どんよりとしたお天気の一日。
気温は少し下がったか。
が、じめじめむしむしとしてあまり快ならず。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
気圧と湿度のWパンチ。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
漫才コンビ横山たかし・ひろしの横山たかしが亡くなった。70歳。
深く、深く、深く黙禱。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、YouTubeでジョージ・ウェルドン指揮バーミンガム市管弦楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第5番とグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲、クラウディオ・アラウが弾いたウェーバーのピアノ・ソナタ第1番、アルベール・ヴォルフ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団が演奏したルーセルの交響曲第3番、トリオ・ディ・ボルツァーノが演奏したフランクのピアノ3重奏曲嬰ヘ短調作品1−1とショーソンのピアノ3重奏曲ト短調作品3、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。
寝る前、片山杜秀の『鬼子の歌』<講談社>を読了する。
「偏愛音楽的日本近現代史」と副題にある通り、日本において西洋クラシック音楽を作曲するという作業の中から生み出された「鬼子」のような存在である日本人作曲家の楽曲の持つ意味合いを、そうした楽曲の背景にある日本の近現代史を交えつつ説き明かした一冊。
刺激を受けるところ大なり。
ああ、面白かった!!
10時に起きる。
すぐに外出し、下京図書館へ。
『鬼子の歌』、アン・アプルボームの『鉄のカーテン』下<白水社>、横溝正史の『真珠郎 由利・三津木探偵小説集成1』<柏書房>、リチャード・グレスコが弾いたカバレフスキーの子供のための小品とプロコフィエフの子供のための音楽<ビクター>、ハンスイェルク・シェレンベルガー指揮ミュンヘン放送管弦楽団が演奏したウェーバーの交響曲第1番&第2番他<カメラータ>を返却し、予約しておいた青柳いづみこの『高橋悠治という怪物』<河出書房新社>、多和田葉子の『穴あきエフの初恋祭り』<文藝春秋>、横溝正史の『夜光虫 由利・三津木探偵小説集成2』<柏書房>、岩井三四二の『天命』<光文社>、ソプラノのナタリー・デッセーがテオドール・グシュルバウアー指揮国立リヨン歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったモーツァルトのコンサート・アリア集<EMI>、三善晃が弾いた三善自身の『海の日記帳』<フォンテック>を新たに借りる。
帰宅後、YouTubeでシャルル・ミュンシュ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、コントラルトのキャロル・ブライスとフリッツ・ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したマーラーのさすらう若人の歌、ファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の連絡作業を行ったり、『さすらう親方の歌』について考えたり、『高橋悠治という怪物』を読み始めたりする。
午後、YouTubeでアルテュール・オネゲル指揮交響楽団が演奏したオネゲル自身の交響曲第3番「典礼風」、ユージン・オーマンディ指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したコダーイの『ハーリ・ヤーノシュ』組曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高橋悠治という怪物』を読み進めたりする。
仕事関係の予定をすませる。
その後、デッセーが歌ったモーツァルトのコンサート・アリア集を聴く。
「驚異のコロラトゥーラ」と銘打たれているように、若き日のデッセーが高音域のソプラノ歌手のためにモーツァルトが作曲したコンサート・アリア(ただし、演奏会用作品もあれば、他の作曲家のオペラの代替アリアとして作曲されたものも含まれている)を歌ったアルバム。
透明感があって伸びやかなデッセーの歌声の魅力が十全に発揮されている。
グシュルバウアーの伴奏も手堅いが、今となってはちょっと鈍過ぎる感じがしないでもない。
数年後、デッセーはルイ・ラングレが指揮したエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の伴奏でモーツァルトのオペラ・アリア集を録音しているが、こちらのアルバムもできればピリオド楽器かピリオド・スタイルのオーケストラの伴奏で録音して欲しかった。
続けて、三善晃の『海の日記帳』を聴く。
三善晃が自作のこどものピアノ小品集を弾いたもの。
平明で、なおかつ細やかな仕掛けに満ちた小品が並ぶ。
『鬼子の歌』を読んだばかりなため、三善さんが記したブックレットの「私の言葉で」ともども、いろいろと考えることがある。
仕事関係の作業を進めたり、『さすらう親方の歌』について考えたり、『高橋悠治という怪物』を読み進めたりする。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
おかず難民となってしまい、1時間半ほどあちらこちらをぐるぐるぐるぐる。
しかも、帰宅して気づいたが鳥に糞を落とされてしまっていた。
哀しい。
とても哀しい。
帰宅後、YouTubeでライナー指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したロバート・ラッセル・ベネット編曲によるガーシュウィンの交響的絵画『ポーギーとベス』を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
以上、夕飯前までの日記。
2019年06月02日
この記事へのコメント
コメントを書く