惜しまれつつも一昨年に亡くなったピアニスト、ラルス・フォークトが最後に遺した録音のうちの一つ、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュナミ(ジュノーム)」と第24番<ONDINE>を聴いた。
オーケストラはフォークトが音楽監督をつとめていたパリ室内管弦楽団で、指揮と独奏を兼ねている。
できることなら、なるべくフォークトの早世を考えることなく音楽を聴くべきだろうなと思う反面、闘病生活の中で自らの死と向き合っていたということを知っているだけに、やはりどうしてもそのことについて考えざるをえない。
考えざるをえないし、実際、そうした中で録音されたからこその稀有な美しさをためた録音になっているとも感じる。
第9番はモーツァルトにとって初期の作品。
いわゆるロココ風の優美な軽やかさが特徴で、ここでもはじめはそうした風で演奏が始まる。
だが、短調に転じると様子が大きく変わる。
もともとフォークトというピアニストは陽か陰かでいえば明らかに陰の人だったのだけれど、この演奏では一層翳りが色濃く表れる。
カデンツァも実に切ない。
続く第2楽章は、宗教曲のように厳粛に進む。
ホルンの強奏がまるでレクイエムのトロンバのように聴こえるほどだ。
終楽章は再び軽快に始まるが、途中フォークトは急に立ち止まる。
今この時間が過ぎ去ってしまうのを惜しむかのような躊躇いに、ぐっと心をつかまれた。
第24番は短調の曲だが、第1楽章では逆に長調に転じた際の冬の日の陽射しのような明るさが印象的だ。
自作のカデンツァも強く印象に残る。
第2楽章の冒頭の旋律は、モーツァルトが作曲した中でも屈指の純真さとけなげなさ、優しさを持った旋律だけれど、フォークトはそうした性格を誇張しない。
けれど一音一音丹念に弾いていく。
中でも何か希望が見えたかのように軽快に結ぶ楽章の終わりが忘れ難い。
迎えた終楽章。
激しく感情は変化するが、ここでも長調に転じた際の明るさがたまらなく切ない。
そして、何かを決断するように音楽は終わる。
パリ室内管弦楽団も、ソロ・アンサンブル両面でそうしたフォークトの音楽によくそっていた。
このアルバムを聴いて、フォークトの実演に接することができなかったことを改めて強く悔やむ。
彼の早世をどうにも残念に思う。
2024年01月14日
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