今年初めてながらでなくamazon music unlimitedで聴く音楽を何にしようか迷ったが、CDで最初に聴いたのが山田一雄と新日本フィルのモーツァルトだったこともあり、同じ日本の指揮者つながりから沖澤のどかのデビュー・アルバム<DENON>を聴くことにした。
曲はシベリウスの交響曲第2番、オーケストラは読売日本交響楽団で、2021年10月の東京芸術劇場におけるコンサートのライヴ録音だ。
沖澤さんといえば、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝後、国内外で活躍中の若手指揮者。
昨シーズンからは京都市交響楽団の第14代常任指揮者にも就任している。
このデビューアルバムでも、彼女の指揮者としての力量は遺憾なく発揮されていた。
ライヴ特有の細かい傷はないではないものの(補正はされているようだが)、全体的によくコントロールされてシャープでクリアな上に、ここぞというところでの鳴りのよさなど音楽の持つドラマを的確に表現していて全く間然とすることがない。
とともに、透徹した抒情性にも欠けておらず、この曲がいわゆるロマン派(後期)に掉さした音楽であることもよくわかる。
シベリウス自身はイタリア滞在中にこの交響曲を作曲したというが、ドヴォルザークの新世界よりのように彼の北欧的な素地がよく出ている曲だ。
青森出身の沖澤さんにはそうした北国特有の言葉だけでは表しえない感情、感覚に共感できているのではないか?
中でも第2楽章にそのことを強く感じた。
今年、amazon music unlimitedで聴く2つめのアルバムは、プラハ出身の指揮者ペトル・ポペルカがノルウェー放送管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第39番と第40番<LAWO>。
昨夜聴いた山田一雄のモーツァルトとは全く対照的で、いわゆるピリオド・スタイルを用いた速いテンポの演奏だ。
ただし、年末にながら聴きしたニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による一連のモーツァルトの交響曲とも大きくスタイルが違う。
アーノンクールは、それこそ山田一雄、というかカール・ベームに象徴されるようなゆったりとしたテンポでたっぷりと歌うそのころオーソドックスだったモーツァルト演奏に対する剥き出しの敵意、それが言い過ぎなら対抗意識が明瞭に表れていた。
近づけば噛みつかれるような、緩急強弱の激しいコントラストやここぞというところでの仕掛け等々。
だが、そのような時代はとうに過ぎ去って、すでにピリオド・スタイルが当為のものとなったからこそ、そうした極端な表現はポペルカの場合、ない。
あったとしても、アーノンクールほどに攻撃的な印象は受けない。
僕には第40番の終楽章、主旋律と低音部との掛け合いが実に面白かった。
ノルウェー放送管弦楽団も、ポペルカの意図によくそって精度の高いアンサンブルを聴かせている。
モダン楽器による今現在の古典派演奏を象徴するような録音だ。
2024年01月01日
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