2019年10月27日

B級演劇王国 ボンク☆ランドvol.7『まるだし純情フォークロア』

B級演劇王国 ボンク☆ランドvol.7『まるだし純情フォークロア』

 作・演出:西マサト
(2019年10月27日15時の回/人間座スタジオ)


 シュトルム・ウント・ドランク。
 疾風怒濤。
 であり、疾風怒頭。
 そして、疾風努禱。
 B級演劇王国 ボンク☆ランドにとって久しぶりの公演となるvol.7『まるだし純情フォークロア』をそれらしい言葉で表すとすればこうなるか。

 罪悪感を抱きながらも、オネショタと呼ばれるジャンルのエロ漫画家としてなんとか生きている男は、謎めいた手紙に導かれて永く離れた郷里の町へと戻って来る。
 ところがそこにはすでに実家はなく、男は途方に暮れる。
 周囲の人々の厚意でようやく人心地は着くものの、『八つ墓村』の寺田辰弥も真っ青の怪しげな展開で謎は深まるばかり…。

 開演前からすでに舞台上(左右扇型風に分かれた客席に向かって、いわゆる素舞台。ただし、奥に段差が設けられている)に、西国王以外の演者陣が集まり、おしゃべりを続ける合間、西国王に対する不満をあからさまに口にする。
 と、開演の口上にあわせて西国王が登場。
 メタ的なやり取りを挟んだのち、本篇に入る。
 で、ここからはまさしく西国王の独壇場、妄想が炸裂しまくる。
 いや、もちろんその他の演者陣も適宜、必須の演技を行うのだが、やはり肝はほとんど出ずっぱり、しかもモノローグも多数の西国王ということになるだろう。
 まさしく、疾きこと風の如く、動くこと雷霆の如し。
 滑稽な邪劇的要素にも事かかないが、当然そこには激しい心情と信条と身上の吐露がある。
 痛切な嘆きがある。
 ただ、それを単にまるだしの純情、ならぬ垂れ流しの感情と理解するのも大きな誤りだ。
 以前、フランスのピアニスト、クレール=マリ・ル・ゲの演奏について「知性を感性で抑制する」と評したことがあるのだけれど、西国王の場合も同様に、完璧を期せば知的で巧緻な結構・仕掛けにさらに徹するところをあえて…。
 いや、ちょっと違うか。
 自分自身の公演をはじめ、京都ロマンポップや努力クラブといった演劇的経験、それから、作中でも言及されている、横溝正史や江戸川乱歩等々(諸星大二郎や京極夏彦もそうか?)、本格派にオカルトミステリー的蓄積に裏打ちされた…。
 いや、それだけじゃない。
 そうした経験蓄積は、知的創作的背景のみならず、西国王にとって生き延びるための糧なのである。
 とうてい彼の想いや思いと不可分、切り離すことのできない両輪のうちの一つなのだ。
 いずれにしてもこの作品が、与えられた人生を辛く息苦しく惨めに感じ打ちひしがれている人たちにとって大きな救いになるように思えて僕には仕方ない。

 斉藤ひかり(いつもながらのオフビートかつパワフルな演技)、深草友紀子(重要な役。彼女がこの役を演じたことは大正解だった)、福原由惟(エネルギー全開)、坊俊幸(落ち着いた感じ)、美土路朝太郎(役が柄に合っている)、諸岡航平(どことなく若き日の高坂正堯のような鼻持ちのならなさ。誉め言葉)と、西国王以外の演者陣は、各々の特性を発揮しつつ、役回りにあわせた演技を心掛けていた。
 一方で、意図された以上に西国王や作品とのそれぞれの距離や齟齬、ばかりか、個々人の実人生で抱えた諸々が垣間見えてしまったこともあえて記しておきたい。

 安易に記せる言葉でないと思いつつ、西国王の次回作を心待ちにしたい。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 20:23| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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