マタイにヨハネの両受難曲にミサ曲ロ短調、トッカータとフーガニ短調(偽作の疑いもあるんだけど)に小フーガト短調、それから無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のシャコンヌの印象があまりにも強くって、ついついヨハン・セバスティアン・バッハはしんねりむっつりした音楽ばかり書いているものと思いがちだが、もちろんそんなことはない。
ブランデンブルク協奏曲もあれば管弦楽組曲もあるし、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番もある、ほかにもいっぱいある。
バロック・ヴァイオリンの寺神戸亮とチェンバロのファビオ・ボニッツォーニが演奏したバッハのヴァイオリン・ソナタの第1集<Challenge Classics>を聴きながら、短調もいいけど(第1番ロ短調)、やっぱり長調(第2番イ長調と第3番ホ長調)もいいなと改めて思う。
中でも第2番の第2楽章や第3番の終楽章の跳ねるような明るい音楽は、実に耳になじむ。
もはやピリオド楽器奏者としてはベテランの域に入った寺神戸亮は、艶やかで伸びやかだがどこか塩辛い感じのする音色の持ち主。
たぶんに、それは師匠のシギスヴァルト・クイケン譲りのものでもあるだろう。
悲劇的に短調を強調せず、躁的に長調を強調せず、良い意味で実直、誠実な演奏で、音楽のつくりや流れを的確に示す。
ボニッツォーニとのコンビネーションもよく、聴いていて自然に耳に入ってくるアルバムだった。
2024年01月17日
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