に描き分けていると、僕は思う。
 マルコンとヴェニス・バロック・オーケストラも、いわゆるイタリア流儀のバロックアクロバティックな演奏でコジェナーをよく支えているのではないだろうか。

 全曲、全く聴き飽きることのない一枚。
 多くの方にお薦めしたい。


 *追記
 ちょっとコジェナーの声が「響きすぎ」かな、と思ったことも事実。
 あと、ボーナストラックがついていないのは残念だが、『リナルド』の有名なアリアでCD的な「しめ」はきちんとついていると思うので、まあよしとしよう。
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2007年08月22日

耳もたれのしないリヒャルト・シュトラウス

 ☆リヒャルト・シュトラウス:交響詩集
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
  2001年録音
  <ARTE NOVA>74321 87071 2

 HMVからのCD第2陣のうち、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏による、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』、『ツァラトゥストラはかく語りき』のCDを聴く。
(ちなみに、『ドン・ファン』、『ティル』、『ツァラトゥストラ』といえば、リヒャルト・シュトラウスの交響詩の中でも一ニを争う作品であり、オーケストラの「腕力」を確かめるという意味でも、世界のオーケストラの重要なレパートリーとなっている)

 ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、ベートーヴェンの交響曲全集などでも聴かせたようなクリアでスマート、かつ均衡のよくとれた、非常に聴き心地のよい演奏を行っているのではないか。
 『ドン・ファン』なんか、少々そそくさとしすぎ、という感じもしないではないけれど、「耳もたれ」のしないジンマンの音楽づくりには、とても好感が持てる。
 特に、ティルが処刑される直前の「たあたあたあたあたあーたた」という部分は、作品の肝を巧く押さえているなと感心した。

 リヒャルト・シュトラウスってくどいやんか、と尻込みしている方にこそお薦めしたい一枚。
 なんせ、税込み700円程度なんやもの、そら絶対「買い」ですって。


 *中瀬宏之の納得いかないコーナー!

 ところで、このCDと同じ録音、同じカップリングのCDが、ソニー・BMG系から廉価盤面をして、何食わぬ顔で発売されている。
 ところがどっこいなんとこれ、アルテノヴァ盤より倍近く高い値段に設定されているのだから、性質(たち)が悪い。
 「まろは安物レーベルのCDなんて、汚らわしくて触れとうもないでおじゃるまろ」などと宣う、高尚ぶった「バカオロカ」は別にして、たいていのクラシック音楽ファンはアルテノヴァ盤を選ぶだろうから、つまりは「素人さん」相手にあこぎな商売をやっているということだ。
 榎木津礼二郎ならずとも、「こんなものがあるからいけないんだ!」とステッキで打ち据えたいかぎりである。
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ヘンデルのアリア集

 ☆ヘンデル:アリア集
  アンジェリカ・キルヒシュラーガー(メゾソプラノ)
  ローレンス・カミングス指揮バーゼル室内管弦楽団
  2006年録音
  <SONY>82876 889522

 不良品到着、返品交換、美品到着と、すったもんだの騒ぎがあったヘンデルのアリア集を聴く。

 このCDには、『アリオダンテ』、『ジュリアス・シーザー』、『クレタのアリアンナ』の3つのオペラからのアリアが収められているが、硬軟優壮悲喜哀楽、様々な曲調のアリアが選ばれていて、全篇聴き飽きないとともに、劇場人ヘンデルの手だれ具合を識ることができる。

 キルヒシュラーガーは、伸びのある美声を活かして、そうした変化の激しい音楽をしっかり歌い分けているが、(声そのものの質として)いくぶん「不安定さ」を感じたことも事実である。

 もともとモダン楽器のバーゼル室内管弦楽団だけれど、どうやらこの録音ではピリオド楽器のオーケストラに「変身」しているようで、バロックアクロバティックな「過剰」さには不足する反面、キルヒシュラーガーの歌唱によく添った、とても丁寧で清潔感のある演奏を行っていると思う。

 歌好き、バロック好きには特にお薦めしたい一枚。


 余談だけれど、秋に発売される予定の、コジェナーのアリア集との聴き比べが愉しみだ。
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2007年08月20日

久々の大外れ!?

 ☆シューベルト:交響曲第3番、第4番「悲劇的」他
  ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮
  エミリア・ロマーナ・アルトゥーロ・トスカニーニ交響楽団
  1991年(ライヴ)録音
  <FONIT CETRA>5051442-0651-2-1

 先日到着したHMVのCD第2陣から、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮エミリア・ロマーナ・アルトゥーロ・トスカニーニ交響楽団*の演奏による、シューベルトの交響曲第3番、第4番「悲劇的」他のCDを聴く。

 LP時代末期にひっかかる人間からしてみたら、フォニト・チェトラってあんまりイメージのよくないレーベルなんだけど、まあ、今ではワーナー傘下だし、大好きなハンガリー風ディヴェルティメントのオーケストラ版も入っているし、交響曲第3番も第4番も大好きだし、オペラの指揮でならしたガヴァッツェーニの純器楽曲指揮も聴いてみたいし、という理由で購入したCDだったのだが。
 うむむ、これは久々の大外れ…。

 まずもって、CDをかけたとたん、アナログ時代の雰囲気に引きずり込まれてしまう。
 それも、ステレオ−LPをすっとばして、モノラル−SP時代の雰囲気に。
(もちろん、れっきとしたデジタル録音。けれど、かさかさとした録音具合や、オケの雑然とした感じがまさしくSPなのだ)

 で、お目当てのハンガリー風ディヴェルティメントもねえ。
 ヴィルジリオ・モルターリ(って誰だーり?)なる人物の編曲は、ウェットな曲調の合間に、フンガロン行進曲然としたジンタ調のファンファーレを詰め込むというやり口で、原曲の持つ分裂気質、じゃない統合失調症気質がさらに拡大されていて、耳のやり場がない。
(ガヴァッツェーニは、作品の持つ「両面性」をオペラ的に歌わせよう鳴らせようとしているのだが、いかんせんオケが…。第3楽章の金管のファンファーレの「ホウァワァワァワァー」という部分での音のもろ外れには、思わずこちらが「ホワッホワッホワッホワッホワァー」と叫んでしまったほど)

 交響曲のほうも、せっかくいい調子で歌っているなと思ったら、音がずれたりまとまらなかったりで、どうにもオーケストラの弱さが耳についてしまう。
 これで、オーケストラがミラノ・スカラ座のオケ、ローマ聖チェチーリア、とまでは言わなとも、統合されてしまったトリノ、ミラノ、ローマのRAI(イタリア国営放送)のオケのどれか、もしくはボローニヤかフィレンツェのオペラのオケだったら、もっとガヴァッツェーニの意図がうまく伝わっただろうに。

 残念ながら、「物好き」な方以外には、極力お薦めしかねる一枚だ。
(実際、HMVのレビューにも「だめ!」と記したんだけど、何度も聴いているうちに、結構はまってきている。あな、おそろしや…)

 *なお、今年ロリン・マゼールと来日するトスカニーニ交響楽団は、このCDのオーケストラは別団体のようなので、まずは「ご安心」のほど。
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2007年08月15日

『プルチネッラ』の元ネタ

 ☆ガッロ:12のトリオ・ソナタ集
  パルナッシ・ムジチ
  1999年録音
  <CPO>999 717−2

 先日購入した、ドメニコ・ガッロの12のトリオ・ソナタ集を聴く。

 ガロってナンガロ。
 などと、木久蔵(間もなく木久扇)師匠も真っ青な言葉を口にしたくなるほど、巷間ほとんど名前の知られていないガッロだが、ブックレットをひもとくと、18世紀前半にヴェネツィアに生まれた、作曲家兼ヴァイオリニストらしい。
 で、この12のトリオ・ソナタ集が彼にとっては主たる、というか、唯一残された作品なのだけれど、長い間ペルゴレージによる作曲と誤って伝えられていたというのだから、そりゃ知られるもへったくれもありゃしないという訳だ。

 それじゃあ、なんでそんな作曲家の作品のCDを購入したかというと、このガッロの12のトリオ・ソナタ集こそが、僕の大好きなストラヴィンスキーのバレエ音楽『プルチネッラ』の「元ネタ」の一つだからである。
 実際、CDをかけてみたら一目、ならぬ一聴瞭然。
 あの『プルチネッラ』の序奏と同じメロディーが聴こえてくるではないか。
 その後も、出てくる出てくる、あそこじゃここじゃ。
 もちろん、『プルチネッラ』に引用された部分以外も、流麗かつ快活な美しさに満ちていて、実に聴き心地がよい。

 ピリオド楽器のアンサンブル、パルナッシ・ムジチ(ヴァイオリン2、チェロ、チェンバロ)は、作品の性格や録音のかげんもあってか、いくぶん第1ヴァイオリンがきつめに感じられる部分もなくはないが、基本的には、作品の持つ魅力を十二分に引き出した、丁寧な演奏だと思う。

 バロック音楽好き全般にお薦めしたい一枚だ。


 なお、『プルチネッラ』がらみの部分にのみ興味がおありの方には、クリストファー・ホグウッド指揮セント・ポール室内管弦楽団の演奏による『プルチネッラ』全曲盤<DECCA>がお薦めかもしれない。
 と、言うのも、『プルチネッラ』に引用されたガッロのトリオ・ソナタが、ホグウッド他の演奏でカップリングされているからだ。
 ただし、残念ながらこちらは、ずいぶん前に廃盤になっている。
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2007年08月11日

真夏にヨハン・シュトラウス

 ☆ヨハン・シュトラウス:作品集
  ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
  1986年録音
  <TELDEC>8.43337ZK

 こうなりゃやけくそ4枚目。
 もってけドロボー!
 いいや、このCDはわしのもんや。
 誰にもやらんぞ、誰にもやらん。
 ここ、『大阪物語』の中村雁治郎風に。
(「この人、暑さでおつむがおかしうなったんとちゃいまんのん」、と呼ぶ声あり。わはははは、おかしいのはもとからでさあ)

 ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏による、ヨハン・シュトラウスの作品集のCDを聴く。

 ニューイヤーコンサートならいざしらず、この夏の暑い盛りに何を好き好んでシュトラウスなんて、と心配されるむきもあるかもしれないが、なあにアーノンクールだったら大丈夫。
 めりはりのきいた「プログラム」で、刺激に満ちた50分強を過ごさせてくれる。
 もちろん、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団も、アーノンクールの解釈によく添って、シャープでドラマティックな演奏を行っている。
(『エジプト行進曲』の叫び声も、いとおかしいとかなし)

 オーソドックスとは言えないけれど、聴いて面白いこと間違いなしの一枚なり。

 ちなみにこのCD、初期盤ということで、CD自体は、日本のコロムビアがプレスしたものである。
 歴史を感じるなあ。
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ムストネンのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:ピアノ変奏曲集
  オリ・ムストネン(ピアノ)
  1992年録音
  <DECCA>436 834−2

 ええい、3枚目。
 オリ・ムストネンの弾くベートーヴェンのピアノ変奏曲集を聴く。

 ムストネンのベートーヴェンは、RCAレーベルにいれたディアベッリ変奏曲他とピアノ・ソナタ第30番他の2枚のCDを持っているし、大阪音大のザ・カレッジ・オペラハウスで実演に接したこともある。
 いずれにしても、ピリオド奏法を援用したような、歯切れがよくって、クリアでスマートで、それでいてベートーヴェンの音楽の持つ抒情性にも目配せの届いた演奏だったが、このデッカの変奏曲集もまさしくそう。
 『エロイカ(プロメテウス)変奏曲』などには、「すれすれ」を感じさせる部分もなくはないものの、基本的には危なげのない演奏を行っているのではないか。
 パイジェルロの『水車小屋の娘』による2つの変奏曲や、『ルール・ブリタニア』や『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』による変奏曲、自作主題による32の変奏曲と、選曲も抜群で、その点でも不満はない。

 肩ひじのはらないベートーヴェンを愉しみたい方には大いにお薦めしたい一枚だ。
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ヴァントの田園と運命

 ☆ベートーヴェン:交響曲第6番、第5番
  ギュンター・ヴァント指揮ハンブルク北ドイツ放送(NDR)交響楽団
  1992年ライヴ録音
  <RCA>09026 61930 2

 続いて、ギュンター・ヴァント指揮ハンブルク北ドイツ放送(NDR)交響楽団の演奏による、ベートーヴェンの交響曲第6番と第5番のCDを聴く。

 ところで、僕がギュンター・ヴァントを「発見」したのは、今から20年以上も前の、N響アワーかNHKのFM放送だった。
 それは、このCDにも収められている「運命」の冒頭部分を聴き比べるというもので、ヴァントとN響の「運命」のシャープさに、「うむむ、これは」と高校生心に僕は驚嘆してしまったのだ。
 しばらくして、同じ演奏の全曲を聴くことができたのだけれど、「ヴァント凄し」の感想はもちろん変わることはなかった。
 が、当時のヴァントは残念ながらいまだ「巨匠」ではない。
 ただただ「ヴァントは違うな」という想いを心に刻んだまま、彼のCDを購入することもなく、時を過ごしてしまった。
(それには、彼が録音していたドイッチェ・ハルモニアムンディがちょうどEMI傘下にあった時期で、ブラームスにしてもベートーヴェンにしても、手に入れにくかったということも大きく影響している)
 その後、ヴァントはいつの間にか「巨匠」となり、ようやく彼の実演に接したのは、それから10年近くも経ってからのことだった。
(ヴァントとNDR響のブルックナーの交響曲第8番をケルンで聴いたのだが、それは演奏が終わったとたん、ほとんどの聴衆がスタンディング・オベーションするという「儀式」以外の何ものでもないものだった。まあ、ヴァントがケルンにとって「大恩人」であることを考えれば、無理もないことではあったのだけれど)

 さて。
 このCDについてくどくどと語る必要はないと思う。
 ベートーヴェンの二つの交響曲の持つ構造、音楽性、魅力が明確に表された、クリアでシャープ、なおかつ安定性の高い演奏に仕上がっている。
 第6番のほうは、第1楽章がいくぶんおとなしめに感じられるかもしれないが、第2楽章以降との対比という意味では、とてもバランスがとれているのではないか。
(いつもは、少々だるさを感じてしまう第2楽章がとても「面白い」)
 一方、第5番も、安易な「賑やかし」ではない、「音の」ドラマを愉しむことができる。

 聴けば聴くほど、凄さのわかる一枚。
 大推薦だ。

 って、いくらヴァントでも、「田園」と「運命」を繰り返し聴くのはちょとくどいかもしれないけどね。
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美しき歌の花束

 ☆シャルパンティエ:美しき歌の花束
  ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン他
  1998年録音
  <ERAT>3984−25485−2

 先週大阪で購入した4枚の中古CDの中から、まずは、ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン他の演奏による、マルカントワーヌ・シャルパンティエのディヴェルティスマン、エールとコンセール集をとり上げる。

 クリスティはアメリカ出身の音楽家だが、フランスのバロック音楽を得意としており、特に、自らの率いるアンサンブルにレザール・フロリサン(花咲ける芸術=シャルパンティエの作品名)の名前をいただいていることからもわかるように、シャルパンティエのスペシャリストとして知られている。

 このCDは、レザール・フロリサンの結成20周年を記念して録音されたアルバムなのだけれど、まさしくそうした記念に相応しい一枚になっているのではないか。

 まずもって、シャルパンティエの音楽そのものが美しい。
 バロック時代というと、どうしても喜怒哀楽の表現がはっきりとした、はではでしい音楽になりがちだが、シャルパンティエの作品は抑制がきいていて、細やかさと優美さに満ちているのである。

 クリスティとレザール・フロリサンは、そうしたシャルパンティエの音楽の持つ魅力を、丹念で密度の濃い演奏で、十二分に表現し尽くしている。

 加えて、ソプラノのパトリシア・プティボンをはじめとした粒ぞろいの独唱陣!
 集めも集めたり、と評したくなるような均整のとれた美しい歌声の数々には、じっくりと耳を傾ける他ない。

 バロック好き、歌好き、フランス好きの方のみならず、音楽好きの方にはなべてお薦めしたい一枚だ。
 大推薦。
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2007年07月19日

おっさん、ほんまやってくれまんなあ!

 ☆ラヴェル:管弦楽曲集
  ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル
  1996年録音
  <RCA>09026 68600 2

 ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルの演奏による、ラヴェルの管弦楽曲集を聴く。

 まずもって、ジャケット写真からして怪しい。
 かつて田崎真珠のテレビ・コマーシャルで一世を風靡した(?)マゼールが、右手を顎に何やら「考える人」みたくポーズを決めているのだけれど、これがまあ『スター・ウォーズ』の悪党か何かのように見えて仕方がないのだ。
(首から下が透けてしまっているのも、その感を強くさせる)

 で、実際CDを聴いてみて、そうした「インスピレーション」が全く思い込みでなかったことを知らされる。
 と、言うのも、一曲一曲が、まさしく「確信犯」と呼ぶ他ない、あくの強い仕上がりになっているからである。
 『ダフニスとクロエ』の組曲は、ギリシャの青春牧歌なんてどこ吹く風の、力技全開の展開だし(個人的には聴きやすかったが)、『ラ・ヴァルス』のテンポのとり方やアクセントのつけ方もどうにも意味深だし、ラストのボレロなんてああた…。
 おっさん、ほんまやってくれまんなあ!
(他に、『スペイン狂詩曲』も収められている)

 あくまでも、クラシック音楽に慣れ親しんだ人にのみお薦めしたい一枚だ。
(現在は、バジェット・プライスで再発されているが、やっぱりこれは初出時の「マゼール、よからぬことを企む」的ジャケットのCDじゃないと。面白さが半減しまっせ)
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2007年07月18日

私の耳はロバの耳?

 ☆シューマン:リーダークライス作品番号39他
  クリストフ・プレガルディエン(テノール)
  ミヒャエル・ギース(ピアノ)
  2005年録音
  <hanssler>CD98.235

 ええい二連発!
 今度は、テノールのクリストフ・プレガルディエンがシューマンのリーダークライス作品番号39とヴォルフの歌曲(いずれもヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩によるもの)を歌ったCDを聴く。

 プレガルディエンのテキストの読み込みはいつもながらに細やかで鋭い。
 だから、その意味では基本的に不満はない。
 と言うより、よく歌い込まれているなあ、と心から感嘆する。

 ううん、でもねえ。
 もともとプレガルディエンが美声、クリアな声「でも」売ってきた人だけに、高声部をはじめ、声質の「変化」がどうしても気になってしまうのだ。
 ところどころ、ペーター・シュライヤーみたく聴こえる部分さえあって*。
(これってバーバラ・ボニーもそうなんだよなあ)
 上述の如く、彼の歌唱そのものに不満はないんだけど。
 まあ、声ではなくて、歌そのものの「魅力」に心動かされるようになるには、僕がも少し年齢を重ねなくっちゃならないんだろうな。

 プレガルディエンといえば、アンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノ伴奏が有名だけれど、ここでの伴奏は、モダン楽器のミヒャエル・ギース。
(すでに、EMIやRCAでの録音で伴奏をつとめている)
 プレガルディエンの歌によく添った、丁寧な伴奏だと思う。

 僕のように声どうこうに惑わされることのない、「本当の歌好き」にお薦めしたい。

 *シュライヤーの「あくの強い」声自体、僕は嫌いじゃない。
 ただ、クリストフ・プレガルディエンの魅力が、シュライヤーとは真逆の「透明感」のある声と歌い口にあっただけに、ちょとおやと感じたのである。
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葦笛の輝き

 ☆モーツァルト:オーボエ協奏曲他
  アルブレヒト・マイヤー(オーボエ)
  クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
  2004年録音
  <DG>476 235−2

 ベルリン・フィルの首席奏者アルブレヒト・マイヤーが、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラと演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲他を収めたCDを聴く。
(なお、アルバムの原題は、「モーツァルトを探して」とか「モーツァルトを追って」と訳すことができるんじゃないだろうか。探究や追跡でもいいけど、それじゃああんまりにも硬すぎるので)

 もともとオーボエの音色が大好きということもあるのだろうけれど、これは聴いていて本当に愉しいCDだと思う。
 モーツァルトのオーボエ協奏曲の他、アンダンテ(フルートのためのものを編曲)、コンサート・アリアの編曲物が2曲、偽作のヴァイオリン協奏曲第7番の第2楽章、第3楽章、そしてルブランのオーボエ協奏曲第1番と、いずれをとっても耳なじみのいい曲だし、かてて加えて、マイヤーのオーボエが素晴らしい。
 作品の持つ軽快さや美しさが、即興性豊かに再現されているからだ。
 って、単純に明るいだけじゃないのもいい。
(個人的には、『フィガロの結婚』のスザンナのための代替用アリア「あなたを愛している人の望みどおり」*がカップリングされていたのが嬉しかった)

 クラウディオ・アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラも、基本的にはマイヤーをよく支えているのではないか。
 特に、ルブランの協奏曲など。

 オーボエ好き、モーツァルト好き以外の方にも広くお薦めしたい一枚。
 ぜひともご一聴のほどを。

 *コジェナーとラトルによるアリア集<アルヒーフ・レーベル>に本来のアリアが収録されている。
 これも見事な演奏だ。
 てか、これって今井美樹と布袋の『プライド』とおんなじじゃん…。
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2007年07月17日

お薦めのヘンデル

 ☆ヘンデル:宗教曲集
  アニク・マシス(ソプラノ)
  マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
  マルク・ミンコフスキ指揮ル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴル他
  1998年録音
  <ARCHIV>459 627−2

 マルク・ミンコフスキ指揮ル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴル他の演奏による、ヘンデルの宗教曲集を聴く。
(このCDは、今はなき『グラモフォン・ジャパン』のレビューを読んで以来、ずっと欲しいと思っていたもので、先日ようやくジュージヤ三条本店のセールで手に入れることができた)

 『主の僕たちよ、主をほめたたえよ(ラウダーテ…)』やサルヴェ・レジナ、『主は言われた(ディキシット・ドミヌス)』と、ヘンデルにとっては初期の作品ばかりが並んでいるため、一見地味なカップリングと思われかねないのだが、旋律の華やかさや劇性、声楽・器楽両面における技巧の充実など、いずれの曲においてもヘンデルの音楽の持つ魅力が十二分に示されていて、実に聴き応えのあるCDに仕上がっていると思う。
 ミンコフスキとル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴルのアンサンブルは快活で隙がないし、何と言っても、マシスとコジェナーの透明感があってクリアな歌唱が素晴らしい。

 これはフルプライスでもお薦めしたい一枚だ。
 大推薦。
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2007年07月10日

ショパンはフィールドよりいでて

 ☆フィールド:夜想曲集
  バルト・ファン・オールト(フォルテピアノ)
  1995年録音
  <COLUMNS>0189

 先日購入した、バルト・ファン・オールトのフォルテピアノ演奏による、ジョン・フィールドの夜想曲集のCDを聴く。

 タイトル通り、フィールドの夜想曲こそがショパンに多大なる影響を与えて、でも結局ショパンのほうが有名になっちゃって、やっぱりフィールドは…。
 って具合に筆を進めようと思ってたんだけど、フィールド、なかなか以上にいいんじゃない?
 確かに、ショパンの夜想曲のような「これだよこれ!」ってところには欠けるものの、その「僕は野に咲くかすみ草」てな静かさ穏やかさが、本当に心に滲みてくる。

 加えて、オールトのフォルテピアノもいい。
 たぶん、普通のピアノ(モダン楽器)だったら、「わたしウェットにやってます」的な臭さが鼻につき耳につくところを、ごくごく自然に聴かせてしまうのだ。

 僕は中古で税込み347円で手に入れたが、新品でも500円前後で購入できるCDなので、なべて音楽好きの方にはご一聴をお薦めしたい。
 特に、眠れない夜には最適だと思う。
(ゆめゆめ、ブックオフなどの中古品で「ぼったくられない」ようにご注意のほどを)


 今回とりあげたフィールドの夜想曲の他、グリンカをはじめとしたロシアの作曲家の作品をオルガ・トヴェルスカヤがフォルテピアノで演奏した、『サンクト・ペテルスブルグの宮廷の音楽』というタイトルのCD(<OPUS111>OPS30−178)もある。
 こちらも、眠れない夜には最適な一枚だ。
(ただ、こちらはカタログから消えているので、現在では入手困難かもしれない)
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2007年07月09日

日本洋楽の夜明け

 ☆山田耕筰:交響曲「かちどきと平和」他
  湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団、ニュージーランド交響楽団
  2000年〜2002年録音
  <NAXOS>8.555350J

 先日購入した、湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団、及びニュージーランド交響楽団の演奏による、山田耕筰の管弦楽作品集のCDを聴く。

 おなじみナクソス・レーベルの日本作曲家選輯中の一枚で、山田耕筰が1912年と1913年に作曲した、序曲ニ長調、交響曲「かちどきと平和」、交響詩『暗い扉』と『曼陀羅の華』の4曲が収められているが、初期ロマン派に始まって、一息に後期ロマン派にいたるという作風の変化は、まさしく「日本洋楽の夜明け」とでも評したくなるようなドラスティックなものである。
 まあ、だからこそ、この国の「近代化」そのものの問題についても考えざるをえなかったのだけれど。

 湯浅卓雄とアルスター管弦楽団、ニュージーランド交響楽団(序曲のみ)は、基本的に不満のない出来。
 少なくとも、4つの作品を識るという意味では、過不足のない演奏だと思う。
 また、いつものことながら片山杜秀による解説も、優れたものだ。

 ナクソス・レーベルということで価格的にも手頃だし、機会があればご一聴をお薦めしたい。
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2007年07月08日

うそなき鳥クロニクル 第1部・泥棒かささぎ編

 ☆ロッシーニ:序曲集
  クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
  1989年録音
  <DG>431 653−2


 台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はCDにあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を菜箸で指揮していた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。
 電話の呼び出し音が聞こえたとき、すぐに無視しようと思った。スパゲティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバドは今まさにヨーロッパ室内管弦楽団をその音楽的頂点に持ちあげようとしていたのだ。僕はガスの火を弱めず、台所で菜箸を振り続けた。
「はあっ」、留守番電話の電子音の後、しばらく間を置いてから、かすかな女の声がした。そして電話は切れた。
 僕は人の声色の記憶にはあまり自信を持っていない。それは知っているかもしれないし知らないかもしれない声だった。
(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部・泥棒かささぎ編』<新潮文庫>冒頭より引用)

 やれやれ。
 パロディーやパスティーシュのふりをして、自分に起こった「何か」を語るなんて、●●らしいし卑しいしうっとうしいだけだ。

 クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるロッシーニの序曲集は、まずもって、『セビリャの理髪師』、『セミラーミデ』、『アルジェのイタリア女』、『ウィリアム・テル』、『ラ・チェネレントラ(シンデレラ)』、『絹のきざはし(はしご)』、『泥棒かささぎ』という選曲が抜群だし、小回りがきいて、きびきびしゃきしゃきくれしぇんどくれしぇんどしている演奏も素晴らしい。
 さらには、ロッシーニの音楽の持つ「狂気」すらも見事に表現されていると思う。
 例えば、タカタタッタッタッタと、『泥棒かささぎ』序曲の音楽的ピークに達するあたりなど。
 オーケストラはロンドン交響楽団と違えども、何ゆえ村上春樹がアバドの『泥棒かささぎ』序曲にこだわったかがよくわかる。
(って、これは嘘。村上さんはあんまりそういうことは考えてないんじゃないかな。筒井康隆や小林信彦とは違って)

 いずれにしても、ロッシーニの音楽の愉しさと怖さを十二分に識ることのできる一枚だ。
 大推薦。


 ところで、『泥棒かささぎ』の慣用訳名(変な日本語)が『盗っ人かささぎ』とか『とっちゃうかささぎ』とかだったら、『ねじまき鳥クロニクル』という作品は生まれていたのだろうか?
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2007年07月07日

自分へのバースデープレゼント

 ☆ハイドン:ピアノ・ソナタ集
  ファジル・サイ(ピアノ)
  2006年録音
  <naive>V5070

 今年の自分へのバースデープレゼントとして購入した、ファジル・サイの弾くハイドンのピアノ・ソナタ集を聴く。
(なお、誕生日間際にエイベックスから国内盤が発売されたが、僕が買ったのは輸入盤のほうである)

 ティアラ展を観たばかりということもあって、まさしく小粒の、それでいてとびきり上等のダイアモンドがちりばめられたティアラ、とでも評したくなるようなCDだ。
 ハイドンのピアノ・ソナタといえば、一般的には、どうしても初心者用の「教材」程度にしか考えられていないが、こうやってサイの才気あふれる演奏に接すると、一曲一曲が丁寧に仕上げられた、いきいきとした作品であることに気づかされる。
 個人的には、第35番(の第1楽章)が大好きなのだけれど、他の、第37番、第43番、第31番、第10番の各曲も見事の一語だと思う。

 いずれにしても、長々と駄弁を労する必要のない一枚。
 多くの音楽好きの方にお薦めしたい。

 それにしても、易しく見えるものほど、難しいものなんだよね…。
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2007年06月15日

サイのモーツァルト

 ☆モーツァルト:ピアノ作品集
  ファジル・サイ(ピアノ)
  1997年録音
  <WARNER>3984−21970−2

 先日購入した、ファジル・サイの弾くモーツァルトのピアノ作品集のCDを繰り返し聴いている。
 このCDについては、ずいぶん前から存在は知っていたのだが、偶然タワーレコードでセール品を見かけて、どうしても欲しくなってしまったのだ。
 実際、その時に買っておいて、本当によかったと思う。
(なお、このCDには、第10番、第11番「トルコ行進曲」、第13番の3曲のソナタと、通称キラキラ星変奏曲が収められている)

 思いのままに綴られたモーツァルト、というのが僕の正直な感想である。
 テキストの読みという意味から言えば、ちょっとそれはどうなんだろう、と考えざるをえない表現もあるのだけれど、自然に微笑み、自然に悲しむサイの演奏には、今の僕は強く心をひかれる。
 大げさに泣き叫んだり、空威張りしたり、逆上して怒ったり、作り笑いをしたり、大笑いをしたり。
 大仰な「何か」を選ぶことは、簡単なのだ。
 だが、そんな大仰な「何か」を今の僕は選びたくない。
 少なくとも、このサイの演奏するモーツァルトこそ、今の自分にはしっくりくる。

 繰り返しになるが、あの時買っておいて本当によかった。
posted by figarok492na at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

アカルイワーグナー

 ☆ワーグナー:管弦楽曲集
  ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
  1992年、93年、94年録音
  <TELDEC>4509−99595−2

 先日購入した、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団の演奏による、ワーグナーの管弦楽曲集のCDを聴く。
 なお、このCDには、『さまよえるオランダ人』の序曲、『タンホイザー』の序曲、『ローエングリン』の第1幕と第3幕の前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の第1幕の前奏曲、『トリスタンとイゾルデ』の第1幕の前奏曲と愛の死が収められている。
(ちなみに、バレンボイムとシカゴ交響楽団は、このCDと前後して、『ニーベルングの指環(リング)』のハイライト集と、『リエンツィ』序曲やジークフリート牧歌を収めた管弦楽曲集の第2集を録音している)

 全曲聴き通して、まずは明るいワーグナーだなあ、と感じる。
 もちろん、『トリスタンとイゾルデ』は「ああいう」官能的な音楽だし、『ローエングリン』の第1幕の前奏曲だって、静謐さが先にくるような性格の音楽なのだが、バレンボイムとシカゴ交響楽団にかかると、それが、それほど深淵をのぞいたりしんねりむっつりしたりする必要がないように聴こえるのだ。
 まあ、そこには、パワフルでエネルギッシュなシカゴ交響楽団の性質も、多分に影響しているのだろうけれど。
 その点で、『ローエングリン』の第3幕の前奏曲や『マイスタージンガー』の前奏曲が、もっともしっくりくるような仕上がりになっていると思う。

 いずれにしても、ワーグナーに過度な「何か」を期待しないむきには、安心してお薦めできるのではないか。
 僕は、中古で税込み480円で購入したが、税込み1200円程度までなら、「買い」の一枚だろう。


 余談だけれど、シカゴ交響楽団がどうしてああまで「鳴らす」オーケストラなのかと言えば、彼彼女らの本拠地(シカゴのオーケストラ・ホール)があまりにもデッドな音響なので、好むと好まざるとに関わらず、ばりばりばあばあエネルギッシュにならざるをえないためなのだそうである。
 まさしく、ホールがオーケストラをつくる好例だが、ザ・シンフォニー・ホールの公演でも、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団は、同じ調子でブルックナーの交響曲第8番を演奏してしまった。
 結果は推して知るべしだ。
 これをアメリカ的と呼ぶと、単純に過ぎるだろうか。
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2007年06月07日

プライの冬の旅

 ☆シューベルト:冬の旅
  ヘルマン・プライ(バリトン)
  ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)
  1971年録音
  <PHILIPS>422 242−2

 昨日購入した、ヘルマン・プライの歌うシューベルトの『冬の旅』を聴く。

 何を好き好んで、この暑いさかりに『冬の旅』か。
 などと厳しく問うことなかれ。
 そりゃ、名曲堂阪急東通店で税込み380円で売っていたんだもの、多少の傷など構うものか、ましてや季節の違いなどなんのその、と思わず買ってしまったのも無理のない話だろう。

 で、このCD、情に棹さした『冬の旅』とでも評することができるのではないか。
(もちろん、ロマン派丸出しの歌いくずし弾きくずしがある訳ではないけれど)
 フィッシャー=ディースカウらに比べると、テキストの鋭い読み込みには劣るものの、実に歌の流れ、音楽の流れが自然で、プライの少し鼻にかかった美声とあいまって、暖かみと良い意味でのウェットさを強く感じる『冬の旅』が生み出されている。
 また、サヴァリッシュの伴奏も丹念で、プライの音楽性によく添っていると思う。

 やっぱり380円ではもったいない。
 税込み1200円程度までなら、躊躇なくお薦めできる一枚だ。
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2007年06月03日

東京カルテットを聴く−3

 ☆バルトーク:弦楽4重奏曲第5番、第6番
  東京カルテット
  1994年、95年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 三日続けて、東京カルテットの演奏によるバルトークの弦楽4重奏曲のCDを聴く。
 今回は、3枚組中の3枚目で、第5番と第6番が収められている。

 おおバルトークよ、お前もここまできたか!
 などと口にするのは、それこそ傲慢無礼もいいところ、沙汰の限りなのだけれど、ついついそんな風に記してしまいたくなるほど、両曲とも研ぎ澄まされた音楽に仕上がっているのである。
(特に、第5番の第5楽章には、鬼気迫るものさえ感じるほどだ)

 東京カルテットは、そうした二つの作品を、ある意味やすやすと、精確精緻に描き切っている。
 過度な表情づけが行われていない分、作品を識るという意味では文句のない演奏であり録音だろう。
 三枚そろって大いにお薦めしたい。
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2007年06月02日

東京カルテットを聴く−2

 ☆バルトーク:弦楽4重奏曲第2番、第3番、第4番
  東京カルテット
  1993年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 昨日に続いて、東京カルテットの演奏によるバルトークの弦楽4重奏曲のCDを聴く。

 今日聴いたのは3枚組のうちの2枚目で、第2番、第3番、第4番の3曲が収められているのだが、第1番と同様、後期ロマン派の影響をひきずっている第2番に始まり、まるでベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」のようにぎゅぎゅっと音楽のエッセンスが凝縮された第3番、音の跳躍が爽快ですらある第4番と、バルトークの作曲スタイルの変化が手にとるようにわかるカップリングで、実に愉しい。
(「みゅわみゅわ」、「ぎやぎや」といった、いわゆる現代音楽特有の苦い音もあちこちにあるけれど、基本的には耳を塞ぐほどのものではないのではないか)

 東京カルテットは、ここでもシャープでクリアな演奏で、バルトークの弦楽4重奏曲の妙味を丹念に描き出している。
 民俗(民族)性には欠けるものの、音楽を愉しむという意味では、全く問題のない優れた演奏であり録音だ。
 大いにお薦めしたい。
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2007年06月01日

東京カルテットを聴く−1

 ☆ヤナーチェク:弦楽4重奏曲第1番、第2番、バルトーク:同第1番
  東京カルテット
  1993年、1994年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 昨日購入した、東京カルテットの演奏によるヤナーチェクとバルトークの弦楽4重奏曲全集の中から、1枚目のCDを聴く。

 ヤナーチェクの二つの弦楽4重奏曲は、第1番に「クロイツェル・ソナタ」、第2番に「ないしょの手紙」という意味深長な副題がつけられているように、作曲者自身の内面が吐露された作品で、時に過剰なほどのエネルギーの表出をかんじさせる音楽である。
 東京カルテットは、そうした作品の本質を精確にとらえつつも、一方でヤナーチェクの音楽の持つ先駆性にも強く配慮した、バランスのよくとれ、シャープな演奏を行っている。
 また、バルトークの第1番は後期ロマン派の影響が色濃い作品であるが、ここでも東京カルテットは、続く5つの弦楽4重奏曲との関係性をしっかり踏まえた演奏を行っていて、間然とするところがない。

 いずれをとっても安心してお薦めできる録音だ。
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2007年05月30日

安かろう愉しかろう!

 ☆フンメル、ドゥセック、オンスロウ:ピアノ5重奏曲集
  ネポムク・フォルテピアノ5重奏団
  2006年録音
  <BRILLIANT>93203

 海外で活躍中のフォルテピアノ奏者福田理子を中心としたピリオド楽器アンサンブル、ネポムク・フォルテピアノ5重奏団の演奏による、フンメル、ドゥセック、オンスロウといった古典派後期からロマン派初期の作曲家のピアノ5重奏曲集のCDを聴く。
(なお、ネポムク・フォルテピアノ5重奏団のアルバム第一弾、リースとリンマーのピアノ5重奏曲のCDに関しては、こちらをご参照のほど)

 正直言っていずれの曲も、既視感、ならぬ既聴感を抱かせる作品で、特に「剽窃」の天才フンメル(なお、このフンメルのミドルネーム「ネポムク」に演奏団体の名前は由来している)など、それってあの人の影響もろじゃない? と思わせるような思わせないような曲調に仕上がっているのだが、それでも、各々再聴再々聴に耐えうる「よく出来た」音楽にもなっているのでないだろうか。
(個人的には、オンスロウのどこか「不安定」で「エネルギッシュ」な作風が強く印象に残る)

 ネポムク・フォルテピアノ5重奏団は作品の特徴を活かした音楽づくりを行っており、福田理子の妙技はもちろんのこと、弦楽器奏者陣のみずみずしい演奏を愉しむことができる。

 ブリリアント・レーベルということで、新品でも税込み600円程度で入手が可能ゆえ、これはぜひともお試しいただきたい一枚だ。
 安かろう愉しかろう!
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2007年05月29日

国歌を聴く−2

 ☆国歌集第5巻(PからSの国)
  ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団
  1996年録音
  <MARCO POLO>8.223836

 昨日に続いて、国歌集のCDを聴く。
 なお、今回はシリーズ中の5巻目で、PからSの国々の国歌が収められている。

 基本的には、第2巻のものと同じ感想だが、こうやって「のべつまくなし」国歌というものを聴き続けていると、どうにも複雑な心境になってくる。
(例えば、この5巻目には、ルワンダやソマリア、パキスタンやペルー、スロヴェニアの国歌も含まれているのだ)

 それと、オーケストレーション(アレンジ)のせいなのか、ペルーの国歌に『ラ・マルセイエーズ』が「ちゃっかり」まぎれ込んでいる。
 それ以外にも、『ラ・マルセイエーズ』の影響が明らかにうかがえる国歌が何曲かあった。
 フランス革命そのものについて、以前簡単に触れたことがあったけれど、その影響がなまなかではないということを思い知らされる。

 まあ、いずれにしても、「マニアック」なCDであることに変わりはない。
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2007年05月28日

国歌を聴く−1

 ☆国歌集第2巻(CからFの国)
  ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団
  1996年録音
  <MARCO POLO>8.223387

 先日購入した、ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団の演奏による、世界の国歌集のCDを聴く。
(このCDは、全6巻からなる世界の国歌集のうちの2巻目で、CからFの国+αの、国歌等が収められている*)

 まあ、正直言って「マニアック」の一語に尽きるかな。
 当然お国柄の違いによって、軍楽調の勇ましいものもあれば、民謡調のなだらかで美しいものもあるけれど、基本は国歌な訳で、要するに長調で陽性で明るい音楽のオンパレードである。
(その分、どこかの国のそれがどれだけ「異質」なものかがよくわかる)
 確かに、「へえ、エチオピアの国歌ってこんなんだったんだ」とか、「おや、キプロスの国歌って結構やさしめなんやあ」とか、「ほお、フィンランドとエストニアの国歌って同じ旋律なんだねえ」といった驚きがあるとはいえ、それ以上でもそれ以下でもないと思う。

 かつてビートルズをバロック調に編曲して「名を為した」ペーター・ブレイナーのオーケストレーションだけに、各曲ともそつはないし、ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団の演奏も概ね不満はないが、ヨーロッパ連合の連合歌(?)=おなじみベートーヴェン「第9」の有名な旋律、や『ラ・マルセイエーズ』あたりになると、若干ボロが出ている気もしないではなかった。

 ブックオフで中古CDを税込み250円で購入したので、個人的にはめっけもののひろいものと大喜びしてはいるものの、本当に「こういうもの」がお好きな方以外にはあえてお薦めしない。
(税込み250円だったら別だけど)

 なお、国歌について「まじめ」に考えたいのならば、上尾信也の『音楽のヨーロッパ史』<講談社現代新書>のうち、「国歌と国家」の章をご参照のほど。


 *このシリーズでは、国家の国歌の他に、上述のヨーロッパ連合や独立性の強い地域の歌が収められている他、各国歌にロングバージョンとショートバージョンがある場合、その両方ともが収められている。
 まさに、いたれりつくせりの企画である。
posted by figarok492na at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

音楽に寄せて

 ☆音楽に寄せて(シューベルト名歌集)
  ブリン・ターフェル(バリトン)
  マルコム・マルティノー(ピアノ)
  1994年録音
  <DG>477 6358

 先日購入した、ウェールズ出身のバリトン歌手、ブリン・ターフェルの歌うシューベルトのリート集のCDを聴く。
 このCDには、表題にもなっている『音楽に寄せて』をはじめ、『ます』、『セレナード』、『漁師の娘』、『鳩の便り』(以上3曲は、『白鳥の歌』から)、『死と乙女』、『野ばら』など、23曲のリートが収められていて、まさしく一晩のリサイタルを彷佛とさせる見事なプログラミングになっている。
(「一晩じゃなくって、昼間でもいいじゃねえか」、と呼ぶ声あり。ああた、そういうところは流しなさいよ)

 で、実は、僕は初出時にこのCDを購入していて、しばらく愛聴していたのだけれど、ある理由から手放して以来、ずっと買うきっかけを失っていたのである。
 それが、今年になって、ドイツ・グラモフォンのグランプリ(GRAND PRIX)という廉価シリーズで再発されることになり、もっけの幸い法華の太鼓と、買い直したのだ。
 まあ、その後、プレガルディエンやゲルネ、ゲルハーエルらのシューベルトに接したこともあって、いくぶん情緒過多、歌い込み過ぎに聴こえる箇所もなくもなかったが、偉丈夫ターフェルらしい力感あふれる深々とした声質と歌いぶり、一転、菅原陽一ばりの細やかで柔らかな歌い口には、やはり魅了される。
 特に、個人的には、先述の有名曲に加え、『笑いと涙』、『リュートに寄せて』が強く印象に残る。
(これで、ターフェルの柄にはぴったりだろう『馭者クロノスに』が入っていれば、さらに満足がいったんじゃないかな。まっ、これは仕方ないか)
 作品の性質を適確に表現したマルティノーの伴奏もよく、何度聴き返しても厭きないCD。
 大いにお薦めしたい一枚である。

 余談だけれど、このグランプリ・シリーズで、バーバラ・ボニーの歌うヴォルフやリヒャルト・シュトラウスのリート、セルシェルの弾くビートルズ、ポゴレリチの弾くスカルラッティが再発されないかなあ。
 すぐにでも飛びつくんだけどなあ。
posted by figarok492na at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

アマデウスのアマデウス

 ☆モーツァルト:管楽合奏のためのディヴェルティメント集
  アマデウス・ウィンズ
  1989年録音
  <L'OISEAU-LYRE>425 819−2

 昨日購入した、アマデウス・ウィンズの演奏する、モーツァルトの管楽合奏のためのディヴェルティメント集のCDを聴く。

 このCDに収められたディヴェルティメント(ケッヘル番号213、240、252、253、270の5曲)は、オーボエ、ファゴット、ホルン各2本の編成よるもので、モーツァルトのザルツブルク時代に作曲された作品である。
 基本的には、当時の音楽的語法にぴったりと添った、よくできた音楽なのだけれど、時折、ただただ漫然と聞き流してはいられない「ひっかかり」のようなものがある点は、モーツァルトらしいと言えるかもしれない。
 とはいえ、耳なじみがよくて聴き心地のよい音楽であることには変わりがないだろう。
 マーク・シャシュマンやステファン・ハマー(ともにオーボエ)、ローウェル・グリアー(ホルン)といった、アメリカで活躍する腕っこきピリオド楽器奏者によるアマデウス・ウィンズの演奏も見事で、愉しい一枚になっている。
 中古で、税込み1200円程度までなら大いにお薦めしたい。
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2007年05月14日

スラヴ舞曲集

 ☆ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集
  チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィル
  1999年録音
  <SUPRAPHON>SU3422−2 031

 先日購入した、チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィルの演奏による、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集のCDを聴く。

 マッケラスはもともとオーストラリア系アメリカ人の指揮者だが(その後は、主にイギリスで活躍する)、プラハでヴァーツラフ・ターリッヒに学んだことから、ヤナーチェクをはじめとするチェコ音楽のスペシャリストとしても知られている。
 そのマッケラスが、チェコを代表するオーケストラ、チェコ・フィルと満を持して録音したのが、このスラヴ舞曲集のCDである。

 で、一曲一曲は非常に魅力的だが、全部まとめて聴くと「しゃんしゃんしゃかしゃか大はしゃぎ」で少々うっとうしい、というのが僕のスラヴ舞曲集に対する率直な感想で、この録音でもその印象が完全に払拭された訳ではないのだけれど、全曲聴き終えて「もういっぺん、聴き返したろう」と思ってしまったことも事実だ。
 と、言うのも、作品の持つリズミカルな性格ばかりでなく、抒情的で美しい部分も丹念に表現されていたからである。
(いくぶん、折り目が正しすぎるきらいもなくはないが)

 いずれにしても、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚。
 機会があれば、ぜひご一聴のほどを。
posted by figarok492na at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする