2014年09月01日

京都学生演劇祭Cブロック−2 劇団S.F.P.『彼らが謳う正当性』

☆京都学生演劇祭Cブロック C-2
 劇団S.F.P.(京都女子大学)
 『彼らが謳う正当性』

 脚本:丹羽彩美
 演出:田村紗絵
(2014年8月31日18時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 ちょうど20年前のヨーロッパ滞在中、僕は、ウィーン・フィルの本拠地ムジークフェラインザールで、彼らの定期演奏会に接したことがあった。
 ベルナルト・ハイティンクの指揮でシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」が演奏されていたが、ムジークフェラインザールのほわんほわんふわんふわんとした音響で聴く「ザ・グレート」は、シューマンならずとも「天国的な長さ」と評したくなるようなとろっとした聴き心地のよさだった。
 そして日曜の午前から正午過ぎにかけての甘けだるさと、ウィーンっ子たちのインティメートな雰囲気に、ああ、オーケストラだけじゃなくってホールやそこに集うお客さんもまた楽器なんだよなあ、と感心し感嘆したのである。

 って、京都学生演劇祭の感想にあんた何書いてんの、と目くじらを立てるなかれ。
(そうそう、僕の観劇記録は、お芝居の感想にも関わらず、クラシック音楽、古い邦画、落語小説、はては歴史的事象等々、ありとあらゆる事どもを喩えに使います。詳しい解説なんてしませんので、ご興味がおありの方は、ぜひ検索をおかけくださいね。悪しからず)

 京都学生演劇祭で接したことのある劇団S.F.P.だが、ひょんなことから彼女らの2012年度の新入生歓迎公演『吟遊狂詩曲』(今回の演出でもある、田村さんの柔らかい演技がことによかった)を京都女子大学の学生ホールで観る機会があったんだけど、S.F.P.の面々と京女の学生さん、保護者関係者の皆さん、さらには地域住民の方々とが醸し出すアットホームな雰囲気に、ああ、学生劇団だって一度は本拠地で観ておかないと、と痛感したのである。

 ね、ウィーン・フィルの話とつながってるでしょう。

 で、ひるがえって今回の京都学生演劇祭でS.F.P.が上演した『彼らが謳う正当性』の感想なんだけれども。
 難しくて深いこと、造り手が大切だと思っていることを、優しく柔らかい語り口で語っていきたいという彼女らの想いは、よく伝わってきた。
 し、オフビートな笑いの仕掛けや、単にほんわかほのぼので終わらない展開だって全く不愉快なものではない。
 物語の本筋とは関わりないところで、僕のツボにはまる部分がいくつかあったことも確かだ。
 ただ、前の劇団ACTのスピーディーな上演を観ていることもあって、ゆっくりとしたそのテンポ感に、どうしても舞台の動かなさ、停滞した感じを覚えてしまったことも事実である。
 これがもしホームグラウンドでの上演であったならば、受ける印象もきっと大きく違ったものになったような気がする。
 もしくは、アウェイ、他団体との同時上演なのだから、柳川や努力クラブとまではいかずとも、テキストの持つ滑稽さ、邪劇さ邪悪さをさらに確信犯的に強調してみてもよかったかもしれない。

 幽霊役の加藤舞には、なんとなく新劇の役者さんを思い出す。
 そして、少女役の笠村奈那!
 S.F.P.といえば、学生演劇祭の2回目での岩崎美生さんのぶっ飛んだキャラクターぶりが忘れ難いが、笠村さんも彼女に肉薄する面白さの持ち主とみた。
 今後の活躍にぜひとも期待したい。
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京都学生演劇祭Cブロック−1 劇団ACT『めまい』

☆京都学生演劇祭Cブロック C-1
 劇団ACT(京都産業大学)
 『めまい』

 脚本・演出:一人静
(2014年8月31日17時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 劇団ACTといえば、現友達図鑑の代表で月面クロワッサンのエース、丸山交通公園を皮切りとした、やたけた変格的なコント笑劇の造り手たちという印象がどうしても拭いさり難いが、今回の『めまい』を観て、その認識を大きく改めた。
 集団社会に発生する悪意や付和雷同性、自己存在のあやふやさとまとめてしまうと大事なものがこぼれ落ちて、どうにも陳腐なのだけれど、学生さんたちばかりでなく、僕(ら)自身が直面している事どもが、現在小劇場で慣れ親しまれている手法骨法を援用しながら、約45分の中でスピーディーに描かれていく。
 まずはその手並みのよさと、その背景にある蓄積、そして表現表出に対する強い意志に感心した。
 演者陣も、そうした作・演出の意図によく沿う努力を重ねていたのではないか。
 中でも、集団の会話の場面でのスムーズでバランスのよいアンサンブルが強く記憶に残った。

 一人静は、さらに細かく内面のどろどろとした部分や、登場人物間の齟齬を描き込める人のように感じられた。
 次回は、ぜひとも長尺の作品に接してみたい。
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2014年08月31日

演劇ビギナーズユニット2014 劇団サイハテ『ナツヤスミ語辞典』

☆演劇ビギナーズユニット2014 劇団サイハテ『ナツヤスミ語辞典』

 脚本:成井豊
 演出・脚色:村上慎太郎
 演出補:阪本麻紀、稲森明日香
(2014年8月30日18時半開演の回/京都市東山青少年活動センター創造活動室)


 例年京都市東山青少年活動センターで開催されている演劇ビギナーズユニットだが、21回目となる今回は、夕暮れ社 弱男ユニットの村上慎太郎を新たな演出担当に迎え、劇団サイハテの名で終了公演を行った。
 とり上げたのは、おなじみ演劇集団キャラメルボックス・成井豊の初期の作品『ナツヤスミ語辞典』(1989年初演)で、それこそ残り少ない夏休みの一日に相応しい舞台となっていたのではないか。

 まず参加者が集まって、それから自分たちで上演する台本を決定するというのが、ビギナーズユニットの恒例だけれど、今回のサイハテの場合、参加者=出演者と登場人物のキャラクターがバランスよく重なり合っていたように感じられた。
 当然そこには、演出の村上君はじめ、演出補の阪本さん、稲森さんたちの大きなサポートが存在するのだが、「中学生」や「大人」の色分けがなかなか巧く決まっていたと思う。
 ライヴ特有の傷や、経験の有無など個々の差はありつつも、心の動きに合った緩急強弱の変化や演者間でのスムーズな言葉のやり取りがよく心掛けられていたのではないか。

 また、村上君は、原作の世界観をしっかりと踏まえつつ、作品の結構や骨法(モノローグの多用であるとか、異なる場所・時系列に存在する登場人物間の会話とか)をクリアに再現していた。
 加えて、成井豊ならぬ尾崎豊に通じる主題をパッションで流したり、過度にリリシズムを強調したりしない適度な距離感も、僕には村上君らしく感じられた。

 いずれにしても、腹の底をぐっと掴んでかき回す激しさや強烈な慟哭とは異なる、鼻の奥がツンとするような切なくて懐かしい気持ちを味わうことのできる作品であり、公演だった。

 今回のビギナーズユニットに参加した皆さんの今後の一層のご活躍を心より祈願します。
 そして、残すところあと1回、最後の公演もぜひぜひ頑張ってください!
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2014年08月29日

柳川 第25回公演『奥さん、柳川がまたおかしなもの作ったらしいわよ』

☆柳川 第25回公演『奥さん、柳川がまたおかしなもの作ったらしいわよ』

 作・演出:津野允
(2014年8月28日19時開演/アトリエ劇研)

 あいつらが戻って来た!
 って、何度戻って来とんねん、もう戻って来んでええわ!!

 とは、昔懐かし『特攻野郎Aチーム』の日曜洋画劇場での放映に対する至極真っ当な突っ込みだけれど、これが

 柳川が戻って来た!

 となれば、全く話は別だ。

 途中、オムニバス集の『昔、柳川がいた』(2011年10月30日、アトリエ劇研)は観たものの、本格的な公演は第21回の『フランケンシュタイン』(2010年2月21日、同)以来となる、柳川の第25回公演が行われるというのだから、これはもちろん観逃すことはできない。
 その名もずばり『奥さん、柳川がまたおかしなもの作ったらしいわよ』。
 野球のピッチングでいえば、超速球速球、ストライクとボールきわきわのゾーンから暴投気味のボール、はてはフェンス直撃の大暴投とあの手この手。
 バーバル・ギャグに体技、べたなネタから時代ずらしネタ、演劇ネタ。
 だれ場退屈場もあえて辞さない、「笑わば笑え」の確信犯的な舞台が繰り広げられていた。
 それでいて、徹頭徹尾己の道を進む真摯さや含羞の念、切なさおかかなしさを伴った余韻が残るのも、柳川らしいところだろう。
 初日ということで、まだ固まりきれていない部分もあったりはしたが、それが巧く笑いにつながっていたことも事実だ。

 おなじみ浦島史生、津野允に加え、伊藤隆裕、合田団地、佐々木峻一、永榮紘実、廣瀬信輔、松野香澄、そしてあの伝説の帝釈天アニーと、演者陣に個性豊かな顔触れが揃った。
 今夜はサプライズライヴ付きで、渋い選曲ともども嬉しいかぎり。

 31日までの公演。
 よろしければぜひ!
 そして、柳川の次回の公演を心待ちにしたい。
 何度でも戻って来い!!
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2014年08月17日

京都学生演劇祭2014の観劇レポーターとなりました

 すでにサイト上でも公開されていますが、この度京都学生演劇祭2014の観劇レポーターを務めることとなりました。
 基本的には前々回前回の学生演劇祭と同様、バランスはとりつつも自分自身の感覚に正直なレビューを記していきたいと考えています。
 ときに厳しい内容となるかもしれませんが、皆さんの今後の活動の一助となれば幸いです。
 何とぞよろしくお願いいたします。

 ところで、今回おなじみの顔触れ(石田さん、タカハシ君、高間上皇、そして中瀬)のほかに、龍谷大学1回生の徳本恵理さんが観劇レポーターに参加されて、僕は本当によかったと思います。
 一つには、同じ(年齢層の)学生さんに学生演劇がどう見えるのかということが非常に興味深いからです。
 そしてそれはまた、そもそも学生演劇祭とはいったい誰のために存在するものかという命題とも深くつながってくることではないでしょうか。
 もう一つには、もし徳本さんが応募されなかったとしたら、審査員、観劇サポーター(加えて、ユーストリーム中継に出演された学生演劇の先輩たち)全員が男性のみで占められることになってしまっていたからです。
 諸々事情はあるでしょうから、今回の結果に関しては、もちろん故意のものではないと信じています。
 ただ、様々な視点や社会性の担保という意味からも、学生演劇祭というパブリックで開かれた企画における審査評価に関しては、一方の性に偏ることのない人選が行われてしかるべきだとも僕は考えます。
(と、いうかもっと単純に、「男ばっかりて!」と違和感を覚えるんですよ)
 今年度は試行期間のためかとも思いますので、次年度以降は、女男老若バラエティに富んだ観劇レポーターが寄り集まることを心より願ってやみません。
 そうしたことについても留意しながら、観劇レポーターを務めさせていただければと思っています。

 なお、当方の勘違いで、公式発表以前に観劇レポーターに関するツイートをtwitter上で行ってしまい、学生演劇祭の実行委員会の皆さんや他の観劇レポーターの皆さん、さらには関係の皆さんにご迷惑をおかけしてしまいましたこと、改めて心よりお詫び申し上げます。
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2014年08月09日

笑福亭羽光×ハラショー二人会「酔拳」

☆笑福亭羽光×ハラショー二人会「酔拳」


 烏丸五条(烏丸通から万寿寺通を河原町寄りに少し入ったところ)の居酒屋タナゴコロで開催される落語会の一回目、関西出身で衛星の初期の舞台に立ったこともあるという、笑福亭鶴光一門の笑福亭羽光と、同じく関西出身で伝説の一人芝居役者、三遊亭圓丈一門の色物芸人ハラショーの二人会「酔拳」を観に行って来た。

 まずは、羽光さんから。
 初めての会ということもあって、お客さんの様子をしっかりうかがいつつ、おなじみの『ちりとてちん』を。
 デフォルメも大きくきかせながら。

 続けてハラショーが、酒井のりぴーの裁判の傍聴券入手できずの顛末を活写した漫談を披露。
 そのぞろっぺいな筋運びがまた懐かしい。

 短めの仲入り後は、羽光さんが『はてなの茶碗』をかける。
 多少粗さは感じるものの、オーソドックスな語り口であり、よく張る声の持ち主ということもあって、こうした大ネタが柄に合っているのではと思った。
 『愛宕山』など聴いてみたい。

 そして最後は、映画をネタにしたハラショーの漫談。
 これまたぞろっぺいの極みだが、黒澤明の『夢』を持って来たのには、ついつい大笑いしてしまった。

 台風11号の影響でキャンセルが多かったのが、非常に残念。
 羽光さんの高座やハラショーの芸に今後も接していきたいと思った。
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2014年08月08日

イッパイアンテナの怪談『遠野物語』

☆イッパイアンテナの怪談『遠野物語』

 原作:柳田國男
 脚色:大崎けんじ
 演出:大崎けんじ
(2014年8月7日19時開演/元・立誠小学校木工室)


 諸々あって一旦活動を停止したイッパイアンテナが、大崎けんじ(崎は、本当は大ではなく立)を中心とする団体としてこの度活動を再開した。
 その第一回目の公演となる『遠野物語』は、柳田國男が蒐集した岩手県遠野地方の怪奇譚そのものとともに、柳田と遠野の若者佐々木鏡石らとのやり取りを織り込むことで、怪奇譚怪談の背景となる地元の自然や生活であるとか、都市と地方との関係性、さらにはアクチュアリティの問題に目配せした、意欲的で幅の広い作品づくりが試みられていた。
(その意味でも、井上ひさしのことをすぐに思い起こした)
 1時間という上演時間もあってか、物語の構成等で喰い足りなさを覚えた部分もなくはなかったが、イッパイアンテナのこれからの方向性がよく表われた作品であり公演となっていたことも確かだろう。

 金田一央紀は、張りのある美声と滑稽なキャラクターが持ち味。
 表層的であるとともにどこか狂躁的でもある柳田國男の再現に努めていた。
 公演回数を重ねることで、さらにならされ造り込まれていくのでは。
 一方、佐々木鏡石役の、あぶ潤(芝居ぶる男)は、若干粗さはありつつも、岩手出身という強みに加え、あぶさん自身の鬱屈した感じが巧く重なり合って、リアリティのある人物像を生み出していた。
 特に、終盤、この作品の肝となる部分での声が強く印象に残る。
 三鬼春奈は、プレイベントの「ストリート怪談」も含めて、いつもながらの巧さ達者さ。
 ただ、行燈(蝋燭)程度の明度であるはずのものが、ガスランプ程度の明度をもって示されているというか、芯の強さが透けて見えるというか、本来求められているだろう役回りといくぶん齟齬を感じたことも事実だ。

 いずれにしても、イッパイアンテナの今後の活動に注目するとともに、出演者はじめ関係者の皆さんの今後の一層の活躍に期待していきたい。
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2014年08月01日

さよなら福田きみどりさん

☆さよなら福田きみどりさん


 福田きみどりさんがドキドキぼーいずを退団し、京都を離れることが発表された。
 今回の福田さんの決断に関しては、発表前にちらと伝わって来ていたし、僕自身いろいろと考えることもあるのだけれど、ここではあえて詳しく述べない。
 ただ、京都小劇場の中で期待と好感を抱いて接してきた演者さんの一人なだけに、自分なりの惜別の文章を綴ってみたいと思う。

 僕が福田さんの出演する舞台に接したのは、第2回京都学生演劇祭におけるドキドキぼーいずの『ブサイクハニーベイベー』(2012年2月19日、20日/アートコンプレックス1928)が初めてだった。
 お尻の大きさをコンプレックスに抱えつつ、ブサイクアイドルの頂点を目指して奮闘努力する田舎出の女の子を福田さんは熱演好演していた。
 ばかりではなく、自分自身の置かれた状況と内面をハト胸という登場人物に託して吐露する本間広大君を、福田さんは演技面でも精神面でも大きく支えているように僕には感じられた。
「彼女は主演女優じゃないんですか?」
 と、福田さんを第2回京都学生演劇祭の優秀助演女優賞に(勝手に)推したことについて問いかける人に、「まあ、彼女は黒澤明の『酔いどれ天使』の三船敏郎みたいなもんやから」と言って僕はお茶をにごしたのだけれど、実際はそうした彼女のサポートぶりを高く評価してのものだった。
 そして、『ブサイクハニーベイベー』の切ない完結篇となる京都造形芸術大学での公演(2014年4月6日/京都芸術劇場Studio21)では、福田さんの補助者としての存在の大きさが一層鮮明に表わされていた。
(その意味で大きく悔やまれるのは、福田さんを最優秀助演女優賞に推さなかったことである。いや、西城瞳さんの受賞自体は全く問題ない。どうで自分勝手な賞なのだから、遠慮などせず最優秀だろうが優秀だろうがどんどん乱発しておけばよかったのだ)

 ところで、ドキドキぼーいずでの福田さんといえば、どうしてもその表情の魅力について触れておかなければなるまい。
 かつての日本テレビの名プロデューサー井原高忠(『ブサイクハニベイベー』で本間君が演じたプロデューサーの先駆者のような人だ)は、今は亡き坂本九へ「笑顔千両」という言葉を与えたそうだが、その伝でいくと、福田さんは「表情千両」ということになるのではないか。
 特に、ドキドキぼーいずにとって再旗揚げ公演となる『夢の愛』(2013年7月26日/KAIKA)での、全てを引き受けた上で踏み留まって見せる、ときにおかしく、ときに哀しく、ときに儚く、ときに力強い彼女の表情を、僕は忘れることができない。

 もちろん、ドキドキぼーいずの公演以外での福田さんも強く記憶に残っている。
 象牙の空港の第2回公演『20のアマルガム』(2012年7月15日/UrBANGUILD)での福田さんは、作・演出の伊藤元晴君の意図に沿って、同じ出演者の柳沢友里亜さんともども、くすんで鬱屈した感じをよく出していたし、それより何より、森陽平君や小堀結香さん、染谷有紀さんとのHOME『わたしのあいだ』。
 中でも、移転前のFactory Kyotoでの上演(2012年11月13日)では、一見すると澄んで静止しているような水面が空の青さや陽光、翳りを反映しつつ細かく動いているかのような作品世界に、福田さんの弱さと強さをためた身体性と、心の内を吐き出したくてそれでもそう出来ず内に向かって響かせているかの如き彼女の声が、よく合っていた。

 そうそう、福田さんが京都を離れることでとても残念なのが、福田さんが唖の娘カトリンを演じる、ベルトルト・ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』を観ることができなくなることだ。
 カトリンの弱さと強さとは、福田さんの抱えたそれとぴったりあてはまっただろうから。
 まあ、永榮紘実さんのおっ母と玉木青君の演出は無理としても、例えば岩手で森君の演出で上演される機会がないとまでは言い切れまい。
 その際は、ぜひおっ母は阿部潤さん(斎藤晴彦さんが演じてたんだから、男性だって無問題!てか、性別でとやかく言いなさんなよ)、イヴェットは島あやさん、なんてキャストはどうだろう。
 いやあ、これはぜひとも観てみたいなあ。
 いや、下手は承知で大佐役か何かで出演させてもらえないかなあ。

 いずれにしても、福田さんの今後のさらなるご活躍を心から祈るとともに、本間君をはじめとしたドキドキぼーいずの面々の今後のさらなるご活躍も心から祈りたい。

 それでは、さよなら福田きみどりさん。
 そして福田さん、ではではまたまた!
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2014年07月26日

THE GO AND MO'S 第14回公演『上野の門』

☆THE GO AND MO’S第14回公演『上野の門』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
(2014年7月26日19時開演/元・立誠小学校音楽室)


 黒川猛のワンマン・ライヴ、THE GO AND MO’Sの第14回公演『上野の門』は、オープニングの「吹き出し9」(上半期の人々!)から、Nov.16の音楽も光るブルース漫談「冠ジョニー」、もっちゃりもちゃっとした語り口でおかかなしい世界を弁じ立てる十八番の活動弁士「斎藤金曜美」、久方振りの創作落語「取り調べ」等々と、いつもの如く盛り沢山のラインナップだった。
 玄妙さが過ぎて爆笑とはなりにくい出し物もありはしたが、それもまた黒川さんの笑いに対する冒険精神の結果であり、GOMO’Sを観る妙味の一つとも言えるだろう。
 それより何より、「続・いたこ」での黒川さんの必死さ。
 首が飛んでも笑わせてみせる、の意気込みがよく表われていた。

 また、『英雄〜EpisodeU』ではおなじみチャンピオンが、『KIGEKI 〜喜劇王VS喜公子(喜公子って感じじゃちっともないけどね!)』ではおなじみ喜劇王が大活躍していたほか、短編映画『おもちゃ物語』でも、ベトナムからの笑い声ファンには嬉しい名前を見つけることができた。

 いずれにしても、これで1200円は実に安い。
 そして、次回の公演(『山方の森』もとても愉しみだ。

 ああ、面白かった!
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2014年06月21日

katacotts(カタコッツ) 第3回リーディング公演『ひとり葉桜』

☆katacotts 第3回リーディング公演『ひとり葉桜』

 脚本:岸田國士『葉桜』
 演出・構成・出演:戸谷彩
(2014年6月21日19時開演/壱坪シアタースワン)


 戸谷彩が代表を務める、katacotts(カタコッツ)の第3回リーディング公演『ひとり葉桜』を観た。

 もともと岸田國士の母と娘の二人芝居『葉桜』を一人芝居として上演する予定だったものが、諸般の事情でリーディングに変わった公演なのだけれど、戸谷さんが公演パンフレットに記しているように、岸田國士の作品世界の再現よりも、彼女自身の「私小説」性、「私戯曲」性が強く押し出された内容となっていた。

 顔立ちに加え感情表現のあり様から、ふと毬谷友子を思い起こす戸谷さんだが、テキストと真摯に向かい合い、細かい表現を行っていこうという努力は充分理解しつつも、そうした意志が時として前のめりになり、結果狙いが巧く決まっていかないもどかしさを感じてしまったことも事実だ。
 特に、エロキューションの問題というか、戸谷さんが本来望んでいるだろうテンポ感をとりながら、いかにしてより鮮明にテキストを実際の言葉に置き換えていくかは、これからの大きな課題だと思う。

 ただそうした課題は課題として、一方でこの『ひとり葉桜』にこめた戸谷さんの切実さが伝わってきたことも確かで、中でも終盤のある台詞にははっとさせられた。

 いずれにしても、戸谷さんとkatacottsの今後の活躍に期待していきたい。
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2014年06月17日

正直者の会 戯式.vol1

☆正直者の会 戯式.vol1

 MC(Master of Ceremonies):田中遊
 ゲスト:浜田夏峰
(2014年6月17日19時開演/西陣ファクトリーGarden)


 正直者の会を率いる田中遊のほぼ一人舞台、戯式.vol1を観たが、田中さんのこれまで培ってきたあれこれが十分十二分に発揮された作品となっており、約1時間があっと言う間に過ぎて行った。

 明日も公演が控えているため、あえて詳細については触れないけれど、CDラジカセ等、4台の機器を駆使しつつ、田中さんは丹念に、慎重に、かつ大胆に舞台を造り上げていく。
 正直者の会ではおなじみ、言葉の変奏や音の積み重ねで様々なイメージを喚起する「戯声(たわごえ)」の手法を活かした作品や、メタ的な自問自答、さらにはこの間の経験活動で吸収咀嚼したものが吐き出される「しずく」と、創作者演技者両面での田中さんの実験精神やストイックさがよく示されたラインナップだった。
(4台の機器に仕込んだ音声と伍して、ライヴ特有の傷を感じさせることもなく演じ続けるというだけで脱帽である)
 むろん、それだけでは観る側、ばかりでなく演じる側の息を抜く暇もないからとフリートーク、並びに浜田夏峰とのシーン(次回7月公演の一部)が挟まれていて、こちらも愉しめた。
 西陣ファクトリーGardenという会場の雰囲気もよく、戯式というこのシリーズがぜひ長く続いて欲しいと思った。

 ああ、面白かった!
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2014年06月09日

努力クラブ8『魔王城』

☆努力クラブ8『魔王城』

 作・演出:合田団地
(2014年6月8日19時開演の回/アトリエ劇研)


 筒井康隆の短篇小説の中に、『天の一角』(『家族場面』<新潮文庫>所収)という作品がある。
 「芝居の看板絵で、その場面に出ない他の場面の出演者が、絵の上の片隅、紙を少しめくり返らせたうしろから、その場面の出演者を見おろしている描法」を筒井は、「天の一角」と称し、その「天の一角」を効果的に織り込むことで死刑問題(当然、筒井康隆が深く関係した永山則夫のことも思い出す)を徹底的に茶化しのめした、モラリストの筒井康隆らしいスラプスティックで痛切な作品に仕上がっている。
 努力クラブにとって8回目の本公演となる『魔王城』はさしずめ、そうした「天の一角」を舞台上に平面化、立体化させたものではないか。

 ある高い場所から下界を覗く登場人物の台詞の積み重ねによって、「魔王城」という何やら曰くありげな建物と、それを取り巻く都市や人々の変遷変容が次第に浮き彫りにされるとともに、アクチュアリティやアトモスフェアと呼べば陳腐だけれど、僕(ら)自身が直面している今現在のあれやこれや、閉塞感、不安感、暴力性、諦念、その他諸々へと想い考えは進んでいく。
 加えて、「魔王城」のあり様をはじめ、合田君の試行や嗜好がふんだんに盛り込まれているのも実に興味深い。

 また、努力クラブの九鬼そねみ、佐々木峻一(残念ながら、無農薬亭農薬は出演せず)、客演のピンク地底人2号、稲葉俊一、大石英史、川北唯、キタノ万里、笹井佐保、長坂ひかる、新谷大輝の演者陣も、技術的な長短というよりもテキストとの向き合い方という点で個々の差はありつつも、そうした合田君の意図によく沿っていた。
 発音、発語のコントロールという部分も含めて、その努力は評価されてしかるべきだろう。

 ただ、意図され計算され尽くしたものであることは充分承知しながらも、ヤナーチェクの室内楽曲や器楽曲が、あるはモートン・フェルドマン流に、あるはエリオット・カーター流に加工されているような退屈さと過剰さを感じたことも事実で、合田君の攻めの姿勢は大いに買うとして、彼が求めているだろうより広範囲な支持や人気の獲得とどう折り合いをつけていくかが今後の大きな課題となるとも強く思う。
 そして、演者陣の現時点でのモチベーションや持てる力と、合田君の作劇、作品の結構との齟齬を如何に縮めていくかも改めて検討される必要があると、僕は考える。

 いずれにしても、今回の『魔王城』は、合田君や努力クラブの面々にとって、よい契機、好機となる作品だ。
 京都での最終公演と大阪での公演の盛況成功を祈るとともに、今回公演に参加した全ての人たちのさらなる活躍と研鑚を祈りたい。
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2014年06月07日

THE GO AND MO'S 第13回公演『徳永の鯉』

☆THE GO AND MO’S 第13回公演『徳永の鯉』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
(2014年6月7日19時開演の回/壱坪シアタースワン)


 3月の終わりから4月の頭にかけて、黒川猛、ハラダリャン、ファックジャパンのワンマン・ライヴ(公演)を立て続けに観逃した。
 ついでに記せば、黒川さんのTHE GO AND MO’Sに到っては、これまで伸ばし続けてきた皆勤記録を失ってしまった。
 諸々理由はあったにせよ、どうにも悔しいことに違いはない。

 で、そんな悔しさを少しでも晴らすべく、THE GO AND MO’Sの第13回目の公演『徳永の鯉』を観て来たんだけど、いやあ、これはやっぱり観ておいてよかったなあ。
 オープニングの「吹き出し8」に続けて始まった、コント「正義のヒーロー 箱フェッショナル!」のしつこさ、重ね技からして黒川印全開だ。
 「笑い」そのものからいえば、若干長過ぎるきらいもなくはないが、ベトナムからの笑い声時代の頃からしっかりと表わされていた黒川猛の至極真っ当さが後半ぐっと垣間見えてきたこともまた事実である。
 コント「監禁」では、そうした至極真っ当さに巧く捻りが加わっていたと思う。
 また、黒川さんの言語感覚、文学感覚がよく発揮されているのが、活動弁士「斎藤木曜美」で、どこか徳川夢声を彷彿とさせる、ぬめっとした語り口もいい。
 そして、必死のパッチに腹がよじれる、コント「いたこ」。
 黒川さんがもだえ苦しむ様がおかしいのなんの。
 ほかに、Nov.16の歌と音楽が軽快なコント「象さんの爺さん」(あれ、逆じゃなかったっけ)や、あの人の歌声が聴けるコント「歌姫」、あの喜劇王とあの喜竜(誰かは観てのお愉しみ)の妙技が披歴される「KIGEKI〜喜劇王VS喜竜」、おなじみあの人の勝負がパワーアップした「英雄〜Episode T」と、盛り沢山のラインナップで一時間半が過ぎていく。

 ぜひぜひ、多くの方々に足を運んでいただきたい。
 特に、「笑い」にこだわる人にはマストだ。
 ああ、面白かった!
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2014年05月04日

猛き流星 vol.3『贋作 罪と罰』

☆猛き流星 vol.03『贋作 罪と罰』

 脚本:野田秀樹
 原作:ドストエフスキー
 演出:酒井信古
(2014年5月3日14時開演の回/京都大学西部講堂)


 今は亡き如月小春は、野田秀樹の『走れメルス』について、
>「天皇制」も「満州大陸」も「病んだ日本」も出てこない。
 メッセージというものがつかめない。けれど見終わって泣けた。
 自分が生きていることが切なくなった。言葉を超えて伝わってくるものがあった。
 それはおそらく同世代感覚としかいいようのないものだったと思う<
と記した。
 時が流れ、野田秀樹は積極的に「天皇制」を騙る、ではない語るようになった。
 それを野田秀樹の天向、ではない転向と見る向きもないではないが、僕にはそれは、彼の身体と言語のアクロバティックな優技で有義な遊戯の中で疾走し失踪していた潜在的なモティーフの顕在化であるように感じられる。
 言い換えれば、それは同「世代」性から同「時代」性への収斂というか。
 で、『贋作 罪と罰』は、夢の遊眠社解散以降の野田秀樹の変化変容のとば口の時期に書かれた作品の一つだが、NODA・MAPでの初演から約20年、再演からも約10年が経ってなお、強いアクチュアリティを有しているはずだ。
(なあんて、天才の猿真似はあかんね。ちっとも面白くないや)

 今回の公演で演出の酒井信古は、何重底にもなった意匠を押さえつつ、作品の肝となる部分を劇的に、なおかつ演劇的に描き上げようと努めていたのではないか。
 京大西部講堂の間尺もよく活かされており、とても見栄えのする舞台に仕上がっていた。

 ただ一方で、舞台上の激しい動きとともに、テキストの勘所というか、要所急所、仕掛けが必要以上に流されてしまっているように感じられたことも事実だ。
 しかも、にもかかわらず、例えばモーツァルトの作品がベートーヴェンの作品を演奏するかのように演奏されたような重たさを感じたことも否めない。
(余談だけど、『贋作 罪と罰』を観ると、どうしても、つかこうへいの『幕末純情伝』を思い出し、さらに野田さん自身の『怪盗乱魔』を思い出してしまう)

 様々な事情もあってだろう、ライヴ特有の傷がまま見受けられたが、演者陣は作品の世界観と酒井君の演出を汲み取る努力を重ねていた。
 主人公の三条英を演じた柳沢友里亜や、高瀬川すてらをはじめ、小西啓介、柳原良平(トリックスター的な部分でも持ち味を発揮していたけれど、実は後半のほうが柳原君の特性により近いものがあるのでは)、富永琴美(昨年の学生演劇祭で、彼女は客演でもその真価を発揮すると思っていたが、やはりその通りだった)勝二繁、高山涼、土谷凌太、鈴木翠、小高知子、黒須和輝、野口祐史と、なべて熱演。
(その存在自体にはいろいろ感じるところもあるのだけれど、山中麻里絵は演出の趣向によく沿っていたとも思う)

 いずれにしても、全ての公演参加者の健闘に大きな拍手を贈りたい。
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2014年04月20日

C.T.T. vol.107 2014年4月試演会

☆C.T.T. vol.107 2014年4月試演会

(2014年4月19日19時開演/アトリエ劇研)


 久方振りのC.T.T.試演会だったが、その内容には大きな違いがありつつも、舞台上で演技を行うということに対する真摯さという意味では3団体ともに通じるものがあったように、僕には感じられた。

 まずは、高槻現代劇場でのワークショップを受けて誕生した「高槻シニア劇団」(50歳以上の参加者)の二つのグループのうちの一つ、高槻シニア劇団恍惚(うっとり)一座『とろっかとろっか 恍惚一座バージョン』(伊地知克介劇作、山口茜演出)から。
 技術的な云々かんぬんよりも前に、まずもって様々な人生経験を重ねてきた出演者の皆さんの存在感やエネルギー、演技から垣間見える人柄に魅力される。
 また、地域の現状や、大きな暴力と小さな暴力の問題をしっかりと盛り込みつつ、向日性というか、希望の視点を失わない伊地知さんの脚本(もともとあった作品を、恍惚一座用に手直ししたものとのこと)にも、面白さを感じた。
 そして、山口さんもそうした演者陣やテキストのプラスの部分を尊重して、無理を強いることのない演出を行っていた。
 稽古はもちろんのこと、こうした実演の経験も重ねて、さらにさらにお客さんをうっとりとさせるような舞台を生み出していって欲しいと思う。

 続いては、劇団ヤッホーの『イルメノルチルの音楽』(劇団ヤッホー出演・演出、ブリキの骸骨作・監修)。
 ヤッホーなんて名乗っているから、はっちゃけはきはきの劇団かと思ったら、さにあらず。
 確かに含みがあって諧謔味にも満ちたテキストではあったが、豊田智子の演技は非常に緊張を強いるもの。
 正直、ちょっと「緊張」する部分が長いなあと感じられて、舞台上ではしっかり緊張が続いてはいたものの、どうしても観るこちら側の緊張が切れてしまったりもしたのだけれど、合評会であえて挑戦してみた旨の発言もあり、なるほどと理解がいった。
 呼吸が声に変わり、さらに言葉に変わっていくプロセスの声の部分がとても音楽的で、僕ははっとさせられた。

 そして最後は、劇研アクターズラボ公演クラス(あごうさとし指導)のメンバーによる、背泳ぎの亀の『最後のコント』(あごうさん作・演出)。
 「今現在」演劇活動を行うということともに、アクターズラボの公演クラスに参加するということへの問いかけが含まれた、二重の意味でアクチュアリティに富んだ作品となっていたのではないか。
 アンサンブルの組み方や、登場人物のキャラクター等々にも、あごうさんの配慮がよくうかがえた。
 演者陣のほうもまた、あごうさんの意図に沿う努力を重ねていたと思う。
 板倉真弓や山野博生、渋谷勇気ら経験者に一日の長があることも事実だけれど、その他のメンバーも、(1月の内々の発表会を観ていることもあって)この間の研鑚を充分に感じ取ることができた。
 今回は途中までの試演ということで、完成版=8月の本公演が実に愉しみである。

 いずれにしても、3団体の皆さんの今後のさらなるご活躍を心より祈願したい。
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2014年04月12日

枠縁 1作目『タウン』

☆枠縁 1作目『タウン』

 作・演出:田中次郎
(2014年4月12日19時開演の回/人間座スタジオ)


 初心忘るべからず。
 これまでサワガレなどで演劇活動を行ってきた田中次郎が新たに立ち上げた団体、枠縁の第1回目の公演(1作目)『タウン』を観てきたが、田中君はじめ、飯坂美鶴妃、稲葉俊といったかつての西一風(立命館大学の学生劇団)出身勢の初心に戻ったかのような奮闘熱演する姿に、ふとそうした言葉を思い起こした。

 『タウン』は、西一風時代に上演したものを、枠縁用に改稿再演した作品だそうだけれど、狂躁(キチガイ)じみて薄気味悪く滑稽で、それでいて痛切な物語が繰り広げられており、田中君(実は、次郎君という呼び方のほうがずっとしっくりくるが)らしい作品だなあとつくづく思う。
 田中君自身に、飯坂さん、稲葉君(こうやって稲葉君が付け足しではない役をきちんと演じているのを観るのは、とても嬉しい)、森田深志、岡本昌也、菅一馬、古野陽大(久しぶりに舞台上の古野君を観ることができて、とても嬉しい)、キタノ万里、土肥嬌也の演者陣も、技術的な長短はありつつも、各々の特性を発揮しつつ田中君の世界観に沿う努力を重ねていたと思う。

 初日2回目の公演ということもあってか、意図した以上に狂躁性が空回りしていたり、間が合わなかったりと、笑いの仕掛けが活きないなど要所急所が詰まりきらないもどかしさを感じたことも事実だが、これは回を重ねるごとに巧くまとまってくるのではないか。
 それと、これは冒頭に記した事どもとも関係しているのだけれど、これまでの経験が演技のそこここに垣間見られる(中でも、飯坂さん)反面、よい意味でも学生演劇の延長線上に劇全体が置かれているように感じられたことも付け加えておきたい。
(作品のアクチュアリティの有無や、演者陣の上手下手といった問題とは全く別の次元の、感覚的な印象として)


 いずれにしても、こうやって田中君の作品を実際の舞台として目にする機会が得られたことを、大いに喜びたい。
 そして、しばらくは手探り状態が続くかもしれないが、できるだけ長く枠縁の活動が継続されるよう心から祈願したい。
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2014年03月25日

ニットキャップシアター ギャラリー公演『サロメ〜フルーツ❤スキャンダル〜』

☆ニットキャップシアター ギャラリー公演
 『サロメ〜フルーツ❤スキャンダル〜』

 原作:オスカー・ワイルド『サロメ』
 構成・演出:ごまのはえ
(2014年3月25日14時開演/3F project room)


 柳馬場御池下ルTNCビル3Fの3F project roomで開催された、ニットキャップシアターのギャラリー公演『サロメ〜フルーツ❤スキャンダル〜』は、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』を下敷きにしつつも、手製の仮面やエスニックな響きのする音楽、そしてダンスなどを活用しながら、洗練されたアンサンブルとよい意味での邪劇性が混交した、ニットキャップシアターらしいシアターピースに仕上がっていた。

 中盤、ごまのはえ演じるエロド王が劇の展開をぐっと引き締め引き回したこともあってだが、原作の持つ耽美性や、サロメ(市川愛里が熱演)と預言者ヨカナーン(織田圭祐他)との関係、サロメと母エロディアス(古屋正子の貫録が印象深い)との関係よりも、エロド王とサロメとの関係に主軸が置かれているように感じられた。
 し、なおかつ、ごまさんの圧巻怒涛の演技(藤山寛美を思わず思い起こしてしまうような座長ぶり)から、オスカー・ワイルドの表現者としての矜持や強い意志、苦悩、さらには彼が対峙した諸々が透けて見えるように思われたことも事実だ。
(それには、一応原作に何度か触れていることも小さくないだろうけれど)

 ほかに、高原綾子、永富健大(彼の今度の活動に注目していきたい)も作品の性格やごまさんの志向によく応える努力を重ねていたし、山岡未奈、門脇俊輔も作品の趣向をよく支えていた。

 そして、今回の公演で仕掛けられたあれこれが、今後のニットキャップシアターの作品にどのように活かされていくのかも非常に愉しみである。
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2014年03月04日

第18次笑の内閣『ツレがウヨになりまして』

☆第18次笑の内閣『ツレがウヨになりまして』

 作・演出:高間響
 演出補:由良真介、山下みさと
(2014年3月3日19時半開演の回/KAIKA)


 東京、札幌を経て京都公演を迎えた第18次笑の内閣『ツレがウヨになりまして』は、一つの作品を繰り返して上演することの意味を改めて考えさせられる内容となっていた。

 会社を辞めてニートとなった青年が、突然ネトウヨと化し、なんのこっちゃらスーパーマーケットへの抗議行動まで参加する始末。
 そんな、ツレがウヨになってしまった状況で、果たして青年の彼女はいかなる決断を下すのか。
 とまあ、物語の主筋をまとめるとそうした具合になるかな。
 ところどころ、それはあんた無茶な! と突っ込みを入れたくなる部分もあるんだけれど、そこはもうお芝居。
 喜劇の中に、それこそ韓流ドラマもかくやのメロドラマの要素を取り込みつつ、「愛国心とはなんじゃいね?」といった問いかけがしっかり行われていて、笑いながらもいろいろと考えさせられる作品となっている。
(何が良くって何が悪い、と問いの答えを押し付けていないところも、『ツレウヨ』、ばかりじゃない、高間君の作品のミソだろう)
 京都大学吉田寮での2012年5月の初演時より、作品がアクチュアリティを増したことももちろんだが(なにせ、ソウリがウヨになりまして、だもんね)、作品全体の練れ具合、まとまり具合という意味でも、再演の成果がよく表われていたのではないか。
 よい意味での邪劇臭は伴いながらも、高間響という劇の造り手の本来の志向嗜好を再確認することもできた。
(だからこそだが、オーケストラトレーナー的な存在、出演者以外の演出助手、演出補佐がここに加われば、作品の特性魅力がさらに発揮されるのではと思ったりもする。例えば、KAIKAの間尺、特質にあわせて、演者の声量の細かいコントロールを指示するような)

 演者陣では、ヒロイン役の鈴木ちひろの成長がまずもって強く印象に残る。
 この間の様々な経験が演技に反映されており、初演に比べてヒロイン像がより明確になったと思う。
(だいいち、歌がうまくなっていたのがいい)
 一方、清水航平は、青年の鬱屈した感情、人間としての弱さにも力点を置いた演技で、物語に幅を持たせる努力をしていたように感じた。
 高瀬川すてらは、初演時同様細やかな表現で存在感を示していたし、髭だるマンもうざさうっとうしさのエネルギーを増していた。
 また、伊藤純也の安定感、手堅さの中のおかしみ、由良真介の抑制された感じ、山下みさとの役を自分自身に落とし込もうとする意志も忘れ難い。
 各々の技術面での課題(台詞の癖であるとか、間のとり方とか)をクリアしていって、より密度の濃い見応えのある舞台を創り出していって欲しい。

 なお、この回の劇中ゲストは、ファックジャパン。
 渾身の至芸を披歴していた。

 そして、アフタートークのゲストはあの井筒和幸監督。
 硬軟交えた怒涛のトークで、圧巻だった。

 ああ、面白かった!
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2014年03月02日

月面クロワッサン番外公演『同情セックス』&『強く押すのをやめて下さい』

☆月面クロワッサン番外公演 月面クロワッサンのおもしろ演劇集

 『同情セックス』
 脚本・演出・出演:山西竜矢
 出演:小川晶弘

 『強く押すのをやめて下さい』
 脚本・演出:丸山交通公園
 出演:浅田麻衣、西村花織、森麻子
(2014年3月1日19時開演の回/人間座スタジオ)


 月面クロワッサンの番外公演、月面クロワッサンのおもしろ演劇集のどんじりに控えしは、月クロの笑いのツートップ、山西竜矢と丸山交通公園の脚本演出による男性二人芝居と女性三人芝居という、まさしく笑いのガチンコ勝負。
 その結果や如何?

 まず先手は、山西君の『同情セックス』。
 明日も公演があるので詳しい内容については触れないが、若い男二人のセックスにまつわる情熱と葛藤を軽々と描いた実におかかなしい作品に仕上がっていた。
 笑いのツボを充分に押さえた職人技で、そのところどころに山西君のぬめっとした感じというか、サディスティックさというか、観察眼の鋭さが垣間見えていたのも興味深く面白い。
 要所急所で笑いを仕掛ける山西君に対し、小川君も見事なコンビネーションで応えていたのではないか。
 山西君の一人芝居(飴玉エレナ)とともに、小川君との二人芝居もできれば続けてもらいたいなあ。

 一方後手の『強く押すのをやめて下さい』は、丸山君が脚本演出に徹するという幾分アウェー状態。
 丸山君の脚本は、女性が演じるという点を十分十二分に計算に入れた、いびつでグロテスク、捻りずらしのきいた内容だったが、実際の舞台のほうは、丸山君の作品の持つシリアスさ、深淵が一層強調された圧巻となっていた。
 その分笑いは減ぜられていたものの(笑うに笑えない)、これまでの月クロの一連の作品で不本意な役回りしか与えられてこなかった浅田さん、西村さん、森さんにとって今回の作品が、配役という意味でも演技という意味でも、最良のものとなっていたこともまた事実だろう。
 少なくとも、この『強く押すのをやめて下さい』が、彼女ら三人の演技、演劇活動の変化変容にとって大きな契機となるだろうことは、まず間違いあるまい。
 三人による企画公演を、ぜひとも継続していって欲しいものだ。
(西村さんと森さんの場合は、昨年夏の劇団しようよと先日の『無欲荘』がホップステップとなっていたのだが)

 いずれにしても、今回の公演に関わった面々の今後のさらなる活躍を心から期待したい。
 ああ、面白かった!
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ナントカ世代『たちぎれ線香売りの少女』

☆ナントカ世代『たちぎれ線香売りの少女』

 原作:アンデルセン『マッチ売りの少女』&古典落語『立ち切れ線香』
 脚本:北島淳
(2014年3月1日14時開演の回/アトリエ劇研)


 羹に懲りて膾を吹く。

 真冬の京大西部講堂で上演された『懐古世代』から、もう8年以上になるのか。
 あのときは、陸奥宗光を中心にしてあるは面白くあるはシリアスに物語を紡ごうとする北島淳や演者陣の意欲は理解しつつも、何しろ寒中二時間になんなんとする上演時間が僕にはまずかった。
 詳しくはかつての観劇記録をご参照いただきたいが、正直寒さにつむじを曲げてしまったのである。

 それから幾星霜、小説や落語といった原作を大きく仕立て直して上質な作品を創り出しているとは聴いてはいたものの、どうにもあのときの記憶が鮮明で、ついついナントカ世代の公演をパスしていたのだが、日中関係日韓関係じゃあるまいし、いつまでも過去にとらわれていちゃいけないもんね。
 で、『たちぎれ線香売りの少女』に足を運ぶことにした。
(誰だ、永榮紘実が出てるからなんて言ってるのは?でも、永榮さんの舞台を観ることができるのは、やっぱり嬉しいな)

 一言で評するならば、良質の弦楽4重奏を聴いているような作品、とでも言えるだろうか。
 例えば、ハーゲン・カルテットやアルテミス・カルテットが演奏したショスタコーヴィチやバルトーク、リゲティの弦楽4重奏曲を聴いているような。
 少なくとも、そうしたインティメートで音楽的なやり取り、舞台空間が志向されていたと思う。
 明日まで公演が続いているので詳細については触れないが、『たちぎれ線香売りの少女』は、上述の如く『マッチ売りの少女』(ただし、童話よりも、それを下敷きにしたある戯曲のほうを僕は強く思い起こしたが。作品の展開もあって)と『立ち切れ線香』をエッセンスにしつつ、笑いの要素とシリアスな要素がバランスよく加味された趣味の良い作品に仕上がっていた。

 延命聡子(姿態、立ち居振る舞いの美しさが印象に残る。延命さんの演技の特性、長短、癖に関しては、いろいろと感じることもあるのだけれど、このまま50までそれに徹すれば、それもまたきっとかけがえのない形、フォルムになるだろう。延命さんの演劇活動を今後も注視していきたい)、浦島史生(久しぶりに浦島君の演技を観たが、いやあいいな。丹念端整という言葉を使いたくなる)、金田一央紀(ライヴ特有の抜け粗は若干ありつつも、トリックスターぶりをいかんなく発揮していた。彼の演出したブレヒトが愉しみだ)、永榮さんと、演者陣も北島君の作品世界に沿った演技をよく心掛けていたのではないか。
 ほかに、河西美季も少しだけ出演。

