クラシック音楽を聴き始めた1980年代半ば、実演録音両面で活動中のピアニストのうち最も高いクラスにいる人といえば、マルタ・アルゲリッチ、マウリツィオ・ポリーニ、アルフレッド・ブレンデル、そしてウラディーミル・アシュケナージということになったのではないか。
もう少し前ならそこにダニエル・バレンボイムを加えてもよかったかもしれないが、あいにくその頃にはすでにパリ管弦楽団の音楽監督に就任するなど指揮者としてのイメージが強くなっていた。
そんなバレンボイムの後を追ったわけでもないだろうが、アシュケナージもそれからしばらくすると指揮者のほうにより大きく活動の軸を置くようになる。
バレンボイム同様、アシュケナージもピアノを弾き続けてはいたけれど。
今回聴いたラヴェルのピアノ作品集<DECCA>は1982年から83年にかけてだから、当然アシュケナージが指揮者としてよりもピアニストとして認知されていた時期の録音だ。
アシュケナージの実演に接したのは一度きりで、その際強く印象に残ったのは高度なテクニックよりも最強音になっても濁らない音色の美しさだった。
デジタル録音初期ということで、すでにセピア色地味た音質にはなっているものの、このラヴェルでもそうした片鱗は十分に窺える。
中でも、夜のガスパールのスカルボはその好例だろう。
ただ、意よりも先に手がくるというのか、テクニックのためのテクニックに演奏がなっているような気もしないではない。
亡き王女のためのパヴァーヌは抒情性に富んでいるが、線が明確というか思っていた以上に芯がしっかりしている。
最後の高雅にして感傷的なワルツは、技量的な部分とリリカルな部分のバランスが巧くとれているが、ワルツのリズムが少しぎくしゃくとして聴こえることも否めない。
より読み込みの鋭い演奏が増えていることもあり、今となってはどうしても若干物足りなさを感じてしまった。
今これを書きながら、参考もかねてクリーヴランド管弦楽団を指揮した高雅にして感傷的なワルツとラ・ヴァルスを聴いているけれど、ウラディーミル・アシュケナージが指揮よりもピアノを優先していたらどうなっていただろう。
もしかしたら、アシュケナージ自身、自らの限界を十分に認識した上での方向転換だったのかもしれないとはいえ。
2024年01月13日
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