クラシック音楽を熱心に聴き始めた1980年代半ば以降、そのクラシック音楽界ではそれまで当たり前とされてきたことへの根本的な見直し、洗い直しが進められた。
その代表例が作曲家がその作品を作曲した時代の演奏様式を検証再現するピリオド奏法だろう。
それは、18世紀におけるヨーロッパ全体の音楽的規範を知らせるとともに、個々の作曲家や作品、演奏の地域的な特色を再発見するものでもあった。
そしてその流れはさらに19世紀から20世紀前半へと進んでいった。
そうした中で、ウインナ・ワルツならばウィーン・フィル、スメタナやドヴォルザークならチェコ・フィルといったこれまでの常識とはかけ離れた名演名録音も誕生してきた。
むろん、その一方で演奏者自身の演奏に対するプライドも含めて、上述したような常識、作曲家と演奏家の結びつきが根強く支持されていることも否定しがたい事実だ。
特にイタリアのオペラ、中でもその代表格のヴェルディならば、イタリア最高のオペラ劇場と目されるミラノ・スカラ座でなければという考えは未だに揺らいでいない。
ミラノ・スカラ座のオーケストラと合唱団がヴェルディのオペラの合唱曲集<DECCA>を聴きながら、そのようなことを少しだけ考えた。
指揮は、現在の音楽監督リッカルド・シャイー。
彼の70歳とデッカ・レーベルへの専属契約45年を契約したアルバムだ。
カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、ジュゼッペ・シノーポリが亡くなった今、シャイーはリッカルド・ムーティに次ぐイタリアを代表する指揮者だが、ムーティが到達した演奏(昨年末に聴いたマスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』のライヴ録音は、ギリシャ悲劇のようなスケールの大きさと美しさに心底驚愕し感動した)に比較すると、まだ人間らしいというか生々しいというか、若き日のよく言えば熱血的な、悪く言えば直情的な演奏の片鱗をうかがわせるものがある。
ただし、シャイーのとる速めのテンポや楽曲の解釈が彼の性質に由来するだけではなく、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との録音に端的に示されているようなピリオド奏法からの影響によるものであろうこともやはり指摘しておかねばなるまい。
それにしても、ミラノ・スカラ座の合唱団の層は厚い。
ヴェルディのドラマティックな歌をよく再現していると感心した。
2024年01月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック