☆同志社交響楽団 第8回海外公演出発演奏会
指揮:海老原光
(2019年2月22日18時開演/同志社大学寒梅館ハーディーホール)
昭和の終わり頃まで長崎県内で過ごした人間にとって、團伊玖磨という作曲家は非常に身近な存在であったのではないか。
おなじみ『ぞうさん』や『やぎさんゆうびん』といった有名な童謡はひとまず置くとして、長崎市内の県立高校(いわゆる長崎五校)の音楽会で歌った長崎県立北陽台高校の校歌を作曲したのが團伊玖磨だし、同じくその音楽会で歌った、というよりテレビ長崎(KTN)の夜の天気予報でさびの部分が連日放送されていた西海讃歌を作曲したのも團伊玖磨だったからだ。
そういえば、あれは中学のH先生だったか、高校のA先生だったか、團さんの西海讃歌はヴェルディのオペラの…と言葉を濁して話していたことがあったっけ。
西海讃歌の旋律は、ヴェルディの歌劇『ナブッコ』の合唱曲「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」の旋律にどことなく(?)そっくりだったのである。
まあ、それはそれとして、團伊玖磨は6曲の交響曲を作曲したこの国屈指のシンフォニストでもあった。
その團伊玖磨のいっとう最初のイ調の交響曲を同志社交響楽団が演奏するというので、同志社大学寒梅館まで足を運んだ。
以前山田一雄指揮ウィーン交響楽団の録音に接したことはあるものの、今では第1番と呼ばれる團伊玖磨のイ調の交響曲を生で聴くのは、今回が初めてである。
日本風の旋律を、フランクやショーソン(彼の交響曲の終楽章に、『ぞうさん』そっくりなメロディが現れる)といったフランス近代楽派を中心とした西洋流のモダンな構成に織り込んだ意欲的な交響曲…。
と、まとめてしまうと、ちょっと単純に過ぎるかな。
團さんらしいホルンの効果的な使用など、鳴らすべきところはしっかり鳴らし、歌うところはたっぷり歌った、耳馴染みのよい音楽である。
そうした交響曲イ調を、鹿児島出身で小林研一郎らに指揮を学んだ海老原光は、強弱緩急のはっきりした音楽づくりで再現していた。
正直、團さんの音楽の基本の部分には、大陸的というか、もう少し良い意味での大まかさ、緩さがあるようにも思うのだが、今回の演奏が真摯で立派なものであったことは確かだ。
師匠の炎の指揮者コバケンが良くも悪くも解放・開放の人だとしたら、終演後の奏者の立たせ方も含めて、海老原さんは全てを手の内でコントロールしたい、言い換えれば、統率のよくとれた音楽の作り手のように感じられる。
そうした海老原さんの美質特質が十全に発揮されていたのが、メインのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」ではないか。
推進力前進力抜群、エネルギッシュでパワフル、さらには寒梅館ハーディーホールの音響もあってかもしれないが各楽器の動きがはっきりとわかる明晰さ(團伊玖磨の交響曲でもそうだったし、一曲目のブラームスの大学祝典序曲でもそうだったが)、それでいて第2楽章の弦楽器の首席奏者たちだけのアンサンブルのように表現の細やかさも失われない。
大柄な手振りでありながら粗雑さとは無縁の指揮姿に相応しい、格好が良くて勢いのある演奏だった。
技術的な限界は当然ありつつも、同志社交響楽団の面々も海老原さんの意図によく副う努力を重ねていた。
そうそう、大学祝典序曲の前に、同志社カレッジソングが指揮者なしで演奏されたんだけど、あの曲を聴くと、どうしても『カサブランカ』のナチスの連中が歌っているシーンをどうして思い出してしまうなあ。
ここらあたり、前学長で映画好きの村田晃嗣先生に詳しく訊いてみたくもある。
ちなみに、今回のコンサートは3年ごとに開催されている海外公演(3月4日、プラハにて)を記念した第8回海外公演出発演奏会。
開演前、会場のスメタナホールにトラブルが発生したため、別会場で公演を実施する旨、実行委員長の学生さんからアナウンスがあったが、まずは無事開催と成功盛況を祈るばかりである。
そして、海老原さん流儀の團伊玖磨の交響曲や「新世界より」がプラハの人々からどう受け止められるのか実に興味深い。
2019年02月22日
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