1960年代、積極的にマーラーの交響曲を取り上げた数少ない指揮者の一人が、イギリス出身のジョン・バルビローリだった。
手元に名盤の誉れが高いベルリン・フィルとの交響曲第9番のCD<EMI>があるけれど、コンサートでの成功に感動したオーケストラが急遽セッション録音を決めたというだけあって、作品の核となるものと指揮者の音楽性が一体化した熱量の高い演奏となっている。
そのバルビローリがロンドン交響楽団と録音したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』<WARENER>を聴いた。
1969年というから翌年亡くなったバルビローリにとっては、最晩年の録音になる。
遅い。
通常45分程度のものが、50分もかかる。
一つには健康状態があまりよくなかったのもあるのだろう、これがセルジュ・チェリビダッケのように遅さが細部まで丹念に再現し尽くすための遅さならまだしも、冒頭部分からしてどうも締まらない感じがする。
そもそもリヒャルト・シュトラウスは、職人肌というのか自らのオーケストレーションに対して強い自信と自負を持った作曲家だ。
おまけに、韜晦と皮肉をたっぷりとためたユーモア感覚の持ち主でもあった。
己の世界に没入して、世界に向けて感情を晒しまくるようなマーラーを冷ややかな視線で見つめていた風でもある。
それこそ、ジョージ・セルやヘルベルト・フォン・カラヤンのようなオーケストラのコントロールを第一義とするような指揮者にこそぴったりの音楽なのだ。
だから、バルビローリだとどうしても緩さが気になって仕方がない。
ドイツの名門楽団のような重々しさはないけれど、ロンドン交響楽団は技量の高いオーケストラで、ここでも達者なソロが聴ける。
聴けるのに、それがはまるべきところにすとんとはまらないもどかしさをそこここで感じてしまった。
ところが曲が進んでいく中で、緩やかな部分、陰影が増す部分ではバルビローリの音楽性が本来の作品以上の効果を見せる、聴かせる。
それこそまるで、マーラーのアダージョやアダージェットのように。
そして迎える「英雄の引退と完成」の穏やかで優しい諦念には、はっと驚かされた。
この交響詩を作曲したとき、リヒャルト・シュトラウスがまだ三十代半ばだったということなどどこかへ吹き飛んでしまう。
自らを「英雄」だなどと勘違いはせぬだろうバルビローリという一人の音楽家の生涯だけがそこには映し出されている。
不思議な感慨にとらわれる演奏であり録音だ。
2024年02月07日
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