クラシック音楽を聴き始めた1980年代半ばはまだ、教養主義の残滓というのかクラシック音楽の有名どころはある程度押さえておくのが常識といった感じが残っていた。
百科事典と同じように、クラシックのLPやCDの名曲全集を買い揃える家庭もそこそこあったのではないか。
シューベルトの交響曲第8番「未完成」、いわゆる未完成交響曲など、名曲中の名曲の一つとして、当然そうした全集に含まれていた。
で、そうした常識がもろくも崩れ去った今、しかも番号まで第7番と呼ばれるようになった未完成交響曲の音楽的位置というものは、大きく変わってしまった。
少なくとも、かってほどに崇め奉られる存在ではあるまい。
それでも、シューベルトの晩年の作品に共通する深淵と諦念とどう向き合うかは、未だに未完成交響曲を演奏する際には避けては通れない課題であることも確かだろう。
最近では、速いテンポで音楽を進めつつそうした深淵や諦念と果敢に切り結んだアントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムの録音<SONY>が強く印象に残っている。
深淵と諦念とどう向き合うか、ということでどうしても忘れてはならないのが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーだろう。
彼は、この未完成交響曲を特別な曲と感じ、演奏する際も極度に興奮緊張していたと伝えられている。
そのフルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮した未完成交響曲を聴いた<WARNER>。
ただし、1950年にウィーンでセッション録音された有名なものではなく、同じ年の10月1日に行われたコペンハーゲンでのコンサートをデンマーク国営放送がライヴ録音したものである。
正直、最新のリマスタリングが行われているにせよ、音質はよくない。
加えて、演奏自体も最善のものとは言えない。
ただ、フルトヴェングラーのこの曲との向き合い方や、そうして生まれた音楽の凄さ、激しさ、美しさの一端を知ることはできた
2024年01月23日
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