強靭であるとともに抒情的。
ホロヴィッツやギレリス、アシュケナージと名前を上げていけば、それぞれの強い個性もあってなかなか一括りにすることはできないが、それでも彼らロシア、旧ソ連出身のピアニストには上述したような共通性があるようにも思う。
1972年にレニングラードで生まれたアルカディ・ヴォロドスもまた、そういった点でロシアのピアニストの系譜に連なる一人だろう。
まさしくヴィルトゥオーゾと呼ぶに相応しい高度なテクニックの持ち主である一方、リリカルな感覚にも全く欠けていない。
付け加えるならば、ヴォロドスの場合は、そうしたリリカルさがウェットさ、19世紀的な過度な感情表現に偏らず、よりスタイリッシュさとモダンさを兼ね備えているように感じる。
ヴォロドスが弾いたモンポウのピアノ作品集<SONY>にも、そうした彼の特性がよく発揮されていた。
モンポウといえば、ショパンやドビュッシー、サティといった人たちの影響が色濃くあって、どちらかといえばそのような部分を強く意識した演奏が行われていた。
しかし、ヴォロドスで聴くと、モンポウが19世紀よりも20世紀を長く生きた作曲家であることが改めて思い知らされる。
例えば、モンポウにとって後期の作品にあたる「ひそやかな対話」の切り詰められた音楽には、それこそ今日聴いたヴェ―ベルンの音楽すら思い起こしたし、ヴォロドスの演奏にはそれを意識させるような強さがあった。
だからこそ、これまでのモンポウに音楽に対する、弱さでも軽さでも柔らかさでもない、あえて言うなら淡さ、野田秀樹的な言葉遊びになるが、淡いであり間(あわい)であるような感じはなかったが。
正気なところをいえば、ヴォロドスの演奏を手放しで讃美することもできないし、逆に頭ごなしに否定することもできない、魅かれる部分は多々あるが、強く心を動かされるまでには至らない、まさしく淡いであり間であるような感情を抱いている。
2024年01月07日
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