☆熊谷みずほプレゼンツ4「グッナイ」
1・終わりが無かったら良かったのにな(熊谷みずほ作)
2・替えがないのに汚れた(丸山俊吾作)
演出:丸山俊吾
出演:ヤマナカサヨコ、熊谷みずほ
(2024年6月14日17時開演の回/the SITE)
前も書いたことだが、50を前後してワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』がぐっと身に沁みるようになってきた。
と言って、突然老いらくの恋に覚醒したわけではない。
自らコントロールしたくともできない、やむにやまれぬ心の動きの強さ、痛切さ、人生のはかなさが我が身のこととしてようやく実感できるようになったからである。
そういえば、熊谷みずほさんがnoteにアップしたある文章に目を通したとき、『トリスタンとイゾルデ』の旋律がすぐに脳裏を過った。
なぜなら、あの楽劇の筋書きと通じるような出来事、真情が赤裸々に書き連ねてあったからだ。
そこには、それを率直に吐き出さざるを得ない弱さとともに、傍からどう見られても構わないという覚悟というか自負というか強さもあって、思わずかなわんなと呟いたほどだった。
熊谷さん企画による演劇公演、熊谷みずほプレゼンツ4『グッナイ』の前半、熊谷さんの自作「終わりが無かったら良かったのにな」にもまた、そうした弱さと強さをはじめ、虚と実、危うさと安らかさ、静と動、生と死といった一見相反するようでありながら、その実コインの裏表のような感情や関係が繊細に織り込まれていて、ぐっとひき込まれた。
もちろん、この作品、ヤマナカさんと熊谷さんの演技には『トリスタンとイゾルデ』のようなときに過剰ですらある音楽は必要ない。
二人の言葉、声がすでに音楽のように聴こえてきたから。
今時、性別を分けて記すのもなんだが、女性の演者さんへの丸山君の演出の確かさは、すでに月面クロワッサン番外公演 月面クロワッサンのおもしろ演劇集『強く押すのをやめて下さい』(2014年3月/人間座スタジオ)などで証明済だ。
「終わりが無かったら良かったのにな」では、なおのこと作品演者との関係性が活かされていたのではないか。
緊張と緩和。
後半、丸山君の自作「替えがないのに汚れた」は一転してファルス的な構え。
それでいて、まさしく一期一会の余韻が残る。
僕は、友達図鑑2回目『友達図鑑のかたくなにゆでる』(2012年2月/人間座スタジオ)以来、丸山君が書いて演出するお芝居が大好きで仕方ないのだが、僕にとっての彼の芝居の魅力は色川武大言うところの「おかかなしさ」だ。
おかしさの中に深淵がのぞく。
弱さと強さ、強さと弱さの同居。
笑いにまぶしつつも何かを吐き出さずにはいられないもの狂おしさ。
熊谷さんが丸山君を信頼するのもよくわかる。
で、ここで感嘆したのは、ヤマナカさんと熊谷さんの顔がさっと変わったこと。
あえて演技とは書かない。
もうまるで別人というような。
熊谷さんが時折丸山君のような台詞遣いをする箇所があったのもおかしかった。
そして、だからこそ、そういう設定はないだろうに、「終わりが無かったら良かったのにな」と「替えがないのに汚れた」の二人は同じ人物なのではという錯覚に陥った。
人には様々な側面があって、いつどのようにコインが裏返ってしまうかわからない。
観終えたあとしばらく経って、じわじわとそのようなことを考えてしまった。
二作で40分弱というのも、個人的にはありがたかった。
明日までの公演。
お時間おありの方はぜひ!!
2024年06月14日
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