今は亡き増村保造監督の作品に『巨人と玩具』がある。
開高健の原作では、キャラメル会社間の宣伝戦に巻き込まれた青年は自らが置かれた状況に惑い、なるべく事態から距離をとろうとまでする、実に「文学」的な人物だ。
ところが映画の青年ときたらとたんに「劇」的人物に様変わり、宣伝戦にも積極的に飛び込み、ヒロインを巡る駆け引きに疲弊もするが、それでも…、といった具合。
後年、あの『スチュワーデス物語』という邪劇中の邪劇も手掛ける人だけに、その感情表現たるやすさまじい。
そして、川口浩演じる主人公の青年をはじめ、野添ひとみ、高松英郎、山茶花究といった演者陣がまた台詞を早口で捲し立てる。
速射砲のようなというありがちな表現を使いたくなるくらい。
で、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベルリオーズ編曲によるウェーバーの舞踏への勧誘<SONY>を聴いていてすぐに思い出したのはこの『巨人と玩具』のことだ。
冒頭、チェロがゆっくりと導入部を奏でる。
ところが一転、舞曲が始まると速い速い速い速いとばすとばすとばすとばす。
超特急か何かかと言いたくなるような無茶苦茶な速さだ。
これじゃあ、勧誘されても踊れないじゃん!
けれど、この目まぐるしいほどの舞曲が人生そのものの比喩だったらどうか?
陽キャを気取る陰キャのバーンスタインなら、どうであってもおかしくない。
いずれにしても、あまりのあまりさに唖然とした。
ほかに、『魔弾の射手』、『オイリアンテ』、『オベロン』という同じウェーバーが作曲したオペラの有名な序曲もカップリングされていて、例えば『オイリアンテ』の中間部の穏やかな部分には心魅かれたのだが、何しろ舞踏への勧誘のインパクトが強過ぎる。
好き嫌いは別にして、ぜひ一度聴いてみていただきたい。
そういえば、後年ドイツ・グラモフォン・レーベルにマーラーやベートーヴェンといったレパートリーの数々を再録音したバーンスタインだが、ウェーバーの作品は1曲も再録音していない。
できることなら、ウィーン・フィルとの舞踏への勧誘が聴いてみたかった。
2024年01月09日
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