☆京都市交響楽団第630回定期演奏会(後半のみ)
指揮:マルク・アンドレーエ
管弦楽:京都市交響楽団
座席:3階LB列5番
(2019年1月20日/京都コンサートホール大ホール)
一言で言い表すならば、大きいこともいいことだ!
となる。
昨日聴いたアンサンブル・ディアーロギが小さいことのよさ、室内楽の魅力をたっぷり教えてくれたならば、今日の京響の演奏は大きいことのよさ、大管弦楽の魅力をたっぷり教えてくれた。
諸事情があって、ゲルハルト・オピッツをソロに迎えたブラームスのピアノ協奏曲第1番は泣く泣く断念し、雨もやんだからと自転車をこいで京都コンサートホールに向かい、後半のムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』を聴く。
指揮は、スイス出身のマルク・アンドレーエ。
1939年11月生まれだから、今年で80歳になるがなかなかそうは見えない頑健な風貌だ。
指揮者、作曲家である祖父のフォルクマール・アンドレーエをはじめ、スイスを代表する音楽家一族の一人だが、終演後のサイン会用かマルクがボーンマス交響楽団を指揮したフォルクマールの管弦楽曲集<Guild>がCDコーナーに並んでいたのにはちょっと驚いた。
LP時代から録音に積極的で、『展覧会の絵』もミュンヘン・フィルと共にBASFレーベルに録音していた。
と、言っても、一般にはなじみの少ないトゥシマロフ版(リムスキー=コルサコフ版)を使ったもので、マルク・アンドレーエとトゥシマロフ版の『展覧会の絵』といえば、非公式な形ではあるけれどNHK交響楽団との1993年の実演の映像がYouTubeにアップされてもいる。
ただし、今回京都市交響楽団と演奏したのは、よく知られているラヴェル版。
泣く子と地頭、ではなく、一般的な客受けにはかなわぬという訳か。
が、そこはマルク・アンドレーエ、ただでは転ばない、じゃない手を振らない。
(ちなみに、彼は指揮棒を使っていなかった)
ハラルド・ナエスの朗々としたトランペット・ソロはまだしも、最初のプロムナードから何やら一癖も二癖もある音楽づくりなのだ。
もちろんラヴェルのオーケストレーションにも十分配慮しつつも、そこに独自の色付けを重ねていく。
それって、スペインの教会で素人のおばあさんが補修をしたようなもの?
違う、断然違う!
多分にそれは、ムソルグスキーの原曲の持つイメージ(といっても、表面的な「絵画性」ではなく、ヴィクトル・ハルトマンの絵画よりムソルグスキーが受けた精神的反応、テキストの持つ文脈と言ったほうがよいだろう)を管弦楽によって再現するというものではなかったろうか。
当然、キエフの大門の圧倒的な音響には強く心を動かされたが、それは例えば同じ曲の弱音部分が象徴するような細かい積み重ねがあってのものでもあるだろう。
上記ナエスをはじめ、京都市交響楽団もそうしたマルク・アンドレーエの解釈によく副ってソロ、アンサンブルいずれも精度の高い演奏を繰り広げていた。
(京響の『展覧会の絵』を聴くのは、ちょうど30年ぶりになるが、この間のこのオーケストラの大きな変化を改めて痛感した)
いやあ、室内楽もいいけど、オーケストラもいいな。
ああ、面白かった!!!
それにしても、B席ならば後半券が1000円とは安過ぎる。
後半券とはいいことだ!!!
2019年01月20日
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