昨夜、アナトール・ウゴルスキが弾いたシューマンのダヴィッド同盟舞曲集とシューベルトのさすらい人幻想曲<DG>を聴きながら、もしかしたらウゴルスキは亡くなってしまった、もしくは亡くなるのではないかという想念に急に囚われた。
少し前にアガ・ミコライというソプラノ歌手が歌ったオペラ・アリアのアルバムを耳にしたときも同じような感覚に襲われ、実際聴き終えたあと調べてみると彼女は亡くなっていた。
全曲聴き終え、嫌な予感を抱きながら検索して呆然とする。
ウゴルスキは、今月の5日に亡くなっていた。
すでにTwitter(X)でもウゴルスキに関する文章は記されていたが、あいにくそれを目にする機会はなかった。
ウゴルスキの実演に接したことが一度だけある。
1993年10月8日というからまもなくちょうど30年になる。
ケルン・フィルハーモニーで開催されたWDR交響楽団の定期演奏会で、彼が弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いた。
指揮は同じ旧ソ連出身のルドルフ・バルシャイ。
形は違えど、社会主義体制の抑圧から逃れた者どうしの共演だった。
ウゴルスキは、腕をぴんと伸ばして指先を鍵盤にぺたりとつけるような独特のスタイル。
まるで蛸の吸盤が岩か何かに吸い付いているようだなとそのとき思った。
そして、バルシャイの音楽性もあってか基本的にゆっくりとしたテンポで音楽は進んでいくのだが、ウゴルスキの奏でる弱音の細やかな美しさに僕は強く心魅かれた。
もちろん、それだけではなく少し間の詰まったような音の流れや、明瞭な強弱のコントラストも強く印象に残ったが。
いずれにしても、強靭さと繊細さを兼ね備えた高い精度の持ち主であることがわかった。
その後、ぜひまたウゴルスキの生の音楽に触れたいとも思っていたのだけれど、結局その願いはかなうことがなかった。
もう一つ偶然が重なった。
今日、9月17日は、ウゴルスキの娘で同じくピアニストだったディーナ・ウゴルスカヤが2019年に癌で亡くなった日だ。
彼女の死は当然わかっているが、亡くなった日にちのことは忘れてしまっていた。
ウゴルスキとの繋がりで調べてみて、改めて呆然となる。
そのウゴルスカヤにとって最後の録音となるシューベルト・アルバム<CAvi Music>の中からピアノ・ソナタ第21番を聴く。
正確にいえば、ソナタとカップリングの楽興の時は亡くなる前年2018年8月の録音で、3つのピアノ曲が亡くなった年の1月の録音である。
すでにこのソナタが録音されたとき、ウゴルスカヤは闘病中だったのか。
そうしたエピソードと演奏を結んで考えることはできるだけ避けたいが、シューベルトにとっても最後のピアノ・ソナタということもあって、どうしても彼女の死について考えざるをえない。
一つ一つの音を慈しむかのような、非常に遅めのテンポで音楽は奏でられていて、すぐにヴィルヘルム・ケンプによる録音を思い出した。
想いは様々にある、あるのだが、いや、あるからこそ言い淀んでしまうような、そんなゆっくりとして静謐な演奏である。
長調から短調へ、短調から長調へ。
明と暗、陰と陽の交差がなんとも切ない。
例えば第2楽章、一瞬陽が射して音楽が前に進む、けれどまた翳りが訪れる。
ただし、ウゴルスカヤは激しく強音を強調してシューベルトの深淵を明示するようなこともしない。
すでにそうした必要はないかのような、諦念すら感じてしまう。
いや、それはやはりウゴルスカヤの死を意識し過ぎているのかもしれないが。
いずれにしても、忘れ難い演奏であり録音だ。
最後に、アナトール・ウゴルスキとディーナ・ウゴルスカヤに、深く、深く、深く、深く黙禱を捧げる。
2023年09月17日
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