☆和久峻三さんを悼む
今日の朝日新聞の朝刊に、作家の和久峻三さんの訃報が掲載されていた。
昨夜、たまたまWikipediaの今年の物故者の項目を確認した際、和久さんの名前を見つけていたので驚きはなかったが、それでもやはり感慨は深い。
和久さんは大阪市の出身で京都大学法学部を卒業(同窓に大島渚がいる)、中日新聞の記者を経て弁護士となり、その後作家としての活動も始めた。
和久さんといえば、赤かぶ検事こと柊茂を主人公とする赤かぶ検事シリーズや京都府警の音川音次郎警部補を主人公とする京都殺人案内シリーズ、告発弁護士猪狩文助を主人公とする告発弁護士シリーズと、自らの経験体験と法律的知識を駆使した法廷ミステリの書き手として有名で、いずれもドラマ化されている。
小学校三年生の頃に横溝正史にはまったのが小説の読み始めという人間ではあるものの、ミステリ小説というジャンルそのものには正直愛着がないため、学生時代のほんの一時期、古本屋で買い求めた赤かぶ検事シリーズなどに触れた以外、和久さんの作品に接したことはない。
ただ、今思い返すと、技巧的な謎解きよりも、男女の人間関係のもつれだとか、遺産相続に象徴される愛憎の念であるとか、それより何より柊茂という屈折した人間造形であるとか、結局人の心の謎を描くことにその力点が置かれていたようにも感じられる。
(特に初期の頃の藤田まこと主演の京都殺人案内シリーズのウェットな感じは、その「京都らしさ」も含めて、和久さんの作品の世界観によく副っているかもしれない)
ほかに、和久さんでは『噂の真相』に対する名誉棄損訴訟も記憶に残っているが、手元に原本がないため詳細は省略する。
そんな和久さんと僕は一度だけお会いしたことがあった。
大学院を出る少し前のことだから、もう25年以上も前になるか。
和久さんの口述筆記を「おこし」たり、和久さんに代わって取材を行ったりする執筆補佐の人材募集があって、一次試験を合格した僕は、最終面接として三宅八幡にある和久さん宅を訪れた。
20時過ぎか21時近くだったろうか、冬の夜だ。
まず秘書を務める夫人(後日、京都市バスの運転手の無謀な運転のため、手を骨折されたことがある)から職務内容や条件などの説明があるとともに、一次試験の「あなたが好きな推理小説」なる質問へのドストエフスキーの『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』という僕の答えが面白かったといった選考理由を聴く。
それから10分か15分経った頃、徹夜執筆後の仮眠をとった和久さんがいささか憔悴した感じでやって来られ、こちらが提出した学生時代の卒業論文や大学生協に掲載されたブックレビューへの感想を挟みつつ、質疑応答を行った。
その際、もっとも印象に残ったのが、「売れ過ぎると書きたいものが書けなくなる」旨の言葉だった。
そのとき、僕はすぐに、革新政党(明らかに日本共産党)を首班とする革新連合政権の誕生に対する保守反動の側による策謀策動を描いた『権力の朝』<角川文庫>という作品を思い起こしたが、あえて口にすることはしなかった。
(和久さんはリベラルな、と言っても、現在のそれとはニュアンスが異なり、1990年代半ば頃までは日本共産党に立場の近い人をそう呼んでいたが、リベラルな立場に立つ人であった。赤かぶ検事の柊茂と同姓同名の実在の人物が立命館大学の校友会の役員をやっていて、1950年代前後の学生運動について語っていたことがあるのだけれど、和久さんは政治運動絡みで学生時代の柊茂氏と面識があったのかもしれない*)
結局、別の就職先が見つかったため、最終結果を待たずお断りすることになったが、もし和久峻三の執筆補佐に選ばれていたら、今の僕はどうしていただろうか。
もしかしたら、小説を書き続けてはいなかったかもしれない。
そうそう、フランキー堺に橋爪功、中村梅雀と一癖も二癖もある役者が演じてきた赤かぶ検事だけれど、痩身の長身で飄々然とした人物と、どちらかといえば僕自身のほうが原作の彼に近い。
もちろん、それではドラマとして成功しなかったような気もするが。
深く、深く、深く、深く黙禱。
*当時の立命館大学は広小路の学舎だったので、今の衣笠学舎よりも京都大学に近い。
2018年12月30日
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