ヨハネス・クルンプとエッセン・フォルクヴァンク室内管弦楽団によるモーツァルト・シリーズから、交響曲第1番、第28番、第41番「ジュピター」を集めたアルバム<GENUIN>を聴いた。
スピーディーで快活、まさしくピリオド・スタイルのモーツァルトなんだけど…。
実は、この組み合わせが演奏したディヴェルティメントK.136、K.137、K.138を聴いたときと同じく、はじめは爽快に思えた速いテンポがどんどん無機的に感じられてしまい、正直これって速さのための速さじゃないのかとどんどんつまらなくなってしまうのである。
両端楽章の追いかけっこ競争のような表現の単調さも大きな原因になっているのだろうが。
クルンプいえば、不慮の事故のために再起不能となったトーマス・ファイに代わってハイデルベルク交響楽団とのハイドンの交響曲全集を進めているが、今年に入って一気に4枚分のアルバムがリリースされたんだった。
同じピリオド・スタイルとはいえ、師匠ニコラウス・アーノンクール譲り、あちらをこう立たせてこちらはこう退いてといった綿密極まる音楽づくりを重ねていたファイと異なり、クルンプならば、あ〜らよ出前一丁ならぬあ〜らよハイドン一丁、あ〜らよモーツァルト一丁とばかりさくさくスピーディーに録音を進めていけるだろう。
その手際の良さはそれこそ古典派作品、古典派作曲家のあり様にも通じるものだ。
ただ、そうした手際の良さへのアンチテーゼとしてピリオド・スタイルは台頭してきたのではなかったのか?
2024年02月18日
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