 いずれにしても、継続することの意味を改めて強く感じた公演だった。
 次回の公演を心待ちにしたい。

 そうそう、アンケートにも記したけれど、今度は『トゥーランドット』を下敷きにした作品なんか観てみたいなあ。
 氷のような姫君の心も。
 『ローマの休日』や『ラストエンペラー』、『阿Q正伝』を掛け合わせた、『北京のQ日』なんてべた過ぎるか…。
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2014年02月24日

イッパイアンテナ 16th session『オール』

☆イッパイアンテナ 16th session『オール』

 脚本・演出:大崎けんじ(崎は、本当は大ではなく立)
 演出補佐:徳山まり奈
 演出助手:勝二繁
(2014年2月24日15時開演/大阪市立芸術創造館大練習室)

*劇団からのご招待


 いっぱいあってな。
 なんて、いくら落語が重要なモティーフになった作品だったからって、そんなべたな地口、と思われるむきもあるだろうけれど、イッパイアンテナにとって16回目の本公演となる『オール』は、いろいろもろもろがいっぱい詰まった、観て本当によかったと思える公演だった。

 いっぱいあってのまず一つは、そのストーリー展開だ。
 とある地方都市を舞台に、3つの登場人物陣が次第に交差していって…、のエピソードもいっぱい、くすぐりもいっぱい、伏線もいっぱい。
 で、バーバルギャグにスラプスティックなのりと、これまでのイッパイアンテナの持ち味を随所にきかせつつ、全てが最後にしっかり結びついて、じんわりとした心持ちになることができた。
 105分から110分という長尺ゆえ、要所急所もまま見受けられたが、演劇的な仕掛けを多用して巧くかわしていたと思う。

 あと、今回久しぶりに(1年半ぶりかな)に大崎君の脚本演出の作品舞台を観て感じたことは、テンポがいくぶん遅くなって、その分、人と人との関係がじっくり描かれているということだった。
 物理的な事情のほか、もしかしたらそこには、大崎君が定期的に接している人たち(ヒントは、劇中に使われていたある音楽だが、ぶらりひょうたん的な生き方をしている僕は、往々にしてこの音楽を聴くことができていない)の影響もあるのかもしれないけれど、それより何より、それは大崎君がこの間経験したあれやこれやの反映の表われなのではないか。
 公演プログラムの「ご来場の皆さまへ」に記された、創作者表現者としての想いに加え、『オール』は、もっと生な大崎君の想いや願い、感情がこれまで以上に明示されていたように僕には思われてならない。

 日々の積み重ね、短くはない時間の経過が如実に舞台上に反映しているのは、大崎君のみならず演者陣とて同じことだろう。
 今回は、山本大樹、村松敬介、クールキャッツ高杉、渡辺綾子、小嶋海平、西村将兵(ほかに、金田一央紀が声の特別出演)という劇団員のみのキャストだったが、客演等を含む演劇活動ばかりか、各々の様々な経験体験が、劇中の人物に一層の存在感を与えていたように思う。
 個々の技術的な課題は置くとしても、そうした彼彼女らの変化変容を強く実感できたことは、とても嬉しいことだった。
(西村君の演技を観るのは今回が初めて。決めの台詞で、若干エロキューションが鋭角になり気味だったものの、その独特な雰囲気には得難いものがある。哀感と一筋縄でいかなさを兼ね備えた、日守新一のような演技者を目指して欲しい)

 長く演劇を続けること、長く劇団を続けること、てか、生き続けることには、それこそ苦労がいっぱいあるだろう。
 でも、そうした苦労がまた実り多い演技、実り多い舞台、実り多い公演、実り多い作品につながるのではないかとも僕は思う。
 イッパイアンテナの、さらなるいっぱいあってなを、僕は本当に心待ちにしたい。

 そして、ああ、面白かった!
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2014年02月23日

努力クラブ7『深い緑がねじれる』

☆努力クラブ7『深い緑がねじれる』

 脚本・演出:合田団地
(2014年2月23日14時開演の回/アトリエ劇研)


 努力クラブ7『深い緑がねじれる』は、彼彼女らにとって大きなターニングポイントになる作品だった。

 明日まで公演が続いていることもあり、あえて詳しい内容には触れないが、この『深い緑ねじれる』が、いわゆるアクチュアリティに富んだ作品であることは確かだ。
 しかしながらここで大事なことは、そうした現代の諸状況を思い起こさせ考えさせる諸々が、後づけのもの、借り物の主義主張に発したものではなく、合田君自身の内面から表出し表現されたものであるということだろう。
 加えて、これまでの努力クラブでの経験(そこには高間響国際芸術祭での作品も含まれる)の応用変容や散文性文学性の強調、グロテスクな笑い等、様々な仕掛けもまた合田君の志向や思考、嗜好、指向と直結したものであったし、それより何より、今の合田君が何を伝えたいか、何を欲しているか、何に重きを置くか(それを登場人物の誰により強く仮託するか)が明瞭に示されていた点で、とても観応えのある舞台となっていた。
 ときに作品の構造として、いくぶんバランスを失するように感じられた部分もなくはなかったが、それも直球勝負ゆえのことと思う。
 もちろん、お客さんとの間、そして演者陣との間にかけ引きはあるだろうけれど、まずもって自らのあれこれをストレートにぶつけてみせた合田君の攻めの姿勢を高く評価したい。

 無農薬亭農薬や佐々木峻一の努力存在感も忘れてはなるまいが、演者陣ではどうしても川北唯の役とのつき具合が強く印象に残る。
 川北さんがより深い部分で自分自身の今を咀嚼再現することができれば、言い換えれば、もっと自覚的に自分自身をダシに使えるようになれば、合田君との共同作業は一層実り多いものになるのではないだろうか。
 ほかに、努力クラブの九鬼そねみ、レギュラー陣のキタノ万里、長坂ひかる、ベテラン勢の藤田かもめや七井悠(あああーああの笑みでーあの声でー)、大石英史、森田深志も、個々の技術の長短や作品とのつき具合はありながらも、合田君の作品世界に沿う努力を重ねていた。

 いずれにしても、合田君の身を切る作業は成功した。
 あとは、術後のケアをどうするかだと思う。
 当然、それは合田君自身にもしっかり求められるものだろうけど、一方で、合田君がさらけ出したもの、さらけ出したかったものと努力クラブの他の面々の向き合い方、腹のくくり方も大きく問われてくるはずだ。
 そうした点も含めて、次回の本公演も心から愉しみにしたい。
 ああ、面白かった!
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2014年02月17日

月面クロワッサン番外公演 横山清正のひとり芝居、と落語「すてき」

☆月面クロワッサン番外公演 〜月面クロワッサンのおもしろ演劇集〜
 横山清正のひとり芝居、と落語「すてき」

 *Aブロック 16時開演
 脚本・演出:合田団地、高間響、鯖ゼリー

 *Bブロック 20時開演
 脚本・演出:玉木青、向坂達矢&落語『粗忽長屋』
(2014年2月16日/壱坪シアタースワン)


 月面クロワッサンの番外公演 〜月面クロワッサンのおもしろ演劇集〜の第二段となる、横山清正のひとり芝居、と落語「すてき」のAB両ブロックを観たが、いやあ面白かったなあ。
 そして、横山君の演技者としての魅力、まじめさや独特のフラ(まじめな人間が熱心に何かやるのに、それがずれておかしみが出る)、幅の広さを改めて確認することができた。

 再演だってあるかもしれないのであえて詳しい内容については触れないけど、散文性に富んでる上に内面の意識が吐露されているという意味で私小説的ですらある合田団地(だからこそ気になるというか、合田君に確かめたいことがあるんだけど、ここではもちろん記さない)、笑いのツボをしっかり押さえながらも政治的社会的な志向嗜好思考が強く加味された高間響、自己言及的な構造を活かして脱臼に脱臼を重ねる鯖ゼリー(僕の好みによく合っていて大いに笑ったが、全体のピークを考えれば、エピソードを一つか二つ抜いてもよかったかもしれない)、作品の結構としても、批評性とサービス精神の兼ね合いとしても二重仕掛けが巧みな玉木青、知性と稚性、痴性が混じり合う自己韜晦と衒学趣味、そしてリリカルさに満ちた向坂達矢という、一癖も二癖もある脚本(演出)に対してがっぷりよつに組み、横山清正は、あるは大きな笑いを、あるはおかかなしさを、あるはしみじみとした心持ちを、あるはつかみどころのない不安さを見事に生み出して、十分十二分どころか、十五分二十分に満足がいった。
 当然、各々の作家演出家の特性に沿う努力を重ねていた点も高く評価すべきだろう。

 初挑戦に加え、最後の最後ということもあってか落語の『粗忽長屋』では、苦心惨憺奮戦苦闘ぶりが若干前に出てしまっていたけれど、千葉繁(『うる星やつら』のメガネだっちゃ)ばりの張りのある声とメリハリのきいた口跡は落語むきであるとも思った。

 細かく言い出せば、ライヴ特有の傷とともに、横山君の癖もところどころに見受けられて、今後プロを目指していく場合の小さからぬ課題の一つとなるようにも感じられたが、それも月面クロワッサン等の公演のみならず、今回のようなワンマンライヴ企画を重ねていくことでクリアされていくものと信じる。

 いずれにしても、横山清正のさらなる飛躍活躍を心から期待したい。
 ああ、面白かった!
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2014年02月11日

THE ROB CARLTON 7F『ザ・シガールーム』

☆THE ROB CARLTON 7F『ザ・シガールーム』

 作・演出:村角太洋
(2014年2月11日18時開演の回/元・立誠小学校 音楽室)


 THE ROB CARLTONにとって7回目の公演である、7F『ザ・シガールーム』は、タイトル通り、大富豪の紳士連が集うシガールーム。
 あの手この手とよく出来たウェルメイドプレイで、まさしくシガールームで葉巻とブランデーと音楽を味わうかのような愉しく面白い時間を過ごすことができた。
(ちなみに、葉巻は嗜まないが、ブランデーと音楽は大好きだ)

 一応19世紀半ば以降のアメリカという設定かな。
 むろんそこはお芝居ゆえ、よい意味でのずらしが加えられていたんだけど、家督を継いだ百貨店王の若者をホテル王、鉱山王、鉄道王の先達三人がシガールームに迎えて…。
 といった具合に話は進んでいくのだが、バーバルギャグにサイトギャグと笑いの仕掛けがたっぷり盛り込まれていて、飽きさせない。
 特に、終盤のどたばたぶりには大笑いした。
 また、村角太洋の細かいこだわり(例えば、登場人物の名前なんかもそこには含まれる)や、ラグビーのくだりなどTHE ROB CARLTONならではというネタ小物が嬉しいし、葛藤の末、男どうしの友情、善意が謳歌されている点も実に小気味よい。

 ライヴ特有の傷は若干気になりつつも、村角ダイチ、満腹満、ボブ・マーサムの面々に加え、客演の山野博生、渋谷勇気も、各々の特性を活かして心地よいアンサンブルを生み出していた。
(ほかに、木下ノコシが声のみの出演)

 よく造り込まれた舞台(栗山万葉の美術)や、モーツァルトを中心とした選曲(村角ダイチの音楽)、さらには葉巻形のチケットなど表方の気配りも見事で、作品世界によく沿っていたと思う。

 いずれにしても、次回の公演が本当に待ち遠しい。
 ああ、面白かった!
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2014年02月09日

Quiet.Quiet. vol.1.0『現代版・卒塔婆小町』

☆Quiet.Quiet. vol.1.0 三島由紀夫 近代能楽集より『現代版・卒塔婆小町』

 原作:三島由紀夫
 上演台本・演出・舞台美術:辻崎智哉
(2014年2月9日15時開演の回/アトリエ劇研)


 京都出身で、長く東京で研鑚を積み、先頃再び京都へ戻って来た辻崎智哉が主宰する演劇ユニット、Quiet.Quiet.の第一回目の公演、三島由紀夫 近代能楽集より『現代版・卒塔婆小町』を観た。
 原作・三島由紀夫、上演台本・辻崎智哉とあるように、三島由紀夫のテキストをベースにしつつも、登場人物やエピソード等、辻崎君によって大幅に書き加えられ改められた、まさしく「辻崎版・卒塔婆小町」と呼ぶべき意欲的な作品に仕上がっていた。

 で、演者陣の均整のとれた演技もあったりして、小劇場人は新劇的なものと如何に向き合っていくべきなのか、なんてことまであれこれ考えつつ、興味深く観続けることができた。
 また、辻崎君の問題意識もよく伝わってきたし、作品の結構、登場人物の造形、さらには舞台美術において、いわゆる「類型」が巧く用いられているとも思った。

 ただ、特に中盤以降、音楽なども含めて感情表現が明確になってくるあたりから、三島由紀夫の性質と辻崎君のそれとの違い、齟齬もはっきりと表われてきたように感じられたことも事実だ。
 より詳しく言えばそれは、内面に病気を抱えていて、しかもそれが傍から見れば「あんた見え見えやん」と突っ込み入れられまくりな状態であるにもかかわらず、「俺は何にも抱えちゃいないよ、あっはっは」と嘘っぽく大笑いし、結果郎党引き連れて割腹自殺する三島と、「そりゃ悩みありまくりですわ、けどずっと悩み続けていてもしゃあないですよやっぱり、ほんと」という具合に演劇活動を続ける辻崎君の違いということになるだろうか。
 自分自身もそうだし、それより何よりお客さんに対して、「なんかようわからんでいーってなる」救いのない世界を与えることは避けたいという辻崎君の想いには充分納得いったのだけれど、あえて微糖の缶コーヒーや低糖のヨーグルトを選んだはずなのに、そこに黒砂糖や蜂蜜を加えてしまうといったしっくりしない感じが残ってしまったこともやはり否めない。
 今回の公演で示された辻崎君の美質長所が、次回以降の公演でさらに発揮されることを心から期待する。

 演者陣では、老婆役の片桐慎和子に何日もの長があったが、狂言回し的な役柄の御厨亮やピンク地底人6号をはじめ、大石英史(気になる存在だ)、河西美季(細かい感情表現が印象に残る)、大休寺一磨(美声)、野村明里(表情がいい)、川北唯(ちょっとだけ久我美子っぽい)、大原渉平(しようよとは一味違う演技)も、個々の長短はありつつも、それぞれの特性魅力を活かした演技で、辻崎君の作品世界に沿う努力を重ねていた。

 いずれにしても、辻崎君や演者陣のさらなる活躍を祈るとともに、Quiet.Quiet.の今後の活動に注目していきたい。
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2014年02月02日

月面クロワッサン番外公演『無欲荘』

☆月面クロワッサン番外公演 月面クロワッサンのおもしろ演劇集『無欲荘』

 脚本・演出:稲葉俊
(2014年2月2日18時開演の回/人間座スタジオ)


>だいたい、誠実ってのはさあ、人様にそう言われるからこその誠実なんであってさあ、自分で誠実なんて名乗るのはどだいおこがましいよ<
(拙作『高森みずきの穏やかな一日』から、「幽閉」されている高森みずきへ親友の莢子が語る台詞より)
 と、これはあくまでも映画のシナリオ中の台詞だから、手厳しい物言いになってしまっているが、自分自身をプラスの言葉で評価するってことには、やっぱり勇気がいる。
 相当自信があるか、もしくは破れかぶれでないと。

 月面クロワッサンの面々が自らの番外公演を「おもしろ演劇集」と名付けたと知ったときは、正直ちょっと鼻白んだ。
 自分で自分の企画を「おもしろ」なんて名乗るなんて…。
(なお、今夜確認したが、これは作道雄君の発案ではないとのことである)

 で、そのことはそのこととして、ちょっといろいろと思うところもあって、最後の最後まで観に行こうか行くまいか迷いに迷ったのだけれど、結果これは観ておいて本当に正解だったと思う。

 『無欲荘』は、シュールレアリズム的というか、現実に根ざしながらもそれが脱臼に脱臼を重ねていくという展開で、メタ的志向や乾いた叙情性という点も含めて稲葉俊と合田団地君や田中次郎君との近しさ、合い具合を改めて感じさせる内容となっていた。
 稲葉君の内面のあれこれ(そこには、よい意味での不気味さ、一筋縄ではいかない感じも含まれる)や演劇活動、創作表現との向き合い方、社会意識がよく表われている上に、月面クロワッサンという集団組織の諸々もしっかり投影されているようで、とてもシュートでスリリングな面白い脚本に仕上がっていたと思う。
 また、そのこととも関連して、太田了輔や森麻子、西村花織等、そのキャスティング、人物造形にも目を見張った。
(中でも西村さんに、彼女の「がばい」ぶりを表出させるかのような役回りを与えた点は、稲葉君のクリーンヒットだ)

 上述した面々に、小川晶弘、山西竜矢(サトカヨに雰囲気がちょっと似ている)、浅田麻衣、丸山交通公園、横山清正の演者陣も、技術的な長短はありつつも、その特性魅力とともに、各々の器用さをよく発揮していたのではないか。

 しかし、だからこそ、何かが余分で何かが足りないというのか、それぞれの問題点課題が如実に示されてしまっていたことも残念ながら事実である。
(より具体的に指摘したいことはあるのだが、それは技術面のみならず個々の演劇的立ち位置やプライベートな側面にまで踏み込むことになってしまうので、ここではあえて省略する)

 ただ、そうした課題や問題点、より率直にいえば集団組織としての弱さが明確になってしまったことは、今後の月面クロワッサンにとって、非常にプラスになったとも思うし、その意味でも今回の公演に接しておいてよかったと僕は思う。

 そうそう、護憲運動や平和運動に積極的に関わり、昨年惜しくも亡くなった稀有な財界人品川正治の『戦後歴程』<岩波書店>を偶然読み終えたばかりだけれど、彼が希求し続けた自らの手で創り出す民主主義は、政治や社会のみならず、芸術活動にも大いに通じるものではないか。
 もちろん、集団組織をまとめる確固としたイニシアティヴは必要だろうし、傍で口にするほど相互理解や共通認識を築くということは簡単なことではないだろう。
 けれど、だからと言って手間暇を惜しんで一党独裁一社独裁一者独裁を選ぶことが、結果として多数に幸福をもたらすとは、とうてい考えられないことも事実だ。

 今回の公演、並びに一連の企画が月面クロワッサンの面々にとって、「自分自身と自分が所属する集団組織が何を目標としそれをどう実現していくか、そのためには自分自身と自分が所属する集団組織に何が必要か」を改めて考え、なおかつ実践していく重要な契機となることを心から望みたい。
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2014年02月01日

夕暮れ社いなもり支店「うたとコントの夕べ」

☆夕暮れ社いなもり支店 おきにいり短編集 vol.1「うたとコントの夕べ」

 作・演出・出演:稲森明日香
 脚本提供・出演:いせむら
(2014年2月1日19時半開演/元・立誠小学校 音楽室)


 夕暮れ社弱男ユニットといえば、まずは村上慎太郎の演劇に対する愚直で戦略的な格闘を思い起こすのだけれど、それも稲森明日香や向井咲絵といった演者陣の個性豊かで真摯な演技が加わってこそということは、やはり忘れてはならないだろう。
 そんな稲森さんが、「弱男ユニットで育んできたものの中から、あたらしい芽を発見すること」をモットーとした、その名も夕暮れ社いなもり支店を開店するというので、迷わず足を運んだ。

 おきにいり短編集 vol.1「うたとコントの夕べ」というのがその公演だが、いやあこれは面白かった。
 一見下手うま調のざつっぽくてわかりやすい造りなんだけど、その実弱男ユニットで育まれてきた、ツイスト・ツイスト・ツイスト(捻り・捻り・捻り)の精神が十二分に発揮されていて、大いに笑いつつも、要所要所ではっとさせられた。
 いせむらの機智に富んだ脚本や、藤居知佳子の美しくて声量豊かな歌唱、さらには稲森さん自身の演劇・表現活動に対する切実な想いが(自覚的確信的に)巧みに組み込まれており、一粒で何度でも愉しめる公演となっている。
 上述した稲森さん、向井さん、いせむら君、藤居さんのほか、小林欣也、南志穂、南基文の演者陣も、各々の特性魅力がよく表われていたと思う。
 そうそう、「銃声コメディ」での稲森さんの表情がひときわ美しかったんだった。
 あの表情を観ることができただけでも足を運んだかいがあった。

 僅か2回の公演というのが本当にもったいない。
 ああ、面白かった!
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2013年12月23日

ショウゲキ的な現代版八幡の藪知らず 夕暮れ社弱男ユニット『突然ダークネス』

☆夕暮れ社 弱男ユニット 演劇公演『突然ダークネス』

 作・演出:村上慎太郎
(2013年12月22日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 かつて手厳しい感想を書き散らかした『教育』(2010年3月26日/大阪市立芸術創造館、観劇)からはや4年近く。
 あの松田裕一郎が、再び夕暮れ社 弱男ユニットの演劇公演『突然ダークネス』に客演するというので、迷わず足を運んだ。

 一言で評するならば、ショウゲキ的な現代版「八幡の藪知らず」、とでもなるだろうか。
 明日まで公演が残っているのでネタは割らないが、元・立誠小学校音楽室を漆黒に染めて(美術:小西由悟、美術補佐:宮田大雅)、サイコスリラー風ホラー風の物語が繰り広げられる。
 はじめのうちは笑劇の骨法にのっとって、いささかだるいルーチンが繰り返されるものの(それでも、細かいくすぐりは要所要所に挟まれていく)、後半は怒涛の展開。
 そして、衝撃の…。

 もちろん、そこは夕暮れ社 弱男ユニットだ。
 一見、「ああ、またやってるわ」ぐらいに思われるかもしれないが、その実、演者の身体に負荷をかけたどえらいことをやっている。
 やらせもやらせたり村上慎太郎、やりもやったり稲森明日香や向井咲絵ら演者陣である。
 しかも、それが単なる実験のための実験、意匠のための意匠に留まらず、物語の根幹、作品の肝と深く結び付いている点も忘れてはならないだろう。
 『夕凪アナーキズム』(2013年1月26日/元・立誠小学校音楽室、観劇)の感想の繰り返しにもなるけれど、エンターテインメントの手法を取り込みながら、演劇的実験を変化進化させている彼彼女らに大きな拍手を贈りたい。

 で、上述した現代版「八幡の藪知らず」の正体は、もしかしたら御厨亮演じるカギを落とした男の台詞に「思考のカギ」があったりして、なんて深読み込みは禁物かな。
 ただ、ベテラン勢は置くとしても、今、これから演劇お芝居を真摯に続けていこうという若い演劇人にとって、一方で笑の内閣(高間響上皇ら)、他方で夕暮れ社 弱男ユニットの姿勢は、一つの指針となるように僕が感じていることだけは、やはり付け加えておきたい。

 演者陣は、上述した三人のほか、いせむら(顔つきに役柄もあって、すぐにピーター・ローレを思い出す。M!)、藤居知佳子(彼女の特技がよく活かされていた)も好演。
 松田さんも、ライヴ特有の傷はありつつも、独特な演技の質感とキャラクターをいかんなく発揮していた。

 いずれにしても、夕暮れ社 弱男ユニットの次回の公演が本当に待ち遠しい。
 ああ、面白かった!


 そうそう、公演後に、なんと藤居さんのミニライヴが設けられていた。
 お母様の伴奏で、トスティの『アンコーラ』とクリスマス・ソング・メドレーの2曲。
 終わったあと、藤居さんと少し話をして、本格的に声楽を学び始めて彼女がまだ一年程度にしかならないということにはびっくりした。
 まずもって声量がとても豊かだし、声質も澄んでいる。
 もっと音が安定して、詞と感情がより緊密につくようになれば、いい歌い手になるのではないか。
 メゾ・ソプラノなので、イタリアものが好きということだから、ドニゼッティやベッリーニらベルカント、ヴェルディ・プッチーニ、そしてヴェリズモということになるのだろうが、藤居さんの陽性な人柄からいえば、チェチーリア・バルトリのように、モーツァルトのダ・ポンテ三部作(『フィガロの結婚』の、ケルビーノではなくスザンナ、『ドン・ジョヴァンニ』のツェルリーナ、『コジ・ファン・トゥッテ』のデスピーナ)に挑戦して欲しい。
 こちらの活躍も非常に愉しみだ。
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2013年12月21日

まるでテキストでもみているような上演 ふつうユニット『旅行者感覚の欠落』

☆ふつうユニット プロトコルに関する考察『旅行者感覚の欠落』

 作:合田団地(努力クラブ/2012年)
演出・廣瀬信輔
(2013年12月20日19時開演/アトリエ劇研)

 *劇団からのご招待


>私はかつて(指揮者のシャルル・)ミュンシュがボストン交響楽団をひきいて東京に来た時、『エロイカ』交響曲(ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」)をきいて、各パートが実に鮮明にきこえてきて、まるでスコアでもみているような印象を与えられ、びっくりもし、やや不満にも思ったものである<
(吉田秀和『世界の指揮者』<ちくま文庫>、ジュリーニの章より)


 アクターズラボの公演クラスを皮切りに、着実な演劇活動を続けてきた廣瀬信輔が自らの主宰するユニット、ふつうユニットで、合田団地君の『旅行者感覚の欠落』(努力クラブ。2012年12月8日、元・立誠小学校音楽室で観劇)をとり上げたのだけれど、吉田秀和のひそみに倣うとすれば、「まるでテキストでもみているような」上演ということになるだろうか。

 日曜日まで公演が続いていることもあって、あえて詳細は省くが、「人見せ」という事象とそれに関わる三人の登場人物を主軸に物語は進んでいくのだが、廣瀬君理知的なテキストの把握と丹念な舞台造形で、作品の構造文脈が手に取るようにわかりやすく再現されていた。
 と、言うより、もっとあけすけに言えば、(廣瀬君にはそんな気は毛頭ないだろうけれど)合田君の履いているパンツを容赦なくずり下ろすというか、合田君自らが演出することで巧みにはぐらかされていた、自己韜晦、テキストの要所急所長所弱点、さらに言うならば合田君の散文家性があからさまに示されていたように、僕には思われた。
 また、アクターズラボの公演クラスでの田中遊さんや柳沼昭徳さんの下での経験が、演者陣の動かし方や場面の処理に活かされていたことも確かだし、演者陣との創作過程が親密で充実したものであっただろうことも想像に難くない。

 ただ、そうしたテキストの把握等々が、かえって合田君の作品演出の持つ悪意、暴力性、不穏さ、猥雑さ(表面的なエロティシズムでは、廣瀬君のほうも負けてはいないし、それがまた批評的な行為になっているような気もするが)、リリカルさを矯めて減じさせる結果となり、廣瀬君が意図した以上に、「心に弱さ怪しさは抱えつつも、根はまじめでいい人たちが、一所懸命に変なことをやっています」といった感じになってしまっていたことも事実だ。
(一つには、初日ゆえの演者陣の緊張からくる傷や粗さもあるわけで、回を重ねるごとに笑いの仕掛けがよりしっかりはまっていくとも思う)

 もちろん、アフタートーク等での話からも、そうした諸々を廣瀬君が折込み済みであることは承知しているし、かつてのふつうユニットでの自作『スペーストラベラーズ』(2011年5月7日、壱坪シアターで観劇)同様、自分が面白いと思うこと、自分がやりたいと思うことをやるという廣瀬君の姿勢には共感を覚えるのだが、やはり一方で、自分の演出上の意図をお客さんにより明確な形で伝えるということ、自分とお客さんとの志向嗜好の違いや演者とお客さんとの距離をどうとっていくかということは、廣瀬君の今後の大きな課題になってくるものと僕は考える。
 そして、今回の『旅行者感覚の欠落』の成果反省点を踏まえた上で、より廣瀬君の特性に合ったテキストでの演出上演に臨んでいってもらえればと心から願う。

 演者陣では、主軸となる田中次郎、田中浩之、永榮紘実が、自らの特性を示しつつ、モノローグなどで廣瀬君自身の演技が見える(声が聴こえる)かのような感情表現を披歴していた。
(その分、テキストと自らとの齟齬や演出と自らとの齟齬も表われていたりもしたが)
 ほかに、稲葉俊、太田了輔、九鬼そねみ、佐々木峻一、澤雅典、三木万侑加、宗岡茉侑、山野博生の面々も、個々の技術面精神面での長短課題は見えつつも、廣瀬君の意図に沿う努力を重ねていた。
 廣瀬君と同じく、今回の経験を活かして、次の公演に挑んでいって欲しい。

 いずれにしても、廣瀬君や演者陣の皆さんの今後のさらなる活躍と研鑚に強く期待したい。
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2013年12月14日

この季節にぴったり IN SITU Vol.1『THE LONG CHRISTMAS DINNER』

☆IN SITU Vol.1『THE LONG CHRISTMAS DINNER』

 作:ソーントン・ワイルダー
演出:大石達起
(2013年12月14日19時開演の回/東山青少年活動センター創造活動室)


 劇団ケッペキ出身で、卒団後もニットキャップシアターの演出助手を務めるなど、精力的に演劇活動を続けている大石達起が、主に近代の海外戯曲の上演を目的として立ち上げたユニット、IN SITU(イン・サイチュ。ラテン語で「あるべき場所」)の第一回目の公演、『THE LONG CHRISTMAS DINNER』を観た。

 『THE LONG CHRISTMAS DINNER』といえば、ソーントン・ワイルダーの原作よりも、パウル・ヒンデミットが音楽劇化したもののほうをついつい先に思い起こしてしまうのだが、アメリカの田舎町のとある家のクリスマス・ディナーを舞台に、人の生と死や、厳然とした時の流れ、社会の変化が効果的に描かれた作品であり、同じワイルダーの『わが町』のひな型とでも呼ぶべき内容となっている。
 大石君は、作品の肝となるべき部分をしっかり押さえつつ、ニットキャップシアターでの経験を活かしてだろう、よい意味での邪劇臭というか、場面構成や演技面でデフォルメを加え、シリアスな部分とコミカルな部分とメリハリがよくきいた舞台づくりを行っていたと思う。
 特に終盤の展開には、心をぐっと動かされた。
 音楽の選択も含めて、この季節にぴったりの公演となっていたのではないか。
(非常に意欲的な企画だからこそ、一つだけ小難しいことを記すと、演出や演技の精度という意味でも、近代戯曲の持つ「歴史性」、「社会性」、「政治性」をどう処理していくかという意味でも、いわゆる「新劇」とどう向き合い、「新劇的」なものとどう距離をとっていくかが、IN SITUや大石君の今後の課題となるように、僕には感じられる)

 ライヴ特有の傷、粗や、個々の課題はありつつも、ニットキャップシアターの織田圭祐をはじめ、仲谷萌(C.T.T.での『煙の塔』もそうだったけど、彼女は気になる演者さんだ)、町田名海子、下川原浩祐、内山航、田渕詩乃、西分綾香の演者陣は、大石君の意図によく沿う努力を重ねていた。

 いずれにしても、IN SITUや大石君、演者陣の皆さんのさらなる活躍に心から期待したい。

 そうそう、織田君が軽妙で愉しいアフタートーク&パフォーマンスを披歴していたことを最後に付け加えておきたい。
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2013年12月08日

マジックリアリズム的なべっかんこ鬼 劇団ニガムシ『べっかんこ鬼』

☆劇団ニガムシ『べっかんこ鬼』

 作:さねとうあきら
 脚色・演出:生方友理恵
(2013年12月8日14時開演の回/京都大学西部講堂)


>音楽評論家の某は、(原嘉寿子作曲のオペラ)『脳死を越えて』を観て、<えそらごとではない>その内容にドキッとさせられたとのたまわったよ。
「日本のオペラ通」を自任するカレは、『白墨の輪』を観ても、ドキッとしなかったわけか!
<鬼(山の人)>と夫婦になり子をなした<里の娘>ゆきは、ヒトと鬼との混血児であるわが子を抱いて、どちらの世界からも排除される、と、ここまで「親切に」つくられている『べっかんこ鬼』を観ても、ひとりの音楽家(!)の、民衆に教えられながらの成長の物語である『セロ弾きのゴーシュ』を観ても、ぜんぜんドキッともしなかったのか!<
(林光さん著『林光 歌の学校』<晶文社>より)

 すでに最終公演も終わっているはずだから、作品の肝とでもいうべき部分が書かれた文章を引用してみた。
 さねとうあきらの創作民話で、生前ちょっとだけ交わりのあった林光さんがこんにゃく座のために作曲したオペラの原作でもある『べっかんこ鬼』が上演されるというので、寒さに負けず京都大学西部講堂まで足を運んだ。
 一つには、ピンク地底人2号や豊島勇士といった魅力的な演者陣に加え、昨年8月のユニット美人の三国志Vol.1『ピーチの園でつかまえて』で印象的な演技を行っていた生方友理恵がこの作品とどう対峙するのかが気になったことも大きいのだが。

 珍妙な顔をした山鬼「べっかんこ鬼」にさらわれた盲目の娘ゆきは、いつしか山鬼と愛情で結ばれることとなる。
 そして、山鬼はゆきを愛するがゆえに、ある行動に出るのだが…。
 というのが、『べっかんこ鬼』の簡単なあらましで、ユニット美人の演技にも通じる誠実な演出と評することができるだろう。
 今回の公演では、台詞そのものはひとまず置くとして、舞台設定が日本から中南米・ラテン風へと改められるなど、ある種「マジックリアリズム」的な要素も加味されていた。
 で、お客さんへのサービスを意図したものと承知しつつも、それが巧く活ききっていないなど、舞台上の処理の面(劇場感覚という意味)に、どうしても生硬さを感じる部分があったのだけれど、作品の要所はきちんと押さえられていたように思ったし、舞踏や音楽の選択にも好感を抱いた。
(加えるならば、そうした舞台設定等は、単なる雰囲気づくり、表面的な意匠ではなく、生方さんの表現の根幹、基礎となるものの表われであったように僕には思われた。そうそう、余談だけれど、今回の公演で効果的に使われた『不屈の民』の日本語訳詞を林光さんが依頼された件に関して、冒頭に引用した『林光 歌の学校』の中で詳しく触れられているんだった)

 演者陣では、主軸となるゆきのピンク地底人2号と山鬼の豊島勇士の二人をまず挙げざるをえまい。
 ライヴ特有の傷や粗はありつつも、各々の特性魅力(課題)がよく出た演技を披歴していた。
 ほかに、京都学生演劇祭での好演が忘れられない五分厘零児、好漢古野陽大、川本泰斗、葛井よう子も出演していて、彼彼女らの経験や力量から考えれば、正直「役不足」の感は否めないものの、作品と生方さんの演出に対して真摯に向き合っていたように思う。

 いずれにしても、生方さんや演者陣の今後のさらなる活躍を心から期待したい。
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2013年11月30日

迷宮と逃走 勝手にユニット BOYCOTT #01『Re:空続きの〆切』

☆勝手にユニット BOYCOTT #01『Re:空続きの〆切』

 作・演出・振付:坂口弘樹
(2013年11月30日18時開演の回/東山青少年活動センター創造活動室)


 勝手にユニット BOYCOTTにとって第一回目の本公演となる#01『Re:空続きの〆切』は、C.T.T.における集団創作の試演は置くとして、蒲団座の番外公演や学生演劇祭における公演と同様、坂口弘樹作品の主題がよく示された内容となっていた。
 迷宮と逃走、とそれはまとめることができるのではないか。
 登場人物が、「現実」とは異なるどこかに迷い込まされ、暴力的な追跡者たちから逃げ回る。
 それは、坂口君がこれまでに接してきた様々なものやことの反映であるとともに、彼にとって切実なテーマ、日々向き合っている内面のあれこれの表われと考えられるだろう。
 と、こう記すと、なんだか哲学的な難解な作品であるかのように思うむきもあるかもしれないが、さにあらず。
 一方で、坂口君お得意の身体的パフォーマンスや殺陣、脱力系の笑いを盛り込んだ、エンターテインメントを充分に意識した舞台に仕上がっていた。
 正直、冗長さを感じる部分や、逆に説明不足を感じる部分もあったりして、何を引き何を足すか、さらに全体的な精度をいかに高めていくかが今後の課題になってくるかとも思ったが、自分自身の伝えたいことをお客さんに愉しんでもらいながら伝えようとする坂口君の姿勢、志向や思考、嗜好や試行には好感を抱いた。

 作品の主軸となる小川晶弘(客演・月面クロワッサン)や河西美季をはじめ、とのいけボーイ、山中麻里絵(客演・劇団しようよ)、千葉優一ら演者陣は、細かい傷はありつつも、坂口君の作品世界をよりよく表わす努力を重ねていた。
 特にBOYCOTTの面々には、これから公演を重ねていくことで、各々の課題をクリアしつつ、さらに密度の濃いアンサンブルを築き上げていって欲しいと思う。

 そうそう、今夜の日替わりゲストは、和田謙二の髭だるマンとしゃくなげ謙治郎、それに大九寺一磨と白瀬次郎で、はっちゃけやたけて過剰ないつもの如き力技でよい具合に舞台をかき回していたことを付け加えておきたい。

 いずれにしても、勝手にユニット BOYCOTTの今後の公演に期待したい。
 まずは次回の公演が愉しみだ。
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2013年11月25日

真摯な正統派の青春劇 京都大学学園祭NF・劇団ボヘミアン第28回公演『今日限り逢える日時計』

☆京都大学学園祭NF・劇団ボヘミアン第28回公演『今日限り逢える日時計』

 脚本・演出:小西啓介
(2013年11月24日/京都大学吉田南キャンパス4共11教室)


 正統派の青春劇。
 と呼ぶと簡単に過ぎるかな。
 自分自身にとって切実な想いを、自分自身が影響を受けた演劇的な諸々(当然、それは小西君の劇団ヘルベチカスタンダードや猛き流星での活動の反映でもある)を咀嚼援用しながらストレートに表現した内容で、エピソードとエピソードのつなぎをはじめ作品の結構等に粗さを感じつつも、お客さんに愉しんでもらおうという志向と趣向も含めて、その真摯さに好感を抱いた。

 細かい傷はありつつも、甲斐玲央、道下佳寛、高橋彰、木村勇介、下中季晋、中村直人、笹井佐保(彼女は、今回の役を引き受けて本当によかったと思う)、富永裕也、植松広一郎らも、作品によく沿った熱演を繰り広げていた。

 ああ、面白かった!
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笑って喉から血が出た 京都大学学園祭NF・「  」会『耐久企画祭』

☆京都大学学園祭NF・「  」会『耐久企画祭』

(2013年11月24日/京都大学本部キャンパス 文学部第3講義室)


 劇団ぞうもつと劇団ボヘミアンを観る間、1時間弱、『耐久企画祭』と銘打たれた「  」会の大喜利企画に足を運ぶ。
 玉木青の繰り出すお題に、合田団地、丸山交通公園、鯖ゼリー、北川啓太というおなじみの面々が詭弁駄弁を労するという企画だったが、一見ゆるゆるとしつつも、そこは京大の学園祭という場所企画の趣旨もあって、けっこう知に働いたお題、話しをなっていたのではないか。
 こちらは、答えによって莫迦みたく笑ってしまったもので、喉から血が出てしまったほどだ。
(というか、昨年の風邪以来喉か食道の粘膜が弱っているのか、ときどきこうやって血が出る。もしかして、悪い病気か…。メメントモリ!)

 ああ、面白かった!
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愉しくはっちゃけた小品 京都大学学園祭NF・劇団ぞうもつ『橋の下で拾った』

☆京都大学学園祭NF 劇団ぞうもつ『橋の下で拾った』

 作・演出:内山航
(2013年11月24日/京都大学吉田南キャンパス・4共11教室)


 京都大学学園祭NFの演劇企画から、まずは劇団ぞうもつの『橋の下で拾った』を観る。

 一見めためたなんだけど、実はそれがメタっぽい要素にもなっているあたり、やっぱり内山航は侮れない。
 バーバルな面でのセンスのよさに、歌あり踊りありべたなギャグありと、笑いの仕掛けもふんだんで、企画と会場(上述の如く、一般の教室を舞台に設定)に相応しい、愉しくはっちゃけた小品に仕上がっていた。

 多田実希をはじめ、劇団ケッペキの卒業公演『夢みるナマモノ』と共通する演者陣(全ての方のお名前を把握できていないための省略です。ご迷惑でなければご教示ください)も、作品によく沿って各々の特性魅力を発揮するとともに、いいアンサンブルを造り上げていた。
 ああ、面白かった!
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2013年11月23日

抱腹絶倒まさしく宮崎のバン! THE GO AND MO'S 第11回公演『宮崎の番』

☆THE GO AND MO'S 第11回公演『宮崎の番』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 出演:チャンピオン
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
 制作:丸井重樹
(2013年11月23日19時開演/スペース・イサン)


 THE GO AND MO'Sにとって11回目の公演となる『宮崎の番』は、いつもの如き黒川猛に加え、あのチャンピオンをゲストに迎えたスペシャル版。
 おまけに丸井さんまで舞台に上がるというのだから、ベトナムからの笑い声フリークにはたまらない公演となった。

 明日も公演が控えているから、くだくだくどくどと詳しく記しはしないが、映像でおなじみ『格闘』(黒川さん作の奇怪なキャラクターとエア対決)と『身体』(お客さんのお題を身体で表わす)の生のほか、踊るコント『Last Smile』、コント『前戯』(ああーあ、あの声で!)、伝説のコント『タイムマシーン』、『体操のお兄さん〜チャンピオンと一緒ver.』と、チャンピオンの大奮戦大奮闘で抱腹絶倒、まさしく「宮崎のバン(番、晩、蛮…)!」だった。
 もちろん、黒川さんのバーバル・センスの高さがチャンピオンの技を引き出していたことも忘れてはいけないが。

 残すところ明日14時の一回こっきり。
 これはぜひぜひ観ていただきたい。
 ああ、面白かった!
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2013年11月11日

お客様、これが私たちのカタログ K.I.T.『地中』

☆K.I.T.『地中』

 脚本:角ひろみ
 演出:柏木俊彦
 振付:高木貴久恵
(2013年11月11日14時開演/アトリエ劇研)


 第0楽章として東京を中心に活躍する柏木俊彦と今井美佐穂、そして京都を中心に活躍する高杉征司による新しいグループ、K.I.T.の『地中』を観たが、『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロのカタログもかくや、顔見世手見世心見世というか、これまで培ってきたものとこれからやろうとすることをはっきりと示し、なおかつ京都で活動する意味や意義についてもきちんと留意した、第一回目の公演に相応しい充実した内容となっていたと思う。

 角ひろみといえば、かれこれ10年以上も前になるか、彼女のホームグラウンドだった芝居屋坂道ストアの『雨ニ浮カブ』(2002年2月11日、扇町ミュージアムスクエア)を観たことがある。
 あいにく細部までは忘れてしまったが、角さんや芝居屋坂道ストアという集団の日常が基軸にありながらも、そこに惑溺するのではないほどよい距離感と普遍性を持った作品で、インティメートで自然な雰囲気の演者陣ともども好感を抱いた記憶が残っている。

 で、今回の『地中』は、2011年に神戸で上演されたものの再演だそうだが、これまで第0楽章で行ってきたようなテキストに忠実に演出とは異なり、大幅に構成を入れ換えたり、テキストの一部を削ったりした上で、高木貴久恵のダンスを巧みに組み込んだり、あれやこれやと演劇的手法を盛り込んだりするなど、試行性の強い舞台に仕上がっていた。
(『建築家M』の終盤でも、その一端は表わされていたが)

 と、こう記すと、表面的表象的な作劇のように思われるむきもあるかもしれないけれど、さにあらず。
 あれやこれやを通して、角さんのテキストが持つ様々な側面、例えば角さん自身の日常、生活、人生と密接に関連しているだろう事どもから始まって、それが個の存在や個と個の関係、個と家族、個と社会の紐帯(つながりってこと)、我々が直面している社会的諸状況、世界、生と死の問題等々へと拡散され、『地中』という作品に結実していく様が浮き彫りにされていたし、そうしたテキストの奈辺を柏木さんが肝、要所と考えているかということも明確に伝わって来たと思う。

 今井さん、高杉さんをはじめ、河合良平、大沢めぐみ、辻井直幸、松尾恵美の演者陣も、身体表現や発声発語、表情の変化にいたるまで、精度の高いアンサンブルを披歴していて、大いに納得がいった。

 最後に、作品の意図によく沿った中川裕貴の音楽と池辺茜の照明も強く印象に残ったことを付け加えておきたい。

 いずれにしても、K.I.T.は京都の小劇場に対して大きな刺激を与え続けてくれると、僕は思う。
 彼彼女らの今後の活動(公演のみならずワークショップなども)を愉しみにしていきたい。
 ああ、面白かった!
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2013年11月09日

泣かないメロドラマ 楠企画『ラ・ボエーム』

☆京都造形芸術大学舞台芸術学科 2013年度卒業制作公演
 楠企画『ラ・ボエーム』

 企画・演出・上演台本:楠毅一朗
(2013年11月9日13時開演/京都芸術劇場studio21)


 「レジーテアター」って言うんだっけ。
 特にドイツ語圏を中心にして、1990年代以降、オペラの演出は大きく様変わりをした。
 一つには、経済的諸状況のあおりを受けて美術制作費抑制のため抽象的な舞台が必要とされたという物理的な裏事情もあるのだけれど、そこに「現代におけるオペラ上演の意義とはなんぞや?」といったアクチュアリティの問題も加わって、演劇畑出身の演出家による舞台設定を別の時代に置き換えたり、ストーリー展開を大きく読み替えたりする非常に斬新で刺激的な演出がオペラ上演の潮流となっていったのである。
(もちろん、見かけ倒しの演出も少なくなかったが)
 で、中森明菜、じゃないな井上陽水の如く「私は泣いたことがない」とまでは断言しないけれど、小学生の頃、先代の博多淡海の舞台の実況中継をテレビで観て、そのあまりのおかかなしさに思わず涙を流してしまったのも昔の話、いつの間にやらドライハートのドライアイに成長した人間にとって、1993年〜94年のヨーロッパ滞在時に接したそんな「レジーテアター」のはしりは、すんなりすとんと腑に落ちるというか、けっこうしっくりとくるものだった。
 それでも、20年近く海外に旅することもなくこの国の中で暮らしていると、よくも悪くもウェットな環境になじんでくるのだろうか、昨夜youtubeにアップされたプッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』の終景を観聴きしていると、突然涙がこぼれてきてびっくりした。
 何しろ、その録画は演奏会形式(全く舞台美術はなく、歌手も衣裳を着けない)だった上に、結核で死ぬミミ役のソプラノ歌手は昔のプリマドンナ風の立派な体格というのだから、普通なら「えへへこれで結核、おはは病気が違うでしょ」と笑ってもおかしくないところにもかかわらず、これがまあ不思議なこと。
 ミミの澄んだ歌声をから何から聴いていると、思わず涙がこぼれてくるのである。
 いやあ、プッチーニの「メロドラマ」の造り手としての天才ぶりには、改めて感心感嘆したなあ。
(そんなあり様、アンリ・ミュルジュールの原作との乖離を厭うて、アリ・カウリスマキ監督は『ラヴィ・ド・ボエーム』を撮影したんだけどね)

 京都造形芸術大学舞台芸術学科の2013年の卒業制作公演の一つ、楠企画の『ラ・ボエーム』(演劇公演)は、まさしく「レジーテアター」の系譜。
 一言で評するならば、「泣か(け)ないメロドラマ」、とでもなるか。
 むろんこの場合のメロドラマは、一般的なそれではなく、音楽を背景にして台詞を朗唱していくという語源の意味に近いものだけれど。
 プッチーニ作曲のオペラ『ラ・ボエーム』を構成し直し、台詞も七五調に改め、そこに現代演劇の様々な手法を詰め込んで、異端の王道とでも呼ぶべき作品に仕上げられていた。
 それこそイタリア・オペラのメッカ、ミラノ・スカラ座では大ブーイング間違いなしだろう。
(ちなみに、イタリアではこの手の「レジーテアター」は好まれず、オーソドックスな演出が未だに主流だ)
 オペラの要所を押さえてよく今様に造り変えているなと思ったり、原作の中から自分自身の思考志向真情信条とつながるものを巧く抽出しているなと思ったりした反面、正直表現としても表出としても粗さや拙さを感じたことも事実だが、今後の諸々の課題が明確になったということも含めて、卒業制作公演に相応しい作品だったと、僕は思う。
(一つ付け加えるならば、再構成してあるもののオペラの原テキストが基軸にある分、『ラ・ボエーム』そのものを詳しく知らない人には、作品演出の意図や肝が伝わりにくいきらいがあるかもしれない)

 吉田穂、中井優雅、榎本阿礼、鶴坂奈央、千代花奈、坂根隆介(意表をついたキャスティング!)の演者陣は、初日ということもあっての傷だけではなく、より根本的なテキストとの齟齬を感じさせたりもしたが、楠君の演出に沿う努力を重ねていたとも思う。
 その健闘に拍手を贈りたい。

 いずれにしても、楠君をはじめ、全ての参加者出演者の今後のさらなる研鑚と活躍を心より祈願したい。
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2013年11月03日

緩やかに計算された知的な学芸会 「  」会

☆「  」会
(2013年11月3日14時開演/京都東山青少年活動センター創造活動室)


 企画外企画劇場が作道雄のプロデューサー能力の発揮の場とするならば、「  」会は玉木青のクリエーター能力の発揮の場、ってなことは前にも書いたことがあったっけ。
 東山青少年活動センターの創造活動室で開催された「  」会は、玉木君らしい緩やかに計算された知的な学芸会といったのりの、ゆる愉しいバラエティーショーに仕上がっていた。

 正直、冒頭の前説から大喜利までは、いくら計算もあるだろうとはいえちょっとぐだってないかい、おまけに客電がスポットライトみたくおでこに当たって暑いがな、と先行きを少々不安視していたのだけれど、続く丸山交通公園と菅原タイルの立ち話から俄然ヒートアップ。
(そうそう、昨夜の二人のユーストリーム中継にも腹がよじれるほど笑ったんだった)
 京大落研からの刺客道楽亭海人によるぐだくずした南京玉すだれや、いわゆる「VOW」っぽい丸山君、タイル君、鯖ゼリーによる「面白写真シンポジウム」に、鯖ゼリーのフラがよく出たひとり芝居、そしてメンバー全員による「即興新喜劇」と、いやあ笑った笑った。
(「即興新喜劇」では、おなじみ北川啓太をはじめ、京大落研のもう一人の刺客楠木亭北風の味、らしい合田団地、垣間見える垣尾玲央菜の繊細さ、肩の力の抜けたバケツ、そして『ノスタルジア』を彷彿とさせる小川晶弘と作道雄らが活躍)

 が、最高だったのは、柳沢友里亜、永榮紘実、垣尾さん、北川君、横山清正らによる、お芝居のエンディング百態だ。
 イトウモがこれだけのために書いたモノローグを柳沢さんがそれっぽく演じ切ったところで、脳天気なエンディングを模写してみせたり、矢野顕子や山下達郎の楽曲を巧みに使用したエンディングを仕掛けてみたりと、メタ的趣向に満ちたお遊びが繰り広げられていたんだけど、なんとその中に永榮さんが主役を張ったブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の終景が組み込まれていたのである。
 実はしばらく前に、永榮さんの主演、玉木君の演出でこの作品を観てみたいと記したことがあったのだが、まさかまさか本当にそれをやってくれるとは思ってもみなかった。
 で、もちろん「  」会という企画を意識した落としにはなっていたが、演技の場面はきちんとシリアスで、永榮さんの肝っ玉おっ母を観ることができただけでも本望な上に、彼女か福田きみどりさんか笹井佐保さんでと思っていた娘の役(終景では遺体)を柳沢さんが引き受けていたことも嬉しかった。
 かてて加えて、特筆すべきは「じゃがまさ」横山君の演技。
 これがとてもよかった。
 やっぱり彼はシリアスな役回りが柄に合っている。

 と、言うことで大いに満足。
 ああ、面白かった!
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2013年11月02日

川村毅はこうこなくっちゃ 『新宿八犬伝 第三巻 −洪水の前−』

☆京都造形芸術大学舞台芸術学科 3回生川村クラス発表公演
 『新宿八犬伝 第三巻 −洪水の前−』

 作・演出:川村毅
(2013年11月2日17時半開演/京都芸術劇場春秋座)


 1991年に初演された川村毅の『新宿八犬伝 第三巻 −洪水の前−』が、京都造形芸術大学舞台芸術学科の3回生川村クラスの発表公演として再演されるというので、京都造形芸大内の芸術劇場春秋座まで足を運んだ。
(と、こう書くのはずるいかな。本当は出演者の学生さんからお誘いがあって観に行ったのだけれど、当時の川村さんや第三エロチカのことを一応知っている人間としてはついついそんな風に書いてしまいたくなるのである)

 で、観ての感想。
 途中までは、「アクチュアリティとはなんぞや?」とか、「近過去は如何に表現すべきか?」なんて小難しいことを考えたりもしていて、例えば森高千里や湾岸戦争なんて設定はそのままなのに、都知事の名前はなんで猪瀬なんだなんてことを思ったりもしたのだけれど、まあそれはそれ。
(そうそう、公演パンフの用語解説に『スーダラ節』の項目も割かれていたのだが、あれだけでは、どうして劇中に植木等や『スーダラ節』が登場するのかわからないんじゃないかな。実はこの作品の初演当時、『スーダラ伝説』なる楽曲によって植木等が再ブレイクしていたのだ。それにしても、『スーダラ節』の作詞者=青島幸男が都知事になるなんて、川村さんも思ってもみなかっただろう)

 演者陣の技量、だけではなく、テキストへの向き合い方や演技演劇への立ち位置の問題もあったりして、心身両面の力技でねじ伏せるべき戯作性(しかも、仕込みが非常に多い)が徹底され切れていないもどかしさを感じた箇所があったことも事実だけれど、物語が転び出し、邪劇性がいや増しに増したあたりからは、そうだそうだこれこれこうこなくっちゃと、川村ワールドを愉しむことができた。
 そして、細かい部分は置くとして、この作品の根底にある事どもは、残念ながら今もって大きなアクチュアリティを持っているものだとも強く思った。
(わかりやすく言えば、堤幸彦の『トリック』に様々なメッセージ、思考の時限爆弾を仕掛けたのが川村ワールド。違う逆だ、川村さんらの作品を咀嚼、ではない希釈化してみせたのが『トリック』だ)

 田渕詩乃、田中祐気、田中紗依、福久聡吾、嶋本禎子、福田沙季(あいにく今日はアンサンブルのみ)ら、学外の活動でおなじみの面々も出演。
 全ての出演者参加者の今後のさらなる研鑚と活躍を心より期待したい。

 余談だけど、ワーグナーの歌劇『タンホイザー』序曲が効果的に使用されていた。
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2013年10月28日

ぶれる女ぶれない女 象牙の空港#4『顔面売買』

☆象牙の空港 #4『顔面売買』

 作・演出:イトウモ
(2013年10月27日19時開演の回/人間座スタジオ)



 象牙の空港にとって第四回目の公演となる『顔面売買』は、「私」性を排除しよう、虚構性に特化徹底しようというイトウモの創作姿勢、作家性がよく表われた作品となっていた。
 そして、作品そのものとしても、演者陣の演技としても女性が中心に置かれた内容ともなっていた。

 僕自身は、永榮紘実と柳沢友里亜という好みの演者がたっぷり演技を披歴していたこと、例えば、柳沢さんと稲葉俊とのやり取りを後半永榮さんが改めて反復するあたりなど、稲葉君のウケの演技も含めて両者の違いを愉しんだし、どこかベルイマンを想起させるような内面心理に踏み込んだ意匠に強く興味を覚えたりもした。
 ただ一方で、演技映像と様々な仕掛けが施された結構展開が、ときとして作品の根幹にある人と人との関係性を見えにくくしていたこと、イトウモが意図していた以上の夾雑物となってしまっていたこともやはり否めまい。
 よりシンプルな構成でモティーフ(この場合、一般的な意味合いよりも音楽的な意味合いに近い)を明示するか、逆に意匠の精度を高めて演劇的趣向、フィクションとしての効果を強めるか、もしくは両者のバランスを一層巧くとっていくか、その選択がイトウモの今後の大きな課題になっていくように思う。


 演者陣では、どうしても柳沢友里亜と永榮紘実の二人からということになる。
 あなた柳沢さんは「ぶれる」女。
 僕の観た回ではライヴ特有の傷がどうしても気になって仕方なかったが、心の動きと身体の動き表情の変化が細かく結び付く演技のあり様は、彼女ならではのものとも感じた。
 イトウモの配役も大きいのだけれど、所帯じみてくたぶれた感じの今回の役回りは今の柳沢さんにとてもぴったりだった。
(昨年の京都学生演劇祭、劇団ヘルベチカスタンダードの『あっぱれ!ばかしあい 三千世界の果てはまほろば』での初々しく瑞々しい彼女の姿を記憶しているので、少々時の流れの残酷さも感じないではないのだが。僅か一年とちょっと!!)

 こなた永榮さんは「ぶれない」女。
 思索するとともに行動(感動)する人でもあろう彼女にとって、今回の役柄はそれほど容易なものではなかったように思うのだけれど、「観察者」である部分でも、一転役割を逆転し激しい感情表現を求められる部分でも、「ぶれない」演技を心がけていたのではないか。
 だからこそ、永榮さんの一層のステップアップと演技の磨き上げを心より期待したい。

 また、稲葉君、坂口弘樹、うめっちの男性陣もそれぞれの特性(長所短所)をよく示していた。
 正直、「ぶれなさ」が求められる部分では個々の苦しさが透けて見えたりもしたが、会話の部分では彼らの持つ長所魅力(一例を挙げれば、稲葉君の幅の広さ、坂口君の繊細さと陽性、うめっちの舞台上での存在感)を感じたことも事実だ。
 各々のさらなる活躍が愉しみである。

 いずれにしても、先述した「私」性の排除をはじめ、イトウモと象牙の空港の今後の活動を注目していきたい。
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2013年10月24日

個と個による生活の叙事詩 HOME『わたしのあいだ』

☆HOME『わたしのあいだ』

 小堀結香、染谷有紀、福田きみどり(ドキドキぼーいず)、森陽平
(2013年10月23日19時過ぎ開演/養生市営住宅11棟集会室)


 京都国際舞台芸術祭(KEX)のフリンジ企画「使えるプログラム」の支援事業の一つ、HOMEの『わたしのあいだ』を観た。
 なお、この『わたしのあいだ』は、昨年Factory Kyotoで上演された作品を今回のプログラム、及び上演会場の養生市営住宅にあわせて仕立て直したものである。
(上述の出演者も前回と同じだが、役回りが変わったり、出演者も「わたし」と「あなた」の二人のほかに、コロス的なもう一人が加わっている)

 ある家に住む「わたし」と、なんらかの理由でそこへとやって来た「あなた」の関係(谷川俊太郎や中原中也、永瀬清子らの文章の引用も含むモノローグの積み重ね等)を通して、「個」人と「個」人が根幹において束ねられることのない違いを持っていること、「個」人と「個」人の距離感のあり様、そしてそうした諸々を踏まえた上で生活していくということ、断絶することなく生きていくということへの思索のきっかけ、思考の時限爆弾がふんだんに施された内容となっている。
 観る者に強い感興や激しい興奮、大きな心の動きを与えるような展開を目指していないことは、フライヤーの言葉(宣言)からも明白で、細やかで透明感はありながらも、ウェットでもリリカルでもない叙事詩的な作品世界が造り上げられていた。

 かえすがえすも惜しまれるのは、天候のせいで本来の12棟の中庭ではなく11棟の集会室で今夜の上演が行われたことだ。
 確かに、家の中(部屋の中)を舞台にした作品だから、室内で上演されること自体おかしいことではないのだけれど(実際、マイクを使用したナレーターの森君はもちろんのこと、三人の演者の言葉・テキストも聴きとりやすかった)、場所がつき過ぎるというか、室内であることが当為過ぎて、一見淡々とした展開だけにインティメートな雰囲気や「家具の演劇」的要素、筋の起伏のなさが勝ってしまったように感じられなくもない。
 それより何より、そもそも中庭(屋外)での上演であるからこその作品の結構意匠(ギリシャ古典劇やブレヒト劇の援用)と、問題提起を多分にはらんでアクチュアリティに満ちたテキストだっただけに、それらの仕掛けが如何に効果を発揮するか(もしくはそうでないか)を確認することができなかったのは、本当に残念でならない。

 室内ということで、出演者陣の細部の傷がかえって目立った形にもなったが、過剰な演劇調ではない彼女彼らの発語(それは、声優を使わないジブリ作品の吹き替えにも通じる)と、作品そのものにつながる演者間の距離感関係性には好感を抱いた。

 いずれにしても、今改めて上演されるに相応しい作品だったと思う。
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2013年10月21日

記憶の流れと意識の流れ ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』と『Re:子供』

☆ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』、『Re:子供』

 『不透明な底』
 脚本・演出:久保田文也

 『Re:子供』
 原案:福田英城
 脚本:久保田文也、小川晶弘
 演出:久保田文也
(2013年10月20日19時開演の回/思文閣美術館地下一階 Chika)


 名古屋学生演劇祭で演劇祭賞を受賞したヲサガリ(京都工芸繊維大学を拠点とした、フク団ヒデキの後継団体)の凱旋公演とでも呼ぶべき、逆輸入公演の『不透明な底』と『Re:子供』を観たが、いずれも記憶の流れ、意識の流れが重要なモティーフとなっていたのではないか。

 まず、小川晶弘の前説ひとり芝居『不透明な底』から。
 男友達と劇団仲間の女性の三人で製作したインディーズ映画『不透明な底』でのエピソードについて、カメラマンだった人物が語っていくという内容。
 テキストの言葉の選択や映像の使用等作品の構成に粗さを感じたり、小川君の演技に抜けを感じたりしたものの、「藪の中」的な事実と感情の不確かさ、不透明さと、小川君の原に一物二物ありそうな雰囲気はよく合っていたと思う。
 そうそう、唐突だけど、小川君は落語をやってみてはどうかなあ。
 「若旦那」物とか、けっこう柄にはまりそうだけど。

 続いて、名古屋学生演劇祭賞受賞の『Re:子供』。
 実は、第二回京都学生演劇祭でフク団ヒデキが上演した『子供』(その際は、福田英城と小川君が出演)を仕立て直した作品なのだが、舞台上でひたすらドミノに向き合うといった実験味の強かった原作に比して、こちらは市川準の映画作品を観ているようで、早くに母親を、そして少し前に父親を亡くした兄と妹のインティメートな雰囲気がよく醸し出されていたのではないか。
 途中だれ場はありつつも、小川君のおかしみも巧く表われていて、観ていて好感の持てる作品に仕上がっていた。
 高田有菜も真摯な演技だった。

 ヲサガリのウェットに過ぎないリリカルな共同作業(久保田君と小川君らの)を、今後も注目していきたい。
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2013年10月20日

左子光治の志向と嗜好のアナーキーでグロテスクなデッサン ぱらどっくす第3回公演『悩みでかなら、やらいでか。』

☆コントユニットぱらどっくす 第3回公演『悩みでかなら、やらいでか。』

 書き手・導き手:左子光治
(2013年10月20日14時開演/東山青少年活動センター創造活動室)


 今年の京都学生演劇祭で、やたけたながら心情あふれるコントを披歴していた左子光治率いるコントユニットぱらどっくすの第3回公演『悩みでかなら、やらいでか』を観た。

 人を殺せない殺し屋の男、人を呪い殺したいが呪いが自分に返ってくるのが怖いひきこもりの女、人を食いたい大学生の男、世をはかなんで自殺願望のあるホームレスの男の四人が、ひょんなことからかち合って…。
 まったくもって無茶無謀荒唐無稽、アナーキーでグロテスクな展開なんだけど、そこに左子君の知性や嗜好志向思考試行、頭の中と心の中の諸々がふんだんに盛り込まれており、それこそ「悩みでかなら、やらいでか」、やりたいことをやっている清々しさを感じた。
 正直、鉛筆書きのデッサンというか、書きたいものやりたいものむきだしの見取り図という具合で、テキスト面でも演技面でも(もう一つ付け加えるなら制作面でも)、例えば客入れで流された高田渡の歌(選曲最高!)の如く、自然体だけど筋が通ったより精度の高い作品づくりを求めたくもあるのだが、単に精度だけにこだわってこじんまりとまとまってもややなあと思ったりもする。
 まあ、左子君のことだから、その点大丈夫かな。

 35(左子君)はじめ、ウノキミアキ、ゆのきあいこ、野原啓佑が出演。
 技術面のあれこれはひとまず置くとして、皆奮闘していたが、高田渡につながる35の軽味が印象に残った。

 いずれにしても、コントユニットぱらどっくすの今後に期待していきたい。


 そうそう、終演後、今回の公演のテーマ曲を歌ったNovelmanの谷澤ウッドストックのミニライヴが開催されたんだけど、客の扱い方の巧さも含めて懐かしい京都フォークの味わいがあり、とても愉しかった。
 人気急上昇中というのもうなずける。
 こちらも要注目だ。
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2013年10月17日

お芝居という形の説教 十中連合×the★planktons『ある訣別』

☆十中連合×the★palanktons『ある訣別』

 作・演出:渡邉憲明
(2013年10月16日19時半/KAIKA)

*劇団からのご招待


 独特のフラ(おかしみ)は持ちながらも、根は非常にまじめな植木等がおなじみ『スーダラ節』を渡されて、こんな歌なんか歌いたくないと悩み、同居する父徹誠の前で例の「ちょいと一杯のつもりで飲んで」と歌ってみせたところ、徹誠は「わかっちゃいるけど、やめられない」のフレーズに感嘆、この曲はヒットするぞと口にした。
 人間は、わかっちゃいるけどやめられないもの。
 それこそ親鸞上人の教えとも重なる人間の真理を突いた素晴らしい歌だから、というのが徹誠の言い分で、キリスト教の洗礼を受けながら僧籍に入って浄土真宗の僧侶となり、さらには社会主義者として部落解放運動や労働運動で活躍した彼らしい、どうにも飛躍した言葉なのだけれど、それでいて相手をついついその気にさせてしまう重みもある。
 岩戸山のコックピットの一環として上演された、十中連合×the★planktonsの『ある訣別』を観ながらふとそんなことを思い出したのは、作・演出の渡邉憲明が、かつての植木徹誠と同様、三重県内で僧籍にある(宗派は同じかどうか不明)ことに加え、作品そのものが「お芝居という形の説教」であるように、僕には思えたからだ。

 『ある訣別』は、大きな川を東から西に渡っている船中のコックピットという設定からしてそのことは明確だが(ただし、前回の『この世界は、そんなに広いのですか』と同じく、そこには我々が直面する大きな社会的問題が重ね合わされている)、渡邉君が日々向き合っているだろう、生と死、死と生の問題(死生観、人生観、宇宙観)が如実に反映された内容となっていた。
 と、こう記すと、それこそ「説教臭い」作品なのではと疑うむきもあるかもしれないけれど、そこはお芝居であり、狂騒的ですらある演劇的な仕掛けや細かい伏線(マリオの映像やaikoの歌その他)が多々施されている。
 正直、そうした仕掛けや筋運びに粗さを感じたことも事実であり、如何に作品の精度を高くしていくかがこれからの大きな課題であるとも思ったが、一方で、渡邉君の作品世界や創作姿勢には強く好感を覚えた。

 わたしゆくえ、葛井よう子、篠塚ノリ子、伊藤翔太郎(独特の軽味)、榎本篤志(テンション高し。作品前半の狂騒性をよく体現していた)、葛川友理は、ライヴ特有の傷はありつつも、渡邉君の意図を汲む努力を重ねていたと思う。

 いずれにしても、渡邉君と十中連合×the★planktonsの活動をこれからも応援していきたい。
 まずは、次回の公演がとても愉しみだ。
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2013年10月14日

造り手の健闘に拍手 KAIKA劇団 会華*開可『宇宙運送モリカワ』

☆KAIKA劇団 会華*開可『宇宙運送モリカワ』

 作:末山孝如
演出:脇田友
(2013年10月13日19時開演/KAIKA)


 岩戸山のコックピットのうち、KAIKA劇団 会華*開可の『宇宙運送モリカワ』を観た。

 運送業務に従事する宇宙船「モリカワ5号」内で痴情ばなしが持ち上がり…。
 明日も公演があるので、ほんのこれぐらいに留めておこうかな。
 会場はホームグラウンドのKAIKAとはいえ、「劇団衛星のコックピット」のためにしっかりこしらえ尽くされたコックピットを利用して独自の作品を造らなければならないというのだから、ぶっちゃけアウェイ状態の中、なんとか笑いからシリアスへの起伏のついたシアターピース(そこには、末山君の日常生活からにじみ出た労働観や人生観も含まれていると思う)にまとめ上げていた作家演出演者陣に、まずは拍手を贈りたい。
 正直、タイトなスケジュールでの公演ということも耳にしていたこともあって、前半など演者陣の頑張りがずっと気になっていたのだけれど、会場から笑いの反応が大きく起こっていたのは何よりである。
 僕自身は、演者陣の特性人柄とのつき具合からも、後半のほうがよりしっくりと感じることができた。

 演者陣では、小林まゆみを一番に挙げるべきだろう。
 中でも終盤の激しい感情表現が強く印象に残ったが、前半では彼女の達者さ器用さが無駄に遣われているような気がしたことも事実だ。
(その分、台詞を口にしていないときの横顔の美しさにはっとしたりもした)
 小林さん自身の志向嗜好は別にして、彼女はシリアスな役柄のほうがより向いているのではないか。
 唐突だけど、小林さんの『レ・ミゼラブル』のコゼットとか『トスカ』のトスカを一度観てみたく思う。
 また、あぶ潤の演技を久しぶりに観ることができたのが、僕にはとても嬉しかった。
 彼の軽味凄みがさらに発揮されればとも思わないではないけれど、それは次回を愉しみにしたい。
 臆面があって心意気充分な高山涼をはじめ、高橋美智子、椎名ゆかり、渡邉裕史らほかの演者陣も健闘していた。
(渡邉君の場合は、前半のほうが彼の「ふら」、良い意味での胡散臭さが活きていたのではないか。終盤では、彼の特性と役柄との齟齬、葛藤がどうしても舞台に表われてしまっていたように思う)
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2013年10月12日

愛の希求、愛への憧憬 ドキドキぼーいずの紅葉狩り#02『浮いちゃった』

☆ドキドキぼーいずの紅葉狩り#02『浮いちゃった』

 構成・演出・美術:本間広大
(2013年10月12日18時開演の回/東山青少年活動センター創造活動室)


 新生ドキドキぼーいずにとって二回目の公演となる、ドキドキぼーいずの紅葉狩り#02『浮いちゃった』を観たが、リーグ優勝を決めて三試合あとぐらいの読売巨人軍(ジャイアンツ)の勝負運びと評すると、ちょっと違うかな。
 諸々重なってだけれど、福田きみどり、松岡咲子、そして坂根隆介(ほかに、常連の福田沙季)を欠くキャスティングだからこその作品であり構成だとまずもって感じられた。

 で、先達の演劇的手法の援用も明らかな登場人物間のやり取りにはもどかしさと退屈さを覚えたりもしたが、これは不毛さの象徴でもあり、充分意図されたものだろう。
 この作品の肝、饅頭のあんと呼ぶべき部分は、愛の希求、愛への憧憬とそれが満たされないことへの身もだえ、切実さのように僕には思われた。
 そして、上述した演劇的技法=まんじゅうの皮によって客観化、普遍化がはかられつつも(その意味でも、本間君自身がこの作品に出演しなかったことを僕は評価する)、それは本間君の内面の強い想いそのものと言い換えても間違いではあるまい。
 正直、本間君の想いそのものに僕自身が大きく共感できたかと問われれば、否と答えざるをえないのだけれど、劇的な構成表現によってそれを伝えていこうとする本間君の姿勢には好感を覚えた。
(なお、この作品では積極的にダンスが組み込まれていたが、これはまんじゅうの皮よりも、あんこの部分に深く関わっているように思う。そうそう、触れ合う演者陣の姿を目にして、僕もまた触れ合いたい欲求=性欲ではないを刺激されたのだった)

 演者陣では、あんこのあんの部分を演じ切った上蔀優樹が一番に印象に残った。
 また身体性という意味で、役柄が彼女の本質特性と全面に重なるかどうかの判断は置くとして、島あやのダンスと豊かな肢体も忘れ難い。
 ほかに、佐藤和駿、ヰトウホノカ、はく、渡部智佳、恵ハジメ、帯金史、すっ太郎、むろいも、本間君の意図に沿う努力を重ねていた。

 福田きみどりらおなじみのメンバーが戻ってきた際に、本間君がどのような作品舞台を造り上げていくのか。
 そのことも含めて、次回の公演が愉しみである。
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2013年10月03日

お互いの擦り合わせに期待 努力クラブ必見コント集『流したくない涙を流した』

☆努力クラブ 必見コント集『流したくない涙を流した』

 作・演出・構成:合田団地
(2013年10月2日19時開演の回/UrBANGUILD)


 ここのところ西村賢太の作品を立て続けに読んで、その韜晦と自己弁護、自分自身のカリカチュアがないまぜになった文「藝」に感嘆したのだけれど、京都小劇場でその西村賢太をはじめとした「私小説」書きの作家たちから強い影響を受けた劇の造り手を挙げろと言われれば、僕はすぐさま合田団地の名を思いつく。
(と、言って、月面クロワッサン製作・KBS京都放映のテレビドラマ『ノスタルジア』で、合田君が演じた作家の名前が合田賢太というのには、いささかストレートに過ぎるかなとも思いはしたが)
 一連の作品、特に前回の本公演の『家』など、佐々木峻一演じた主人公を中心とした作品世界には、どうしても先述したような散文作品との共通性を感じたものだ。
 そして、本公演とは別に「笑い」に特化したはずの今回の必見コント集『流したくない涙を流した』でも、コインの裏表というか、そうした合田君の表現のあり様が如実に示されていた。
 もちろん、そこは必見コント集と名乗るだけあって、シュール、ナンセンス、馬鹿馬鹿しさ、すかし、メタ等々、笑いや演劇的仕掛けが随所に盛り込まれていたことも確かで、しめて20本のコントのうち、いくつかのコントではつい大きな笑い声を上げてしまったほどだ。

 ただ、そうした合田君の諸々の仕掛け、様々な狙いがきっちりかっちりやんわりゆんわりと決まっていたかと問われると、残念ながら思い通り狙い通りと言うわけにはいかなかったのではないか。
 そしてそれは、無理を承知で攻めに出て失点したという挑戦の結果でもあるだろうが、一方で、合田君のテキストと演者陣との齟齬が関係していることもまた大きな事実だろう。
 佐々木君、猿そのもの、無農薬亭農薬、稲葉俊、川北唯、木下ノコシ、笹井佐保、廣瀬信輔と、キャストは一部異なるものの、それは前回の『家』とも通じるものである。

 付け加えるならば、そのような齟齬は、単に技術的な問題ばかりでなく、個々の演者の立ち位置、さらには全員とまでは言わないが精神面で抱える様々な懊悩と直結しているように僕には思われてならなかった。

 合田君の仕掛け、狙い、世界観(例えば、合田君自身が演じた「9月13日」のような、西村賢太流の自己諧謔に満ちた)を演者陣がどう細やかに汲み取っていくか、逆に演者陣の得手不得手特性魅力を合田君がどう巧く加減していくか。
 つまるところ、お互いがお互いのあり様をどう擦り合わせていくか。
 それがクリアされていくことで、コント集も本公演も、より面白さが増していくものと考える。

 いずれにしても、努力クラブの今後のさらなる変化を期待したい。
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2013年09月27日

挑む人黒川猛の真骨頂 THE GO AND MO'S第10回公演『岩田の禁』[破門編]

☆THE GO AND MO’S 第10回公演『岩田の禁』[破門編]

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
 技術協力:真田貴吉
 映像協力:竹崎博人
(2013年9月27日19時半開演/壱坪シアタースワン)


 かつてベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛のワンマンライヴ、THE GO AND MO’Sだが、10回目となる今回は、過去の名作十八番を集めた[入門編]と、新作短篇コントを集めた[破門編]の二つに分かれるという怒涛の展開。
 で、GOMO’S常連の当方は、入門編に後ろ髪引かれつつ破門編のほうを選んだんだけど、まさしく挑む人黒川猛の真骨頂とでも呼ぶべき舞台となっていた。

 明日明後日と公演が残っているのであえて詳細については触れないが、「吹き出し5」に始まって、「サスペンス」、「教祖」、「イタコラスイッチ」、「人々」、「体操のお兄さん」、「太陽にほえろ!」の新作コント6本に、活動弁士「斉藤月曜美」(ぬめっぬちゃっとした語り口がたまらない)、さらには映像物の「格闘〜battle3〜」と「KIGEKI」が加わるという盛り沢山のラインナップで、やりもやったり並べも並べたりだ。
 正直、どれもこれもまんべんなく大爆笑の渦とはいかないけれど、バーバルギャグにサイトギャグ、さらには身体性に訴えかける作品やお客さんとのコミュニケーションと、黒川さんの笑いに対する執念には感心感嘆するし、それより何よりいくつかのコントには、ついつい大きな笑い声を上げてしまった。
 また、格闘のあの人ばかりか、「喜劇王」まで登場したのは、嬉しい驚きだった。

 KEXのフリンジ企画「オープンエントリー作品」にも相応しい内容で、入門編はあと少しお席の余裕もあるそうだから、ご都合よろしい方にはぜひぜひご覧いただきたい。

 ああ、面白かった!
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2013年09月23日

ほんの夢の入口 鯖ゼリー第一回公演『鯖からミシン』

☆鯖ゼリー 第一回公演『鯖からミシン』

 作・演出:鯖ゼリー
(2013年9月22日20時開演の回/人間座スタジオ)


 私には夢がある。
 とは、ある有名なスピーチの一節だが、劇団愉快犯の旗揚げメンバーの一人でOBの鯖ゼリーにとって、今回の『鯖からミシン』は、自らの夢の結実といっても過言ではないのではないか。

 一見脈絡のない、往年の名バラエティ番組『ゲバゲバ90分』を彷彿とさせるような(笑いを専門としない演技者が「まじめに」ギャグに取り組むという点でも、両者は共通している)、シュールなショートコント集。
 その実、きっちり通底したモティーフが仕込んであったりもして、それこそ愉しくしかしどこか不気味な夢を観終えたかのような、はははふうという気分にとらわれた。
 正直、基本的には舞台上の責任ではないある要因で、途中まで全くのれない、どころか憤慨していたのだけれど(なんだよ、せっかくおもろい話をやってることはわかってるのに、そんなことされちゃあ、こちとらちっとも笑えないぜ。あっ、ほら鯖ゼリー君以外の演者陣の肩肘張った感じ、頑張り力みが目立ってきやがった…、という具合)、中盤以降それもおさまって、最後は抱腹絶倒、大いに笑って満足がいった。
 そして、鯖ゼリーという人間の笑いのセンスのよさと自負矜持、賢さに改めて感心した次第。

 演者陣では、まず鯖ゼリー本人。
 この人の独特のフラがなんとも言えずおかしい。
 先頃引退を表明したあの人っぽい人など、流石である。
 そして、永榮紘実。
 鯖ゼリーの「臆面ある」作品世界によく合っていて、僕はますます永榮さんのことが好きになった。
 永榮紘実は、京都小劇場の浜木綿子だぜ!

 また、北川啓太、小川晶弘、横山清正、九鬼そねみ、垣尾玲央菜、西城瞳(ワンポイントでよい仕事をしていた)、酒井捺央(彼女は、漱石は漱石でも『夢十夜』でなくて、『虞美人草』の藤尾が似合いそう)も、各々の人柄特性魅力をいい具合に発揮していたのではないか。
 そうそう、この『鯖からミシン』を観ていて、やはり笑いというものは、虐げられる者の痛みと喜びばかりか、虐げる者の痛みと喜びを知っていてこそのものなのではないかと改めて思ったのだけれど、意識無意識は置くとして、ほぼ九割方の演者さんはそのことを、その人なりに自らのものとしているように僕には感じられた。

 いずれにしても、鯖ゼリーにとって、今回の『鯖からミシン』は、ほんの夢の途中、いや、まだまだ夢の入り口だろう。
 今後の公演を心待ちにしたい。

 そして、ああ、面白かった!


 ちなみに今回の記事、当CLACLA日記の5000回目の投稿となります。
posted by figarok492na at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする