4連休の最終日。
どんよりとしたお天気が続く。
急に気温が下がる。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪にもお気をつけのほど。
気圧と湿度のダブルパンチ!!
寒暖差もこたえる。
高市早苗に玉木雄一郎、吉村洋文。
目にしたくもない顔触れだ。
どう考えても、口にすることやること、いずれも上っ面だけの浅はかな人間じゃないか。
こういったつまらない連中に踊らされるなんて、本当に馬鹿げている。
もちろん、こういった連中を操って大笑いしている人間がいるんだろうが。
どうにも救いようがない。
ガザ地区の状況が非常に心配だ。
今日も人が殺され続けている。
そういえば、今年のノーベル平和賞受賞者(名前を書く気にもなれぬ存在)がトランプ大統領ばかりか、戦争犯罪人のネタニヤフに媚びを売っている。
何が人権がどうしたこうしただ、恥知らずの極みではないか。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番を聴き、KBS京都ラジオでオードリーのオールナイトニッポンを聴きながら仕事関係の作業を進めたのち、3時少し前に寝床に就く。
マタチッチのチャイコフスキーの交響曲第5番は、LPではなく音楽テープ(カセットテープ)で愛聴していた。
久しぶりに聴き直したが、昨夜聴いたベートーヴェンのエロイカ同様、マタチッチという音楽家には、表現主義と新即物主義が同居していたのではと改めて感じた。
シャープできびきびとした音楽の進め方は、言わずと知れた新即物主義。
そして、ここぞというところでのドラマティックでパワフル、桁外れな表現は表現主義だ。
いずれにしても、強烈な印象を残す指揮者である。
9時過ぎに起きる。
午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでマタチッチ指揮チェコ・フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を聴き、シェイラ・アーノルドが弾いたシューベルトの4つの即興曲D.899とピアノ・ソナタ第18番を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、川口則弘の『文芸記者がいた!』<本の雑誌社>を読み進めたりする。
マタチッチの悲愴交響曲は、エロイカ同様、LP時代に日本コロムビアの廉価盤を買ってよく聴いていたので、実に懐かしい。
13時半過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
今日は近場ですませた。
帰宅後、amazon music unlimitedでマタチッチ指揮チェコ・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第5番と第7番を聴き、ハワード・シェリーがタスマニア交響楽団を弾き振りしたクララ・シューマンのピアノ協奏曲、ヒラーの演奏会用小品、アンリ・エルツの演奏会用ロンド、カルクブレンナーの夢を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、今後の創作について考えたり、『文芸記者がいた!』を読み進めたりする。
マタチッチのブルックナーを続けて2曲。
いずれも、見事というほかない演奏だ。
第5番はやたけた具合が凄まじく、第7番は特に前半2楽章に魅かれる。
実家に電話をかけるも、今日もつながらず。
まあ、仕方ない。
来週末にまたかけることにしよう。
夕飯後、amazon music unlimitedでロイヤル弦楽4重奏団が演奏したシマンスキの弦楽4重奏のための5つの小品、4つの小品、2つの小品、ミキェティンの弦楽4重奏曲第2番を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、今後の創作について考えたりする。
『文芸記者がいた!』を読了する。
新聞社への所属を中心に、特筆すべき文芸記者について時代を追いつつ記した一冊。
ああ、面白かった!
入浴後、amazon music unlimitedでマタチッチ指揮チェコ・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第9番、アンジェラ・ヒューイットが弾いたピアノ・トランスクリプション集『ラヴ・ソングズ』を聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴きながら仕事関係の作業を進める。
マタチッチとチェコ・フィルのブルックナーの交響曲第9番は、人生で初めて買ったCDだった。
プレイヤーもないのに買って、盤面など眺めているうちに擦り傷が出来てしまうという笑うに笑えない、泣くに泣けないエピソードもあって、未だに忘れ難い一枚である。
今日は、甘いものは少しだけ食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2025年10月19日
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