2025年11月29日

京都市交響楽団第706回定期演奏会

☆京都市交響楽団第706回定期演奏会

 指揮:ジャン=クリストフ・スピノジ
管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB2列6番/同1列5番
(2025年11月29日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)


 3ケ月続けての京都市交響楽団の定期演奏会。
 今回は自分で買ったチケットだけど、いつもの席が手に入らず、前半は1列後ろの席に座る。
 が、休憩になっても誰も座っていなかったので、隣にちょっと面倒そうな人がいたこともあり、移らせてもらう。
 平にご容赦!
 それにしても、LB1列は両端の2席(だいたい、いつも座っているお客さん。定期会員?)を除いて全て空いていた。
 怖い蟹、じゃないこは如何に?

 指揮はジャン=クリストフ・スピノジ。
 1964年のフランス生まれだから、こちらより5つほど年上。
 自ら率いるピリオド楽器の団体、アンサンブル・マテウスとのバロック音楽の演奏で注目される傍ら、モダン楽器のオーケストラへの客演も積極的に行ってきた。
 日本でも、すでに新日本フィルなどに招聘されている。
(YouTubeのhr交響楽団の公式アカウントで今日の定期でも演奏されたハイドンの交響曲第82番「熊」やラヴェルのボレロがアップされている。興味がおありの方はぜひともご視聴のほど)
 そうそう、昨夜参考までに手兵アンサンブル・マテウスとドイツ・グラモフォンに録音したアルバム『Miroirs』(バーバーの弦楽のためのアダージョやショスタコーヴィチの室内交響曲とヨハン・クリストフ・バッハやヨハン・セバスティアン・バッハ、バクリの声楽作品が並ぶ意欲的なプログラム)を聴いたが、とても精緻な演奏で聴き応え十分だった。

 さて、前半1曲目は、ロッシーニの歌劇『アルジェのイタリア女』序曲。
 モーツァルトの歌劇『後宮からの逃走』を俗っぽくしたようなドタバタ劇。
 序曲は、そのオペラのうち、ことにドタバタぶりが極まる部分の旋律を巧く使って実に愉しい。
 スピノジは身体を躍らせながら、軽快な音楽を造り出していく。
 とともに、ロッシーニの作品に潜む狂的なものもにじみ出ていたように感じた。
 それと、冒頭部分の静謐さ艶やかさも印象に残った。
 ちなみに、今回は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ(その後ろにコントラバス)が並ぶオーソドックスな弦楽器の配置だった。

 続く2曲目は、先述したハイドンの熊。
 遂に京都市内にも出現するなど、今のご時世、熊といえば身近な恐怖の対象となっているので、なかなか笑いごとではすまないが、こちらは音楽の世界。
 第4楽章冒頭のブイーンブイーンという音の鳴り方が熊の鳴き声、もしくは熊使いの音楽に似ているためについたあだ名だ。
 で、この熊が様々な意味で非常にスリリング、かつ非常に興味深く、非常に愉しい。
 スピノジのこと、もちろん弦楽器のヴィブラートを抑えるなど、いわゆるピリオド奏法を援用した演奏なんだけど、それより何より強弱緩急が伸縮自在、超スピードで駆け出したかと思うと、突然急停止、能の如きゆったりと歩いているのか歩いていないのかわからないような歩みを始めるという具合。
 ここぞというところでためるためる。
 ハンス・クナッパーツブッシュのハイドン演奏を思い出したほど。
 インテンポ、新即物主義とは正反対、即興性に満ち満ちている。
 しかも、それが単なる自己満足に終わることなく、この曲の持つシュトルム・ウント・ドランクの余韻だとか、音楽に織り込まれた対話だとかをあぶり出していく。
 第1楽章を聴いただけで、ああ、すごいなと感じ入った。
 終楽章の偽休止、スピノジのこれでもかの仕掛けに関しては上記のhr交響楽団との演奏で予想はついていたが、今回はさらにパワーアップ。
 京都市交響楽団の面々もそれにくらいつき、見事に大団円を迎えた。
 まずは、装飾付きのフルートソロにブラーヴァ!!!
(実は、客席のほうも非常にスリリング。第1楽章が終わった段階で不穏な空気が漂っていたのだけれど、偽休止の連発に到って一人の男性のお客さんの憤懣が爆発。偽休止ごとにブーを発し、とうとう「クレイジー」という叫び声まで。僕自身は、最近の諸々もあって、何がなんでも抗議をするな、お行儀よくせよとは思わないが、今日のあの叫びには自分の好み以外は認めぬという凝り固まった感情があったようにも思う。ただただ、馬鹿にするなと思ったのかもしれないけどね)

 休憩を挟んだ後半は、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。
 もちろん、ここでもスピノジの伸縮自在さは止まらない。
 速めのテンポで始まった第1楽章だが、すぐに音楽が遅くなる。
 まるで、自らの清々しく晴れやかな感情を、本当にそうなのかなあ、違うんじゃないかなあと問い直しているよう。
 第2楽章もデフォルメが効いており、第3楽章では心が狂おしく踊り出し、第4楽章で感情の嵐が大爆発する。
 だからこそ、終楽章の讃歌が実に美しく実に肯定的に感じられて仕方ない。
 この曲でも、京都市交響楽団はスピノジによく応えて、精度の高い音楽を聴かせてくれた。
 その点で忘れてならないのが、ベルリン・フィルの第1ヴァイオリン奏者で客演コンサートマスターの町田琴和だろう。
 スピノジの解釈を再現するにあたって、彼女の果たした役割はきっと大きかったはずだから。
(他に、客演のルドヴィート・カンタがチェロのトップをつとめていた)
posted by figarok492na at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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