「悲しくて、とてもやりきれない」
と歌う歌が昔あった。
グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番<WARENER>を聴きながら、この歌のことを思い出した。
1955年8月のステレオ録音。
心のうちには熱い想いが湧き起こっているのに、それを思い切り外に向かってぶちまけることができない。
悲しくて、とてもやりきれないそんなあり様がひしひしと伝わってくる作品だ。
逡巡しつつ、ときに後戻りしながら前へ進んで行く第1楽章、晴れたと思ったらすぐに曇り出し、また晴れ間が見えてくるような第2楽章、映画『さよならをもう一度』で効果的に使われた熱い想いが切々と募る第3楽章、遂に想いの一端が表れ出るものの、どうしてもぐっと呑み込んでしまうような第4楽章。
以前聴いたシューベルトの未完成交響曲と同様、カンテッリは過度に角を立てることなく宥めるように音楽を進めていく。
とともに、冒頭の主題が形を変えて交響曲全体を支配していること、この交響曲の音楽的構造を明確に示してもくれる。
もちろん、そうした構造は心のうちの感情表現と不可分なものであることは言うまでもない。
冒頭の主題が展開していくといえば、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」が有名だけれど、あの曲が世界に向けて雄弁に語り続けているものだとすれば、こちらは自らの内側への問いかけ、自らの感情の折り合いをどうつけていくかということに主眼が置かれているように聴こえる。
全楽章、静かに終わっていくのもこの交響曲の特徴だが、カンテッリはそこで一層音楽を宥める。
とてもやりきれないが、けれど絶望することはない、そんな感情を抱く素晴らしい演奏だ。
第3楽章だけもう一度聴いた。
名手デニス・ブレインのホルンのソロも含めて、本当に美しい。
2024年03月15日
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