晴天。
日中、今日も気温が上がる。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。
新型コロナウイルスにもお気をつけのほど。
やはり花粉が飛んでいるようだ。
目の周りがなんだか痒い。
世の中、いやな出来事が相ついで起きる。
どうしようもない。
残念残念と繰り返す。
熱心なファンならまだしも、メディアがこぞって残念残念と繰り返す様は、沙汰の限りだ。
何が残念なものか。
非常に残念なのは、秋山和慶の引退だ。
元日に自宅で転倒し入院していたが、復帰が困難となり引退することになってしまった。
東京交響楽団の苦難の時を共に生きた秋山さん。
指揮者としての実り多い晩年をこれから送るはずではなかったのか。
後輩井上道義のような別れの機会もないままに、秋山さんは引退を余儀なくされた。
本当に本当に残念でならない。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでアンシェル・ブルシロウ指揮フィラデルフィア室内交響楽団が演奏したチャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」、アレンスキーのチャイコフスキーの主題による変奏曲、チャイコフスキーの弦楽4重奏曲第1番から第2楽章:アンダンテ・カンタービレを聴き、ケルン弦楽6重奏団が演奏したブリッジの弦楽6重奏曲、ホルストのスケルツォ、ホルブルックの弦楽6重奏曲「ヘンリー・ヴォーン」を聴きながら仕事関係の作業を進めたのち、2時50分過ぎに寝床に就く。
9時過ぎに起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、下京図書館へ行く。
借りていた本を返却し、森本恭正の『日本のクラシック音楽は歪んでいる』<光文社新書>と予約しておいた灰原薬の『応天の門』18<新潮社>を新たに借りる。
その後、午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでアントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムが演奏したモーツァルトの交響曲第39番を聴き、ルッジェーリ・カルテットが演奏したオンスロウの弦楽4重奏曲集を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、次の新しい作品について考えたり、長嶋有の『トゥデイズ』<講談社>を読み進めたり、『応天の門』18を読み始めたりする。
午後、仕事関係の予定をすませる。
で、15時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでマナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムが演奏したモーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」を聴き、ピアノのフィンギン・コリンズ他が演奏したモーツァルトのピアノ4重奏曲第1番と第2番を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、『応天の門』18を読み進めたりする。
『トゥデイズ』を読了する。
表題作通り、今現在の状況の中で「生活する」「生きる」姿が活写された作品集。
軽妙で飄々と、現実に向き合った作品であり好感を抱く。
夕飯後、amazon music unlimitedでフリーダー・ベルニウス指揮ホーフカペレ・シュトゥットガルト他が演奏したハイドンの十字架上のキリストの最後の7つの言葉を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、次の新しい作品について考えたり、『応天の門』18を読み進めたりする。
入浴後、amazon music unlimitedでパーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団他が演奏したオルフのカルミナ・ブラーナを聴き、テオルボ、ティオルビーノ、バロックギターのアルバーヌ・インブスとテオルボのロルフ・リスレヴァンドが演奏したカスタルディ&ペッレグリーニ作品集を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、『応天の門』18を読み進めたりする。
今日は、甘いものは少しだけ食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2025年01月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック