2025年05月17日

京都市交響楽団第700回定期演奏会

☆京都市交響楽団第700回定期演奏会

 指揮:ハインツ・ホリガー
 独奏:ハインツ・ホリガー(ピアノ)
管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB1列5番
(2025年5月17日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)


 京都市交響楽団にとって700回目の定期演奏会。
 まずはおめでとうございます!
 そして、この間新型コロナもあってしばらく足を運ぶことができない期間もあったが、2016年4月15日の広上淳一指揮による第600回に続いてこの第700回も聴くことができて本当によかった。
 かなうことならば、ぜひ第800回の定期演奏会も生きて聴くことができればと思う。

 さて、記念すべきこの定期演奏会の指揮台に上がったのは、スイス出身で世界的オーボエ奏者として知られるとともに、指揮者・作曲家としても活躍するハインツ・ホリガーだ。
 あいにくオーボエの実演に接したことはないが、指揮者としてのホリガーには、30年以上前の1993年10月13日、ケルン・フィルハーモニーにおけるドイツ・カンマーフィルのコンサートで接したことがある。
 前半に序曲『ヘルマンとドロテア』とトーマス・ツェートマイアーの独奏によるヴァイオリン協奏曲のシューマン2曲、後半はバルトークの弦楽のためのディヴェルティメントに亡くなって間もない作曲の師匠ヴェレシュ(1992年没)の作品という、まさにヨーロッパを実感するプログラミングで大いに満足した記憶がある。

 で、1曲目は、ホリガーの自作『エリス 3つの夜の小品』。
 ホリガー自身のピアノ独奏で全曲演奏されたあと、今度は大編成のオーケストラによって演奏されるスタイル。
 ホリガーが十八番とする新ウィーン楽派の影響が色濃い、点描的手法の作品だが、ピアノ・ソロではウェーベルンを想起する一方、オーケストラではその師匠であるシェーンベルクを想起した。
 2曲目も同じくホリガーの作品。
 ただしこちらは、上述したヴェレシュの80歳を記念したリストのピアノ曲『灰色の雲』と『不運』をオーケストラ用にトランスクリプションしたものだ。
 両曲ともリスト晩年の先鋭的な曲調で、ここでも新ウィーン楽派に寄った造形はもちろんのこと、ヴェレシュの持つ民族性とモダンさを兼ね備えた語法への敬意も十分にうかがえる。
 特に、『不運』での禍々しさすら覚える大管弦楽の激しい響きが強く印象に残る。

 15分間の休憩を挟んだ3曲目は、武満徹の『夢想』。
 1985年9月9日の小澤征爾指揮による京都市交響楽団の特別演奏会で初演された作品だ。
 指揮者を囲むようにフルート、弦楽4重奏、クラリネットが陣取り、中央すぐ後ろにチェレスタを挟んでハープ2台。
 対抗配置だが、第1と第2ヴァイオリンが通常とは違い逆の位置に座り、ヴィオラ・チェロ・コントラバスは左右2群。
 さらに管楽器、打楽器が居並んで、実に壮観である。
 音楽自体は、点描主義・一音主義から叙情的な旋律を重んじるという武満徹の作風の変化の過程が如実に示されているのではないか。
 ホリガーはそうした作品の性格をよく把握し、明晰で見通しのよい音楽を生み出していたし、京都市交響楽団も精度の高い演奏で、指揮者の意図によく応えていた。
(ホリガーは、この『夢想』の「夜の音楽」という結構や曲調語法を十分承知した上で、共通点の多い自らの2つの作品をプログラミングしたのだろう)

 2度目の15分間の休憩後に演奏されたのは、シューマンの交響曲第1番「春」。
 同時期のドイツ・ロマン派の有名作曲家に比してオーボエ作品が多いということもあるからだろうか、ドイツ・カンマーフィルでのコンサートでも取り上げていたし、ケルンWDR交響楽団とは交響曲・管弦楽曲・協奏曲全集を録音するなど、ホリガーはシューマンをライフワークとしている。
(ホリガーのドイツ・ロマン派の管弦楽曲の録音といえば、ほかにバーゼル室内管弦楽団とのシューベルトの交響曲全集があるくらいではないか)
 今日のコンサートでも、そうしたホリガーの偏愛ぶりが十分十二分に発揮されていた。
 ノンヴィブラート等々、いわゆるピリオド・スタイルを援用した演奏だが、一気呵成に音楽が駆け抜けるような1月定期のヤン・ヴィレム・デ・フリーントの第2番の交響曲とは対照的に、細部をじっくりたっぷりと描き込むスタイル。
 だから第1楽章が始まってすぐの頃は、少しおとなしいかなと感じてしまったのだが、なんのなんの、音楽が進むうちにじわじわじわじわ要所急所がしっかりと押えられていって、どんどん惹きつけられていく。
 以降、第2楽章の抒情性、第3楽章の諧謔性、そして終楽章の急緩強弱の対比が的確に再現されており、なおかつシューマンの音楽の持つ明暗両面も丹念に表現されており、実に聴き応えがあった。
 それにしても、シューマンの作品には、ベートーヴェンやシューベルト、メンデルスゾーン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー、ヨハン・シュトラウスU世といったそれまでや同時代のドイツの作曲家の影響や予感がそこここに潜んでいる。
 ホリガーの指揮はそのことを改めて教えてくれた。
 京都市交響楽団はここでも優れた演奏を繰り広げていた。
 プレトークの松井京都市長の言葉ではないが、京響は本当に素晴らしいオーケストラだ。
(そうそう、第1楽章が終わったあとお客さんの咳が入ったのでホリガーは「仕方なく?」休みをとったけど、本当は続けて第2楽章に入りたかったんじゃないのかな。あとの楽章はアタッカで通していたので)
posted by figarok492na at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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