2019年02月23日

あっしにもかかわりのあることで 中村敦夫の朗読劇『線量計が鳴る』

☆中村敦夫 朗読劇『線量計が鳴る』

 脚本・主演:中村敦夫
(2019年2月23日14時開演/京都教育文化センターホール)


 あっしにゃあかかわりのねえことで。
 40代後半から60代ぐらいまでの人、特に男性ならば、子供の頃、中村敦夫演じる木枯し紋次郎の真似をして、竹串か何かを口からぷっと吹き飛ばした経験がおありではないか。
 あいにく紋次郎風の長い竹串がないものだから、巻きすを一本抜きとってあとでこっぴどく叱られたこともあったっけ。
 こんな馬鹿な経験をお持ちの方も中にはいらっしゃるかもしれない。
 ただ、そんな風に物真似の対象ではありつつも、正直、僕は中村敦夫という演技者が今一つ好きではなかった。
 紋次郎流儀、斜に構えたというか、ニヒルというか、どこか格好つけて壁をつくっているかのような感じがどうにも苦手で、それよりは、それこそ『はんらん狂騒曲』(菅孝之の戯曲。この作品の上演騒動がもとで、中村さんや市原悦子、原田芳雄、菅貫太郎、鶴田忍らが俳優座を去った)を地で行くようなジャーナリスト、テレビキャスター、参議院議員としての硬派な活動ぶりにより好感を抱いたものだ。

 そんな中村敦夫への印象が変わったのは、市川崑監督のリメイク版『犬神家の一族』での古舘弁護士を演じた頃からか。
 ちょうど中村さんが俳優として積極的な活動を再開し始めた時期で、はっきり言ってこのリメイク版自体、ウッチャンナンチャンのコントか何かとみまごうばかりのキッチュな作りに残念な想いがしたし、中村さんの演技にも違和感は残ったのだが、一方で中村さんってこういうコミカルっぽい演技もするんだなと意外に感じたりもしたのだった。

 で、今日旧知の松田裕一郎さんの誘いで足を運んだ自作の朗読劇(一人朗読劇)『線量計が鳴る』で、初めて中村敦夫の実演に接したのだけれど、いやあこれは足を運んで本当に大正解。
 中村敦夫という演技者、表現者に大いに感服した。

 副題に「元・原発技術者のモノローグ」とある『線量計が鳴る』は、東日本大震災の原発事故に到る道筋や震災後の状況、福島の人たちの苦境、さらには原子力発電を取り巻く利権構造が、かつて技術者として東京電力・福島原子力発電所に関わった老人の言葉を通して明確に浮き彫りにされていく。
 と、こう記すと、なんだそれって政治講演みたいなもんじゃんと斜に構える向きもあるかもしれず、実際中村さんというより今日のお客さんの側にもそのノリがなかったとは言えないけれど、そこは中村さん、かつての『チェンマイの首』などの小説同様、取材等で手に入れたデータを巧みにエンタメの手法に落とし込んでおり、聴きどころ見どころに不足しない「劇」に仕立て上げていた。
 加えて、劇場感覚に富むというか、生のお客さんの反応に敏感なユーモア感覚も十分十二分に発揮していた。
 そして、もっとも感嘆したのが中村さんが自らの老いをしっかりと引き受けた上でこの休憩を挟んだ二時間ほどの朗読劇に挑んでいたことだ。
 舞台上のあの人物は福島の元技術者の老人であるとともに、俳優座から何から、これまで様々なことを積み重ねて生きてきた中村敦夫自身でもあった。
 だから、途中何か所か言い間違いやウロもまた、あるべくしてあるものであり、この作品のリアルさを補強していたように感じた。

 終演後のトークで、79歳になった(!)自分がこうして演じ続けられるのは、公憤と義憤があるからと口にしていたけれど、原発に関する様々な問題は確かに他人事ではない。
 あっしにゃあかかわりのないことどころか、あっしにもかかわりのあることだ。
 むろん、原発に対する意見は人それぞれで、中村さんの考え方が即全て受け入れられるとは言えないだろうが。
 それでも、今一度この問題についてはよくよく考え直さねばならないとは強く思う。

 とともに、原発どうこうはひとまず抜きにしても、演劇演技に関する人たちにはぜひ観ておいて欲しかったなと感じずにはいられなかった。
 なにせ、いろいろ事情があってとはいえ、僅か1000円でこの公演に接することができたのだから。

 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 17:56| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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