2019年05月27日

ほそゆきのパイロット版24

☆ほそゆきのパイロット版24


 会場にお着きになられていないお客様がまだいらっしゃいますので、と開演を五分遅らせたにもかかわらず、新たなお客さんが来ることはなく、そのまま劇団あぶらむしの公演は始まった。
 舞台上には何もない。
 と、かいまくう、という男性の甲高い声とともに、ピンク色のドレスを身に着けた一人の女性が客席から見て左手から現れた。
 女性は二十代半ばぐらいか。目鼻立ちがくっきりした美人だけれど、笑顔をつくると右頬に深い皺が浮かぶので、何か気の強さを感じさせる。
「ああ、ほんと退屈だわあ」
 すると、今度は右手からでっぷりと太ってコックの衣装をした男性が登場し、
「退屈なんて吹っ飛ばすのだよおんの字がため」
と奇声を発した。
 うひひ、と笑い声を上げたのは平原である。
「じゃあさあ、あなた私を退屈じゃなくなくなくさせてよ」
「お安い御用でさあんの字がため」
 うひひひひ、と前にも増した笑い声を上げた平原に、おどけた表情のコック男がVサインをしてみせた。
「さてと、レッツカモン」
 コック男の声を合図に、プップクピーと機械音丸出しの安っぽいファンファーレが鳴り響き、上半身裸で下半身赤タイツの男性十人程度が、こむこむこむこむこむそうや、と喚きながら客席の後ろから乱入、舞台上に寝転がり、しばらくごろごろごろごろと転がり続けた。
「どうでございます、奥様」
「みんな死刑、わたしは奥様じゃなあい」
 女性は右手の人差し指を天に突き上げる。
 と、これまた機械音丸出しの安っぽいヨハン・セバスティアン・バッハのトッカータとフーガが流れ、舞台上が真っ赤な照明に覆われた。
「うわあ、もうだめだあ」
 と叫びながら、コック男とタイツ男性らはくるくると輪舞し舞台の両側に去って行った。
「あああ、たいくつう」
 と、嘆きながら女性も消えた。
 照明が消えて、暗闇の中から、だだだだだだだだだだいずむ、だざだざだざだざだざいすと、という声が聞こえてくる。それが四回繰り返されて、だあ、とひと際声が大きくなると、舞台が明るくなった。
 今度は舞台上に、濃紺の競泳水着姿の女性が三人並んだ。客席から見て左側、ロングヘアで背が高くスレンダーな体形の女性は、大根を手にしている。一方、右側、セミロングで少しぽっちゃりとした体形の女性は、山芋を手にしている。真ん中のショートで背が低く、目がくりっとした女性は、何も手にしていない。
「人生って、なんでこうも退屈なんですかね」
 と、きざったらしく口にしながらやって来たのは、黒の三角帽子に黒のマントといういで立ちの美形の男。
「ああ、皆さん本日はご来場誠にありがとうございます。僕は劇団あぶらむしの主宰で、この公演の劇作家で演出家、柴辻健作です。どうです、皆さん愉しんでいただけてますか」
 そこで、柴辻は口角を上げて会場中に流し目を送る。が、すぐに元の顔付きに戻ると、はあ、と大きくため息を吐いた。
「だめだだめだだめだ。嘘はつけないな。退屈なんだから仕方ない。その退屈を紛らわせるために、僕は日々恋を仕掛ける。あれかこれか、いいや、あれもこれも。手練手管の限りを尽くし、狙った獲物は外さない。だけど、一度手に入れてしまったら、ああ、もう退屈。だから、僕はまた恋に勝負する。そう、悪気なんてちっともないのに。全部この退屈のせいなんだ。僕は全然悪くない」
「黙れよ、大根野郎」
 左の女性が大根で柴辻を叩いて左手に消える。
「黙れよ、芋野郎」
 右の女性が山芋で柴辻を叩いて右手に消える。
「ああ、君だけは僕のことを」
 柴辻が真ん中の女性に哀願すると、女性は一瞬哀れみの表情を浮かべるも、
「黙れよ、ちんかす野郎」
と嘲って柴辻の腰に蹴りを入れると、ばあかばあかと左手に消えた。
 舞台に一人取り残された柴辻が、とほほと呟いたところで、大音量の軍艦マーチが鳴り轟く。
 ふぁっしょいふぁっしょいふぁっしょいなと掛け声をかけながら、法被姿の男十五人が四方八方から繰り出し、柴辻を神輿のように担ぎ上げると、ふぁっしょいふぁっしょいふぁっしょいなと喚いてばらばらと去って行った。
 ようやく舞台が静寂に包まれるか、と思ったところで、チロリロリンチロリロリンと携帯の着信音が鳴った。どうやらお客さんの中にスマホを切り忘れた人間がいるようだ。
 客席最前列真ん中の女性が後ろを振り返って睨みつける。だが、なかなか音は消えない。左端の頭髪の薄い男性も、おやおやという顔で後ろを振り返る。それでも音は止まない。
 すみません、すみませんと言いながら、雪子と詠美の斜め後ろに座った中年女性が、ようやくスマホを切った。女性はすみません、すみませんと何度も繰り返している。
「そしたら、続けますかね」
 なんとも険悪な雰囲気を振り払ったのは、こげ茶の登山帽に赤いヤッケ姿の男性だ。男性は七十代後半か、ステッキを右手に飄々とした足取りで舞台に現れる。黒子姿の女がパイプ椅子を用意すると、男性はそこにゆっくりと腰掛けた。
「なんだか、まあ、よくわからないんだけどね、ちょっと出て欲しいって言われたから、ここに来たんだけど、ほんと、ようわからん芝居をやってるねえ」
 男性の軽い口調に、雪子と詠美も思わず笑った。
「いろいろと芝居を観てきたけど、この芝居はようわからんやつの上位を占めるんやないかな。わからんていうか、なんていうか。まあ、言うても、もうほとんど観た芝居のことなんて忘れてしまったけどね。昔のことは、よう覚えてても、最近のことはすぐ忘れるもので。ううん、今朝の薬飲んだかなとか、あれっ、家の電気を消し忘れてきたんやないかなとか。その積み重ねやなあ。毎日が。あっ、さっき楽屋でもらったおにぎりは美味しかったなあ。高菜の入った手作りの」
「おじいちゃん、帰ろ」
 そう言って左手から登場したのは、先ほど柴辻に蹴りを入れた目がくりっとした女性。競泳水着から、麦わら帽子にパステルカラーのTシャツ、短パンに着換えている。
「ああ、もうええんやな。よいしょっと」
 女性が立ち上がろうとする男性を支える。
「ありがと、ありがと」
「おじいちゃん、歌を歌って」
「えっ、歌を歌うんやったかいな」
「ううん、今歌って欲しくなったの、おじいちゃんが楽屋で歌ってたやつ」
「ほんなら歌おうか、大正時代のラブソングを」
 お客さんたちの拍手に応えて、男性は、いいのちいみじいかしい、と『ゴンドラの唄』を歌った。巧くはないけれど、しみじみと染み渡るような歌声であった。
「おじいちゃん、本当に長生きしてね」
 歌い終えた男性に、女性が微笑みかけた。
posted by figarok492na at 13:35| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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