☆ほそゆきのパイロット版22
「開けてもええ」
「ええよ」
という雪子の返事を待って詠美は障子を開けた。
雪子は、詠美が誕生日にプレゼントした飛永梅太郎のイラスト入りの枕を頭にして、畳の上に寝転がっていた。
「何してんの」
「ぼおっと」
「また河童か」
雪子が手にした絵葉書に詠美が突っ込みを入れる。
「うん」
「尻子玉抜かれんで、そんなんばっかり見てたら」
「やらしいなあ」
雪子がくすっと笑う。
「はっ、何がやらしいねん。尻子玉やで」
「わかってるよ」
と言ってまた笑うと、雪子は絵葉書に目を移す。
「ちょ、ちょっ」
「何い」
「何いやないよ、何してんの」
「ぼおっと」
「ほんま、殴ったろうか」
「堪忍堪忍、殴らんといて」
雪子はわざとらしく応えてから、身体を起こした。
「で、何」
「これやこれ」
詠美が右手を突き出した。
「ああ」
「ああて、他人事みたいに。なんやのんこれ」
詠美の手にはチケットが二枚握られている。
「古屋さんがくれたの」
「古屋さんって、あのあぶらむしの彼女」
「あぶらむしの彼女はないよ」
「だって、あぶらむしの演出の彼女なんやろ」
「彼女やなくて、元カノ。でも、古屋さんは、あぶらむしやなくて、カマキリにそっくり」
「ゆっこちゃん、そういうとこほんまに辛辣やなあ」
「ほんまのことやから。あっ、古屋さんには言わへんよ。しゅっとした顔してはるねえってしか」
「そっちのほうがよっぽど失礼な気するわ」
「そっかな」
と言って、雪子は寝転がろうとする。
「ちょ、待てえ」
「何い」
「何いて、なんでこれが私の机の上においてあんの」
「詠美ちゃん、お芝居観るの好きなんやろ」
「好きやけど、あぶらむしは外れって言うたやんか」
「言うたねえ」
「やったら、観に行くわけなんかないやん」
「詠美ちゃん」
急に雪子が姿勢を正す。
「詠美ちゃんは、将来の日本を、いや世界を代表する表現者になりたい思うてるんやんね」
「そうや」
「それなら、今度のあぶらむしの公演が詠美ちゃんの表現活動にとって大きな刺激にならんともかぎらんのとちゃうのん。お姉さんはそう思うんやけどね」
「こういうときだけお姉さんて。そんなんでだまされると思うたら大間違いや」
「あかん」
「あかんよ」
「日本国民のマジョリティは、今の言葉で、はいわかりました、わたくし喜んで観に行かさせていただきます、って納得すると思うんやけど」
「何言うてんの」
「なあ、詠美ちゃん、お姉ちゃんもな、詠美ちゃんには悪い思うてんねんで。でもな、古屋さんがどうしても、どうしてもってお姉ちゃんに言うてきはんねん。そこまで言われて知らん顔もでけへんやろ。やけど、お姉ちゃん、どうしてもあぶらむしは観に行かれへんねん。あぶらむしも南京虫もごきぶりも大嫌いやろ。そやから、お姉ちゃんを助けると思うて。詠美ちゃん、こんな弱いお姉ちゃんを堪忍してな」
雪子は小刻みに震えながら、両手で顔を隠した。隠したとたん、身体の震えが大きくなった。
「なめとんか、ええかげんにしいよし」
「ああ、おかしい」
「おかしいのは、ゆっこちゃんの頭ん中身や」
「日本国民のマジョリティは、涙流して、はいわかりました、わたくし喜んで観に行かさせていただきます、って納得すると思うんやけど」
「行くか、ぼけ」
「しゃあないな、やったらそれほかしといて」
「ほかす」
「誰も観に行かへんのやったら、ほかすしかないやん。プチ断捨離」
「これ、当精やないやん」
「当精て」
「当日精算券」
「ああ。ヨーロッパ行ったばっかりでお金ないって断ったら、チケットあげるから観に来て、集客に苦労してるからって、古屋さんが押し付けてきたん。あんだけ断ってんのに、押し付けてくるんやもん。しつこい人はほんま苦手や」
「ゆっこちゃん、そのこと古屋さんには」
「そんな失礼なこと言わへんよ」
「あんた、ほんまに、ほんま」
「何い」
「内弁慶やなあ」
「くろうかけます」
雪子は会心の笑みを浮かべると、再び寝転がった。
2019年05月21日
この記事へのコメント
コメントを書く