2014年05月18日

アルティス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲

☆ベートーヴェン:弦楽4重奏曲第1番&第15番

 アルティス・カルテット
(1991年11月/デジタル・セッション録音)
<SONY>SK48058


 ウィーンの弦楽4重奏団・アルティス・カルテットが、ベートーヴェンの初期と後期の弦楽4重奏曲を1曲ずつ演奏したアルバム。
 アルティス・カルテットといえば、リゲティなどいわゆる現代音楽にも優れた録音を残してきたが、このベートーヴェンでも、彼らのアンサンブルの凝集力というか、まとまりのよさ、音楽の勘所のとらえ方のよさが充分に発揮されている。
 ただし、シャープでソリッドなハーゲン・カルテットや、ピリオド・スタイルを援用してスピーディーでクリアなアルテミス・カルテットよりも、よりオーソドックスというか、ウェットさ、リリカルさ、歌唱性を感じるのがアルティス・カルテットの特性魅力とも言えるだろう。
 すでに20年以上も前の録音なので、「今現在の」と言い切ってしまうのにはどうしても躊躇するが、古めかし過ぎず新し過ぎもしない、よい意味での中庸な演奏を求めるむきには安心してお薦めできる一枚である。
 録音も悪くない。
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オールトが弾いたヨハン・クリスティアン・バッハの6つのソナタ集作品番号17

☆ヨハン・クリスティアン・バッハ:6つのソナタ作品番号17

 フォルテピアノ独奏:バート・ファン・オールト
(2013年6月、9月/デジタル・セッション録音)
<BRILLIANT>94661


 6つのソナタ作品番号5に続いて、オランダのフォルテピアノ奏者オールトが録音したヨハン・クリスティアン・バッハの作品集である。
 作品番号5から約10年後の1777年に刊行されたソナタ集だけれど、より古典派の規矩に従うというか、筆遣いの洗練度合いが高まった明晰で快活な音楽に仕上がっている。
 オールトも、そうした作品の要所急所をきっちりと押さえて、実に聴き心地がよく劇性にも富んだ演奏を繰り広げている。
 ピリオド音楽好きや、古典派の陽性な音楽好きな方には大いにお薦めしたい一枚だ。

 そうそう、これまでにハイドンやモーツァルト、フィールドの夜想曲(ショパンの夜想曲の先達)などをリリースしているオールトには、ぜひともベートーヴェンやシューベルトの作品を録音してもらいたい。
 よろしくお願いします!
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2014年05月01日

ミロシュが弾いたアランフェスの協奏曲

☆ロドリーゴ:アランフェスの協奏曲&ある貴紳のための幻想曲他

 独奏:ミロシュ・カラダグリッチ(ギター)
 伴奏:ヤニク・ネゼ=セガン指揮ロンドン・フィル
(2013年9月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・グラモフォン/マーキュリー・クラシックス>481 0652


 モンテネグロ出身の新鋭ミロシュ・カラダグリッチが、ギタリストにとっては避けては通れないロドリーゴのアランフェスの協奏曲と、同じくロドリーゴのギターと管弦楽のための佳品、ある貴紳のための幻想曲を弾いたアルバムだけれど、これはCDのカバー(表側)とバックインレイ(裏側)の写真が全てを物語っているのではないか。

 ハリウッド・スターを彷彿とさせるイケメンのミロシュ・カラダグリッチが、ギターを構えてななめを向いているカバー。
 そして、アランフェスよりもひときわ大きいMILOS(Sの上には∨みたいな記号)の文字。
(まあ、指揮者のスタニスワフ・スクロヴァチェフスキだって、ミスターSの略称で呼ばれているしね。ちなみに、モンテネグロがらみで記すと、かつてのユーゴスラヴィアの王家はカラジョルジェヴィチ家だ。あいた、舌噛んじゃった)

 で、裏はといえば、ギターを背中に抱えたミロシュが、スペインの荒野(だろう)の中、一人ギターを抱いた渡り鳥状態でたたずむ遠景だもんね。

 つまるところ、今風にパッケージされたかっこいい演奏であり、録音ってことですよ。
 ミロシュのテクニックは、アランフェスとある貴紳のための幻想曲との間に挟まれた、3つの独奏曲、ファリャの『ドビュッシーの墓碑銘のための賛歌』と『三角帽子』の粉屋の踊り、ロドリーゴの『祈りと踊り』も含めて万全そのものだし、これまた新鋭ネゼ=セガンが指揮したロンドン・フィルも、そんなミロシュにぴったりの洗練された切れのよい伴奏を行っている。
 やたらと分離のよい録音(オケ付きのほうは、ロンドンのアビーロード・スタジオでの録音)もあって、なんだかポップスやら映画音楽寄りの感じもしないではないが、CDは音の缶詰、まさしく録音芸術と考えれば、文句もあるまい。

 それこそスペインの大地の土の臭いのするような演奏をお求めの向きや、イケメンなんて糞喰らえ、俺はチャールズ・ブロンソンみたいな「ぶちゃむくれ」(byみうらじゅん)の御面相のギタリストの演奏じゃないと聴きたかねえやという向き以外、すっきりすかっとしたアランフェスの演奏録音を愉しみたいという方には大いにお薦めしたい一枚である。
posted by figarok492na at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月27日

グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番〜第7番

☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番〜第7番

 ピアノ独奏:グレン・グールド
(1964年/アナログ・セッション録音)
<SONY/BMG>8697147952


 グールドが、ベートーヴェンの作品番号10のピアノ・ソナタ3曲(第5番、第6番、第7番)を収めたアルバムだ。
 モーツァルト同様、ここでもグールドの「我が道をゆく」スタイルは徹底されているが、モーツァルトよりもベートーヴェンに親近感を抱いているためか、作品の結構(旨味)を結構意識した演奏に仕上がっているように思う。
(三幅対というか、3つのソナタを一つながりの作品としてとらえているかのようにも感じられる)
 もちろん、ベートーヴェンの音楽の持つ劇性、活き活きとした感じが一層強調されていることは、言うまでもない。
 実に躍動感に富んだ録音である。
 ベートーヴェンの初期のソナタを愉しく聴きたいという方には、強くお薦めしたい一枚だ。
(なお、オリジナルのマスターテープによるものだろう、若干ノイズが多いので、演奏そのものよりも音質が気になるという向きはご注意のほど)
posted by figarok492na at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グールドが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番他

☆モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番、第10番、第12番、第13番

 ピアノ独奏:グレン・グールド
(1965年〜1970年/アナログ・セッション録音)
<SONY/BMG>8697148162


 グレン・グールドが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタについては、すでに有名なトルコ行進曲つきのソナタ(第11番)が入ったアルバムについて先日ある程度記しておいたので、ここでは繰り返さない。

 モーツァルトにとって数少ない短調のソナタのうち、まだ若い頃に作曲されたイ短調のソナタ(第8番)の、特に第1楽章をグールドがどう演奏するかを確かめたくてこのCDを買ったのだが、いやあやっぱりすごかった。
 繰り返しもなしにあっけなく終わってしまう第1楽章など、これがグールドでなかったら、いやグールドであったとしても、「おふざけなさんな!」とお腹立ちになる向きもあるかもしれないが、僕はその乾いて、それでいながら、やたけたでなんでもかでも掻き毟ったり、物をぶつけまくったりしたくなるような感情のどうしようもなさがよく表われたこのグールドの演奏が好きだ。
 他に収録された3つのソナタも同様に、毒にも薬にもの薬にはならなくて、毒そのものの演奏なんだけど、こういった音楽の毒と真正面から向き合うことも自分には必要なんじゃないかなと改めて思った。

 それにしても、継ぎ接ぎだらけ(ソナタ1曲でも、レコーディングが長期に亘って行われている)にもかかわらず、「生」な感じに圧倒されるのも、グールドの録音の不思議さだ。

 ところで、毒とは無縁、よい意味での教科書的なモーツァルトの演奏としては、ブルガリア出身のスヴェトラ・プロティッチ(同志社女子大学で教えていたことがあり、関西フィルの定期で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の実演に接したこともある)が弾いたピアノ作品集<KING>KICC3527を挙げておきたい。
 1991年の没後200年のモーツァルト・イヤーがらみでリリースされたアルバムが、1000円盤で再発されたものである。
 こういった演奏があるからこそ、毒はより引き立つのだし、逆に毒があるからこそ基本、ベーシックとなるものの意味もはっきりするのではないか。
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2014年04月17日

マナコルダが指揮したシューベルトの交響曲第3番&未完成

☆シューベルト:交響曲第3番&第7番「未完成」

 指揮:アントネッロ・マナコルダ
管弦楽:カンマーアカデミー・ポツダム
(2011年4月、6月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG>88691960642


 イタリア・トリノ出身の指揮者アントネッロ・マナコルダとドイツ・ベルリン近郊のポツダムを本拠地とする室内オーケストラ、カンマーアカデミー・ポツダムが進めているシューベルトの交響曲全集のうち、2012年にリリースされた第一段、第3番と第7番「未完成」が収録されたアルバムを聴いたが、これは思わぬ掘り出し物だった。

 マーラー・チェンバーオーケストラで長年コンサートマスターを務めた経験も手伝ってか、マナコルダは若いアンサンブルとともに、いわゆるピリオド・スタイルを援用した(ホルン、トランペット、ティンパニはピリオド楽器を使用)、清新な響きの音楽を生み出している。

 第3番では、ロッシーニの喜歌劇を想起させるかのような明快で躍動感にあふれた両端楽章(音楽の流れを重視したのか、第1楽章では序奏部の繰り返しを行っていない)と第3楽章が聴きものだが、第2楽章の緩やかな部分での表情の変化もまた魅力的である。

 一方、「未完成」交響曲では、従来のオーソドックスな演奏と比較すれば速めのテンポはとられつつも、作品の持つシリアスな要素、内面のひだのようなものが強く意識された演奏となっており、シューベルトの一連の歌曲にもつながる寂寥感を覚える。

 カンマーアカデミー・ポツダムは、ソロ・アンサンブルともに優れた出来で、マナコルダの意図によく沿った演奏を行っているのではないか。

 収録時間は46分程度と比較的短いが、内容の密度の濃さを考えれば全く不満はない。
 録音もクリアであり、今現在のベーシックなシューベルト演奏に親しみたいという方には大いにお薦めしたい一枚だ。
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ゼフィロが演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲&ファゴット協奏曲他

☆モーツァルト:オーボエ協奏曲、ファゴット協奏曲他

 指揮:アルフレード・ベルナルディーニ
 独奏:アルフレード・ベルナルディーニ(オーボエ)
 独奏:アルベルト・グラッツィ(ファゴット)
 独奏:マッシモ・スパダーノ、マウロ・ロペス(ヴァイオリン)
管弦楽:ゼフィロ・オーケストラ
(2006年12月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・ハルモニアムンディ>88697924082


 ピリオド楽器の管楽アンサンブルというと、ソニー・クラシカルのVIVARTEシリーズに数々の録音を残したモッツァフィアートをすぐに思い起こすが、あちらがインティメートで親和力に富んだアンサンブルを売りにしていたとすれば、こちらゼフィロは活発でエンターテインメント性に富んだアンサンブルを売りにしているのではないか。
(実際、ゼフィロは来日コンサートでも演奏中にいろいろ仕掛けてきたらしい。あいにく接することはできなかったが)
 弦楽器奏者を加え、設立者のアルフレード・ベルナルディーニとアルベルト・グラッツィがソロを務めた、このモーツァルトの協奏曲集でも、そうしたゼフィロの特性はよく発揮されていると思う。

 まずベルナルディーニの吹き振りによるオーボエ協奏曲では、ピリオド楽器のオーボエの素朴な音色が魅力的だ。
 そして、伴奏の管楽器陣が随所で威勢のよさを示しているのも面白い。

 一方、ファゴット協奏曲では、グラッツィの軽快明敏なソロが冴える。
 優れた喜劇役者の独り語りを聴いているかのような愉しさだ。
 そして、第2楽章でのおかかなしさ。

 そうそう、最後に収められた2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネも忘れちゃいけない。
(てか、この曲が一番の聴きものかも)
 スパダーノ、ロペスのヴァイオリンのほか、ベルナルディーニのオーボエもソロ的に加わって、伴奏のアンサンブルともども、流れがよくって活きがよい音楽を生み出している。

 モーツァルトの陽性な作品の魅力が存分に詰め込まれたアルバムで、モーツァルト好き、管楽器好き、ピリオド楽器好きにはなべてお薦めしたい。
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2014年04月10日

ウェラー・カルテットが演奏した『モーツァルトのカルテット・パーティ』

☆モーツァルトのカルテット・パーティ

 演奏:ウェラー・カルテット
(1967年3月、4月/アナログ・セッション録音)
<タワーレコード/DECCA>PROC-1401


 ドイツの名指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットの子息で、レコード・プロデューサーのエリック・スミスは、中でもモーツァルト作品に優れた企画を遺したが、この『モーツァルトのカルテット・パーティ』もスミスがDECCAレーベル在籍中に完成させた一連の企画のうちの一枚である。

 モーツァルトの友人でアイルランド出身のテノール歌手、マイケル・ケリーの回想録中にある、ハイドン(第1ヴァイオリン)、ディッタースドルフ(第2ヴァイオリン)、モーツァルト(ヴィオラ)、ヴァンハル(チェロ)ら作曲家が弦楽4重奏を演奏したカルテット・パーティ(イギリスの作曲家、スティーヴン・ストーラスが1784年に開催)を再現したもので、モーツァルトの第3番ト長調、ハイドンの第3番ニ長調、ディッタースドルフの第5番変ホ長調、ヴァンハルのヘ長調が収録されている。
 で、これがモーツァルトやハイドンの後期の作品となるとまた感想も大きく変わってくるのだろうけれど、いずれも古典派の様式に忠実なインティメートな雰囲気に満ちあふれた耳なじみのよい音楽に仕上がっており、甲乙がなかなかつけ難い。

 艶やかな音色を誇るウェラー・カルテットも、音楽の緩急要所急所をよく心得た演奏で、そうした作品の持つ特性魅力を巧く表わしている。
 マスタリング(ハイビット・ハイサンプリング)の成果もあってか音質も優れており、古典派の弦楽4重奏曲をオーソドックスな演奏で愉しみたいという方には安心してお薦めできるアルバムだ。

 そうそう、このアルバムが嬉しいのは、カップリングもそうだけど、ブックレットにLPのオリジナルジャケットと同じデザイン(レーベルマークも含めて)がきちんと使用されていること。
 オリジナルを歌いながら、オリジナルのジャケットデザインが斜めを向いて倒れたり、端のほうでちっちゃくなって縮こまっていたりするエセ・オリジナルCDをまま見かけるが、ああいうものは本当に見苦しい。
 そもそもそういった部分にもこだわる人間だからこそCDを購入するわけで(そうじゃなきゃ、ネットでダウンロードすればすむ話だもん)、LPオリジナルには何も足さない、LPオリジナルからは何も引かないの基本姿勢で、レーベル側(企画者)にはのぞんで欲しい。
posted by figarok492na at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グレン・グールドが弾いたモーツァルト

☆モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番、第16番、第15番他

 演奏:グレン・グールド(ピアノ)
(1965年〜1972年/アナログ・セッション録音)
<SONY/BMG>8697148242


 昔の人は言いました いやよいやよもすきのうち。

 とは、畠山みどりのヒットナンバー『恋は神代の昔から』(星野哲郎作詞、市川昭介作曲)の一節で、今のご時世、セクハラすけべい親父でさえ口にしづらいフレーズではあるが、グレン・グールドが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ集を耳にしていると、ついそんな言葉を口にしてみたくなる。

 と、言うのも、このグールド、なんとモーツァルトが好きではない、嫌いだと公言していたからである。
(許光俊『世界最高のピアニスト』<光文社新書>の「第11章 グレン・グールド」等)
 で、確かにそんな自らの好悪の感情もあらわに、このアルバム(ちなみにLP初出時と同じカップリングで、ブックレットのデザインもLPのオリジナルジャケットによる)でもグールドはやりたい放題をやっている。
 未聴の方もおられるだろうから、あんまりネタは割りたくないが、例えば有名なトルコ行進曲(第11番の第3楽章)なぞ、そのあまりのテンポの遅さ、ぎくしゃくとした感じにげげっと驚くことは間違いなしだ。
(一音一音、音の動きつながりがよくかわるので、僕は思わず斎藤晴彦が歌っていた『トルコ後進国』の歌詞を口ずさんでしまったほどである)
 一方、ソナチネでおなじみ第16番(旧第15番)など、速さも速し。
 省略もあったりして、あっという間に曲が終わってしまう。
 ただ、そうしたあれやこれやから、これまで見落とされがちだった別の側面が巧みに描き出されていることも事実で、幻想曲ニ短調K.397の展開の独特さと美しさ、ソナタ第15番(旧第18番)におけるバッハからの影響等々は、グールドの楽曲解釈だからこそ鮮明に表わされているものだとも思う。

 モーツァルトが好きな方にもそうでない方にも、一聴をお薦めしたい一枚。


 ところで、グールドはイギリスのポップシンガー、ペトゥラ・クラークの歌(『恋のダウンタウン』他)の分析を通してアイデンティティ論を展開したことがあるそうだが*、冒頭の『恋は神代の昔から』をもしグールドが聴いていたら、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』や大好きな夏目漱石(特に『草枕』がそうだったそう)を絡めつつ、一種独特な恋愛論を展開したかもしれない。
(んなこたないか…)


 *宮澤淳一「グレン・グールドとその周辺」より(『クラシック輸入盤パーフェクト・ガイド』<音楽之友社>所収)
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2014年03月26日

トン・コープマンのバッハの管弦楽組曲全曲

☆ヨハン・セバスティアン・バッハ:管弦楽組曲全曲

 指揮、チェンバロ:トン・コープマン
管弦楽:アムステルダム・バロック・オーケストラ
(1997年1月、4月/デジタル・セッション録音)
<ERATO>0630-17868-2


 軽さも軽し躁々し。

 G線上のアリアへの編曲で有名なアリア(エア)が含まれた第3番や、フルート独奏が活躍する第2番など、ヨハン・セバスティアン・バッハの代表的なオーケストラ作品である管弦楽組曲全曲(第3番、第1番、第2番、第4番の順で収録)を、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラが演奏したアルバムについて一言で表わすとしたらそのようになるだろうか。

 かつてのカール・リヒターのような重厚な演奏に比べれば、少々上滑りして聴こえなくもないだろうが、ピリオド楽器の細やかな音色にコープマンの軽快な音楽づくりが加わって、実に聴きなじみのよい活き活きとした演奏に仕上がっていることもまた事実だ。
 少なくとも、作品本来の舞曲性が巧くとらまえられた演奏であることは、まず間違いあるまい。

 弦楽管楽ともに達者だし、第2番でのヴィリベルト・ハーツェルツェトのフラウト・トラヴェルソのソロも見事というほかない。
 録音もクリアでコープマンらの演奏によくあっている。
 僕は輸入盤の中古を431円で入手したが、国内盤の新品も1000円でリリース中だ。
 バッハって、なあんか重苦しいやと敬遠しているむきには、特にお薦めしたい一枚である。
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2014年03月24日

ライトナーとバイエルン放送交響楽団のモーツァルト

☆モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」&第31番「パリ」他

 指揮:フェルディナント・ライトナー
管弦楽:バイエルン放送交響楽団
(1959年4月/アナログ・セッション録音)
<タワーレコーズ/ドイツ・グラモフォン>PROC-1244


 ベルリン・フィルの終身指揮者に選ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンと契約を結んだことが大きな契機となって、それまでヨーロッパのローカル・レーベル的な存在であったドイツ・グラモフォンは、一躍世界的なメジャー・レーベルへと変化した。
 だがその陰で、徐々に録音の表舞台から姿を消して行った一群の指揮者がいた。
 後年NHK交響楽団への客演で我が国でもなじみ深い指揮者となったフェルディナント・ライトナーも、その一人である。
 ベルリン・フィルを振ってヴィルヘルム・ケンプを伴奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(ケンプにとっては再録音)や、同じくベルリン・フィルとのプフィッツナーの管弦楽曲集など、これぞドイツの職人技とでもいうべき手堅い音楽づくりで敗戦直後のドイツ・グラモフォンの屋台骨を支えたライトナーだったが、かえってその彼の美質が、国際化を進めるドイツ・グラモフォンにとってはあまり魅力とならなかったのかもしれない。
(それでも、1969年には、バイエルン放送交響楽団らとブゾーニの歌劇『ファウスト博士』を録音したりもしているが)

 タワーレコードのヴィンテージコレクションでCD化がなったバイエルン放送交響楽団とのモーツァルトの交響曲集(第36番「リンツ」と第31番「パリ」のほか、バレエ音楽『レ・プティ・リアン』の序曲が収められている)は、ライトナーという指揮者の特性がよく表われた一枚だ。
 いわゆるピリオド・スタイルとは無縁だけれど、足取りの重いべたつく行き方とも一線を画しており、モーツァルトの長調の作品の持つ陽性や劇性、音楽の要所急所が巧く押さえられた耳なじみのよい演奏に仕上がっている。
 バイエルン放送交響楽団もソロ、アンサンブルともに優れた出来であり、マスタリングの成果だろう、55年前の録音にもかかわらず、音質の難を予想以上に感じない。
 収録された3つの曲をよくご存じの方にこそお薦めしたい一枚である。

 そうそう、ライトナーといえば、1988年の12月16日に京都会館第1ホールで、NHK交響楽団との第38回NTTコンサートを聴いたことがあった。
 徳永二男のソロによるヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番というオール・ブラームス・プログラムで、それこそライトナーの職人技に接することができると期待していたのだが、京都会館第1ホールの劣悪な音響より前に、ちょうど同じ日にBUCK-TICKか何かのライヴが第2ホールで開催されていて、彼らのどんやんどわどわという重低音が耳障り以外の何物でもなく(バンドの音楽自体が耳障りってことじゃないので、悪しからず。クラシック音楽を聴きに来たのにこれはないわ、ということ)、ちっとも音楽を愉しむことができなかった。
 今もって無念を感じる出来事である。
posted by figarok492na at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

フォルテピアノによるヨハン・クリスティアン・バッハの6つのソナタ作品番号5

☆ヨハン・クリスティアン・バッハ:6つのソナタ作品番号5

 独奏:バート・ファン・オールト(フォルテピアノ)
(2013年2月、6月/デジタル・セッション録音)
<BRILLIANT>94634


 いわゆる大バッハ、ヨハン・セバスティアン・バッハの11男にあたるヨハン・クリスティアン・バッハは、バロックから古典派への橋渡し役の一人として、また幼い日のモーツァルトに少なからぬ影響を与えた人物として知られるが、鍵盤楽器のために作曲した6つのソナタ作品番号5(変ロ長調、ニ長調、ト長調、変ホ長調、ホ長調、ハ短調)も、そうした彼の性質がよく表われた作品となっている。
 まず第1番の第3楽章を聴けば、その飛び跳ねるような快活な音楽には、どうしてもモーツァルトを思い出さざるをえないだろう…。

 なあんて、小難しいことはいいか。
 ロマン派以降の深淵を穿って穿って穿ち過ぎて、という激しい感情表現とは無縁だけれど、明快な音楽の中にほんの僅かな翳りがあることも事実だし、第6番(唯一の短調)の第2楽章など、ヨハン・セバスティアンの色濃い影響がうかがえて実に興味深い。

 オールトは、作品の構造をうまくとらえつつ劇性に富んだ演奏を繰り広げていて、全く過不足ない。

 ヨハン・クリスティアン・バッハの音楽なんて聴いたことない、という方にも大いにお薦めしたい一枚だ。

 なお、オールトが弾いたヨハン・クリスティアン・バッハの6つのソナタ作品番号17が、まもなく同じレーベルからリリースされる。
 こちらも、非常に愉しみである。
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2014年01月31日

アバドとベルリン・フィルのブラームスのセレナード第1番

☆ブラームス:セレナード第1番

 指揮:クラウディオ・アバド
管弦楽:ベルリン・フィル
(1981年5月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・グラモフォン>410 654-2


 先日亡くなったクラウディオ・アバドが指揮したブラームスのセレナード第1番といえば、自らが創立したマーラー・チェンバーオーケストラとのライヴ録音が強く印象に残る。
 ブラームスが若書きした、勇壮で明快、しかしときにメランコリックな音楽を活き活きと再現して、とても聴き心地がよかった。

 で、今回とり上げるのは、同じアバドの指揮でも、1981年に録音されたベルリン・フィルとの一回目の録音である。
 カラヤン治世下のベルリン・フィルということもあってか、非常に安定感の強いアンサンブルで、マーラー・チェンバーオーケストラを性能のよいサイクリング用自転車と評するならば、こちらは明らかに高級乗用車、それも大型の、と評したくなる。
 デジタル初期のドイツ・グラモフォンレーベルの録音に顕著なじがじがもわっとした音質も加わって、どうしても重たさを感じないわけにはいかないが、作品の要所急所をしっかり押さえた演奏に仕上がっていることも事実だろう。
 アバドの音楽解釈の変遷と継続を知る上でも貴重な録音であることは確かだ。

 なお、アバドは同じくベルリン・フィルと1967年に第2番を録音しているが、結局再録音は果たさなかった。
 交響曲ともども、上述したマーラー・チェンバーオーケストラ、もしくはモーツァルト管弦楽団、ルツェルン祝祭管弦楽団などとぜひ再録音して欲しかったと思う。
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2014年01月24日

ショルティが指揮したハイドンのびっくり交響曲と軍隊交響曲

☆ハイドン:交響曲第94番「驚愕」&第100番「軍隊」

 指揮:ゲオルク・ショルティ
管弦楽:ロンドン・フィル
(1983年11月、12月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>411 897-2


 ゲオルク・ショルティがロンドン・フィルと遺したハイドンのザロモン・セット(ハイドンがロンドンの音楽興行師ザロモンのために作曲した12曲の交響曲)のうち、驚愕のニックネームで知られる第94番と軍隊のニックネームで知られる第100番の2曲を収めたCDを聴く。

 って、驚愕と軍隊といえば、昨年末にシュテファン・ザンデルリンクとロイヤル・フィルのCDを購入したばっかりだけど、あなたクリアでスマートスポーティなハイドンなら、こなたクリアでパワフルスポーティなハイドンとでも評することができるだろう。
 音楽の処理、例えばフレーズの終わりで弦が「うういん」とうなるような感じ等、若干古さを覚えないわけではないのだが、がたいのいい男が小刻みなドリブルでこまめにシュートを重ねているかのような、大柄でありながら見通しのよい演奏は嫌いじゃない。
 特に、シンフォニックなハイドンをお求めの方にはお薦めしたい一枚だ。

 そうそう、たぶんザロモン(ロンドン)・セットということに加え、音楽の軽重の判断もあって、同じショルティの手兵のうちロンドン・フィルが起用されたのだろうけど、今となっては、シカゴ交響楽団とのばりばりぐいぐいのハイドンを聴いてみたかった気もしないではない。
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2014年01月15日

アレクセイ・リュビモフがフォルテピアノで弾いたモーツァルト

☆モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番〜第6番他

 独奏:アレクセイ・リュビモフ(フォルテピアノ)
(1990年1月/デジタル・セッション録音)
<ERATO>2292-45618-2


 ロシア(旧ソ連)出身のピアノ奏者アレクセイ・リュビモフがフォルテピアノを駆使して録音したモーツァルトのピアノ・ソナタ全集のうち、第4番変ホ長調KV282(189g)、第5番ト長調KV283(189h)、第6番ニ長調KV284(205b)の、デルニッツ男爵の依頼によって作曲されたいわゆる「デルニッツ・ソナタ」中の3曲と、アレグロKV400(372a)のつごう4曲を収めた第2集を聴いた。

 10代後半に書かれた長調のソナタということで、陽性かつ軽快な音楽となっているのだが、リュビモフの手にかかると、単に底なしの明るさではなく、そうした明るさの中からちょっとした表情の変化、ちょっとした翳り、ちょっとした含みのようなものがじんわりと浮き出してくる。
 特に第6番の長い終楽章、主題と変奏は、リュビモフの真骨頂というか、彼の音楽のとらまえ方さばき方の巧さがよく表われていて強く印象に残った。
 また、展開部にゾフィーとコンスタンツェ(モーツァルトの夫人コンスタンツェとその妹ゾフィーのことだろう)という言葉が書き込まれているアレグロの感情の迸りも面白い。

 フォルテピアノ(クロード・ケルコムによるヨハン・アンドレアス・シュタインのレプリカ)の細やかな音色ともども、音楽の愉しみに満ちた一枚だ。
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グレン・グールドが弾いたリヒャルト・シュトラウス

☆リヒャルト・シュトラウス:ピアノ・ソナタ&ピアノのための5つの小品

 独奏:グレン・グールド(ピアノ)
(1982年7月、9月&1979年4月、8月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG>8697148562


 リヒャルト・シュトラウスが10代後半に作曲したピアノ・ソナタロ短調作品番号5とピアノのための5つの小品作品番号3をグレン・グールドが弾いた珍しいアルバムである。
 そして、ピアノ・ソナタは、グールドの人生最後の録音でもある。

 後年金の匙でも銀の匙でも作曲し分けてみせると豪語したほどの完成度は当然ないものの、ベートーヴェンの運命交響曲を想起させるような連打で始まるピアノ・ソナタの第1楽章を皮切りに、いずれも若き日のリヒャルト・シュトラウスの強い創作意欲が十二分に発揮された作品となっている。
 グールドは、そうした作品の勘所をよくつかまえるとともに、作品の持つロマンティシズムや歌唱性を巧みに描き出すことで、とても聴き応えのあるアルバムを造り出した。

 グールド好きはもちろんのこと、そうでないクラシック音楽好きにも充分お薦めできる一枚である。
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ゴルトベルク変奏曲 グレン・グールドの再録音

☆ヨハン・セバスティアン・バッハ:ゴルトベルク変奏曲

 独奏:グレン・グールド(ピアノ)
(1981年4月、5月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG>8697148532


 1955年6月の鮮烈なモノラル録音でデビューしたグレン・グールドが、最晩年(と、言っても50歳前だが)になってデジタル再録音したヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲を聴く。

 一気呵成とでも評すべきデビュー盤のテンポ設定とは対照的に、グールドはゆっくりと踏みしめ噛みしめるように冒頭のアリアを奏でる。
 それから、ときに激しく強弱のコントラストをつけつつ、ときに歌うように、バッハが仕掛けた要所急所をさらにデフォルメさせたりするりとかわしたりしながら、グールドは演奏を構成していく。
 そして、最後の最後に、再びゆっくりとしたアリアが訪れる。

 ああ、音楽を聴いた。
 という単純な感想が全てだ。
 何度聴いても聴き飽きない演奏録音で、音楽好きの方にはなべてお薦めしたい一枚である。
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2013年12月30日

ザ・ラストナイト・オブ・ザ・プロムス・コレクション

☆ザ・ラストナイト・オブ・ザ・プロムス・コレクション

 指揮:バリー・ワーズワース
 独唱:デッラ・ジョーンズ(メゾ・ソプラノ)
 合唱:ロイヤル・コラール・ソサエティ
管弦楽:BBCコンサート管弦楽団
(1996年1月/デジタル・セッション録音)
<PHILIPS>454 172-2


 ロンドン音楽界の夏の夜の風物詩といえば、どでかいロイヤル・アルバート・ホールで連日開催されるプロムス(BBCプロムス)ということになるが、中でももっとも有名な最終夜(ラストナイト・オブ・ザ・プロムス)をスタジオ録音で再現したのが、このCD。

 エルガーの行進曲『威風堂々』第4番に始まって、ウォルトンの戴冠行進曲『王冠』、エルガーのエニグマ変奏曲から美しい第9変奏「ニムロッド」、ホルストの『我が祖国よ、私は誓う』(惑星の木星の有名な旋律に愛国的な歌詞をのせたもの。平原綾香のJupiterの元ネタっぽく聴こえて仕方ない)、ヴォーン=ウィリアムズのグリーンスリーヴズの主題による幻想曲、エルガーの『朝の歌』、エリック・コーツの『ロンドン』から第3曲(行進曲)、ヘンデルの戴冠式アンセムから合唱曲、クラークのトランペット・ヴォランタリー、かつてのプロムスを代表する指揮者ヘンリー・ウッドが作曲した『イギリスの海の歌による幻想曲』(『埴生の宿』や、ヘンデルの『見よ、勇者は帰る』の旋律がまんま登場する)、アーンの『ルール・ブリタニア』、エルガーの『威風堂々』第1番の合唱付き、パリーの『ジェルサレム』、そしてイギリス国歌『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』でしめるという、まさしくプロムスのラストナイトの雰囲気が存分に味わえること間違いなしの一枚だ。

 正直、レナード・スラットキンならずとも、その愛国心の称揚には辟易しなくもないのだが、ばらばらなものを一つに繋ぎとめるためにはそんな仕掛けも必要だろうということは想像に難くないし、それより何より、音楽そのものが陽性勇壮で聴きやすい。
(ふと、『軍艦行進曲』や『愛国行進曲』といった作品が居並んで、『君が代』でしめるという日本版プロムスのラストナイトを想像してしまった。このご時世、全くありえない話でないのが…)

 ワーズワースとBBCコンサート管はツボをよく押さえた演奏で、過不足がない。
 イギリス音楽好き、のみならず、理性の働く愛国心をお持ちの方々には、安心してお薦めしたい。
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すっぴんの美しさ ガーディナーが指揮したビゼーの『アルルの女』と交響曲

☆ビゼー:交響曲&劇音楽『アルルの女』抜粋

 指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
管弦楽:リヨン歌劇場管弦楽団
(1986年11月/デジタル・セッション録音)


 ビゼーの『アルルの女』といえば、作曲者自身とギローが編曲した組曲版が有名だが、このCDでは、その原曲にあたる劇音楽の中から、第1番前奏曲、第7番パストラーレ、第12番メロドラマ、第14番マエストーソ、第16番メヌエット、第22番メロドラマ、第16番bカリヨン、第17番メロドラマ、第23番メロドラマ、第19番ファランドールの10曲を抜粋し順番を入れ換えて録音している。

 組曲版のシンフォニックな構えと異なり、もともと小編成を想定して作曲された音楽だけに、ある種の素っ気なさを感じないこともないが、すっぴんの美しさというか、ビゼーの作曲の巧さや旋律の美しさが、より引き立っているように感じられることも事実だ。
 それには、カリヨンのシンプルな美、ファランドールの小気味よさなど、ガーディナーによるピリオド・スタイルを援用した音楽づくりも忘れてはなるまいが。
 交響曲も軽快かつ清々しい演奏で、とても聴き心地がよい。

 中古CDを500円で手に入れたのだけれど、これまた掘り出し物。
 『アルルの女』の組曲に慣れ切った人にこそ聴いて欲しい一枚である。
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シュテファン・ザンデルリンクの若々しいハイドン

☆ハイドン:交響曲第100番「軍隊」&第94番「驚愕」他

 指揮:シュテファン・ザンデルリンク
管弦楽:ロイヤル・フィル
(1994年6月/デジタル・セッション録音)


 モダン楽器オーケストラの機能を存分に活かした若々しいハイドン。

 一言で評するならば、そういうことになるだろうか。
 ちょうど手元になかったハイドンの大有名交響曲、軍隊シンフォニーとびっくりシンフォニーの中古CDが250円で出ていたので思わず買ってしまったのだけれど、これは思わぬ掘り出し物だった。
 いわゆるピリオド・スタイルとは一線を画すものの、シュテファン・ザンデルリンク(ちなみに、クルト・ザンデルリンクの子息)のきびきびとして流れがよく、しかも鳴らすべきところはしっかり鳴らす音楽づくりが功を奏して、実に爽快な演奏に仕上がっている。
 ロイヤルも安定した出来で、ニックネームの由来となっている二つの交響曲の第2楽章や、カップリングの『ラ・フェデルタ・プレミアタ(報われた誠意)』序曲での管楽器群の陽気な強奏など、まさしく面目躍如だと思う。
 録音も演奏によくあってクリアだし、ピリオド・スタイルはちょっと、でも古いタイプの演奏ももういいや、というむきには特にお薦めしたい一枚だ。
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2013年11月30日

我まとめるゆえに我あり ジンマン指揮の『英雄の生涯』と『死と変容』

☆リヒャルト・シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』&『死と変容』

 指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2001年1月、2月/デジタル・セッション録音)
<Arte Nova>74321 85710 2


 我思うゆえに我あり。
 とは、おなじみデカルトの命題で、さすがは私、自己自我意識が尊ばれるヨーロッパらしい。
 と、感心してみせたが、まあ、命題は命題、理念型は理念型(byマックス・ウェーバー)、ヨーロッパの人たち全般をそうした自己自我意識の確立した人と規定してしまうのもどうかとは思うし、ましてやそれを俺が我がの我がまま勝手と解しちゃまずいだろうが。
 ただ、いわゆる芸術家となれば話は別で、俺が我が、己の表現表出欲求に長けた人々とにらんでもまず間違いはあるまい。
 中でも、ベートーヴェン以降、ロマン派の作曲家たちには、我作曲するゆえに我あり、とでも呼ぶべき自己表現と自己表出を強く感じる。
 で、ドイツの後期ロマン派を代表するリヒャルト・シュトラウスなんてその最たるもの、だって交響詩『英雄の生涯』なんて自分を英雄に見立てた私交響詩的色合いの強い作品を作曲してるんだもの!

 って、つらつらと記してみせたけど、これってどうなんすか?
 確かに、一見『英雄の生涯』は自己顕示欲の表われみたいな作品だけど、その実そんな自分をからかってみせる皮肉なまなざしだって十二分に含まれているように僕には思われてならないのだ。
 我疑うゆえに我あり。
 それに、リヒャルト・シュトラウスはオーケストラやオペラの現場をよく知った(と、言うことは演奏家や歌手たちの我がまま勝手もよく知っていた)職人なわけで、『英雄の生涯』一つとっても、ここは押してここは譲ってといった演奏者たちとのかけ引きが聴こえるような気がする。
 我さばくゆえに我あり。
 だから、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルのようなそれいけどんどん、我統べるゆえに我あり的な演奏でこの曲を聴くと、いやあ凄いねと思う反面、ちょっとげんなりしてしまうことも事実だ。
 君にはあれが見えないのか?(by榎木津礼二郎)

 ところが、デヴィッド・ジンマンと手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による録音ならば無問題。
 クリアでスマート、すっきりすいすいテンポのよい演奏で、げんなりすることなく最後まで聴き終えることができる。
 と、言って無味乾燥とは正反対、作品の要所急所、構造をしっかりきっちりと押さえた演奏で、リヒャルト・シュトラウスの音の仕掛けが明示されている。
 我まとめるゆえに我あり。
 この曲に形成肉のような脂臭さを求めるむきにはお薦めできないが、リヒャルト・シュトラウス、『英雄の生涯』というタイトルだけで敬遠している方々にこそぜひともお薦めしたい一枚だ。

 カップリングの『死と変容』も、作品の結構を巧くつかまえた演奏。
 強奏部分に到る音の動き、流れが特に魅力的である。
 こちらも、大いにお薦めしたい。

 なんて、我聴くゆえに我ありだなあ。
 いや、我書くゆえに我ありかなあ。
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2013年10月24日

「外省」的な音のドラマ ヴァレリー・ゲルギエフの悲愴と『ロメオとジュリエット』

☆チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲『ロメオとジュリエット』

 指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
管弦楽:サンクト・ペテルブルク・マリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団
(1997年7月/デジタル・セッション録音)
<PHILIPS>456 580-2


 いつの間にかPHILIPSレーベルもDECCAレーベルに吸収され、何を今さら15年近くも前にリリースされたCDを、の感なきにしもあらずだが、ちょうど手元に悲愴交響曲と『ロメオとジュリエット』のCDがなかったこともあって購入した一枚。
 まあ、50パーセント・オフに釣られたっちゃ釣られたんだけどね。

 一言で表わせば、劇場感覚に満ちた演奏。
 あと少し詳しく説明するならば、チャイコフスキーが歌劇『スペードの女王』や『エフゲニ・オネーギン』、そして三大バレエといった舞台音楽の優れた造り手だったことを教えてくれる演奏、ということになるだろうか。
 まさしく、両作品の持つ劇性、音のドラマの要所急所をよく押さえた演奏である。
 中でも、悲愴第3楽章など、あとに第4楽章が控えていることがわかっていても、生なら思わず拍手してしまいそうな迫力だし、第1楽章中盤の衝撃(トラック1の10分過ぎあたり)の決まり具合も見事というほかない。
 また第1楽章第2主題や『ロメオとジュリエット』での美しい旋律の歌わせ方も堂に入っている。
 ただ、悲愴の第4楽章や『ロメオとジュリエット』の強奏部分で特に感じることなのだけれど、技術的にどうこうというよりも、音楽のとらえ方、表現の仕方が大づくりというか、若干表面的な効果に傾き過ぎているように思われないでもなかった。

 いずれにしても、「外省」的に優れた音楽づくりと演奏で、両曲をエネルギッシュでドラマティックな音楽の劇として愉しみたい方々には大いにお薦めしたい。
 録音もクリアだ。
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2013年10月17日

ゲルハーエルとケント・ナガノのマーラー

☆マーラー:声楽曲集

 独唱:クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン)
 指揮:ケント・ナガノ
管弦楽:モントリオール交響楽団
(2012年1月/デジタル・ライヴ録音)
<SONY/BMG>88883701332


 大地の歌で優れたコンビネーションを発揮した、ドイツ出身のバリトン歌手クリスティアン・ゲルハーエルとケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団による、マーラーの声楽曲集(さすらう若者の歌、亡き子をしのぶ歌、リュッケルトの詩による5つの歌曲)である。
 すでにゲルハーエルは、ゲロルト・フーバーのピアノ伴奏でマーラーの声楽曲集を録音していたし、さすらう若者の歌にいたってはハイペリオン・アンサンブルとシェーンベルク編曲の室内アンサンブル伴奏版すら録音しているが、今回のアルバムは、まさしく満を持してというか、ゲルハーエルのマーラー歌唱の現段階での集大成とでも呼ぶべき充実した内容となっている。
 上述したハイペリオン・アンサンブルとの若々しい歌声に比べれば、若干声の経年変化は否めないのだけれど、細部までよくコントロールされる歌唱の根幹はそのままに、より表現に厚みと安定感を加えていることも、また確かな事実だろう。
 例えば、亡き子をしのぶ歌での悲嘆と諦念、リュッケルトの5つの詩の第1曲「私の歌をのぞき見しないで」の蠱惑的なと言ってもよいような歌いまわし等、ゲルハーエルの成熟ぶりがよく示されているのではないか。
 一方、ハレ管弦楽団を指揮した、同じくドイツ出身のバリトン歌手ディートリヒ・ヘンシェルとのマーラーの声楽曲集では、ヘンシェルに合わせて鋭角的な音楽づくりを行っていたケント・ナガノだが、こちらのアルバムでは、ゲルハーエルの歌唱によく沿って柔軟な演奏を繰り広げており、亡き子をしのぶ歌の第2曲「なぜそんなに暗い眼差しか、今にしてよくわかる」でのホルンのソロなど、モントリオール交響楽団もその美質を十全に発揮している。
 管弦楽伴奏による男声のマーラーの声楽曲集のファーストチョイスとして、ぜひともお薦めしたい一枚だ。
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ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューベルトのザ・グレート

☆シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」

 指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2011年5月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG[RCA]>88697973982


 デヴィッド・ジンマンと手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によって進められてきたシューベルトの交響曲全集の掉尾を飾るのが、この交響曲第8番「ザ・グレート」である。
 これまでの7曲と同様、金管楽器とティンパニにピリオド楽器を用い、強弱メリハリの効いた速めのテンポ設定と、いわゆるピリオド・スタイルをとった演奏となっている。
 指揮者の解釈に加え、オーケストラの特性の違いもあって、同じくピリオド奏法を援用したトーマス・ヘンゲルブロックとハンブルクNDR交響楽団の演奏と比べると、いくぶんこじんまりとまとまった感じはしないでもないが、シャープでクリアな音楽づくりは、きびきびとして聴き心地がよい。
 また、同じ組み合わせのベートーヴェンの交響曲全集(第5番や第7番)でもそうであったように、第1楽章や第2楽章等の管楽器のソロで即興が加えられているなど、音楽的な仕掛けが要所要所で施されている点も、やはり聴き逃せない。

 そういえば、交響曲全集の完結とともに、5枚組セットが3000円(HMV)で発売される予定だ。
 予想していたとはいえ、一枚一枚丹念に買い集めてきた人間としては、少々悔しさを感じざるをえないことだが、統一された楽曲解釈によるシューベルトの交響曲全曲の優れた演奏を手ごろな値段で購入したいというむきには、これほどぴったりのセットもないものと思う。
 大いにお薦めしたい。
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2013年09月26日

アーノンクールが指揮したハイドンの交響曲集

☆ハイドン:交響曲第30番「アレルヤ」、第53番「帝国」、第69番「ラウドン」

 指揮:ニコラウス・アーノンクール
管弦楽:コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン
(1990年6月/デジタル・セッション録音)
<TELDEC>9031-76460-2


 ニコラウス・アーノクールがTELDECレーベルに録音した一連のハイドンの交響曲のうち、第30番、第53番、第69番の3曲を収めたCDを聴く。
 もっとも有名なザロモン・セット(第93番〜第104番。ほかに第68番も)はコンセルトヘボウ管弦楽団との録音だから、今のところアーノンクールと手兵のコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンとは、第6番〜第8番、第45番「告別」と第60番「ばかおろか」、第31番「ホルン信号」、第59番「火事」、第73番「狩り」、その後のドイツ・ハルモニアムンディ・レーベルへのパリ・セット(第82番〜第87番)を録音しているだけだ。
 このCDでの演奏を聴けば、そのことがとても残念に思えて仕方がない。
 第1楽章で聖週間に歌われるグレゴリオ聖歌の旋律が引用されていることから「アレルヤ」、当時人気があったオーストリア陸軍のラウドン元帥にあてこんだ「ラウドン」、そしてどうしてそうなったかが不明の「帝国」と、それぞれニックネームの付いた三つの交響曲だが、いずれも陽性で壮麗、実に聴き心地がよく活気のある音楽となっている。
 アーノンクールとコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンは、そうした作品の特性をよく活かし、動と静のメリハリがよくきいた劇性に富んだ音楽を造り上げているのではないだろうか。
 指揮者の意図によく沿ったアンサンブルとともに、管楽器のソロも聴きものである。
 ハイドンの中期の交響曲の面白さを識ることのできる一枚。
 音楽好きには、なべてお薦めしたい。
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緩徐楽章が特に魅力 エロイカ・カルテットのシューマン

☆シューマン:弦楽4重奏曲第1番〜第3番

 エロイカ・カルテット
(1999年12月/デジタル・セッション録音)
<ハルモニアムンディ・フランスUSA>HMU907270


 デビューしてそれほど間もない頃の、イギリスのピリオド楽器による弦楽4重奏団、エロイカ・カルテットが録音したシューマンの弦楽4重奏曲全曲だ。
 簡単にまとめるならば、ピリオド楽器の持つ繊細でウェットな音色を活かした、インティメートな雰囲気の濃厚な演奏、ということになるだろうか。
 もちろん、音楽の文脈に応じて動と静との対比もよく考えられているのだけれど、例えば、モダン楽器のハーゲン・カルテットのような「寄らば斬るぞ」、触れてはならじ虻蜂とらじといった風情の一気呵成、鋭く激しいぎすぎすした感じはない。
 いずれの曲でも、歌謡性に富んだ緩徐楽章の演奏が強く印象に残った。
 じっくり室内楽を愉しみたいという方に大いにお薦めしたい一枚である。
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2013年08月29日

山田一雄と日本フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲

☆山田一雄と日本フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲

 *交響曲第3番「英雄」&モーツァルト:歌劇『後宮からの逃走』序曲
<タワーレコード>TWCO-1013

 *交響曲第5番&第7番
<タワーレコード>TWCO-1014


 ヤマカズさんの愛称で知られた山田一雄の録音が、タワーレコードから系統立ててリリースされている。
 今月は、日本フィルとの1980年代の演奏がまとめて発売されたが、そのうちベートーヴェンの交響曲を集めた2枚を聴いた。
 なお、交響曲第3番「英雄」は1988年4月4日の第100回名曲コンサートの、交響曲第5番は1986年4月11日の第381回定期演奏会の、交響曲第7番とモーツァルトの序曲は1988年2月29日の第398回定期演奏会の、それぞれライヴ録音である。

 ヤマカズさんというと、激しい身振り手振りに唸り声と、まさしく熱演爆演系の指揮者と見なされていて、実際いずれの作品でもあの指揮姿を彷彿とさせる熱のこもった演奏を繰り広げているのだけれど(第5番の第2楽章では、山田一雄の踏み込むような音すら聴こえるほどだ)、その根本には、作品の構造を明晰に再現するという新古典派流の音楽のとらえ方があるように感じられる。
 そして、ブックレット中にも引用されたインタビューにもあるように、自分自身の楽曲解釈をよく表現しきるための手段として、あの「踊るから笛吹いてくれ」と言わんばかりの身振り手振りに唸り声があったのではないかとも僕は思う。
 中でもそうした山田一雄の姿勢が如実に示されているのが、交響曲第3番「英雄」ではないだろうか。
 作品の要所急所と劇的な性格を押さえつつ、音楽の流れを重視した演奏で、最晩年のヤマカズさんと大阪センチュリー交響楽団による「英雄」(1991年3月15日の第4回定期演奏会)も、確かにこのCDと同様に見通しのよい音楽づくりだったことを思い出した。

 もともと記録用に録音された音源だが、リマスタリングの成果もあってか、思ったほどには音質に不満は感じない。
 ただし、東京文化会館での第5番と第7番、モーツァルトの序曲は、サントリーホールでの第3番に比して、相当乾いた音質であることも事実だ。
 金管と打楽器の強奏が一層粗く感じられるのも、このことが大きく関係していると思う。

 いずれにしても、山田一雄という指揮者音楽家の特性を識ることのできるCDで、東京フィルや東京交響楽団、読売日本交響楽団、東京都交響楽団、新日本フィルなどとの録音のリリースも強く期待したい。
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2013年07月31日

ヘンゲルブロックが指揮したシューベルトの「ザ・グレート」

☆シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」

 指揮:トーマス・ヘンゲルブロック
管弦楽:ハンブルクNDR交響楽団
(2012年9月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG>8883729982


 絶好調のトーマス・ヘンゲルブロックとハンブルクNDR交響楽団によるリリース三枚目は、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。

 どうせピリオド・スタイルを用いたせせこましい演奏なんでしょう?
 と、思うと、これがさにあらず。
 確かに、楽節の処理や楽器の鳴らし方など、細部ではしっかりきっちり丁寧にピリオド・スタイルが援用されているのだけれど、一方で、本来この交響曲の持つ大らかさ伸びやかさ歌謡性も失われていない。
 初めて耳にした際は、昔々カール・ベーム指揮ベルリン・フィルの演奏に触れたときのような、わくわく感を覚えたものだ。
 オーケストラも、ソロ・アンサンブル両面でヘンゲルブロックの音楽づくりによく応えていて見事である。
(マクロとミクロのバランスのよさは、もしかしたらヘンゲルブロックが、バッハの受難曲のような声楽曲の大曲を得意としていることと深く関係しているかもしれない)

 この交響曲を聴き慣れた方にも、そうでない方にも大いにお薦めしたい一枚。


 できれば、ヘンゲルブロックとハンブルクNDR交響楽団のコンビには、ブルックナーの交響曲(第4番や第7番)をセッション録音してもらいたいなあ。
 のちのブルックナーを予感させる「ザ・グレート」を聴けば、なおさらのことそう思う。
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ノリントンとチューリヒ室内管弦楽団によるストラヴィンスキー

☆ストラヴィンスキー:『兵士の物語』組曲他

 指揮:ロジャー・ノリントン
管弦楽:チューリヒ室内管弦楽団
(2012年1月、3月、6月/デジタル録音)
<SONY/BMG>8725470102


 ロジャー・ノリントンと新たな手兵チューリヒ室内管弦楽団によるリリース一枚目は、ストラヴィンスキーの作品集。
 ノリントンにとって念願だったという『兵士の物語』の組曲のほか、協奏曲「ダンバートン・オークス」(委嘱者の居住地がここだったため。後年のダンバートン・オークス会議とは無関係)、ダンス・コンチェルタンテという新古典派時代の作品を中心としたカップリングがまずもって嬉しい。
 例えば、シャルル・デュトワ指揮モントリオール・シンフォニエッタの録音<DECCA>(ただし、『兵士の物語』は除く)と比べると、ノリントンの意図的な音楽づくりもあるとはいえ、いくぶんアンサンブルの精度に関して気になる点もなくはないが、作品の持つ仕掛け、コンチェルト・グロッソ的な愉悦感やジャズの影響などはよくとらえらえれていると思う。
 特に、『兵士の物語』でのヴァイオリンや管楽器、ドラムの活躍ぶりは、聴きものだ。
 録音もクリアで、とても聴き心地がよい。
 この調子で、ぜひ『プルチネッラ』あたりもリリースしてもらいたい。

 ちなみに、youtubeにノリントンとチューリヒ室内管弦楽団のコンサート(ダンバートン・オークスやモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」等)がアップされている。
 両者のコンビネーションのよさがよく示されているのではないか。
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2013年07月17日

メニューインとロイヤル・フィルが演奏した大管弦楽版のヘンデル

☆メニューインとロイヤル・フィルが演奏した大管弦楽版のヘンデル

 指揮:ユーディ・メニューイン
管弦楽:ロイヤル・フィル
(1986年/デジタル・セッション録音)
<RPO>CDRPO 8002


 名ヴァイオリニストとして知られたユーディ・メニューインは、晩年積極的に指揮者としての活動を繰り広げた。
 ロンドンの五大オーケストラの一つロイヤル・フィルは、そんなメニューインが密接なつながりを持ち続けたオーケストラであり、両者は複数のレーベルに少なからぬ録音を遺している。
 今回とり上げるCDは、ロイヤル・フィルの自主レーベルからリリースされた一枚で、大管弦楽用に編曲された『王宮の花火の音楽』(ベインズ&マッケラス編曲)、『アマリリス』組曲(ビーチャム編曲。ビーチャムはロイヤル・フィルを創設したイギリスの有名指揮者)、組曲『水上の音楽』(ベインズ編曲)が収められている。
(ちなみに、メニューインとロイヤル・フィルは、同様のヘンデルのアルバムをもう一枚録音していた)
 あと数年も経ぬうちに、いわゆるピリオド・スタイルがヘンデルやバッハといったバロック音楽演奏の主流を占めることになるわけで、まさしく貴重な録音と言えるだろう。
 実際、ストコフスキー編曲による『水上の音楽』が録音されたりはしているものの、それはあくまでもストコフスキーというくくりによるもので、ヘンデルの大管弦楽版というコンセプトでの録音は、当方の知る限りほとんど為されていないのではないか。
 バッハのトランスクリプション集を録音したエサ・ペッカ・サロネンとロスアンジェルス・フィルのコンビに期待していたが、結局だめで、こうなったらシャンドス・レーベルで活躍中のアンドルー・デイヴィスあたりの奮起を待つほかあるまい。

 メニューインの若干たどたどしい音楽運びに加え、いくぶんくぐもった音質もあって、それこそ編曲者の一人であるチャールズ・マッケラスだとか、ヴァーノン・ハンドリーの指揮だったら、もっとシンフォニックシンフォニックしたロイヤル・フィルの特性魅力が巧く引き出されていただろうになあと思わずにもいられないのだけれど、堂々麗々とたっぷり鳴らされる『王宮の花火の音楽』の序曲や『水上の音楽』のホーンパイプを聴くと、これぞ「大英帝国」という気分に浸れてしまうのだからなんとも面白い。
(いやまあ、これらの作品の来歴はひとまず置くとしても、ヘンデルのイギリスでの活動、劇場での成果が後代の作曲家たちの音楽語法に影響を与えていることも確かだから、「大英帝国」云々は、あながち的外れなことじゃないのだが)

 大オーケストラでヘンデルの音楽を愉しみたい方には大いにお薦めしたい一枚である。


 なお、『王宮の花火の音楽』や『水上の音楽』の大管弦楽版でより有名なハミルトン・ハーティ編曲を利用した録音としては、ジョージ・セル指揮ロンドン交響楽団<DECCA>(ただし、セル自身による改編あり)、マルコム・サージェント指揮ロイヤル・フィル<EMI>、アンドレ・プレヴィン指揮ピッツバーグ交響楽団<PHILIPS>などが挙げられる。
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2013年06月29日

芥川也寸志の交響曲第1番、交響三章、弦楽のための三楽章

☆芥川也寸志:交響曲第1番、交響三章、弦楽のための三楽章

 指揮:芥川也寸志(交響曲、交響三章)、森正(弦楽のための三楽章)
管弦楽:旧東京交響楽団
(1963年、1961年/アナログ・セッション録音)
<EMI/タワーレコード>QIAG-50106


 坂本九じゃないけれど、この世で一番肝心なのは素敵なタイミングだ。
(ここで九ちゃんがらみのブラックな言葉を一つ挟もうと思ったが、自粛する)

 僕が中学校三年生になって中古LPを集めたり、FM放送のエアチェックを行ったりと、クラシック音楽に本格的にはまり出した頃、芥川也寸志と黒柳徹子の掛け合いが微笑ましいNHKの『音楽の広場』が最終回を迎え、芥川さんは『N響アワー』の司会へと転じた。
 入門編から応用編へ。
 僕のクラシック音楽との向き合い方の変化と時を同じくして、これまたテレビにおけるクラシック音楽の説明の仕方、伝え方を変化させた芥川也寸志は、自分自身のクラシック音楽体験を語る際に、切っても切れない人物の一人ということになった。
 だから、今回とり上げるCDの初出盤が1987年に発売されたとき、迷わず購入することにしたのも、クラシック音楽を親しむきっかけを与えてくれた芥川さんへの敬意の念が大きく働いていたことは、言うまでもない。
 ちなみに、このCDは学生時代繰り返し愛聴していたのだが、ある人物に貸したままそれきりになってしまった。
 その後、LP時代と同様の交響曲第1番と交響三章のカップリングで再発されたことはあるものの、CD初出時のスタイルでリリースされるのは、約26年ぶりということになる。

 このCDには、芥川也寸志自身が指揮した交響曲第1番と交響三章「トゥリニタ・シンフォニカ」、森正が指揮した弦楽のための三楽章「トリプティーク」という、芥川さんにとって出世作、そして代表作と呼ぶべきオーケストラ作品が収められている。
 ロシア・ソヴィエト音楽からの影響丸出しなリズミカルで激しいアレグロ楽章(交響曲は、プロコフィエフの交響曲第5番を明らかに意識したもので、同じ作曲家の交響曲第8番と偽って聴かせても疑わない人がいるんじゃないか)と、東洋的な雰囲気を醸し出す叙情的な旋律との明快なコントラスト等、『八甲田山』や『八つ墓村』といった後年の映画音楽とも共通する、芥川也寸志の作曲の特性がよく示されていて、いずれも耳なじみがよい。
 特に、表面的には紳士然とした芥川さんの内面の躁的な部分が全開となっているように感じられてならない交響曲第1番の第4楽章や交響三章の祝祭的な終楽章は、聴いていて本当にわくわくどきどきしてくる。
 また、森正(1987年に亡くなった。と、言うことは、このCDの初出盤は、彼の追悼盤にもなっていたのか)が指揮したトリプティークも、一気呵成、実にかっこよい。

 交響三章など、湯浅卓雄指揮ニュージーランド交響楽団の演奏<NAXOS>と比較すれば、オーケストラの力量と音楽づくりの精度の高さという点では、残念ながらひけをとるものの、たがの外れ具合、音楽への熱の入り方という点では、こちらも負けてはいないと思う。
 イヤホンで聴くと、どうしても録音の古さは否めないのだが、リマスタリングの効果もあって、作品と演奏を愉しむのに、あまり不満は感じない。

 芥川也寸志の入門にはうってつけの一枚。
 税込み1200円という価格もお手頃だ。


 なお、交響曲第1番と交響三章が録音されたとされる1963年前後、東京交響楽団はRKB毎日・毎日放送の契約を解除され(1962年)、アサヒビール社長の山本為三郎が理事長を退陣し、東芝音楽工業との専属契約を解除され、東京放送・TBSからも契約を解除され(1963年)、ついに解散の発表をよぎなくされ、楽団長でトロンボーン奏者の橋本鑒三郎が自責の念から入水自殺を遂げることとなった(1964年)*。
 その後、東京交響楽団は自主運営の楽団として再建されるのだけれど(だから、あえて旧東京交響楽団と表記している)、日本のオーケストラが辿ってきた歴史を振り返るという意味でもこれは貴重なCDだろう。


*日本フィルハーモニー協会編著『日本フィル物語』<音楽之友社>より
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2013年03月29日

ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ4重奏曲&5重奏曲

☆フォーレ:ピアノ4重奏曲&ピアノ5重奏曲

 演奏:パスカル・ロジェ(ピアノ)、イザイ・カルテット

 *ピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番
(1995年12月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>455 149-2

 *ピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番
(1996年4月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>455 150-2



 そもそも音楽を言葉で表わそうということに無理があるのだけれど、それでも言葉でくどくどと説明したくなるような音楽も、世の中にはやはりある。
 一方で、言葉で説明しようとすればするほど空回り、どうにも嘘臭くなってしまって、はては「言葉が、腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」(byホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』より。岩波文庫)ような、なんとも虚しい想いにとらわれてしまう音楽もある。

 さしずめ、フォーレの室内楽作品、中でもピアノ4重奏曲(2曲)とピアノ5重奏曲(2曲)など、その最たるものではないか。
 端整な表情をしていて日頃は穏やか、ユーモア感覚だってそれなりに持ち合せている。
 けれど、ときとして垣間見える憂いと、心に秘めた激しい感情…。

 ああ、なんとも嘘臭いや!

 いずれにしても、音楽をじっくり愉しみたいと思っている人にはまさしくうってつけの作品だと思う。

 パスカル・ロジェとイザイ・カルテットは、クリアでスマート、それでいて劇性にも富んだ演奏を行っている。
 作品の持つリリカルさを尊重しつつも、粘り過ぎず乾き過ぎず、過度に陥らない音楽解釈でとても聴き心地がよい。
 録音も明快で、フォーレのピアノ4重奏曲とピアノ5重奏曲に親しむのには絶好の二枚だ。
 大いにお薦めしたい。
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2013年03月20日

アルテミス・カルテットのセリオーソとラズモフスキー第1番

☆ベートーヴェン:弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」

 演奏:アルテミス・カルテット
(2005年6月&7月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>7243 5 45738 2 8


 一気呵成はまだしも、猪突猛進って言葉には、なんとも言えない危うさを感じる。
 例えば、目の前に並ぶ鉄砲隊もなんのその、進め進め、進め一億火の玉だ! と突撃して、ばたばたばたばたと倒れる、信玄亡きあとの武田騎馬軍団のような。
(最近の研究では、長篠の戦いの様相って巷間伝わっているようなものではなかったらしいけど)

 で、そんな武田騎馬軍団を想起させるといえば、最晩年のヘルマン・シェルヘンがスイス・ルガーノのスイス・イタリア語放送管弦楽団を指揮して遺したベートーヴェンの交響曲全曲のライヴ録音。
 速いテンポでぐいぐいと、と言えばよく言い過ぎだろう。
 笛吹くから踊ってくれ!
 軍配挙げるから突撃してくれ!
 てな具合の叱咤激励(唸り声が凄い!)で、あまり技量に秀でていないオーケストラを駆り立てるものだから、破れかぶれのはちゃめちゃやたけた。
 壊滅破滅のゲシュタルト崩壊寸前。
 まあ、その迫力気力には、上っ面だけ整えた中途半端に上手な演奏なんかより、何倍何十倍何百倍も、心にぐっとくるものがあるんだけどね。
 でも、一般向きとはちょと言えない。

 こなたアルテミス・カルテットが演奏した、第11番「セリオーソ」と第7番「ラズモフスキー第1番」の2曲の弦楽4重奏曲がカップリングされたアルバムは、速いテンポで一気呵成という点だけならばシェルヘンの交響曲と共通するものの、音楽への向き合い方で大きく異なっている。
 ように聴こえる。
(だいいち、まずもって4人のメンバーが達者だ)

 速いテンポ、という部分は、いわゆるピリオド・スタイルの影響で、さくさく、さ・す・そという感じ。
 メリハリがよく効いていて、名人上手がテニスのダブルスでずっとラリーを続けているような緊迫感と爽快感を覚える。
 もちろん、先達アルバン・ベルク・カルテット譲りの、細密精緻な楽曲把握も忘れちゃなるまいが、アルバン・ベルク・カルテットのようなアナリーゼアナリーゼした感じではなく、インティメートな雰囲気が勝った音楽づくりを行っている点が、耳なじみの良さにつながっていると思う。

 ほどよい残響で、録音もクリア。
 高邁で深淵な精神性を求める向きにはあまりお薦めできないが、ベートーヴェンの一面、音楽そのものとしての劇性面白さを愉しみたい方には大いにお薦めしたい一枚だ。

 それにしてもこのCD(輸入盤)、リリース後、それほど間を置かずに廃盤になってしまったんだった。
 そういう武田勝頼みたいなことをやっているから(あくまでも思い込み)、EMIレーベルといっしょにワーナー傘下に吸収されてしまうんだ、Virginレーベルは。
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2013年03月13日

カール・ベームとウィーン・フィルの来日公演から、ブラームスとワーグナーを聴く

☆ブラームス:交響曲第1番他

 指揮:カール・ベーム
管弦楽:ウィーン・フィル
(1975年3月22日/アナログ・ステレオ・ライヴ録音)
<ドイツ・グラモフォン>UCCG-4489


 独墺系を代表する巨匠指揮者だったカール・ベームが亡くなったのは、1981年の8月14日。
 僕がクラシック音楽をちらちらと気にするようになったのは、それから一年後の1982年頃。
 加えれば、僕がクラシック音楽にどっぷりとはまり込んだのは、さらに二年後の1984年頃。
 つまり、一応同じ時代を生きてはいたものの、僕がカール・ベームの存在に気付いたのは、彼が亡くなってからあとのことだった。
 だから、ベームが晩年の手兵ウィーン・フィルと録音したブラームスの交響曲第2番<ドイツ・グラモフォン/LP>やブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」<LONDON/CD>を愛聴はしつつも、どこか過去の人というイメージをぬぐい去ることはできなかった。
(そうそう、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第39番〜第41番「ジュピター」の廉価LP<fontana>も中古で入手していたが、どうも素っ気ない感じがしてあまり聴き込むことはしなかったっけ)
 そして、年長のクラシック音楽の愛好家の方から、ベームとウィーン・フィルの来日公演は凄かったと聴かされるたびに、僕はベームと自分との時間のずれを改めて強く感じたりもした。

 そんなベームとウィーン・フィルの来日公演のうち、1975年3月のライヴ録音が久しぶりに再発されることとなり、その中から3月22日のコンサートの、ブラームスの交響曲第1番とアンコールのワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲がカップリングされたものを購入することにした。
 なお、音源はNHKによるもので、国内のドイツ・グラモフォン・レーベル(ユニバーサル・ミュージック)がリリースを行っている。

 20世紀の終盤、後期ロマン派の作品に関しても、いわゆるピリオド・スタイルによる解釈が進んで、実際ブラームスの交響曲第1番でも、ロジャー・ノリントンとロンドン・クラシカル・プレイヤーズ<EMI>をはじめ、速いテンポでメリハリのよく効いた、作品の持つどこかぎくしゃくとした感じまで強調するような演奏が徐々に市民権を得るようになってきた。
 それに対して、ベームは、王道中の王道と評すべきか、過度に速からず過度に遅からず、鳴らすべきところではたっぷりと鳴らし、歌うべきところではじっくりと、しかし粘らず歌う、作品の長所は前面に押し出し、短所急所は巧く馴らして聴かせるという、実にオーソドックスな音楽づくりを行っている。
 中でも、第4楽章の有名な旋律がこれほどしっくりくる(ああ、この曲もここまでやって来たんだと思える感慨、と言い換えてもいいかな)演奏を聴くのは、本当に久しぶりのことだ。
 そして、ライヴ特有の傷は多々ありつつも、ベームの解釈にしっかりと応えるウィーン・フィルの存在も当然忘れてはならないだろう。
 特に、弦楽器の美しさには聴き惚れる。
 また、カップリングのワーグナーでは、ベームとウィーン・フィルの劇場感覚がよく示されているのではないか。
 いずれにしても、こうした演奏を生で聴くことができなかったことがとても残念でならない。
 お客さんたちの激しい拍手を聴けばなおさらのこと。

 音質はとびきりのものとは言えまいが、演奏を愉しむという意味では、それほど問題はないとも思う。
 クラシック音楽好きには、大いにお薦めしたい一枚だ。


 ところで、最後に付け加えるならば、今回の1975年3月のベームとウィーン・フィルの来日公演のライヴ録音の再発のあり様に関しては、正直僕は全く感心しない。
 と、言うのも、各公演日のプログラムを優先させたカップリングにすればよいものを、あちらからこれ、こちらからこれとごちゃまぜにした、ばらばらなカップリングを行っているからである。
 こうしたことは、LP時代の音源をCD化する際、往々にして起こりがちなことではあるのだが、少なくとも今回の録音に関しては、ドキュメント的な意味合いもあるわけで、どうしてこんなことになるのかと、非常に残念でならない。
posted by figarok492na at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月05日

アンドルー・デイヴィスが指揮した『マドンナの宝石』

☆マドンナの宝石(オーケストラ名曲・ア・ラ・カルト)

 指揮:アンドルー・デイヴィス
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
(1987年6月/デジタル・セッション録音)
<東芝EMI>CC30-9062(ANGEL BEST100)


 恥の多い生涯を送って来ました。

 齢43を数えるまで、いったいどれほど穴があったら入りたくなるような恥ずかしい事どもを繰り返して来たか。

 あれは、中学2年生の頃。
 クラシック音楽を聴き始め、おまけに吉田秀和の書いた本なんか読み始めた僕は、音楽のW先生(20代後半だったろうか。なかなかきれいな女性だった)に向かって、
「マスネの『タイス』の瞑想曲やマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲とかって、通俗的で次元の低か曲ですね」
と口にしてしまったのだ。
 W先生は、にこっとして、
「あたしは、好きよ。きれいか曲やもん」
と答えてくれたのだけれど、もしかしたら内心>こん、くそガキが<と唸り声を上げていたかもしれない。

 今になって、じゃない、時を経ずして高校に入った頃には、己はなんて馬鹿なことを口にしてしまったのだろうと、自分自身の愚かさ浅はかさを呪ったものである。
 が後の祭、後悔先に立たず、覆水盆に返らず、生兵法は大けがのもと。
 いや、最後のは違うか。

 まあ、それはそれとして、30年以上いろいろなクラシック音楽を聴き続けてきて思ったことは、W先生がおっしゃたように、『タイス』の瞑想曲も『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲も、確かにきれいで耳馴染みのよい曲で、聴けば必ず「ああ、いいなあ!」と感じるということだ。

 ところがどっこい、気がついて周りを見れば怖い蟹、じゃない、こは如何に。
 かつてあれほど録音されていた、クラシックの名曲小品と呼ばれる作品が、影も形もなくなっているではないか。
(って、ちょと大げさだね)

 と言ってこれ、中2(病)の僕のようなお高くとまったスノビストが増えて、名曲小品の価値がだだ下がりに下がったというわけではなく。
 レコードに変わって、長時間収録が可能となったCDが一般化するとともに、マーラーやブルックナーなんて大曲や、これまであんまり知られてこなかった秘曲珍曲が幅をきかせてくるようになったってことで。

 今回とり上げる、アンドルー・デイヴィスがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音した『マドンナの宝石』(オーケストラ名曲ア・ラ・カルト)なぞ、それこそ名のあるオーケストラを起用して録音された名曲小品集の末尾を飾る一枚なのではないだろうか。
(そうそう、これは東芝EMIのスタッフがイギリスまで出張して録音した国内企画のアルバムで、東芝EMIからは、先頃亡くなったヴォルフガング・サヴァリッシュとバイエルン州立歌劇場管弦楽団の組み合わせで録音した同種の名曲小品集がリリースされていたし、デンオン・レーベルからは、チャールズ・グローヴズが同じフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音した『グローヴズ卿の音楽箱』という名曲小品集が2枚リリースされていた)

 お国物のエルガーの『愛のあいさつ』に始まり、スッペの喜歌劇『軽騎兵』序曲、レハールのワルツ『金と銀』、ポンキエルリの歌劇『ジョコンダ』から時の踊り、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『マドンナの宝石』間奏曲、イヴァノヴィッチのワルツ『ドナウ河のさざ波』、ボロディンの交響詩『中央アジアの沿う現にて』、ローザスのワルツ『波濤を越えて』、マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲(!)、エルガーの行進曲『威風堂々』第1番、そしてヘンデルの歌劇『クセルクセス』からラルゴで締めるという、若干脈絡はないけれど、オーケストラの魅力を存分に、そして気楽に味わうことのできるカップリングとなっている。
 カナダのトロント交響楽団のシェフを辞し、母国イギリスに腰を落ち着けたばかりのアンドルー・デイヴィスは、そうした各々の作品の特性魅力をよくとらまえて、実に聴き心地のよい音楽を造り出しているのではないか。
 フィルハーモニア管弦楽団も達者なかぎりだ。
 それにしても、『ドナウ河のさざ波』や『波濤を越えて』なんて、本当に久しぶりに耳にしたなあ。
 『ドナウ河のさざ波』の冒頭部分は、テレビドラマか何かのテーマ曲になっていたこともあって、よくリコーダーで吹いていたくらいなのに。

 例えば、自殺したヘルベルト・ケーゲルがドレスデン・フィルを指揮して録音した同種のアルバムのような「深淵」をのぞくことは適わないが、たまには気楽な気分で音楽に親しむ時間があってもいいんじゃないか。
 それこそ「深淵」ばかりのぞいていると、長年積み重ねて来た自分の恥に耐えかねて、自分の命を自分で奪ってしまうことにもなりかねないもの。

 いずれにしても、音楽好きに安心してお薦めできる、愉しい一枚だ。
posted by figarok492na at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エリアフ・インバルが指揮したブルックナーの交響曲第2番

☆ブルックナー:交響曲第2番

 指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:フランクフルト放送交響楽団
(1988年6月/デジタル・セッション録音)
<TELDEC>243 718-2(8.44144ZK)


 エリアフ・インバルがフランクフルト放送交響楽団と録音したブルックナーの交響曲全曲のうち、初期の作品にあたる第2番を聴く。
 第1楽章の冒頭の細かい弦の動きや、金管のファンファーレと、ブルックナーらしさが明確に現れ出した頃の交響曲で、森閑とした、とでも評したくなるような澄んだ感じのする曲調が僕は好きだ。
 インバルは、曲の要所長所をよく押さえるとともに、この交響曲の持ついびつな部分、弱点短所を馴らすことなく、それもまた作品の特性と捉えて細かく表現しているように思う。
 オーケストラの動きに若干鈍さを感じるし、録音もそれほどクリアではないのだが(TELDECレーベルらしく)、ブルックナーの交響曲第2番の特質特徴をよく識るという意味では、ご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アントニー・ペイ独奏によるウェーバーのクラリネット協奏曲集

☆ウェーバー:クラリネット協奏曲集

 独奏:アントニー・ペイ
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(1987年10月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>VC7 90720-2


 進化には道理あり。
 いわゆる社会ダーウィニズムには、19世紀的な帝国主義臭がふんぷんとして、どうにもこうにも胡散臭さと腹立たしさを覚えるものの、時代に伴った化学技術の進化には、やはりむべなるかなと大いに納得せざるをえぬものがある。
 楽器もまたしかり。
 社会の変化に歩みを合わせるかのような、19世紀、そして20世紀の楽器の変化は、これまた当為のものであり、実際楽曲演奏両面で大きな進化をもたらした。
 でもね、今は今中今は今、と永遠の今日を続けていると、何やら惰性が働いて手垢はつくわ苔は蒸すわ。
 おまけに原子力発電所は壊滅的な事故を起こすわ。
 事は音楽だって同じ。
 オーソドックスといえば聴こえはいいし、確かに超一流の演奏を聴けば、やっぱり王道っていいな、なんて感心感嘆してしまうものの、世の中そんなに超一流ばっかりじゃない。
 惰性でお仕事やってます、的な演奏聴くと、もう萎えちゃうんだよね。

 で、温故知新じゃないけれど、前世紀の最終盤、作品が作曲された当時の楽器、もしくは復元された楽器=ピリオド楽器を使って、しかもその時代の演奏方法を鑑みながら作品を演奏しようって流れが出来てきた。
 つまり、これがピリオド・スタイルってやつ。
 今までの演奏ではいまいちわかりにくかった作品のツボや仕掛けがわかってきたし、スピーディーなテンポ設定は清新快活だし。
 少なくとも、ピリオド・スタイルの出始めはたまりにたまった塵芥を取り去ったような清々しさを感じたものだ。

 今回とり上げる、第1番と第2番の協奏曲にコンチェルティーノ(単一楽章の小協奏曲)を収めたウェーバーのクラリネット協奏曲集のCDも、そんなピリオド楽器とピリオド・スタイルの演奏が「市民権」を得始めた頃に録音された一枚だ。
(なお、これまではアントニー・ペイが吹き振りしたと思っていたが、改めてブックレットを確認すると、ヴァイオリンのロイ・グッドマンがリーダーとメンバー表に記されていた。もしかしたら、オーケストラは彼の弾き振りなんじゃなかろうか)
 いっかなピリオド楽器の名奏者アントニー・ペイと、いっかなピリオド楽器の腕扱きを集めたエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団であろうと、ところどころ音程その他、危なっかしい部分はあったりはするんだけど、反面、作品の持つ陽性歌謡性が巧みに再現されているようにも思う。
 てか、モダン楽器の整って迫力満点の演奏だと、ときにかまびすしさ、ばかりか安っぽさすら感じるウェーバーのクラリネット協奏曲の伴奏(オーケストレーション)が、適度な華やかさで聴こえるのは、やはりこの演奏の魅力なのではないだろうか。

 ロンドンの聖バーナバス教会での録音もほどよい響きで聴きやすく、初期ロマン派好きの方には、ご一聴をお薦めしたいCDである。
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2013年03月01日

ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番

☆シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番&第21番

 ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス
(2011年7月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・グラモフォン>477 8107


 以前、1985年に録音された(と、言うことは、もう30年近く前になる)、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番<ERATO>について、「自己の深淵と向き合うということをどこか自家薬籠中のものとしてしまった感すらある」最近のピリスの演奏と異なって、清新でどうこうと好意的に評したことがあった。
 で、今回改めてピアノ・ソナタ第21番の新旧二つの録音を聴き比べてみて、自分自身の言葉の浅薄さに反省した次第だ。
 いや、確かに1985年の録音の清新な雰囲気、若々しさは魅力ともなっているのだが、新しい録音と比べると、細かな部分(例えば、第2楽章)での表現のちょっとした薄さが気になってしまうのである。
 と、言っても、新旧双方で大きな解釈の違いがあるわけではなく、演奏時間も新しい録音のほうが2分程度長くなっただけではあるのだけれど。
 けれど、一音一音丁寧に紡ぎ上げていくかのような新しい録音でのピリスの演奏の懐の深さ、幅の広さに僕は強く魅かれる。
 上述した言葉を引くならば、自己の深淵と向き合いつつも、そうした状態に溺れることなく、真摯に淡々と音楽を造っている、と評することができるだろうか。
 このレビューを記すまでに、約20回ほどこのCDを聴き返したが、何度聴いても聴き飽きない、充実感に満ちた演奏だと思う。
 また、カップリングの第16番のソナタも、作品の持つ歌唱性と叙情性、躍動感をよく捉えて過不足がない。
 ドイツ・グラモフォンの録音もクリアであり、音楽好きにはぜひともご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パーヴォ・ヤルヴィの指揮によるシューマンの交響曲第2番&序曲集

☆シューマン:交響曲第2番&序曲集

 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
(2011年4月、12月&2012年3月/デジタル・セッション録音)
<RCA SONY/BMG>88765 42979 2 SACD


 先頃hr(フランクフルト放送)交響楽団のシェフの座を降りることが伝えられたパーヴォ・ヤルヴィだが(もしかしたら、ベルリン・フィルを狙っているのか?)、このhr響をはじめ、パリ管弦楽団、そしてドイツ・カンマーフィルと精力的な演奏活動、並びに各々のオーケストラの特性をよく踏まえた録音活動を繰り広げている。
 中でも、ハインリヒ・シフ、トーマス・ヘンゲルブロック、ダニエル・ハーディングら歴代指揮者とともにピリオド・スタイルに磨きをかけ続けてきたドイツ・カンマーフィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集は、ピリオド奏法の援用によるモダン楽器オーケストラの演奏の模範解答とでも呼ぶべき過不足のない内容となっているのではないか。

 そうしたパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルがベートーヴェンの次に着手したのは、シューマンの交響曲全集である。
 で、すでに第1番「春」&第3番「ライン」がリリースされているのだけれど、今回とり上げるのは、僕が大好きな第2番と4つの序曲が収められた一枚だ。
(なお、もともとSACDと発売されているものを、僕はCD面で聴く)

 上述したベートーヴェン同様、いわゆるピリオド奏法を援用した、スピーディーでクリアでスマート、なおかつシンフォニックで劇性に富んだ音楽づくりで、交響曲第2番では、レナード・バーンスタインがこの曲の第2楽章を評して言った「mad(気狂い)」な感じや前のめり感は若干馴らされてしまっているように思わないでもないのだが、とても見通しと聴き心地のよい演奏であることも確かだ。
 加えて、小編成ということもあってだろう、同じく交響曲など、シューマンのオーケストレーションの特異さがよくわかる演奏ともなっている。
(終楽章=トラック4の2分15秒あたりの、オルガン的、もしくは金属的な鋭い響きが強く印象に残る)

 また、このアルバムでは、『マンフレッド』、『ヘルマンとドロテア』(ゲーテの作品によるもので、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』がしつこいほどに引用される。急進的と伝えられるシューマンの「政治性」については、いずれ詳しく調べてみたい)、『メッシーナの花嫁』、『ゲノヴェーヴァ』の4つの序曲も聴きものだろう。
 これまでピリオド・スタイルやピリオド楽器のオーケストラでほとんど録音されてこなかった曲目だけに貴重だし*、音楽のツボをよく押さえたリリカルでドラマティックな演奏も充分に満足がいく。

 いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィという指揮者の力量が十二分に発揮された、安心してお薦めできるアルバムだ。


*注
 そもそもシューマンの序曲集自体、録音が少ない。
 交響曲全集のカップリングは置くとして、序曲集という形では、ヨハネス・ヴィルトナー指揮ポーランド国立放送交響楽団<NAXOS>、リオール・シャンバダール指揮ベルリン交響楽団<ARTE NOVA>、パーヴォ・ヤルヴィの父親であるネーメ・ヤルヴィ指揮ロンドン交響楽団<CHANDOS 一枚物のブラームスの交響曲全曲にカップリングされていたのをまとめたもの>を思いつく程度である。
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2013年01月30日

1983年にリリースされた『バロック音楽へのお誘い』

☆バロック音楽へのお誘い

 指揮:イェルゲン・エルンスト・ハンセン
管弦楽:ソチエスタ・ムジカ室内管弦楽団
(1976年1月/PCMデジタル・セッション録音)
<DENON>38C37-7037


 今手元に、『コンパクトディスク・カタログ’85<秋期>[クラシック編]』<音楽之友社>という一冊のCDカタログがある。
 1985年秋頃発売されていたCD(発売予定含む)を、ほぼ一枚ずつ、ブックレット写真や録音データ、簡単な演奏評や録音評付きで紹介したもので、高校時代に購入して何度も読み返し、はては記号やら数字やらを書き込んだため、手垢まみれの上にぼろぼろとなってしまっているのだが、CD初期のリリース状況が詳しくわかることもあって未だに重宝している。
(CDのリリース量が半端ないものになってしまったこともあってか、1992年以降こうした形でのカタログは刊行されなくなったはずだ)

 で、購入当時から気になったものもそうでないものも、このCDカタログに掲載されているCDは、ある種のノスタルジーもあるのだろう、中古CDで見つけるとこまめに購入しているのだけれど、今回とり上げるCDも、まさしくそのうちの一枚。
 北欧の演奏家たちがアルビノーニのアダージョ、ヨハン・セバスティアン・バッハのアリア(G線上のアリアの原曲)、パッヘルベルのカノンとジーグといった、バロック音楽のくくりの中で有名な作品を演奏したアルバムで、正直全く期待はしていなかったのだが、これがなかなかの聴きものだった。
 40年近く前のモダン楽器の室内オーケストラによる録音だから、いわゆるピリオド・スタイルとは全く遠く、音楽の処理の仕方に古さを感じる箇所も少なくないとはいえ、粘らず重苦しくなく、かといって軽過ぎもせず、かつ清潔感を持った演奏と音色で、聴いていてすっと音楽が耳に入ってくる。
 それこそ、北欧の家具のような演奏であり録音であると思った次第。

 それにしても、1983年4月21日のリリース時に3800円だったものが、ほぼ30年の歳月を経て105円(ブックオフの中古)とは、諸々考えざるをえないなあ。
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ザロモン弦楽4重奏団が演奏したモーツァルトの弦楽4重奏曲第20番&第22番

☆モーツァルト:弦楽4重奏曲第20番&第22番

 演奏:ザロモン弦楽4重奏団
(1990年9月/デジタル・セッション録音)
<hyperion>CDA66458


 モーツァルトの弦楽4重奏曲第20番が好きだ。
 特に、伸びやかさと愛らしさとインティメートな雰囲気に満ち満ちた第1楽章が大好きだ。
 だからこそ逆に、自分にぴたぴたっとしっくりくるCDになかなか出合えない。
 ハーゲン・カルテットのCDが今手元にあって、これもほんとに優れた演奏なのだが、どこかで、いやなんかが違うな、という気持ちにとらわれてしまっている。
 そんなこともあって、ブックオフの500円の中古コーナーで見つけた、ザロモン弦楽4重奏団の演奏によるハイペリオン盤を思わず購入してしまった。

 で、ザロモン弦楽4重奏団はヴァイオリニストのサイモン・スタンデイジが率いるピリオド楽器のアンサンブルなのだけれど、同じピリオド楽器のモザイク・カルテットのような流麗さには欠けるものの、実に親密感にあふれた演奏を造り出しているのではないか。
 目当ての第20番の第1楽章も、なかなかいい線いっていると思う。
 ただ、それじゃあこの演奏がベストチョイスとなるかというと、ううん、それはどうだろう。
 演奏の端々にふと顔を出すちょっとした野暮ったさが、どうにも気になってしまうんだよなあ。
 まあ、気にし過ぎといえば、気にし過ぎなんだろうけどね。
 とはいえ、カップリングの第22番ともども、度々聴き返すことになるCDにはなりそうだ。

 古典派の室内楽好きにはご一聴をお薦めしたい一枚だ。
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ハンス・フォンクが指揮したモーツァルトの序曲集

☆モーツァルト:序曲集

 指揮:ハンス・フォンク
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
(1985年7月/デジタル・セッション録音)
<CAPRICCIO>10 070


 今からほぼ20年前のケルン滞在中、ケルンWDR(放送)交響楽団のシェフを務めていたのがハンス・フォンクで、彼の指揮するコンサートには何度も足を運んだものだけれど、正直今一つという感は否めなかった。
 と、言うのも、細部の詰めよりも、作品の全体像の把握と音楽の波の再現を優先する彼の姿勢が、機能性に富んだケルンWDR交響楽団との間に大きなずれを生んでいたように思ったからだ。
 そういえば、同じシーズン中に、前任者のガリ・ベルティーニが特別コンサートの指揮台に立ってがっちりきっちりとオーケストラをコントロールする演奏を行ったことがあって、当代フォンクの指揮の緩さが一層気になったりもしたんだった。
 フォンクが指揮した中では、荒削りながら、ピリオド・スタイルというより、フォンクと同じオランダ出身のパウル・ヴァン・ケンペンがベルリン・フィルを指揮した古いモノラル録音をどことなく想起させる、ドラマティックなベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」に満足した程度か。
(このときは、ギル・シャハムが同じベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトで、とても美しいヴァイオリンの音色を聴かせていた)
 当時、ケルンのオペラ(ギュルツェニヒ管弦楽団)のシェフを務めていたのがジェイムズ・コンロンで、フォンクとコンロンの音楽性、持ち味、得手不得手を考えれば、二人の人事はあべこべなんじゃなかろうかと考えたほどである。
 その後、フォンクはレナード・スラットキンの後任としてセントルイス交響楽団の音楽監督に就任したが、これといった評判を聴くこともなく(近年、ようやくライヴ録音がまとまった形でリリースされた)、母国オランダのオランダ放送交響楽団とようやく柄に合った録音活動をスタートさせてすぐの2004年に、筋委縮性側索硬化症という難病のため亡くなってしまった。

 今回とり上げるCDは、そんなハンス・フォンクが1985年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音したモーツァルトの序曲集である。
 今手元にあるリナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー歌劇場管弦楽団や、アンドレア・マルコン指揮ラ・チェトラといった、いわゆるピリオド・スタイルやピリオド楽器による演奏とは全く対照的な、実にオーソドックスな演奏だ。
 メリハリをぐぐっときかせて、激しい音楽づくりを試みるなんてことは全くない。
 粘らず快活なテンポの、それでいて音楽の要所急所はきっちり押さえた劇場感覚にあふれた演奏で、とても耳なじみがよい。
 当然そこには、シュターツカペレ・ドレスデンというとびきりの劇場オーケストラの存在も忘れてはならないだろうが。
 いずれにしても、最晩年のオランダ放送交響楽団とのCDはひとまず置いて、ハンス・フォンクという指揮者の美質特性をよく表わした一枚だと思う。

 カプリッチョ・レーベルによる録音も全く古びておらず、落ち着いた気分でモーツァルトの序曲集に親しみたいという方には絶好のCDではないか。
 中古とはいえ、これが250円とはやはり安過ぎる。

 なお、収録されているのは、『魔法の笛』、『フィガロの結婚』、『アルバのアスカーニョ』、『クレタの王、イドメネオ』、『劇場支配人』、『コジ・ファン・トゥッテ』、『後宮からの逃走』、『にせの女庭師』、『ルーチョ・シッラ』、『皇帝ティトゥスの慈悲』、『ドン・ジョヴァンニ』の、計11の序曲だ。
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2013年01月25日

ペーター・マークとベルン交響楽団の「スコットランド」

☆メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」&序曲『静かな海と楽しい航海』

 指揮:ペーター・マーク
管弦楽:ベルン交響楽団
(1986年8月/デジタル・セッション録音)
<IMP>PCD849


 スイス出身の今は亡き指揮者ペーター・マークは、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を十八番にしていた。
 アナログ時代に名盤の誉れの高かったロンドン交響楽団とのデッカ盤をはじめ、今回とり上げるベルン交響楽団との録音、最晩年のマドリード交響楽団との録音、さらには度々客演していた東京都交響楽団とのライブ盤と、都合4枚ものCDがリリースされている。
 未聴の東京都響との録音はひとまず置くとして、大まかに言えば、音楽の要所をしっかり押さえつつも、粘らず流れのよい快活な音楽づくりということになるだろうか。
 諸々の経験からくる表現の異動はありつつも、基本的な解釈は、このベルン交響楽団との録音でも大きく変わっていないように思う。
 よい意味で作品の持つイメージを裏切らない、耳になじみやすい演奏だ。
 ただ、終楽章のラストなどオーケストラの弱さを時折感じてしまったことも事実で(第1楽章のさびしい流麗さなど捨て難いものの)、同じスイスのオーケストラでも、機能性に勝るチューリヒ・トーンハレ管弦楽団との録音だったらなあと思わないでもない。
 加えて、もやもやとしたあまりクリアでない音質も若干残念である。
 とはいえ、中古で400円は安いな、やっぱり。
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リカルド・シャイーが指揮したツェムリンスキーの交響曲第2番

☆ツェムリンスキー:交響曲第2番&詩篇第23篇

 指揮:リカルド・シャイー
 合唱:エルンスト・ゼンフ室内合唱団
管弦楽:ベルリン放送交響楽団
(1987年9月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>421 644-2


 CDの登場がクラシック音楽の世界に与えた恩恵の一つとして、それまであまりとり上げられてこなかった作曲家なり作品なりの録音が活発に行われるようになったことを挙げることができるのではないだろうか。
 むろん、LP時代からのマーラー・ブームや、一部の演奏家・プロデューサーによる地道な録音活動も忘れてはならないだろうが、やはりシュレーカーやコルンゴルト、そしてツェムリンスキーら独墺系の作曲家たちの再評価は、CDの誕生と分けては考えられないものであると思う。
 そして、デッカ・レーベルが1990年代に積極的に進めた「退廃音楽(ENTARTETE MUSIK)」シリーズは、ナチス・ドイツによって退廃音楽の烙印を押された結果、急速に勢いを失い、第二次世界大戦後も時代状況の変化の中でなおざりにされてしまった作曲家たちのリバイバルを期した、CDという記録媒体によく沿った意欲的な企画であったとも思う。
(世界的な経済不況の影響により、その「退廃音楽」シリーズが頓挫する形となってしまったことは、なんとも残念なことだ)

 今回とり上げる、リカルド・シャイー指揮によるツェムリンスキーの交響曲第2番を中心としたアルバムは、上述したデッカ・レーベルの「退廃音楽」シリーズの先駆けと評しても、まず間違いではないだろう。
 ただし、シャイーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他と録音した同じ作曲家の叙情交響曲などと比べて、1897年に作曲された交響曲第2番では、「退廃音楽」と呼ばれるような、実験的な手法技法や鋭く激しい音楽表現は全くとられていない。
 と、言うより、彼を評価したブラームスや、ドヴォルザークら国民楽派の作品と共通するような、美しくて耳なじみのよい旋律と躍動的な快活さをためた作品に仕上がっていて、全曲実に聴き心地がよい。
 だから、ツェムリンスキーに十二音音階以降のシェーンベルク(義弟でもある)らとの共通性を求めるむきは、ちょっと物足りなさを感じるかもしれないけれど、僕はこのツェムリンスキーの若々しい音楽がとても気に入った。
 シャイーとベルリン放送響も、作品の持つ長所を巧く押さえたエネルギッシュな演奏を行っているのではないか。
 また、詩篇第23篇も、清新な雰囲気の音楽と演奏でカップリングに相応しい。

 25年以上前の録音ということで、いくぶんもやっとした感じはするものの、音楽と演奏を愉しむという意味では問題ないだろう。
 これは購入しておいて正解の一枚だった。
 ブックオフの中古CDとはいえ、税込み500円とは安い。
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2012年12月30日

山田一雄と旧日本フィルによるチャイコフスキー&プロコフィエフ

☆チャイコフスキー:交響曲第5番&プロコフィエフ:交響曲第7番

 指揮:山田一雄
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団(旧日本フィル)
(1972年1月、1971年1月/アナログ・ステレオ・ライヴ録音)
<タワーレコーズ他>TWCO-1010


 笛吹けど踊らず。
 という言葉があるけれど、今は亡きヤマカズさん、山田一雄の場合は、踊るから笛吹いてくれ、ではなかったのかなあと、最晩年の彼が指揮したいくつかの演奏会のことを思い出しながら、ついつい思ってしまう。
 あまりにミスが多くって、金返せと本気で腹が立った関西フィルとのブラームスの交響曲第1番、オーケストラの機能性とヤマカズさんの新即物主義的音楽づくりがそれなりにフィットした大阪センチュリー交響楽団とのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、そして狂喜乱舞の極み、京都市交響楽団とのフランクの交響曲。
 演奏の良し悪しはひとまず置くとして、いずれも「踊る人」山田一雄の面目躍如というべき指揮ぶりだった。
(余談だが、ヤマカズさんと京響のあと、ハインツ・ヴァルベルク指揮ケルンWDR交響楽団でフランクの交響曲の実演に接したことがあったが、ワイマール共和国時代の中道右派のライヒスバンク総裁みたいなヴァルベルクの堅くて硬い音楽づくりは、ちっとも面白くなかった)

 そんな山田一雄の生誕100年を記念して、彼が旧日本フィルを指揮したライヴ音源のCDがタワーレコードからリリースされた。
 今回紹介するのは、1972年1月(詳細不明)に演奏されたチャイコフスキーの交響曲第5番と、1971年1月27日の第213回定期演奏会で演奏されたプロコフィエフの交響曲第7番がカップリングされた一枚だ。

 ヤマカズさんのチャイ5といえば、新星日本交響楽団との晩年のセッション録音が有名だが、60歳前後の指揮者としてもっとも脂の乗り切った時期ということもあってか、このライヴ録音は、きびきびとして流れがよくエネルギッシュな音楽づくりで、とても若々しい。
 現在に比べて個々の技量という点では、管楽器をはじめ精度の低さは否めないが、弦楽器のアンサンブルなど、予想以上にまとまっていることも確かで、フジ・サンケイ・グループによる財団解散とオーケストラ分裂直前の旧日本フィルの水準がよく示されているのではないか。

 一方、プロコフィエフも、チャイコフスキー同様、推進力に富んだ粘らない演奏だけれど、作品の造りもあって、オーケストラのとっちらかった感じが気にならないでもない。

 いずれにしても、山田一雄という日本の洋楽史に大きな足跡を遺した音楽家と、旧日本フィルというオーケストラを記念し記憶するに相応しいCDだと思う。
posted by figarok492na at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドロテー・ミールズが歌ったテレマンのアリア集

☆テレマン:アリア集

 独唱:ドロテー・ミールズ(ソプラノ)
 伴奏:ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラ
(2011年3月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・ハルモニアムンディ>88697901822


 何度か記したことだけれど、僕は声の好みのストライクゾーンがどうにも狭い。
 特にソプラノ歌手の場合は、はなはだしくて、正直、プッチーニのヒロインたちのもわもわむわむわした声は苦手だし、ワーグナーのヒロインたちの張り詰めた声も好んで聴きたいとは思わない。
 それでは、バロック音楽を得意とする高声のソプラノ歌手ならOKかといえばさにあらず、その人の持つちょっとした声の癖がひっかかって、結局やだなあということになる。

 そんな中、当たりも当たり大当たり、直球ど真ん中のソプラノ歌手に出会うことができた。
 ドイツ人とウクライナ人を両親に持つドロテー・ミールズがその人だ。
 と、言っても、すでに今回紹介するCDと同じドイツ・ハルモニアムンディをはじめ、いくつかのレーベルでその歌声を披歴しているから、デビューしたての新人ルーキーというわけではない。
 ただ、無理をして新譜を購入したいと思えるアルバムが、あいにく今までなかったのだ。

 それが、とうとうリリースされた。
 そう、他の作曲家のオペラのためにテレマンが作曲した、いわゆる挿入アリアを中心にまとめたこの一枚である。
 いやあ、それにしてもこのCDはいいな。
 クリアでよく響く声質(もしかしたら、録音の「工夫」もあるかもしれないが)は、若い頃のバーバラ・ボニーを思い起こさせるが、ミールズの場合は、ボニーをさらにウエットにしたような、柔らかさリリカルさしっとりとした感じが魅力的だ。
 また、そうした彼女の声質に、テレマンの明瞭でよく組み立てられた音楽がぴったりと合っている。

 ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラは、機能性においては他のピリオド・アンサンブルに大きく勝るとまでは言い難いが、素朴な質感、音色が印象的で、ミールズの歌によく沿っているように思う。

 協奏曲のカップリングも含めて、ドイツ・ハルモニアムンディからはヌリア・レアルによる同種のアルバムがリリースされているのだけれど、僕は断然こちらを選ぶ。
 歌好き、バロック音楽好きに、大いにお薦めしたい一枚だ。

 そうそう、ドイツ・ハルモニアムンディには、ぜひともミールズのハイドンやモーツァルト、ヨハン・クリスティアン・バッハらのアリア集や歌曲集を録音してもらいたいものである。
 声のピークというのは、本当に短いものだから。
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カルミナ・カルテットらが演奏したドヴォルザーク

☆ドヴォルザーク:ピアノ5重奏曲第2番&弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」

 カルミナ・カルテット
 テオ・ゲオルギュー(ピアノ/ピアノ5重奏曲のみ)
(2012年7月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG>88725479482


 スイスの弦楽4重奏団、カルミナ・カルテットといえば、デンオン・レーベル(現日本コロムビア)に録音した一連のアルバムが有名だ。
 中でも、1997年録音のドヴォルザークの弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」(カップリングは第14番)には、同じデンオン・レーベルのスメタナ・カルテットの1987年録音の緩やかな演奏に馴染んでいたこともあり、大きな驚きと刺激を受けた。
 と、言うのも、ピリオド・スタイルからの影響もあってだろうが、強弱のメリハリがよくきいて速いテンポ、なおかつよく目の詰まったアンサンブルに、清々しさと若々しさを強く感じたからである。

 そんなカルミナ・カルテットがソニー・クラシカルに移籍し、約15年ぶりにドヴォルザークの「アメリカ」を再々録音(第1回目は、Bayerレーベルに1991年に録音)したのだけれど、アンサンブルに余裕ができたというか、よい意味で音楽に余白の部分が増えたように、僕には感じられた。
 その分、旧録音の畳み込むような張りつめた雰囲気は弱まったようにも思うが、作品の要所急所の押さえ方、作品の結構への目配せの巧さはやはり見事というほかない。

 今回のカップリングは、ピアノ5重奏曲第2番。
 スイス生まれのゲオルギューは、2006年の『僕のピアノコンチェルト』に出演して一躍有名となったピアニストだけれど、ここではカルミナ・カルテットの、作品の持つ劇性をよくとらまえた精緻な音楽づくりに沿った演奏を行っているように感じた。

 クリアな録音も、カルミナ・カルテットらの演奏によく合っていると思う。

 ドヴォルザークが「中欧」の作曲家であったということがよくわかる演奏で、「ボヘミアの郷愁」(それはドヴォルザークの本質の一部ではあるのだが)にとらわれない聴き手、室内楽好きには特にお薦めしたい一枚だ。
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2012年12月14日

ヘンゲルブロックが指揮したドヴォルザークの交響曲第4番とチェコ組曲

☆ドヴォルザーク:交響曲第4番&チェコ組曲

 指揮:トーマス・ヘンゲルブロック
管弦楽:ハンブルクNDR交響楽団
(2012年6月/デジタル・ライヴ録音)
<SONY/BMG>88725464672


 ピリオド楽器のアンサンブル、フライブルク・バロック・オーケストラやバルタザール・ノイマン・アンサンブルに、モダン楽器の室内オーケストラ、ドイツ・カンマー・フィルと精力的な活動を続けてきたトーマス・ヘンゲルブロックのハンブルクNDR響の新しいシェフへの就任は、ヨーロッパにおけるピリオド・スタイルの隆盛を象徴する出来事の一つだと思う。
(と、言っても、すでに20年以上前にハンブルクNDR響はジョン・エリオット・ガーディナーをシェフに迎えていたのではあるが)
 そして、あいにく聴きそびれてしまったものの、今年の来日公演は、ヘンゲルブロックとハンブルクNDR響の相性のよさを発揮した非常に充実した内容だったと伝えられている。

 ヘンゲルブロックとハンブルクNDR響にとって二枚目のアルバムとなる、ドヴォルザークの交響曲第4番とチェコ組曲(ちなみに、同じドヴォルザークの交響的変奏曲やブラームスのハンガリー舞曲の抜粋とともに、先述したガーディナーもドイツ・グラモフォンにこの曲を録音している)も、そうした両者の好調ぶりがよく表われた演奏となっているのではないか。
 ピリオド・スタイル云々もそうだけど、それより何より、二つの作品の持つ力感、劇性、抒情性、歌謡性が、テンポ感よくメリハリのきいた解釈で細やかにとらえられていて、実に聴き心地がよい。
 ドヴォルザークの音楽に一種の泥臭さを期待して物足りなさを感じるむきもあるかもしれないが、交響曲の第2楽章をはじめとしたワーグナーとの関連性などにもしっかり目配りの届いたクリアな音楽づくりに、僕は好感を抱く。

 ライヴ録音ゆえ、若干こもった響きなのが残念といえば残念だけれど、作品や演奏を愉しむという意味では、まず問題はない。
 ドヴォルザークの交響曲第4番なんて知らないという方や、チェコ組曲って『のだめ』のドラマで使われてなかったっけという方にも大いにお薦めできる一枚だ。
 ヘンゲルブロックとハンブルクNDR響には、ぜひともドヴォルザークの他の交響曲、中でも第5番や第6番を録音してもらいたい。
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ジンマンが指揮したシューベルトの交響曲第5番&第6番

☆シューベルト:交響曲第5番&第6番

 指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2012年9月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG RCA>88725463362


 デヴィッド・ジンマンが手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と進めているシューベルトの交響曲全集の第4段、第5番と第6番がリリースされた。

 まずモーツァルトの交響曲第40番を下敷きにしたと思しき第5番だが、これまでと同じくピリオド・スタイルを援用して速いテンポの粘らない音楽づくりが行われているものの、長調の中に時折厳しい突風が吹くという感じではなく、作品の持つ叙情性や歌謡性、旋律の美しさに主眼が置かれているように思う。

 一方、ハイドンの交響曲第100番の第1楽章の主題を裏返したかのような同じく第1楽章の主題が印象に残る第6番のほうは、強弱のメリハリはよくきいた、きびきびとしてリズミカルな演奏で、この交響曲の快活さをよく表わしているのではないか。
(と、言うことは、つまり、第5番と第6番を「対照的」な作品として描き分けているということか)

 チューリヒ・トーンハレ管も、ジンマンの意図によく沿って精度の高い演奏を繰り広げている。

 シューベルトの交響曲第5番と第6番のベーシックな録音としてお薦めしたい一枚だ。
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2012年12月11日

アントニーニが指揮した運命と田園

☆ベートーヴェン:交響曲第5番&第6番「田園」

 指揮:ジョヴァンニ・アントニーニ
管弦楽:バーゼル室内管弦楽団
(第5番=2008年7月、第6番=2009年7月/デジタル録音)
<SONY/BMG>88697648162


 イタリアのバロック・アンサンブル、イル・ジャルディーノ・アルモニコのリーダー、ジョヴァンニ・アントニーニがスイスのバーゼル室内管弦楽団と進めているベートーヴェンの交響曲集の最新盤(と、言っても、2010年のリリースなんだけど)にあたるのが、この第5番と第6番「田園」を収めた一枚だ。

 バーゼル室内管弦楽団は、もともとモダン楽器による室内オーケストラなのだが、最近ではピリオド楽器もお手のものの両刀使いに変貌している。
 詳しいところまではわからないけれど、たぶんこの演奏でも、ピリオド楽器が多数を占めているのではないか。
 演奏そのものも、ピリオド・スタイル、と言うよりアントニーニお得意のバロック・ロック、バロック・アクロバティックな雰囲気の強い、メリハリがよくきいて、スピーディーなものとなっている。
 推進力抜群な演奏だから、聴いていて全くだれないが、第5番の第1楽章や第2楽章など、ちょっとばかしすかっとし過ぎというか、あれよあれよという間に楽章が終わってしまって、若干味気なくもなくはない。 
 逆に、「田園」のほうは、アントニーニのテンポのよい音楽づくりが、作品の持つ活き活きとした感じ、快活さ、精神的な喜びを十全に描き表わしているようで、心がうきうきしてくる。
(と、なると、リズム感が一層命となる第7番や第8番の録音も大いに期待できるところだが、果たして全集につながってくれるのか、どうか)

 いずれにしても、清新な演奏で、ベートーヴェンのくどさが苦手という方には特にご一聴をお薦めしたいCDだ。
posted by figarok492na at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする