晴天。
が、途中雨やみぞれが降ったりもする。
きれいな虹も見えていたが。
気温は上昇せず、寒さを強く感じる。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
風邪やインフルエンザ、新型コロナウイルス、花粉症にはお気をつけのほど。
気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ。
両耳の不調も続く。
やれやれ。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでトレヴァー・ピノック指揮ベルリン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第25番、マリア・ジョアン・ピリスの独奏によるピアノ協奏曲第9番「ジュノム」、交響曲第40番(2008年10月10日、ベルリン・フィルハーモニー大ホール)、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、1時40分に寝床に就く。
モーツァルトの交響曲第25番では、ピノックが通奏低音のチェンバロを弾いていた。
7時40分過ぎに起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その後、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでアンドリス・ネルソンス指揮ベルリン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第33番とワーグナーの歌劇『タンホイザー』序曲、ショスタコーヴィチの交響曲第6番(2013年3月8日、同)、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『夜汽車にて』を書き進めたり、村田喜代子の『飛族』<文藝春秋>を読み進めたりする。
途中、ササハラユウキ監督の『あしたのねがい』がようやく完成し、YouTubeにアップされたのでそれを観、ご出演やご協力いただいた方への連絡作業を行う。
午後、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでアダム・フィッシャー指揮ベルリン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」、ユリア・レージネヴァのソプラノ独唱によるハイドンのカンタータ『ベレニーチェ、何しているの』とモーツァルトのレチタティーヴォとアリア『どうしてあなたを忘れられよう』、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」(2019年10月5日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『あしたのねがい』に関する連絡作業を行ったりする。
13時台に外出し、夕飯用の買い物をすませてから旧知の松田裕一郎さん宅へ。
1階のフラットスペース・スタジオ松田の家で、黒川猛さん作・演出・出演のTHE GO AND MO’S 黒川寄席vol.3を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!
黒川さんや松田さんのほか、関係各氏と話をしたり、あいさつをしたりする。
終演後、今度は壬生団地内のUZUビバレッジへ。
今日最終日となる清原遥さんの個展『その魚は朝焼けの間だけ泳ぐ』を観たりしながら、アップルシナモンティーを愉しむ。
ほんのりとした甘さとシナモンの刺激のバランスがとれたノンカフェインティーだ。
で、どちらにしようか迷った末、ハンカチを一枚購入した。
青と紫の加減で、結局好みの青色をとる。
帰宅後、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでニコラウス・アーノンクール指揮ベルリン・フィル他が演奏したベートーヴェンのミサ曲ハ長調と交響曲第5番(2011年10月29日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、黒川寄席の感想をアップしたり、『あしたのねがい』に関する連絡作業を行ったりする。
途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
夕飯後、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでジョヴァンニ・アントニーニ指揮ベルリン・フィルが演奏したヨハン・セバスティアン・バッハの管弦楽組曲第1番、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの交響曲ヘ長調Wq183-3、ベートーヴェンの交響曲第2番(2010年9月23日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『あしたのねがい』の連絡作業を行ったり、『飛族』を読み進めたりする。
今日は、三ツ矢製菓のミルク風味クッキーを食す。
壬生のローソンストア100で購入したもの。
軽い味わいのクッキーで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
思うところあって、筒井康隆の『幾たびもDIARY』<中公文庫>の拾い読みをしている。
1988年2月から1989年3月末までの1年強、ちょうど昭和が終わり平成が始まる時期の日記連載をまとめたものだ。
1988年2月25日条には、筒井さんの子息伸輔さんが武蔵美を受験し合格したという記述がある。
ということは、当方より年下ではあるものの、伸輔さんと当方は大学が同学年ということになる。
それから32年が経ち、画家となった伸輔さんは先ごろ亡くなられてしまった。
そして、同じ年の4月20日条には、『高丘親王航海記』に絡んで「珠を呑んで病につく親王は、もう澁澤龍彦そのものだ」という記述があり、その部分が伸輔さんの病とも重なって、さらにたまらない想いになった。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2020年03月15日
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