京都の小劇場にベトナムからの笑い声という劇団があった。
今はGO AND MO’Sで活躍中の黒川猛さんをはじめ、笑いに貪欲な人たちが集まってあるはキレッキレのあるは脱力全開の笑劇ならぬ衝撃を与え続けていた。
そのベトナムからの笑い声の後期、Aさんという女性の俳優さんが加わった。
Aさんのことは前から知っていたが、正直どうしてベトナムなんだろうという疑問を持たざるをえなかった。
彼女のこれまでの演劇経験を考えれば、ちょっとベトナムとは色合いが異なるような気がしたからだ。
そんなAさんのベトナムでの舞台は、それまでの衝撃とは別種の衝撃を僕に与えた。
上述した如く、ベトナムの面々は笑いに貪欲だ。
だが、貪欲であっても躊躇がないのとは違う。
とことん笑いを追求しながらも、こんなことをやっていいのか、いいのか、いいのか、いややったるといった躊躇いがそこにはある。
もう一人の女性の俳優Yさんはもちろんのこと、黒川さん自身がそうだ。
ところが、Aさんときたら、まるでそんな躊躇いがないように平然とあれやこれやをこなしていく。
今なら、すぐさまサイコパスとでも呟いてしまいそうなほど。
この人には何か闇はないのか? 深淵はないのか?
なければないで恐怖だし、あるのにそれを全く見せないとしたらそれはそれで恐怖だし。
たぶん後者だろうと感じてはいたが。
ベトナムからの笑い声が解散してだいぶんして、ご家族一緒に歩くAさんを見かけた。
Aさんはとてもシリアスな表情でご家族と何かを話していた。
やっぱり彼女だって悩むよ、そりゃ。
逆に、僕は彼女の姿に長年の胸のつかえが下りたようで、ほっとした。
今日、2010年に結成されたドイツの弦楽4重奏団、ゴルトムント・カルテットが演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第14番「死と乙女」を聴きながら、ふとそのことを思い出した。
ゴルトムント・カルテットは、もはや初期ロマン派でも当為となったピリオド・スタイルを用いて、クリアでシャープ、歯切れがよくてスピーディーな音楽を聴かせる。
だが、例えばアントネッロ・マナコルダとカンマーアカデミー・ポツダムが録音した交響曲全集やアルカント・カルテット他が演奏した弦楽5重奏曲で聴かせた深淵を追求することはしない。
歌曲『死と乙女』の旋律を引用した第2楽章ですらタナトスに傾斜することなく、それどころかエロス(生)の横溢すら感じなくもない。
第4楽章など、もはや速さのために速いテンポをとっているのではないかとすら思えてきた。
それは天然自然流、天真爛漫さの表れか? それともあえて深淵を覗かぬことに徹しているのか?
いずれにしても、非常に興味深く、ある意味怖さを覚えた。
弦楽4重奏曲の前後には歌曲の編曲がカップリングされていたが、こちらも軽やかな演奏で、少々イージーリスニングぽさすら感じた。
耳なじみのよい編曲ではあったが。
2024年01月06日
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