2015年11月13日

ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴ

☆ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴ

 出演:月亭太遊さん
(2015年11月12日20時スタート/喫茶フィガロ)


 左京区元田中の喫茶フィガロに会場を移して2回目となる、廣瀬信輔君主宰のふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴだが、今夜のお題は「食事」。
 廣瀬君と月亭太遊さんによる概要説明ののち、まずはデモンストレーションに代えて、廣瀬君が機械的な野菜=緑菜栽培(ロボットを使って、システィマティックに行う)の現状を簡単に説明する。

 で、太遊さんの新作ネオラクゴは『ぽっちゃりタウレト』。
 『場末のバステト』に続く、エジプト女神三部作の二作目で、タウレトとはカバのような姿をした女性や妊婦の守護神のこと。
 会社の上司に誘われてバー『タウレト』に足を運んだ男だったが、ここは場末のバステト系列の「ぽっちゃり」専門のバーで…。
 という具合に展開する作品で、お題の「食事」もばっちりクリア。
 捻ったやり取りに太遊さんの熱唱、言葉遊びも盛り込んだ、一粒で何度も美味しい作品になっていて、特に中盤以降大いに笑う。
 そして、あれこれと考えたりもした。

 そして、昆虫を未来の(スタンダードな)食糧にするためには? や、冷蔵庫の機能性を高める方法など、お客さんの提案や質問を中心に会議が進む。
 途中、妙齢な女性がやって来て活発に会議に参加したこともあり、終盤非常に盛り上がった。
 もやし、侮るべからず!

 と、何が飛び出すかわからない未来会議に皆さんもぜひ。
 ああ、面白かった!!
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2015年11月08日

努力は人の為ならず 努力クラブ10『船の行方知らず』

☆努力クラブ10『船の行方知らず』

 作・演出:合田団地
(2015年11月7日19時開演の回/アトリエ劇研)


 人の努力はその人の努力によってのみ評価されるべきだ。
 という言葉をモティーフに、努力クラブの公演の感想を記そうと思っていたが、観ているうちに、これは二重、どころか三重底の残酷さをためた作品だなと強く感じるようになった。
 で、終演後のアフタートークで、合田君とゲストの月亭太遊さんのそれぞれの口から、「二重、三重」といった言葉や、「残酷」といった言葉が飛び出したから、まさしく我が意を得たりと思わずにはいられなかった。

 努力クラブにとって10回目の本公演となる『船の行方知らず』は、学生時代(佛教大学の劇団紫)に上演した作品を下敷きに、今回の座組用に新たに書き直したものだという。
 あえて詳細は省略するが、登場人物が旅行(と、言うよりも、ある種巡礼的遍路的な彷徨)をするという展開や、叙情性、言語感覚や散文的なセンスの高さ等々、合田団地らしさに満ちた内容となっていた。
 中でも、「さみしさ」を抱えた登場人物たちが、その「さみしさ」がゆえにいびつで抜き差しならぬ道を歩んでしまう、そしてそれが、どうにもおかしいグロテスクな笑いにつながっていくという残酷さは、合田君ならではの表現だと思った。
 しかも、そうして描かれた表面的な事象や感情が、額面通りに受け取ることのできない、一筋縄ではいかない、裏読みの必要なものであるという意味で、言葉を換えれば、結局観る側は道半ばで放り出されているに過ぎないという意味で、二重に残酷な作品だと痛感もした。
 もちろん、そこには合田君の表現者としての含羞もあるだろうし、タイトルを思い起こせば、いや全くその通りと言うほかはないのだが。
(そうそう、終演後、ここ何回かの努力クラブの作品と比較して、ある人がこの『船の行方知らず』の対社会性の希薄さを指摘していたのだった。その指摘自体には大いに首肯するし、合田君の意図とも異なるかもしれないが、玉の井通いじゃないけれど、永井荷風の『濹東綺譚』の如く、主人公となる男性と女性の視点を中心とした結構そのものが、ある種の抵抗、それが大げさならば、社会との関係性の持ち方の提示と言えるかもしれない)

 三重目の残酷さ。
 この『船の行方知らず』においても、合田君と個々の演者との関係性、より生な言葉を使えば、個々の演者の特性魅力を合田君が如何にとらえたかということ、個々の演者への合田君の真情、優しさ甘さ、強さと弱さ、興味関心把握距離好悪の情があまりにもあからさまに示されている。
 そうした中、西マサト国王は、ウッディ・アレンとジャック・レモンを足して二で割ってより没我的にしたかのような演技で、主人公のおかかなしさ、痛切さ切実さを表現していた。
 一方、熊谷みずほは、合田君の「求める」ヒロイン像をよく体現していたのではないか。
 また、役柄の変化に合わせていつも以上の集中力を見せた川北唯をはじめ、丸山交通公園、稲葉俊、横山清正、森田深志、九鬼そねみ、佐々木峻一も、笑いの感覚の良さ、作品世界に沿った演技、熱量の強さ、今回の作品公演への割り切り方など、各々自身の形で努力を重ねていた。
 ただ、もっとも届くべき相手に届くべき真情が、届くべき想いが届ききっていないもどかしさを感じたことも残念ながら事実だ
 そして、だからこそ、そうした残酷さと直面したからこそ、集団とは何か、組織とは何か、表現活動における共同作業とは何かということに思い至らざるを得ないのである。
 最後に、他人への情けは巡り巡って自分のためになるという本来の意味合いの「情けは人の為ならず」という言葉に倣って、「努力は人の為ならず」という言葉を付け加えておきたい。

 9日昼までの公演。
 ご都合よろしい方はぜひ。

 ああ、面白かった!

*一部、文章を改変しました。その点、ご容赦ください。
なお、第2CLACLA日記には、「オリジナル」の文章を残しておきます。
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2015年11月06日

ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴ

☆ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴ

 出演:月亭太遊さん
(2015年11月5日20時スタート/喫茶フィガロ)


 廣瀬信輔君主宰のふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう!〜withネオラクゴは、今週より毎週木曜20時から、会場も左京区の喫茶フィガロに移して新たなスタートを切った。
 ちなみに、喫茶フィガロは、市バス元田中バス停、叡電茶山駅、もしくは元田中駅から歩いてすぐ、東大路通りの東側に面した場所にある懐かしい感じのする純喫茶で、10月半ばより開店したばかり(前のお店から代替わりした)。
 閉店後の時間は、こうしたイベント・スペースとしても利用していただければとのことだ。

 で、入口側にビニールの折り畳み製の白いボードを黒板代わりにして、廣瀬君が未来会議のデモンストレーションを行う。
 今週のお題「喫茶」に則って、喫茶フィガロが100年後でも繁盛しているためには、という議題を廣瀬君が語っていくというものだが、10年後20年後の皆の共有スペースとなっているや、オーナーを手伝う人が現れるといった実現可能の内容から、人口知能の採用やホログラムという廣瀬君の得意分野に至ったあたりで俄然ヒートアップ、結局40分にのぼる長広舌となった!

 そして、お待ちかね太遊さんのネオラクゴは、これまた「喫茶」のお題に則って、『カフェ・ド・ニュートラル』。
 喫茶店に入った三人組の話を聴くとはなく聴いている青年だったが…。
 といった具合に話は進んでいくが、中盤以降、三人組のやり取りと、それに対する青年のぼやきで大いに笑わせてもらった。
 もちろん、そこはネオラクゴだけに、一人一人の立ち位置とはなんぞやという問いかけもしっかり示されていたのだけれど。
 ネオラクゴの他の作品との関連性もうかがえる作品で、その点も常連の一人としては嬉しかった。
 ああ、面白かった!

 で、再び未来会議に。
 未来の喫茶ということで、あるジャンルに特化した喫茶、例えば「打ち合わせ喫茶」という形態や、喫茶店で出されるアイスコーヒーの氷の凹んだ場所にたまったコーヒーを氷が溶けないうちにすすっと飲む方法はないかといった議題が、語られていった。

 さらに一応会議の終了後、後半に来場されたお客さんのために、太遊さんがネオラクゴの『来て!観て!イミテイ村』を演じた。
 もはやネオラクゴの十八番と呼んでもいい作品で、「逆転」の積み重ねが面白い。

 と、今夜も盛りだくさんな未来会議でした。
 皆さん、来週木曜20時から喫茶フィガロさんへぜひ!!
(なお、日付変わって今夜=金曜20時半からは、同じく左京区の白箱ZOOで、太遊さんの落語を観ることができるそうです。1drink&カンパ制。こちらもぜひ!!)
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2015年10月30日

丸山交通公園ワンマンショー『24世紀の21世紀学 1時間目』

☆丸山交通公園ワンマンショー『24世紀の21世紀学 1時間目』

 出演:丸山交通公園
(2015年10月30日19時30分開始/京都大学文学部新館第一講義室)


 丸山交通公園が主宰していた友達図鑑の大きな魅力を何かと問われれば、やたけたな笑いのそこここから噴出する、やっておらなんだら生きてはおれん、といった丸山君の切実な感情であると僕は答える。
 そして、丸山交通公園ワンマンショーと名乗るワンマン=ソロでの新たな活動によって、丸山君の感情は一層ストレートに表されるようになったと思う。
 京都大学文学部新館第一講義室という、まさしく講義のための教室で行われた『24世紀の21世紀学 1時間目』は、そうした丸山君の今現在を如実に示したライヴとなっていた。

 と、こう記して、何か情念ばかりが先行したやけのやんぱち雨あられといった内容を想起するならば、それは大いに間違いだ。
 丸山君の芸能観、政治観、社会観、世界観がふんだんに盛り込まれている点など、まさしく「講義」と呼んでもおかしくないほどの充実した出来になっていた。
 AKB48を通した2016年以降の近未来の予測は、かつての深夜番組『カノッサの屈辱』が薄っぺらく感じられるほどの鋭さだったし、途中挿入されるドキュメント類、中でも最終盤に登場する長めの文章の巧みさは、丸山君の散文におけるセンスの良さを証明してもいる。
 また、速射砲のようなおしゃべりが生み出す高揚感と激しい笑いは、丸山君ならではのものである。
 ただ、そうした笑いが、虐げる者と虐げられる者との関係に根差したグロテスクな笑いであり、なおかつ冒頭に記したような丸山君の切実で痛切な感情と環境から生み出された笑いであることも忘れてはならないだろう。
 本来笑ってはならぬと思いつつも、おかしくてどうしても笑ってしまう。
 演じ手と受け手との共犯関係というか、相互認識の上にこそ成立する笑い、とそれは言い換えることができるかもしれない。

 言い間違え等、ライヴ特有の傷も、講義という形態であることによって、かえってリアリティを与えていたのではないか。
 それより何より、僕が気になってならないのは、丸山交通公園という表現者の今後の立ち位置である。
 彼にとって、笑い、表現することが業のものであること、生きることそのものと密接に繋がったものであることは、今さら言うまでもあるまい。
 要は、それを素人の余芸に留めておいてよいのかということだ。
 それを、生活を含めた生の糧にすることこそ、彼の選ぶ道なのではないか。
 僕にはそう感じられてならないのだが。

 いずれにしても、彼の今後の活動に大いに注目し、心から応援していきたい。
 ああ、面白かった!
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2015年10月28日

ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう〜withネオラクゴ(in Rabbit Robot)

☆ふつうユニットの未来会議〜みんなで未来を妄想しよう〜withネオラクゴ(in Rabbit Robot)

 出演:月亭太遊さん
(2015年10月27日20時スタート/Rabbit Robot)


 残念ながら、今夜でRabbit Robotでの開催は最後となる、廣瀬信輔君主宰のふつうユニットの未来会議withネオラクゴ。
 今夜は、ぶらりひょうたん的な生き方をしている人間にとってはぐさっと突き刺さる(?)「仕事」という、まさしくど真ん中のテーマが設定された。

 で、廣瀬君の未来会議の概要説明ののちは、太遊さんがネオラクゴの新作『RPGのレベル上げを委託されてやっている人』を演じる。
 どうしても自分ではネットゲームをやることができなくなった人に頼まれて、ゲームのレベル上げをアルバイト(仕事)として引き受けたはよかったが…、というタイトル通りの展開。
 ゲーム内容の妙さ、おかしさや、仮想世界と現実のごっちゃになり具合に大いに笑うが、それと同時に仕事とはなんぞや、であるとか、それこそ虚と実の関係等々、あれこれ考えてしまったことも事実だ。
 マクラで何気なく張った伏線が、きちんとオチにつながっていたのも鮮やかだった。

 そして、少しの間を置いて未来会議がスタートする。
 お客さんから集めた提案内容を軽く発表後、新規事業提案制度New RINGなど、未来の新規事業活動や起業等について具体的な話が繰り広げられる。

 続いて、会社の形態についてお題は移り、「社長のいない会社」、もしくは「全員が社長の会社」を軸に話がはずむ。
 と記すと、社会主義や共産主義の話か? と勘違いする人もいるかもしれないが、そこは未来会議、それらについてもきちんと触れられはしたものの、社長の持ち回り制をはじめ、より具体的でシスティマティックに議論が進んだ。

 最後は、「寝ているだけで1億ドルが手に入る」(仕事)というふざけたお題。
 ちなみに、こんなふざけたお題を出す人間は当然限られる、わたくし中瀬宏之以外にいるはずがない。
 それでも、そんなお題を愉しくあれこれ妄想するというのが未来会議のよいところだ。
 寝ている間に身体を動かして発電するやら、ヒトゲノム解析を睡眠中の脳でやらせるといった風に、どんどん話が拡がっていった。

 と、ネオラクゴの常連さんと未来会議関係のお客さんがバランスよく集って、活発な会議になっていたのではないか。

 そして、来週・11月からは、曜日も木曜、場所も左京区の喫茶フィガロと変わって、ふつうユニットの未来会議withネオラクゴが続きます。
(なお、20時からのスタート、1ドリンクオーダー&カンパというシステムは変わりません)

 未来を妄想したい人も、太遊さんのネオラクゴの新作に触れたい人も、ぜひぜひ喫茶フィガロにお集まりください!
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2015年10月10日

アガリスクエンターテイメント 第二十一回公演『ナイゲン(全国版)』

☆アガリスクエンターテイメント 第二十一回公演『ナイゲン(全国版)』

 脚本・演出:富坂友
 文芸助手:淺越岳人、タカハシヨウ
 演出助手:鎌田将一朗、熊谷有芳
 出演:甲田守、沈ゆうこ、鹿島ゆきこ、金原並央、さいとう篤史、榎並夕起、古屋敷悠、斉藤コータ、津和野諒、細井寿代、淺越岳人、信原久美子、塩原俊之

(2015年10月10日14時半開演の回/元・立誠小学校音楽室)

 ここのところ、めっきりお芝居を観に行く回数が減っている。
 経済的にもスケジュール的にも厳しい状況だし、去年の今頃から月亭太遊さんをはじめとしたプロの落語家さんたちと親しく接する機会が増えて、表現のあり様について考えが徐々に変化してきたこともある。
 そして、それより何より、小説を書くということに一層エネルギーを割くようになったことが大きい。
 正直、毎日文章を書くことに悩めば悩むほど、お芝居を観ようという気力が強く失せていくのだ。
 だから、演劇関係者を称するのであれば明らかに見逃せず見落とせない公演だとて、不義理不人情を承知で平然とパスしてしまっている。
 けれど、この人が関係しているのであれば、この人が薦めるのであればという公演だけは、やはりどうしても足を運ばざるをえない。
 あえて名前は出さないけれど、僕にとって信頼できる人が深く関わっている東京の劇団、アガリスクエンターテイメントの京都公演など、その最たるものだろう。
 実際、足を運んで大正解だった。

 脚本・演出の富坂友の母校でもある(千葉県立)国府台高校。
 その国府台高校に実在する、文化祭の発表内容を審議決定するための会議、内容限定会議(通称「ナイゲン」)が、今回の作品の舞台である。
 無事全クラスの内容説明も終わり、さああとは決を採るだけとなったところで、突然会議の議事進行役・文化祭実行委員会委員長に職員室からの呼び出しが入る。
 そこから会議は一転、ある一つのクラスだけが本来の発表を行えないことになる。
 それじゃあ、一体どのクラスを落としてしまうのか…。

 と、かれこれ30年近く前、国府台高校と同様に「自律」を建前、ではない校訓校是とする県立高校で生徒会会長を務めた上に、権謀術策渦巻く放送部の部員(うちの学年の男子は、どうにもややこしかった)だった人間としては、とうてい他人事とは思えぬ展開なのだけれど、笑いの仕掛けも豊富であれば、伏線の張り具合も見事というほかなく、そんな感傷なんてどこ吹く風で物語に惹き込まれてしまった。
 いや、こう言い切ってしまうと、ちょっと違うな。
 惹き込まれて大笑いしながらも、彼彼女らによる詭弁と感情の爆発の乱打戦に、今僕らが直面する出来事を想起して、いろいろと考えてしまったことも事実だ。
 特に終盤、ある登場人物の心性が前面に押し出されたこともあり、良い意味での「わだかまり」が残ったことを記しておきたい。
 そうそう、密室における議論といえば、先行する諸作品(レジナルド・ローズ&シドニー・ルメットと三谷幸喜、おまけに筒井康隆)をすぐに思い出すのだが、作中、過去の作品からの影響やオリジナリティの問題についても言及されていて、全く隙がないなと感心した。

 演者陣も、作品世界によく沿って、個々に与えられたキャラクター、特性を魅力たっぷりに再現しつつ、精度が高く密度の濃いアンサンブルを造り上げていた。
 同時に繰り広げられる演技の細かさ丹念さも嬉しいし、言葉と身体のやり取りがすとんすとんと決まるあたりは、上質の室内楽を聴いているような心地良さだった。

 いずれにしても、シットコム(シチュエーションコメディ)やウェルメイドプレイとは、巧緻で丁寧な計算の積み重ねであると思い知らされた次第。
 ぜひとも多くの方にご覧いただきたい。

 ああ、面白かった!
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2015年09月27日

第21次笑の内閣『タカマニズム宣言』

☆第21次笑の内閣『タカマニズム宣言』

 作・演出:高間響
(2015年9月27日15時開演の回/吉田寮食堂)


 高間響上皇を首班とする第21次笑の内閣は、『ゴーマニズム宣言』ならぬ『タカマニズム宣言』と銘打ったオムニバス時事コント集。
 で、安保法案がらみでネット上を賑わせた『教えてヒゲの隊長』をもじって、京大当局と吉田寮との問題のあらましを総長とゴリラのやり取りで説明したアニメ『教えて髭の総長』(もちろん総長の声は、髭だるマン)に始まり、『実録 おまんこ闘争』(ろくでなし子さんの話。ご本人にも読んでもらったとのこと)、『殿下さん』…と続く、コントのラインナップを目にするだけで、まさしく高間響らしさ全開、笑の内閣ならではの公演に仕上がっていることがわかる。
 ネタによっては途中で勢いが落ちてしまったり、笑いの仕掛けが小さかったりと、意図した以上に緩さや粗さを感じたものがありはしたものの、すとんとオチが決まった小気味よい作品や、どストレートにあやおかしさが爆発した作品もしっかりあって、やはり笑の内閣ファンには見逃せない内容になっていたと思う。
 また、いわゆる下ネタも十分十二分に炸裂していたが、それが高間響という人の生き方信条と密接に結びついたものであることも、今回改めて痛感したりした。

 ライヴ特有の傷や個々の長短はありつつも、ピンク地底人2号をはじめ、髭だるマン(一皮むけたような、堂に入った演技)、金原ぽち子、HIROFUMI、石田達拡、横山清正、由良真介、大牧ぽるん、楠海緒ら演者陣は、良い意味で無駄に贅沢というか、概して本篇に近い熱量の演技を繰り広げていたのではないか。
 その意味で、いつもながらぽち子さんの一歩退いた、醒めた感じが印象に残った。

 明日までの公演。
 今現在に息苦しさを感じている方には、特にお薦めです。
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2015年09月26日

高槻シニア劇団 恍惚一座第3回公演『アトリエジャマイカ』

☆高槻シニア劇団 恍惚一座第3回公演『アトリエジャマイカ』

 脚本:伊地知克介
 演出:山口茜
(2015年9月26日14時開演の回/高槻現代劇場305号室)


 積極的に市民参加型の演劇活動と取り組んでいる高槻現代劇場だが、50歳以上のメンバーによる2つのシニア劇団のうち、山口茜が講師を務める恍惚一座(と書いて、「うっとりいちざ」と読む)の第3回公演『アトリエジャマイカ』を観た。
 なお、恍惚一座といえば、去年のC.T.T.vol.107(2014年4月19日、アトリエ劇研)ですでに接したことがあるが、その際も今回と同じ伊地知克介の脚本が用いられていた。

 1945年「東京に住む3姉妹と漫画家」、2013年「アフリカ紛争地帯の医師たち」、2015年「地方都市の絵画教室に集まる人々」が折り重なって、一つの物語を創り上げていく。
 と、こう記せば、もしかして映画『めぐりあう時間たち』みたくややこしい内容? と危ぶむ向きもあるかもしれないし、実際様々な仕掛けも施されているのだけれど、いわゆる新劇的な構成にサスペンス・ドラマ的な趣向と、基本的には筋の通ったわかりやすい展開で、戦争や記憶するということ、人と人との繋がりといった伊地知さんの想いがよく伝わってくるお話になっていた。
 で、オーソドックスでありつつ、感情表現の細かなギアの変化や、真摯さと滑稽さのふり幅の広い演技を求められる分、演じる側の負担が大きな作品だったとも思う。
 だからこそ、演者陣の研鑚の跡もよくうかがえたが。
 ただ、そうした個々の表面的な技術もそうだけれど、山口さんは演者どうしのやり取りや、お客さんとの関係の結び方により重きを置いていたように、僕には感じられもした。

 演者陣は、作品世界に沿う努力を本当によく重ねていたのではないか。
 加えて、演技の合間から個々の特性や魅力、人柄が浮き彫りとなっていた点が僕には面白く、なおかつ好感を抱いた。
 ほかに、ゲストとして勝二繁が出演。

 演劇というものは一筋縄ではいかないし、続ければ続けた分、新たな課題が生れてきたりもするのだけれど、ぜひ恍惚一座の皆さんにはこれからも末長く表現活動を続けていってもらえればと強く思う。
 そして、高槻現代劇場の取り組みが今後一層盛んとなることを、心より祈りたい。
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2015年07月19日

C.T.T. kyoto vol.113 2015年7月上演会

☆C.T.T. kyoto vol.113 2015年7月上演会

*ないすばでぃプロジェクト『恋は意外と盲目』
 脚本:うつぎ、演出:ピンク地底人5号
 出演:森田深志、島あや、ピンク地底人5号他

*250km圏内『Love&Peace』(&Peaceには真ん中に横線)
 テキスト・演出・出演:黒田真史
 テキスト:宮尾昌宏、演出・出演:小嶋一郎

*あいまや『希望、指さき』
 劇作:梅野昶、演出:蜂巣もも
 出演:前田愛美
(2015年7月18日19時開演/アトリエ劇研)


 久方ぶりのC.T.T. kyoto上演会は、ないすばでぃプロジェクト、250km圏内、あいまやの、演劇三団体が出演していた。

 まずは、ピンク地底人5号を中心とした演劇ユニット、ないすばでぃプロジェクトの『恋は意外と盲目』から。
 いくつかのシーンが重なるうちに湧き表われてくるのは、なんとも言えない「おかせつなさ」。
 で、合評会で5号君が語っていた、シーンを「見せる」、演者の演技を「見せる」という言葉には充分納得がいって、確かに登場人物間のやり取りに心地よさ、面白さを感じたりもした。
 ただ、補助線が多いというか、話の筋をわかりやすくする意図で設けられた場面、箇所が若干目立つような気がしないでもなかった。
 ナイーヴさと空虚さが同居したような森田君、朴訥で誠実でありながらフラのある5号君、ともにその特性と役柄がよく沿っていた。
 また、身体表現はもちろんのこと、島さんの役回りにあわせた細かい感情表現の変化も強く印象に残った。
 同じ顔ぶれでの本公演が待ち遠しい。

 続く、250km圏内は、座・高円寺の劇場創造アカデミーの1期生(修了)である小嶋一郎と黒田真史(女性)による劇団。
 11月のアトリエ劇研での公演を前にした試演で、黒田さん、小嶋君が各々のパートを演じる。
 今現在向き合わざるをえない切実なモティーフを、演劇という方法を用いて如何に表現するかといった内容の作品で、あえて「不自然な」作品と評したくなった。
 演者として一日の長のある黒田さんの精度の高い演技と、今回が初めてという小嶋君のぶれ、揺れの大きい演技(しかし、だから面白くないというわけではない。どころか、これまたフラがある)の対比も興味深かったが、モティーフよりもスタイルが前に来るというか、モティーフがとってつけたもののように感じられるきらいがなくもなかった。
 ならば、より技の面、演劇的手法に特化した表現でもよいのではないだろうか。
 いずれにしても、11月の公演を愉しみにしたい。

 あいまやは、青年団の演出部で活動する蜂巣ももと前田愛美が一ヶ月半の制作時間で短篇作品を上演するという企画団体だ。
 当然前田さんの個性、魅力が大きく物をいった作劇だったのだけれど、それがまだ表面的な範疇に留まっているように感じられる部分が僕にはあった。
 蜂巣さんの持つ孤=個の部分だけではなく、我=表現欲求の強さと前田さんのそれとの齟齬の表われというか。
 その齟齬をどう埋めていくか、もしくはより積極的に活かしていくかで、一層明確で心的影響力の強い作品が生み出されるように思う。
 今後のさらなる活動に期待したい。

 と、バラエティに富んだ三団体で、それぞれの演劇的手法、表現内容の違いに加えて、島さん、黒田さん、前田さんという三人の女性の演技者の個性特性魅力の違いに接することができたことも、今回のC.T.T.の大きな収穫だった。
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2015年05月24日

THE GO AND MO'S第18回公演『野村の論』

☆THE GO AND MO’S第18回公演『野村の論』

 出演:黒川猛、喜劇王
 映像出演:森本研典(喜聖)、丸山交通公演(喜公子)、筒井加寿子(百喜)、ファックジャパン(喜神)、岡嶋秀昭(喜竜)
 脚本・演出:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
 照明:真田貴吉
 制作・他:丸井重樹
(2015年5月24日17時開演の回/スペース・イサン)

 ベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛のワンマン・ライヴ、THE GO AND MO’Sだが、第18回目となる『野村の論』は、「KIGEKI」祭!の副題で、あの喜劇王(あえてH江さんとだけ記しておこう)が登場した。

 ちなみに「KIGEKI」とは、1・イメージさせたい映画、2・登場させたい職業(の人)、3・使わせたい小道具の3つのお題*に従って、10分間のシンキング・タイムののち、喜劇王と挑戦者が2分間の演技を競い合うという、GOMO’Sではおなじみの映像シリーズ。
 なお、各対戦には黒川さんと丸井さんの解説が施されており、ジャッジの基準は面白いか面白くないかではなく、どちらがより喜劇的かということになっている。
(*例えば、1・スティング、2・火消し、3・霧吹き。ただし、これは中瀬が勝手に考えたお題だ)

 で、今日は、上述した面々との過去の対戦の中から、各回の名勝負1本ずつを選んで来場のお客さんが判定をくだすという趣向もあったのだけれど(全ての勝負で、喜劇王が勝利。ほかに、喜劇王と挑戦者二人によるエキシビジョン・マッチも流されていた)、やはり圧巻は喜劇王と黒喜こと黒川さんによる生・KIGEKIだった。
 特に、ベトナムからの笑い声のツートップの一方だった喜劇王は、激しくなおかつ軽快な動きと細やかで滑稽な表情仕草で、「七人の侍」、「マクドのレジ打ち」、「梯子」という容易でないお題を見事にクリアし、喜劇王の名に恥じぬ喜劇っぷりを発揮していた。
 これまでの映像ももちろん愉しかったのだけれど、やっぱり喜劇王は生が一番と改めて痛感した次第。
 黒川さんも必死のパッチのやたけた勝負。
 ブラックな方向に進んでしまうのも、その名の通り黒喜らしい。

 いずれにしても、京都の小劇場で笑いを手がける人には、ぜひともGOMO’Sの公演に足を運んで欲しいかぎり。
 ああ、面白かった!

 そして、次回第19回公演『利夫の声』は、7月4日と5日に東京の王子小劇場で開催される予定で、東京の皆さんにもぜひぜひご高覧いただきたい。
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2015年05月18日

第20次笑の内閣『名誉男性鈴子』

☆第20次笑の内閣『名誉男性鈴子』

 作・演出:高間響
(2015年5月17日15時半開演の回/シアトリカル應典院)

 あれは大学の3回生になってしばらくしてからのことだから、かれこれ25年近く前のことになるか。
 立命館大学には、女子学生の権利拡充等を目的とした女子学生委員会という組織があって(今もある?)、何かのきっかけで全学部の委員会の総会に参加することがあった。
 で、そのとき他学部の委員の女性(当方は文学部。彼女は産業社会学部だったかな)と親しくなってあれこれ話をした。
 フェミニズムや女性の社会進出の問題ばかりでなく、そのときは恋愛やセックス(処女性のこととかゲイのこととか)についても話題になった。
 その際、彼女が口にした、
「女の敵は女って言葉、いろいろと考えてしまうなあ。恋愛のこととかだけじゃなくて、それこそおっさん化しなくちゃ社会進出も出来ないだろうし。逆に、その足を引っ張る女もいるし。フェミニズムなんて糞喰らえていう女もいるし。まあ、男の問題、てかもとはといえばシステムそのものの問題もあるんだけどね」
といった趣旨の言葉が強く記憶に残っている。
 そうそう、そのとき彼女に薦められた刊行されたばかりの、エリザベート・バダンテールの『母性という神話』(今手元にあるのは、ちくま学芸文庫版)は、今も愛読書の一つだ。
 それにしても、リベラルな姿勢で知られた小山内美江子が執筆した脚本の人気ドラマで一世を風靡した元アイドルが「八紘一宇」だなどと国会で口走らされたり、極端で稚拙極まる思想信条の持ち主がこの国初の女性首相か?などと持ち上げられたりするような今の惨状を、彼女は想像しえただろうか。

 昔話はこれくらいにして。
 舞台は岡山県の南アンタレス市(南アだよ、南ア)。
 3期12年間務めた現市長の後継者に指名されたのは、市議会議員の黄川田鈴子。
 「輝く女性の未来のため」初の女性市長となるべく、選挙戦を戦う彼女だったが…。
 といった展開の、第20次笑の内閣『名誉男性鈴子』は、タイトルにもある通り、男性上位社会の中で、戦略手段としてだけではなく、精神的にもマチズモに侵蝕されてしまった女性政治家=名誉男性とその周囲の人々の姿を通して、現在のこの国の性(ジェンダーとセックス双方)の問題や差別の問題、社会的圧迫等、様々な問題を描き上げようとした作品である。
 まずはそうした事どもが、借り物の言葉でなく、高間響自身の「我が事」として語られていたことに、僕は共感を覚えた。
 むろんそこは、高間上皇と笑の内閣だから、くだらないこと百も承知のくすぐりや下ネタ(松田裕一郎の表情!彼の部屋ですき焼きパーティーをやったときの発言の数々をすぐさま思い出してしまう)、さらには他団体への当てこすり等々、笑の仕掛けもふんだんに用意されているのだけれど、そのことに加えて、伊丹想流私塾での研鑚もあってか、前回の第19次笑の内閣の『超天晴!福島旅行』(2014年10月19日、アトリエ劇研)より一層、劇の構成や台詞遣いなどに洗練というか、まとまりを強めてきているように僕には感じられた。
 だからこそ、登場人物の人物像のさらなる描き込みや、いったん築かれたピーク以後の処理などより精度を求めたくなる部分も少なくはなかったのだが、やはり高間上皇のそうした変化はきちんと指摘しておくべきだとも思う。
(プラスの意味でのアクの強さや濃さは残しつつも、髭だるマンなど、そうした変化に反応していたのではないか。彼があまり見せないようにしている内面の繊細さやナイーブさをあえて高間上皇にはもっと引き出してもらいたい)

 演者陣では、まずもって黄川田鈴子を演じたピンク地底人2号が強く印象に残る。
 単なるキャラクター的な魅力や、表現力、エネルギーばかりではなく、ピンク地底人や「ピンク地底人2号と浅田麻衣のろうどくの会」(あいにく未見)での一連の経験とそれが導き出したものも透けて見える演技だった。
 また、重要な役回りを担った楠海緒も、高間上皇のあて書きもあってだろうけれど、良い意味での彼女の自己顕示性や賢しさが役柄とよくシンクロしていた。
 達者なしゃくなげ謙治郎と黒須和輝、安定した金原ぽち子、真摯な廣瀬愛子、雰囲気のよい大牧ぽるんに石田達拡と、ほかの演者陣も、経験の長短や技術の巧拙といった各々の課題はありつつも、個々の魅力と特性を発揮していた。
(由良真介も一部出演)
 さらなる高間上皇の作劇の変化に演者陣がどう沿っていくか、もしくはそうした変化にキャスティングをどう合わせていくかが、笑の内閣の今後の課題になっていくのではないだろうか。

 残すところ公演もあと1回。
 多くの方々にぜひともご覧いただければ。
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2015年05月15日

ドキドキぼーいずの革命的戦争#5『愛と退屈の国』

☆ドキドキぼーいずの革命的戦争#5『愛と退屈の国』

 構成・演出:本間広大
(2015年5月15日16時開演の回/アトリエ劇研)

 転換点である。
 マクロにおいてもミクロにおいても。
 社会的状況、情勢と個々人の生活を安易に結び付け全てを解釈することほど単純なことはないが、かといって、両者を完全に切り離して別個のものと扱うことは、あまりにもナイーブで観念的、もしくは意図的で政治的に過ぎる。
 自己自身の存在や自己と他者の関係性について問うことの多い表現者とて、いや、ならばなおのこと、マクロな状況、情勢に大きな影響を受けるとともに、それとの向き合い方について一層敏感にならざるをえまい。
 大なるものの変化が小なるものの変化を呼び起こす。

 ドキドキぼーいずの革命的戦争#5『愛と退屈の国』は、そうした二重の意味での転換点を如実に反映した作品となっていた。
 ブラック・ボックスというアトリエ劇研の構造を活かした舞台上で演者陣は、この国でこれまでに起こったことや、現在起こりつつあること、さらにはこれから起こり得るかもしれないことどもをすぐさま想起させるようなエピソードと、それがもたらすムードやアトモスフェア、メンタリティ(実はマンタリテって言葉のほうがなじみいいのだ、西洋史を研究していた人間には)を表してみせる。
 と、こう記すと、メッセージ性にのみ力点を置いたプロパガンダ劇のようなものを想像される方もおられるかもしれないが、そこは本間君である。
 「開演前にお読みください。」と大きく書かれた公演パンフレットにも記されているような、それぞれの役(登場人物)を与えられた俳優が演じる「劇中劇」という設定をとったり、本間君のこれまでの作品と共通している現代演劇の諸手法の援用ばかりか、先行する諸作品の引用を行ったり、史実を作中に取り込んだりすることで、一方的なメッセージの強調と羅列を用意周到に避けている。
 途中意図されている以上の「退屈」を感じた場面もなくはなかったが、本間君の強い危機感が劇的に示された終盤の切迫感には心を動かされたし、強い危機感を抱くからこそ、演劇という表現活動を信じ続けようとする本間君の意志を感じ取ることもできた。
 そしてそれは、小なるものの変化によって、大なるものの変化と自覚的に向き合い続けると言い換えても誤りではないだろう。
(一方で、「愛」の部分というか、本間君の一連の作品と繋がる彼の想い、希求するものやことが『愛と退屈の国』にうかがえたのもやはり忘れてはなるまい)

 ドキドキぼーいずの松岡咲子、佐藤和駿、ヰトウホノカ、井戸綾子、すっ太郎に加え、客演の勝二繁、諸江翔太郎、片岡春奈の演者陣は、6回目(今日2回目。公演数が多い…)ということもあってか、粗さを感じる部分も少なくなかったのだけれど、本間君の意図や意志、作品世界に沿う努力を重ねていた。
 ただだからこそ、プラスの意味でも、そうした作品世界や本間君の意図や意志と演者それぞれの齟齬、距離の遠近、並びに演者個々の課題(技術的な巧拙ではなく、表現者としての意識というか)が大きく現れていたことも事実である。
 そうした部分をどう処理していくのか。
 それを個性として尊重強調することでより拡般された作品世界を生み出していくのか、それともさらに本間君の意志を徹底させた凝集力の強いアンサンブルを目指していくのか。
 そういった意味でも、ドキドキぼーいずという集団にとってこの『愛と退屈の国』は、大きな転換点となる作品のように僕には思われる。

 いずれにしても、ドキドキぼーいずの次回の公演を心待ちにしたい。
 残すところ5公演、多くの方にご覧いただければ。
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2015年05月08日

努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』

☆努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』

 作・演出:合田団地
(2015年5月7日19時半開演/シアトリカル應典院)

 努力クラブの9回目の本公演となる『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観た。
 好みは大きく分かれるだろうし、この作品の弱点欠点を指摘するのも容易だ。
 演者陣との兼ね合いも絡んでだろうが、場面数や転換のさせ方、ピークの置き方等、その結構には様々な課題があって、全体的に長さを感じたことは事実である。
 しかしながら、そうした負の部分を承知してもなお、僕は今回の作品に強く心魅かれるものがあった。
 と、言うのも、川北唯と森田深志の演じる登場人物の言葉を通して、合田団地の現実及び現状に対する認識や内面の感情、距離感、空疎感、諦念、切実さ、タナトスがストレートに、のみならずスリリングに表されていたからだ。
 むろん、それらはこれまでの合田君の一連の作品、努力クラブの一連の公演と通底するものだけれど、川北さんに加え森田君を得ることによって、合田君が一層リリカルで巧妙な言語感覚を前面に押し出すことが可能となったことも、やはり否定できまい。
 配役のアンバランスも辞さず、彼女彼らに重点を置いた合田君の作劇を僕は評価したい。
 実際、川北さん、森田君ともよく努めていた。
(単に「あて書き」という言葉に留めることが陳腐に過ぎるほど、合田君は川北さんの特性をよく踏まえたテキストを与えているし、時として心の揺れが演技に直結してしまうきらいの強い川北さんも、合田君の想いに充分に応えている)
 また、三田村啓示(二重の意味で「おかしい」)と山本麻貴(自分自身の今をよく引き受けている)に何日もの長を感じるとともに、キタノ万里もこの間の経験がよく活きているように思われた。
 ほかに、大石英史、ピンク地底人5号、木下圭子、九鬼そねみ、佐々木峻一、横山清正も、それぞれの長短はありつつも、合田君の意図に沿う努力を重ねていたのではないか。

 最後に、部外者が軽々に言葉にすべきことではないと承知の上であえて記すが、今回の公演を観て(上述した諸々のことを目の当たりにして)強く感じたことは、合田君ばかりでなく、佐々木君、九鬼さんにとっても、もはや努力クラブという枠組にとらわれないほうがよいのではないかということである。
 それは言い過ぎとしても、今は、各々が各々のスタンスとスタイルによって自らの表現の幅を広げ、精度を高めることこそ、個々人はもちろん努力クラブという集団にとっても大きなプラスになるように僕には感じられてならない。

 初日ゆえの粗さは、徐々にかたまっていくはずだ。
 来週月曜日までの公演。
 ああ、面白かった!
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2015年04月19日

ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』

☆ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』

 作・演出:筒井加寿子
(2015年4月18日14時開演の回/アトリエ劇研)

 久しぶりのルドルフの公演は、寓話性の強いファンタジー。
 と、まとめるとちょっと安易だな。

 周りを砂漠に囲まれた王国「エネル」は、姿形もほぼ人間そっくりな人造人間「アルバ」の生産によって経済的な繁栄や隣国との緊密な友好関係を維持している。
 ところが、そんな「アルバ」に原因不明の感染症が蔓延し…。

 といった展開の『COLLAPSAR』(ちなみに、コラプサーとは、「崩壊した星」「ブラックホール」を意味する由)に触れれば、どうしても今現在私たちが対峙している諸状況について想起せざるをせないだろう。
 ただし、この作品をそうした観点からのみとらえるとすれば、それは一面的に過ぎるとも思う。
 自問自答、のみならず自問他答、じゃない他問自答を促す作品というか。
 そこには諸状況、社会と如何に向き合うかも含まれているだろうけれど、加えて、ある種「絶対、大丈夫じゃない」状況の中で自分自身の逡巡、弱さとどう向き合っていくかについて自らに問うこと、さらにそうしたプロセスを経てそこからどう進んで行くかということにも力点が置かれた作品だったように、僕には感じられた。
 そしてそれは、筒井さんのこれまでの一連の作品に通底するモティーフであり、そのバリエーションであるようにも感じられた。
 で、このように記すと、何かしんねりむっつりとしてしかめ面したとっつきの悪い物語のように思われるむきもあるかもしれないが、そこは筒井さんである。
 いわゆる「邪劇性」や、ひいて見る滑稽さを織り込みながら、観ていて疲れのこない舞台に仕上げていた。

 大熊ねこ(圧倒的な女王)をはじめ、クールキャッツ高杉、多田勘太、川本泰斗、柿谷久美子、渡辺綾子、岩崎果林の演者陣は、感情表現のギアのチェンジの多い役回りを好演していたのではないか。
 もちろんそれには、個々の演者の特性魅力を踏まえた筒井さんのテキストと演出の力もあるのだけれど、それが各々のやりやすい範囲に留まるのではなく、もう何ステップか上のところに目標が設けられていたように思われたことも、やはり忘れてはならないだろう。
 アクターズ・ラボの公演クラスで筒井さんに師事した多田君、川本君、柿谷さん、岩崎さんに特にその収穫を感じた。

 上演時間の2時間が短く感じられる作品であり、公演であった。
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2015年04月11日

トリコ・A×CHAiroiPLIN/安部公房作品合同上演プロジェクト

☆トリコ・A×CHAiroiPLIN/安部公房作品合同上演プロジェクト

*トリコ・A『An Object Tells』

 原作:安部公房(小説『棒』)
 構成・演出:山口茜
 振付:松本成弘

*CHAiroiPLIN『FRIEND』〜踊る戯曲1〜

 原作:安部公房(『友達』)
 構成・演出・振付:スズキ拓朗
(2015年4月11日16時開演/元・立誠小学校音楽室)


 CONDORSのメンバー、スズキ拓朗が主宰を務めるCHAiroiPLINにとって初の京都公演となる、トリコ・A×CHAiroiPLIN/安部公房作品合同上演プロジェクトを観たが、このスズキ拓朗とCHAiroiPLINは掛け値なしに目の離せない表現者であり団体であると思い知らされた。

 2013年度の若手演出家コンクール最優秀受賞作品である『FRIEND』は、安部公房の『友達』をスズキさんが仕立て直したもので(登場人物も数人増減がある)、「踊る戯曲」という看板に全く偽りはない。
 結婚を間近に控えた一人暮らしの男のアパートの部屋に、父母祖母と娘3人息子3人しめて9人の家族がやって来る。
 男は早速家族を追い出そうとするものの…。
 といった展開は、都市における個の孤独や孤立だとか、自己存在の不安定さだとか、集団組織の持つ悪意だとか、まさしく安部公房ならではのものだが、粒揃いの演者陣はときに激しくときに穏やかな身体の動きを駆使して、それらを巧みに表現していく。
 むろんそこは踊りの骨法をよくわかったスズキさんだけに、アンサンブル、個々人ともども見せ場魅せ場を設けることも忘れない。
 終盤の「ぶち壊し」(もしくは祭とでも呼ぼうか)の場面等々、心底ぞくぞくとさせられた。
 加えて、原作からの場面や台詞のチョイスも的確だし、例えば家族たちの風体などに到るまでテキストの背景にあるものへの配慮も行き届いている。
 また、狂言回し的な存在を演じる清水ゆり(あるシーンの表情がとてもいい)のアコーディオンと「ソング」等、生音あり物ともに音楽が効果的に使用されている点(まず冒頭の選曲!これでもう唸った)や、映像の活用も安部公房と彼が影響を受けた先達たちの作品世界によく則っていると思う。
 痛切切実でありながら、滑稽さ毒っ気にも満ちたバランス感覚のよさにも非常に好感が持てた。
 終了後、観て本当によかったという想いにじわじわじわじわと包まれる濃密な作品であり、上演だった。
 ああ、面白かった!

 一方、トリコ・Aの『An Object Tells』は、現在アトリエ劇研の「アソシエイトアーティスト・ショーケースBグループでも上演中。
 同じく安部公房の『棒』を山口茜が構成演出したもので、こちらもダンス(松本成弘の振付。個性的な風貌と強固な身体表現の持ち主)が積極的に織り込まれた作品となっていた。
 ワークインプログレス、今後完成される作品の試演といった形のため、筋が通り切れていない感は否めないものの、だからこそ茜さんの本質というか、核となるものが如実に示されていたようにも思う。
 そして、そうした内容であることと、演者が全て男性ということもあって、全て女性によって演じられた2011年7月のC.T.T. vol94における『ポストムーミン』(1日、アトリエ劇研)のことを思い出したりもした。
 演者陣の中にはこれまでダンスとあまり関わりのなかった人も含まれていたが、ラストの乱舞などなど、皆奮闘していた。
 どのような作品が出来上がるのか、とても愉しみである。

 それにしても、スズキさんやCHAiroiPLINの面々には、今回の公演をきっかけにして今後も末長く京都で公演を行っていって欲しい。
 今年8月に予定されている次回公演、踊る漫画『鳥獣戯画』(仮)(東京。シアタートラム)も、気になるなあ。
 ほんと、東京まで観に行こうかな。
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2015年03月25日

横山清正の一人芝居『不気味』

☆横山清正の一人芝居『不気味』

 出演:横山清正
 脚本:作道雄、小川晶弘、丸山交通公園、月亭太遊
(2015年3月24日20時開演/人間座スタジオ)


 昨年2月のひとり芝居と落語「すてき」(AB両ブロックとも、2014年2月16日/壱坪シアタースワン)に続く、横山清正の一人芝居企画「不気味」が開催されるというので、迷わず観に行って来た。
 ついこの間まで、『カルデモンメのゆかいなどろぼうたち』の稽古で自分も絞られてきたばかりだからあえて記すのだけれど、正直横山君は器用な演者ではないと思う。
 その横山君が、一筋縄ではいかない四人の造り手の一人芝居に挑んだという点を、僕はまず高く評価したい。

 で、実は隣席の若い客人の不遜な態度に業を煮やして(東京裁判時の大川周明になりそうだった)、三本目からは客席端の地べたに座って観劇したものだから感想を書こうか書くまいか最後まで迷ったが、横山君の熱演に加え、脚本のほうも各々の魅力がよく示されたものだったこともあり、やはり書いておくことにする。

 で、まずは作道君の作品。
 三脚にセットされたビデオ(デジタルカメラ)を前に自殺しようかなどと口にする男、という設定で一瞬丸山君かなと思ったが、六角精二というワードの登場で、あっ作道君だと気がついた。
 どこに何を置いて、どこに笑わせ場を設けるかという見通しがよくつく脚本だ。

 続くは、小川君の作品。
 妻に子供ができたらしいが、それを素直に喜べない男の話。
 一例を挙げれば、「いやいやいやいや」といった言葉遣い、言葉の調子で、小川君の本であることがわかる。
 小物(チョコレート)を効果的に使ったりもして、小刻みに笑いを仕掛けていたが、器用でない横山君に「器用」でいたい、ありたいと言わせていることも僕には面白かった。
 終息のさせ方も小川君らしい。

 三本目の丸山君の作品は、予想通り自殺自死が重要な主題となるスケッチ。
 何度自殺に挑んでも死ねない男が、飛び降り(自殺)を見世物にする芸人となるが…。
 という展開には、ニール・サイモン/チェーホフの『名医先生』中の「水死芸人」をすぐに思い出した。
 一瞬生の輝きを覚えた男が、すぐに追い詰められていくあたりの苦々しさ、狂おかしさは、まさしく丸山印である。
 音声の使用も効果的だったが、より無機的というか、ドキュメント感が強くてもよかったかもしれない。

 さて、どんじりに控えしは月亭太遊。
 社交ダンスの先生あたりにぴったりのフリルつきのシャツを身に着けた男が紡ぐ、不思議で切実な物語。
 ゲイという言葉が飛び出しつつも、それがギャグのネタなどではなく、話の重要な鍵となっているあたり、当然のことながらネオラクゴの世界観と大きく結び付いている。
 表現することの意味、表現することによって何と向き合うかについてもしっかりと言及された内容で、とてもしっくりときた。
 公演のラストに演じられるに相応しい作品だったと思う。

 と、こうした四者四様の脚本に、横山君は真摯に対峙していたのではないか。
 一つ一つのテキストの要所急所の的確な再現という意味では、技術的にも精神的にも課題は少なくないし、作品によっては横山君の本質特性と書き手のそれとの齟齬を強く感じたりもしたが、まずは二回の公演を演じ切ったことを労いたい。

 残念だったのは、丸山君や合田団地、鯖ゼリー、中西みみずによるアフターイベント「すてごろ演芸会」つきのお昼の回を観ることができなかったこと。
 こちらにしておけば、不快な想いをしなくてもすんだのかもしれなかったわけだし。

 それにしても、横山君の声って千葉繁(『うる星やつら』のメガネ)の声にそっくりだなあ。
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2015年03月22日

月亭太遊の○○落語研究会G

☆月亭太遊の○○落語研究会G

(2015年3月21日19時開演/祇園花月)


 月亭太遊さんの肝入りで、落語家さん以外の漫才師さんやピン芸人さんが落語に挑む「月亭太遊の○○落語研究会G」。
 祇園花月では二回目となる今回も、バラエティに富んだ内容となっていた。

 で、まずは「ふつう」の落語ということで、桂あおばさんが『秘伝書』を演じる。
(って、前回桂三河さんも『秘伝書』を演じてなかったっけ)
 「月々100円で暮らす方法」だとか、「若い女の子にキャーキャー言われる方法」だとか、様々な秘伝が記された本を購入してはみたものの…。
 といった内容だが、あおばさんは会場の反応をうかがいつつ、しゃきしゃきとテンポのよい話しぶりで笑いをとっていた。
 それにしても、よくできた噺だなあと改めて思う。

 そして、ここからが○○落語研究会の○○落語研究会たるゆえん。
 東京ロマンポルノの緑川まりさん(余談だけど、同姓同名の声楽家のことをすぐに思い出す。で、こちらの緑川まりさんのツイッターのアイコンの写真がオペラ歌手っぽくて笑ってしまった)が、「女将」落語を手がける。
 相撲部屋の女将の秘めたる恋を題材にした作品で、落語家さん以外ではトップバッターということも加わって勝手の掴みにくさを感じさせてもいたのだけれど、単に女性の登場人物がやりやすいということだけではなく、しっかり女性性を踏まえたネタに仕上げていた点は興味深かった。
 ピンでのネタや、東京ロマンポルノでのネタを聴いてみたい。

 ヒューマン中村さんは、得意のフリップ芸を封印した「ノーフリップ」落語。
 『寿限無』の現代的なバリエーションと呼ぶべきかな。
 お腹の中の子供をどう名づけるか、ついついキラキラとした名前を付けたがる妻とそうはせたくない夫のやり取りを中心とした展開となっていて、そのキラキラ・ネームの数々が面白かった。

 前半最後は、銀シャリ橋本直さんによる「クチビル」落語。
 「USJに『サザエさん』のアトラクションが造られた」という展開なのだけど、王道『サザエさん』であるのに、火曜日(再放送)のテーマ音楽等、あえてマニアックなネタを仕掛けてくるのも嬉しい。
 大いに盛り上がっていた。

 中入り代わりの大喜利では、「サクラ」や「うどん」といった事前にお客さんからいただいたお題でなぞかけを行う。
 ここでも橋本さんの言葉遊びのセンスが十二分に発揮される。

 後半は、前回に続く出演のコーンスターチ岡本雅典さんから。
 「小器用」落語だが、うどんを食べる仕草や扇子などの扱い、確かに器用だ。
 今回は妻の出産を前にした夫たちのとぼけたやり取りを描いて、小刻みに笑いをとっていた。

 KBS京都・月面クロワッサンの『ショート・ショウ2』の第2話で独特の個性を披歴していた守谷日和さんは、名前にちなんで『日和違い』に挑む。
 『日和違い』といえば、今は亡き桂枝雀さんが取り上げていたっけ。
 一筋縄ではいかない噺だけれど、守谷さんは表情等々自分らしさを織り込みつつ演じ切った。
(以前の○○落語研究会でネタがとんだことがあって「ネタトビ」落語を名乗っていたが、今回はもちろんネタはとばなかった)

 これまた前回に続く出演となる、プリマ旦那野村尚平さんは「落語」落語を称するだけある本格派だ。
 今夜は自作をぶつけてきたが、長く連れ添った夫婦間の感情のもつれ合いに男同士の友情をまぶしつつ、しっかり笑いを絡めてくるあたり、巧い巧い。
 エンディングで、自作と言われるまでは、はてこんな新作落語あったかなと思わされたほどだった。

 トリは太遊さんの十八番『たまげほう』。
 ネオラクゴの原点とでも呼ぶべき作品だけれど、祇園花月のような大きな小屋にもよく合っていると再認識する。
 「たまげほう」に関する記者会見が行われる会館に訪れるあたりをはじめ、伝えたいことがよく示された内容ともなっていて、やはり面白い。

 と、19時開始で21時半頃終演の長丁場、皆さん本当にお疲れ様でした。
 そして、次回の顔ぶれや如何に!
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2015年02月16日

ルサンチカ『楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜』

☆ルサンチカ(第36回Kyoto演劇フェスティバル特別企画)
 『楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜』

 作:清水邦夫
演出:河井朗
(2015年2月15日17時20分開演/京都府立文化芸術会館ホール)


 昨年の京都学生演劇祭の『星の王子さま』(寺山修司脚本。2014年9月1日、元・立誠小学校音楽室)で鮮烈な印象を遺したルサンチカが、京都演劇フェスティバルの特別企画で清水邦夫の『楽屋』をかけるというので迷わず足を運んだ。

 緞帳が上がって、京都府立文化芸術会館ホールの広い舞台宙間全面に吊られた色とりどりの衣装にまずは目を奪われる。
 視覚的効果がよく考えられている上に、作品世界によく沿った舞台美術だと感心した。

 そして、舞台横一杯の長椅子で模された鏡台前では四人の「女優」たちが、滑稽さを醸し出しつつも、演じることの業や、虚と実、生と死のあわいを克明に描き出した切実で痛切な物語を演じ切っていた。
 特に、この世の者ならぬ三人の「女優」が客席へと下り立ち台詞を口にし始める幕切れに、より乾いた表現を求める人間でありつつも、やはり心を動かされた。
(清水さんの夫人で昨年亡くなった松本典子が演じたベテラン女優を片山将磨に、空襲で亡くなった戦前の女優を地道元春に配したのも、そうしたことと深くかかわっているのではないか。単純にキャスティングの妙というだけではなく)

 また、演者ごとの見せ場がしっかりと織り込まれたテキストは、演じることの快楽や役者の性をよく知る河井君らしい選択であるとともに、チェーホフの『かもめ』で始まり、三好十郎の『斬られの仙太』を挟んで、再びチェーホフの『三人姉妹』の引用で終わるという展開は、表現者としても一個の人間としても、今現在とどう向き合っていくかという意味で納得のいく選択だった。

 上述した片山君と地道君のほか、永井茉梨奈(この人の達者さはfukui企画の二本立てで承知している。そうそう、『楽屋』を観ると、小澤栄太郎との恋愛関係も引き金になって自殺した俳優座の堀阿佐子のことをいつも思い出すんだった)、中村彩乃(今後ますます目を離せない存在になると思う)の演者陣も、ホールの間尺に負けることのない密度の濃い演技を行っていた。
 当然、よく考えられた配役であることも忘れてはなるまいが。

 残念だったのは、今回の公演が今日一回だけだったことだ。
 公演を重ねることによって、さらに練られ、さらに調整される部分もあるはずだろうから。
 そのことが、僕には本当に残念でならない。

 ああ、面白かった!
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2014年12月21日

THE GO AND MO'S 第16回公演『橋本の怨』

☆THE GO AND MO’S 第16回公演『橋本の怨』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
(2014年12月21日13時開演の回/壱坪シアタースワン)


 年の瀬年の暮。
 黒川猛のワンマン・ライヴ、THE GO AND MO’Sの第16回公演『橋本の怨』は、サイトウさんづくしのサイトウさん祭り。
 おなじみ、弁士斉藤(斎藤)○○美が、もっちゃりねちゃりとした語り口で言葉遊びの限りを尽くす。
 まずもって黒川さんのバーバルセンスの豊かさが光っていた。
 また、斉藤さんネタを仕立て直した創作落語『恩返し』は、キャラクターづくりと畳みかけがよく決まり、なんとも面白かった。
 映像による『英雄〜Episode final』では、いつもの如く「英雄」が大活躍。
 一方、『KIGEKI〜喜劇王VS百喜』では、いつもの「喜劇王」が安定の力技を披歴するとともに、初の女性挑戦者(とってもキュート)の登場にちょっとびっくりもした。
 そして、斉藤さんネタによる短篇映画『百石物語』での森本研典!
 約2時間の圧巻でした。
 そして、次回第17回はなんと東京での開催とのこと。
 いずれにしても、THE GO AND MO’Sの今後の公演が愉しみだ。
 多くの方にぜひともご覧いただきたい。
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2014年12月13日

katacotts 第4回公演『料理昇降機(The Dumb Waiter)』

☆katacotts 第4回公演『料理昇降機(The Dumb Waiter)』

 作:ハロルド・ピンター
 訳:喜志哲雄
 演出:戸谷彩
(2014年12月13日19時開演の回/スペース・イサン)


 戸谷彩が主宰する演劇企画、katacottsが第4回目の公演で上演したのは、ハロルド・ピンターの二人芝居『料理昇降機(The Dumb Waiter)』だ。
 ピンターの『料理昇降機』といえば、かつて小林信彦が、萩本欽一と坂上二郎のコント55号による上演を企図したことをすぐに思い出す。
 と、言っても、コント55号だからおもろいコント・喜劇の類いと思ったら、これが大間違い。
 料理昇降機が設置されたある部屋で、ベンとガスの二人の殺し屋は、わかるようでわからないわからないようでわかる、なんとも不可思議な状況に追い込まれ…。
 といった具合の、いわゆる「不条理劇」となっている。
 で、こうした一筋縄ではいかない作品を、今回katacottsが取り上げた意欲をまずは買う。
 またテキストに対して楷書的な読み込みを行う一方、演出の戸谷さんは、ラストの処理や舞台美術、音楽など独自の作劇を試みていたと思う。
 ただ、コント55号云々は置くとしても、滑稽さやふくみ等、作品の持つ幅の広さが再現しきれていないもどかしさ、感情表現の平板さを感じたことも残念ながら事実だ。
 加えて、小物の使用で若干疑問を感じた点もあった。

 ガスの菅原陽樹は、ライヴ特有の傷と演技のクセはありつつも、ガスというキャラクターの造り込みに努めていた点を高く評価したい。
 他方、ベンの山野博生は、彼自身の性質が強く出た演技。
 そのこと自体はよしとして、怒りや憤り、消耗といった表現が、ベンと重なり合うことなく、彼本人の感情として表れてしまっているように感じられた点は、やはり厳しく指摘しておかなければなるまい。

 いずれにしても、戸谷さん、菅原君、山野君の今後の研鑚と活躍を心から祈願したい。
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2014年12月07日

日本海 第一波『カゾクノカタマリ』

☆日本海 第一波『カゾクノカタマリ』

 作・演出:勝二繁
 演出助手:宮路花梨
 音響:森永キョロ
 照明:鄒樹菁
(2014年12月6日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 小嶋海平、勝二繁、浦島史生(残念ながら、今回は不参加)という、日本海側出身の三人が立ち上げた新たな演劇ユニット、日本海の第一回目の公演となる第一波『カゾクノカタマリ』を観たが、そのタイトルに相応しい家族と真正面から向き合う作品に仕上がっていた。
 月曜日まで公演があることもあって詳しい内容については触れないけれど、親子兄弟といった家族にまつわる断章が、登場人物=演者を固定することなく演じられていく。
 家族の持つ暖かさ、繋がりの深さとともに、家族の持つ負の部分や桎梏、有限性についても言及されていて、それが等身大というか、多くの人に起こり得る身近なエピソードという形で積み重ねられていることもあり、どうしても自分自身と家族とのあれこれを思い起こさざるをえなかった。
 そして、「それでもなお」「だからこそなお」という希望が示されている点にも好感を覚え、心を動かされた。
 日本海の二人をはじめ、岩崎果林、織田圭祐、梶川貴弘、木下圭子、小中太、高山涼、出村弘美、松恨倫子の演者陣も、ライヴ特有の傷や粗さ、経験特性の長短はありつつも、作品の本質と真摯に向き合ったアンサンブルを生み出していた。
 また、そうした作品世界や演者陣を十分十二分に支えた照明や音楽音響の存在も忘れてはならないだろう。
 いずれにしても、観てよかったと思える作品であり、公演だった。
 ああ、面白かった!
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2014年11月30日

夕暮れ社 弱男ユニット『プール』

☆夕暮れ社 弱男ユニット『プール』

 作・演出:村上慎太郎
 美術:小西由悟
(2014年11月30日16時半開演の回/京都芸術センターフリースペース)


 『プール』なんてタイトルを目にすれば、昨年6月の『夕暮れ社、海のリハーサル』(元・立誠小学校講堂)ではないけれど、それこそ機で奇をてらった水辺のスケッチで攻めてくるんじゃないのかしらと思っていたらなんのなんの、はじめ父と娘の親子関係や職場の人間関係を淡々とコミカルに、途中一気にシリアスに、そして終盤泣かせどころを仕掛けて、ラストで「夢」を与えるという結構オーソドックスな展開で、これはまんまと予想を裏切られた。
 いやまあ、高槻やビギナーズユニットの『ナツヤスミ語辞典』での最近の村上君の成果を考えれば、実はこうした作劇は全く不思議なことではないのだが。
 それに、小山田浩子の小説『いこぼれのむし』を彷彿とさせる、単調で閉塞した労働環境の中で発生する集団内の悪意(それはもしかしたら、村上君自身の実際の体験の投影かもしれない)が、いつもの如く一見何気なく、その実大変極まる肉体の駆使を通して表現されていたり、個々のキャラクターを活かしたデフォルメの効いた笑いの仕掛けが施されていたり、藤居知佳子の歌唱(重光美沙の伴奏)等音楽が効果的に利用されていたりと、夕暮れ社 弱男ユニットならではの特性も十分に発揮されていた。
 筋運び、物語の設定を細かく追えば、無理を通したように感じられる部分もなくはなかったが、後述演者陣の演技の力によってもよく補われており、強く心を動かされた。
(もちろん、稲森明日香をはじめとした夕暮れ社 弱男ユニット・メンバーの総合的なサポートも忘れてはならないだろう)

 『ナツヤスミ語辞典』からさらに濃度を高めた南志穂のほか、ベテランの小坂浩之、阪本麻紀、さらには御厨亮、向井咲絵、伊勢村圭太、稲森さん、藤居さん、佐々木ヤス子、佐々木峻一の演者陣は、個々の役回りによく沿った演技を重ねていたと思う。
 「労働」、「水泳」と本当にお疲れ様でした。

 一層密度の濃い王道中の王道を歩むのか、それとも、良い意味でなんともくっだらねえ作品をぶつけてくるのか。
 いずれにしても、次回の公演が待ち遠しい。
 ああ、面白かった!
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2014年11月28日

劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二 Vol.3『秘傘!雨の叢雲〜傘を刺す、五月雨〜』

☆劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二Vol.3
 『秘傘!雨の叢雲〜傘を刺す、五月雨〜』

 作・演出:しゃくなげ謙治郎
(2014年11月28日18時開演/京都市東山青少年活動センター創造活動室)


 前回の公演から約1年3ヶ月ぶりに、劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二が帰って来た。
 題して『秘傘!雨の叢雲〜傘を刺す、五月雨〜』。

 許しがたき仇、葵村雨(髭だるマン)を討たんと復讐の念に燃える五三桐五月雨(国本拓也)は傘一本を手に立ち上がるも…。

「ちょっと古い時代の少年漫画として書きました」
 と、公演プログラムに、しゃくなげ謙治郎自身記しているが、物語の設定や展開、登場人物の台詞遣いなど、確かに昭和の香りがする群像活劇に仕上がっている。
 公演が続いているので、詳しい内容は観てのお愉しみだけれど、細かいくすぐりやバラエティ色豊かな息抜きの場面はありつつも、基本は本気のエンターテインメント。
 悪とは正義とは…、という主題も、こうした作品には王道中の王道と言ってよいだろう。
 ただ、それが単なる「お約束」にとどまらず、前回のVol.2『夢の無い国からの男』ともつながる、しゃくなげ謙治郎ならではの主題であることも、やはり忘れてはならないだろうが。
 登場人物間の関係にまどろこしさを感じたり、場面場面の処理に粗さを覚えたりはしたものの、約110分、飽きることなく観終えることができたこともまた確かだ。

 上述の二人や、てんま1/2、しゃくなげ謙治郎、勇宙香ら和田謙二おなじみの顔ぶれをはじめ、竹本てん、大休寺一磨、上山裕子、翠の子ぎつね、中村彩乃、姉川やえの演者陣も、個々の経験の差やライヴ特有の傷(ちょっと今夜は目立ったかな)はありつつも、作品世界に沿った演技とキャラクターづくりに努めていた。
(京都学生演劇祭で接した竹本さんや中村さん、大休寺君、翠の子ぎつねさんらの活躍をこうして目にすることができるのは、観劇レポーターを務めた人間としては、実に嬉しいかぎりである)

 活動を継続していくこと自体、いろいろと大変なこともあるかと思うが、劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二の次回公演を心待ちにしたい。
 明日明後日と、3回の公演が残っている。
 ご都合よろしい方はぜひ。
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2014年11月25日

コントユニット左京区ダバダバNF公演『京大マーガレット研究会〜総長暗殺大作戦〜』

☆コントユニット左京区ダバダバ
 『京大マーガレット研究会〜総長暗殺大作戦〜』

 作・演出:寺岡慎一郎
(2014年11月24日16時半開演/京都大学吉田南キャンパス4号館4共11教室)


 本年度の京都学生演劇祭で強い印象を残したコントユニット左京区ダバダバだが、タイトルからして『京大マーガレット研究会〜総長暗殺大作戦〜』とNF祭でもやってくれた。
 上演時間が学生演劇祭の45分から75分へと長くなった分、ダバダバの本領はそのままに如何に内容を彫琢していくかが課題かもと思ったりもしたが、映画好きにはたまらない引用援用もじりにオマージュをはじめ、京都学生演劇祭での諸々も踏まえたずらし崩しの様々な仕掛け、それより何より、単なるくすぐりばかりでなく精神性においても京都大学のNF祭で上演される意味を全面に打ち出した展開と、彼彼女らの魅力特性が十分十二分に示されていたと思う。
 ライヴ特有の傷はありつつもそれがまたよい味、演者陣も熱演巧演を繰り広げていた。
 ぜひぜひ次回の公演も愉しみにしたい。
 京大生以外、演劇関係者以外も、コントユニット左京区ダバダバを見逃すな!
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元祖「  」本家

☆元祖「  」本家

(2014年11月24日14時頃開演/京都大学吉田南キャンパス4号館4共11教室)


 あの「  」会が京都大学のNF祭に帰って来た。
 その名も元祖「  」本家。
 出演者みんなである歌の二番目の歌詞を考えていく「二番」、用意された衣裳に着替えてエチュード的なスケッチを演じる「衣替え」、架空のお芝居の稽古を造り出してみせる「場当たり・きっかけ」、あらかじめ空白部分のある文藝作品を与えられたスタイルの言葉で出演者が埋めていく「穴埋め朗読会」等々、玉木青らしい機智に富んだ出し物が繰り広げられた。
 「シンガーソングライター」で美声も響かせた鯖ゼリーをはじめ、井田勝也、小川晶弘、垣尾玲央菜、北川啓太、永榮紘実、丸山交通公園、横山清正の出演者も、濃いキャラクターと安定した演技に瞬発力を遺憾なく発揮していて粒ぞろい。
 約2時間、笑いがたっぷり詰まった愉しい時間を過ごすことができた。
 ああ、面白かった!
 またぜひ「  」会をやって欲しいものだ。
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2014年11月16日

枠縁 2作目『庭売り』

☆枠縁 2作目『庭売り』

 作・演出:田中次郎
(2014年11月16日19時開演の回/人間座スタジオ)


 新婚の若い夫と妻は、手入れのよく行き届いた庭のある住宅を購入し、そこに新居を構えるが…。
 田中次郎と飯坂美鶴妃の二人が立ち上げた団体・枠縁の二回目の公演となるA作目『庭売り』は、そうした新居を舞台に、これまでの次郎君の作品と共通する存在の不確かさや、夫婦家族をはじめとした人間関係のいびつさ、歪み、ぬめっとした気持ちの悪さが、時系列や舞台構造のいびつさ、歪みを伴いながら、ときに幻想的にときに狂躁的に描かれていく。
 中でも、フェデリコ・フェリーニの『ボイス・オブ・ムーン』もかくやと思わせる、終盤近くの狂気の発露と展開の脱臼には、わくわくした感じを覚え、心をぐるんと動かされた。
 しかしながら、ところどころ集中が切れるというか、作品の急所が垣間見えていたことも事実だ。
 また、笑いのためのくすぐりが少なからず仕掛けられていたのだけれど、作品世界のつき具合という意味からも、巧く効果が得られていない箇所があったようにも感じた。

 狂気狂躁の表現と台詞を発していないときのたたずまい、動と静の対比が強く印象に残る飯坂さんのほか、高橋紘介、佐藤和駿、高橋美智子、次郎君と、演者陣は作品世界に沿う努力を重ねていた。
 ただ、個々の技量の問題よりも、役柄と演者さんの特性本質との齟齬が気になった点もあり、作品そのものとともにそうした部分をどうならしていくか、精度を如何に高めていくかが、枠縁という団体の今後の課題であるように僕は思う。

 田中君や飯坂さんをはじめ、今回の公演に参加された皆さんのさらなる活躍を心より祈願しつつ、次回の公演を愉しみにしたい。

 明日14時から最後の公演あり。
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2014年11月09日

努力クラブ コント公演#3『おモチ味のうどん』

☆努力クラブ コント公演#3『おモチ味のうどん』

 作・演出・構成:合田団地
(2014年11月8日19時開演の回/人間座スタジオ)


 努力クラブにとって3回目のコント公演となる#3『おモチ味のうどん』は、さっぱりおだし風の結構でありながら、その実、タイトル通り口の中にもお腹の中にも、もちっとたまるようななかなかに重たい内容となっていた。
 明日まで公演があるということもあって詳細には触れないが、すかしにずらしのオフビートと、一筋縄ではいかない都合8篇のコント、並びにスケッチが続く。
 これってまんま漫才やんか、と思しき作品が「コント」の中に混ざり込んでいるあたりも合田団地らしい。
 合田君の推しメン、西マサト国王(B級演劇王国ボンク☆ランド)や、その出演自体がおっと驚きの本間広大(ドキドキぼーいず)をはじめ、九鬼そねみ、キタノ万里(dracom)、長坂ひかる、古藤望(マゴノテ)、土肥嬌也の演者陣も、デフォルメのきいたオーバーアクトも辞さない演技で合田君の意図に沿うべく努力を重ねていた。
 僕の観た回は入りもよく、客席から大きな笑い声が起きており、まずは何よりだった。
 で、僕自身はというと、合田君の笑いの狙いや仕掛けに演者陣の奮闘奮戦もよく承知できたので、一篇一篇にんまりにやにやとしてはいたのだけれど、コントという糖衣の間から、合田君の狂気きわきわの表現欲求、やむにやまれぬ感情が垣間見えたりもして、それがお腹にずんずんたまるというか、どうしても腹を抱えて笑うことができず、脱臼に脱臼を重ねて冒頭につながるラストのコントが終わり、舞台上に演技を終えた面々が揃ったところで、ようやく緊張から解放されて、こいつらこんなことようやりよったなあと一人機智害みたく笑い声を上げてしまった。
 いずれにしても、合田団地という劇の造り手、本の書き手が今後どのような作品世界を生み出していくのか、本公演コント公演ともにますます興味深く愉しみだ。

 明日は、13時と18時の二回の公演予定。
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2014年11月02日

MAWARU『裸足で散歩』(京都造形芸大舞台芸術学科卒業制作演劇公演)

☆京都造形芸術大学 舞台芸術学科 2014年度卒業制作演劇公演
 MAWARU『裸足で散歩』

 作:ニール・サイモン
 訳:鈴木周二
演出:木之瀬雅貴
(2014年11月2日18時開演/京都芸術劇場studio21)


 ポールとコリーは新婚ほやほや。
 喜びあふれて新居のアパートに入ったはよいが、ここがまあ欠陥だらけ。
 おまけになんやかんやと重なって、二人の関係はぎくしゃくし始めて…。

 といった具合に展開していく『裸足で散歩』は、のちに映画化もされた、ニール・サイモンの初期の作品だ。
 明日まで公演があるのであえて詳細は省くけれど、演出の木之瀬雅貴は、そうした「アメリカ」のかつての若い夫婦の物語を、「日本」の今の自分たちにつながる身近な出来事としてとらえ、再現しようと努めていた。
 その意欲を評価したい。
 また、ニール・サイモンといえば松竹新喜劇的な「笑わせて泣かせる」作風だが、そこに吉本新喜劇的というか、ルーティンな笑いの仕掛けを細かく盛り込んでくるあたり、コントユニット「マサチューセッツ」で笑いに特化した活動を続けてきた木之瀬君ならではのことといえるだろう。
 笑いとシリアスな部分の切り換えや、物語の筋の通し方等、課題は少なくないだろうし、テキストとの格闘のあとが垣間見えたりもしていたが、それも卒業制作に相応しいことであり、僕は好感を持った。

 ライヴ特有の傷はありつつも、主人公のポールとコリーを演じた福久聡吾と田中佑香をはじめ、田中沙依、山田健人、高市章平、田村興一郎の演者陣は、作品や演出の意図によく沿ってキャラクターを造り込みながら、自らの特性魅力をよく表していた。

 まずは、最後の公演まで全力で乗り切っていってもらいたい。
 そして、進む道は様々だろうが、この公演に関わった全ての皆さんの今後のさらなるご活躍ご健闘を心より祈願したい。
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2014年10月20日

第19次 笑の内閣『超天晴!福島旅行』

☆第19次 笑の内閣『超天晴!福島旅行』

 作・演出:高間響
(2014年10月19日18時開演の回/アトリエ劇研)


 舞台は滋賀県のとある私立高校。
 学外出身者による外様改革派の教員たちは、来年度の修学旅行地決定の会議を利用して、学園OBの守旧派からヘゲモニーを奪おうと画策する。
 その切り札となる修学旅行の候補地は、なんと福島。
 だが、彼彼女らの目論見はなかなか一筋縄では適わなくて…。

 といった具合に物語が始まる第19次笑の内閣『福島第一原発舞台化計画〜黎明編〜超天晴!福島旅行』は、高間響という劇の造り手と笑の内閣という集団の進境変化を如実に反映した作品であり、公演となっていた。

 公演プログラムにもある通り、東浩紀氏らの提唱する「福島第一原発観光地化計画」に触発された題材であり、実際ワークショップを重ね、現地を訪問した上で生み出された作品なのだけれど、そこは笑の内閣、ルーティンギャグやサタイア(時局諷刺ネタ)など、笑の仕掛けにももちろん欠けていない。
 加えて、高間上皇がもともと強い影響を受けた三谷幸喜(だって、笑の内閣は『笑の大学』から来てるんだもん)にも通じる、人の弱さや内面の葛藤、人間関係のどろっとした部分、さらにはじんとくるような心の動きも織り込まれて、約90分、間然としない観応えのある舞台に仕上がっていたのではないか。
 まずもって、その点を大いに評価したい。
 ただ、だからこそ、福島を主題として扱うことへの高間上皇の配慮、というか距離感が筋運びの節々からうかがえたことも事実で、そこをどう他の部分と慣らしていくか、もしくは開き直ってもっと徹底的に笑いのめすか、それとも齟齬は齟齬としてより物語内に取り込んでしまうか、そのいずれかの判断が必要なのではないかとも思った。
 また、東京公演もあるので詳述は控えるが、展開としての粗さがなめされたり、登場人物の背景や関係性が一層細かく描き込まれば、彼彼女らの言動により説得性が生まれるとも感じた。

 6回目の公演ということもあってかライヴ特有の粗や傷は見受けられたし、経験等からくる技量の長短はどうしても否めないが、演者陣は個人としてもアンサンブルとしても、作品世界によく沿う努力を重ねていたと思う。
 歌唱面を含めてヒロインとしての過不足のない素質を持った中村彩乃をはじめ、看板役者ぶりが板についた髭だるマン、諸江翔大朗、抑制のきいた丸山交通公園、よいキャラクターの持ち主黒須和輝、松田裕一郎、由良真介、楠海緒、山下みさお、横山清正、有本ミチヨの健闘を讃えたい。
(だいたい、「公演に出てやっている」と内心思っているんじゃないかと疑いたくなるような演者が一人もいないのは、笑の内閣の支持者としてはとても喜ばしいことだ)
 公演終了後、高間上皇や出演者松田さんとも少し話をしたが、今回の松田さんや諸江君のような経験豊富な客演陣を迎えることで、これまでの内閣の面々の演技アンサンブルもひときわ精度を上げていくことと思う。
 それと、高間上皇は今回細かく演出を付けているように見受けられたが(はじめのほうなど、あからさまに台詞を置きにいって感じがした)、可能であればピッチングコーチやバッティングコーチ、守備走塁コーチのような様々な演技指導のできる人材が複数加わればとも考えたりもした。

 いずれにしても、高間響と笑の内閣のさらなる飛躍を心より期待したい。
 ああ、面白かった!
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2014年10月12日

THE GO AND MO'S 第15回公演『山方の森』

☆THE GO AND MO’S 第15回公演『山方の森』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
(2014年10月12日18時開演の回/壱坪シアタースワン)


 黒川猛のソロ・ライヴ、THE GO AND MO’Sも回を数えて第15回目を迎えたが、その『山方の門』も、いつもの如く盛り沢山の内容となっていた。
 オープニングの「吹き出し 10」を皮切りに、コント「幽霊のおじさん」、コント「歌姫 2」、「英雄〜EpisodeV」、「体操のお兄さん〜ファイナル」、活動弁士「斎藤土曜美」、「KIGEKI〜喜劇王VS喜神」、コント「ロボットが人類を超えた日」、「続・続いたこ」、エンディング「ドレドレ詐欺」が、そのラインナップだけれど、いやあ笑った笑った、くすくす笑いに大笑い。
 新作の「幽霊のおじさん」と「ロボットが人類を超えた日」では、黒川さんの笑いに対するあくなきチャレンジ精神が十二分に発揮されていたし(「ロボット…」は、ハイドンの交響曲第90番の終楽章にもつながる笑いの仕掛け。って、ネタを割りたくないので、あえてわけわからんちんな喩え方をしてみる)、「歌姫 2」と「斎藤土曜美」では、黒川さんのバーバル・センスの鋭さがこれまた十二分に発揮されていた(「斎藤土曜美」は、黒川さんのぬめっとした語り口も面白いけど)。
 また、Nov.16の軽快な歌と音楽にあわせた「体操のお兄さん」のはじけっぷりも観逃せまい。
 また、「英雄」ではおなじみチャンピオンが、「KIGEKI」ではおなじみ喜劇王とゲストの喜神がそれぞれ大活躍のほか、あの人この人の助勢も、ベトナムからの笑い声以来のファンには嬉しいかぎり。
 で、結局90分があっと言う間に過ぎ去った。
 笑いにこだわる人には必見。

 ああ、面白かった!
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2014年10月06日

ドキドキぼーいずの大進撃#4『ハムレットみたいなもの』

☆ドキドキぼーいずの大進撃#4『ハムレットみたいなもの』

 原作:W・シェイクスピア
 構成・演出:本間広大
(2014年10月5日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 シェイクスピアの『ハムレット』を原作とした、ドキドキぼーいずの大進撃#4『ハムレットみたいなもの』を一言で評するとすれば、「他人(ひと)事を我が事へ」ということになるのではないか。

 まずもって、『ハムレットみたいなもの』では、古典劇の『ハムレット』が、例えば宮部みゆきの『理由』のようなセミドキュメント的な手法をもって、現在の日本に起った殺人事件、我々自身の身の上にも起こり得る身近な出来事へと置き換えられている。
 登場人物のキャラクター設定、原作からのスライドのさせ方も見事だ。
 のみならず、この『ハムレットみたいなもの』では、公演プログラムの本間君自身の言葉にもあるような、『ハムレット』への「共感」が非常にストレートに表現されている。
 それは、本間君の内面の様々な想い、彼が抱えたあれこれの『ハムレット』への仮託、と言い換えることも可能だろう。
 いずれにしても、如何にして他人事の中に我が事を見出すか、如何に他人事を我が事に転化させるかが、『ハムレットみたいなもの』の肝であるように僕には感じられた。
 ただし、ここで忘れてはならないのは、本間君がアナーキーな感情の吐露ではなく、かっちりと構成された精度の高い劇世界の確立を心がけていた点である。
 その意味で、先達たちの手法技法の援用引用、咀嚼吸収も一層洗練されてきたように思われた。
 また、本間君ばかりでなく、演者陣自身が今現在置かれた状況環境や課題問題が作品世界に反映されていたように感じられたことも付記しておきたい。

 5ステージ目の疲れもあってか、個々の演技ばかりではなく全体的なアンサンブルとしても粗さや軋みが観受けられたことは事実だが、表現のギアチェンジが巧みな佐々木誠をはじめ、佐藤和駿、あさのふみ、松岡咲子、黒木正浩、勝二繁、石畑達哉、永富健大、井戸綾子、山野博生ら演者陣は、技量特性の長短はありつつも、なべて作品世界によく沿った演技を行っていたと思う。

 ああ、面白かった!

 そうそう、『ハムレット』にまつわる我が事を一つ。
 僕の父の父は太平洋戦争中、長崎市の三菱造船所に徴用され、1945年8月9日、アメリカによって投下された原子爆弾によって被爆死した(とされている)。
 そして、父の母は、父の父の弟と再婚した。
 その後、諸々あって父は中学卒業後、家を出ることとなる。
 運輸省の航海訓練所に勤めるようになった父は、国内外の航海で年の大半を過ごすようになり、微妙な家族関係の中で幼少期を過ごした上に長期の不在ということも加わって、僕との関係はとてもぎくしゃくとしたものであった。
 かつてこうしたことは特異なケースではなかったと知っているし(よくも悪くも、こうした様々な齟齬を糊塗することで、この国の人々は過去を清算したつもりになっていたのではないか)、今ではあの頃の父の気持ちもよくわかるが、『ハムレット』や「ハムレットみたいなもの」(『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』や『フォーティンブラス』ばかりか、『悪い奴ほどよく眠る』も)を観ても、つい自分自身の父のことを思い出してしまうのだ。
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2014年09月27日

月面クロワッサン vol.7『くりかえしへこむ』/『閻魔旅行』

☆月面クロワッサン vol.7『くりかえしへこむ』/『閻魔旅行』

 『くりかえしへこむ』
 脚本・演出:丸山交通公園

 『閻魔旅行』
 脚本・演出:河合桃子
(2014年9月27日19時開演の回/人間座スタジオ)


 月面クロワッサンの7回目の本公演となるvol.7は、丸山交通公園脚本・演出の『くりかえしへこむ』と河合桃子脚本・演出の『閻魔旅行』の二本立てだったが、丸山君の『くいりかえしへこむ』が圧巻だった。

 主宰を務める友達図鑑の一連の作品や、月クロの番外公演での『強く押すのをやめて下さい』(2014年3月1日、人間座スタジオ)と、この間丸山君の作品を観続けてきたのだけれど、脚本演出ともに冴えわたるというか、演劇的な一つのブランドを確立したと評しても過言ではないのではないか。
 しゃむない人間がしゃむない人間を貶め合うその情けなさ、虚しさ、哀れさ。
 そんなどうしようもない状況から、丸山君はグロテスクな笑いをしっかり生み出していく。
 はっちゃけ場、祭場とでも呼びたくなるような、暴力的な身体性の表現もいつもながらに見事である。
 また、死への憧憬をはじめ、内面のもやもや、叫びがストレートに織り込まれている点も、丸山作品の大きな魅力だろう。
 終盤、登場人物の感情が変化するシリアスなあたりには、ぞくぞくとしたほどだ。
 小川晶弘(冒頭、ちょっとだけ『生きる』の宮口精二みたい)、横山清正、鯖ゼリーは、それぞれの特性を活かしたキャラクターづくりで作品世界によく沿っていたし、丸山君自身も自分の出どころをよく心得て巧く舞台を動かしていた。
(その意味で、良い意味での座長芝居というか、松竹新喜劇っぽい)
 ああ、面白かった!

 一方、約1時間の『くりかえしへこむ』の前に上演されたのが、20〜25分の小品『閻魔旅行』。
 「死」がモティーフとなっている意味で、『くりかえしへこむ』との併演によく合っていたのではないか。
 物語の展開やくすぐり等、まずは河合さんのセンスと可能性を感じた。
 たぶん河合さんにとって、この『閻魔旅行』が初めての脚本演出になるのかな。
 設定も影響してか、舞台に停滞しているように感じられた部分があったり、筋運びに説明不足が感じられた部分があったりした。
 登場人物の動かし方や舞台の緩急の付け方、ツイスト(捻り)の仕掛け方等々、脚本演出両面で研鑚を重ねていってもらえればと願う。
 石田達拡、丸山君(こちらでは、東映作品のよう)は、河合さんの意図をよく汲む努力を行っていた。
 いずれにしても、河合さんの今後の活躍を愉しみにしたい。

 そうそう、公演パンフレットに収められた鯖ゼリー、丸山君の書き下ろし小説も、なかなかの読み物で、こちらもぜひご一読のほど。
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2014年09月21日

京都学生演劇祭2014 総評

 9月5日の閉会式をもって、2014年度の京都学生演劇祭が無事終了した。
 今回は、前々回前回と異なり観劇レポーターという立場から参加15団体の全上演を拝見することとなったが、例年と同様、バラエティに富んだ作品に大きな刺激を受けるとともに、舞台上の演者陣をはじめとした皆さんの上演にかける真摯な姿勢と熱意に強く心を動かされた。
 まずは、こうした機会を与えてくれた実行委員の皆さん、沢大洋さんはじめサポートスタッフの皆さん、関係者の皆さん、何より参加団体の皆さんに心からお礼を申し上げたい。
 本当にありがとうございます。

 さて、各団体の上演に関してはブロックごとにまとめた個別の感想に譲るとして、ここでは今年度の学生演劇祭に接して感じたところをいくつかまとめて記しておきたい。

 第一に、前々回から今回まで京都学生演劇祭の全上演に接してきて感じたことは、表現意欲が強く、演劇のみならず他ジャンルからの咀嚼吸収にも積極的で、脚本(演出)・演技両面において完成度の高い上位のグループ、評価すべき点も少なくなく、その取り組み方には好感を抱くものの、問題点・課題が散見される中位のグループ、今後のさらなる研鑚努力が期待される下位のグループ、というグループ間の格差が一層明らかになってきたことだ。
 若干の異動はありつつも、審査員の皆さんや観劇レポーターの皆さんの評価にもそうした傾向が顕著に示されているのではないだろうか。

 ただ、だからこそ、京都学生演劇祭の審査基準について再考される必要があるとも、僕は考える。
 特に、同じ観劇レポーターの高間響さんからもすでにSNS上で指摘が行われているように、既存の学生劇団と演劇祭のために結成された団体に関して如何にバランスのとれた審査を行っていくのか、継続して京都学生演劇祭に参加している団体や個人の成長変化への評価をどう担保していくのか、逆に高い評価を得た新規の団体の継続的な活動をどのように促していくのかは、全国学生演劇祭との兼ね合いからも充分に留意すべき点だと思う。

 審査基準と同様に、と、言うよりもそれより先に再考されるべきは、京都学生演劇祭のコンセプトそのものである。
 京都学生演劇祭は、果たして一体誰のために、一体何のために企画され開催されているのだろうか。
 作品の完成度を重視し、その優劣を競うことで学生劇団、ひいては演劇界の底上げを意図するコンペティションとしてか。
 バラエティに富んだ団体参加者を集めることによって、既存の小劇場や映像作品等への即戦力、もしくは未来の戦力を見出す人材発掘の場所としてのショウケースとしてか。
 学園祭的な雰囲気を全面に押し出した、参加団体や実行委員を中心とする、まさしく「祭」としてか。
 むろん、そのいずれか一つに特化するのではなく、それぞれの利点を組み合わせたコンセプト、京都学生演劇祭の主眼主旨を設定することも可能だ。
 しかしながら、これまでの状況を鑑みれば、残念ながら理念理想の提唱に比して明確な意志統一のないままに、京都学生演劇祭の運営は進められてきたと判断せざるをえない。
 参加団体の増加、演劇関係者外への周知、集客の拡大、経済的基盤の安定等、学生演劇祭の長期的な拡大継続を計るにしても、逆に現在の学生演劇祭の自由な雰囲気を維持するにしても、具体的なコンセプトの確立は急務の課題であろう。

 京都学生演劇祭開会直前にSNS上に掲載された、沢大洋さんの顔を中央にあしらったカウントダウンに対して厳しい疑義を呈したことも、上述したコンセプトの問題と密接に関わり合っている。
 もちろん、京都学生演劇祭が沢さんの物心両面での奮闘努力によって継続されてきたことは、今さら駄弁を弄することではない。
 また京都学生演劇祭や全国学生演劇祭の安定した運営を確立するために、オルガナイザーとして沢さんがメディア等で積極的戦略的露出を行うということには、大いに賛成だ。
 けれどそのことと、京都学生演劇祭の情報宣伝の材料として沢さん個人を扱うこととは、やはり問題が全く別である。
 例えば、同じ観劇レポーターの石田1967さんのLINX’Sや高間上皇の高間響国際舞台芸術祭のように、運営面においてもお客様へのエンターテインメント的なサービスとしても徹頭徹尾沢さん個人をアピールし押し出す、出場団体も自らが選択し、経済面でもその大半を沢さんが負担するという、それこそ沢大洋記念学生演劇祭や沢大洋顕彰学生演劇祭であるのならばまだしもだ。
 参加団体から低額とはいえない参加費(今回から増額されたとも聴く)を集めているにもかかわらず、参加団体の意志確認もないままにこうした宣伝活動を行うことには、たとえ実行委員の多数の要望善意から発生したことであったとしても、現在の学生演劇祭の拡大姿勢=公的側面の強化や、沢さんと参加団体との関係性の変化(参加団体の代替わりもあって、以前ほどには沢さん個人と参加者とが密接な関係にあるとは言い切れない)を考えれば、まずもって沢さん自身が躊躇すべきではなかったのか。
 僕にはそう感じられてならない。

 そして、この件は、京都学生演劇祭における沢さんの立ち位置の問題と少なからず関係してくる。
 すでに前回の演劇祭終了後、SNS上で私的に直言したことでもあるけれど、本来は上述した如くオルガナイザー、精神的支柱に徹すべき沢さんが、客観的に観て全く得意とは思えないスタッフワークに介在しなければならない現状は、カリスマ性のある社長自らがお茶を汲んでお客さんに出そうとしたまではよいが、どうにも不器用なためにお茶をこぼして誰にとっても残念、という状況に喩えられるのではないか。
 人材の育成、役割の継承という点も含めて、京都学生演劇祭の運営面での大きな課題であると僕には思われる。
(もう一点。観劇レポーターの人選の経緯に関してはあえてここでは詳述しないものの、審査員やユーストリームでの中継に参加した「先輩」方を含め、そのほとんどが男性で占められていたということにも、僕は違和感を覚えた。諸々の事情が重なった結果であることは承知しているけれど、次回以降の重要な課題の一つとしてここで指摘しておきたい)

 いずれにしても、京都学生演劇祭が拡大路線を貫くのか、現状を維持するのか如何に関わらず、(そのコンセプトに沿って)沢さんと実行委員の皆さんを様々な観点から大きく支え、ときには厳しいチェックも行うブレーン的な存在が必要であるように、僕には考えられる。
 運営方針、運営形態の具体性を欠くままで見切り発車を重ねた結果、沢さん一人が懊悩苦闘するのみならず、実行委員の皆さんや参加団体の皆さんの負担や不満が極限に達し、全国学生演劇祭ばかりか京都学生演劇祭も中途倒れに終わってしまうということだけは、なんとしてでも避けねばなるまい。

 加えて、経済的な事情は充分承知しつつも、演劇祭中の交流スペースの復活も考慮した物質面での場所の確保も含む、活発な意見交換が一層促されるべきであるとも、僕は考える。

 拙文が京都学生演劇祭全般に関する健康的で風通しのよい議論の一助となれば幸いである。
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2014年09月15日

THE ROB CARLTON 8F『スティング・オペレーション』

☆THE ROB CARLTON 8F『スティング・オペレーション』

 作・演出:村角太洋
 演出助手:入江拓郎
(2014年9月15日18時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 スティングといえば、どうしてもジョージ・ロイ・ヒル監督の快作を思い出してしまうが、THE ROB CARLTONにとって8回目の本公演となる8F『スティング・オペレーション』(日本語で「おとり捜査」)も、シチュエーションコメディの骨法によく則った快作に仕上がっていた。

 ところはトゥイッケナムホテルのスイートルーム。
 今回のおとり捜査のターゲットは、収賄の疑惑が絶えないアンディ上院議員。
 捜査員たちのシミュレーションも万全、あとは標的のアンディ上院議員の登場を待つだけだ…。
 と、いう具合に物語は進んでいくのだけれど、窮地に追い込まれた人間たちの必死の姿がおかしいのなんの。
 バーバル(言葉の)ギャグに体技のルーティンギャグ、さらにはスラプスティックな展開にちょっとした衒学趣味と笑いの仕掛けがふんだんで、「お約束通り」というか、伏線がすとんすとんと回収されていく様も観ていて実に気持ちがいい。
 THE ROB CARLTONの一連の作品に共通の「お菓子のネタ」やラグビーネタも常連ファンには嬉しいかぎりだし、男の友情がさらりと讃えられるあたりもいつもながら小気味よい。
 まさしく至れり尽せりの内容で、約100分があっと言う間だった。

 おなじみ村角ダイチ、満腹満、ボブ・マーサムに加え、客演の西垣匡基(マゴノテ)、古藤望(同)、伊勢村圭太(夕暮れ社 弱男ユニット)ら演者陣も、大技から小技まできちんきちんと決めつつ、精度の高いアンサンブルを生み出していたのではないか。
 中でも、秘書のスコットを演じた高阪勝之(男肉 du Soleil/kitt)。
 あて書きあて演出の効果ももちろん忘れちゃならないけど、切れる男のちょっとずれたおかしさを見事に演じ切っていて、強く印象に残った。

 しっかりと造り込んだ栗山万葉の美術をはじめ、スタッフワークも作品世界によく沿っていた。

 次回の公演が本当に愉しみだ。
 ああ、面白かった!
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2014年09月07日

てんこもり堂 第6回本公演『つゆのまぼろし』

☆てんこもり堂 第6回本公演『つゆのまぼろし』

 作・演出:ふじもとたかし
(2014年9月7日17時半開演の回/人間座スタジオ)

*劇団からのご招待


 てんこもり堂にとって6回目の本公演で、ふじもとたかしにとっては初の長尺戯曲となる『つゆのまぼろし』を観た。

 一見、小津安二郎を代表とする松竹大船調のホームドラマと思わせておいて、ところどころに東宝風の邪劇をぶちこむなど、様々な演劇的仕掛けを使いながら、出産や亡き父親との関係、社会人が演劇を続けることといった、造り手が直面している問題をストレートに表現した、「私戯曲」性の非常に強い作品だった。
 タイトルそのものもそうだし、冒頭の『8時だョ!全員集合』の集合音楽からして藤本さんの意図はよくわかったし、しっとりした部分にはしっとりした部分のよさ(中嶋やすきの味わい)、邪劇的な部分には邪劇的な部分のおかしさ(松田裕一郎のトリックスターぶりと、べってぃ渡邉裕史の「フラ」)があった。
 また、家族どうしの感情や隣人との関係性の表現にも、ふじもとさんらしい細やかさと目配りを感じることもできた。
 パートパートのつながりや流れ、言葉の選択等に対する彫琢がより増せば、一層密度の濃い作品世界が生み出されるものと思う。
 ふじもとさんの今後のさらなる変化が愉しみである。

 演者陣では、娘役の飯坂美鶴妃の奮闘に大きな拍手を贈りたい。
 ほかに、新田あけみ(難しい役回り)、金乃梨子も出演。

 あと、ギター一本の生演奏による津久井道夫の音楽が実に効果的だった。

 そして、終演後には、三遊亭圓丈の色物弟子で放送作家のハラショーによって、一人アフタートーク、というか漫談『アンケートの書き方』が披露されていたのだけれど、これはもう、ハラショー流のくすぐりも見事に決まって大いに笑わせてもらった。
 ああ、面白かった!
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2014年09月06日

京都学生演劇祭2014 中瀬宏之の極私的な賞

☆京都学生演劇祭2014 中瀬宏之の極私的な賞


 今年度の京都学生演劇祭が、今夜無事終了した。
 まずは、実行委員の皆さん、沢大洋さんをはじめとしたサポートスタッフの皆さん、審査員並びに観劇レポーターの皆さん、その他関係者の皆さん、そして参加全団体の皆さん、本当にお疲れ様でした。
 今回、初めて設けられた観劇レポーターという立場で参加15団体の全上演を拝見しましたが、その上演作品にかける真摯な姿勢と熱意に心を強く動かされるとともに、同じ表現活動に携わる人間として大きな刺激をうけることができました。
 この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。
 すでに京都学生演劇祭賞として劇団西一風、審査員特別賞としてコントユニット左京区ダバダバの二団体が選ばれ、さらに審査員特別賞も発表されているにも関わらず、こうして極私的な賞を推薦することはおこがましさを感じてしまうのですが、参加者の皆さんの今後の活動の一助となればとも思い、ここに発表させていただきます。
 なお、技術面精神面等での詳細な評価は松原利巳さん、橋本裕介さん、柳沼昭徳さんという全幅の信頼のおける審査員の皆さんにお任せして、この賞は、あくまでも自分自身の受けた印象と心の動きを元に推薦しております。
 その点、ご了解ください。
 また、推薦に際してのコメントの有無に他意はありません。
 詳細をお知りになりたいという方はお気軽に中瀬のほうまでご連絡ください。


 1席(1団体)
 *最優秀作品賞:劇団西一風『いちごパンツを撃鉄に』
 脚本、演出、演者陣の演技ともに圧倒的な精度を持った内容でした。
 圧巻脱帽です。
 作演出の岡本昌也君、並びに西一風の面々のさらなる活躍を愉しみにしています。


 2席(3団体)
 *最優秀ステージ賞:ルサンチカ『星の王子さま』
 演出・演者陣・スタッフの能力と表現意欲の高さが如実に示された上演でした。
 京都学生演劇祭のルールについて問題提起をしたという点への評価とともに、その問題点を指摘するという意味でも、あえてステージ賞に推薦します。
 次回の本公演が待ち遠しいです。

 *最優秀脚本兼演出家賞:劇団ACT『めまい』(一人静君)
 組織集団社会の持つ悪意等を、今現在慣れ親しまれている演劇的手法を積極的に取り込みながら表現した意欲作で、大いに好感を覚えました。
 より丁寧に書き込まれた長尺の作品にぜひとも接したいです。

 *同:コントユニット左京区ダバダバ『ゴリラ殺人事件』(寺岡慎一郎君、谷畑仁君)
 駄弁を弄する必要なし。
 みうらじゅんも大喜びすること間違いなしの、くっだらなそうで、その実一筋縄ではいかない充実した作品。
 演者陣も魅力たっぷりで、ほんと大好きだなあ!


 *優秀作品賞:ウトイペンコ『タイヤキ』
 *同:ヲサガリ『転校生13号』
 *同:スーパーマツモト『2丁目5番地どんどん軒』

 *優秀脚本賞:ヒラタユミ
(ナマモノなのでお早くお召し上がりください。『書くという病』)
 正直、舞台そのものには厳しさを感じもしたのですが、第2回、第3回に続くヒラタさんの表現内容の変化と表現意欲の強さに関して評価するとともに、さらなる研鑚を願う意味で推薦します。


 *最優秀アンサンブル賞:劇団西一風
 隙のないアンサンブルに心を強く動かされました。

 *同:劇団ACT
 まずもってゼミのシーンでのやり取りに感心しました。
 その後の変化も含め、作品世界によく沿ったアンサンブルが築かれていたと思います。

 *同:スーパーマツモト
 古い笑いが大好きな人間のため、観劇記録では厳しめの感想になってしまいましたが、笑いにかける真摯さとまとまりのよさには好感を持ちました。
(以上3団体に関しては、個別に記載する以外、全ての出演者が優秀助演女優賞、同男優賞ということになります)


 *最優秀主演女優賞:近藤千紘さん(ルサンチカ)
 圧倒的な演技でした。
 最後の最後まで目が離せない、まさしく女優中の女優だと感じました。

 *同:中野愛子さん(コントユニット左京区ダバダバ)
 近藤さんとは対極的な、それでいて舞台上の魅力という点ではやはり落とせない演者さんです。


 *最優秀主演男優賞:森脇康貴君(劇団西一風)
 隙のない西一風の演者陣の中で、その最たるものが森脇君でした。
 田中次郎君をベースに井上達也君のおかしさを加えて一層磨きをかけた逸材だと思います。

 *同:野村眞人君(ウトイペンコ)
 その存在感、舞台上での真摯さ、登場人物との一致等々、技術云々を超えて魅了されました。
 今後もぜひとも演劇活動を続けていって欲しいです。

 *優秀主演男優賞:岡田拓洋君(劇団愉快犯)

 *同:辻和鷹君(劇団蒲団座)
 小心さの裏側にある傲慢さ冷酷さの表現に感心しました。


 *最優秀助演女優賞:天顔愛咲さん(劇団西一風)
 西一風では、山下裕英さんと小川杏子さん、三善このみさんの演技も秀でていたのですが、(前情報一切なしの主観を記すと)天顔さんは何かをきっかけにして演劇活動から去ってしまうのではないかと僕には感じられてしまいました。
 ですので、この推薦が何かの重石に、いや彼女の場合、たぶん重石になどならないでしょうが(だからこそあの演技なのだと思います)、天顔さんという魅力的な演者さんがいたということを記憶するため、あえてこの賞に推薦します。

 *優秀助演女優賞:近衛ひよこさん(劇団愉快犯)
 安定度を増した演技と「熊」!

 *同:竹本てんさん(劇団月光斜TeamBKC)
 川北唯さんを黒木メイサ寄りにしたような存在感が強く印象に残りました。

 *同:南風盛もえさん(ルサンチカ)
 どうしても近藤さんに注目が集まるかもしれませんが、南風盛さんの抑制のきいた演技も魅力的です。
 翻訳物、岸田國士や森本薫の作品での演技にも接することができれば。


 *最優秀助演男優賞:古野陽大君(ウトイペンコ)
  兼京都学生演劇祭特別功労賞
 これまた全く前情報なしですが、演技でのサポートともに、古野君の舞台・作品そのものへのサポートがよくうかがえました。
 その点はやはりしっかり評価されてしかるべきでしょう。
 また、前々回前回の参加も含めて、京都学生演劇祭における古野君の存在感と果たした役割について別途、特別功労賞を推薦します。

 *同:瀬戸沙門君(ルサンチカ)
 その表現力と演技の熱量に感嘆しました。
 瀬戸君の様々な役柄に接してみたいです。

 *優秀助演男優賞:黒須和輝君(第三劇場)
 *同:かっちゃん君(劇団月光斜TeamBKC)
 *同:地道元晴君(ルサンチカ)
 *同:高橋太樹君(ヲサガリ)


 *最優秀女性キャラクター賞:笠村奈那さん(劇団S.F.P.)
 ちょっと痛い感じから、エキセントリックで狂気を孕んだキャラクターの変化は、すぐさま今年のキャラクター賞はこの人だと決断しました。

 *同:荒井希実子さん(スーパーマツモト)
 おもろそうなことをやればおもろいだろう、おもろそうなキャラをつくればおもろい人に観えるだろうという安易な発想とは無縁の丁寧なキャラクター造りが流石でした。


 *最優秀男性キャラクター賞:小川晶弘君(ヲサガリ)
 マイルドな萩本欽一とでも呼びたくなるような「ソフトなSっ気」全開のキャラクターづくりを愉しみました。
 常識ある人をじわじわと攪乱していく設定は、今後も小川君の武器になると思います。
 人気者になれ!

 *同:大休寺一磨君(スーパーマツモト)
 その熱気、暑さ暑苦しさ!!!
 でも、この推薦がかえってそのキャラクターの一時封印につながればとも思います。
 ぜひシリアスな大休寺君の演技にも接したいので。

 *優秀男性キャラクター賞:黒須和輝君(第三劇場)
 黒須君は唯一の同時受賞です。
 団内団外での活躍に期待します。

 *同:西澤和浩君(コントユニット左京区ダバダバ)
 いやあ、この人はいい!!
 また観たい!!

 *同:安達誠君(劇団蒲団座)
 山西竜矢君と横山清正君を足して二で割ったような雰囲気の持ち主。
 いやあ、いいキャラクターです。


 *最優秀音楽賞:劇団西一風
 *同:劇団ACT
 特に、西一風ではベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章、ACTではバッハのゴルトベルク変奏曲とバーバーの弦楽のためのアダージョが効果的でした。


 *敢闘賞:劇団蒲団座
 現在活動する所属団員の中で果たして何ができるか。
 そのことに対する誠実さ、真摯さ、熱意がよく表われた舞台でした。


 *努力賞:劇団トポス
 今回初出場のトポスには、ぜひとも捲土重来、機会が許すかぎり次回以降も京都学生演劇祭に参加していって欲しいです。
 その努力研鑚を期待して。


 *最優秀インパクト賞:ナマモノ・ヒラタユミさんの文金高島田姿
 ヒラタさんには不本意かもしれませんが、あの姿はやはりインパクト賞に推薦せざるをえません。
 印象に強く残りました。


 *最優秀シーン賞:劇団月光斜TeamBKC『人を呪わば?』
 竹本てんさん演じる竹中弥生が翠の子ぎつねさん演じる尼ちゃんににじり寄っていくときの切迫感とエロティックな様に。


 *特別賞:古賀友太君(劇団月光斜TeamBKC)
 演技そのものに加え、ラップの歌唱に対しても。

 *同:高市章平君(ルサンチカ)
 技術的な精度の高さだけではなく、感情の表出表現という意味でも、彼の長台詞は特別に推薦に値すると思います。
 今後の活躍を愉しみにしています。
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2014年09月05日

京都学生演劇祭に関する簡単なメモ(総評に向けての)

 Bブロック3団体の観劇を終えて、京都学生演劇祭に参加した15団体全ての上演を拝見することができました。
 今年度は、これまでと異なり観劇レポーターという立場から拝見することとなりましたが、前々回前回と同じく、バラエティに富んだ作品に大きな刺激を受けるとともに、舞台上の演者陣をはじめとした皆さんの上演にかける真摯な姿勢と熱意に強く心を動かされました。
 実行委員の皆さん、沢大洋さんはじめサポートスタッフの皆さん、審査員や観劇レポーターの皆さん、そして参加団体の皆さん、本当にありがとうございました。
 改めて心よりお礼を申し上げます。

 さて、すでに同じ観劇レポーターを務めた笑の内閣の高間響上皇からも指摘が行われているように、来年3月に開催される全国学生演劇祭との関係や、今後の京都学生演劇祭との関係を見据えた審査基準の再考(既存の学生劇団と、演劇祭のために結成された団体との兼ね合い、評価の継続性等)、集客の拡大や経済的基盤の確立、さらには森陽平君などからも指摘が行われた学生演劇祭のコンセプトの設定(例えば、コペティションなのか、ショウケースなのか、地域を巻き込んだ「祭」なのか等)、そして、そもそも学生演劇祭は何のために、誰のために存在するのかという理念・精神の再確認など、運営面での意志統一、並びに明確な方針の確定が急務の課題です。
(当然、その全てが一足飛びで解決するものではないことも明らかですが)

 京都学生演劇祭開会直前にSNS上に掲載された、沢大洋さんの顔を中央にあしらったカウントダウンに対して、僕が厳しい疑義を呈したのも、上述した問題と密接に関わり合っています。
 もちろん、京都学生演劇祭が沢さんの物心両面での奮闘努力によって継続されてきたことは、今さら駄弁を弄すことではありません。
 また京都学生演劇祭、並びに全国学生演劇祭の安定した運営を確立するために、オルガナイザーやスピーカーとして沢さんがメディア等で積極的戦略的露出を行うことについても大賛成です。
 しかしながらそのことと、京都学生演劇祭というイベントそのものの象徴として沢さん個人を扱うことは、やはり話が別でしょう。
 例えば、同じ観劇レポーターの石田1967さんのLINX’Sや高間上皇の高間響国際舞台芸術祭のように、運営面においてもお客様へのエンターテインメント的なサービスとしても徹頭徹尾沢さん個人をアピールし押し出す、出場団体も自らが選択し、経済面でもその大半を沢さんが負担するという、それこそ沢大洋記念学生演劇祭や沢大洋顕彰学生演劇祭であるのならばまだしもです。
 たとえ実行委員の皆さんの善意から発生したことであったとしても、まずは実行委員の皆さんの気持ちには感謝しつつ、しかしながら「演劇関係者以外も目にするカウントダウンにおいて自分の顔を押し出すのは、内輪受けののりがする」「しかも全国学生演劇祭が開催されるなど、今後学生演劇祭は一層パブリックな側面が強まっていくのだから、社会的な戦術戦略からも好ましくない」「それより何より、学生演劇祭は参加団体がまずもって中心となるべきものだ」という理由を丁寧に説明し、沢さんはカウントダウンのアイデアを断ってしかるべきだったのではないでしょうか。

 むろんこれは一例ですが、いずれにしても沢さんと実行委員の皆さんを様々な観点から大きく支え、ときには厳しいチェックも行う強力なブレーンが必要であると僕は考えます。

 加えて、経済的な事情は充分承知しつつも、交流スペースの復活も考慮した物質面での場所の確保も含む、京都学生演劇祭に関する活発で風通しのよい意見交換が一層促され担保されなければならないとも、僕は考えます。

 拙文が今後の意見交換の一助となれば幸いです。
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2014年09月04日

京都学生演劇祭Bブロック−3 劇団月光斜TeamBKC『人を呪わば?』

☆京都学生演劇祭Bブロック−3
 劇団月光斜TeamBKC
 『人を呪わば?』

 脚本・演出:べいだぁ山田ちゃん
(2014年9月4日19時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 類型を効果的に組み合わせて造り上げた作品。
 主人公の名前もあって、昨今大人気を博した朝のドラマを連想したが、まあそれはそれ。
 物語の展開においても、登場人物のキャラクターにおいても、全体的に定石常識が巧く活かされていたのではないか。
 ただところどころ、類型が決まり過ぎるというか、細部への目配りの不足や感覚面のほんのちょっとした鈍さが気になったりもして、会場では大きな笑いが起っていたが、その笑いのパートよりもシリアスな部分のほうにより面白みを感じた。
(そうそう、類型、語法の定石といえば、林役の台詞ではなく、尼ちゃんと弥生の関係性から、造り手側の「秘めたカミングアウト」を裏読みすることもできるんだけど。まあこれは、考え過ぎかな)

 川北唯さんを黒木メイサ寄りにしたような竹本てんや、古賀友太、かっちゃんもシリアスな場面での類型的な演技がより柄に合っていたと思う。
 尼ちゃん役の翠の子ぎつねは、一瞬の叫び声が心に残った。
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京都学生演劇祭Bブロック−2 ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。『書くという病』

☆京都学生演劇祭Bブロック−2
 ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。(佛教大学)
 『書くという病』

 脚本・演出:ヒラタユミ
(2014年9月4日18時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 これまでの劇団紫から、自らが立ち上げた「ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。」に所属を変えて、ヒラタユミが京都学生演劇祭への三度目の参加を果たした。
 彼女の作演出による『書くという病』は、何層かに分かれた入れ子細工と登場人物間のやり取りを通して、虚構と現実の関係性、日本の私小説の結構様式が考察されるとともに、ヒラタさん自身の表現欲求や内面の意識無意識が前面に表われ出ている点と、ヒラタさんの京都学生演劇祭における劇の書き手としての変化変容が如実に示されている点から、非常に「私戯曲性」の強い意欲的な作品だった。
 僕自身、長く小説を書き続けていることもあり、その内容構成を面白く感じたが、だからこそ一層の言葉の彫琢を求めたくなる部分もあった。

 演者陣もそうしたヒラタさんの作品世界を忠実に再現すべく努力を重ねていたが、演出の処理の粗さ、詰めの甘さも加わって、技術面においても精神面においてもテキストとの間に大きな齟齬があり、どうしてももどかしさを覚えてしまった。
 たぶんこれが、若き日の市原悦子や岸田森、草野大悟らによる上演だったのであれば、一層緊張感に富んだ舞台となって、受ける印象も大きく変わったかもしれない。
 そして、「私戯曲性」が強い作品であるからこそ、ヒラタさん自身が演じることへの内的必然性は認めつつ、造り手側の客観性を担保するという意味でも、ヒラタさん以外の演者さんが「露子/娘」役を演じたほうが適切だったのではないかと思ったりもする。
 その邪劇的インパクトには捨て難いものもあるが。
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京都学生演劇祭Bブロック−1 劇団愉快犯『SQOOL』

☆京都学生演劇祭Bブロック−1
 劇団愉快犯(京都大学)
 『SQOOL』

 脚本:谷村圭一
 演出:鈴木邦拡
(2014年9月4日17時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 これまでの京都学生演劇祭でおなじみの顔触れは卒業引退してしまったものの、今回の『SQOOL』でも、劇団愉快犯らしさは健在だった。
 小ネタ小物や微妙な台詞の間合い等々駆使しつつ、オフビートな笑いが築かれていく。
 過度に陥らないリリシズムと遅効性の緩やかな毒っ気も愉快犯ならではだ。
 ただ、意図した以上に間然とする部分や演技の面で比較的目立つ傷が観受けらたりもして、若干興が醒めてしまったのはちょっと残念だった。

 岡田拓洋や平井良暉、安定感が増してきた近衛ひよこ等、演者陣は愉快犯の作風によく沿った演技を行っていた。
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京都学生演劇祭Aブロック−3 劇団西一風『いちごパンツを撃鉄に』

☆京都学生演劇祭Aブロック−3
 劇団西一風(立命館大学)
 『いちごパンツを撃鉄に』

 脚本・演出:岡本昌也
(2014年9月3日19時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 前評判が高かったので、あえて厳しめに観たるでと渋面つくって席についたんだけど、観始めてすぐに思いましたね。
 そりゃ前評判も高かろうさ、と。
 圧巻脱帽の二語。

 で、すませたいところだけれど、一応観劇レポーターなので駄弁を少し。

 岡本昌也といえば、前回高校在学中にも関わらず喀血劇場の一員として堂に入った演技を披歴していたが、いやあ後生畏るべし。
 知情意三拍子揃った圧倒的な作品、圧倒的な舞台を生み出してくれた。
 メリハリがきいてセンスのよい台詞に、よく動く身体、笑いと涙の入り混じったおかかなしくてスピーディーな展開から、伝えようとするところ、明確なテーマがしっかりと立ち上がってくる。
 その手際のよさと熱量には、本当に舌を巻く。
 音楽照明等々、実に効果的だ。

 また、田中次郎(前々回の京都学生演劇祭での珠玉の名品『話の時間』の造り手)をベースに井上達也のおかしさを加えて一層磨きをかけたような森脇康貴をはじめ、演者陣は、個人としてもアンサンブルとしても非常に隙がなかった。

 西一風、侮るべからず。
 そして、岡本君たちの今後の一層の活躍を心から祈願したい。
 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭Aブロック−2 劇団トポス『夕焼けロケット』

☆京都学生演劇祭Aブロック−2
 劇団トポス(京都外国語大学)
 『夕焼けロケット』

 脚本・演出:捺芽紅
(2014年9月3日18時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 1995年から約10年間、京都外国語大学の近くで暮らしていた。
 で、京都の小劇場に関わり始めた1999年頃かな、二度ほど劇団トポスの公演を観に行ったことがあった。
 一度目は、高校演劇の延長線上というか、ちょっとおぼこい感じはありつつも、作品演技両面での甘酸っぱくて切ない雰囲気には嫌な感じを受けなかった。
 ところが二度目は、ワハハ本舗みたいな突拍子がなくておもろおかしいことをやろうとしていることだけは理解できたものの、それこそ久本雅美にどこか似ている演者さんが一人で空回りしていて、観ているのが本当に辛かった。
 そしてこの団体は、「大人」の小劇場はもちろんのこと、他の学生劇団ともあまり交流がないのではないか、と思ってしまった。

 劇団トポスの公演を目にするのは、そのとき以来ということになる。
>遠い未来。ヒトは新しい星へ移住し始める。
 惑星の爆発が噂され、毎週末ロケットが飛ぶ。そんな時代。
 ベビーシッターの奈央は、迷子の五歳児を捜索途中、
 とある少年と出会います。
 少年と奈央の淡い恋のような、恋でないようなお話<
という公演プログラムに掲載された梗概に偽りはない。
 リリカルでノスタルジックな、痛切な感情をためた作品だ。

 演者陣は、自分たちの個性を押し出しつつ、あるときは美しく、あるときはおかしい情景を再現しようと努力を重ねていた。
 その努力はよくわかった。
 ただ、その努力が充分に報われていたかと問われると、残念ながら否と答えざるをえない。
 と、言うのも、舞台上でのたたずまいや感情表現(緩急強弱)、表情の変化等々、彼女らの演じる様とテキストに書かれているものとの間に、どうにも大きな齟齬を感じてしまったからである。
 表現は厳しいがそれは、人力舎などの芸能事務所の研究所の若手女性トリオがネタみせで面白いことをやろうとしているのだけれど、ネタと彼女らの実力との間に差があり過ぎてどうしても笑えない状態、と喩えることができるのではないか。

 せっかくこうして京都学生演劇祭に初めて参加したのだから、トポスの皆さんには、他と我との違いを確認するとともに、他劇団、演劇祭関係者との積極的な交流研鑚を切に願う。
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2014年09月03日

京都学生演劇祭Aブロック−1 第三劇場『悪人のダダダダン』

☆京都学生演劇祭Aブロック−1
 第三劇場(同志社大学)
 『悪人のダダダダン』

 脚本・演出:岩本拓也
(2014年9月3日17時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 小劇場の定石に則った作品。
 というと、簡単にまとめ過ぎかな。
 老舗三劇の『悪人のダダダダン』は、邪劇的な笑いを重ねつつ、現実社会のあれやこれや、そして哲学的ですらある思念命題について掘り下げようとした、どこか1980年代の小劇場臭のする作品だった。
 で、その意欲意図は充分に買うのだけれど、伝えるべき事どもという「餡」と、それを巧くくるんで味を加える笑いという「がわ」とのバランスが悪いというか、シリアスなテーマのほうに全体が引きずられてしまい、結果造り手側が狙ったものとは異なるもどかしさ、いききらなさを感じてしまったことも、残念ながら事実だ。
 笑いそのものに特化した作品ではないということを理解してもなおである。

 団外での活動も重ねている黒須和輝はじめ演者陣は、シリアスな部分はもちろんのこと、笑いの部分でも、作品世界に沿った真摯な演技を行っていた。
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2014年09月02日

京都学生演劇祭Eブロック−3 劇団蒲団座『花を売る店の話』

☆京都学生演劇祭Eブロック−3
 劇団蒲団座(大谷大学)
 『花を売る店の話』

 脚本:佐々木成政
 演出:草間はなこ
(2014年9月1日19時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 坂口弘樹を中心に、ダンス的なパフォーマンスを大胆に組み入れた作品をこれまで学生演劇祭で上演してきた劇団蒲団座だが、今回はストレートプレイの常道というか、いわゆる会話を中心としたお芝居で勝負してきた。
 童話の持つグロテスクさを現代に移し替えたファンタジーとまとめられるかな、いわゆる普通の人の内面にある悪意・欲望が増幅増長していく様や、人と人との関係の変化の残酷さが寓話的に描かれた作品である。
 だいたい、『花を売る店のお話』なんてタイトルからして意味深じゃないか。
 ただ、演者陣の特性雰囲気もあったりして、たぶん造り手側が意図している以上の、おかしさや滑稽さ、邪劇性を感じてしまったことも事実だ。
 脚本の佐々木さんや演出の草間さんが、現在出演可能な劇団の所属メンバーで何をどこまで表現できるかということを悩み考えた末での今回の作品であり、上演であったことは、登場人物の設定などからも想像に難くはないが。
(その意味でも、既存の学生劇団と学生演劇祭のために結成された団体との兼ね合い、評価について、どうしても考えてしまう)

 演者陣では、田中役の辻和鷹がまず印象に残る。
 小心さの裏側にある傲慢さ、冷酷さをよく演じていた。
 また、山西竜矢君と横山清正君を足して二で割ったような安達誠の雰囲気も捨て難い。
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京都学生演劇祭Eブロック−2 スーパーマツモト『2丁目5番地どんどん軒』

☆京都学生演劇祭Eブロック−2
 スーパーマツモト(同志社大学)
 『2丁目5番地どんどん軒』

 脚本:畑耕平
 演出:トランポットニスト相馬
(2014年9月1日18時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 日本映画界の鬼才川島雄三監督に『喜劇とんかつ一代』という怪作がある。
 森繁久彌演じるとんかつ屋の主人を扇の要に、フランキー堺、三木のり平、加東大介、山茶花究といったおなじみの顔触れ(って、学生さんたちにはちっともお馴染みじゃないか。ちぇっ…)が、ときにシュールですらあるぶっ飛んだ笑いの藝を競い合い、笑いのアンサンブルを披歴する。
 そして、ラストで歌われる滑稽な「とんかつ讃歌」に、監督たちのエンターテイナーとしての心意気が強く表われてもいたりして、僕は思わずぐぐっと心を動かされたりもしたものだ。

 スーパーマツモトの『2丁目5番地どんどん軒』は、同じ喜劇は喜劇でも、関西流儀、吉本新喜劇の骨法をいただいた、べたべたな作品だけど、理屈もへったくれもありはせぬ、おもろいもんをやりたいんや! という想いには、たぶん『喜劇とんかつ一代』とも共通するものがあるだろう。
 そして、そうした造り手側の熱意(大休寺一磨の熱気!)は痛いほどに伝わってくる。
 ただ一方で、彼彼女らの真摯さ人柄の良さが、硬さ、軽さを目指す重たさにつながっていたことも事実で、笑いのための笑いというものは本当に難しいと改めて痛感した。
(上述した笑いのプロたちは、ほどよい「人の悪さ」と「ずるさ」を持っているのだ。もちろん、悪過ぎたりずる過ぎたりしたら、今度は生臭過ぎていけない。笑いは本当に難しい)

 吉本新喜劇ほどルーティンにとはいえないけれど、スーパーマツモトの面々には、これ一回に限らず、今後も活動を続けていって欲しい。
 継続は力なり。
 継続は笑いなり。
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京都学生演劇祭Eブロック−1 ヲサガリ『転校生13号』

☆京都学生演劇祭Eブロック−1
 ヲサガリ(京都工芸繊維大学)
 『転校生13号』

 脚本・演出:小川晶弘
(2014年9月1日17時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 フク団ヒデキ、並びにヲサガリ、一方で月面クロワッサンその他と、多方面で活動を続ける小川晶弘にとって、今回の『転校生13号』は、初めての作・演出作品となったが、前者の実験精神・攻めの姿勢と、後者のノスタルジックなリリカルさとが、巧くミックスされた小気味よい内容となっていた。
 途中、意図した以上にだれるというか、言葉が流れてしまう部分もなくはなかったが、ヒットに盗塁、バントヒット、スクイズと小技をきかせつつ、小刻みに得点を重ね、結果ゲームに勝利した、といった感じの展開か。

 小川君は、マイルドな萩本欽一とでも呼びたくなるような「優しいSっ気」で相手を撹乱していく。
 一方、河相我聞っぽい顔立ちの高橋太樹は、小川君とのからみで内面のエキセントリックさがあぶり出されるあたりの様が面白かった。

 小さい世界を通して大きな何かを表わそうとした作品。
 小川君の想いもストレートに示されている。
 小川晶弘の劇の書き手としての今後の一層の研鑚と活躍に心から期待したい。
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京都学生演劇祭Dブロック−3 ルサンチカ『星の王子さま』

☆京都学生演劇祭Dブロック−3
 ルサンチカ(京都造形芸術大学)
 『星の王子さま』

 脚本:寺山修司
 演出:河井朗
(2014年9月1日15時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 ちょっとモノが違う。
 こういう言い方はあんまりしたくないんだけど。
 ルサンチカは、同じユース・オーケストラでも、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラとかEUバロック管弦楽団だとか、あと数年もすればソロで活動を始めたり、プロのオーケストラに入ったりするような、音楽を専門に勉強している若い腕扱きたちが寄り集まったオーケストラ、とでも喩えたくなってしまう。

 ルサンチカの『星の王子さま』は、一本立ての本公演なみの密度の濃さと、それでいて京都学生演劇祭での上演を意図した大きな仕掛けを持った非常に充実した作品であり、舞台となっていた。
 まず、コントユニット左京区ダバダバが醸し出した空気を、ルサンチカは「舞台美術」や演者陣の精度の高い演技で一瞬にして変えていく。
(ただし、たとえ確信犯だとしても、演劇祭のルールという観点、スタッフワークの観点からは、ルサンチカの手法は手放しで賛成できない)
 原作との兼ね合いでは、河井君が切り取った部分にも当然様々な旨味があることは指摘しておかなければなるまいが、50分というぎりぎりの線で、寺山作品の重要なモティーフを押さえつつ筋の通った作品としてまとめ上げたその手際のよさと美しさは、やはり高く評価してしかるべきだろう。
 そしてその構成に僕は、河井君は「役者の快楽」をよく識る人だと思ったりもした。

 実際、この『星の王子さま』では、演者陣の特性魅力(並びに、これまでの演劇的研鑚)が十二分に発揮されていた。
 瀬戸沙門、南風盛もえ、地道元春、高市章平、いずれも安心してその舞台を観ていることができる。
 そして、近藤千紘。
 当然河井君の観せ方、作品とのつき具合はあってのことだろうけれど。
 彼女の姿には、最後の最後まで目を離すことができなかった。

 次回の公演をぜひとも拝見したい。
 ああ、面白かった。
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京都学生演劇祭Dブロック−2 コントユニット左京区ダバダバ『ゴリラ殺人事件』

☆京都学生演劇祭Dブロック−2
 コントユニット左京区ダバダバ(京都大学)

 脚本:寺岡慎一郎、谷畑仁
 演出:寺岡慎一郎
(2014年9月1日14時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 NHKのラジオ第1で、毎月最終火曜日に『みうらじゅんのサントラくん』なる番組が放送されている。
 みうらじゅんが手持ちのサントラを肴にあれやこれやと語り倒す番組で、「これほんとにNHKでいいの?」と突っ込みを入れたくなるようなマニアックでモノマニアックな内容なのだが、コントユニット左京区ダバダバの『ゴリラ殺人事件』は、みうらじゅんなら「こっち系」と大喜びしそうな、至極くっだらない、その実、そうそう一筋縄ではいかない、一粒で何度でも美味しい作品・舞台に仕上がっていた。

 で、こういう作品をしつこく腑分けしてみせるのは、それこそシネフィルまがいのはしたないことだから、あえて詳述しないけど、数々の映画(や、タイトル・モティーフから考えて、昔のテレビドラマ発のヒット曲もかな?)はもちろんのこと、その根底背景にある世界観、宇宙観すらも巧みに取り入れていて、お主やりおるなの一語。
 途中、パワーがぐんと落ちたから「おんやあ?」と思っていたが、ラストでにんまりできた。
 やっぱりそうこなくちゃね。

 はっきり言って、演者陣は巧く演じようとはしていない。
 でもここがお芝居の不思議なところで、巧くないからといって魅力がない訳じゃない。
 どころか、その演技がおかしさ、魅力につながることになる。
(Ecce Mike Mizno、『シベリア超特急』の水野晴郎を観よ!)
 西澤和浩はじめ、好感の持てる顔触れが揃っていた。
 中でも、メイド他役の中野愛子。
 一番いい頃の中村あずさみたいで、チャーミングだった。

 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭Dブロック−1 劇団立命芸術劇場『サナギ』

☆京都学生演劇祭Dブロック−1
 劇団立命芸術劇場(立命館大学)
 『サナギ』

 脚本・演出:蛯内涼香
(2014年9月1日13時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 よくメロドラマ、その典型であるソープオペラって馬鹿にされるけど。
 ピーター・ブルックスを持ち出すまでもなく、ああいう類いの作品ってほんとはちっとも馬鹿にはできないわけで。
 例えば、東海テレビ制作、CX・関西テレビ系列で13時半からやってるドラマなんて、ご都合主義全開の設定展開を逆手にとりつつ、視聴者を飽きさせないあの手この手。
 どぎつい表現もなんのその、それでいてけっこう人の心の深いところも突いてくる。
 だから、ベテラン中島丈博をはじめ、手だれの書き手たちが日々努力を重ねているのです。

 で、なんでこういうことを書くかといえば、今回立芸が上演した『サナギ』。
 これがどうにも、上述した13時半からのドラマの表面的な物語を希釈化させたというか、どんどん水を足して薄めきったような代物にしか観えなかったからだ。
 全く異なる場所で惑い悩む二人の女性が、ひょんなことから心を通わせあうようになって…。
 確かに蛯内さんの伝えたい想いはわからないわけじゃない。
 でも、やっぱりその設定や展開、台詞のやり取りは、僕にはあまりにも安易で陳腐としか感じられない。
 もし、今の設定でリアリティを追及したいというのであれば、二人の女性を大学生どうしにしてはどうか?
 少なくとも、確信犯的なミニマリズムではあるまいし、ああも一つのシチュエーションを繰り返すのであれば、基本べたな設定の作品なのだから、二人の反発葛藤をもっと描き込むべきだろう。
 例えば、ありきたりとはいえ、傘がぶつかり合ってお互いの感情がぶつかり合うとか。
 申し訳ないけれど、二人の心の変化に全く納得することができなかった。
(もう一つ付け加えれば、男性陣をあれだけ戯画化するのであれば、作品全体も邪劇に変化させるべきだ。もしくは『カバチタレ!』風とか)

 佑奈の山戸麻紗子は、2時間のサスペンスドラマの殺人容疑で逃走中の父親を信じて自ら推理をはじめるOL役とか、ネグレクトを受けているらしい生徒の行く末に心を悩ませている教師役とかがはまりそうな端整な容姿と演技の持ち主。
 もっと彼女の柄に合った役で観たい。
 燕の萩春暁も、自分と遠いだろう役柄を演じる努力を重ねていたが、燕という女性にあの日焼けの仕方はありなのか。
 そこらあたりが気になったりもした。
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2014年09月01日

京都学生演劇祭Cブロック−3 ウトイペンコ『タイヤキ』

☆京都学生演劇祭Cブロック C-3
 ウトイペンコ(京都大学)
 『タイヤキ』

 脚本・演出:疎いペン子
(2014年8月31日18時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


<たい>ことを<たい>せよ
<たい>ものを<たい>せよ

 とは、里見クが文章文体の入門編として著した『文章の話』<岩波文庫>の肝ともいうべき言葉だけれど、以前ヘルベチカスタンダードに所属していた柳澤友里亜を主宰とするウトイペンコの『タイヤキ』は、やりたいことをやり、仕掛けたいものを仕掛け、伝えたい想いを伝えた、それこそ「<たい>ことを<たい>し」「<たい>ものを<たい>した」大した舞台であった。
 身体性や言葉の遊びを重視しつつ、ノスタルジックでリリカルな作風は、当然柳澤さんのこれまでの演劇的体験の体現と考えて間違いはないだろうが、古野陽大の正直者の会等での体験もそこに加味されているのではないだろうかと、僕は思ったりもした。
 物の移動も含め、様々な所作、処理が必要とされていることもあって、舞台上の流れが何度か途切れてしまうきらいは否めなかったが、彼女彼らが生み出すおかかなしさと美しさ、そしてその根底にある切実さは強く印象に残った。
 より広い会場、そしてより長い時間でのウトイペンコの上演に、僕はぜひ接してみたい。

 がわが先か餡子が先かはひとまず置くとして、野村眞人の体格様態が「たいやき」という登場人物、のみならず『タイヤキ』という作品を体系づける大きなきっかけとなったことは事実だろう。
 共演陣の期待によく応えていたと思う。
 また、柳澤さんも強い存在感を示していたし、これまで喀血劇場の一員として活躍してきた古野君も芝居達者ぶりを発揮していた。

 できることならば、柳澤さんとのWキャストである小高知子が出演した上演のほうも観ておきたいのだが。
posted by figarok492na at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする