2007年07月19日

おっさん、ほんまやってくれまんなあ!

 ☆ラヴェル:管弦楽曲集
  ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル
  1996年録音
  <RCA>09026 68600 2

 ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルの演奏による、ラヴェルの管弦楽曲集を聴く。

 まずもって、ジャケット写真からして怪しい。
 かつて田崎真珠のテレビ・コマーシャルで一世を風靡した(?)マゼールが、右手を顎に何やら「考える人」みたくポーズを決めているのだけれど、これがまあ『スター・ウォーズ』の悪党か何かのように見えて仕方がないのだ。
(首から下が透けてしまっているのも、その感を強くさせる)

 で、実際CDを聴いてみて、そうした「インスピレーション」が全く思い込みでなかったことを知らされる。
 と、言うのも、一曲一曲が、まさしく「確信犯」と呼ぶ他ない、あくの強い仕上がりになっているからである。
 『ダフニスとクロエ』の組曲は、ギリシャの青春牧歌なんてどこ吹く風の、力技全開の展開だし(個人的には聴きやすかったが)、『ラ・ヴァルス』のテンポのとり方やアクセントのつけ方もどうにも意味深だし、ラストのボレロなんてああた…。
 おっさん、ほんまやってくれまんなあ!
(他に、『スペイン狂詩曲』も収められている)

 あくまでも、クラシック音楽に慣れ親しんだ人にのみお薦めしたい一枚だ。
(現在は、バジェット・プライスで再発されているが、やっぱりこれは初出時の「マゼール、よからぬことを企む」的ジャケットのCDじゃないと。面白さが半減しまっせ)
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2007年07月18日

私の耳はロバの耳?

 ☆シューマン:リーダークライス作品番号39他
  クリストフ・プレガルディエン(テノール)
  ミヒャエル・ギース(ピアノ)
  2005年録音
  <hanssler>CD98.235

 ええい二連発!
 今度は、テノールのクリストフ・プレガルディエンがシューマンのリーダークライス作品番号39とヴォルフの歌曲(いずれもヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩によるもの)を歌ったCDを聴く。

 プレガルディエンのテキストの読み込みはいつもながらに細やかで鋭い。
 だから、その意味では基本的に不満はない。
 と言うより、よく歌い込まれているなあ、と心から感嘆する。

 ううん、でもねえ。
 もともとプレガルディエンが美声、クリアな声「でも」売ってきた人だけに、高声部をはじめ、声質の「変化」がどうしても気になってしまうのだ。
 ところどころ、ペーター・シュライヤーみたく聴こえる部分さえあって*。
(これってバーバラ・ボニーもそうなんだよなあ)
 上述の如く、彼の歌唱そのものに不満はないんだけど。
 まあ、声ではなくて、歌そのものの「魅力」に心動かされるようになるには、僕がも少し年齢を重ねなくっちゃならないんだろうな。

 プレガルディエンといえば、アンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノ伴奏が有名だけれど、ここでの伴奏は、モダン楽器のミヒャエル・ギース。
(すでに、EMIやRCAでの録音で伴奏をつとめている)
 プレガルディエンの歌によく添った、丁寧な伴奏だと思う。

 僕のように声どうこうに惑わされることのない、「本当の歌好き」にお薦めしたい。

 *シュライヤーの「あくの強い」声自体、僕は嫌いじゃない。
 ただ、クリストフ・プレガルディエンの魅力が、シュライヤーとは真逆の「透明感」のある声と歌い口にあっただけに、ちょとおやと感じたのである。
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葦笛の輝き

 ☆モーツァルト:オーボエ協奏曲他
  アルブレヒト・マイヤー(オーボエ)
  クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
  2004年録音
  <DG>476 235−2

 ベルリン・フィルの首席奏者アルブレヒト・マイヤーが、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラと演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲他を収めたCDを聴く。
(なお、アルバムの原題は、「モーツァルトを探して」とか「モーツァルトを追って」と訳すことができるんじゃないだろうか。探究や追跡でもいいけど、それじゃああんまりにも硬すぎるので)

 もともとオーボエの音色が大好きということもあるのだろうけれど、これは聴いていて本当に愉しいCDだと思う。
 モーツァルトのオーボエ協奏曲の他、アンダンテ(フルートのためのものを編曲)、コンサート・アリアの編曲物が2曲、偽作のヴァイオリン協奏曲第7番の第2楽章、第3楽章、そしてルブランのオーボエ協奏曲第1番と、いずれをとっても耳なじみのいい曲だし、かてて加えて、マイヤーのオーボエが素晴らしい。
 作品の持つ軽快さや美しさが、即興性豊かに再現されているからだ。
 って、単純に明るいだけじゃないのもいい。
(個人的には、『フィガロの結婚』のスザンナのための代替用アリア「あなたを愛している人の望みどおり」*がカップリングされていたのが嬉しかった)

 クラウディオ・アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラも、基本的にはマイヤーをよく支えているのではないか。
 特に、ルブランの協奏曲など。

 オーボエ好き、モーツァルト好き以外の方にも広くお薦めしたい一枚。
 ぜひともご一聴のほどを。

 *コジェナーとラトルによるアリア集<アルヒーフ・レーベル>に本来のアリアが収録されている。
 これも見事な演奏だ。
 てか、これって今井美樹と布袋の『プライド』とおんなじじゃん…。
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2007年07月17日

お薦めのヘンデル

 ☆ヘンデル:宗教曲集
  アニク・マシス(ソプラノ)
  マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
  マルク・ミンコフスキ指揮ル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴル他
  1998年録音
  <ARCHIV>459 627−2

 マルク・ミンコフスキ指揮ル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴル他の演奏による、ヘンデルの宗教曲集を聴く。
(このCDは、今はなき『グラモフォン・ジャパン』のレビューを読んで以来、ずっと欲しいと思っていたもので、先日ようやくジュージヤ三条本店のセールで手に入れることができた)

 『主の僕たちよ、主をほめたたえよ(ラウダーテ…)』やサルヴェ・レジナ、『主は言われた(ディキシット・ドミヌス)』と、ヘンデルにとっては初期の作品ばかりが並んでいるため、一見地味なカップリングと思われかねないのだが、旋律の華やかさや劇性、声楽・器楽両面における技巧の充実など、いずれの曲においてもヘンデルの音楽の持つ魅力が十二分に示されていて、実に聴き応えのあるCDに仕上がっていると思う。
 ミンコフスキとル・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴルのアンサンブルは快活で隙がないし、何と言っても、マシスとコジェナーの透明感があってクリアな歌唱が素晴らしい。

 これはフルプライスでもお薦めしたい一枚だ。
 大推薦。
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2007年07月10日

ショパンはフィールドよりいでて

 ☆フィールド:夜想曲集
  バルト・ファン・オールト(フォルテピアノ)
  1995年録音
  <COLUMNS>0189

 先日購入した、バルト・ファン・オールトのフォルテピアノ演奏による、ジョン・フィールドの夜想曲集のCDを聴く。

 タイトル通り、フィールドの夜想曲こそがショパンに多大なる影響を与えて、でも結局ショパンのほうが有名になっちゃって、やっぱりフィールドは…。
 って具合に筆を進めようと思ってたんだけど、フィールド、なかなか以上にいいんじゃない?
 確かに、ショパンの夜想曲のような「これだよこれ!」ってところには欠けるものの、その「僕は野に咲くかすみ草」てな静かさ穏やかさが、本当に心に滲みてくる。

 加えて、オールトのフォルテピアノもいい。
 たぶん、普通のピアノ(モダン楽器)だったら、「わたしウェットにやってます」的な臭さが鼻につき耳につくところを、ごくごく自然に聴かせてしまうのだ。

 僕は中古で税込み347円で手に入れたが、新品でも500円前後で購入できるCDなので、なべて音楽好きの方にはご一聴をお薦めしたい。
 特に、眠れない夜には最適だと思う。
(ゆめゆめ、ブックオフなどの中古品で「ぼったくられない」ようにご注意のほどを)


 今回とりあげたフィールドの夜想曲の他、グリンカをはじめとしたロシアの作曲家の作品をオルガ・トヴェルスカヤがフォルテピアノで演奏した、『サンクト・ペテルスブルグの宮廷の音楽』というタイトルのCD(<OPUS111>OPS30−178)もある。
 こちらも、眠れない夜には最適な一枚だ。
(ただ、こちらはカタログから消えているので、現在では入手困難かもしれない)
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2007年07月09日

日本洋楽の夜明け

 ☆山田耕筰:交響曲「かちどきと平和」他
  湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団、ニュージーランド交響楽団
  2000年〜2002年録音
  <NAXOS>8.555350J

 先日購入した、湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団、及びニュージーランド交響楽団の演奏による、山田耕筰の管弦楽作品集のCDを聴く。

 おなじみナクソス・レーベルの日本作曲家選輯中の一枚で、山田耕筰が1912年と1913年に作曲した、序曲ニ長調、交響曲「かちどきと平和」、交響詩『暗い扉』と『曼陀羅の華』の4曲が収められているが、初期ロマン派に始まって、一息に後期ロマン派にいたるという作風の変化は、まさしく「日本洋楽の夜明け」とでも評したくなるようなドラスティックなものである。
 まあ、だからこそ、この国の「近代化」そのものの問題についても考えざるをえなかったのだけれど。

 湯浅卓雄とアルスター管弦楽団、ニュージーランド交響楽団(序曲のみ)は、基本的に不満のない出来。
 少なくとも、4つの作品を識るという意味では、過不足のない演奏だと思う。
 また、いつものことながら片山杜秀による解説も、優れたものだ。

 ナクソス・レーベルということで価格的にも手頃だし、機会があればご一聴をお薦めしたい。
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2007年07月08日

うそなき鳥クロニクル 第1部・泥棒かささぎ編

 ☆ロッシーニ:序曲集
  クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
  1989年録音
  <DG>431 653−2


 台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はCDにあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を菜箸で指揮していた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。
 電話の呼び出し音が聞こえたとき、すぐに無視しようと思った。スパゲティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバドは今まさにヨーロッパ室内管弦楽団をその音楽的頂点に持ちあげようとしていたのだ。僕はガスの火を弱めず、台所で菜箸を振り続けた。
「はあっ」、留守番電話の電子音の後、しばらく間を置いてから、かすかな女の声がした。そして電話は切れた。
 僕は人の声色の記憶にはあまり自信を持っていない。それは知っているかもしれないし知らないかもしれない声だった。
(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部・泥棒かささぎ編』<新潮文庫>冒頭より引用)

 やれやれ。
 パロディーやパスティーシュのふりをして、自分に起こった「何か」を語るなんて、●●らしいし卑しいしうっとうしいだけだ。

 クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるロッシーニの序曲集は、まずもって、『セビリャの理髪師』、『セミラーミデ』、『アルジェのイタリア女』、『ウィリアム・テル』、『ラ・チェネレントラ(シンデレラ)』、『絹のきざはし(はしご)』、『泥棒かささぎ』という選曲が抜群だし、小回りがきいて、きびきびしゃきしゃきくれしぇんどくれしぇんどしている演奏も素晴らしい。
 さらには、ロッシーニの音楽の持つ「狂気」すらも見事に表現されていると思う。
 例えば、タカタタッタッタッタと、『泥棒かささぎ』序曲の音楽的ピークに達するあたりなど。
 オーケストラはロンドン交響楽団と違えども、何ゆえ村上春樹がアバドの『泥棒かささぎ』序曲にこだわったかがよくわかる。
(って、これは嘘。村上さんはあんまりそういうことは考えてないんじゃないかな。筒井康隆や小林信彦とは違って)

 いずれにしても、ロッシーニの音楽の愉しさと怖さを十二分に識ることのできる一枚だ。
 大推薦。


 ところで、『泥棒かささぎ』の慣用訳名(変な日本語)が『盗っ人かささぎ』とか『とっちゃうかささぎ』とかだったら、『ねじまき鳥クロニクル』という作品は生まれていたのだろうか?
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2007年07月07日

自分へのバースデープレゼント

 ☆ハイドン:ピアノ・ソナタ集
  ファジル・サイ(ピアノ)
  2006年録音
  <naive>V5070

 今年の自分へのバースデープレゼントとして購入した、ファジル・サイの弾くハイドンのピアノ・ソナタ集を聴く。
(なお、誕生日間際にエイベックスから国内盤が発売されたが、僕が買ったのは輸入盤のほうである)

 ティアラ展を観たばかりということもあって、まさしく小粒の、それでいてとびきり上等のダイアモンドがちりばめられたティアラ、とでも評したくなるようなCDだ。
 ハイドンのピアノ・ソナタといえば、一般的には、どうしても初心者用の「教材」程度にしか考えられていないが、こうやってサイの才気あふれる演奏に接すると、一曲一曲が丁寧に仕上げられた、いきいきとした作品であることに気づかされる。
 個人的には、第35番(の第1楽章)が大好きなのだけれど、他の、第37番、第43番、第31番、第10番の各曲も見事の一語だと思う。

 いずれにしても、長々と駄弁を労する必要のない一枚。
 多くの音楽好きの方にお薦めしたい。

 それにしても、易しく見えるものほど、難しいものなんだよね…。
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2007年06月15日

サイのモーツァルト

 ☆モーツァルト:ピアノ作品集
  ファジル・サイ(ピアノ)
  1997年録音
  <WARNER>3984−21970−2

 先日購入した、ファジル・サイの弾くモーツァルトのピアノ作品集のCDを繰り返し聴いている。
 このCDについては、ずいぶん前から存在は知っていたのだが、偶然タワーレコードでセール品を見かけて、どうしても欲しくなってしまったのだ。
 実際、その時に買っておいて、本当によかったと思う。
(なお、このCDには、第10番、第11番「トルコ行進曲」、第13番の3曲のソナタと、通称キラキラ星変奏曲が収められている)

 思いのままに綴られたモーツァルト、というのが僕の正直な感想である。
 テキストの読みという意味から言えば、ちょっとそれはどうなんだろう、と考えざるをえない表現もあるのだけれど、自然に微笑み、自然に悲しむサイの演奏には、今の僕は強く心をひかれる。
 大げさに泣き叫んだり、空威張りしたり、逆上して怒ったり、作り笑いをしたり、大笑いをしたり。
 大仰な「何か」を選ぶことは、簡単なのだ。
 だが、そんな大仰な「何か」を今の僕は選びたくない。
 少なくとも、このサイの演奏するモーツァルトこそ、今の自分にはしっくりくる。

 繰り返しになるが、あの時買っておいて本当によかった。
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2007年06月09日

アカルイワーグナー

 ☆ワーグナー:管弦楽曲集
  ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
  1992年、93年、94年録音
  <TELDEC>4509−99595−2

 先日購入した、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団の演奏による、ワーグナーの管弦楽曲集のCDを聴く。
 なお、このCDには、『さまよえるオランダ人』の序曲、『タンホイザー』の序曲、『ローエングリン』の第1幕と第3幕の前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の第1幕の前奏曲、『トリスタンとイゾルデ』の第1幕の前奏曲と愛の死が収められている。
(ちなみに、バレンボイムとシカゴ交響楽団は、このCDと前後して、『ニーベルングの指環(リング)』のハイライト集と、『リエンツィ』序曲やジークフリート牧歌を収めた管弦楽曲集の第2集を録音している)

 全曲聴き通して、まずは明るいワーグナーだなあ、と感じる。
 もちろん、『トリスタンとイゾルデ』は「ああいう」官能的な音楽だし、『ローエングリン』の第1幕の前奏曲だって、静謐さが先にくるような性格の音楽なのだが、バレンボイムとシカゴ交響楽団にかかると、それが、それほど深淵をのぞいたりしんねりむっつりしたりする必要がないように聴こえるのだ。
 まあ、そこには、パワフルでエネルギッシュなシカゴ交響楽団の性質も、多分に影響しているのだろうけれど。
 その点で、『ローエングリン』の第3幕の前奏曲や『マイスタージンガー』の前奏曲が、もっともしっくりくるような仕上がりになっていると思う。

 いずれにしても、ワーグナーに過度な「何か」を期待しないむきには、安心してお薦めできるのではないか。
 僕は、中古で税込み480円で購入したが、税込み1200円程度までなら、「買い」の一枚だろう。


 余談だけれど、シカゴ交響楽団がどうしてああまで「鳴らす」オーケストラなのかと言えば、彼彼女らの本拠地(シカゴのオーケストラ・ホール)があまりにもデッドな音響なので、好むと好まざるとに関わらず、ばりばりばあばあエネルギッシュにならざるをえないためなのだそうである。
 まさしく、ホールがオーケストラをつくる好例だが、ザ・シンフォニー・ホールの公演でも、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団は、同じ調子でブルックナーの交響曲第8番を演奏してしまった。
 結果は推して知るべしだ。
 これをアメリカ的と呼ぶと、単純に過ぎるだろうか。
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2007年06月07日

プライの冬の旅

 ☆シューベルト:冬の旅
  ヘルマン・プライ(バリトン)
  ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)
  1971年録音
  <PHILIPS>422 242−2

 昨日購入した、ヘルマン・プライの歌うシューベルトの『冬の旅』を聴く。

 何を好き好んで、この暑いさかりに『冬の旅』か。
 などと厳しく問うことなかれ。
 そりゃ、名曲堂阪急東通店で税込み380円で売っていたんだもの、多少の傷など構うものか、ましてや季節の違いなどなんのその、と思わず買ってしまったのも無理のない話だろう。

 で、このCD、情に棹さした『冬の旅』とでも評することができるのではないか。
(もちろん、ロマン派丸出しの歌いくずし弾きくずしがある訳ではないけれど)
 フィッシャー=ディースカウらに比べると、テキストの鋭い読み込みには劣るものの、実に歌の流れ、音楽の流れが自然で、プライの少し鼻にかかった美声とあいまって、暖かみと良い意味でのウェットさを強く感じる『冬の旅』が生み出されている。
 また、サヴァリッシュの伴奏も丹念で、プライの音楽性によく添っていると思う。

 やっぱり380円ではもったいない。
 税込み1200円程度までなら、躊躇なくお薦めできる一枚だ。
posted by figarok492na at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

東京カルテットを聴く−3

 ☆バルトーク:弦楽4重奏曲第5番、第6番
  東京カルテット
  1994年、95年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 三日続けて、東京カルテットの演奏によるバルトークの弦楽4重奏曲のCDを聴く。
 今回は、3枚組中の3枚目で、第5番と第6番が収められている。

 おおバルトークよ、お前もここまできたか!
 などと口にするのは、それこそ傲慢無礼もいいところ、沙汰の限りなのだけれど、ついついそんな風に記してしまいたくなるほど、両曲とも研ぎ澄まされた音楽に仕上がっているのである。
(特に、第5番の第5楽章には、鬼気迫るものさえ感じるほどだ)

 東京カルテットは、そうした二つの作品を、ある意味やすやすと、精確精緻に描き切っている。
 過度な表情づけが行われていない分、作品を識るという意味では文句のない演奏であり録音だろう。
 三枚そろって大いにお薦めしたい。
posted by figarok492na at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

東京カルテットを聴く−2

 ☆バルトーク:弦楽4重奏曲第2番、第3番、第4番
  東京カルテット
  1993年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 昨日に続いて、東京カルテットの演奏によるバルトークの弦楽4重奏曲のCDを聴く。

 今日聴いたのは3枚組のうちの2枚目で、第2番、第3番、第4番の3曲が収められているのだが、第1番と同様、後期ロマン派の影響をひきずっている第2番に始まり、まるでベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」のようにぎゅぎゅっと音楽のエッセンスが凝縮された第3番、音の跳躍が爽快ですらある第4番と、バルトークの作曲スタイルの変化が手にとるようにわかるカップリングで、実に愉しい。
(「みゅわみゅわ」、「ぎやぎや」といった、いわゆる現代音楽特有の苦い音もあちこちにあるけれど、基本的には耳を塞ぐほどのものではないのではないか)

 東京カルテットは、ここでもシャープでクリアな演奏で、バルトークの弦楽4重奏曲の妙味を丹念に描き出している。
 民俗(民族)性には欠けるものの、音楽を愉しむという意味では、全く問題のない優れた演奏であり録音だ。
 大いにお薦めしたい。
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2007年06月01日

東京カルテットを聴く−1

 ☆ヤナーチェク:弦楽4重奏曲第1番、第2番、バルトーク:同第1番
  東京カルテット
  1993年、1994年録音
  <RCA>09026 68286 2から

 昨日購入した、東京カルテットの演奏によるヤナーチェクとバルトークの弦楽4重奏曲全集の中から、1枚目のCDを聴く。

 ヤナーチェクの二つの弦楽4重奏曲は、第1番に「クロイツェル・ソナタ」、第2番に「ないしょの手紙」という意味深長な副題がつけられているように、作曲者自身の内面が吐露された作品で、時に過剰なほどのエネルギーの表出をかんじさせる音楽である。
 東京カルテットは、そうした作品の本質を精確にとらえつつも、一方でヤナーチェクの音楽の持つ先駆性にも強く配慮した、バランスのよくとれ、シャープな演奏を行っている。
 また、バルトークの第1番は後期ロマン派の影響が色濃い作品であるが、ここでも東京カルテットは、続く5つの弦楽4重奏曲との関係性をしっかり踏まえた演奏を行っていて、間然とするところがない。

 いずれをとっても安心してお薦めできる録音だ。
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2007年05月30日

安かろう愉しかろう!

 ☆フンメル、ドゥセック、オンスロウ:ピアノ5重奏曲集
  ネポムク・フォルテピアノ5重奏団
  2006年録音
  <BRILLIANT>93203

 海外で活躍中のフォルテピアノ奏者福田理子を中心としたピリオド楽器アンサンブル、ネポムク・フォルテピアノ5重奏団の演奏による、フンメル、ドゥセック、オンスロウといった古典派後期からロマン派初期の作曲家のピアノ5重奏曲集のCDを聴く。
(なお、ネポムク・フォルテピアノ5重奏団のアルバム第一弾、リースとリンマーのピアノ5重奏曲のCDに関しては、こちらをご参照のほど)

 正直言っていずれの曲も、既視感、ならぬ既聴感を抱かせる作品で、特に「剽窃」の天才フンメル(なお、このフンメルのミドルネーム「ネポムク」に演奏団体の名前は由来している)など、それってあの人の影響もろじゃない? と思わせるような思わせないような曲調に仕上がっているのだが、それでも、各々再聴再々聴に耐えうる「よく出来た」音楽にもなっているのでないだろうか。
(個人的には、オンスロウのどこか「不安定」で「エネルギッシュ」な作風が強く印象に残る)

 ネポムク・フォルテピアノ5重奏団は作品の特徴を活かした音楽づくりを行っており、福田理子の妙技はもちろんのこと、弦楽器奏者陣のみずみずしい演奏を愉しむことができる。

 ブリリアント・レーベルということで、新品でも税込み600円程度で入手が可能ゆえ、これはぜひともお試しいただきたい一枚だ。
 安かろう愉しかろう!
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2007年05月29日

国歌を聴く−2

 ☆国歌集第5巻(PからSの国)
  ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団
  1996年録音
  <MARCO POLO>8.223836

 昨日に続いて、国歌集のCDを聴く。
 なお、今回はシリーズ中の5巻目で、PからSの国々の国歌が収められている。

 基本的には、第2巻のものと同じ感想だが、こうやって「のべつまくなし」国歌というものを聴き続けていると、どうにも複雑な心境になってくる。
(例えば、この5巻目には、ルワンダやソマリア、パキスタンやペルー、スロヴェニアの国歌も含まれているのだ)

 それと、オーケストレーション(アレンジ)のせいなのか、ペルーの国歌に『ラ・マルセイエーズ』が「ちゃっかり」まぎれ込んでいる。
 それ以外にも、『ラ・マルセイエーズ』の影響が明らかにうかがえる国歌が何曲かあった。
 フランス革命そのものについて、以前簡単に触れたことがあったけれど、その影響がなまなかではないということを思い知らされる。

 まあ、いずれにしても、「マニアック」なCDであることに変わりはない。
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2007年05月28日

国歌を聴く−1

 ☆国歌集第2巻(CからFの国)
  ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団
  1996年録音
  <MARCO POLO>8.223387

 先日購入した、ペーター・ブレイナー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団の演奏による、世界の国歌集のCDを聴く。
(このCDは、全6巻からなる世界の国歌集のうちの2巻目で、CからFの国+αの、国歌等が収められている*)

 まあ、正直言って「マニアック」の一語に尽きるかな。
 当然お国柄の違いによって、軍楽調の勇ましいものもあれば、民謡調のなだらかで美しいものもあるけれど、基本は国歌な訳で、要するに長調で陽性で明るい音楽のオンパレードである。
(その分、どこかの国のそれがどれだけ「異質」なものかがよくわかる)
 確かに、「へえ、エチオピアの国歌ってこんなんだったんだ」とか、「おや、キプロスの国歌って結構やさしめなんやあ」とか、「ほお、フィンランドとエストニアの国歌って同じ旋律なんだねえ」といった驚きがあるとはいえ、それ以上でもそれ以下でもないと思う。

 かつてビートルズをバロック調に編曲して「名を為した」ペーター・ブレイナーのオーケストレーションだけに、各曲ともそつはないし、ブラティスラヴァ・スロヴァキア放送交響楽団の演奏も概ね不満はないが、ヨーロッパ連合の連合歌(?)=おなじみベートーヴェン「第9」の有名な旋律、や『ラ・マルセイエーズ』あたりになると、若干ボロが出ている気もしないではなかった。

 ブックオフで中古CDを税込み250円で購入したので、個人的にはめっけもののひろいものと大喜びしてはいるものの、本当に「こういうもの」がお好きな方以外にはあえてお薦めしない。
(税込み250円だったら別だけど)

 なお、国歌について「まじめ」に考えたいのならば、上尾信也の『音楽のヨーロッパ史』<講談社現代新書>のうち、「国歌と国家」の章をご参照のほど。


 *このシリーズでは、国家の国歌の他に、上述のヨーロッパ連合や独立性の強い地域の歌が収められている他、各国歌にロングバージョンとショートバージョンがある場合、その両方ともが収められている。
 まさに、いたれりつくせりの企画である。
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2007年05月16日

音楽に寄せて

 ☆音楽に寄せて(シューベルト名歌集)
  ブリン・ターフェル(バリトン)
  マルコム・マルティノー(ピアノ)
  1994年録音
  <DG>477 6358

 先日購入した、ウェールズ出身のバリトン歌手、ブリン・ターフェルの歌うシューベルトのリート集のCDを聴く。
 このCDには、表題にもなっている『音楽に寄せて』をはじめ、『ます』、『セレナード』、『漁師の娘』、『鳩の便り』(以上3曲は、『白鳥の歌』から)、『死と乙女』、『野ばら』など、23曲のリートが収められていて、まさしく一晩のリサイタルを彷佛とさせる見事なプログラミングになっている。
(「一晩じゃなくって、昼間でもいいじゃねえか」、と呼ぶ声あり。ああた、そういうところは流しなさいよ)

 で、実は、僕は初出時にこのCDを購入していて、しばらく愛聴していたのだけれど、ある理由から手放して以来、ずっと買うきっかけを失っていたのである。
 それが、今年になって、ドイツ・グラモフォンのグランプリ(GRAND PRIX)という廉価シリーズで再発されることになり、もっけの幸い法華の太鼓と、買い直したのだ。
 まあ、その後、プレガルディエンやゲルネ、ゲルハーエルらのシューベルトに接したこともあって、いくぶん情緒過多、歌い込み過ぎに聴こえる箇所もなくもなかったが、偉丈夫ターフェルらしい力感あふれる深々とした声質と歌いぶり、一転、菅原陽一ばりの細やかで柔らかな歌い口には、やはり魅了される。
 特に、個人的には、先述の有名曲に加え、『笑いと涙』、『リュートに寄せて』が強く印象に残る。
(これで、ターフェルの柄にはぴったりだろう『馭者クロノスに』が入っていれば、さらに満足がいったんじゃないかな。まっ、これは仕方ないか)
 作品の性質を適確に表現したマルティノーの伴奏もよく、何度聴き返しても厭きないCD。
 大いにお薦めしたい一枚である。

 余談だけれど、このグランプリ・シリーズで、バーバラ・ボニーの歌うヴォルフやリヒャルト・シュトラウスのリート、セルシェルの弾くビートルズ、ポゴレリチの弾くスカルラッティが再発されないかなあ。
 すぐにでも飛びつくんだけどなあ。
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2007年05月15日

アマデウスのアマデウス

 ☆モーツァルト:管楽合奏のためのディヴェルティメント集
  アマデウス・ウィンズ
  1989年録音
  <L'OISEAU-LYRE>425 819−2

 昨日購入した、アマデウス・ウィンズの演奏する、モーツァルトの管楽合奏のためのディヴェルティメント集のCDを聴く。

 このCDに収められたディヴェルティメント(ケッヘル番号213、240、252、253、270の5曲)は、オーボエ、ファゴット、ホルン各2本の編成よるもので、モーツァルトのザルツブルク時代に作曲された作品である。
 基本的には、当時の音楽的語法にぴったりと添った、よくできた音楽なのだけれど、時折、ただただ漫然と聞き流してはいられない「ひっかかり」のようなものがある点は、モーツァルトらしいと言えるかもしれない。
 とはいえ、耳なじみがよくて聴き心地のよい音楽であることには変わりがないだろう。
 マーク・シャシュマンやステファン・ハマー(ともにオーボエ)、ローウェル・グリアー(ホルン)といった、アメリカで活躍する腕っこきピリオド楽器奏者によるアマデウス・ウィンズの演奏も見事で、愉しい一枚になっている。
 中古で、税込み1200円程度までなら大いにお薦めしたい。
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2007年05月14日

スラヴ舞曲集

 ☆ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集
  チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィル
  1999年録音
  <SUPRAPHON>SU3422−2 031

 先日購入した、チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィルの演奏による、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集のCDを聴く。

 マッケラスはもともとオーストラリア系アメリカ人の指揮者だが(その後は、主にイギリスで活躍する)、プラハでヴァーツラフ・ターリッヒに学んだことから、ヤナーチェクをはじめとするチェコ音楽のスペシャリストとしても知られている。
 そのマッケラスが、チェコを代表するオーケストラ、チェコ・フィルと満を持して録音したのが、このスラヴ舞曲集のCDである。

 で、一曲一曲は非常に魅力的だが、全部まとめて聴くと「しゃんしゃんしゃかしゃか大はしゃぎ」で少々うっとうしい、というのが僕のスラヴ舞曲集に対する率直な感想で、この録音でもその印象が完全に払拭された訳ではないのだけれど、全曲聴き終えて「もういっぺん、聴き返したろう」と思ってしまったことも事実だ。
 と、言うのも、作品の持つリズミカルな性格ばかりでなく、抒情的で美しい部分も丹念に表現されていたからである。
(いくぶん、折り目が正しすぎるきらいもなくはないが)

 いずれにしても、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚。
 機会があれば、ぜひご一聴のほどを。
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2007年05月11日

クレンペラーのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:交響曲第4番、第7番
  オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
  第4番=1957年録音、
  第7番=1955年録音
  <EMI>CDM5 66795 2

 昨日購入した、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏による、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番のCDを聴く。
(なお、第7番は全集中の1960年の録音ではなく、それより前の1955年の分が収められている)

 クレンペラーのベートーヴェンを聴くのは、いったい何年ぶりになるだろう。
 たぶんLP末期からCD初期の頃以来だから、少なくとも15年以上は経っているのではないか。
 確かに、最近のピリオド奏法による演奏(ジンマンとか)に慣れた耳からすれば、少々「遅さ」を感じずにはいられないものの、作品そのものの持つ「動き」「力」は、かえってより克明に表現されているようにも思われる。
 それにしても、こうやって改めて聴き直してみると、ベートーヴェンの交響曲の持つ情報量の多さがよくわかる。
 そして、クレンペラーの演奏=録音の持つ情報量の多さも。
(ただ、こうしたこと、例えば「遅さ」などを、全てクレンペラーの意図したものと判断することに関しては、若干の疑問が残る。結果として、ベートーヴェンの音楽の構造や何やらがはっきりと示された演奏=録音になっているにしても)

 少々「機械的」には過ぎるが、音質もクリアになっていて、音楽を愉しむという意味では、あまり不満はない。
 僕は、中古で税込み557円で手に入れたが、税込み1000円程度は出すべきなんじゃないかと思える一枚だ。
 大いにお薦めしたい。
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2007年04月23日

キング・オブ・ハイC

 ☆パヴァロッティ・スーパー・ヒッツ!
  ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)他
  <LONDON>POCL−5155/国内盤

 友だちから貸してもらった、『パヴァロッティ・スーパー・ヒッツ!』を繰り返し聴いている。
 これがオペラ全曲丸ごと入ったCDならば、何だかんだの神田橋と、重箱の隅をつつくような批評家ぶった物言いもできるんだろうけど、残念ながらこちらはいいとこどりの名唱集。
 おなじみ、オー・ソレ・ミオやフニクリ・フニクラ、女心の唄や星は光りぬ、人知れぬ涙、誰も寝てはならぬ、といった名歌名アリアをパヴァロッティの圧倒的な美声美唱で愉しむ他ない。
 まあ、パヴァロッティがそれほど好きではない人でも、その声の明るさと輝きだけは認めざるをえないCDだろう。
 「そこそこ」ブルーな方にお薦めしたい一枚だ。
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2007年04月17日

恋は神代の昔から

 ☆パリー:交響曲第5番他
  マティアス・バーメルト指揮ロンドン・フィル
  1991年録音
  <CHANDOS>CHAN8955

 恋をしましょう、恋をして…。
 って、何も血迷ってしまった訳じゃない。
 たまには、こんな訳わからんちんな始め方をしてみてもいいかなと思ったまでだ。

 で、今日とり上げるパリーの交響曲第5番、並びに『死から生へ』、『ブラームスのためのエレジー』のCDなんだけど、こりゃあもう死ぬほど好きでたまらない、極私的名盤と呼ぶ他ない一枚である。
(実は、バーメルトとロンドン・フィルの演奏によるパリーの交響曲全集+管弦楽作品集のCDは、以前手元にあって、それこそLPなら盤面が擦り切れるほどに聴き返した愛聴盤だったのだが、諸般の事情で手放したままになっていた)

 もちろん、ブラームスの影響丸出しのどうにも甘ったるい音楽、と言われれば、確かにそりゃそうだ、と認めざるをえない。
 でも、好きなもんは好きなんだから仕方がない。
 あばたもえくぼ、その甘ったるくて大構えな造りさえもが、聴き心地がよくって心落ち着く大きな理由になるのだ。
(いくら周囲が、「やめとけよ、あんなつまらない奴」って言ったって、そこは惚れた弱味、頭でわかっていても心がね…)

 演奏、録音ともに、作品を愉しむという意味では、全く不満がない。
 と、いうことにしておこう。

 個人的には、フルプライスでも全然惜しくない、掛け値なしにお薦めの一枚。
 大大大推薦!!!
(「ちょっと、あんた変なもんでも食べたんじゃない?」、と呼ぶ声あり。わかってまんがなわかってまんがな)
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2007年04月16日

ロシアロシアと言うけれど

 ☆サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル
  オリヴィエ・ボーモン(チェンバロ)
  1996年録音
  <ERATO>3984−21665−2

 昨日購入した、オリヴィエ・ボーモンの弾く『サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル(ロシアのチェンバロ音楽)』を聴く。

 『サンクト・ペテルブルクにおけるリサイタル』は、18世紀末から19世紀初頭にかけてサンクト・ペテルブルクで活躍した、イタリアの作曲家(マンフレディーニとパイジェッロ)とロシアの作曲家(ボルトニャンスキー、グリリョーフら)のチェンバロのための作品を集めたCDである。
 ただし、最後のカラウーロフの『みなしごのおまえよ』による変奏曲や、作者不詳の『カーチェンカは村いちばんのべっぴんさん」による変奏曲などに、ロシア的な雰囲気が感じとれる程度で、基本は、バロック的な様式を巧みに踏まえた、聴き心地がよくて耳なじみのよい音楽が集められている。
 ボーモンは高度なテクニックと洗練された楽曲解釈で、全く危なげのない演奏だし、パイジェッロの前奏曲とロンドでは、ミリアム・ジュヴェールの流麗なヴァイオリン演奏を聴くこともできる。
 チェンバロ好き、バロック音楽好きの方には、中古で税込み1200円程度までなら安心してお薦めできる一枚だ。
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2007年04月08日

ブラームスはお好き?

 ☆ブラームス:セレナード第1番、第2番
  チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団
  1998年録音
  <TELARC>CD−80522

 確かに、ブラームスは好きだ。
 クラシックを熱心に聴き始めた頃とは違って、今では交響曲第1番の力みぶりにはいささかくどさを感じてしまうものの、交響曲第2番、弦楽6重奏曲第1番、弦楽5重奏曲第1番、ピアノ4重奏曲第1番、ピアノ3重奏曲第1番、ホルン3重奏曲、クラリネット・ソナタ第1番、8つのピアノ小品(作品番号76の2曲目)などは、何度繰り返しても聴き厭きない、とても大好きな音楽である。
 そして、またぞろCDを購入してしまった、ブラームスのセレナード第1番ももちろん大好きだ。

 で、そのCD、チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団の演奏による、ブラームスのセレナード第1番と第2番を聴き直す。
(これは、マッケラスとスコットランド室内管弦楽が録音した、ブラームスの交響曲全集の補完的な役割を果たすCDである)

 先述した交響曲全集同様、ピリオド奏法を援用した小編成のオーケストラによる演奏で、金管楽器など「独特」のくすんだ響きが聴こえてくるのだが、ううんどうなんだろう。
 アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラによる若々しくてエネルギッシュなCDを聴いた後では、単に音色云々ばかりでなく、演奏そのものもくすんで聴こえる感じは否めない。
 ただ、繰り返し聴くと、マッケラスの細やかな楽譜の読みがわかってきて、作品の多様な側面を識ることはできると思う。
(第2番についても、同じことが言えるのではないだろうか)

 どちらかと言えば、クラシック音楽を長く聴き重ねてきた方にお薦めしたい一枚だ。
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2007年04月05日

さりげなさの魅力

 ☆グラナドス:スペイン舞曲集、詩的なワルツ集
  アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)
  1994年録音
  <RCA>09026 68184 2

 ジュージヤのセールで購入した5枚のCDのうち、最後に残った一枚、アリシア・デ・ラローチャの弾くグラナドスのスペイン舞曲集と詩的なワルツ集を聴きなおす。

 一言で言うと、さりげなさの魅力だろうか。
 スペイン舞曲集は、タイトル通りスペイン各地の舞曲の形式を利用してグラナドスが作曲した12のピアノ小品だが、ラローチャはその一曲一曲の持つ魅力を、過剰さや華美さを避けつつ丹念に描き分けている。
 中では、5曲めのアンダルーサがもっとも有名な作品だろうが、他の11曲も、個性豊かでとても美しい。
 まさしく、何度聴き返しても厭きない音楽だし演奏だ。
 また、カップリングの詩的なワルツ集も、リリカルな美しさに満ちている。
 大推薦。
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2007年04月03日

シューマンよりも

 ☆シューマン:チェロ協奏曲、ブラームス:セレナード第1番
  ナタリー・グートマン(チェロ)
  クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
  2006年録音
  <DG/ドイツ・グラモフォン>476 5786

 先日購入した、ナタリー・グートマンの独奏、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラによる、シューマンのチェロ協奏曲とブラームスのセレナード第1番のCDを聴く。

 メインはもちろんシューマンのチェロ協奏曲で、確かに作品の内包する劇性、エネルギーをこれ見よがしでない抑制された緊密な表現で描き出したグートマンのソロは、それを巧緻に支えたクラウディオ・アバドとマーラー・チェンバー・オーケストラともども、見事と言う他ないが、個人的により魅了されたのはブラームスのセレナードのほうだ。
 なぜなら、あまりにも力感豊かで、作品の持つどたどたどしどし感さえ前面に押し出されるかっこうになった箇所さえなきにしもあらずだが(特に、第1楽章)、その分、歌うべきところはよく歌い、ためるべきところはよくため、喜びはしゃぐべきところはよく喜びはしゃいだ、実に多彩で聴きどころ満載の録音に仕上がっているからである。
(マーラー・チェンバー・オーケストラも、エネルギッシュで清々しい演奏で、とても魅力的だ)

 音楽好きの方には、ぜひお薦めしたい一枚。
 大推薦。

 ところで、ブラームスのセレナード第1番の第1楽章って、どこかでベートーヴェンの交響曲第7番の第1楽章に影響を受けてるんじゃないだろうか?
 ふとそんなことを思ったりした。
posted by figarok492na at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴァイルとターフェルムジークのモーツァルト

 ☆モーツァルト:交響曲第40番(第1稿版)、第41番 ハ長調 「ジュピター」
  ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジーク
  2006年録音
  <DHM>82876−89504−2

 少し前に購入した、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークの演奏による、モーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」のCDを聴く。

 ブルーノ・ヴァイルとターフェルムジークといえば、ソニー・クラシカル(ヴィヴァルテ)におけるハイドンの交響曲集をはじめとした一連の録音でおなじみだったが、ソニーのリストラ策で契約が切れてしまい、最近ではカナダのアナレクタ・レーベルからベートーヴェンの交響曲第5番と第6番がリリースされている程度だった。
(なお、このCDも、カナダ国内ではアナレクタ・レーベルから発売されている。それと、CD録音はなくなったものの、ヴァイルとターフェルムジークの演奏活動自体は活発に続けられている)

 で、このCDの売り文句は「ジュピター・シンフォニーの第4楽章のファゴットのパートの誤りを発見し、本来の姿で演奏した」といったもので、実際ブックレットにも詳しい解説がほどこされているのだけれど、ここではくどくどとそれを記そうとは思わない。
 興味がおありの方は、ぜひブックレットをご参照いただきたい。
(第40番がクラリネット抜きの第1稿で演奏されている点についても省略する)

 ピリオド楽器やピリオド奏法の援用によるモーツァルトの交響曲といえば、すでにアーノンクールやブリュッヘン、ノリントン、コープマンらの演奏を耳にしてきたが、そうした明らかに刺激的で過剰ですらある解釈に比べ、このヴァイルとターフェルムジークの演奏は、バランスのよくとれたクセの少ないもののように感じられる。
 と言っても、作品の持つドラマ性が失われている訳ではなく、特にジュピターの両端楽章では、ヴァイルの持つ劇場感覚がいかんなく発揮されているのではないかとも思った。
(ただ一方で、両曲の第2楽章には素っ気なさを感じたことも事実である。ヴァイルとターフェルムジークの一連のハイドンの交響曲集の中で、僕は第50番、第64番、第65番の3曲の入った一枚を好んで聴くのだが、これらの曲と比べて、モーツァルトの音楽=緩徐楽章は、明らかに「情報量」が多いのだ)

 ファゴット云々は置くとして、心がうきうきしてくるようなジュピターの終楽章は、個人的には一聴の価値があるように思う。
 試聴コーナーで試聴の上、購入か否かを判断されては如何だろう。

 それにしても、ヴァイルとターフェルムジークによる、ハイドンの交響曲集の録音は再開されないものか?
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2007年03月29日

死者の歌

 ☆ショスタコーヴィチ:交響曲第3番、第14番
  ラリッサ・ゴゴレウスカヤ(ソプラノ)
  セルゲイ・アレクサシュキン(バス)
  マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団他
  2005年録音
  <EMI>CDC 3568302

 先日購入したCDの中から、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団他の演奏による、ショスタコーヴィチの交響曲第3番「メーデー(五月一日)」と第14番「死者の歌」のCDを聴く。
(なお、複数のオーケストラによって進められてきたマリス・ヤンソンスのショスタコーヴィチの交響曲全集だが、このCDがその完結篇となる)

 何と言っても、メインは交響曲第14番だろう。
 「死者の歌」という副題通り、死について語られた詩をもとにした歌曲をより集めて一曲の交響曲に仕立てているのだから、その結構に「やられた!」と思う。
 で、音楽自体も、様々な工夫と仕掛けがこらされながらも、作曲者自身の伝えようとするものがしっかり滲み出てきているというもので、まさしくショスタコーヴィチらしい一筋縄ではいかない内容になっている。
 一方、第3番のメーデーは、「死者の歌」の持つ韜晦性、晦渋性には不足するものの、そのつかみどころのなさには、これまたショスタコーヴィチらしさを強く感じる。
 マリス・ヤンソンスはそうした二つの交響曲の持つ性格を充分に認めた上で、基本的にはまとまりのよい、どちらかというとスタイリッシュでエネルギッシュな「わかりやすい」音楽を造りだしているのではないか。
 少なくとも、感情に流されてぐだぐだになった演奏とは対極にあり、作品を識るという意味では適確な一枚だろう。
(バイエルン放送交響楽団も、独唱者陣も、ヤンソンスの解釈によく添った演奏を行っている)

 それにしても、ショスタコーヴィチは本当にショスタコーヴィチだなあ。
 市川崑が市川崑であるように。
(「自同律の不快!」、と呼ぶ声あり。あっそうですか、そりゃいけませんね。私とポリデントしちゃいましょう=これ、船越英二の声で)
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2007年03月26日

喜劇序曲が聴きたくて

 ☆ブゾーニ:管弦楽作品集第2巻
  ネルソン・ゲルナー(ピアノ)
  ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィル
  2004年録音
  <CHANDOS>CHAN10302

 先日購入したCDの中から、ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィル他の演奏した、ブゾーニの管弦楽作品集のCDを聴く。
(第2巻と題されているように、すでに同じ演奏者たちによって第1巻目のCDがリリースされている)

 ブゾーニはピアニストとしてもよく知られたイタリアの作曲家だが、母方の祖父がドイツ人だったこともあってか、ドイツを中心に活躍し、実際ドイツ的な作風の作品を数多く残している。
 で、このCDには、喜劇序曲、ピアノと管弦楽のための『インディアン幻想曲』、インディアン日誌第1集から「幽霊の輪舞の歌」、歌劇『嫁えらび』組曲の4曲が収められているのだけれど、いずれも新古典主義の様式に則った巧緻で耳なじみのよい音楽だと思う。
 特に、個人的にお薦めなのが、冒頭に置かれた喜劇序曲だ。
 モーツァルトの『後宮からの逃走』の中のオスミンのアリアの主題にそっくりな主題が、面白おかしく展開してくのだが、それがまるで、古典派から初期ロマン派、ロマン派、後期ロマン派にいたる「序曲の変遷」を体現しているかのような感じにすらなっていて、聴いていてとても愉しい。
 正直、これ1曲のためにこのCDを買ったほどだ。
(もちろん、ブゾーニのヴィルトゥオーゾぶりが明瞭に示された『インディアン幻想曲』や、劇場感覚全開の『嫁えらび』組曲も聴いて損のない作品だと言えるけど)
 ネーメ・ヤルヴィ指揮BBCフィルは、ブゾーニの音楽の持つ多様な側面をドラマティックに描き出しており、加えて、機能的な面でも不満がない。
 機会があればご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

柳の下に…

 ☆ウェーバー:歌芝居『アブ・ハッサン』、交響曲第1番
  イェルク・デルミュラー(テノール/アブ・ハッサン)
  ヨハンナ・ストイコヴィッチ(ソプラノ/ファティーメ)
  フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ(バス/オマール)
  ヴォルフガング・フォルツ(ナレーター/カリフ)
  ブルーノ・ヴァイル指揮カペラ・コロニエンシス他
  2002年録音
  <DHM>05472−77979−2

 先日購入したCDの中から、ウェーバーの歌芝居『アブ・ハッサン』と交響曲第1番の入ったCDを聴く。

 詳しい物語については、ブックレットや解説書をご参照いただくとして、『アブ・ハッサン』はその設定やら何やらから考えて、明らかにモーツァルトの『後宮からの逃走』を意識した作品といえる。
 てか、トラック15の二重唱(第6番)などを聴けば、これってまんま『後宮』やないか! と突っ込みたくなること請け合いだ。
(他に、『魔法の笛』の影響を感じるナンバーもいくつかあった)
 ただ、だからと言って、このぱくり野郎が! と腹を立てた訳ではない。
 なぜなら、劇場感覚にあふれた聴き心地のよい音楽の連続で、実に愉しい一時を過ごすことができるからである。
 もちろん、それには、タイトルロールを演じるデルミュラーをはじめとした三人の歌手の、伸びやかで清々しい歌唱が果たしている大きな役割を忘れてはなるまいが。
 また、ブルーノ・ヴァイル指揮カペラ・コロニエンシスもツボをきちんと押さえた演奏で、この作品の持つ性格(古典派と初期ロマン派の過渡期に位置するという)を適確に表していると思う。
 一方、交響曲のほうは、これまた劇場感覚に満ちてはいるものの、ノリントン盤ほど過剰にジンタ調を強調しない、抑制の効いた演奏で、個人的には好感が持てた。
 オペラ好きはもちろんのこと、古典派好き初期ロマン派好きの方全般にお薦めしたい一枚だ。

 なお、ブルーノ・ヴァイルとカペラ・コロニエンシスは、同じウェーバーの名作『魔弾の射手』も録音しているが、こちらも清潔感にあふれたクリアな演奏に仕上がっている。
 これまたお薦めである。
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2007年03月24日

疾風怒濤って言葉があったんだ

 ☆ベック:交響曲集作品番号3から他
  ミヒャエル・シュナイダー指揮ラ・スタジョーネ・フランクフルト
  2003年録音
  <CPO>777 014−2

 フランツ・イグナッツ・ベックの交響曲集作品番号3から、第6番、第2番、第1番の3曲と、『オルフェウスの死』序曲の入ったCDを聴く。

 ベックは、主としてフランスで活躍した18世紀後半の作曲家で、CPOレーベルからは、10年ほど前に同じ作品番号3のうち、第3番、第4番、第5番の3曲がリリースされている。
(演奏は、今回と同じミヒャエル・シュナイダーとラ・スタジョーネ・フランクフルトのコンビによる)
 基本的に、初期のハイドンやモーツァルトの交響曲と共通する快活闊達な作風だが、さらにそこに「からっ風野郎」風と評したくなるような激しさの芽のようなものが加わっていて、実に心が動かされる。
 ミヒャエル・シュナイダー指揮ラ・スタジョーネ・フランクフルトは、録音の加減もあってか、木目の粗い演奏に聴こえるが、その分、ベックの音楽の持つ性格を見事に表現しきっているとも思う。
 古典派好きには一聴をお薦めしたい一枚だ。
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2007年03月19日

アーノルドはアーノルドでも

 ☆サミュエル・アーノルド:管弦楽作品集
  ケヴィン・マロン指揮トロント・カメラータ(トロント室内管弦楽団)
  2004年録音
  <NAXOS>8.557484

 昨日購入した、サミュエル・アーノルドの管弦楽作品集のCDを聴く。

 ブックレットによると、サミュエル・アーノルドは1740年にロンドンに生まれ、1802年に亡くなった18世紀後半のイギリスの作曲家だそうで、このCDには、彼が作曲したオーケストラのための作品の中から、6つの序曲集(題名は序曲だが、実質的には3楽章形式のシンフォニア)作品番号8、『マクベス』のための音楽、歌劇『ポリー』序曲が収められている。
 6つの序曲は、とりたてて先鋭的刺激的な内容ではないけれど、一曲一曲が巧みに組み立てられている上に、劇場感覚にも富んだ、聴き心地のよい音楽だと思う。
 また、『マクベス』のための音楽は、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』なんかとは似ても似つかぬ穏やかな表情をしているが、往時のイギリスの劇場をしのぶことのできる音楽ではある。
 ケヴィン・マロン指揮トロント・カメラータは、作品の性格を精確にとらえており、音楽を愉しむという意味でも問題がない。
 手頃なお値段ということもあり、バロックから古典派の音楽が好きな方には一聴をお薦めしたい一枚だ。

 ところで、ブックレットの表紙には演奏オーケストラがトロント室内管弦楽団と記され、裏面と日本語カバーにはトロント・カメラータと記されている。
 後者が前者に改名する過渡期ゆえの「混乱」だろうか?
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2007年03月11日

第10番もお薦めです

 ☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番〜第11番
  アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
  1994年録音
  <PHILIPS>442 774−2

 先日購入した、アルフレッド・ブレンデルの演奏するベートーヴェンのピアノ・ソナタ集のCDを聴いた。

 このCDには、第8番、第9番、第10番、第11番の4曲が収録されているが、何と言っても有名なのは、第8番の「悲愴」ソナタである。
 で、ピアニストによってはことさら「悲愴性」を強調したり、逆に、第2楽章をサッカリンのような甘さで弾き崩したりしがちな作品だが、その点、ブレンデルの演奏に心配はない。
 テキストを丹念に読み込み細部まで磨き抜いた鋭敏な演奏でありながら、あくまでも「過剰」さを避けた、聴き応えのある演奏に仕上がっているからだ。
 ただ、個人的には、ベートーヴェンの音楽の持つリリカルさ、歌謡性、一方で高度な技巧性がバランスよく表された、第10番の第1楽章が非常に好きだ。
 これは、何度繰り返して聴いても飽きはしない。
 いずれにしても、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚である。
 大推薦。
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2007年03月08日

落ち着く一枚

 ☆ブラームス:弦楽5重奏曲第1番、第2番
  ベルリン・フィルハーモニー8重奏団員
  1970年録音
  <PHILIPS>426 094−2

 昨日購入した、ベルリン・フィルハーモニー8重奏団員の演奏による、ブラームスの弦楽5重奏曲のCDを聴く。

 以前触れたこともあるが、このCDは、今から15年近くも前の院生時代に、友人のFから貸してもらって、何度も何度も聴き込んだ一枚だ。
(特に、第1番の第1楽章が大好きで、それこそLPならば盤面が擦り切れてしまうほど聴き返したんじゃなかったっけ。その点、CDはありがたい)

 で、今回久しぶりに聴き直してみた感想だけれど、正直言って、現在の研ぎ澄まされた演奏に比べると、残念ながら細部が甘い。
 それに、古めかしいとまでは言わないけれど、若干古さを感じる演奏スタイルである。
 加えて、録音の加減もあってか、いくぶん音の豊かさにも欠けている。
 ただ一方で、聴いていて、胸にすとんと落ちるというか、とても「落ち着く」演奏であることも事実だ。

 標準的な名演と評することはためらうものの、中古で税込み1000円以内ならお薦めしたい一枚。
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2007年03月05日

ピフルの交響曲

 ☆ピフル:交響曲集
  ケヴィン・マロン指揮トロント室内管弦楽団
  <NAXOS>8.557761

 ナクソス・レーベルの3月の新譜、ケヴィン・マロン指揮トロント室内管弦楽団の演奏による、ピフルの交響曲(シンフォニア)集を聴いた。

 ピフルは、18世紀後半に活躍したボヘミアの作曲家で、ブックレットの解説によると、モーツァルトの『魔法の笛』をチェコ語に翻訳したりもしているそうだ。
 このCDには、そうした彼の交響曲が4曲(「カリオペ」、「メルポメネ」、「クレイオ」、「ディアナ」と、ギリシャ神話の女神の名前が副題に付いている)収められているが、いずれも古典派の4楽章形式に則った、実に明朗で聴き心地のよい音楽である。
 また、ケヴィン・マロンとトロント室内管弦楽団は、ピリオド奏法を巧みに援用しつつ、個々の作品の持つ特性(楽器の使用における作曲家の工夫など)を適確に表現していると思う。
 演奏、作品ともに、安心してお薦めできる優れた一枚。
 特に、ハイドンやモーツァルトといった古典派の音楽がお好きな方には大推薦だ。
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2007年03月03日

前進前進、また前進!

 ☆安部幸明:交響曲第1番、ディヴェルティメント、シンフォニエッタ
  ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィル
  アレクセイ・ヴォルコフ(アルト・サキソフォーン)
  <NAXOS>8.557987J

 ナクソス・レーベルが進める日本作曲家選輯の最新盤、安部幸明の管弦楽作品集のCDを聴いた。

 惜しくも昨年末に亡くなった安部幸明は、日本における「ソヴィエト楽派」を代表する作曲家の一人なのだけれど、彼の人となりについては、片山杜秀の懇切丁寧な解説を参照いただければ充分だと思う。
 このCDには、交響曲第1番、アルト・サキソフォーンとオーケストラのためのディヴェルティメント、シンフォニエッタの3曲が収められているが、特に交響曲とシンフォニエッタの「前進前進、また前進!」ぶりには、どうにも心が動かされてしまう。
 まさしく快活活発と呼ぶ他ない音楽だからだ。
(なお、シンフォニエッタの第1楽章には、ストラヴィンスキーの『花火』の影響が強く感じられる)
 一方、ディヴェルティメントはその名のとおり、聴き心地のよい聴いていて実に愉しい作品に仕上がっている。
 ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルは、いささかたがの外れた感の強い演奏で、できればもう何ランクか上のオーケストラによる録音ならばと思わなくもないのだが、まあ、こうして安部幸明の作品を気軽に愉しめるという点だけで、よしとすべきだろう。

 多くの方にお薦めしたい一枚。
 必聴!
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2007年02月19日

冬の旅

 ☆シューベルト:歌曲集『冬の旅』
  クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン)
  ゲロルト・フーバー(ピアノ)
  2001年録音
  <ARTE NOVA>74321−80777−2

 『冬の旅』といえば、どうしてもディートリヒ・フィッシャー=ディースカウも一連の録音が耳の奥にこびりついていて、その後に発売されたバリトン歌手の『冬の旅』のCDには、ついつい彼の影を見てしまうのだが、このゲルハーエルの歌唱にも、やはりフィッシャー=ディースカウの強い影響を感じる。
(てか、ゲルハーエルはフィッシャー=ディースカウにも学んでいたのだった)
 ただ、ゲルハーエルが単なるエピゴーネンに終わっていないのは、フィッシャー=ディースカウ譲りの繊細で鋭敏で丹念なテキストの読み込みとともに、暖かく清潔感に満ちた声の魅力を彼が持っているからではないだろうか。
 いずれにしても、よく考え抜かれ、よく歌い抜かれた演奏だと思う。
 中古で、税込み357円で手に入れたCDだけれど、たとえフルプライスだったとしても強くお薦めしたい一枚だ。

 ところで、斎藤晴彦と高橋悠治の『冬の旅』が聴きたいなあ。
 関西では、公演はないのかなあ。
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2007年02月17日

物は考えよう?

 ☆モーツァルト:序曲集
  コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン
  1998年録音
  <RCA>82876 76235 2(再発盤)

 今日購入したばかりの、コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏による、モーツァルトの序曲集のCDを聴く。

 正直言って、冒頭の『フィガロの結婚』序曲を聴き始めた時は、あれっ「外れ」かなと思ってしまった。
 と、言うのも、最近流行のピリオド奏法を援用した解釈に慣れた耳には、この演奏があまりにも微温的に感じられたからだ。
(どこかもやもやとした録音、というか、リマスタリングも大きく災いしている)
 で、続く、『バスティアンとバスティエンヌ』、『劇場支配人』でもその印象はあまり変わらなかったのだが、4曲目の『ルーチョ・シッラ』あたりから、「おやこれは」と思えるようになってきた。
 コリン・デイヴィスは、表層的な激しさを求めるのではなく、モーツァルトの音楽の持つ多様な側面のうち、負のエネルギーを丹念に描き込もうとしているのではないかと感じられたのだ。
(特に、そうした趣きは、後半の『イドメネオ』や『皇帝ティートの慈悲』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔法の笛』などに強く表れているのではないか)
 むろん、かつてイギリスのオーケストラと録音した同種の序曲集<EMIレーベル>と比較すれば一聴瞭然のように、コリン・デイヴィスの老いがこの演奏に少なからぬ影響を与えていることも確かな事実で、そうした点も含めて、大きく好みが分かれるかもしれないと思う。

 様々なモーツァルト演奏に親しんだ方にこそお薦めしたい一枚だ。
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2007年02月12日

誰にでも得手不得手はある

 ☆ブラームス:交響曲第2番、悲劇的序曲
  ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団
  1990年録音
  <PHILIPS>432 094−2

 昨日購入した、ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団の演奏による、ブラームスの交響曲第2番と悲劇的序曲のCDを聴く。

 ハイティンクとボストン交響楽団のブラームスといえば、許光俊のいう「百貫デブがおどけているような」ダサさ(『クラシックCD名盤バトル』<洋泉社新書y>より)の体現、とでも評したくなるような交響曲第1番のCDをすでに持っているが、こちらは作品が作品だけになかなか堂に入った演奏に仕上がっていると思う。
 特に、たっぷりと時間をとって悠然とした音楽を生み出した第1楽章などは、個人的には好感が持てる。
(ブラームスの交響曲第2番の第1楽章は、僕の大好きな音楽の一つなのだ)
 一方、悲劇的序曲には、ところどころ第1番に通じる重たさを感じた部分もなくはないが、基本的にはスケールが大きくまとまりのよい演奏になっているのではないだろうか。
 中古で、税込み1200円程度までなら、安心してお薦めできる一枚だ。
posted by figarok492na at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絢爛豪華じゃあるけれど

 ☆ムソルグスキー:『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)、『はげ山の一夜』
  リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団
  1990年録音
  <PHILIPS>432 170−2

 今日購入した、リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏による、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)と交響詩『はげ山の一夜』の入ったCDを聴く。

 一言で言って、絢爛豪華、ドラマティックでエネルギッシュ、パワフルな演奏だと思う。
 リカルド・ムーティの骨太な音楽づくりは相変わらずだし、フィラデルフィア管弦楽団も技術的にはほぼ問題のない仕上がりになっている。
 ただ、無理を承知で比べるならば、例えば、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの演奏が持つような、作品に対する繊細で鋭敏な読み込みはあまり感じられない。
 まあ、力強く威勢のいいオーケストラ演奏を愉しみたいむきには、安心してお薦めできる一枚だ。

 ところで、これは余談だけれど、国内盤のブックレットの表紙がムーティのポートレートだったのに対し、こちら輸入盤のほうは、モダアンを装った、その実ポンチ画すれすれのイラストが使用されている。
 なんとも趣味が悪い…。
posted by figarok492na at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

ワインガルトナーのベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:交響曲第1番、第2番他
  フェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィル他
  <NAXOS>8.110856

 昨日購入した、フェリックス・ワインガルトナーの指揮するベートーヴェンの交響曲第1番(ウィーン・フィル)と第2番(ロンドン交響楽団)を中心にしたCDを聴く*。
 *他に、『レオノーレ』序曲第2番(ロンドン交響楽団)、『フィデリオ』序曲(ロンドン・フィル)、『アテネの廃虚』序曲(ロンドン交響楽団)、『プロメテウスの創造物』序曲(ウィーン・フィル)が収録されている。

 フェリックス・ワインガルトナーは、20世紀前半のオーストリアを代表する指揮者の一人で、ウィーン・フィルとの「第九」を始め、当時としては数多くの録音を残している。
(また、作曲活動も行っていて、近年、CPOレーベルから、その管弦楽曲が継続的にリリースされてもいる)
 このCDには、彼が得意としたベートーヴェンの作品が収められているが、基本的には比較的速いテンポで、まとまりのよい音楽が造り上げられていると思う。
 また、序曲では劇場感覚もしっかりと発揮されていて、間然とするところがない。
 フルトヴェングラーやトスカニーニのような鮮烈さはないものの、予想以上に聴き応えのある内容ではないだろうか。
 音質(復刻)もなかなかのもので、個人的には、その点でもあまり気にならなかった。
 大推薦とまでは言えないが、機会があれば、ぜひご一聴をお薦めしたい一枚である。
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2006年11月03日

ショルティのハイドン

 ☆ハイドン:交響曲第96番「奇跡」、第101番「時計」
  ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィル
  1981年、デジタル録音
  <DECCA>417 521−2
  税込み 693円(中古)

 昨日購入した、ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルの演奏による、ハイドンの交響曲第96番と第101番のCDを聴く。

 交響曲第96番と第101番は、ハイドンの2回のロンドン滞在中に作曲された、いわゆる「ロンドン(ザロモン)・セット」に含まれる交響曲で、いずれも、ハイドンの作曲技法の進化が明らかに示された作品だと評することができるだろう。
(作曲に関する経緯や、ニックネームの起源については、専門書などをご参照いただきたい)

 で、何を今さらショルティのハイドンなんて、と目をむく、もしくは呆れるクラシック・ファンの方も少なくないかと想像するが、俵孝太郎が『新・気軽にCDを楽しもう』<コスモの本>で指摘しているように、>彼の芸風から一般的に想像されるような、牛刀をもって鶏を割くようなところがない、すっきりした<演奏だと、当方も思った。
 もちろん、第2楽章(緩徐楽章)や第3楽章(メヌエット)における、旋律の歌わせ方・フレーズの処理には、「古さ」、「大仰さ」、「角々っぽさ」を感じたことも事実だが、両端楽章のシンフォニックでドラマティックな音楽づくりは、作品の持つ一面を巧く表していると思うし、テンポ感もよく、聴いていて爽快である。
(これは、オーケストラがシカゴ交響楽団ではなく、ロンドン・フィルであることも大きいかもしれない)

 中古で、税込み800円程度までならお薦めできる一枚だ。
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2006年10月26日

石丸寛のCDを聴く

 ☆『威風堂々/舞踏へのお誘い』
  石丸寛指揮東京都交響楽団
  <DENON>38C37−7304/国内盤

 今日購入した、石丸寛指揮東京都交響楽団の演奏による『威風堂々/舞踏へのお誘い』というCDを聴いたのだけれど、さて、何から書き始めようか。

 石丸寛は、今は亡き日本を代表する指揮者の一人で、アマチュア・オーケストラとの、ネスカフェ・ゴールドブレンド・コンサート*1で広く知られていた。
(デビューを飾ったのが九大フィルか九州交響楽団の前身かだったこともあって九州での演奏会も多く、地元長崎のアマチュア・オーケストラ、長崎交響楽団もしばしば振っていたはずだが、残念ながら、僕は結局一度も石丸さんの指揮するコンサートに接することができなかった)
 また、岩城宏之ほどではなかったものの、文筆活動も積極的に行っていて、亡くなる少し前に、指揮の先生である山田一雄について記した短いエッセイが朝日新聞に掲載されていたと記憶している。
 九州交響楽団や九大フィルの定期演奏会の記録をひもといたり、最晩年の演奏活動を思い起こせばわかるように、石丸さんは本格的なシンフォニーにも当然取り組んだにもかかわらず、いわゆるポピュラーな名曲・小品の演奏、言い換えると「クラシック音楽の啓蒙活動」に熱心だったために、そちら専門の指揮者と目されることもしばしばだったようにも思う。

 この『威風堂々/舞踏へのお誘い』は、石丸寛にとってたぶん唯一のスタジオ・セッションでのデジタル録音のCDなはずだが*2、タイトルにもなっているエルガーの行進曲『威風堂々』第1番とウェーバーの『舞踏へのお誘い』(ベルリオーズ編曲)をはじめ、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『マドンナの宝石』間奏曲第1番、ヴェルディの歌劇『椿姫』第1幕前奏曲、チャイコフスキーのスラヴ行進曲、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ、ハチャトゥリアンのバレエ音楽『ガイーヌ』から「剣の舞」「子守歌」「バラの乙女たちの踊り」と、やはりポピュラーな管弦楽曲が集められている。
(このCDが発売されたのは、LPからCDへの移行期間にあたる1984年の12月だが、LP時代にはたびたび企画されていた日本人指揮者と日本のプロオーケストラの演奏によるこうした名曲集は、これ以後ほとんど録音されなくなってしまう*3)

 で、本当ならば、「石丸寛の熱のこもった指揮もあって、非常に聴き心地のよい、愉しい一枚になっている」と記したいところなのだが、正直言って、そこまで素晴らしい内容の録音とは僕には言い切れない。
 と、言うのも、今から20年以上前の東京都交響楽団の演奏は、どうしても柔軟性が不足しているため、聴いていてあまり心が乗らないからだ。
(特に、スラヴ行進曲がひどい)
 『マドンナの宝石』や『椿姫』、舞踏へのお誘いのようなウェットで情感にあふれた音楽は、なかなか聴き応えがあったにしてもである。

 懐かしさもあって、個人的には買って損をしたとはちっとも思わないけれど(税込み693円だったし)、一般的には「ノスタルジー」を求める方か石丸寛の熱狂的なファン以外にはあまりお薦めできない一枚だ。

 *1:石丸さんも、「違いのわかる男」の一人だったはずだ。
 *2:最晩年の、東京交響楽団とのブラームスの交響曲第4番やドイツ・レクイエムのライヴ録音が発売されたことはある。
 *3:その原因としては、CDの登場によるクラシック音楽の聴き方の変化を第一にあげるべきだろう。
 また、こうした名曲小品集の録音自体は、このCD以後も国内レーベルによって企画されたのだが、ちょうどバブル期と重なったこともあって、海外の指揮者と海外のオーケストラが起用されるようになった。
 例えば、以前ここでとり上げたことのあるチャールズ・グローヴズ指揮フィルハーモニア管弦楽団による録音の他、東芝EMIのフィルハーモニア管弦楽団やヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン州立管弦楽団による録音がそれだ。
(そうした企画も、バブル崩壊以後の経済不況の中で、ほぼ消滅してしまったが)
posted by figarok492na at 22:39| Comment(2) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

またまたコンパクトなベートーヴェン

 ☆ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、第2番
  イエフィム・ブロンフマン(ピアノ)
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
  <ARTE NOVA>82876 82587 2

 交響曲にはじまり、ミサ・ソレムニス、序曲集、そして一連の協奏曲と進んだアルテ・ノヴァ・レーベルのデヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の「ベートーヴェン・チクルス」の特徴は、何と言っても、軽さ、コンパクトさ、聴きやすさにあるのではないだろうか。
 もちろん、その軽さは軽薄さとは無縁の、充分に考え抜かれた上での軽さであって、単純単調な演奏とも一線を画しているのだけれど。
 今回購入した、ピアノ協奏曲第1番と第2番は、そうしたジンマンによるベートーヴェン演奏の特性、美質がくっきりと表れた一枚になっていると思う。
 なぜなら、作品の持つ軽やかさ、快活さ、古典性がジンマンの解釈とよくあって、非常に聴き心地のよい音楽を生み出しているからだ。
 加えて、ベートーヴェンのベートーヴェンたるゆえんである、ドラマティックな雰囲気やリリカルな雰囲気にも欠けてはいない。
 いくぶん不安定に聴こえる箇所もなくはないが、ブロンフマンも、ジンマンの解釈に添った、クリアな演奏を行っている。
 まさしく、CDで聴くにはうってつけの一枚だが、この一枚が、何と税込み690円で手に入るというのだから、これは安すぎだ。
 大推薦!
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2006年08月21日

コジェナーが歌うモーツァルトのアリア集

 ☆モーツァルト:アリア集
  マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
  ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
  サイモン・ラトル指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
  <ARCHIV>477 5799

 メゾ・ソプラノのマグダレーナ・コジェナーが歌うモーツァルトのアリア集のCDを購入した。

 公私ともに親密な関係にあるサイモン・ラトルとの録音ということでも話題の一枚だが、乙羽信子と新藤兼人、岡田茉莉子と吉田喜重、岩下志麻と篠田正浩を持ち出さずとも、そんなことよくある話。
 要は、CDを聴いて愉しめるか否かなのであって、聴き手の側までいちいち大はしゃぎする必要はあるまい。
(「って、まんまひっかかっとるやないのおたく」、と呼ぶ声あり)

 コジェナーは一応メゾ・ソプラノに分類されているが、このCDでは、高音部まで伸びる声質を活かして、『フィガロの結婚』(スザンナ)の「とうとう待ってた時が来た…さあ、早く来て、いとしい人よ」と、その代替アリア「あなたを愛している人の望みどおり」や、『コシ・ファン・トゥッテ』(フィオルディリージ)の「あの方は行く…恋人よどうぞ許して』、『イドメネオ』(イリア)の「いつ果てるのでしょう」など、本来ソプラノ歌手が歌うべきアリアも披露している。
(もちろん、『フィガロの結婚』のケルビーノの二つのアリアなど、メゾ・ソプラノのためのアリアも歌っているが)

 コジェナー自身の素質から言えば、シリアスなアリアをまずは挙げるべきだろうが、いずれをとっても、クリアでありながら柔らかさを持った声の美しさと細やかな表現があいまった見事な歌唱で、非常に聴き心地のよい一枚に仕上がっていると思う。
 特に、先述したフィオルディリージのアリアの感情変化の妙は聴きものではないだろうか。
 一方、サイモン・ラトルとエイジ・オブエンライトゥンメント管弦楽団は、テキストを丁寧に読み込んだ伴奏を行っているが、さらなる歯切れのよさを望みたい部分がなくもなかった。
(あと、コンサート・アリア「どうしてあなたを忘れよう…恐れないで、いとしい人よ」では、ジョス・ファン・インマゼールが作品と演奏によく添ったフォルテピアノを聴かせている)

 で、ここからは、あくまでも一定度以上の水準をクリアした上での話として付け加えておくが、例えば、同じメゾ・ソプラノのチェチーリア・バルトリの歌唱が劇場感覚に満ちた「歌役者」のものだとすれば、このコジェナーの歌唱はよい意味で「声楽家」のものだと、僕には感じられる。
(繰り返すが、これはコジェナーという歌手のベースにあるものについての話で、コジェナーがオペラ歌手として演技が下手だといった次元の低いことを口にしたい訳ではない)

 そうそう、あと『フィガロの結婚』の「恋とはどんなものかしら」は、別の録音があるせいかもしれないが、やたらと「装飾」がくっついて、別の何かを聴いているみたいだった。
 一度聴く分には面白いけれど、何度も繰り返して聴くCDという意味からは、ちょとうっとうしいなあ。
 コジェナーは巧いんだけど。

 とはいえ、モーツァルト・イヤーに相応しい一枚であることは確かだろう。
 機会があれば、ご一聴をお薦めしたい。
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2006年07月09日

ショスタコーヴィチの室内楽曲

 ☆ショスタコーヴィチ:ピアノ5重奏曲、ピアノ3重奏曲第2番
  エリザベート・レオンスカヤ(ピアノ)
  ボロディン・カルテット
  <TELDEC>4509−98414−2

 昨日購入した、ショスタコーヴィチのピアノ5重奏曲とピアノ3重奏曲第2番の入ったCDを聴く。

 単純に聴けば、ともに「純音楽的」な作品だと評することになるだろう。
 5重奏曲のほうは、いわゆる新古典派的な雰囲気を持つ、シンプルでありながら巧緻に構成された作品であり、3重奏曲のほうも、ショスタコーヴィチらしい音型が数多く登場する密度の濃い作品に仕上がっている。

 だが、本当に「純音楽的」な作品というものは存在するのだろうか?
 例えば、第2次世界大戦中に作曲され、親友の評論家ソレルチンスキーの追悼のために捧げられた3重奏曲に引用されたユダヤ的な旋律を、ただ「純音楽的」なものとして、僕は聴くことができない。
 少なくとも、この2曲の室内楽曲が、シリアスな内容を秘めた作品だと、僕は思う。
(もちろん、思い込みは禁物だけれど)

 レオンスカヤとボロディン・カルテットは、一言で表すと「真摯」な演奏を行っているのではないか。
 ボロディン・カルテットの渋い音色と、レオンスカヤの硬質な表現は、時に重苦しく感じられる部分もなくはないが、作品の持つ性質を適確に描いていることも確かである。

 選曲、演奏ともに、ショスタコーヴィチ・イヤーには相応しい一枚。
 中古で税込み662円は安い。
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2006年05月08日

コンパクトな皇帝

 ☆ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
          合唱幻想曲
          カンタータ『静かな海と楽しい航海』
  イエフィム・ブロンフマン(ピアノ)
  デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団他
  <ARTE NOVA>82876 82585 2

 昨日購入した、イエフィム・ブロンフマンとデヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」他のCDを聴く。
 「皇帝」は、華麗なピアノ独奏に加え、充実したオーケストラ伴奏もあって、ベートーヴェンのピアノ協奏曲中、と言うよりも、あまたあるピアノ協奏曲の中でも傑作の誉れの高い作品である。

 ブロンフマンとジンマンのコンビは、作品の持つ豪壮さや巨大さといったイメージには不足するものの、シャープで統一感のとれた、コンパクトな「皇帝」像を描き上げていると思う。
 当然、ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の伴奏には、ピリオド奏法の影響を指摘することができるが、ここではブロンフマンとともに、非常にシンプルで聴き心地のよい演奏を行っているということを、僕は重視したい。
(ブロンフマンの独奏は、テクニック的に万全でありながら、これ見よがしさがない点で好感が持てる)

 交響曲第9番のひな形となった合唱幻想曲や、ゲーテの詩によるカンタータ『静かな海と楽しい航海』(静と動の対比が面白い)でも、ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、隙のない引き締まった音楽を聴かせている。
 また、ジンマンの楽曲解釈によく添った清澄感にあふれるスイス室内合唱団の活躍にも、この二つの作品に関しては触れておかなければなるまい。

 「皇帝」にある種の幻影を求める方には物足りなさの残る録音かもしれないけれど、素直に音楽を愉しみたいという方には、全く問題のない一枚だろう。
 新譜セール中ということで、税込み700円程度で入手することが可能なはずだから、迷わず購入されることをお薦めしたい。
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2006年03月27日

ヒロシマを聴く

 ☆大木正夫:『日本狂詩曲』、交響曲第5番「ヒロシマ」
  湯浅卓雄指揮新日本フィル
  <NAXOS>8.557839J

 昨日購入した、大木正夫の『日本狂詩曲』と交響曲第5番「ヒロシマ」の入ったCDを聴く。
 このCDのメインとなる、交響曲第5番は、丸木位里、俊夫妻による『原爆の図』に触発されて作曲された作品で、タイトルの通り、直接的には広島への原子爆弾投下が、さらには原子爆弾そのものの恐怖も、描かれている。
 作品の性格上、真摯で深刻な表現が全編繰り広げられていることは言うまでもないが、同じ大木正夫が作曲した、カンタータ『人間をかえせ』(峠三吉の詩による)のような「言葉」がない分、作品の持つ「前衛性」が明確に表されているようにも感じられた。
 湯浅卓雄は、作品の本質を十全に把握した楽曲解釈を行なっており、新日本フィルの演奏にも、基本的には不満がない。
(新星日本交響楽団が現存すれば、彼彼女らこそが演奏に最も相応しかっただろうな、とも思ったりはしてしまったものの)
 一方、『日本狂詩曲』は、太平洋戦争前に作曲された陽気な曲調の作品で、大木正夫の作曲技法の妙を再認識させるとともに、「ヒロシマ」の陰惨な世界と見事なコントラストを生んでいる。
 言わずもがなのことではあるが、片山杜秀による解説は、非常に詳細かつ精緻で何読もの価値があると思う。
 「ヒロシマ」だから、ということだけではなく、日本の作曲家の作品に触れるという意味からも、できるだけ多くの方々にご購入いただきたいCDだ。
(余談だが、『日本狂詩曲』の冒頭に、佐藤勝による映画『日本の熱い日々』のための音楽を思い出してしまった)
posted by figarok492na at 12:16| Comment(2) | TrackBack(1) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

シャープなシューベルト

 ☆シューベルト:弦楽4重奏曲第15番、ノットゥルノ
  タカーチュ・カルテット
  アンドレアス・ヘフリガー(ピアノ)
  <DECCA>452 854−2

 昨日購入した、シューベルトの弦楽4重奏曲第15番とピアノ3重奏のためのノットゥルノの入ったCDを聴く。
 弦楽4重奏曲第15番は、全曲で50分近くかかる大曲で、抒情的な旋律や「転調」といったシューベルトらしいあれこれがふんだんに盛り込まれた作品であるとともに、その構成等から、後のブルックナーの登場さえも予感させる内容になっている。
 ハンガリー出身の中堅弦楽4重奏団、タカーチュ・カルテットは、非常に引き締まった、シャープでクリアな音楽づくりを行なっているのではないだろうか。
 シューベルトの音楽に「優しさ」を求める人たちには、少々「鋭く」聴こえてしまうかもしれないが、個人的には、テキストの読み込みの鋭い、聴き応えのある演奏だと思う。
 一方、アンドレアス・ヘフリガーの加わったピアノ3重奏のためのノットゥルノは、作品の穏やかな性格が丁寧に表現されていて、弦楽4重奏曲第15番のアンコールとしてもぴったりのように感じられた。
 税込み580円で手に入れることができたCDだけれど、中古で税込み1200円程度までなら、充分お薦めできる一枚である。
posted by figarok492na at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする