昨夜に続いて、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲を聴く。
第8番の「ザ・グレート」<WARNER>だ。
この曲といえば、その異名の通り偉大で巨大な交響曲として扱われてきたが、昨今のピリオド流儀の超快速演奏が全盛となってからは、そうしたイメージがだいぶん変わってきた。
もちろん、クレンペラーの演奏はかつてのスタイルに基づくゆったりとしたテンポの演奏。
例えば第1楽章、ピリオド・スタイルでなくとも冒頭の部分が終わると一転加速する解釈が一般的だけれど、クレンペラーの場合はテンポの変化は感じられず、悠揚とした歩みが続く。
ただし、例えばセルジュ・チェリビダッケや晩年のカルロ・マリア・ジュリーニのようなここでもかというほどの遅さではない。
あくまでも前へ進もうという意思が明確に示されているからだ。
テンポの遅さより強く感じるのは、音楽の構えの大きさだろうか。
音の巨大な塊が目の前を過ぎ去っていくような。
そうそう、聴いていてふと今は亡きジャイアント馬場のことを思い出したりもしたんだ。
あまり細部をいじろうとしない分、時々シューベルトの音楽の持つスタイリッシュでない部分が強く感じられるのも、なんだかジャイアント馬場のおとぼけぶりっぽい。
そういえば、クレンペラーも2メートル近くの長身だったという。
名は体を表すではなく、体は藝を表すということか。
リマスタリングの成果もあって、音質にも不満はない。
2024年03月30日
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