今日から2025年。
あけましておめでとうございます。
本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
晴天。
いいお天気、いい青空になる。
日中は陽光もあって、実際の気温より高く感じた。
朝晩は冷えるが。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪にはお気をつけのほど。
新型コロナウイルスにもお気をつけのほど。
身体が重たし。
能登半島地震から1年が経った。
9月の豪雨も重なり、未だ能登半島の状況は厳しいままだ。
天災ではなく、まさしく人災である。
ガザ地区も大雨に襲われた。
そんな中でも、イスラエル政府の攻撃は続く。
今日も人が殺され続ける。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでルドルフ・ブッフビンダーが弾いたピアノ小品集『ウィーンの夜会』を聴き、桂歌丸が話した『尻餅』を聴きながら新年の作業を進めたのち、3時10分過ぎに寝床に就く。
『ウィーンの夜会』は、タイトルにもなっているグリュンフェルトの小品などウィーンに関係した作品ばかりか、幻想即興曲などのショパンの作品にもウィーン風の味わいがある。
ちなみに、ブッフビンダーは生まれこそ違うものの、5歳からウィーンで学んだ人だ。
9時過ぎに起きる。
午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedで立川談志が話した『松曳き』と『代書屋』を聴きながら友人知己への年始のあいさつを行ったり作業を進めたりしたのち、ナタリー・シュトゥッツマン指揮アトランタ交響楽団が演奏したドヴォルザークのアメリカ組曲と交響曲第9番「新世界より」を聴く。
13時台、実家に電話をかける。
年始のあいさつのほか、30分以上両親と話をした。
途中父が、30歳で戦死(詳しく記すと、三菱に徴用されて長崎市で被爆死)した父親の代わりに自分はその3倍である90歳まで生きたいとずっと思っていたと口にする。
自分が4歳のときに亡くなったので父親の記憶はほとんどない、父親のこともあって天皇一家に対してはよい感情を持っていないとも語った。
それは、偶然にも今改稿作業を進めている新しい作品に記したことと深く繋がっていることだ。
いろいろと考え、いろいろと想う。
14時台に外出し、近くの神社で初詣をすませたのち、三条会商店街の西友で夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
お正月は、西友以外のスーパーはお休みなのだ。
帰宅後、amazon music unlimitedでジョン・マウチェリー指揮ハリウッド・ボウル管弦楽団が演奏した『ザ・グレート・ワルツ』を聴きながら年末年始のやり取りをしたり、ジョルジュ・シフラの『ジョルジュ・シフラ回顧録 大砲と花』<彩流社>を読み進めたのち、ミハウ・バラスとクリスティアン・エルニー指揮プファルツ選帝侯室内管弦楽団が演奏したハイドンのチェロ協奏曲第1番と第2番を聴き、柳家権太楼が話した『幽霊の辻』(小佐田定雄作)と『天狗裁き』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
『幽霊の辻』と『天狗裁き』は上方の噺を江戸に移したもの。
夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴きながら作業を行ったり、『ジョルジュ・シフラ回顧録 大砲と花』を読み進めたりする。
昨年12月30日に収録された『角田龍平の蛤御門のヘン』は、「蛤御門アワード2024」なり。
入浴後、とある用件で旧友より電話があり、45分以上話をした。
新年のあいさつも兼ねての急な依頼で、依頼そのものはすぐにOKを出せない状況だが、その代わりにアイデアを提供する。
うまくいくよう願うばかり。
その後、amazon music unlimitedでイゴール・レヴィットが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのパルティータ第1番を聴き、アルフレッド・ブレンデルとハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴きながら作業を進める。
今日は、甘いお菓子は食さず。
朝昼兼用の食事で食べた伊達巻がことのほか甘かったので。
まるでカステラだよ、これは。
が、それだけで食べてみたらとたん練り物感が強まる。
お主、一筋縄ではいかぬな。
ごちそうさま!
ところで、伊達政宗と伊達巻ってほんまに関係あるの?
人の命について考える一日だった。
明日がいい日でありますように!
そして、今年がいい年でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2025年01月01日
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