グイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して遺した録音の中から、1954年6月に録音されたドビュッシーの牧神の午後への前奏曲とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』<WARENER>を聴く。
牧神の午後への前奏曲は、冒頭のフルートの独奏から穏やかな美しさだ。
官能性にも不足しないが、昨夜聴いたフルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』とは違って、もっと清澄で抑制されている。
一転、魔法使いの弟子は、冒頭からきびきびとした音楽でぐっと惹きつけられる。
魔法使いの弟子が箒に命じて水汲みをさせるも、それをとめる呪文がわからず水はどんどん溢れかえる、それではと箒をばらばらにすると今度はばらばらになった破片が箒になってますます水汲みをし始める…。
そうした筋書きのよくわかる、要所急所を巧みに抑えたドラマティックな音楽づくりに感心した。
先日聴いたロジンスキーのから10年足らずの間に録音されたものだが、よくコントロールされたオーケストラという点では共通しているものの、カンテッリのほうはよりスタイリッシュでモダン、現代的な音色というのか、細部まで音がよく馴らされている。
機能性や均整と躍動性劇性をよく兼ね備えた演奏と言い換えてもよい。
二つの曲とも大いに愉しめた。
2024年02月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック