☆京都市交響楽団第704回定期演奏会
指揮:沖澤のどか
管弦楽:京都市交響楽団
座席:1階29列1番
(2025年9月20日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
飛ぶ鳥を落とす勢いの沖澤のどかと京都市交響楽団の定期演奏会だもの、そらチケットなんて手に入らんやろと諦めていたら、前々よりお世話になっている方から、チケットがあるけど如何ですかとのお誘いが!
迷わず譲っていただくことにした。
本当にありがとうございます!!
ちなみに、今回の座席は1階奥の舞台に向かって左端。
オーディオ的というかハイファイ的というか、いつもの席と違って間接的な音の感じが強い。
で、前半はルイーズ・ファランクの交響曲第3番。
今年没後150年を迎えるファランクは、1804年にパリに生まれた女性の作曲家だが、その音楽的素地はドイツ・オーストリアの古典派にある。
LP時代は知る人ぞ知る存在だったけれど、社会そのものと同時にクラシック音楽の世界でも男性中心的な見方考え方の変化が起こったことに、CDという新たな音楽媒体の登場も加わり、3曲の交響曲をはじめ、室内楽曲や器楽曲とコンスタントにその作品が録音されるようになった。
メモリアルイヤーということもあり、その名もアンサンブル・ルイーズ・ファランク(ヴァイオリンの金川真弓も参加)が演奏したピアノ5重奏曲第1番<CPO>やエマニュエル・デスパックスとピアッティ・カルテットが演奏したピアノ5重奏版の6重奏曲<Signum>が最近リリースされたが、いずれも作品の持つ魅力をよく伝えている。
ファランクの特性を簡単に表すと、上述したような古典派の規矩に則りつつ、優美さと内面の心の揺れをも反映したかのような緊張、劇性が同居したような音楽の創り手ということになるだろうか。
ト短調の第3番の交響曲は、そうした彼女のあり様を象徴するような作品と言っても言い過ぎではないと思う。
公演パンフレットの解説で増田良介は同じ調性のモーツァルトの第40番の交響曲からの色濃い影響を指摘しているが、音楽の構えからは同じ短調のシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」やメンデルスゾーンの交響曲第1番をすぐに思い出す。
沖澤さんは基本的にオーソドックスな音楽づくり(楽器の配置も、第1ヴァイオリンの隣に第2ヴァイオリンが並ぶスタイル)だけれど、きびきびと流れがよいので弛緩することは全くない。
初期ロマン派的な清澄さに彩られた第2楽章、ドラマティックで切迫感に満ちた第4楽章など、細やかな解釈で作品の持つ魅力を的確に表していたし、京響もそれによく応えていた。
加えて、演奏そのものばかりでなく、ファランクの作品を選択するということ自体に、沖澤さんが活躍の場を海外にも着々と拡げていることを強く感じた。
休憩を挟んだ後半は、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』。
リムスキー=コルサコフの管弦楽技法の天才ぶりが如実に発揮されたおなじみの作品だが、もうこれは、ああ、素晴らしかった!!! ああ、大満足だ!!! ですませてもよいくらい。
京都市交響楽団の『シェエラザード』は、金洪才が指揮した第303回定期演奏会(1988年4月)、広上淳一が指揮した第511回(2008年4月)に続いて3回目だけど、いやあ、京響ってほんとにいいオーケストラになったなあと改めて感じ入った。
もちろん沖澤さんのオーケストラのコントロールも抜群だ。
フォルテッシモでの迫力!
しかもあれだけ音が大きくなっても粗さや濁りを感じさせない。
それから、切れ味のいいこと。
リズムが、メロディー、ハーモニーと並んで音楽の大切な要素であることを再認識させられた。
それでいて、というか、だからこそ、この曲の持つ物語性も見事に再現されている。
てか、第1楽章からずっと、この演奏を聴いていることへの嬉しさがわき上がっていた。
ヴァイオリン・ソロはコンサートマスターの石田泰尚。
見た目と違って、いや見た目通りの繊細な演奏を披歴する。
京都市交響楽団も、ソロ・アンサンブル両面で一層充実した音楽を生み出していた。
さらに、今回は定期にもかかわらずアンコール付き。
しかも、大好きなドビュッシーの月の光(カプレ編曲)。
なんと美しい音楽だろう。
すうっと心が落ち着いていく。
心底幸せな気分になれたコンサートだった。
重ねて、チケット、本当にありがとうございます!!
2025年09月20日
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