☆京都市立芸術大学 指揮専攻 〜卒業試験〜
指揮:森脇涼/福澤佑樹
管弦楽:京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団
(2024年1月12日19時開演/京都市立芸術大学堀場信吉記念ホール)
たまたま京都市立芸術大学のサイトのイベント欄をのぞくと、先日の藤居知佳子さんの声楽リサイタルで見事なピアノ伴奏をつとめていた森脇涼さんがプッチーニの『ラ・ボエーム』の一幕を振るというではないか。
実は、昨年の12月に森脇さんがラッヘンマンなど現代音楽を指揮するのも知っていて当日まで行く気満々だったのに体調不良で断念せざるをえなかった。
しかも、期間が延長されたおかげで予約は今日(1月10日夜)までOK!
これは何かの巡り合わせ。
と、マテリアリストらしからぬスピ的発想で早速予約をした。
で、予定通り、京都市立芸術大学指揮専攻の卒業試験を聴いてきた。
会場は京都駅近くに移転のなった京都市立芸術大学は堀場信吉記念ホール。
大通りに面して至極わかりやすい場所にある。
ホールは800人規模で、大きく鳴るホールだというのがまずもっての印象だ。
今さっき調べてみたら、なるほどあの永田音響設計の手によるものだった。
前半は、森脇涼さんが指揮したプッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』の第1幕。
ちなみに、『ラ・ボエーム』はプッチーニの中で一番CDを聴いているにもかかわらず、一度も実演に接したことがないオペラだ。
さて、自作の管弦楽曲、交響的奇想曲から転用した旋律から始まる第1幕は、パリのボヘミアンたちの会話から家主との滑稽なやり取りを経てヒロインのミミと詩人ロドルフォの出会いに至るといった風に、登場人物の紹介とドラマの始まりが巧くまとめられていて、全く間然とするところがない。
さらに、プッチーニのオーケストレーションがすこぶる冴えている。
ワーグナーからの影響が色濃い金管の強奏や、逆に心の細やかな動きでの弦楽器の囁きと、劇の進行にあわせて音楽が滑らかに変わっていくのだが、コレペティトゥアや声楽器楽の伴奏に副指揮と、ドイツのカペルマイスター流儀の研鑽を積み重ねている森脇さんは、そうした変化を余すところなく的確に指示していく。
だけではなく、ここぞというところでの音楽の歌わせ方を聴くに、藤居さんのピアノ伴奏でも感じていたことだが、この人は心底歌が、オペラが好きなんだなあと思う。
中でも、コミカルな掛け合いが一段落ついたあと、ミミとロドルフォの邂逅するときの音の変わり具合にははっとさせられた。
楽器のソロの入りや曲の終わりなどや、先述したホールの音響の特性もあってオケが大きくなるとどうしても歌を覆ってしまいそうになるなど要所急所もあったが、森脇さんはオケと歌手のバランスをとりながらなんとか乗り切っていたし、歌手陣もまた豊かな声量で自らの歌を響かせていた。
そう、今回の演奏では歌手陣が予想していた以上に素晴らしかった。
ミミ(高田瑞希)、ロドルフォ(有本康人)、マルチェッロ(西村明浩)、ショナール(浦方郷成)、コッリーネ(佐貫遥斗)、ベノア(森川知也)という配役で、お針子さんや無頼の芸術家にしては少々上品過ぎるかなと思いもしたが、森脇さんの音楽づくり同様均整のよくとれたアンサンブルと粒の揃った美声で、特に有本さんと高田さんのアリアにはぐっと聴き入った。
できれば、このまま全曲聴きたかったほど。
15分の休憩を挟んだ後半は、福澤佑樹さんが指揮するベートーヴェンの交響曲第7番。
ベートーヴェンの7番といえば、つい先日『のだめカンタービレ』の再放送をやっていたが、などと考えていたが、帰宅してパンフレットに目を通すと、5歳の頃、『のだめカンタービレ』でこの曲と出会ったと福澤さん自身が書いていた。
山椒は小粒でもぴりりと辛いというが、福澤さんの場合は、ぴりりどころか口の中が炎のように燃えかねない相当スパイシーで激しい音楽だ。
と言っても、御大炎の指揮者のような歌うところはじっくり歌い込むのとは正反対。
それこそ『のだめ』で一躍有名になった第1楽章の第1主題が盛り上がるところやら第3楽章はもちろんのこと、第2楽章も速いテンポで飛ばす。
そして、終楽章は一気呵成。
実に若々しい演奏だった。
ただ、単に若々しいだけではなく、弦楽器の鳴らし方にはピリオド・スタイルの援用というか影響も感じた。
もう10年以上前になるか、指揮者の本多優之さんを講師に招いた関西の音大生によるピリオド奏法に関するレクチャーの制作を手伝ったことがあるが、今夜のオケの面々の反応を見るに、ピリオド・スタイルに関する流れは大きく変わっているなあと思わずにはいられない。
ほかにも、随所随所で工夫がうかがえる反面、リピートの入りなどたどたどしいというか雑然とするというか、若干コントロールの不足を感じる部分もなくはなかった。
とともに、前にも書いたホールの特性もあって、全てを音量音力が圧倒するというのか、音楽が一本調子に聴こえるきらいもなくはなかった。
部外者の余計な戯言だけれど、やるなら『のだめ』よろしくコントラバスをぐるぐる回すまでやるなど、徹底的に無茶をやり切ってもよかったのではないかとすら僕は思う。
それで落第したところで、全く損はない。
1年を棒に振ったのではなく、1年余分に棒を振ることに対して真剣に向き合う時間ができたと思えばいいのだから。
それに、「あいつ『のだめ』の真似をして落第したんだって、馬鹿だなあ」という言葉は芸術家にとってはなんら恥ずべきことではないだろう。
それどころかのちのち大きな勲章にもなりかねない。
世情を賑わす諸々のハラスメントなどは絶対に度し難いが、こういう無茶ならいくらでも…。
いや、好き勝手を言い過ぎた。
いずれにしても、足を運んで本当によかった。
2024年01月12日
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