作道雄をめぐる冒険 もしくは剖見 その3
「キー・ポイントは弱さなんだ」と鼠は言った。「全てはそこから始まってるんだ。きっとその弱さを君は理解できないよ」
(村上春樹『羊をめぐる冒険』<講談社文庫>より)
三谷幸喜そっくり
ステキブンゲイに連載公開されている『人生の満足度、測ります』の弓削がどこか古畑任三郎のようであるように、今さらその影響は言うまでもない。
だが、それだけでなく、オリジナル作品へのこだわりや己の才能への自信の高さ、愛されたいという強い願望などなど、三谷幸喜さんと作道雄君はそっくりでもある。
ただ、作道君は、たぶん三谷さん以上に自分自身をむき出しのまま表にすることへの含羞の持ち主であり、それが時に反転して後戻りできないガチンコ勝負、感情と感情の激突を生んでしまう甘え下手のようにも感じられる。
例えば、三谷さん同様、照れ隠しとサービス精神、トリックスター気質がないまぜになった不用意な発言を半ば確信犯的に作道君もよくしていたけれど、その発言に対する周囲の受け留め方が月面クロワッサンという劇団の消長にどこかで繋がってしまったように感じられて、僕には仕方がない。
月面クロワッサンの誕生と発展と転落
2011年、当時21歳だった作道雄君を中心に旗揚げされた月面クロワッサンは、早速その年2月の京都学生演劇祭で観客賞を受賞。
その後も続けざまに公演を開催し、観客動員数も好調を誇り、劇団員も大きく増加させた。
そして、遂には念願の映像作品の制作も軌道に乗り出した。
そんな月面クロワッサンが僅か数年で活動を停止せざるをえなくなった理由を、創作面での志向と嗜好の違いに感情面での行き違いと記せばあまりにも単純に過ぎるだろうか。
作道君の明快な指針に感化され月面クロワッサンに参加した劇団のメンバーたちだったが、webドラマ『虹をめぐる冒険』やKBS京都で放映されたドラマ『ノスタルジア』のタイトな制作過程で、彼彼女らの不満は日増しに高まっていく。
自らの劇団ユニットなどで作・演出を手掛けてきたことのある男優陣の大半には、内心「(作道君よりも)自分の作品のほうが面白い」という自負があるし、京都小劇場という身近なものさしで測ればそれもあながち的外れではない。
それに、女優陣には、それぞれの特性魅力が存分に活かされていないという不満が鬱積している。
(確かに、当時の作道君の描く女性像は精神面で底が浅く、どこか幼い感じがした。その点、『人生の満足度、測ります』のepisode2「恋愛の話」やインタールード〜弓削のはなし〜では、大人の女性との関係性がリアルさを持って描かれている)
対する作道君の側には、自らが指し示すロードマップに確固とした自信がある。
劇団の仲間と一緒にステップアップし、創作面での一層の充実を図りたいという強い意欲もある。
技術的な弱さがあるからこそ、一気に次のステージに上がり、その場に相応しい研鑽を積まなけれなならない。
ところが、劇団の面々は、往々にしてある種の低回趣味やアマチュアリズムの規範に拘泥しがちのように見える。
たとえお客さんの支持はあったにせよ、作道君の作品について日々の交流や客演先の現場で演劇面での先輩や同じ世代の人々から厳しい意見を突き付けられれば、当然動揺も起こる。
作道君は理路整然とした言葉、正論でもって彼彼女らの態度を批判し、その不満を退けた。
しかし、いくら理屈ではわかっていても、即感情が付き従うわけではない。
しかも、ドラマ制作にまつわる負担も減りはしない。
そんな状況では、それまでならば「はは、また言うてはるわ」と笑って流すこともできた作道君の軽口さえ、反感不快感の対象となってしまう。
作道君と劇団の面々の齟齬は一層拡がり、最終的には、作道君対劇団員という構図すら生まれてしまった。
両者のそうした方向性の違いについて僕は、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の逆バージョン、作道君をみんなまとめて天国へと這い上がろうと必死になるカンダタに、劇団員たちを地獄のぬるま湯的世界を満喫する縁なき衆生にそれぞれなぞらえてみたこともあったし、月面クロワッサン番外公演・月面クロワッサンのおもしろ演劇集『無欲荘』(2014年2月、稲葉俊君脚本・演出)の感想では、
>(前略)組織をまとめる確固としたイニシアティヴは必要だろうし、傍で口にするほど相互理解や共通認識を築くということは簡単なことではないだろう。
けれど、だからと言って手間暇を惜しんで(中略)一者独裁を選ぶことが、結果として多数に幸福をもたらすとは、とうてい考えられないことも事実だ。
今回の公演、並びに一連の企画が月面クロワッサンの面々にとって、「自分自身と自分が所属する集団組織が何を目標としそれをどう実現していくか、そのためには自分自身と自分が所属する集団組織に何が必要か」を改めて考え、なおかつ実践していく重要な契機となることを心から望みたい<
と、作道君ばかりでなく、劇団員全体の再考を促しもした。
けれど、一度拡がった溝を修復することは、作道君にも劇団の面々にもできなかった。
結局、2014年に月面クロワッサンは活動を停止してしまう。
それでも、橋ヶ谷典生が残った
実は、感情の行き違いはひとまず置くとして、方向性の違いから袂を分かつメンバーがいるだろうことは、作道君自身、早くから予測していたことだ。
月面クロワッサンのvol.5『最後のパズル』では、厳しい現実に直面しながらも、一定期間作業を続ければ夢を実現することができるという国家が設けた塔へと向かおうとする人と、あえて向かわないと決断する人とを作道君は描いた。
そこに僕は、プロになるためには孤立すら厭わない彼の覚悟と、仲間との決別への諦念を観る想いがした。
それでも、作道君の下には、技術面=撮影編集でのバディ、橋ヶ谷典生君が残った。
2014年夏に株式会社クリエイティブスタジオゲツクロを設立した作道君は、演劇から映像へと舞台を完全に移し、創作活動を積極的に続けて行く。
他方、作道君は、劇団の仲間を失った心の隙間を埋めるかのように信頼のおける俳優を探す試みをスタートさせる。
KBS京都での『ショート・ショウ2』(2015年1月〜3月)やwebドラマ『フェイク・ショウ』(2015年)等で、ネオラクゴ家を標榜する月亭太遊さんと密接な共同作業を重ねていたのも、月面クロワッサン以後の演技面でのバディ(相棒)探しと見てまず間違いはない。
また、『神さまの轍-CHECKPOINT OF THE LIFE-』で主演をつとめた岡山天音さんのことも忘れてはなるまい。
岡山さんの演じた役回りには、作道君の自己投影が色濃くうかがえるし、作道君自身、岡山さんを非常に重要な存在であるとツイキャスなどで公言してもいる。
2016年、そうした作道君に大きなターニングポイントが訪れる。
『マザーレイク』での瀬木直貴監督との出会いがそれである。
以降、作道君は若手で注目される書き手の一人として、活躍の場を拡げて行く。
次回に続く。
2020年07月28日
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