2021年02月06日

スクラップ集団

☆スクラップ集団(1968年/松竹)

 監督:田坂具隆
 原作:野坂昭如
 脚本:鈴木尚之
 音楽:佐藤勝


 『男はつらいよ』直前の渥美清をはじめ、露口茂(お元気だろうか)、小沢昭一、三木のり平という一癖も二癖もある俳優陣による題名通りの「集団」劇。
 戦前から活動していた田坂具隆の遺作でもある。

 冒頭は転がる地球儀の映像。
 ひょんなことから大阪は釜ヶ崎で出会った、し尿汲み取りが趣味と言い切る北九州出身のホース(渥美)、東京都の公園でごみ拾いを生業としていたドリーム(小沢)、生活保護のケースワーカーだったケース(露口)、安楽死を肯定する元医師のドクター(のり平)の四人は、ドクターの提唱でスクラップ集団なるスクラップ回収業をスタートさせる。
 うまい具合に成功を重ねる四人は静岡県内に拠点を移しスクラップセンターを開設するが、まるでヒトラーのような「独裁者」然とした権力志向を露わにし始めたドクターと他の三人との間に溝が生まれて…。

 といった展開の作品だが、「名称田坂具隆監督が“笑い”で描いた人間讃歌」というDVDケースの惹句は論外で、小林信彦が『おかしな男 渥美清』で記した「終末喜劇」という言葉のほうがまだ内容によくそっている。
 正直、笑いで描いたという割に喜劇的な部分では緩さが目立つし、直截な表現は図式的だし、風俗的にも古さ(というか、「今」を取り込もうとしている無理)を感じたりするのだけれど、作品の表面的なテーマであるごみの問題や生活保護の問題がいささかも古びていないことは本当に悲しい。
 それと、ケースと生活保護の対象者である笠智衆、瀧花久子(監督夫人)、宮本信子の親娘のやり取りには、鈴木尚之とコンビを組んだ『五番町夕霧楼』や『湖の琴』を思い起こし、やはり田坂監督の真骨頂はこうしたウェットな部分にあるのではないかと感じた。
 とともに、宮本信子の首筋に赤い火傷があるという設定や、奈美悦子の広島生まれの私生児(捨て子)という設定には、監督の広島での原爆体験を思わずにはいられないし、ホース、ドリーム、ケースの三人が象の死体に鉄の器具を突き刺し血が噴き出すシーンには、ケースが一瞬ためらった上で突き刺すという演技も含めて日中戦争のエピソードを想像せざるをえなかった。
 いずれにしても、戦争が色濃く映し出された作品である。

 上記の面々のほかに、ミヤコ蝶々、笠置シズ子、浜田寅彦、左卜全、高原駿雄、野々村潔(岩下志麻の父親)、織本順吉、金井大、石井均、左とん平、石井富子、森下哲夫、長浜藤夫らの出演。
 そうそう、都の公園の役人に十朱久雄(十朱幸代の父親)を配したのは、当時の美濃部都知事を意識したものではないか。
(一部のデータに椎野=西村晃とあるが、これは高原駿雄の誤り。当初、西村晃が演じる予定だったのだろう。あと、出演者の中に渡辺篤の名もあるが、これは見落としてしまったか)

 傑作とは言い切れないものの、自分にとって忘れ難い一本には違いない。
posted by figarok492na at 17:39| Comment(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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