昨夜、いい『ラ・ボエーム』を聴いたので何かプッチーニが聴きたいなと思って、すぐに先ごろリリースされたばかりのアルバム<BR>を思い出した。
シチリア人を父に持ち、エクアドル人を母に持つアメリカのテノール歌手チャールズ・カストロノヴォとイヴァン・レプシッチ指揮ミュンヘン放送管弦楽団が演奏したプッチーニの歌曲集と管弦楽曲集がそれだ。
声質の好みのストライクゾーンが極端に狭い人間ゆえ、正直カストロノヴォの硬いというか、渋いというか、古風(プッチーニを模したらしいジャケット写真が非常に様になっている)というか、バリトンに近い重い声質自体はあまり好みではない。
どちらかといえば味で勝負の人だなと思って聴き進めているうちに、その歌いぶりの見事さにどんどん惹き込まれてしまった。
録音からも声量の豊かさは想像でき、オペラで本領を発揮する人だと思い至った。
で、こうやって歌曲を続けて聴くと、プッチーニの音楽の持つ特徴も改めてよくわかってくる。
あまり単純化するものでもないが、プッチーニのつくる音楽は一連の有名なオペラ・アリアに象徴される抒情性に富んで甘やかな旋律、『トスカ』のテ・デウムのような荘重荘厳で劇的な旋律、そして『ラ・ボエーム』第2幕に代表される軍楽的な勇壮で陽キャな旋律に特徴づけられるのではないか。
このアルバムでは、そうしたプッチーニらしさを形作る3つの要素を持った歌曲がうまい具合にプログラミングされていてバラエティに富んでいた。
中でも、トラック15の「ローマへの讃歌」などまさしく陽キャで軍楽調の代表で、のちにムッソリーニ政権時代、ファシスト党の党歌に選ばれてしまったのも無理はない。
(あと、トラック11の「魂の歌」は、『ジャンニ・スキッキ』のリヌッチョのアリアに音のつくりが似ている)
ちなみに、伴奏のオーケストレーションはドイツのヨハネス・クサヴァー・シャハトナーである。
プッチーニの音楽の特徴は、カップリングの管弦楽曲、交響的前奏曲、交響的奇想曲(途中、『ラ・ボエーム』の冒頭がまんま出てくるし、ラストは第1幕最後のロドルフォとミミのやり取りを想起させる)、菊の花(ドリューによる弦楽合奏用の編曲)でも当然示されているが、それとともにワーグナーの強い影響を改めて感じもした。
歌曲でカストロノヴォを巧く支えていたレプシッチとミュンヘン放送管弦楽団は、ここでも劇的で充実した音楽を聴かせてくれる。
それにしても、こうしたアルバムに巡り合ったとき、どうしてもサブスク(amazon music unlimited)の有難みを感じざるをえない。
CDならば、たぶんこのアルバムは素通りしていただろうから。
ただし、音楽家への経済的支援という意味ではCDを購入するほうが断然いいわけで、その点非常に複雑な心境だ。
2024年01月13日
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