2013年09月23日

滋味豊かな岡嶋秀昭の一人舞台 OKage『阿久根弥五郎の世界』

☆OKage 演劇公演『阿久根弥五郎の世界』

 構成:岡嶋秀昭、あごうさとし
 演出:あごうさとし
 出演:岡嶋秀昭
(2013年9月22日17時開演の回/アトリエ劇研)


 精度の高いやたけたさ。
 岡嶋秀昭という役者について問われたならば、僕はとっさにそのような言葉を思いつく。

 僕が京都小劇場と密接に関わりだしたのが、ちょうど劇団の作風が変化する頃に重なったため、岡嶋さんといえば当時のホームグラウンド衛星よりも、京都芸術センターでの現代演劇セミナーの試演会(別役実の『あーぶくたった、にいたった』。ちなみに、このとき二口大学さんが好演)や、その延長線上にあった京都ビエンナーレ2003『宇宙の旅セミが鳴いて』(鈴江俊郎作、高瀬久男演出)でのシリアスな演技がいっとう最初に思い浮かぶ。
 必死で自分の内側を掘り下げていこうというのか。
 そしてそれは、お客さん(外側)に向けて大きなサービス精神を発揮している京都役者落語会(劇研寄席)の高座でもそうで、特に京都芸術センターのグラウンドの花見の会など、アウェイもアウェイの劣悪な条件の中で内と外との双方に対して真摯に向き合う岡嶋さんの真骨頂とでも呼ぶべき高座になっていて、今さらながら目にしておいてよかったとつくづく思う。

 そんな岡嶋さんが、毎回ゲストの演出家を招いて一人舞台のレパートリーを制作・発表していくためのOKageという企画を立ち上げたというのだから、これはとうてい外せない。
 と、いうことで、次期アトリエ劇研のディレクター就任が先頃決まった、あごうさとしを演出に迎えた第一回目の公演『阿久根弥五郎の世界』を観た。

 舞台はとある一室。
 阿久根弥五郎と思しき男がひそめた声で歌を歌いだす。
 『ボブ★ロバーツ』ばりの、これってあの歌の…、えっ、それじゃあこの阿久根弥五郎ってやつはもしかして…。
 と、訝り始めたあたりで、やおら物語が動き始める。

 噛めば噛むほど味がじゅっとしみ出るというか、滋味豊かというか。
 つまり、単純にほっこりほこほこして終わりというあまーいお話ではない。
 それどころか、僕も含めて十年一日、あすなろうあすなろうと齢を重ねている人間にとっては、どうにも身につまされる苦い物語ですらある。
 ただ、それでも「わかっちゃいるけどやめられない」、それこそ落語的でもある「おかかなしい」(by色川武大)やたけたな姿、切実さに僕は心を動かされた。

 エピソードの膨らませや細部の練り上げなど、岡嶋さんとあごうさんであれば、まだまだいけるはずと思った部分もなくはなかったが、そのことはお二人とも充分おわかりのことなのではないか。
(時間的制約もきっとあっただろうし)

 いずれにしても、岡嶋秀昭という役者の魅力、そして来し方今これからがはっきりと示された舞台であり作品だったと思う。
 次回以降の公演もぜひ愉しみにしたい。

 ああ、面白かった!
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2013年09月21日

下鴨車窓ワークショップ受講生による C.T.T. vol.106

☆C.T.T. vol.106(2013年9月試演会−2)


 106回目となるC.T.T.(2013年9月試演会−2)は、劇作家演出家・田辺剛が主宰する下鴨車窓のワークショップ受講生の二つのグループによる田辺作品の試演が行われた。

 まず、浦賀わさび、岡本こずえ、仲谷萌、中間統彦、藤田かもめ、森田深志のAグループは、『煙の塔』をもとにした『断章 煙の塔』を試演。
 参考までに、名古屋の七ツ寺共同スタジオが発行している七ツ寺通信に掲載された『煙の塔』初演時の劇評を全開アップしたので、詳しくはそちらをご参照いただきたいが、原作を30分ほどに抜粋し、さらにほぼ素の状態の舞台で上演したことで、舞台上でいくつかのエピソードが同時多発的に進行するという作品の結構、手法的な狙いが一層明確に示されているように感じられて、非常に興味深かった。
 また、合評会で指摘されていたような演者の技術技量の問題とは別に、演劇的経験に何日もの長があるからこそかえって、藤田さんや岡本さんは、田辺さんの作品・演出と自己の特性魅力やこれまで培ってきた諸々とのすり合わせのあり様、葛藤、内にためた強い表現意欲が垣間見えていたように思う。
 ただしその分、田辺さんのテキストに潜んだ邪劇性、滑稽さの一端が表われていたことも事実だ。

 続く、キタノ万里と西村麻生のBグループは、『不動産を相続する姉妹』による『不動産を相続する姉妹 −帰った客ver』を試演。
 初演以降、5つの異なる組み合わせで接してきた『不動産を相続する姉妹』だけれど、「帰った客ver」とあるように、今回は本来登場すべき執行官が「帰ったあと」という具合に手が加えられていた。
 完成度という点では当然課題が残るものの、キタノさんと西村さんのやり取りもあって、笑劇性も強調された仕上がりになっていたのではないか。
 ここ最近抑制された感の強かったキタノさんは、努力クラブの旗揚げ公演『魂のようなラクダの背中に乗って』でのヒロインぶりを彷彿とされるような、振幅の大きい感情表現を披歴。
 一方、西村さんには一見常人、しかし実は変人といったおかしさを感じた。

 いずれにしても、田辺さんの今後の表現活動の展開とともに、受講生の皆さんのさらなる活躍を愉しみにしたい。
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参考 下鴨車窓『煙の塔』劇評(七ツ寺通信掲載)

 C.T.T. vol.106で上演された『断章 煙の塔』(田辺剛作・演出)の参考として、名古屋の七ツ寺共同スタジオ発行の七ツ寺通信に掲載された『煙の塔』(初演時)の劇評をアップします。


☆劇評 下鴨車窓「煙の塔」

 一言で言えば、意欲作ということになるだろうか。
 下鴨車窓にとって十回目の公演となる『煙の塔』は、表現者田辺剛の今がよく表われた作品となっていたように思う。

 山の奥に塔が立つある村で、村長の姪と青年との婚礼が執り行われようとしている。
そんな折も折、塔の辺りから謎めいた音が聞こえ始める。

 という幕開けも印象的な『煙の塔』は、寓話的な手法によって現在のアトモスフェアを映し取ろうとする、田辺さんの創作姿勢が明確に示された作品である。
 中でも、超然と聳え立ち、代々村長の一族によって護られ続けてきた謎の塔は、我々が直面している諸問題の象徴であるとともに、それを支え続けてきた社会的土壌、社会的心性の象徴であると言っても過言ではないだろう。
 ここで重要なことは、田辺さんが多様な解釈と相対的な価値判断を、観る側に委ねようとしていることだ。
 劇中語られる、「三角(三つの点)が世界の安定を保っている」という趣旨の言葉なども、そうした田辺さんの志向をよく伝えているのではないか。
 この多面性こそ、『煙の塔』とサタイア(風刺)とを分ける大きな分岐点となっているとも、僕は考える。

 加えて、小さな共同体における悪意の発生や、抑制されたエロティシズムといった、これまでの一連の作品と通底するモティーフが、チェーホフら先達たちの作品や様々な演劇的技法を咀嚼吸収する形で描き込まれていた点も忘れてはなるまい。
 特に指摘しておかなければならないのが、田辺さんの師である松田正隆との関係だ。
 田辺さんが演出助手として参加した、マレビトの会の『HIROSHIMA―HAPCHEON 二つの都市をめぐる展覧会』(松田正隆演出)での経験が、劇場全体を演劇空間に変えて、同時多発的に演者が演技を行うという、いわゆる展覧会形式を用いた前回公演の『小町風伝』(あいにく未見)に結実したわけだけれど、今回はその手法を一般的な舞台の上にスライドさせることで、時系列の省略や登場人物間の心理的な距離を具体的な像として映し出すことに成功していた。

 一方で、上演時間の制約もあってだろうが、十一名という登場人物の存在感に密度の薄さ、書き込まれるべきことが書き詰められていないもどかしさを覚えたことも、残念ながら否定できない。
 また、これは田辺作品の魅力でもあるのだが、本来叙事詩として綴り終えられるべきものが、結局叙情的に収斂されてしまっているような感じがしたことも事実である。
(その意味で、村長の姪を演じた飯坂美鶴妃の幕切れでのドライなリリシズムと粘らない点描的なエロキューションは、『煙の塔』を陳腐なカタルシスから救い出していたように思う)

 さらに踏み込んで言うならば、下鴨車窓における田辺さんは、松田さんの存在を意識し過ぎているように感じられて、僕には仕方がないのである。
 田辺さんが松田さんを超えていこうとするのであれば、『煙の塔』でもその一端が示された、優れたユーモア感覚(松田さんの作品にはそれが乏しい。グロテスクですらある諧謔性には魅かれるものの)を、演出の面で一層重視していくことが必要なのではないだろうか。
 現実を直視してなお時事諷刺に偏らない寓話性、過度に陥らない叙情性、奇抜さに恃まない試行性、笑いのツボを押さえて外さない喜劇性。
 田辺さんは、その全てがバランスよく混在した、精緻で巧妙な作品を造り出し得るに足る高い才能の持ち主であると、僕は信じる。
 この国の今に相応しい喜悲劇の傑作の誕生を、強く心待ちにしたい。

 最後に、高杉征司、岩田由紀、藤本隆志ら好演の演者陣と、光と影を巧みに利用して作品の世界観を汲み取って余すところなかった魚森理恵の照明と川上明子の舞台美術に、大きな拍手を贈りたい。
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2013年09月16日

三者三様の笑い gate in コックピット

☆gate in コックピット

(2013年9月15日15時開演の回/KAIKA)


 今回のgateは、10月より開催される劇団衛星『岩戸山のコックピット』の舞台装置(ロボット内の操作操縦ルームと思し召せ)をまんま利用した企画。
 と、言うことで、いつもと違った枷がある分、各団体とも苦戦を強いられるのではないかと思っていたが、なんのなんの、三者三様の笑いをためた、面白い作品を造り上げていた。

 まずは、東京のPLAT-formanceの『MOBILE TAKA-6』(オカヨウヘイ作、安藤理樹と吉田能の出演)。
 彼らにとって初の具象舞台美術を使った公演とのことだったが、コックピットの設定をそのまま利用して、例えばナイツのような東京漫才ののりの掛け合い(本当は、以前新宿末廣亭などで接したも少しマイナーなコンビを例に挙げたいんだけど、有名どころが手っとりばやいだろうからナイツにする)を全面に、オーソドックスな演劇的な手法も用いた快活なテンポの作品づくりに成功していた。
 面白うて、やがてかなしき…。
 といった展開も、余韻が残る。

 続いては、京都代表の友達図鑑による『友達図鑑の逃げ出したくせに』(丸山交通公園作・演出)。
 工場を潰して女房にも逃げられた親父は今日も今日とて働きもせで、二階の部屋に閉じこもって自らが作り上げたコックピットの「整備」に没頭する。
 それだけでもしゃむないすかたん人間であるのだけれど、この親父、あろうことか、己が働く代わりに娘を…。
 水を得た魚と言っても過言ではないだろう。
 まさしく、泣くに泣けない、だから歯噛みして笑うという丸山ワールド全開の作品で、冒頭必死にコックピットを磨く丸山交通公園の情けない姿には、黒澤明監督の『どですかでん』を思い出したほどだ。
 また、娘役の金原ぽち子、義弟役の佐藤正純も、各々娘の低温動物的な不気味さと、勘違い男の増長慢ぶりを巧く表現していたと思う。
 書かねばならじ、やらねば命あらじ、といった丸山君の表現者としての業、切実さに満ち満ちた作品で、ここ一年ほどのもやもやが解き放たれた気分になった。
 いろいろと大変だろうが、丸山君にはぜひとも友達図鑑の活動も続けていって欲しい。

 最後は、北九州のブルーエゴナクによる『シュービックラップ(痕)』(穴迫信一作・演出)。
 穴迫信一が演劇活動の中で実際に経験した出来事を、コックピットの設定を通して再現した「セミ・ドキュメント作品」。
 武田鉄矢が好例かな、九州男にときとしてありがちな(ちなみに、僕は長崎出身です)底が見えやすい正論を武器にした説教臭さ、粘着気質ぶりを、穴迫さんは細かく笑いをまぶしながらこれでもかこれでもかという具合にデフォルメしていく。
 そのおかしさとかなしさ、みじめさ。
 むろん、高山実花と松下龍太朗の普通っぽい−常人としての「受け」があるからこそ、穴迫さん演じるチームリーダーの変さ、しつこさがさらに際立っていくのだが。
 今回の作品でも垣間見えた、穴迫さんの狂気がさらに発揮された長篇作品を今度は観てみたい。
 本格的な京都公演が待ち遠しい。

 三作品とも、ああ、面白かった!
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2013年09月13日

fukuiii,5の二本立て 『大勇者伝』と『ロマンス』

☆fukuiii,5『大勇者伝』
 脚本・演出:福井俊哉
(2013年9月13日14時開演/人間座スタジオ)

☆fukuiii,5『ロマンス』
 作:つかこうへい
 演出:福井俊哉
 演出補佐:松浦倫子
(2013年9月13日16時半開演/人間座スタジオ)



 福井俊哉が主宰するfukui(福井)企画にとって5回目の公演となるfukuiii,5の『大勇者伝』と『ロマンス』を観に行って来た。
 二本立てということで、各々短くすませてくるかと思っていたらなんのなんの、前者が約110分、後者も約90分というなかなか長尺の公演となっていた。


 で、まずは福井君自作の『大勇者伝』から。
 公演のプログラムに福井君自身が記しているように、つかこうへいの作品を強く意識した、と言うか、裏返しにしてぐだぐだぐでぐでとおもろおかしく仕立て直した、確信犯的な邪劇と評することができるのではないか。
 人類に危害を加える魔王を倒さんがため、大勇者テルーバが闘いの旅に出る。
 と、まるでRPG調ファンタジー調の展開だけれど、このテルーバという男がどうにもこうにもしゃむない人間だし、かたや魔王は魔王でなんだかピントがずれている。
 正直、もっと刈り込んでもいいんじゃないかと感じた部分があったことは否めないが、つかこうへいばり、もしくは古典劇ばりの長い台詞を含めて、言葉やシチュエーションを活用した笑いの仕掛けの豊富な諧謔味あふれる舞台に仕上がっていた。
 また、福井君の一連の作品と同様、そうしたふざけ繰り返った内容から、何やかやに対する様々な強い想いが垣間見えていたことも確かだろう。
(ただし、そうした場面になると、どうしても流れの重さを感じたことも事実だが)
 高市草平、永井茉莉奈、花岡翔太、田中祐気、松浦倫子、上蔀優樹、大澤利麗ら演者陣は、演劇の基礎をどのように積んできたかがよくわかる演技を行っていた。


 続けて、つかこうへいの『ロマンス』を観る。
 オリンピックを目指す青木しげると花村丑松(丑松って名前からしてさあ…。そういえば以前、車丑松という人物が伍島征a、改め伍島平民という名前の人物になり変わるという作品を書いたことがあるが、ほとんどの人にその意味をわかってもらえなかったっけ)という二人の若き水泳選手の愛憎のさまを、つかこうへいならではの激しく熱くそして強い想いをためた言葉でもって描いた「ロマンス」、とまとめてしまえば簡単に過ぎるかな。
 三回目の公演ということで、演者陣の抜けあらが気になったこともあるのだが、いささか楷書の芸というか、何か全体が丁寧にスタイリッシュにまとめられようとしていて、その丁寧さそのものはよいのだけれど、テンポも含めて、例えばひげプロ(たにかわはるの演出)にあったような切れば血が出るような切実さややたけたさ、勢いが減じられているように思われた。
 作品の肝となる、しげると丑松の長いやり取りという要所急所はよく押さえられており、中でもしげるを演じた上川周作(『大勇者伝』でもインパクトのある役をやっていた)の寅さんか石立鉄男か石橋正次かといった具合のギアのよくきいた演技は強く印象に残ったが。
 立花諒も、不器用な生き方しかできない丑松によく合っていた。
 永井茉莉奈と上蔀優樹も、『大勇者伝』と『ロマンス』とを巧く演じ分けていたと思う。
 ほかに、福井君自身も出演。

 いずれにしても、こうした二本立て公演に挑んだ福井君の心意気を買いたい。
 そして、10月下旬に予定されている次回公演も頑張って欲しい。
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2013年09月08日

C.T.T. vol.105(2013年9月上演会)

☆C.T.T. vol.105(2013年9月上演会)

(2013年9月7日19時開演/アトリエ劇研)


 本公演に先立って試演を行える場と位置付けられているC.T.T.だが、今回は特にその趣の強い上映会になっていたのではないか。

 まず、筒井加寿子主宰・演出による劇研アクターズラボの公演クラス「絶対、大丈夫か」のメンバー(岩崎果林、岡本昌也、柿谷久美子、竹内香織、多田勘太)による故林広志作のコント『叱れません』、『遺失物係』、『バスガイド』から。
 きっちりと出来た本だからこそ、テンポのとり方や登場人物間の関係性の築き方など、難しさもひとしおだったろうが、筒井さんの指導によく沿った面白い舞台に仕上がっていたのではないか。
 今回の試演で明らかになった個々の課題をクリアしながら、来年1月に予定されている本公演をさらに面白いものにしていってもらいたい。

 続いては、坂口弘樹、河西美季、とのいけボーイ、千葉優一による「勝手にユニット BOYCOTT」による『我々LIVEグラフティ』(構成=BOYCOTT)。
 12月の第1回目の本公演を控えた「勝手にユニット BOYCOTT」だが、演技と身体表現を結び合わせたユニットの方向性と、演者陣の特性はよく表われていた。
 合評会では、構成の問題が指摘されていたけれど、身体表現等、細部の精度が上がっていけば、よりこの団体の、そして個々の魅力が発揮されていくように思う。
 本公演を愉しみにしたい。

 最後は、近畿大学の舞台芸術専攻卒業生を中心に結成されたDRIVAL EFFECTのコンテンポラリー・ダンス『蚊』(創作者=森本萌黄)。
 ダンスそのものもそうだけど、出演の蔵元徹平、正木悠太、KENTの面構え、雰囲気が印象に残った。
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2013年09月02日

掛け値なしの大満足 THE ROB CARLTON 6F『フュメ・ド・ポワソン』

☆THE ROB CARLTON 6F『フュメ・ド・ポワソン』

 作・演出:村角太洋
(2013年9月2日19時開演/元・立誠小学校音楽室)


 もう2年以上前になるか、旧知の村山宗一郎君(京都造形芸術大学映画学科卒業)から、昔馴染みのお芝居を手伝ってるんですがこれが面白いんです、ぜひ観に来てくださいと誘われたことがあった。
 やたけたではあるけれど、心ある作品の造り手な村山君の言葉だから、なんとか観ておきたいと思ったのだが、あいにくそのときはタイミングが合わなかった。
 それからもずっと観たい観たいと思っているうちに時間が過ぎて、なんと公演を観る前に、メンバーのボブ・マーサム、満腹満のお二人と、月面クロワッサン製作・KBS京都放映のドラマ『ノスタルジア』で共演してしまった。
 こりゃもう観ないといけない申し訳ないと、そんなTHE ROB CARLTONの6回目の公演『フュメ・ド・ポワソン』(ちなみに、フレンチで「魚のだし」のこと)に足を運んだんだけど、これはもう掛け値なしの大満足、観て大正解の公演だった。

 とあるホテルの厨房で、シェフたちが寄り集まってメニューに関する会議を始めるも…。
 といった具合に物語は進んでいくのだが、ウェルメイドプレイの骨法をしっかりと押さえつつ、笑いの仕掛けもたっぷりと盛り込んだめっぽう面白い舞台に仕上がっていた。
 楽日となる今夜の回は、思わぬアクシデントがいくつか発生したり、ライヴ特有の傷もあったりしたが、演者陣は巧くそこらあたりをクリアしていたし、お客さんもまたそうした演者陣を暖かく見守っているように、僕には感じられた。

 一人一人の見せ場をきっちり設けたテキストもあってだが、村角ダイチ(ツボをよく押さえた音楽は、彼のもの)、満腹満、ボブ・マーサムに、客演の大石英史、古藤望、そして猿そのものの演者陣は、各々の特性魅力を発揮するとともに、よいアンサンブルを築き上げていた。

 丁寧に造り込まれた舞台美術(栗山万葉)も含めて、お客さんに愉しんでもらいたいというサービス精神に充ち溢れた公演であり作品で、まさしく美味しい料理を食べたあとのようなよい心持ちに浸ることができた。
 次回の公演が本当に待ち遠しい。
 そして、ああ、面白かった!
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2013年09月01日

オフビートな短篇集 劇団愉快犯の『今日のおばんざい』

☆劇団愉快犯 番外公演『今日のおばんざい』

(2013年9月1日14時開演/人間座スタジオ)


 折に触れてシンパであることを公言しながら、よくよく考えてみれば京都学生演劇祭での公演しか観たことのなかった劇団愉快犯の番外公演『今日のおばんざい』に足を運んだ。
 一言で評せば、オフビートな短篇集ということになるだろうか。
 愉快犯の名に恥じぬ、捻りの効いたオムニバス作品となっていた。

 で、身びいき偏見は許すまじと、脚本・演出・出演者等、チラシには一切目を通さず観劇したのだけれど、もっとも自分の好みに合っていたのは、『昼食同盟』(ヒラタユミ脚本、石濱芳志野演出)。
 コントはコントでも本来のフランスのコントとでも呼びたくなるような、高校生二人のおかしさをためた昼食時の淡々としたやり取りと感情の揺れを活写した佳品で、演じ手の近衛ひよこと鈴木邦拡もナイーヴな展開によく沿っていた。
 ただ、ラストで場面を変えたのは、流れが切れてしまってちょっと残念かな。
 同じ場所で全篇話を通してもおかしくないと感じたのだけれど。
 それでも、ヒラタさんにはますます期待したいとも僕は思う。

 『あげまん』(バケツ脚本、北川啓太演出)は、タイトルだけを見れば単なる下ネタのように思ってしまいそうだが、そこはバケツ&北川コンビだ。
 バーバルギャグに徹して、下品さを感じさせなかった。
 てか、北川君が出るだけでずるいや。
 受け手の平井良暉の素直さもよかったが。

 『嫌煙?』(髭だるマン脚本・演出)は、シックでスマートに決めたさそうな髭だるマンを、やたけたなてんま1/2がかく乱するという、まさしく劇的細胞分裂爆発人間和田謙二らしい内容だった。
 少々粗くもあるが、やはりこの二人は面白い。

 『あろう』(笹井佐保脚本、鈴木邦拡演出)は、「あろう」としか口にしない殿様を抱えた一族郎党のやっさもっさ右往左往を描いた作品だが、政治性だとかなんだとか余計なものを付け加えたくなる設定を、笑いの線で留めたあたり、笹井佐保の賢しさを感じる。
 笹井さんの作品は、もう少し長いものも観てみたい。

 あと、演者陣では、垣尾玲子央菜のピントのずれた色気が印象に残る。
 それと、石濱芳志野は、ストレートプレイでの演技にも接してみたいと思った。

 いずれにしても、次回の公演が非常に愉しみだ。
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演劇ビギナーズユニット ばんびステップ『贋作・桜の森の満開の下』

☆演劇ビギナーズユニット2013 #20 ばんびステップ
 『贋作・桜の森の満開の下』

 脚本:野田秀樹
 演出:田辺剛
 演出補:阪本麻紀
(2013年8月31日18時半開演の回/東山青少年活動センター創造活動室)


 苦心惨憺。
 という言葉がどうしても思い浮かんでしまう。
 けれど、だからこそビギナーズユニットという企画の20周年に相応しかったのではないかとも、逆説的にではなく思ったりもした。
 つまり、一筋縄でいかないからこそ共同作業は尊いという意味で。

 それにしても、野田秀樹の『贋作・桜の森の満開の下』って、本当に難しい作品だなあと改めて感じる。
 身体と言語のアクロバティックな勇技で優擬で友義な遊戯の積み重ねののちに、痛切なカタルシスを生み出していかなければならないのだから。

 いくら自分たち自身で選んだテキストとはいえ、ほぼ舞台初心者という今回の参加者には、まずもって野田秀樹の台詞を覚え、それを身振り手振りを交えながら口にするということ自体難行苦行だったのではないか。
 作品の持つ「不穏さ」や遊びの部分がするするとすり抜けてしまったのは残念なことだけれど、大きな破たんなく幕切れを迎えられたことに、まずは拍手を贈りたい。
 ただ、技術的な問題はあるにせよ、全体的にテンポが遅く(緩く)感じられた点は、やはり気になった。

 そして、苦心惨憺という言葉は、当然演出の田辺剛にも大きく当てはまるものだと思う。
 下鴨車窓での「大島渚の『御法度』スタイル」とでも呼ぶべきキャスティングからもわかる通り、自らの演出家としての仕事は演技指導に非ずして、己がよしとする作品世界を優れた演者陣(演出家としての能力経験も豊富な)とともに再現していくことと考えているような田辺さんにとって、演劇初心者との舞台づくりは、一からやり直しというか、ここ最近の演出手法とは大幅に異なるものとなってしまっただろうからだ。
 と、言っても、田辺さんが演劇初心者の演出に劣ると言いたいわけではない。
 例えば、2002年の9月に今回と同じ東山青少年活動センターの創造活動室で上演された『そして校庭を走った』は、演劇初心者のみらいの会の面々を中心とした座組みではあったものの、ほどよいユーモアとリリカルさをためた瑞々しく気持ちのよい田辺さんにとって屈指の名作となっていたのだから。
 しかしながら、あくまでも『そして校庭を走った』は、田辺さんの作演出、あて書きであり、今回のような既成台本ではない。
 しかも、松田正隆さんや土田英生さんといった田辺さんにとってがっぷりよつに組み易い作家陣の作品ならいざしらず、相手は田辺さんと対極にあると言っても過言ではない野田秀樹である。
 苦戦は、初手から目に見えている。
 それでも、作品の要所を押さえながら、舞台の大筋を描き上げることには成功していたのではないか。
 音楽の使い方など、手が見えるというか、ちょっと露骨に感じたりもしないではなかったが。
(演技指導いう意味も含めて、アクターズラボの公演クラスと同様、演出補の阪本麻紀の作業も高く評価すべきだろう。彼女のサポートの存在を忘れてはならないと、僕は思う)

 繰り返しになる部分もあるが、演者陣の面々はよく頑張っていた。
 中でも、夜長姫を演じた野村明里の表情の豊かさが強く印象に残る。
 この役は、私のものという強い意志と自負も表われていた。
 ちょっとばかり有馬稲子っぽくもあったけど。
 受ける耳男の辻井悟志の真摯さもいい。
 ほかに、王役の松井壮大の軽さも今後が気になるところだ。
 あと、井戸綾子は何日の長というか、台詞のないときの表情が演劇の経験を感じさせた。
(もしかしたら、井戸さんには男の役を振ってもよかったんじゃないのかな。女性が男性の役を、男性が女性の役をやっても、ちっともおかしくないはずだしね)

 いずれにしても、皆さん本当に本当にお疲れ様です!
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2013年08月31日

豊島勇士の一人芝居『イカロスの飛行』

☆豊島勇士の一人芝居『イカロスの飛行』

 出演:豊島勇士
 原作:レーモン・クノー
 構成/演出:伊藤元晴
(2013年8月30日21時開演/京都大学西部講堂「裏手」の小部屋)


 昨年の京都学生演劇祭の舞台上の姿に強く惹きつけられた豊島勇士が、京大西部講堂の裏手の小部屋という小さなスペースを利用して一人芝居に挑むというので迷わず足を運んだ。

 出し物は、レイモン・クノー原作の『イカロスの飛行』。
 探偵モルコリは、作家のユベールより自らの書きかけの小説から抜け出した登場人物イカロスの探索を依頼されるが…。
 と、ここから先は直接舞台を目にしていただきたいが、一筋縄でいかない不条理で滑稽な展開ながらも、虚無の感覚も秘めた作品になっていたように思う。

 伊藤君の構成もあってか、政治性・社会性と密接に結びついた「」つきのアクチュアリティがさらに捨象され、作品の舞台となった19世紀末の雰囲気=時代性が強調されていた分、どうしてもノスタルジックな感慨にとらわれたりもしたのだけれど、それがまた豊島君の特性魅力とよく合っていたようにも感じた。
 作品そのものに織り込まれたイグゾーストさもあって、若干冗長に感じた部分もなくはなかったし、豊島君の演技面での課題も当然指摘できるものの(ただし、登場人物の演じ分けに関していえば、個々のキャラクターの必要以上の強調はわざとらしくなるだけなので、基本的な部分は今のままでよいのではないか)、ヌーベルバーグを意識したと思しき伊藤君の構成演出は彼の趣向嗜好が充分に発揮されたものとなっていたし、何より豊島君の素の人柄のよさと演技者としての人柄のよさに接することができた点は、大きな収穫だった。

 最後に、作品世界によく沿ったセンスのよい選曲と梶原歩の衣裳・美術が強く印象に残ったことを付記しておきたい。

 ぜひとも、今後もこのような企画を続けていって欲しい。
 次回がとても愉しみである。
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2013年08月26日

飴玉エレナ vol.5『夏蜘蛛』

☆飴玉エレナ vol.5『夏蜘蛛』

 出演・演出:山西竜矢
 脚本・共同演出:石井珈琲
 演出補助:藤澤賢明
(2013年8月25日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)

*劇団からのご招待


 前々回の公演『記憶のない料理店』について、僕は飴玉エレナ・山西君の一人芝居を、確か飴玉ならぬガラス玉と譬えたが(ただし、京都学生演劇祭での公演の感想で)、今回の『夏蜘蛛』は、あえて玉に傷をつける作業が施されていたと評することができるのではないか。
 山西君の演技そのものもそうだし、笑いの仕掛けとしても、これまでの怜悧さモノマニアックな姿勢が抑制された作品づくりとなっていた。

 数年ぶりに郷里(ちなみに、山西君、石井君ともに郷里は香川とのこと)へ戻った三村知樹は、ひょんなことからかつて出会ったある人物に関して調べ始める…。
 という具合に物語は進んでいく。
 古いフランスの映画、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』形式、と言ってもわかりにくいかな。
 最近リメイクされた、有吉佐和子原作のテレビドラマ『悪女について』のように、ある人物ある出来事を追って、次から次へと「証言者」が入れ替わるというスタイルがとられていたのだけれど、それに従って山西君の一人芝居のあり様もこれまでの作品とは大きく異なるものとなっていた。
 つまり、前回までの落語のようにその場その場で役を演じ分ける方法ではなく、場面ごとに一人ずつ役を演じる方法だったのだが、キャラクターの造り込み演じ分けが見物であることが今まで通りとして、主人格にあたる三村知樹を演じる際に、自然といえば嘘になるものの、普段の山西君の一部、素と演技のあわいが巧く出されていた点が、僕には興味深かった。
 そして、今回の演技のスタイルもあってだろう、観客に対して細かく視線を動かす山西君のくせが、あまり出ていなかった(気にならなかった)こともやはり付け加えておきたい。

 例えば、数年ぶりに郷里に戻るに到るきっかけ(三村知樹の「記者」という職業との兼ね合い)や、そのきっかけに呼応するような郷里での無為の時間など、より丁寧に書き加えて欲しい部分や、逆にもっと刈り込んでもよいのではと感じられた部分もありはしたが、郷里・家族と自分自身の関係性、切実さや時間のかけがえなさがストレートに描かれた作品全体には好感を抱いたし、心を動かされもした。

 終演後、同じ回を観た人たちと話しをしていて、山西君はあまり同じ作品を繰り返すのは嫌なんじゃないかと指摘され、確かにそうかもなあと納得しつつも、より練り上げた形にした上で(場合によっては、香川の言葉がもっと出てもいいだろう)、三年に一回ぐらいのペースでこの『夏蜘蛛』を再演してみてはどうかと考えたりもした。
 ライフワークとまではいかないにしても、30歳ぐらいまでのよいレパートリーになると思うんだけど。
 そうそう、以前の感想で海外に云々かんぬんと記したことの続きで、飴玉エレナは能の『谷行』や『隅田川』を下敷きにした作品に挑戦してみても面白いんじゃないかなあ。
 ブレヒトが前者を『ヤーザーガー(イエスマン)』と『ナインザーガー(ノーマン)』に、ブリテンが後者を『カーリュー・リヴァー』に仕立て直しているから、海外でもけっこう知られた話のはずだ。

 いずれにしても、ああ、面白かった!
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2013年08月11日

劇的細胞分裂爆発人間和田謙二 Vol.2『夢の無い国からの男』

☆劇的細胞分裂爆発人間和田謙二 Vol.2『夢の無い国からの男』

 作・演出:しゃくなげ謙治郎
(2013年8月11日14時開演/人間座スタジオ)


 髭だるマン、しゃくなげ謙治郎、てんま1/2による演劇ユニット、劇的細胞分裂爆発人間和田謙二にとって第2回目の公演となる『夢の無い国からの男』が、シティボーイズ風のこじゃれたコント集『食い合わせのグルメ』から一転、ストーリー性の強い快作となった。

 キャラクターどうしが血で血を洗うかの如き醜い争いを繰り返す夢も希望も無い異次元の国からやって来た一人の男が、ある女性と出会うことによって大きな変化を遂げて…。
 と、記すとちょっと簡単にまとめ過ぎかな。
 もしかしたら続篇もあるかもしれないので(てか、やらなきゃコロす! いや、冗談だけど)詳しい内容にはあえて触れないが、笑いのルーティン、べったべたなギャグをふんだんに盛り込みながら、その実、しゃくなげ謙治郎の真っ当さ、まじめさ、人生観、世界観がよく表われた作品に仕上がっていたのではないか。
 拙さ粗さ、突っ込みどころは多々ありつつも、中盤以降、どんどん作品世界にひき込まれていった。

 演者陣も、メインキャラとなる髭だるマンを皮切りに、しゃくなげ謙治郎、てんま1/2、佐藤忍、勇宙香、大休寺一磨、伊藤純也、草間はなこ、近江あやかの演者陣は、課題は諸々見受けられたが、熱演を繰り広げていて好感が持てた。

 これで500円(さらにチラシを持っていったので、100円びき)なら安いものだ。
 ああ、面白かった!
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ミナモザ #14『彼らの敵』

☆ミナモザ #14『彼らの敵』

 作・演出:瀬戸山美咲
(2013年8月10日19時開演/元・立誠小学校音楽室)


 東日本大震災からちょっと前の2011年1月に、旧知の松田裕一郎さんの誘いで松田さんが出演する田上パルの公演を東京(公演自体は、埼玉県富士見市のキラリ☆ふじみで開催)まで観に行った際、翌日の昼にも何かお芝居を観ておこうと僕は算段した。
 初めは、新国立劇場の『大人は、かく戦えり』を狙ったものの、これは当日のキャンセル待ちも絶望的ということで諦め、さてどうするかと頭を捻る、ではなく、シアターガイドを捲ったところ、初台からそれほど遠くない三軒茶屋のシアタートラムでミナモザの『エモーショナルレイバー』がかかっていることがわかった。
 東京の演劇事情に疎いゆえ、ミナモザのことなんてちっとも知りはしなかったが、ぴぴんとひっかかるものがあって、自分のこういった勘は信じて間違いなしと観に行ったんだけど、案の定これが観て正解。
 なかなかに面白い公演だった。
 で、その詳細はそのときの観劇記録をご参照のほど。
 そうした好印象のミナモザが京都で公演を行うということをつい数日前に知って(制作、何やってんの!!)、おっとり刀で元立誠小学校へかけつけた。

 で、ミナモザにとって第14回目の公演となる『彼らの敵』は、彼女彼らの舞台写真をこの10年間(3回目の公演以降)撮影し続けている写真家の服部貴康さんをモデルとした作品だ。
 早稲田大学在学中、サークル仲間とパキスタンでカヌーくだりに挑んだ服部さん(作中の坂本)は、ダコイトと呼ばれる現地の強盗団に誘拐される。
 44日後に無事解放された服部さんたちだったが、誘拐中の週刊文春による歪曲された報道によってバッシングの嵐に見舞われる。
 ところがそんな服部さんが、週刊現代のカメラマンとなって…。
 と、ここから先は、劇場で直接ご覧いただきたい。

 正直、舞台以外の出来事もあってしばらくのれないままだったのだが、作品の力だろう中盤以降、ぐいぐいと引き込まれ、観終わったときには、ああ観ておいてよかった、正解だったという気持ちに変わっていた。
 いわゆる「社会派」といくくくりで語られる作品だろうし、実際、個人が社会とどう向き合っていくかという大きな問いかけをはらんでもいるのだけれど、『エモーショナルレイバー』同様、滑稽味や諧謔味も少なくないし、これまた『エモーショナルレイバー』と同じく、一方的にどちらが善でどちらが悪と決めつけるのではなく、登場人物間の会話(対話)によって、観る側の思考と思索を喚起するなど、瀬戸山さんのバランス感覚が巧く発揮されているように感じた。
 特に、坂本にとって小さからぬ転機となる喫茶店のシーンや、坂本と女性ライターとのやり取りが強く印象に残った。

 演者陣は、本日2回目の公演ということもあってか若干の傷や抜けはあったが、坂本役の西尾友樹はじめ、なべて作品世界に沿った熱演好演だった。
 菊池佳南、山森大輔、浅倉洋介、大原研二、中田顕史郎の役の演じ分けも、今回の観物だと思う。

 いずれにしても、ああ、面白かった!
 次回の京都公演が本当に待ち遠しいし、そのためにも多くの方々にぜひ明日の公演をご高覧いただければと心から願う。


 そうそう、はじめのほうに冗談めかして書いたけど、元・立誠小学校での公演ということ自体そうだし、公演の周知徹底もそうだし、制作面でいろいろと反省点があるのではないか。
 僕にはそう思えてならないのだが。
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2013年08月10日

劇団しようよ この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』

☆劇団しようよ この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』

 作・演出:大原渉平
(2013年8月9日19時開演/KAIKA)


 皿いっぱいに盛られたメレンゲを、ひたすら口に入れている気持ち。
 劇団しようよの「この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』」を観ての感想を簡単に記せば、そういうことになるだろうか。
 素材は悪くないし、お皿のデザインはいいし、スプーンはきらきら光ってるし、メレンゲの盛り方だってとてもきれいだ。
 だけど、他には何もない。
 食べさせてもらえるのは、ただただメレンゲだけなのである。

 『アンネの日記だけでは』は、アンネの日記(アンネ自身)を一方の軸に置きながら、現代を生きる女性どうしの友情を物語の中心に据えた作品だ。

 で、吉岡里帆、小林由実(映像での経験がよく表われていた)、石川佳奈、西村花織、森麻子、クリスティーナ竹子、期間限定の劇団員である西端千晴、山中麻里絵といった演者陣の個性特性に合わせた配役は全く悪くない。
 特に、森さん、西村さんの役のふり方は、これまでの月面クロワッサンの公演ではありえなかった適切なものだし(二人も、その配役に応える努力をしていた)、竹子さんの使い方もしっくりとくるものだった。
 それに、シルエットの活用をはじめとした、作品の造形(そこには、美術音楽も含まれる)は美しくなじみやすい。

 しかしながら、語られる物語がまるきり心に響いてこない。
 雰囲気はとてもいいのだけれど、ただ表面を撫で回されているだけで、奥の奥までぐぐっと刺さってこないようなもどかしさを覚えるのだ。
 と、言っても、『アンネの日記』だからもっとずっと社会的なメッセージを盛り込めと言いたいわけでは毛頭ないが。
(なにゆえ、『アンネの日記』かという疑問は最後まで残りつつも)
 例えば、奇しくも同じ『アンネの日記』を題材に選んだ赤染晶子の『乙女の密告』は、女性どうしの閉塞しきった関係性をいーっとなるほどに細かく記すとともに、そこからの主人公の開放を読者に明示する。
 また、成瀬巳喜男の『流れる』や『晩菊』は、女性たちの弱さ愚かさとともに強さしたたかさを描き込む。
 ところが、この『アンネの日記だけでは』は、きっと女性どうしの関係に伴うはずの、悪意やあけすけさ、えぐさ、身も蓋もなさが一切捨象されていて、どうにも物足らないのである。
 むろん、そうしたいやごとは見たくないし見せたくないという大原君の姿勢、気持ちもわからないではない。
 だが、それならそれで、北村薫の一連の作品(『ひとがた流し』など)のような一層の細やかな筋運び、それより何より「きれいごと」に徹する覚悟が必要であろう。
 もう一つ付け加えるならば、アンネにとっても、現代を生きる登場人物たちにとっても、結婚こそが最良の選択であるかのように見えてしまう展開は、あまりにもナイーヴに過ぎるように僕は思う。
 優れた、そしてとても魅力的な演者陣と共同作業をできることへの大原君の多幸感がしっかり伝わってくる作品だけに、観て不快さを感じることは全然なかったのだけれど。

 上述した演者陣は、技術的な巧拙の差(台詞のみを聴いていると、その差がはっきりとわかる)はありつつも、各々の特性魅力をよく発揮していたのではないか。
 中でも、吉岡さんや石川さん、山中さんの美質を改めて確認できたことが収穫だった。
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2013年07月27日

THE GO AND MO'S第9回公演『西原の恋』

☆THE GO AND MO’S第9回公演『西原の恋』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
(2013年7月27日19時開演/元立誠小学校音楽室)


 会場をいつもの壱坪シアタースワンから元立誠小学校音楽室に移した、黒川猛のワンマンライヴTHE GO AND MO’Sの第9回公演『西原の恋』だが、いやあ、面白かったなあ。

 オープニング「前座」に始まって、創作落語「サーカス」、活動弁士「斎藤月曜美」、仲入り「格闘 〜battle2〜」、創作落語「お誕生会」、エンディング「大喜利」が、約1時間半、休憩なしのノンストップで上演される。
 手際語り際のよい旧作「サーカス」に、一味違った驚きのお誕生会の模様を描いた「お誕生会」という創作落語に加え、徳川夢声(活動弁士出身)ばりのもっちゃりねっちゃりした語り口で黒川さんお得意の言葉遊びが繰り広げられる活動弁士「斎藤月曜美」(ただし、前回第8回公演『白石の瓶』のコント「喜劇王犬養チョップ」に登場した同名の人物とは別人のようだ)、そしておなじみあの人物が大活躍する「格闘 〜battle2〜」と、盛り沢山の内容で、特に「格闘」には大笑いした。

 これで料金がたったの1000円(当日でも1200円)だというのだから、どうにも嬉しいかぎりだ。
 笑いにこだわる人にはマスト。
 そうでない人にも大いにお薦めしたい公演である。
 ああ、面白かった!
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2013年07月26日

ドキドキぼーいずの再旗揚げ#1『夢の愛』

☆ドキドキぼーいずの再旗揚げ#1『夢の愛』

 作・演出:本間広大
(2013年7月26日14時開演の回/KAIKA)


 作品に沿うならば、「本間広大の自画像」という一語にまとめられるだろうか。

 ドキドキぼーいずにとって再旗揚げ公演となる『夢の愛』は、画家・芸術家を夢見るある登場人物たちの姿を通して、本間広大のこれまでと今(そこには、単に彼の表現活動ばかりか、交友関係交流関係といった私生活も含まれる)が如実に示された作品となっていた。

 もちろん、福田きみどり(本当に表情がいい)と福田沙季(よく入り込んでいる)の二人の福田のツートップをはじめ、演者陣の特性魅力を活かした作劇となっていたし、観る側の感興を心得た結構ともなっていたが、やはり根底にあるのは演劇活動・表現活動に対する本間君の「自問」であり、「自答」であったのではないだろうか。
(その「自答」の中身についてはあえて云々しない。その「自答」の上で、ドキドキぼーいずが今後どのような作品を生み出していくかということに、僕は非常に興味がある)

 上述したツートップのほか、佐藤和駿、上蔀優樹(気になる演者の一人)、千代花奈(役柄と自分自身との間に齟齬があるか、もしくはそうでないのであれば、日頃の自分自身の出し方にちょっと無理があるのでは)、坂根隆介(雰囲気がいい)、森孝之、大休寺一磨、細見祥子という演者陣は、本間君(彼も出演)の意図を汲み取る努力を重ねていた。
(あと少し台詞の強弱がコントロールされればなあと思ったりしつつも)
 そして、松岡咲子。
 彼女がスーパーサブになりきれるか、言葉を換えれば「第三者の目」を持てるか否かが、これからのドキドキぼーいずの大きな鍵の一つになるような気がする。

 いずれにしても、次回の公演を愉しみに待ちたい。
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2013年07月16日

正直者の会『日曜月』

☆正直者の会『日曜月』

 作・演出・出演:田中遊
(2013年7月15日17時開演の回/西陣ファクトリーGARDEN)


 正直者の会の公演『日曜月』を観聴きした。

 田中遊という一人の人間の日々の生活から生まれた様々な想いが、田中さんが「戯声」と呼ぶ、音、声、言葉の重ね合わせの試みの中からはっきりと浮かび上がってくるようで、強く心を動かされた。

 ライヴ特有の傷はありつつも、朝平陽子、板倉真弓、木村雅子、浜田夏峰(地に足のついた「肝っ玉ねえさん」たち、と言うとだいぶん意味が変わってくるかな。当然弱さ辛さは抱えているはずだけれど、それに自己陶酔しきって我を忘れたりすることのない強さを持った人たちだと思う)竹ち代毬也ら演者陣も、そうした田中さんの切実で痛切な想いをよく汲み取って、見事なアンサンブルを発揮していた。

 観ておいて本当によかったと思える作品であり、公演だった。
 ああ、素晴らしかった!
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2013年07月14日

月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(大阪公演)

☆月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(大阪公演)

 作・演出:作道雄
(2013年7月14日17時開演の回/in→dependent theatre 2nd)

 *劇団からのご招待


 ところを大阪はin→dependent theatre 2ndに移した、月面クロワッサンのvol.6『オレンジのハイウェイ』の最終公演を観に行って来た。

 元立誠小学校の音楽室に比べて大きめの舞台ということもあって、小屋の間尺に合わせた作劇、演技、そして舞台美術(丸山ともきによる簡にして要を得たもの)に巧く造り変えられていたのではないか。
 未だ細部に気になる点は残しつつも、テキストはよくならされていて作道君の才智を感じさせたし、舞台の広さと格闘している感はありつつも、演者陣のアンサンブルもまとまりを見せていたと思う。
 中でも、今回は山西竜矢の芝居巧者ぶりが印象に残った。
(ほかに、西村花織が黙ってたたずんでいる姿と、森麻子が後ろを向いて髪をつくろっているあたりもよかった)

 で、京都・大阪と三回の公演に接して改めて思ったことは、密度の濃い作品造りには、やはりそれなりの時間が必要だということだ。
 来年1月に京都公演、2月に大阪公演が予定されているvol.7の『冬の栞(仮)』だが、適うことならば10月末か11月初めにプレプレビュー(内覧会)、それが無理だとしてもプロット・リーディングなど行ってはどうか。
 もしそれも難しいというのであれば、作道君が演者陣に課題を与えてC.T.T.に参加させる(大阪のほうに参加できるのならば、2月の公演の集客にもつながるはずだ)という手もなくはない。
 様々な可能性を持つ集団なだけに、そういった点に関して、深く留意してもらえればと願う。
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2013年07月08日

猛き流星 vol.2『朝日のような夕日をつれて』

☆猛き流星 vol.2『朝日のような夕日をつれて』

 作:鴻上尚史
演出:酒井信古
(2013年7月7日19時開演の回/京都大学吉田寮食堂)


 小西啓介主宰の演劇ユニット、猛き流星が第2回目の公演にとり上げたのは、鴻上尚史と第三舞台の旗揚げ作品にして出世作となった『朝日のような夕日をつれて』。
 とくれば、「ゴド待ち」のことやつかこうへいからの影響、そして鴻上尚史とその同世代者にとっての切実さ痛切さということになるのだけれど、演者スタッフ陣より先輩格と思しき演出の酒井信古はひとまず置くとしても、小西君にとっては1980年代初頭の云々かんぬん(ただし、今回用いられたテキストは何回目かの改訂版を演者陣や吉田寮食堂の間尺に合わせたものとなっていたが)より何より、作品そのものの持つ疾走感が自らの表現欲求とぴったりしっくり重なり合っていたのではないか。
 実際、小西君をはじめ、黒須和輝、土谷凌太、中西良友、中原匠という演者陣が汗いっぱい(いっとう前の席だったが、ぴしゃっぴしゃっと彼らの汗が飛んできた!)つばきいっぱいになって、ところ狭しと動き回り速射砲のように台詞を吐きだす姿には、どうにもこうにも心を動かされずにはいられなかった。
 物語のピーク以降、若干ペースが減速した感はありはしたものの、自虐性に富んだメタネタや細かいくすぐり等笑いの仕掛けもテンポよく決まっていて、二時間の上演時間がとても短く感じられた。
 そして、演者陣の直球勝負の演技には好感を抱いた。

 ひょんなことが重なっての観劇だったが、これは観ておいて正解だった。
 ああ、面白かった!
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2013年07月06日

てんこもり堂 第5回本公演『真、夏の夜の夢』

☆てんこもり堂 第5回本公演『真、夏の夜の夢』

 原作:シェイクスピア(『夏の夜の夢』)
 翻訳:小田島雄志
 構成・演出:藤本隆志
(2013年7月6日14時開演の回/アトリエ劇研)


 てんこもり堂にとって5回目の本公演となる『真、夏の夜の夢』は、2010年11月のぶんげいマスターピースのシェイクスピア・コンペに始まって、翌11年9月の青柳敦子演出の『K・リア 〜ヒメミコタチノオハナシ〜』への出演、さらに一連の明倫ワークショップと、この間シェイクスピアと系統立てて向き合ってきた藤本隆志、金乃梨子の二人にとって、その集大成となる公演だったように思う。

 ハムレット的、マクベス的な引き裂かれる自己と言ってしまえばありきたりで大げさに過ぎるかもしれないが、演出面において、よい意味での「学芸会のお芝居」のような面白さ愉しさと、例えばニットキャップシアターの『さらば箱舟』の出演などで咀嚼吸収してきたものとを如何に結び合わせるかという意味で、成功した部分と若干の無理(詰まりきらなさ)を生んでいた部分とにわかれていたように感じられる場面もありはしたものの、登場人物間の関係性や作品の構図を通してシェイクスピアのテキストの持つ生きることのおかかなしさと人の心の動きの不思議さがよく表わされていたのではないだろうか。
 テルやん、芦谷康介、マキノナヲキ、岡本梢、渡邉裕史、ケる子、長田美穂という、一癖も二癖もあるバラエティに富んだ演者陣の特性魅力も、巧く発揮されていたと思う。
 中でも、終盤の中嶋やすきの台詞が強く印象に残った。
 また、かつてのハラダリャンとのコンビネーションを彷彿とさせるような笑いの仕掛けも細かく施されていたし、意識無意識は置くとして、藤本隆志の「私」の部分が垣間見えていた点も、僕には非常に興味深かった。

 いずれにしても、てんこもり堂の今後の活動に期待していきたい。

 ああ、面白かった!
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2013年07月01日

努力クラブ6『家』

☆努力クラブ6『家』

 作・演出:合田団地
(2013年6月30日19時開演の回/アトリエ劇研)


 あれはもう何年前のことになるだろう。
 親しくしていた女性から、「中瀬さんは強いですね」とぽつりと言われたことがある。
 「いや、僕はびびりやし、死ぬのは怖くてたまらないし、へたれやし、すぐにかっとなるし」とすぐさま応えたが、彼女は「そんなことじゃないくて。中瀬さんはやっぱり強いです」とさらに続けた。
 きっと彼女は、本当は僕が強いんじゃなくて、冷たいと口にしたかったのではないだろうか。
 努力クラブにとって6回目の本公演となる『家』を観ながら、ついそんなことを思い出してしまった。


 演劇的趣向はもちろんのこと、終演後ある人が話していたように映像作品との親近性も強く感じた『家』だけれど、僕自身がこの作品を観て第一に感じたことは、文學界や群像に掲載されるような純文学の小説、それも「私小説」だなあということだった。
 と、言っても何から何まで「ぼく」まみれ、幕開きから幕切れまで自我の垂れ流しなんてことは毛頭ない。
(だいたい、第三者が介在するお芝居でそんなことまずもって無理である)

 それどころか、時折合田団地本人のツイッターのツイートを想起させるような、本音と韜晦きわきわあたりの言葉を織り込みつつも、佐々木峻一演じる主人公(合田君の本質と大きな齟齬のある彼にこの役を任せたことは、物語を客観化させるという意味でも正解だったと思う。佐々木君にとって腑に落ちる役柄だったかどうかは置くとして)と彼を取り巻く登場人物たちを通して、より普遍的な袋小路に入り込んだ人間の救いようのないあり様が、おかかなしい笑いを伴いながらじぐじぐぐじぐじと描かれていく。
 正直、合田君が意図した以上の冗長さを感じた場面もなくはなかったが、それもまた作品世界の持ついーっとなるような雰囲気の醸成に貢献していたことは否めまい。
 また、ミニマリズムやマジックリアリズムの応用等、作品の結構構成が興味深かったことも確かである。

 だが、それより何より、そのような意匠がこらされているからこそなおのこと、創作活動、表現活動というものが合田団地という人間にとって欠けてはならないもの、生きることの大きな支えにもなっているのだと改めて強く感じ、僕は深く共感を覚えた。

 けれど一方で、この『家』の登場人物間の関係性の底、作品全体の底にある優しさ、甘さに対し、違和感を持ったこともまた事実だ。
 ただし、その優しさ、甘さは、単なる合田君の自分自身への甘さ、自己憐憫とは異なる。
 映画の『アマデウス』のラストで、サリエリが癲狂院の患者たちに微笑みかけるような感情、といえばちょっと違うかな。
 ならば、「しゃむない人間はしゃむないけど…」の「けど…」と言い換えてもよい。
 そして、僕はその「けど…」という曰く言い難い感情に対して、あまり共感を持ちえないのである。
 そのことこそが、いっとう最初に記したことと大きく関わってくるのだとも思う。


 先述した佐々木君をはじめ、九鬼そねみ(今回は少し演技を意識し過ぎたか)、無農薬亭農薬、猿そのものの努力クラブの面々と、キタノ万里(彼女の役回りもまた、この作品の「私小説」性を高めていた)、新谷大輝、川北唯(誉め言葉として、彼女にはもっと「底意地の悪い」役を演じて欲しい)、木下ノコシ、長坂ひかる、飯坂美鶴妃(マジックリアリズムならぬマジックマッシュルーム的な演技を披歴)の客演陣は、各々の特性魅力をよく発揮していたが、合田君が本来描こうとしたものと実際の演技との間に大きな齟齬を感じてしまったことも、残念ながら否定できない。
 そうした齟齬を如何にして埋めていくか。
 合田君本人の努力ももちろん必要だろうけれど、他の面々の努力も当然必要とされているのではないか。

 合田君の表現の力点がどこに置かれていくかということも含めて、努力クラブの今後の活動に大きく期待したい。
 次回の公演が本当に愉しみである。
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2013年06月25日

月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

☆月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

 作・演出:作道雄
(2013年6月24日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)

 *劇団からのご招待


 初日に続いて、月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』の最終公演を観た。

 基本的な感想は、初日の観劇記録に譲るが、公演を重ねた分作品の要所がより明確になって笑いも増えていた反面、楽日ということもあってか、演者陣の疲れ、粗さも散見されたのは残念だった。
 そうした中で、丸山交通公園の奮戦ぶりが目を引いた。
 久方ぶりの友達図鑑の公演が、すこぶる愉しみである。

 で、まだ大阪公演を残していることもあり、作品の詳細については触れないけれど、初日の観劇記録にも記した通り、この『オレンジのハイウェイ』は、卓越したプロデュース能力の持ち主でもある作道雄の創作的志向と彼が考える月面クロワッサンの今後の方向性が如実に示された作品だと思う。
 そして、これまた初日の観劇記録に記したように、作道君の望む月面クロワッサンのステップアップのあり様を考えれば、彼がそうした志向と方向性をとることと、それに見合った演技を演者陣に求めることも十二分に理解できることである。

 ただ、それが果たして『オレンジのハイウェイ』という作品全体に、演者陣の演技に、巧く反映されていたかと問われれば、この京都公演に関してはまだ不完全な状態だったと言わざるをえない。
 むろん、そこには作道君の希求する作品世界に沿った演技を完璧には実現し得ない、現段階での演者陣の技術的な限界もあるだろう。
 だが一方で、演者陣の表面的ではない内面的特性と本質を今一つとらまえきれていない『オレンジのハイウェイ』のテキストと演出の問題も、やはり指摘しておかなければならないのではないか。
 確かに、先日の明倫ワークショップでも示されたような、作家・演出家の要求に柔軟に対応できる演技へのシフトチェンジが意図的に図られていることも事実だろうが、もしそうだとしても、いやだったらなおさらのこと、個々の演者への総合的で丁寧な評価に基づいた作品づくりが行われるべきだと、僕は思う。
 例えばそれは、ヲサガリや十中連合での小川晶弘より月面クロワッサンでの小川晶弘が光って見えるような、努力クラブでの稲葉俊より月面クロワッサンでの稲葉俊が光って見えるような作品づくり、と言い換えてもよい。
(ビジュアル面での印象や演技の質は置くとして、西村花織と森麻子の役回りは逆でも面白いのではないか。そうそう、偶然二人が出演しているので付け加えておくと、しようよの大原渉平君にも、こうした「逆転」を求めたい女性の演者のキャスティングを行っているときが時折あるような気がする)

 以前、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の喩えを、月面クロワッサンの観劇記録で持ち出したことがあったけど、それこそ作道君がみんなのためを思い、みんなと一緒に「細くない」蜘蛛の糸を昇っていこうとしても、「いやいや、そんなに慌てて昇らんでも」、「こんなの昇って大丈夫なの」、「いやあ、作道とは昇りたくないよ」となっては、せっかくの作道君の努力も水の泡となる。
 KBS京都のドラマ放映をはじめ、今後の可能性が徐々に開けているときだからこそ、月面クロワッサンという集団内での強固な共通認識の形成と緊密な意思疎通、そしてそれを受けての作品づくりを心から願ってやまない。

 最後に、限られた舞台空間を巧く活かした舞台美術(栗山万葉、南秋穂の補佐)が強く印象に残ったことを付記しておきたい。
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2013年06月23日

夕暮れ社 弱男ユニット『夕暮れ社、海のリハーサル』

☆夕暮れ社 弱男ユニット<初夏のお芝居短編集>シリーズ第3弾
 『夕暮れ社、海のリハーサル』

 作・演出:村上慎太郎
(2013年6月23日15時半開演の回/元・立誠小学校講堂)


 ここ数年夕暮れ社 弱男ユニットが開催している<初夏のお芝居短編集>の第3弾、『夕暮れ社、海のリハーサル』を観に行って来たが、元・立誠小学校の講堂という広い会場を存分に活かしきった愉しい短編集に仕上がっていたのではないか。
 「海のテンション」のリハーサルに始まって、「海水浴」のリハーサル、「海写真」のリハーサル、「夏フェス」のリハーサル、「マーメイド」になりたい、「ことう」のケンコー骨、「準備運動」のリハーサル、「ポセイドン」になりたい、「うみ、しほ、トモダチ」、「海」のリハーサルと、10本の短いお芝居(もしかしたら、それはスケッチと呼んでもいいかもしれない)が続けて上演されていたのだけれど、まるでコント55号のごとき暴力性不条理性すら秘めたあの手この手に、ときに大笑いしたりときに苦笑いしたり、ときにしんみりしたりと、実に面白かった。

 で、海が舞台ということもあって、ラストに海の映像が大きなスクリーンにばんと映し出されるリーディング『ピュラデス』とどうしても比較しながら観てしまったのだが、あなたどストレートの海丸出しに対して、こなた一見安普請、その実よくよく考えられた舞台美術に、演者の演技という演劇的手法を駆使した抽象的な海のあり様一つとっても、パゾリーニが多くを学んだと言われるグラムシの「陣地戦論」をよりしっかりと実践しているのは、村上君と夕暮れ社 弱男ユニットの面々のほうじゃないのか、と思わずにはいられなかった。
 いや、ちょうど44歳の誕生日を数日前に迎えて、人生の砂時計の砂が落ちる音がさらに大きく聴こえてくるように感じられる自分自身にとって、川村さんが示した終息感(終末感ではない)とある種の死への憧憬(ルキノ・ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』でおなじみな、マーラーの交響曲第5番の第4楽章:アダージェットの使用もこのことと大きく関わっていると思う。ちなみに、パゾリーニ自身は死を強制されたのだが)は、全く理解の外にあるものではない。
 けれど、やはり、笑いという糖衣をまぶしながらも、演劇に対して愚直に闘いを挑み続ける、村上君らの生命力というか、表現のエネルギーの強さのほうに、大きく心魅かれたこともまた事実なのである。
(と、言っても、もちろん脳天気に莫迦やってますってことじゃない。一筆書きですっと描き上げられたように見えて、けっこう細かい色付けがなされていることも、きちんと付け加えておかないと)

 稲森明日香、御厨亮、南志穂、向井咲絵の夕暮れ社 弱男ユニットの面々と、客演の伊勢村圭太、古藤望、小林欣也、降矢菜採、岩崎優希ら演者陣は、村上君の演出もあってだけれど、各々の特性魅力をよく発揮していたと思う。
 そして、藤居知佳子のベルカント!!
 正直、僕の声質の好みとは若干ずれているものの(でも、キリ・テ・カナワやバーバラ・ヘンドリックスなんかに比べれば藤居さんのほうが断然好き!)、なんちゃってじゃないしっかりした歌唱だった。
 話の流れに沿った選曲も抜群だったし。

 いずれにしても、ああ面白かった!!


 そうそう、最終公演のアフタートークは、なんとあの御厨貴先生がゲストとのこと。
 しまった、夜の回にしておくんだった!!!
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2013年06月22日

リーディング『ピュラデス』

☆リーディング『ピュラデス』

 作:ピエル・パオロ・パゾリーニ
 構成・演出:川村毅
(2013年6月22日19時開演/京都芸術劇場studio21)


 アナーキスト的心性の持ち主でダダイストの辻潤と、その後大杉栄のもとに走り彼とともに虐殺された伊藤野枝の長子辻まことの生涯を追った『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』<山川出版社>を読み終えたばかりということもあってか、ピエル・パオロ・パゾリーニの戯曲『ピュラデス』のリーディング公演を観聴きしながら、戦前の日本ではコミュニストよりもアナーキストのほうがより厳しい弾圧を受けていたんだよなあ(なぜなら、アナーキストは国家そのものを否定するので)とか、もしパゾリーニが日本に生まれてコミュニストとなり、そのままの創作活動を行ったりでもしたら、それこそ「敗北の文学」ならぬ「敗北の映像」などと難癖をつけられた上で、異端分子のアナーキストのレッテルのもと除名処分を受けたんじゃなかろうかと、ついつい思ってしまった。

 まあ、それは戯言として、パゾリーニが執筆した『ピュラデス』(ばかりか、彼の遺した一連の作品)は、川村毅が公演パンフレットで記しているように、「執筆当時のイタリア社会への苛烈な批評」となっていることは、言うまでもない。
 リヒャルト・シュトラウスが『エレクトラ』のタイトルで楽劇化したことでも有名な、エレクトラとオレステスによる母親殺しのギリシャ悲劇を下敷きとした『ピュラデス』は、イタリア国内における、保守的な政治権力と密接に結びついたキリスト教による文化支配(何せ、キリスト教民主党なる政党が戦後長年イタリアの政権を担っていたんだもの)=労働者支配と、大資本による労働力強化、一方でコミュニズムの支持拡大による労使対立思想対立の激化を如実に反映した作品である。
 当然、露悪的な性的表現も、単なる芸術趣味としての涜神性によるものではなく、同性愛者であることを公言したパゾリーニの文化的社会的桎梏への痛烈な意志表明と考えなければならないだろう。
 そして、川村さんがこれまた記しているように、この『ピュラデス』は、形は異なると言えども、現在の日本の諸状況に通底するものがあるという意味で、大いにアクチュアルな作品であると僕も思う。

 しかしながら、そうした川村さんの言葉やテキスト自体とは裏腹に、今回のリーディング公演(単に台本を読むだけではなく、映像や簡潔な演技等、川村さんらしい仕掛けも施されていた)そのものに覚えたことは、アクチュアル云々かんぬんというより、全てが過ぎ去ってしまったというか、もう終わってこれからがないというか、円環が閉じられたというか、ある種の終息感であった。
 一つには、パゾリーニと同じイタリア出身の巨匠が撮影した有名作品をすぐにも思い出させるようなクラシックの名曲(まさか、伊丹十三監督の『タンポポ』からじゃないよね。役所広司と黒田福美!)がふんだんに使用されて、カタルシスが喚起されていたことも大きいのだろうけど。

 演者陣では、イントネーションなどでいくつか気になる点があったものの、オレステス役の田中遊とアテナ役の武田暁の存在感と丁寧なリーディングに好感を覚えた。
 また、天使役・エウメニデス役の森田真和も強く印象に残った。
(ところで、田中さんと森田さんのキャスティングは、たぶん杉原邦生演出の『エンジェルス・イン・アメリカ』によるものと考えられるのだが、公演パンフレットのキャストの経歴のところでお二人ともそれが省かれている。いったいどうしてだろう?)
 ほかに、京都造形芸術大学生の原田佳名子、田中祐気、福久聡吾らも出演。
 彼女彼らの研鑚のあり様がよくわかる演技で、今後の活躍が愉しみだ。
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月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』

☆月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』

 脚本・演出:作道雄
(2013年6月21日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)

 *劇団からのご招待



 市川崑や岡本喜八、増村保造らが自らの作品の登場人物に、あっと言う間もあらばこそ、一気呵成速射砲の如く、次から次へと台詞を吐き続けさせたことは、高度経済成長直前の表層的な時代や社会の変化に対する諧謔精神の表われであったり、深い憤りの表われであったりしたわけだけど、月面クロワッサンにとって6回目の本公演となる『オレンジのハイウェイ』で作・演出の作道雄が見せた演者陣のスピーディーなテンポによる台詞のやり取りは、そうした先人たちとは異なって、まさしく疾走する希望とでも呼びたくなるような明度が高くて、軽さを帯びたものだった。

 舞台は高速道路、ひょんなことから出会った人たちが、ある目的に向かって動き始め…。
 と、これ以上は書いちゃいけないな。
 速いテンポの台詞の積み重ねの中から、物語の結構が徐々に明らかになっていくという構成で、後味の悪さのない、小気味のよい作品に仕上がっていた。
 初日ということで、アンサンブルの練りの足りない部分が見受けられたのも事実だが、これは公演を重ねるごとにどんどん精度を増していくことだろう。
 また、登場人物たちの置かれた状況や彼彼女らが口にする言葉想いが、作道君や月面クロワッサンの面々としっかり重なり合っている点は「私戯曲」の趣きがあって面白かったし、丸山交通公園や山西竜矢ら演者個人の見せ場を用意はしつつも、基本的には上述したようなテンポ感でかっちりと統制のとれた作劇をはかっている点は、今後の劇団の方向性(どのようなお客さんに向けて、何を観せ何を伝えるか)を明確に示した作道君の「創作方法論」、「マニフェスト」となっているように感じられてとても興味深かった。
(これまで作道君の作品に現れていたある重要なモティーフが封印されていることも、たぶんこのことと関係しているかもしれない)
 そして、そうした方向性を示すことと、そうした方向性に合わせた演技を演者陣に求めることは、月面クロワッサンの今後のステップアップを考えれば当然のことであるとも、僕は思った。

 ただ、だからこそ、公演の本番に到るまでの時間がもっと有効に活かされることを強く望まないでもない。
 それは、より速く脚本の第一稿を完成させ、プレプレビュー公演(内覧)を実施した上で改訂作業を行うことによって、演者陣の特性がより深くとらまえられ登場人物の背景陰影がさらに細かく表現された密度の濃い脚本と精度の高いアンサンブルを造り出していく、という風に詳しく言い換えることもできるだろう。
 作道君や月面クロワッサンの面々が、例えば、吉本新喜劇のような日々の公演によって培われた演技と芸とアンサンブルの瞬発力に重きを置く団体を目指していくのであればまた話は別だけれど、少なくとも作道君の求めているものは、より完成度の高いウエルメイドなシットコム(シチュエーションコメディ)なのではないか。
 もしそうであるならば、来年1月に予定されている次回京都公演に関しては、ぜひそういった点に充分留意してもらえればと願わずにいられない。

 丸山君や山西君、小川晶弘、稲葉俊、太田了輔、横山清正ら演者陣は、作品世界によく沿う努力を重ねていた。
 僕自身は、黙っている場面、それもほとんど身体を動かしていない場面での、西村花織や森麻子の表情が、彼女ら本人の真情本質を垣間見せているようで非常に印象に残った。
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2013年06月10日

笑の内閣プロレス復活特別公演『高間家 平井家 結婚お披露目パーティー』

☆笑の内閣プロレス復活特別公演
 『高間家 平井家 結婚お披露目パーティー』

 作・演出:新郎(高間響)
(2013年6月9日14時半開演/京都大学西部講堂)


 空前絶後とまでは言えまいが、やはり前代未聞なことだろう。
 京都大学西部講堂で結婚祝賀のお食事会を開くまではまだしも、そこにプロレス付きの披露宴をドッキングしてこましたろうなんて。
 しかも、友人知己ばかりか一般のお客さんにそれを開放しようというのだから、これはもう沙汰の限り。
 そんな笑の内閣プロレス復活特別公演『高間家 平井家 結婚お披露目パーティー』だが、おめでたい席が大好きな上に、最近笑の内閣に対する明確な支持を打ち出している人間としては、これは当然観逃せまい。
 と、言うことで、昨日京都大学西部講堂まで足を運んだのだけれど、いやあこれは足を運んで本当に大正解。
 いい公演であり、いい試合であり、そして何よりいいお披露目パーティーとなっていた。

 さて、我ら一般客はお食事会終了後の14時頃より西部講堂に入場。
 四方香菜の司会で、沢大洋扮するなんたろザビエル神父に従って新郎の高間上皇と新婦の平井ゆき枝さんが登場し、一同起立で讃美歌「いつくしみふかき」を斉唱。
 お互い誓いの言葉を口にしたまではよかったが(沢ザビエル神父が、「貧しきときも」を「まぶしき」と言い間違えたのが、まず反則だ)、そこに五藤七瑛(ピンク地底人2号。やりもやったり)率いる「ごなえ軍」が乱入し、ゆき枝さんを奪っていったからたまらない。
 プロレス勝負に勝てばゆき枝さんを返してやろうという、アメリカのプロレス団体を彷彿とさせるプロレス試合プロレス芝居、まさしく怒涛の「茶番」(誉め言葉あるよ)のはじまりはじまり。
(ただ、「茶番」は「茶番」だけれど、上皇ばかりか他の出演者たちの古傷、今の傷をさらけ出すあたり、充分「私戯曲」ともなっている)

 で、テレビは置くとして、生のプロレスといえば学生時代に全日本プロレスの試合を何度か観たかぎりの人間としては(余談だけれど、鶴田や三沢のエースはもちろんのこと、ジャイアント馬場とラッシャー木村、大熊元司、永源遥、渕正信、マイティ井上らの繰り広げる「茶番」も僕は大好きだった)、プロレスそのものに関してあれこれ言えないのだけれど、仮面のドス・ミサワ(清水航平)と瑞慶覧長空の第1試合からして、激しいやり取りにぐっと入り込む。
 これまでプロレスの試合は未経験ということに驚いたほど。

 続いて、クールキャッツ高杉は、伊藤純也、HIROFUMI、金原ぽち子、髭だるマン、上蔀裕樹ふんする岡山名産怪人軍団との一騎打ち。
 クールキャッツ高杉の奮戦で高間軍の勝利かと思いきや、岡山・津山・八つ墓村のたたりで彼が呪い殺されるといういかにもの展開で、試合は続く。
(以降も含めて、合田団地、中谷和代、川崎一輝、社会窓太郎、伊集院聖羅、薮内隼、どす恋❤太郎らが華?を添える。ちなみに、秘書役の小林まゆみは昨日が誕生日だったよし。おめでとうございます)

 お次は、リッキー・クレイジー(嵯峨シモン)&マリイ・ジョー(藤井麻理)とグレイブディガー(ちっく)&ピンク金星人3号(浪崎孝二郎)のタッグマッチ。
 特に、ベテラン嵯峨シモンとちっくの試合運びを愉しむ。

 そうそう、この間プロのプロレスとは違うから、どうしても試合展開に隙間が出たりもしていたのだが、解説の向坂達矢をはじめ、実況の本宿直幸、木村直幸あたりがときに舌鋒鋭くそこをカバーしていたんだった。
(ほかに、レフェリー・ミスター八つ橋を野口雄輔、リングアナをスピッ太郎が務めていた)

 さらに、高間軍の熱い男しゃくなげ謙治郎&デルウィーシュ・アル・ヒル・ダヒカ(由良真介)とごなえ軍のクレイジー・キラー(高田会計)&グレートティーチャーヒゴハシ(肥後橋輝彦)の勝負も高間軍は劣勢で、ついに新郎高間上皇自身がリングに上がらざるをえなくなって…。
 と、ここからはもうお約束の流れだったのだが、高間上皇の様々な想いが表わされたりしたのち、無事ゆき枝さんとの愛が確認されたときには、驚くことにぐっと心を動かされた自分がいた。


 これも全ては、総勢38人の出演者+スタッフ陣を集め得た高間上皇の人徳…。
 いや違う違う、まずはこうした企画にOKを出した新婦ゆき枝さん(美しくってプロポーションもいい)こそ、大きく讃えられてしかるべきだ。
 ただ、ゆき枝さんを「だめ男に母性本能をくすぐられた女性」、なんて考えてしまっては大きな誤りであることは、打ち上げの席でのゆき枝さんご本人のお話からも明らかだろう。
 自分のだめさ、あかん子さ、弱さをさらけ出して、それでもやりたいことをやる、という高間上皇の姿勢人柄をこそ、ゆき枝さんは認めたのではないか。
 そしてそれはたぶん、直接高間上皇に不満をぶちまけながらも、こうやって集まった出演者スタッフ、その他関係者(加えて一般のお客さん)にも通じることだと思う。
(その意味で対象的なのが、歯噛みしてでも自分の弱さを見せたくないだろう月面クロワッサンの作道雄君だ。公演間際なので仕方ないことは承知の上で、彼の不在が本当に残念だった)


 いずれにしても、そうしたゆき枝さん、高間上皇に相応しいパーティーだった。
 ゆき枝さんと高間上皇の末永いお幸せを心より祈願しつつ。
 本当におめでとうございます!!
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2013年06月08日

C.T.T. kyoto vol.103 2013年6月上演会

☆C.T.T. kyoto vol.103 2013年6月上演会

 前田愛美:『対人関係について』
 アルカリ:『思いやりメロンパン』
(2013年6月8日16時30分開演/アトリエ劇研)


 今回で103回目を数える、C.T.T. kyotoの上演会は、演劇二題。

 まずは、前田愛美作・演出・出演による『対人関係について』が上演されたが、これは前田さんらしさが十二分に発揮された内容となっていた。
 「前田愛美って誰やねん?」という人にとっては(いや、そうじゃなくても)、ミシン台の上でトイレットペーパーと白熱灯が正面衝突したような、「なんやのんこれ?」という感情を惹起させかねないことも想像に難くないけれど、前田さんの切実な表現欲求や内面の思索、tabula=rasaをはじめとした演劇的経験や体験、ばかりか、ある種の鋭い批評性がよく表われたシアターピースに仕上がっていたことも確かな事実である。
 自己撞着に陥る危うさを感じないでもないが、前田さんにはぜひとも演劇活動表現活動を続けていってもらいたいと切に願う。

 一方、アルカリは、筒井加寿子さんが講師・作・演出を務める劇研アクターズラボ+ルドルフ「絶対、大丈夫か」(アクターズラボ公演クラス)の第1期生である高橋太樹=脚本、岩崎果林、多田勘太による三人芝居。
(なお、岩崎さんと多田君は、第2期にも続けて参加しているとのこと)
 上述した「絶対、大丈夫か」の第1回公演『NEVER WEDDING STORY』を彷彿とさせるウェルメイドプレイの作品で、愉しい、でもちょっとばかりシニックな舞台を造り上げようとする三人の姿勢には非常に好感を抱いた。
 ただ、脚本演技の両面で、ああ、惜しいなと感じてしまう時間が多かったことも、残念ながら否めない。
 と言うのも、合評会でも感想を述べたのだけれど、脚本では粘る(もしくは、笑いの「ルーティン」を守る)べき部分と、さらりとかわすべき部分がけっこうずれていたように思うし、演技ではもっとウェルメイドプレイ流儀の軽やかな演技が求めらているものが、つかこうへい風の一本調子な感情表現に留まっていたように思うからだ。
 とはいえ、演者陣三人の特性魅力は充分わかったし(例えば、岩崎さんはコメディエンヌとして重宝されるようになるのではないか。チャーミングだしコケティッシュだし、おまけに芯も強そうだ)、ウェルメイドプレイをじっくり造り込もうという姿勢は、しっかり評価しておくべきだろう。
 今後に期待したい。

 それにしても、彼女彼らの舞台を観てつくづく感じたのは、筒井さんの存在の大きさである。
 一つは、演劇に触れ始めて僅か一年とちょっとの三人に、こうやって自分たちのお芝居を上演したいと思わせたこと。
 そしてもう一つは、『NEVER WEDDING STORY』と『思いやりメロンパン』を比べたときにはっきりとわかる、筒井さんの演出家としての力。
 そんなこと当たり前だと口にするむきもあるだろうが、えてして表に現われたものだけで云々かんぬんされがちなきらいも少なくない分(演出の場合、それも仕方のないことでもあろうが)、あえて一言記しておくことにした。
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2013年05月31日

THE GO AND MO'S第8回公演『白石の瓶』

☆THE GO AND MO’S第8回公演『白石の瓶』

 脚本・演出:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 出演:森本研典、黒川猛
 音楽:Nov.16
 映像協力:竹崎博人
 制作:丸井重樹
(2013年5月31日19時半開演/壱坪シアター・スワン)


 たとえ二人の人間がその場に居ても、存在するのは一人一人の人間である。
 何から何まで束ねることなんてできやしない、という想いがそのままタイトルとなったのが、矢崎仁司監督の新作『1+1=1 1』(いちたすいちはいちいち)だけれど、太陽族のベテラン森本研典をゲストに迎えた、THE GO AND MO’Sの第8回公演『白石の瓶』も、よい意味で「1+1=1 1」と評したくなるような舞台となっていた。

 中でも、コント「喜劇王犬養チョップ」は、黒川さんと森本さんの特性魅力がしっかり結び合いがっちり向かい合っている上に、黒川さんの笑いに対する思考と嗜好、志向と試行がよく出た作品になっていて、実に面白かった。
 それにしても、森本さん、やりよるなあ!

 ほかに、森本さんのゲスト出演のきっかけである当たり屋「田島太朗」のキャラクターを活かしたコントや映像(北銀馬早苗も再登場!)、さらにはおなじみあの人物の「体技」など、バーバルギャグにサイトギャグと盛り沢山の内容で、まさしく必見の一語である。
 これで1000円は、本当に安い。

 ああ、面白かった!!
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2013年04月16日

第17次笑の内閣『65歳からの風営法』

☆第17次笑の内閣『65歳からの風営法』

 作・演出:高間響
(2013年4月16日15時開演の回/METORO)


 戦前戦後を一貫して、思想信条や言論学問、表現の自由のために闘い続けた弁護士海野普吉の評伝、入江曜子著の『思想は裁かれるか』<筑摩選書>を読み終えたばかりだが、その海野普吉の姿と笑の内閣の高間響の姿とが重なり合うような気がすると記せば、多くの人たちは「えっ?突然あんたは何を言い出すのかいな」と目を白黒させるかもしれない。
 世評も高い人物と高間君を同一視するなんて。
 けれど、他者の利害と自己のそれとの関係を視野にも入れつつ、強い力で人の自由を奪おうとするあれやこれやに怒り憤りを覚え、なおかつそれをわかりやすく説き明かし、しかも自分の論敵さえも納得するようなバランスのとれたやり方で対峙していこうとする姿勢は、やはり海野普吉と高間響に大きく共通することだと思う。
 もちろん、法そのものと、笑いの勝ったお芝居演劇という武器の違いも忘れてはなるまいが。

 そんな高間響と笑の内閣が今回テーマにとり上げたのは、昨今反対運動が盛り上がりつつある、風営法におけるダンス規制とクラブ摘発の問題である。
 で、僕自身、高間さん同様(公演プログラムの「あいさつ」参照)、ダンスにもクラブにもほとんど興味関心を持ってこなかった人間ではあるのだけれど、今回の『65歳からの風営法』を観ることで、風営法によるダンス規制が突っ込みどころの多い時代錯誤で拡大解釈の恐れの強いものであること、そしてそれが演劇をはじめとする表現活動を行っている人間にとって密接に関係しているものであることを、よく理解することができた。

 と、こう書くと、なんだそれってアジテーション演劇じゃん、「ためにするお芝居」はねえって声もあるかもしれないが、さにあらず。
 先述した如く、わかりやすいたとえ話(シチュエーション)に加え、自分は本来ダンスやクラブなんて「どっちでもいい」ことなんだけどという視点からなるばく客観的に描かれる努力が為されていて、全く押しつけがましさを感じない。
 高間さんの狙いや仕掛けはわかりつつも、あいにく僕の観た回はトラブルもあったりして、中盤以降までどうにも乗り切れないもどかしさを覚えてしまったが、丸山交通公園の登場あたりから盛り返したのではないか。
 展開その他、粗さを感じた部分もなくはなかったのだけれど、表面的な物語だけではなく、クラブという会場の雰囲気を巧く取り入れた作劇であり、しんみりさせどころもよく設けられていたように思う。

 演者陣は、今回に限ってならば丸山君が堂々のMVP。
 笑いのことがよくわかっているし、人情味が必要とさえる部分もよく演じていた。
 ただ、公演全体というか、アンケートでMVPにあえて推したのは、小林まゆみだった。
 と、言うのも、例えば努力クラブの第1回目の公演やC.T.T.でのピンク地底人の上演で、他の演者に比べれば確かに技術的には一程度の水準にありつつも、どうしても手わざが先に来て、「テレビの再現フィルム的」な巧さに留まっているように感じられてならなかったものが、今回の『65歳からの風営法』では、演技の精度のよさはそのままに、演じた登場人物の真情(それは、高間さんのそれでもある)と小林さんの内面にある表現への欲求、演技への欲求とがしっかり結びついて表わされていたように思われたからだ。
 その意味でも、僕はこの『65歳からの風営法』を観ておいてよかったと強く感じた。
 ほかに、田中浩之(今気になる演者の一人)、髭だるマン、しゃくなげ謙治郎、伊藤純也、藤井麻理(今回は彼女の柄に合っていたのでは?)、由良真介、廣瀬愛子、高間さん自身、清水航平、抹茶ぷりんらが出演。

 いずれにしても、単に面白さ笑いを追求しているからだけではなく、「今」だからこそ、「負けの数」を少しでも減らしたいからこそ、今後も笑の内閣を応援し続けたい。

 ああ、面白かった!
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2013年04月08日

努力クラブ必見コント集『正しい異臭』

☆努力クラブ必見コント集『正しい異臭』

 脚本・演出:合田団地
(2013年4月7日19時開演の回/人間座スタジオ)


 巷間評価が高まっている努力クラブが必見コント集をやるというので観に行ってきたが、いやあこのコント集『正しい異臭』は、掛け値なしに面白かったなあ。
 まさしく必見!
(一つ一つのコントはけっこう長めのものだから、本当は「スケッチ」集と呼ぶべきものなんだろうけど、それじゃあなんのことだかわからないもんね。なので、コント集で大正解)

 今回は合田団地らしさ(当然そこには、彼が伝えようとすることや想い、世界観も加わるのだが、あえてくどくどとは申しません)もしっかり出ていたんだけれど、わかりやすさ笑いやすさのバランスもきっちりはかられた作品づくりで、見事三振の山を築いていた。
 バーバルギャグにサイトギャグ、べたにルーティンと笑いの基本を押さえた上で、そこにこれまでの努力クラブの一連の公演ともつながる、粘らないリリカルさや意図された暴力性不条理性、それから演劇的な様々な手法技法が加味されてあの手この手、一時間半、みっちりたっぷり盛りだくさんの舞台に仕上がっていたのではないか。
 そうそう、自分たちがどういう笑いをつくっていくかを示してみせたチュートリアル(コンビ名とはちゃうよ!)的なコントが設けられていたのには感心したし、ブリッジ(コントとコントをつなぐ部分)での演者の出はけのさせ方ずらせ方も巧く考えられていて、これまた感心した。

 演者陣も、合田君の意図によく沿った演技、笑いづくりを行っていたように思う。
 中でも、ラストのコントでの丸山交通公園は、エノケン榎本健一に「喜劇をやろうと思うな」との言葉をもらった財津一郎を彷彿とさせるようなきわきわの演技。
 あと少しで笑えなくなってしまうところを、台詞づかいなどでよくかわし、笑いの世界に踏み止まっていた。
 友達図鑑の『かたくなにゆでる』の、いやがらせをしてきた両隣に住む女たちに寿司を振舞おうとする場面での演技にも通じる印象深さだ。
 また、ピンク地底人2号の演技(虚)と素(実)のあわいの滑稽さ、おかかなしさ、コケティッシュさもよかったなあ。
 ピンク地底人の公演とは一味違う彼女の魅力を愉しむことができた。
 他に、独特のフラが魅力的で、丸山君同様水を得た魚のようだった稲葉俊、進境著しい九鬼そねみ(でも、初心わするべからずで)、計算の立つ演技のできる古藤望、難しいキャラクターづくりに挑んだ廣瀬信輔が客演。
 一方、合田君、佐々木峻一、猿そのもの、無能亭農薬の努力クラブの面々は、単なる「ウケ」ではないものの、笑いを固めるポジションに回っていたように感じた。

 いずれにしても、観ておいて本当によかったと思えるコント集だった。
 そして、次回の公演『家』にも大きく期待したい。
 ああ、面白かった!
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2013年03月31日

THE GO AND MO'S 第7回公演『春子の夢』

☆THE GO AND MO’S 第7回公演『春子の夢』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
 映像協力:竹崎博人
 映像出演:森本研典、樋口ミユ
(2013年3月31日13時開演の回/ウイングフィールド)


 ひげプロ企画の『飛龍伝』が彼女彼らの有終の美を飾るものだったとすれば、ベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛のワンマン・ライヴ、THE GO AND MO’Sにとって第7回目の公演となる『春子の夢』は、2012年度の総決算であるとともに、新しい2013年度の門出に相応しい内容となっていたように思う。

 2012年度の公演中に流された「ドキュメンタリー」のうち、もっとも見応えのあった『当たり屋・田島太朗』と『当たり屋Gメン・北銀馬早苗』を客入れに始まった『春子の夢』は、旧作コント『注文の多い風俗店』と『スパイ大作戦』(ただし、単なるリピートとは異なる)に、新作コント『狂言病』、そしておなじみ映像コント『身体〜ファイナル〜』をメインとした構成となっていた。
 ときにきわきわというか、攻めが勝ち過ぎているように感じられた部分もなくはなかったが、黒川さんの「首が飛んでも笑いにこだわってみせらあ」の心意気と気迫はびんびんに伝わってきたし(特に、新作の『狂言病』など)、小刻み着実に笑いのヒットを重ねていたようにも思う。

 ただね、ベトナム時代からこの方、幾多の場外ホームランをかっ飛ばしてきた黒川さんに対して、今回の『春子の夢』で大いに満足し切っているようじゃ、どうにも申し訳が立たないとも思うのだ。

 と、言うことで、まずは次回5月末の第8回公演『白石の瓶』を心待ちにしたい。
 そして、来年度も本当に愉しみだ!
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2013年03月30日

ひげプロ企画『飛龍伝』

☆ひげプロ企画『飛龍伝』

 脚本:つかこうへい
 演出:たにかわはる
(2013年3月30日18時開演/同志社大学寒梅館ハーディーホール)

 *劇団からのご招待


 有終の美を飾る。
 と、言ってもよいのではないか。
 つかこうへい作品の上演をこれまで続けてきたひげプロ企画が、活動の一区切りに選んだのは、『飛龍伝』だった。
 長尺2時間半ということで、まずもって生理的な現象が心配だったんだけれど、そのことも含めて全く無問題。
 あっという間にラストを迎えていた。

 『飛龍伝』はつかこうへい自身が直面した70年代の学生運動・学生闘争の問題が(60年安保のエピソードも用いつつ)ストレートに扱われた作品だが、たにかわさんは、そうした作品の本質と真正面から向き合いぶつかっていたのではないだろうか。
 笑いにまぶしてぶちまけられた激しい皮肉や毒に細かくこだわるというより、作品の骨格と肝をきっちりと押さえつつ、メリハリの効いた速いテンポの作劇で、しっかりとカタルシスを生み出していたように思う。
 そして、劇中の諸々が、今現在のひげプロの面々と重なり合う部分が少なからずあるようにも感じられ、その意味でも痛切さ切実さが強く伝わる舞台ともなっていた。

 一人一人の氏名は省略することになるが、総勢20人近くの演者陣は、ライヴ特有の傷はありつつも、ハーディーホールの広い舞台上をところ狭しとエネルギッシュに動き回っていたし、作品の世界観やたにかわさんの意図にもよく沿っていた。
 中でも、伊藤大輝をはじめ、谷川はる、江頭一馬らひげプロ企画勢の熱演奮演が強く印象に残った。

 明日が最終舞台。
 ぜひ、多くの方にご覧いただければ。
 ああ、面白かった!




 以下は、今回の公演の面白さとは別に、作品そのもに対する僕の考えというか感想というか。
>被抑圧者の伝統は、ぼくらがそのなかに生きている「非常事態」が、非常ならぬ通常の状態であることを教える。
 ぼくらはこれに応じた歴史概念を形成せねばならない。
 このばあい、真の非常事態を招きよせることが、ぼくらの目前の課題となる(後略)<
ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』より(『ボードレール』<岩波文庫>所収)
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2013年03月25日

ノーミンpresents『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』

☆ノーミンpresents『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』

 作:森裕介
演出:脇田友
(2013年3月25日16時開演の回/KAIKA)

 *劇団からのご招待。


 森裕介の脚本に、脇田友の演出出演、そして田中希代子、石川佳奈、堀乃布子、松岡民恵の出演とくれば、どうしても思い出すのが第1回目の京都学生演劇祭で大賞を受賞した、成安造形大学・劇団テフノロGの『テレコム戦隊テッテレー』だけど、彼女彼ら(他に現テフノロGメンバーの須崎志緒里も出演)が今回ノーミンpresentsとして上演した『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』も、実はテフノロGの公演でかけられた『ドリー&メリー』を下敷きにしたものだとのこと。

 で、今回の作品も、『テレコム戦隊テッテレー』を彷彿とさせる、へたうまタッチというか、あえて雑っつく、あえてべたに、あえてわざとらしく描き込まれた内容となっていたのではないか。
 正直、中盤ぐらいまでは、演者陣の熱演と作品の手間のかかり具合はわかりつつも、言葉が頭を素通りしていくというのか、どうにものれない感じだったのだが、演出の言葉にもある「茶番」が決まり出したあたりから、声高に語られようとしない事どももはっきりと明らかになってきて、けっこうしっくりと観進めることができるようになった。
(その声高に語られようとしない事どもは、そのままどんぴしゃではないけれど、常日頃から僕が感じ考えていることでもある。女性性や男性性とか、その合い間にあるもの、こととか。だからこそ、その意味でも、演出の脇田君と他の女性の演者陣の関係性がとても気になる)
 脚本の脈絡がさらにしっかりしていけば、演劇的手法が咀嚼応用された茶番の効果ももっと高まるように僕には思われた。
 あと、脇田友という人の内面の繊細さ、毒、狂気のようなものが垣間見えたように感じられたことも付け加えておきたい。

 演者陣は作品の世界観と脇田君(彼自身も大奮戦)の意図によく沿っていたように思う。
 中でも、実質的な主人公ともいえる石川佳奈の、ギアのチェンジが効いた活き活きとした演技が強く印象に残った。
(茶番、べた、へたうまな部分とフラットな部分の違いなどを観るに、この座組み以外、脇田君の演出以外での彼女たちの演技はどのようなものになるのか、僕はとても興味深く思う)

 いずれにしても、ノーミンの今後の活動に注目していきたい。
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2013年03月17日

劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二「VOL.1 食い合わせのグルメ」

☆劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二「VOL.1 食い合わせのグルメ」

 作・演出:髭だるマン
(2013年3月16日19時開演/人間座スタジオ)


 公演リーフレットによると、この劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二は、亀岡高校柔道部の先輩後輩である、てんま1/2としゃくなげ謙治郎によって、昨年JR嵯峨野山陰線社内で発足し、さらに髭だるマンを加えて増殖中の演劇ユニットだそうである。
 髭だるマンとしゃくなげ謙治郎といえば、昨年の京都学生演劇祭での『未開・踏襲・座敷童子』、特に傑作「ジャージマン」で強い印象を残した龍谷大学の未踏座元メンバー(ちなみに、てんま1/2もそう)だが、今回の「食い合わせのグルメ」も彼らの本領を発揮したオムニバス・コント集となっていた。
 長い間合いやルーティンと笑いの骨法を押さえつつ、三人のキャラクターを存分に活かしたコントの数々で、中でも六の「彼女の行方」には大笑いしてしまった。
 また、オフビートで小じゃれた雰囲気も僕の好みにはあっていたのだけれど、ピークの置き方や話の切り方、決めの台詞の処理などで、もどかしさもったいなさを感じてしまったことも事実だ。
 細部を磨き込むことで、コントのアイデアや三人のキャラクターが一層引き立っていくだろうし、彼らに親しく接したことのない方々にもたっぷりと愉しめるコントに仕上がっていくように思う。
 ほかに、鈴木ちひろも出演。
 喀血劇場での薫陶や笑の内閣での経験も当然大きいだろうが、わざとらしい変な表情や大仰なアクションをしない、彼女のフラットなキャラクターは、今回のコントの雰囲気にはよく合っていたのではないだろうか。
 和田謙二の三人とともに、彼女の今後のさらなる活躍を期待したい。
 いずれにしても、和田謙二の次回の公演が待ち遠しい。

 そうそう、できればこの公演、さらに多くのお客さんに観に行ってもらいたいなあ。
 ご都合よろしい方はぜひ。
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劇団ケッペキ 卒業公演『夢みるナマモノ』

☆劇団ケッペキ 卒業公演『夢みるナマモノ』

 作・演出:内山航
(2013年3月16日14時開演の回/京都大学吉田寮食堂)


 ケッペキの公演を観るのは、はていったい何年ぶりのことだろう?
 それもこれも、永榮紘実という演者さんの演技をどうしても観ておきたかったからだ。

 永榮さん。
 京都学生演劇祭の劇団愉快犯の『作り話』にゲストとして顔を出し、一瞬にして女丈夫ぶり、芝居達者ぶりを示してみせた彼女の演技に初めて接したのは、象牙の空港の『女体出口』だったのだけれど、永榮さんの存在に気付いたのは、実はそのときではない。
 あれは、月面クロワッサンだったか、アトリエ劇研の客席での彼女の佇まいに、「あ、これはできる人だ」という勘が働いて(僕は自分のこういう勘を信じている。ときに大外れはあるものの)、それとなく知り合いに「あの人誰か知ってる」と尋ねたのである。
 そのときは、名前のほうまでは聴かなかったのだけれど、ケッペキの所属ということがわかり、いずれ必ず観ておこうと思ったのだった。

 で、今回の『夢みるナマモノ』だが、やっぱり観に行って大正解。
 永榮さんという人の、演技の幅、劇場感覚の豊かさを存分に愉しむことができたからだ。
 改めて記すけど、永榮紘実は今後要注目の演者さんだと思う。

 もちろん、永榮さん永榮さんと繰り返していてはひいきの引き倒しもいいところ。
 だいいち、他の演者さんにも悪い。
 フラットなシーンでは日活のアクションものではない作品の石原裕次郎のようで、コミカルなシーンではいかりや長介のような川原悠、おかかなしさをためた大石達起、脇を固めた加藤将隆、尾木藍子と、他の演者陣も好演で、吉田寮食堂によく合ったインティメートなアンサンブルを造り上げていた。

 また、内山航の脚本も、各々の特性魅力をよくとらまえた作劇で、物語の軸のぶれや、シーンの構成などで、どうしても気になる箇所があり、若干冗長に感じてしまった部分もなくはないのだけれど、笑いのツボを押さえつつ、伝えるべきことを真摯に伝えてもおり、心にしっくりくる内容だった。

 ちょうど京都大学音楽部交響楽団の卒団式のコンサートとかぶっていて、動と静の切り換えの大事な静の部分でショスタコーヴィチの交響曲第5番のいっとうやかましいあたりや鶏の鳴き声が聞こえてくるなんてアクシデント(?)もあったりしたのだが、まあそれはそれ。
 何はなくとも、観ておいてよかったと思える公演だった。

 思い込みの得手勝手な物言いになるし、本人の意識や今後の実際の活動は置くとして、永榮さんは、もしかしたらお芝居がなくても生きていける人のような感じがしたことを最後に付け加えておきたい。
 むろん、是非の価値判断とは全く関係なく。
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2013年03月11日

第3回京都学生演劇祭 中瀬宏之の極私的な賞

☆第3回京都学生演劇祭 中瀬宏之の極私的な賞


 第3回目となる京都学生演劇祭が、今夜無事終了した。
 去年に引き続き、参加16団体(うち、KAMELEONと劇団愉快犯は再見)と特別公演4団体、あわせて20団体を拝見することができた。
 今回の京都学生演劇祭に関しては、開催以前より運営等についてツイッターなどで発言を繰り返してきたが、まずは参加団体の皆さん、実行委員の皆さん、沢大洋さん、ちっくさん、浅田麻衣さんやスタッフの皆さん、審査員の松原利巳さん、田辺剛さん、杉原邦生さんのご健闘を讃えご苦労を労いたいと思います。
 本当にお疲れ様でした。

 そして、審査員の皆さんの審査、さらには昨年同様、笑の内閣の高間響上皇の審査の屋上屋を架す形となりますが、僭越ながら、中瀬宏之の極私的な賞を発表させていただきたいと思います。
(こちらは、閉会式終了後の交流会で一部発表したものの完全版です。なお、敬称は略、原則パンフレット掲載順とさせていただきます。また、解説文の有無には他意はありません)



*最優秀作品賞:劇団愉快犯『作り話』

 昨年の西一風『話の時間』の衣鉢を継いだウエルメイドプレイの佳品。
 笑えて泣けて、愉しむことができました。
 僕の心の中では、同点の最優秀作品賞です。


*同:吉田寮しばい部『きずあと』

 伝えたいことを真正面から伝えようとする作り手の姿勢と、その内容、そして真摯な演技に心を強く動かされました。
 評価されにくい作品だろうからこそ、僕は同点最優秀作品賞とします。


*優秀作品賞:ヲサガリ『それからの子供』
*同:喀血劇場『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』
*同:劇団紫『天使のはなし』


*最優秀演出家賞:近衛虚作(喀血劇場)

 昨年に続いての受賞。


*最優秀チーム賞:飴玉エレナ

 飴玉エレナに関しては、山西竜矢君の演技が高く評価されていますが、それには石井珈琲君の脚本演出、そして南秋穂さん、ナッツさん、タジマユリカさん、マツモトサワさんらスタッフ陣との共同作業、チームワークの存在が大きいように感じました。
 そうしたことを考えて、僕はあえて山西君個人にではなく、飴玉エレナという一つのチームに賞を捧げたいと思います。


*最優秀主演女優賞:田中沙依(KAMELEON)

 イヨネスコという難しいテキストに対する田中さんの悪戦苦闘と、公演開催中の変化は、今後の活躍を期待する意味でも高く評価したいと思います。


*最優秀主演男優賞:小川晶弘君(ヲサガリ)

 昨年、優秀助演男優賞の小川君です。
 小川君、どんどんよくなっているなあと感心し感嘆します。
 京都マラソンも本当にお疲れ様でした。


*同:北川啓太(劇団愉快犯)

 かつての月面クロワッサンや劇団テンケテンケテンケテンケの公演では、笑いの面、トリックスター的側面が強く表われていた北川君ですが、今回の作品では彼のシリアスな面での好演を観ることができました。


*同:辻斬血海(吉田寮しばい部)

 今は亡き信欣三を想起させる、エロキューションに演技。
 拙さの巧さと言いたくなるような、どこか祈りにつながるかのような心からの演技には敬服せざるをえません。


*優秀主演男優賞:河尻光(KAMELEON)

 河尻君のぶれない雰囲気、静かな狂気は、強く印象に残りました。


*優秀主演男優賞:コバ(劇団紫)

 ちょっと『エスパー魔美』の高畑君っぽい、人が良くてナイーヴで繊細で向日性に富んだ主人公を好演して魅力的でした。


*最優秀助演女優賞:鈴木ちひろ(喀血劇場)

 まさしく身体を張った演技。
 笑の内閣などでも活躍中の鈴木ちひろさんですが、今後も幅広く活躍していってください。


*優秀助演女優賞:富永琴美(同志社小劇場)

 使い勝手がよい、というと語弊がありますが、アンサンブルを重視した作品でのさらなる活躍を心より期待したいです。

*同:八木庭子(喀血劇場)

 八木さんは投稿当時名前がわからず、記載できていませんでした。
 2014年8月4日に追加です。

*同:葉月(演劇実験場下鴨劇場)
*同:ジェントル(劇団テフノロG)
*同:くらやみ(劇団紫)


*最優秀助演男優賞:伊藤泰三(喀血劇場)

 東京乾電池や東京ヴォードヴィルといった、かつての小劇場の俳優陣を思い出す演者さん。
 タチバナという小役人の哀歓を演じ切って見事でした。


*同:五分厘零児(吉田寮しばい部)

 地方の町で漁業に従事する男のどうにも鬱屈した心情を、真摯に演じていて強く心魅かれました。


*優秀助演男優賞:うめっち(劇団蒲団座)
*同:イマじろう!!!!(劇団月光斜)
*同:谷脇友斗(劇団愉快犯)
*同:三宅陽介(同)
*同:迅(劇団紫)

 谷脇君は、最優秀に選ぶべきかどうしようかとても迷いました。
 本当に僅かの差での結果です。
 イマじろう!!!!君は、その老練さが、うめっち君と三宅君は独特の「フラ」(おかしみ)が、迅君はコメディリリーフぶりが強く印象に残りました。


*最優秀パフォーマンス賞:坂口弘樹、榎本篤志(劇団蒲団座)

 劇団蒲団座の観劇記録に記したように、youtubeにアップされた笑いのネタをほぼそのまま、なんの断りもなしに使用した坂口君には、正直失望しているのですが、坂口君、榎本君のパフォーマンスはやはりとても魅力的でした。
 繰り返しになりますが、団内事情を一度取り払って、ぜひとも「ノンバーバル」なパフォーマンスに挑戦してください。
 きっと「演劇」なんて枠にとらわれないお客さんを得られることと思います。


*最優秀男性キャラクター賞:谷岡和巳(劇団月光斜)

 硬軟ふり幅の広いキャラクターを谷岡君はとてもよく造り込んでいたように思います。
 素晴らしかったです。


*優秀男性キャラクター賞:髭だるマン(喀血劇場)


*最優秀女性キャラクター賞:右田梨子(同志社小劇場)

 悠木千帆時代の樹木希林を思い起こさせる、舞台上に寝そべった右田さんのふてぶてしい感じが、とても印象に残りました。


*最優秀ゲスト賞:永榮紘実(劇団愉快犯)

 劇団愉快犯の日替わりゲスト。
 ケッペキ所属の永榮さんは、ほんの一瞬で女丈夫ぶりを魅せつけました。
 永榮さん、ぜひぜひ今後ともお芝居を続けてください!
 これからも愉しみにしています。


*優秀ゲスト賞:横山清正(同)


*最優秀インパクト賞:コロポックル企画のくすぐり「ワインガルトナー」

 巨匠指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに対抗する指揮者として、フェリックス・ワインガルトナー(第二次世界大戦前に活躍した独墺系の指揮者で作曲家、音楽理論家。ベートーヴェンのスペシャリストとして有名で、戦前来日し、夫人ともども新交響楽団=現NHK交響楽団を指揮しています)を持ち出すなんて。
 参考文献(ネットの記事)をそのままひいたのでしょうか?
 それにしても、クラシック音楽好きには驚きのくすぐりでした。


*最優秀司会者賞:作道雄(月面クロワッサン)

 特別公演のインタートークや大交流会、閉会式、さらには交流会(打ち上げ)と、団体の作品性には踏み込まず、各々の表層をよくとらまえた手際のよい仕切りは、学生演劇祭の方向性との兼ね合いで様々な評価の対象となるかとも思いますが、まずもってその司会者としての技術手腕に関しては、やはり賞を与えておかねばと考えました。
 なお、諸般の事情で最優秀秋元康賞の授賞は中止しました。


*ホープ賞:若林りか(コロポックル企画)

 作品そのものの評価は置くとして、彼女の創作、表現活動への切実な想いと、開会式閉会式で見せた雰囲気には、「化ける」可能性を強く感じました。
 彼女の今後の活動に注目していきたいです。


*同:村上千里(KAMELEON)

 学生演劇祭に既成台本、それもイヨネスコでぶつかった村上君の心意気を大きく買います。


*同:左子光治(コントユニットぱらどっくす)

 左子君の社会の諸々を笑いのめそうという「向き合い方」と、関西の笑いの骨法の咀嚼のあり様は、これからの活動がとても愉しみです。
 さらに刺激に富んだ笑いを待っています!


*努力賞:ヒラタユミ(劇団紫)

 ヒラタさんのこの一年の努力、変化はやはり今回の学生演劇祭の中で強く印象に残りました。
 今回は、各劇団のモチベーションの有無が強く問われ始めた学生演劇祭でもありましたが、他の劇団に刺激を受けて、より優れた(面白い)作品を造りたい、より優れた(面白い)作品をお客さんに観ていただきたいというモチベーションと、実際の変化に関する評価も、やはり担保されていかなければならないのでは、と僕は強く思います。
 それが万一一切失われてしまったとき、この学生演劇祭は存在理由を失ってしまうのではないでしょうか。
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京都学生演劇祭(第3回)Aブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Aブロック
(2013年3月10日16時スタート/元・立誠小学校 音楽室)



○演劇実験場下鴨劇場 『宇宙の果て。』(京都府立大学)

 脚本・演出:鴨川J子


 昨年、『裏浦島太郎の話。』というぶっとんだ作品で一躍脚光を浴びた下劇。
 今年もなんぞやらかしてくれるだろう、と愉しみにしていると、あれあれべたな調子で始まったなあ。
 うむむ。
 と、唸っていたら、ほうらやっぱり。
 仕掛けてきたな、オフビートな線で。
 が、その確信犯の部分とシリアスな部分との噛み合わせがどうも今一つで、なんとも乗り切れなさを感じてしまった。
 もう二捻り三捻りあれば…。
 薮内準君以下、演者陣もオフビートの笑いにぴったりな顔触れだったのだけれど。
 どうしても、西城瞳の不在をひしひしと感じたのだった。



○劇団蒲団座 『This is a penの絶望 〜ミニミニ王国を封鎖せよ!〜』

 脚本・演出:坂口弘樹


 昨年の京都演劇祭で、身体性を重視した学生劇団らしからぬパフォーマンスで、清冽な印象を与えてくれたのが、劇団蒲団座だ。
 で、今回も、昨年同様身体性を重視した作劇にはなっていたのだが。

 これは同じ坂口君が作・演出した番外公演『幻想忌憚フェスタ 2012』にも感じたことなのだけれど、「ノンバーバル」というか、もっとずっと身体性(ダンス)の部分に特化すればいいのに、無理に台詞が書き加えられているような感じで、なんだかもったいない気分になった。
 例えば、特別公演のドキドキぼーいずの『Zoo』みたいに、台詞を極力削ってさあ。
 昨年の演劇祭、番外公演、そして今回にも共通する出口のない迷宮に登場人物が放り込まれるという設定は活かした上で。
 いや、学生劇団の性質上、できるだけ多くの団員を舞台上に立たせたいという気持ちはわからないでもないし、お客さんに愉しんでもらおうという坂口君以下、蒲団座の面々の想いや今のこの国の現状をちょっと茶化してみようという趣向は汲み取れもしたのだけれど。

 それと、今回の蒲団座の作品でどうにも残念だったのは、youtubeに投稿されている笑いのネタをなんの断りもなしに、ほぼそのまま使っていたこと。
 ある人のツイートでたまたまこの笑いのネタを知ったが(その人は蒲団座のことを名指ししていない)、ネタをいただくならば、もっと巧く加工すればいいし、それが無理というのなら、いただいたことをなんらかの形で明らかにすればいい。
 そのいずれかが為されていないのであれば、それはただのパクリ剽窃だ。
 そしてそのことは、先述した台詞つきの芝居を無理から作ってしまっていることとも大きくつながっているとも、僕は思う。

 坂口君、僕は君の「ノンバーバル」の作品を心待ちにしている。



○飴玉エレナ 『転がる紳士たち』(同志社大学)

 脚本:石井珈琲
 演出:石井珈琲、山西竜矢


 王磨かざれば、じゃないや。
 玉磨かざれば光なし。
 と言うが、磨き方を誤れば、玉にはどんどん傷がつく。
 どころか、いつしか傷は拡がって、それこそ玉と砕け散る。
 ことだってないとは言えない。

 前回の公演『記憶のない料理店』を観て、ふとヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』を思い出した飴玉エレナだけれど、今回も、まるで研ぎ澄まされたガラス玉のようなきれいに磨かれた、そしてしっかりと閉じられた作品世界を造り上げていたのではないか。
 山西竜矢という演技者の今現在持てる特性魅力が十二分に発揮されていたように思う。
 もちろんライヴ特有の傷もありはしたし、若干先読みの出来るテキストであったことも否定できないが、それでも45分という限られた時間に、山西君のあれやこれやを盛り込んで見せたという点は、やはり評価しておかなければなるまい。

 そういえば、『記憶のない料理店』の感想で、僕は山西君や石井君に「完璧」を求めるかのような言葉を記したのだけれど、あれはあくまでも長い時間のスパンで願っていることで、今すぐどうこうという話ではない。
 それどころか、石井君が山西君用に仕立て直した『ハムレット』や『マクベス』、『リア王』なんかを英訳して、海外のこういった演劇祭に持って行くという遠回りを促すほどだ。
(そうすれば、演技に傷がつくのはほぼ当たり前。もっと完全にもっと完璧にと求め過ぎて、山西君が疲弊するというリスクも軽減されるだろうから。いや、そうしたらそうしたで悩みは尽きないだろうけど…)

 いずれにしても、僕は30年後、40年後の山西君の演技、飴玉エレナの活動を愉しみにしたい。
 そのためにも、僕は長生きしなくちゃいけないし、山西君にも自分を追い詰め過ぎずゆったりじっくり演劇活動を続けて欲しい。
 そう。
 山西、脳天を打つな!
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2013年03月10日

京都学生演劇祭(第3回)Bブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Bブロック



○コロポックル企画 『すぐ泣く』(同志社大学)

 脚本・演出:若林りか


 僕はクラシック音楽が大好きだ。
 JAM、イエモン(吉井さん)、aikoにフォーク・ナツメロ、それに落語をのぞくと、買うCDといえば決まってクラシック音楽だ(詳しくは、CDレビューをご参照のほど。買うも買ったり、聴くも聴いたり)。
 だから、お芝居の中でクラシック音楽が使われると、よくも悪くもすぐに反応してしまう。
 で、コロポックル企画の『すぐ泣く』の場合は、前者のよい反応。
 まずもって、クラシック音楽の使い方がとてもいい。
 まして、作中指揮者の名前がくすぐりに使われた日にゃ、もうおしまい。
 それだけで点が甘くなる。
(にしても、片方の指揮者はまだしも、もう一方の指揮者のことを知ってる人なんて、今日のお客さんの中にどれだけいたのかな? Wikiったにしてはけっこうマニア受けな人物だし。クラシック音楽関係の漫画やドラマの影響かなあ。余談だけど、片方のマニア受けな指揮者は、戦前来日して夫人ともども新交響楽団=現在のNHK交響楽団を指揮してもいる)

 まあ、そのことはひとまず置くとして。
 コアなファンのお客さんもいたのだろうか、素朴でべたな感じのする笑いの仕掛けに客席もけっこうわいていたし、僕自身、演者陣のインティメートな雰囲気には好感を持ったりもした。

 ただ、それより何より、僕の印象に強く残ったのは、登場人物の音楽家に仮託された、若林さんの芸術や表現活動に対する切実な想いだった。
 そして、時間をかけてそうした想いをより突き詰めていけば、もしかしたら若林さんは大きく「化ける」可能性があるようにも思った。

 その線で精度が上がっていくとなると、今現在のコロポックル企画の特性であるインティメートさ、素朴さは損なわれてしまう気がしないでもないが。

 いずれにしても、僕は若林さんの今後の創作活動に注目していきたい。

 そうそう、帰りがけ、前々から欲しい欲しいと思っていたアルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>をAvisで見つけ即刻購入したのだけれど(税込み437円は安過ぎ)、『すぐ泣く』を観たあとで見つけるとはなあ、とちょっと思ったりもした。



○虹色結社 『はこにわ』(京都造形芸術大学/無所属)

 脚本・演出:村田レナ


 お芝居をやりたいという強い想いと、何かを伝えていきたいという強い表現欲求を感じとることはできたし、限られた時間の中で演者陣も努力を重ねていたようにも思うのだが。
 残念ながら、作品としても演者陣のアンサンブルとしても、まだしっかりまとまりきれていないもどかしさを強く感じたことも事実だ。
 昨年11月の結成というから、生まれてまだすぐ。
 これから、どしどし挑戦を重ねていって欲しい。



○劇団月光斜 『僕と殺し屋とレインポップ』(立命館大学)

 脚本・演出:伊藤ハジメ


 お客さんにも愉しんでもらうけど、造り手の自分たちも積極的に愉しむ。
 という姿勢が明瞭に表われているのが、劇団月光斜だ。

 元・立誠小学校の音楽室にしては、少々声が張り過ぎなのでは、と思ったりもしたのだけれど、スピーディーでテンポがよく、エネルギッシュな演技(ダンスや音楽も効果的)にぐいぐい引っ張られた公演だった。

 ただ、確信犯的な作劇であろうとは思いつつも、45分という上演時間の制約もあってか、何かより長めの作品のダイジェストを観ているような物足りなさ、目の詰まらなさ、都合のよさを感じてしまったことも否定できない。
 饅頭の皮の部分が美味しい(演者陣も熱演)だけに、そのことが僕にはとても惜しい。



○ヲサガリ 『それからの子供』(京都工芸繊維大学)

 脚本・演出:久保田文也


 ヲサガリは、昨年ドミノ並べ(倒し)の仕掛けを持ちこんで強い印象を残した「フク団ヒデキ」を母体にして生まれた劇団だ。
 で、そのヲサガリは、今年も大きな仕掛けを試みていたのだけれど、それが単なる仕掛けのための仕掛けに終わらず、作品の世界観、登場人物の真情にぴったりと寄り添っていることに感心し感嘆した。
 過剰ではないユーモアと、ウェットに過ぎないリリカルさをためた佳品。
 特に、終盤以降、僕はぐっと心をつかまれた。
 中でも小川晶弘君が好演。
 ああ、面白かった!
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2013年03月09日

京都学生演劇祭(第3回)Cブロック 再見

☆京都学生演劇祭(第3回)Cブロック 再見


 初日のいっとう最初、しかもラーゲリ然とした厳寒の講堂で観ただけではと思い、Cブロックを再見することにした。
 なお、途中どうしても退席せざるをえない事情があり、テフノロGは未見。
 本当に申し訳ない。



○KAMELEON 『新しい下宿人』(京都造形芸術大学)

 脚本:ウジェーヌ・イヨネスコ
 演出:村上千里


 公演を重ねて、舞台上の家具類、だけではなく、演出や演技の、そして作品の色がようやく見えて来たのでは、というのが一番の感想だ。
 当然、一度観ているということが大きいのだけれど、狂気と狂気(もしかしたら、狂気のように見える正気と正気のように見える狂気、もしくはいずれかがランダムで)の対峙といった作品のあり様をより受け取れたようにも思う。
 河尻光君はぶれない演技。
 一方、田中沙衣さんはよく健闘していた。
 また、脇を固める福久聡吾君、片山将磨君も存在感を増していたのではないか。
 演出演者ともに、今回の公演で明らかになった課題を、少しずつクリアしていってもらえればと思う。

 そうそう、小林信彦がかつて売り出し中のザ・ドリフターズのバラエティ番組のためにコントに造り直したという(青島幸男と中尾ミエが主演)、同じイヨネスコの『二人で狂う』を、村上君の演出で観てみたいとふと思った。
 とてもアクチュアリティを持った作品だと思うしね。



○劇団愉快犯 『作り話』(京都大学)

 脚本・演出:玉木青と劇団愉快犯


 演者によって若干の調子の良し悪しはあったように感じたが、すでに作品を知っていても、いや知っているからこそ、伏線の張り具合もわかって、存分に愉しむことができた。
 そして、ゲストの永榮紘実さん。
 思った通りいい。
 本当にいい。
 永榮さんは、ますます目が離せないや。
 お芝居、辞めないでよ!
(浜木綿子や清川虹子みたいな女丈夫の役も似合いそう。あと玉木君、ブレヒトの肝っ玉母さんやってみない、永榮さんのおっかあで)
 ああ、面白かった!
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2013年03月08日

京都学生演劇祭(第3回)特別公演

☆京都学生演劇祭(第3回)特別公演
(2013年3月7日15時スタート/元・立誠小学校 音楽室)


 京都学生演劇祭も中日。
 今日は、全国各地の学生演劇祭からの参加団体などによる、特別公演を観た。



○gekidan U 『二十歳の戦争』(多摩美術大学)

 原案:西岡憂
 脚本・演出:遠藤遊


 多摩美術大学のgekidan Uは、東京ではなく京都学生演劇祭枠での出演。
 で、彼彼女らの公演に、僕はどうしても笑いをこらえることができず、笑い声を上げてしまった箇所がいくつかあった。
(Factory Kyotoの松山君が、笑いを堪えるのに…といった辛いツイートをしていて、そんなことあるの、と思っていたのだけれど)
 と、言うのも非常にナイーヴに過ぎるように思われてならない遠藤君の脚本(台詞と世界観)が、「演劇を全く知らない状態から」立ち上げて一年ほどの劇団ということもあってだろう、いささか感情過多と感じられる抑揚台詞づかいで語られていたため、僕にはどうにも我慢がならなかったのである。
 遠藤君や演者の皆さんが自分たちの伝えようとすることについて、とても真摯であることは充分にわかったので、笑ってはいけないと必死にこらえていたのだが。
 そして、上述したナイーヴさと密接につながることでもあるが、舞台の上で全てが自己完結している、言い換えれば、自己検証性に欠けるように感じられた点もやはり指摘しておかなければならないだろう。
 ビジュアル面での趣向志向(例えば、終盤での宇宙=夜空の表現)は印象に残ったし、ヒロインを演じた山口藍さんの存在感には、今後の可能性を感じたことも事実なのだけれど。
 演劇的な技術面でのどうこうよりも、お客さんとの関係の築き方や、自分自身が伝えようとすること語ろうとすることに「他者の目」を持とうと努めること(伝え方だけではなく、内容そのものにも)に関して、少しずつでも留意していってもらえればと心より願う。



○ドキドキぼーいず 『Zoo』(京都造形芸術大学他)

 構成・演出:本間広大


 ドキドキぼーいずは、京都じゃなくて、岩手県西和賀町で開催されている銀河ホール演劇祭枠での出演。

 昨年の学生演劇祭が終わって。
 パンドラの匣には、希望が残った。

 ちょっと違うかな。
 台詞を極力削って、演者陣の身体に多くを語らせたこの作品については、あんまり言葉を重ねたくないや。
 とても痛切な作品で、途中のあるシーンでさらに心にぐっときた。
 客演の島あや(やはり身体性が魅力だ)、河西美季をはじめ、ドキドキぼーいずの面々を中心とした演者陣も好演。
 本間君も、一人一人の特性魅力をよくとらえていたのではないか。
 ああ、面白かった!
 そして、次回のドキドキぼーいずの公演を心待ちにしたい。


○金星ロケット 『ネーちゃんにもの申す』(名古屋学芸大)

 脚本・演出:エリマキトカゲ


 名古屋学生演劇祭枠では、名古屋学芸大の金星ロケットが参加した。
 出演者の突然の変更というスクランブル発進もあってだろうが、全体を観ての感想は、ああ、惜しい、というものだった。
 中盤のあるあたりで、ちょっと流れが滞ったというか、作品が巧く詰まりきっていない感じがしたのである。
 お客さんを愉しませつつ、いろいろなことを伝えていこうとする姿勢や、作品全体に漂う向日性には好感を抱いたので、できれば改めて長尺の作品を観てみたいと強く思った。



○劇想からまわりえっちゃん 『ピースの反対と言われたら』(大阪芸術大学)

 脚本・演出:森山亮祐


 劇想からまわりえっちゃんといえば、同じ大阪芸大の大田健人監督(『ときどきどきどきしたりした』!)や、昨日(6日)たまたまエキストラとして撮影に参加した二宮健監督の一連の作品(『大童貞の大冒険』では、こちらはこれまたエキストラだったものの共演)で独特のオーラと輝きを発している、「たけさん」こと岸本武亨さんの所属団体。
 でも、たけさんって卒業したはずだし…。
 残念やなあ、と思っていたら、いるじゃあないかたけさんが!
 嬉しさもあって開演前にもかかわらず少し話しをしたのだけれど、「今回は笑いはないですよ」とのこと。
 あれ、からまわりえっちゃんって、笑いにもこだわった劇団じゃなかったっけ。

 と、思って客席に座ると、冒頭、演出の森山君が客いじりも辞さぬとんだ茶番をやり始めて、ああおかしい。
 なんだ、笑いがあるじゃないか、もおたけさん、と思っていたら、あれあれ森山君が「(本編は)全く別物」、みたいなことを言っているよ。

 で、実際始まったのは、基本お茶らけなしのファンタジー。
 ちょっと豊島由香さんっぽいヒロインには、よく造り込みよく入り込んでいるなあと感心したし、他の演者陣(たけさんはコロス的な出演で台詞も少なかった)からも、基礎的な能力の高さが伝わってきたが、残念ながら物語そのものにはあまりぐっと惹き込まれることがなかった。
 たぶん上演時間の制約もあってだろうけど。
 からまわり、じゃなくてちょっとかたすかし…。

 できれば、噂に聞くはっちゃけにはっちゃけた舞台を観てみたいなあ、と言うのが僕の正直な感想だ。
(そうそう、大交流会では、森山君やたけさんらからまわりえっちゃんの面々がけっこういろいろやってくれて、実に嬉しかった)
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2013年03月05日

京都学生演劇祭(第3回)Eブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Eブロック
(2013年3月4日17時スタート/元・立誠小学校 講堂)


 若干気温は上がったものの、まだまだ講堂の中は寒い寒い寒い。
 まあ、ラーゲリほどではあるまいが。
 それに運営側の防寒対策も増しもしたし。
 それでも、寒さを噛み締めながら、京都学生演劇祭のEブロックを観劇した。



○コントユニットぱらどっくす 『ノアのドロ舟』(同志社大学)

 脚本・演出:左子光晴


 あいにくコントユニットぱらどっくすの公演自体は未見なものの、左子君が第2回目の企画外企画劇場の大喜利で、政治がらみのネタ(名は体を表す? 左がかった。たぶん、企画者の作道雄君は嫌いそうな)を生な言葉で口にしているのを観たことはある。
 なかなか気骨あるやんけ、というのが僕の第一印象で、今回の『ノアのドロ舟』も、そうした左子君の真情が相当ストレートに表われた作品になっていたのではないか。
(ちなみに、政治関連の話ではないけど)
 と、言っても造りはいたってべた。
 ときに漫才的な絡みも交えつつ、吉本や松竹等々、関西の笑いの手法(もしかしたら、落語の地獄八景亡者戯も下敷きになっているかもしれない)に非常に忠実な作品となっていた。
 ルーティン、反復と笑いの仕掛けもよく効いていたし、ブリッジの音楽ともども左子君の伝えたいこともよくわかったのだけれど、そのブリッジの置き方も含めて、テンポ、タイミングが詰まりきらず、ぐいぐい押し進めていくエネルギーに若干欠けて、間延びした感じがしたのは残念だった。
 とはいえ、コントユニットぱらどっくすの公演にはぜひ一度足を運びたいとも思った。
 さらにとがった笑いと社会批判を期待したい。



○吉田寮しばい部 『きずあと』(京都大学)

 脚本・演出:中西良友


 拙さの巧さ、訥弁の能弁とでも言おうか。
 とてもシンプルでわかりやすくてリリカル、それでいて(だからこそ)心にぐっとくる作品だった。
 例えば、山田太一や倉本聰のドラマにもつながるような。
 演劇的な技法や技巧としてどうか、という点はひとまず置くとしても、伝えたいことを真正面から伝え切るという造り手の姿勢に、僕は大いに好感を覚えた。
 演技、エロキューションともに今は亡き信欣三を思い起こした辻斬血海、五分厘零児、埜口敏博君、中西君、いずれも作品の世界観によく沿った真摯な演技だったと思う。
 音楽のチョイスもよし。
 ああ、面白かった!



○同志社小劇場 『国道X号線、Y字路』

 脚本:伊藤元晴
 演出:吉見拓馬


 老舗中の老舗、同志社小劇場が演じたのは、吉見君や出演者の長南洸生君が共同作業を行ったことのある、象牙の空港の伊藤元晴君が書いた『国道X号線、Y字路』。
 「モノローグの積み重ね」という、現代の小劇場を知る人間にとっては「ああ、ああ」と思いつく手法を確信犯的に援用模倣しつつ、叙情的に幕を閉じるあたり、伊藤君の面目躍如だなあと思いながら、一方でジョヴァンニ・アントニーニじゃない(これは指揮者の名前だ)、ミケランジェロ・アントニオーニのことなども思い出したりした。
 さすが同小、しかも伊藤君のことをよく知る面々も含まれているということもあって、そうした作品の要点、肝を押さえた舞台となっていたのではないか。
 ただ、愚直なほどにストレートな吉田寮しばい部のあとでは、いささか手わざが先にきて、ちょっと表層的というか、意図された以上の不毛さと退屈さを感じたことも否定できない。
 一つには、伊藤君自身が演出する場合は、今回のテキストにも如実に示されているような自己の内面の葛藤やどろどろとした感情というものを、あえて普遍化しよう、馴らして見せようとすることからくるせめぎ合いと、それでも結局根底にあるものが見えてしまう切実さが生まれるのに対し、同小の面々の場合、はなからそうした諸々を隠す必要もなく(だって、伊藤君本人じゃないもの)、結果せめぎ合いや切実さが生まれないため、伊藤君の作家としての急所がかえって目立ってしまったということも、大きいような気がするが。
 演者陣は、作品の意匠をよく汲んだ安定した出来。
 悠木千帆時代の樹木希林のような赤い服を着た女性が強く印象に残ったが、客演等、アンサンブルとしての使い勝手がよいのはもう一人の女性のほうかもしれない。
(高間響さんもツイッターで記していたが、誰が何の役を演じているかはやはりどこかに明記して欲しいなあ。老舗の美意識もあるのか、同小は終演後各々名前を名乗ったりもしなかったし)
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2013年03月03日

京都学生演劇祭(第3回)Dブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Dブロック
(2013年3月2日17時スタート/元・立誠小学校 講堂)



○劇団立命芸術劇場 『行き当たりばったり』(立命館大学)

 脚本・演出:和田直大


 初日ということをまず加味した上で。
 ううん、造り手のまじめさはよくわかったんだけど、作品の面でも演技の面でも、どうにも厳しさつらさを感じてしまった。
 今回の作品のアイデアだって、たぶんもっと面白くできると思うんだよなあ。
 例えば、細かい出入りに気を遣わなくて、同じ一つの舞台であなたこなたを処理してしまうとか。
 次回の捲土重来を心より期待したい。



○劇団紫 『天使のはなし』(佛教大学)

 脚本・演出:ヒラタユミ


 課題や突っ込みどころは当然あるし、ちょっとミニシアター系の映画っぽい雰囲気もあるのだけれど、この作品のべたで(と)ぼけた、向日的な笑いと雰囲気は嫌いじゃない。
 だが、それより何より、去年の『ドッペルゲンガーは出られない』からのヒラタさんの「変化」に、僕はおおっと思ってしまった。
 よい意味でのびっくり!
(未見ゆえ詳細はわからないものの、もしかしたら、昨年の冬季定期公演、とのいけボーイ君作・演出の『モテたくて…!!』にも、その「変化」の原因を解く鍵があるのかもしれない)
 次回のさらなる「変化」を愉しみにしたい。

 それにしても、こうした「変化」を確認するのも、学生演劇祭の醍醐味だと思うなあ。


○喀血劇場 『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』

 脚本・演出:近衛虚作


 名は体を表す。
 題名はお芝居の内容を表わす。
 まさしく笑い満載、下ネタ満載。
 そりゃ、喀血劇場、大人の劇団だもんね。

 ただし、タイトルや表面的な部分とは裏腹に、近衛虚作君のお芝居の骨法の心得具合とツボの押さえ具合、シャイさと細やかさが垣間見える作品となっていることも、また大きな事実だ。
 さらには、近衛君の演劇や「祭」への強い想いさえ…。

 なあんてね。
 まあ、下ネタが大好きな人はそのままに、逆に下ネタが苦手な人は、そこだけに惑わされず心眼でご評価いただければ。
 と、ちょっとステマ臭いことを記してみました。

 いつもの如く古野陽大君はもちろんのこと、よい意味で1980年代の東京乾電池などを思い起こさせられるタチバナ役の男性(名前教えて!)や、髭だるマンら演者陣も好演熱演。
 それと、喀血劇場は女性の演者のチョイスがいいんだよね。
 ライター役の女性(名前教えて!)とか、いいなあ。
 もちろん、ここでも近衛君の演出が大きくモノを言っているんだけど。

 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭(第3回)Cブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Cブロック
(2013年3月2日13時スタート/元・立誠小学校 講堂)


 一昨年昨年に続いて今年もご招待いただいた京都学生演劇祭の初日ということで、元立誠小学校に足を運んだ。
 一昨年の3月にクラシカル・オーケストラ京都で講堂を利用した経験からも、ここの寒さは覚悟していたのだけれど、昨日までの穏やかさと打って変わっての低い気温。
 おまけに雪まで降るんだから、西部講堂も真っ青の寒さ。
 皆さん、くれぐれも重防寒のほど。
(正直、運営側の用意するものでは寒さは防げないので)

 まず、出演者の一人が「昼のワイドショーみたい」と思わず口にした、ちょっと煮え切らない開会式で三谷幸喜がらみの音楽が流れていたから、すはS君の作道、じゃない策動かと疑ったが、どうやらそうではないらしい。
 作道君、じゃないS君、ごめんなさい!

 で、第一ブロック目のCブロックを観る。
 あまり会場での稽古ができていない、それも初日ということを加味の上で、以下ご覧いただければと思う。



○KAMELEON 『新しい下宿人』(京都造形芸術大学)

 脚本:ウジェーヌ・イヨネスコ
 演出:村上千里


 まずもって既成台本、それもイヨネスコに取り組んだという点だけでも◎。
 杉原邦生君じゃなくったって高く評価したい。
 そして、イヨネスコに何かを足していきたいという村上君の意志もよくわかったんだけど。
 イヨネスコの狂気に裏打ちされた毒のある笑い、それとコインの裏表にある切実さというものが、あまり伝わってこなかったのは非常に残念だ。
 回を重ねていけば、精度も上がってくるだろうから、一概には言えないのだが、もしかしたら、ただ淡々と作品を「積み上げていった」ほうが、ある種の虚しさと狂気は表現できたような気がしないでもない。
(ジブリかアメリか、と評したくなるようなポップでキュートなイヨネスコには、ルドルフの『授業』という先例があるけど、あれは筒井加寿子さんと水沼健さんの共同作業だからこそだもんなあ)
 演者陣では、下宿人の河尻光君(未確認。間違っていたら訂正します)の雰囲気がいい。
 年を重ねれば、浅野和之さんみたいな役者さんになるのでは。
 一方、fukuii企画の『ニッポンの教育 −女子校編−』で、その存在感に魅せられた田中沙依さんは、難しいテキストの初日ということもあってか、台詞にも感情表現にも粗さが目立った。
 もしかしたらこれは、技術の巧拙というより、彼女が自分の柄に合わない役をやっている(やらされている?)ことのほうが大きいのかもしれないともふと思う。
(とはいえ、河尻君同様に田中さんも、15年後の演技がとても愉しみだ)
 できれば、別の回をもう一度観ておきたいな。



○劇団テフノロG 『空想世界の平均率』(成安造形大学)

 脚本:カメレオン十和子
 演出:テフノロガールズ


 成安造形大学の劇団テフノロGは、女性のみの出演。
 等身大というのかなあ、今の自分たちにとって身近で切実な事どもを、心理学的な要素をからめながら描いていたんだけど、脚本的に線が見えにくいというか、演劇的なものを意識したためにかえって遠回りしたという感じがしなくもない。
 ただ、本来ならば学内だけに留まってしまうだろう彼女たちの活動に、こうやって広く接する機会があるということはやはり重要だし、他の学生劇団と接することで彼女たちが得るものも小さくないとも思うわけで、評価において無理やり下駄をはかせる必要はないものの、彼女たちのプラスの部分は極力認めておくべきだとも感じる。
 諸々の事情もあってだろうが、今回京都女子大学の劇団S.F.P.が参加していないことも踏まえればなお。

 そしてこのことは、京都学生演劇祭がどこに軸足を置くのかということとも大きく関係していることだ。
 「演劇」のほうに特化して、学生劇団間の淘汰もやむなしとするのか、それとも「学生」の部分にもきちんと留意し続けるのか。
 あくまでもその意味で、審査員の人選は適切なのかどうか。
 沢大洋さんの学生演劇祭への関わり方も含めて、3月5日のパネルディスカッションではこういった点についてこそまずもって語られるべきだと、僕は思う。

 それにしても、例年感じることだが、テフノロGって、どうして昭和の香りがするのかなあ。



○劇団愉快犯 『作り話』(京都大学)

 脚本・演出:玉木青と劇団愉快犯


 いつくるかいつくるかとオチを待っていたら、オチなどなくて、まじめな私戯曲、と、言うより、先輩で実行委員長を務めてもいた玉木青君を糾弾する(?)ミュージカルだった『インギンブレイ。』から一転、玉木君が復活してオールスターキャストを揃えた今年の愉快犯は、元祖確信犯の名に恥じぬ、昨年の確信犯、西一風・田中次郎の『話の時間』に負けないウェルメイドプレイの佳品を造り上げた。
 その名もずばり『作り話』。
(企画外企画劇場と「」会の違いにもつながるけれど、やっぱり玉木君はクリエーター気質だし、作道雄君はプロデューサー気質だと思う)
 で、詳しくは観てのお愉しみ。
 バーバルギャグにサイトギャグと、しっかりきっちり笑わせておいて…。
 硬軟両面を演じてみせた北川啓太君をはじめ、谷脇友斗君、三宅陽介君、高崎正信君、井田勝也君ら演者陣も、長短はありつつも好演。
 横山清正君も、ゲストの役割をきっちり果たしていた。
(笹井佐保さんの出番が少なかったのは、残念。僕は、彼女を買っているのだ。でもこれ以上誉めると、今度は彼女が糾…)
 回を重ねるごとに、さらに磨きがかかるのでは。
 象牙の空港の『女体出口』で目を見張った永榮紘実さんがゲストの9日の回を再見しようかな。
 ああ、面白かった!
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2013年02月24日

O land Theater 第4回演劇公演『イナンナ』

☆O land Theater 第4回演劇公演『イナンナ』

 戯曲・演出:苧環凉
(2013年2月24日17時開演の回/人間座スタジオ)


 安部公房や吉田喜重的なモティーフが、増村保造的な感情表現でもって語られた作品。

 と、評しても、何を言いたいのかよくわからないという方も多そうなので、詳しく感想を記していくが。

 O land Theaterにとって第4回目の公演となる『イナンナ』は、「イナンナの冥界下り」という古代シュメールの神話を下敷きに、「災害」(苧環さんの意図は別にして、長崎市出身の僕は、どうしても原子爆弾のことを思い出してしまう)によって激しく傷ついた女性の「変容」(リヒャルト・シュトラウスの交響詩『死と変容』の「変容」と思って欲しい)が、その夫との関係なども交えつつ描き出された作品である。
 で、苧環さんの切実な想いは、主人公である女の台詞等から、とてもはっきりと伝わってきたように感じた反面、そうしたストレートな表現、感情吐露に、正直逃げ場のなさや息苦しさを感じてしまったことも事実だ。

 加えて、登場人物の口にするエモーショナルな言葉と、作品の根底にある静的なもの、「動かなさ」との齟齬に、僕はもどかしさを覚えたりもした。
 例えばそれは、吉田秀和が、アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルの演奏によるベートーヴェンの交響曲第7番について感じた、
>汽車が遠くから近寄ってくるとする。
 当然、近づくにつれ、音が大きくなる。
 それにつれて、汽車の姿も、大きくなるわけだが、どういうわけか、私たちの目には、その汽車の動きがちっともはやくなるようには映じないのである<*
(吉田秀和『世界の指揮者』<ちくま文庫>の「アンドレ・クリュイタンス」の章より)
というもどかしさにも通じるものかもしれない。

 そういえば、以前Factory Kyotoの松田正隆さんを囲む会で、苧環さんや司辻有香さんと話しをした際、僕が司辻さんのことを「クールビューティー」と口にしてちょっと盛り上がったことがあったのだけれど、「止まっていても動いている」ような感じのする司辻さんと、「動いていても静止している」ような感じのする苧環さんの各々の魅力特性と「クールビューティー」云々のこと、そして上述したような事どもは、大きくつながっているのかもしれない。

 女の坂本美夕、男の辻智之(ほかに、黙役として衣装の南野詩恵も出演。舞台映えのする彼女は適役だ)は、ともに難しいテキストに伍して苧環さんの意図によく沿う努力を重ねていたし、苧環さんの演出も、両者の個性に配慮しつつ自らの求める舞台を造り出す工夫を行っていたと思う。
 ただ、苧環さんの本来意図した作品世界(それは、彼女自身の美術、舞台造形と通底する、洗練されて繊細で精度の高いものだろう)を再現するためには、言い換えれば、この『イナンナ』を増村保造流の「いっちゃった」邪劇ではなく、演者の身体性よりも台詞に重きを置いた古典劇的な直截でシリアスな作品として観る側に受け入れてもらうためには、残念ながら、現在の坂本さん、辻さんの技量技術では荷が重過ぎると、僕には考えざるをえない。
(一例をあげれば、「性」に対する激しい表現が激しい表現たりえていない等)
 率直に言って、より演者の側に寄ったテキストの執筆か、逆によりテキストの側に寄ったキャスティングが必要だったのではないだろうか。
 またその意味で、苧環さんの意図を十全に汲み取りながら、企画作劇のサポートを務める、演出補佐なりドラマトゥルクなりが必要とされるのではとも考える。

 いずれにしても、苧環さんの感性才知がさらに発揮された作品の誕生を、強く心待ちにしたい。


*僕は、吉田秀和自身が別途指摘しているような、「劇的な動きは正確に、明確に捉えられ、見事に音になって生きている」点から、この演奏のLPレコードを好んで聴いていたのだけれど。
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2013年02月05日

下鴨車窓 #10『煙の塔』

☆下鴨車窓 #10『煙の塔』

 脚本・演出:田辺剛
 舞台監督・舞台美術:川上明子
 照明:魚森理恵
 音響:小早川保隆
 衣装:徳山まり奈
(2013年2月5日14時開演/アトリエ劇研)

 *NPO劇研枠での招待


 意欲的な作品。
 という一語ですませてしまうのはどうかと思うけど、劇作家・演出家の田辺剛が主宰する下鴨車窓の第10回目の公演『煙の塔』は、田辺さんのこれまでの積み重ねてきたものと今後の方向性がよく示された意欲的な作品となっていたのではないか。

 立ち入り禁止の山の奥に塔が存在するというとある村、まもなく村長の姪と青年の婚礼がとり行われようとする折も折、突然塔の辺りから不可思議な音が聞こえて来て…。

 という具合に、『煙の塔』は始まるのだけれど、寓話的手法によって「今現在」のアトモスフェアを把み表わそうとする田辺剛の姿勢がまずもって明確に表現された作品になっていたように、僕には感じられた。
(現在の諸状況を想起させるような場面、設定もふんだんに盛り込まれていたし)
 むろんそればかりではなく、小さな共同体、組織、集団における悪意の発生に、抑制されたエロティシズムといった、田辺さんの一連の作品と通底するモティーフが、チェーホフなどの先達たちの創作物や様々な演劇的技法を吸収咀嚼する形で描き込まれていた点も忘れてはなるまい。
 加えて、下鴨車窓の公演には珍しい11名という出演者数も含め、作劇的にも演出的にも新たな試みが諸々施されていたようにも思った。
 出演者の変更というアクシデントはひとまず置くとして、楽日にありがちな抜けやアラがあって、(田辺さんが好むラヴェルの音楽のような)テキストの精巧さ精緻さが減じられ、意図された掴みどころのなさがより散漫なものに感じられてしまったのは残念だけれど、これはレーゼドラマではなく、生の舞台なのだから仕方ないことだろう。
 それと、本来叙事詩として綴り終えられるべきものが、叙情的に収斂されてしまっているような感じがどうしてもしてしまったことも事実である。
 それがまた田辺さんの作品の特性であり魅力であることは充分承知しているし、例えば、今から10年以上前のt3heater時代に上演された『LOVE Radio 91.MHz』(2001年6月)などと比べれば、田辺剛の内面的、並びに技巧的な大きな変化進化は全く疑いようのないものでもあるのだが。
(飯坂美鶴妃は、幕切れの粘らないリリカルさをよく体現していたと思う。彼女が西一風時代に演出出演したという野田秀樹の『農業少女』をぜひ観ておきたかった)

 高杉征司、岩田由紀、藤本隆志、大沢めぐみ(田辺作品ではおなじみのモノローグを担うのに相応しいきれいな声質の持ち主)、飯坂さん、合田団地(ソリョーヌイ的な人物。今日の安田猛は、ちょっと失投が多かったかな。ただ、下鴨車窓のマウンドに立ったことは、彼にとって大きなプラスになったとも感じた)、芦谷康介(芦谷君の演技の変化をこうやって観続けることができることは、やはり嬉しいことだ)、新田あけみ、松田裕一郎、曽田伸一、水月りまの演者陣は、経験の長短やライヴ特有の傷はありつつも、田辺さんの意図によく沿う努力を重ねていたのではないか。
 中でも、高杉さん、岩田さん、藤本さんらベテラン勢の演技が強く印象に残った。
 あと、光と影を巧く利用した魚森理恵の照明と川上明子の舞台美術も、作品の世界観をよく汲み取っていたように感じた。

 次回の下鴨車窓の公演は、田辺さん自身の演出による『建築家M』(もしかしたら完全版か?)の上演とのこと。
 これまた実に愉しみだ。
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2013年02月01日

十中連合×the★planktons #2『この世界は、そんなに広いのですか』

☆十中連合×the★planktons #2『この世界は、そんなに広いのですか』

 演出・脚本:渡邉憲明
 演出助手:稲垣貴俊
(2013年2月1日19時開演/東山青少年活動センター創造活動室)

 *出演者の方からのご招待


 公演チラシの十中連合の劇団紹介に、>渡邉(憲明)のSF(少し不思議)な脚本を元に、悲しいことも楽しいことも「茶番劇」に作り変えてしまう<、とあるのだが、今回の十中連合×the★planktons(こちらは、十中連合への出演がきっかけで出会った、のりすと望月歩のユニットとのこと)の#2『この世界は、そんなに広いのですか』を観て、確かに言い得て妙だなあと感心した。

 3日まで公演が続いていることもあってあえて詳しい内容には触れないが、『この世界は、そんなに広いのですか』は、「私」(たち)が直面している様々なこと、だけではなく、その奥というか、それと地続きにある死生観、人生観が、「茶番劇」的な笑いと20代ならではの疾走感を伴って非常にストレートに描かれた作品となっていた。
 また、1980年代に書かれたある有名な戯曲が意識されたであろう結構に加え、渡邉君の諸々の蓄積がよく観受けられる脚本であり、舞台であったとも思う。
 あいにく、アクシデント的な要素によるある箇所を除くと、僕自身は、実は全く笑わなかったのだけれど、これらの笑いの仕掛けがなんのためにあるのかということ(如何に苦い「良薬」を服用してもらうかということと、渡邉君のシャイさ)は、十二分に理解することができたし、事実効果的な働きをしていたとも思う。
 もしかしたら糖衣だけは舐めながら、薬のほうは吐き出すって類いの人たちもいなくはないだろうが、これはまあ仕方あるまい。
(僕が笑えなかったのは、渡邉君がターゲットとしている人たちの好みと僕自身の好みにずれがあったことがまず大きいだろうし、笑いを先取りされるというか、演者陣をよく知っている人たちの笑いに先を越されて乗り遅れてしまったことも大きい。それと、演者陣の人柄の良さかな。演技座組みとしてはとても好感を抱いたのだが、笑いという点では、僕はもっともっと意地の悪い演じ手が好みなのだ。ただそうなると、作品自体の雰囲気が大きく変わってしまうなあ…)

 渡邉君を含む、望月さん、榎本篤志、櫻井賢詳、のりす、小川晶弘(水を得た魚の感強し)、喜田愛子、椎名ゆかり、本間広大、渡邉裕史の演者陣は、各々の特性魅力をよく発揮していたのではないか。
 初日ということや作品の造りもあって、粗さを感じる部分もあったが、作品の世界観にはよく沿っているとも感じた。

 いずれにしても、二重の意味で「今」だからこそ書かれ得た作品だと思う。
 そして、十中連合や渡邉君の今後の活躍に強く期待したい。
 次回の公演がとても愉しみだ。
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2013年01月26日

夕暮れ社 弱男ユニット『夕凪アナキズム』

☆夕暮れ社 弱男ユニット『夕凪アナキズム』

 作・演出:村上慎太郎
 演出補佐:山西竜也
(2013年1月26日15時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 観る観る観たい観たいと口にしながら、前回の『教育』(2010年3月)から約3年もの歳月が過ぎ去ってしまった。
 まさしく観る観る詐欺の典型で、今回の『夕凪アナキズム』を観ることができて、村上慎太郎ら夕暮れ社 弱男ユニットの面々にやっとこさ借りを返せた気分で、なんだかほっとした。
 と、言うのは、まあ半分冗談としても、『夕凪アナキズム』を観たのは大正解だったな。

 28日まで公演が続いているから、あえて詳しいことは触れないが、四方を客席に囲まれた音楽室中央のある場所(小西由悟の美術)で繰り広げられる、おかしくもかなしい恋愛模様。
 と、まとめると、あまりに単純過ぎて、出演者の一人佐々木峻一あたりに「ぶわあか!」と怒鳴りつけられそうだけど(いや、佐々木君のこの反応は、夕暮れ社 弱男ユニットと言うより、努力クラブっぽいかな)、そこだけ切り取って観てみても面白いんだもの、いいじゃんか。

 で、そこは村上君のこと、もちろんそれだけじゃ終わらない。
 そこに確信犯的な様々な仕掛けが施されているわけで、舞台上を演者たちが回り続けることが各々の感情と密接に重なり合っているところなど、奇しくも『教育』と共通していたりもして、おおっ、と思ってしまう。
 その、おおっ、をより詳しく記せば、村上君の観せ方の洗練され具合、急所要所の造り方の巧くなり具合への感心感嘆と言えるだろうか。

 と、言っても、それは村上君が諸々の状況に擦り寄って小さくまとまっているということでは毛頭ない。
 それどころか、村上君の演劇という表現活動に対する想いは、今なお盛んで愚直と評したくなるほどだ。
(でなけりゃ、『夕凪アナキズム』なんてタイトルつけないだろうしね。あんまりいいたとえじゃないかもしれないが、『教育』の「学生活動家」が、よい意味での「職業革命家」に変容した感じとでも言うべきか)

 稲森明日香と向井咲絵、そして御厨亮の夕暮れ社 弱男ユニットの面々をはじめ、岩崎優希、九鬼そねみ、小林欣也、南基文、佐々木峻一の演者陣は、相当困難な作業を行っているのにそれと気取られぬような、村上君の意図よくに沿った演技を繰り広げていたのではないか。
 そして、女性陣には美しさを、男性陣にはなんとも言えない情けなさを強く感じたことも付け加えておきたい。
 ああ、面白かった!
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2013年01月22日

劇団しようよ vol.3『スーホの白い馬みたいに。』(京都ver.)

☆劇団しようよ vol.3『スーホの白い馬みたいに。』

 作・演出:大原渉平
 音楽:吉見拓哉
 ドラマトゥルク:稲垣貴俊
(2013年1月22日15時開演/元・立誠小学校音楽室)


 月面クロワッサンのwebドラマ『虹をめぐる冒険』の第一回目のゲストとして、劇団しようよの大原渉平がゲスト出演していたのだけれど、いやあ、あの大原君の演技にはすっかり騙されてしまった。
 なんだか腹に一物も二物もありそうな様子に、てっきり西村花織が演じるヒロインを拉致監禁したのは、大原君だと思い込まされてしまったのだ。
 造り手の作道雄の思惑意図はひとまず置くとして、あのミスリードは秀逸だったなあ。
 で、腹に一物二物とは異なるけれど、常日頃の大原君とはだいぶん違って翳りというかぬめりのある『スーホの白い馬みたいに。』の演技に対して、僕の観た回では若い女性のお客さんが笑い声を上げていた。
 大原君、やっぱりよくわかっている。

 で、その『スーホの白い馬みたいに。』だけど、今回は昨年11月にKAIKAでプレビュー公演が行われた北九州バージョンのまるまま再演ということではなく、あちらで伏せられていた物語の核となる部分がしっかり解き明かされる新バージョンとなっていた。
 様々な登場人物たちの現在や過去が、いくつかの事象事件をきっかけにして絡み合い…。
 ということは、前回の公演の感想にも書いたっけ。
 人の心の哀しさ淋しさがリリカルに、わかりやすく受け止めやすく描かれていたのではないだろうか。

 ただ、本当は天童荒太的なテーマとシチュエーションの物語が、どうも石田衣良のようなきれいな手つきで書き流されているような感じがして、正直、大原君はこの物語のどこからどこまでを本心から語って騙りたかったのか疑問に思ってしまったことも事実だ。
 言い換えれば、相手から彼の言いたいことのある程度のところまで口にされて、いっとう大事なところを口ごもられはぐらかされてしまったかのようなもどかしさを感じたというか。
 もちろん、そこには大原君のシャイさ美意識、逆に自分が誰から何を求められているかをよくわかった上での戦術戦略もあるだろうから、そのことを否定するつもりは毛頭ないけれど。
 けれど、年をとって突然身も蓋もないことを明け透けにするよりも、若いうちからできるだけあけっぴろげにしておいたほうが、表現者としてもけっこう楽な気がするんだけどな。
 それに、吉見拓哉の正直でストレートな音楽との付きも、そっちのほうが今以上にさらにいいような気がするし。
(一つには、昨晩司辻有香の作品を観たことも大きいと思う。あっそうそう、僕が辻企画の『不埒なまぐろ』の感想で、無縁云々底が浅い云々と記したことは、セックスそのもののことではない。僕のセックス観については、もともと東陽一監督の『ラブレター』みたいなポルノ映画のシナリオを書いてくれと言われて、結局喜劇になってしまった『モノは試し』という拙作に詳しいので、いずれ必ず公開したい)

 前回に続く、ピンク地底人2号、山本大樹、宗岡ルリ、殿井歩、田中次郎、高山涼、井戸綾子、長南洸生、立花葛彦、橋岡七海ら演者陣は、諸々の長短や楽日特有の波はありつつも、各々の特性魅力をよく発揮していたのではないか。
 KAIKA、北九州、そして元立誠と公演を重ねて、アンサンブル的にも前回以上にまとまっていたように感じた。
 また、ゲストの劇団野の上の山田百次(心と腹と頭で演じることのできる人)と出村弘美(モナリザのような、彼女のどこかミステリアスな微笑みを観ることができたら、なおよかった)も、物語の核心を任せるに相応しい(冒頭記した月クロのwebドラマにも通じる)見事な組み合わせだった。
 さらに、穴迫信一もうざったいコメディリリーフをきっちりこなしていた。
(ここでは、山本大樹の受けのよさも忘れてはならないだろうが。山本君の筋の通ったのりのよさは、貴重だと思う)

 当然、それには大原君の演者の選択、キャスティングの巧さも高く評価しておく必要があるだろう。
 ただし、各々の演者の本質と大原君が求めるキャラクター、より具体的に言えば、全てではないけれど(そして、前々回の『ガールズ、遠く バージンセンチネル』同様)、大原君の女性観というか、希求する女性像と実際の演者との間に、埋め難い溝、齟齬を感じてしまったことも否定できない。
 むろん、登場人物をよい意味での「記号」と割り切って、石田衣良(もしかしたら杉原邦生?)的に作品世界を造り込む手もなくはないが、それは演者にとって精神的な負荷が強過ぎるだろうし、それより何より、大原君の持ち味よさともずれてしまうような気がするわけで。
(だいたい、石田衣良のようなスタイルは、「なる」ものではなく「ある」ものだろうしなあ)

 なんだか好き勝手なことを書き散らかしてしまった。
 いずれにしても、劇団しようよ、そして大原君、吉見君の今後の表現活動に注目し、その活躍に心から期待したい。
posted by figarok492na at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事関係の予定をすませたのち『ゆかいなどろぼうたち』の稽古に参加し、辻企画を観た(深夜のCLACLA)

 青空から雨降りに。
 こういうときだけ、天気予報があたるような気が…。

 じめ寒い感じ強し。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにはお気をつけくださいね。


 ようやく咳込みが治まってきた。
 やれやれ。


 朝早めに起きて、仕事関係の予定をすませる。


 自室で連絡作業を行ったのち、再び仕事関係の予定をすませる。


 その後、地下鉄でくいな橋へ移動し、龍谷大学深草校舎の矯正・保護総合センターで『ゆかいなどろぼうたち』(2月17日公演予定)の稽古に参加する。
 演出の伏見武さんのご指導のもと、稽古が進む。
 共演者の皆さんの演技の変化に目を見張るとともに、それを引き出す伏見さんの演出の素晴らしさに感心する。
 贅沢な時間。
 もっと頑張らなくては。


 稽古終了後、地下鉄で鞍馬口に移動し、仕事関係の予定をすませる。
 ついでに、ブックオフに寄ろうと思っていたら、なんと2011年の5月に閉店となっていた…。
 昨年末には梅津の店も閉まったし、堀川五条の店も危ういのではないか??


 北大路で別の用件をすませたのち、松ヶ崎へ。
 アトリエ劇研で辻企画の第六回公演『不埒なまぐろ』(司辻有香さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。


 で、21時半頃帰宅した。


 帰宅後、ハンス・フォンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したモーツァルトの序曲集<CAPRICCIO>、ザロモン・カルテットが演奏した同じくモーツァルトの弦楽4重奏曲第20番&第22番<hyperion>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』<講談社>を読み進めたり、観劇記録の準備を行ったりする。


 以上、1月21日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

辻企画 第六回公演『不埒なまぐろ』

☆辻企画 第六回公演『不埒なまぐろ』

 脚本・演出:司辻有香
 演出補佐:古野陽大
(2013年1月21日19時開演/アトリエ劇研)

*NPO劇研枠での招待


 辻企画にとって6回目の公演となる『不埒なまぐろ』の感想をどう記そうか、とても迷っている。
 いや、実は、出演者の大熊ねこが発する言葉が、司辻有香の肉声にふと入れ替わるような感覚に何度もとらわれたことから、本人と別の歌手が歌った中島みゆきの歌のことを枕に、大熊ねこの演技の持つ大きな意味や強い力(彼女が出演したからこそ可能となっただろう事ども)についてや、それでも、だからこそ、司辻さん本人が自作に出演すべきなのではないかと感じたこと(C.T.T.での彼女の演技のことも絡めながら)等をまとめてみようかとも思ったのだけれど、そういうことをこぎれいに書くこと自体が、自分の感じたことを巧く言語化してごまかす作業のような気がして嘘臭く、やめにした。

 ううん、『不埒なまぐろ』を観て感じたこと。
 それをどう書き表わせばいいか。
 ちょっと的外れかもしれないけれど、筒井康隆の『エディプスの恋人』<新潮文庫>のラスト近くで、ヒロインの火田七瀬がとらわれてしまった感覚にどこか近いものが…。
 いや、違うかな。
 なんだか応えようのない質問を投げかけられたようなとまどい。
 いや、あたふたととまどっているのではないのだが。
 と、言って、描かれていることのわけがわからないのでがなく、ただそうした事、ものが自分のうちに顕在するのでなく、それどころか、全く無縁だと常日頃から感じ、だから自分は「底が浅い」のだと友人知己に繰り返し語っていることでもあるため、馬鹿にしているのでもなく揶揄でもなく「ああ、これはすごいな」と思いはするのだけれど、では、じゃあどう応じるのかと問われれば、ううんいや、と口ごもってしまうような。
 もしこの作品が、もっと客観性を欠いた内面呪詛の塊のような内容であったり(だったら、『不埒なまぐろ』なんてタイトルにはならないだろう)、逆により露悪性の強い過剰でエキセントリックな「挑発」であったりすれば、受け取り方感じ方も大きく変わったのかもしれないが。
(もしそうであれば、それこそ増村保造風の「いっちゃい過ぎた」邪劇として、司辻さんの想いなどお構いなしにただただ面白がったかもしれない)

 心をぐぐっと激しく動かされるのではなく、かと言って冗長退屈つまらないのでもない、曰く言い難い感覚に今も、そう今もとらわれている。
 だから、この『不埒なまぐろ』を観ておいてよかったと思うし、司辻さんの次の作品もきっと必ず観たいとも思っているのだけれど。

 そして、出演の大熊ねこ、タケダナヲキ、田中浩之の三人に、改めて大きな拍手を贈りたい。
posted by figarok492na at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする