2018年12月15日

歌心は疾走する もしくは、煉獄的な長さ パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル(西宮公演)

☆パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル(西宮公演)

 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
 独奏:ヒラリー・ハーン

 座席:3階LA列18番
(2018年12月15日14時開演/兵庫県立芸術文化センター大ホール)


 パーヴォ・ヤルヴィが率いるブレーメンを本拠地とするドイツの室内オーケストラ、ドイツ・カンマーフィルを聴きに西宮の兵庫県立芸術文化センターまで足を運んだ。
 ドイツ・カンマーフィルの実演に接するのは、かつてのケルン滞在中にハインツ・ホリガーとハインリヒ・シフの2回のコンサート以来だから、約25年ぶりになる。
(ちなみに、兵庫県立芸術文化センターの大ホールのほうは今回が初めて。オペラを主目的にするホールなだけに残響は豊かではないが、その分、音の分離がよい。個々の楽器の音の動きがよく聞き取れた)

 前半はモーツァルトが2曲。
 まずは、歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲から。
 パーヴォ・ヤルヴィの『ドン・ジョヴァンニ』といえば、NHK交響楽団との演奏会形式のライヴ録音をFMで聴いたことがあるけど、今日の序曲もいわゆるピリオド・スタイルを援用しつつ、ドラマティックでスタイリッシュな演奏に仕上げていた。
(なお、楽器の配置は、第1ヴァイオリンの真向かいに第2ヴァイオリンが置かれた対抗配置。コントラバスはお客さんから向かって左側の斜め後ろ。その横にホルンが座り、真ん中奥に木管楽器群。トランペットとトロンボーンは向かって右側の奥、ティンパニは右側の斜め後ろという陣構えだった)

 続く、2曲目は、ヒラリー・ハーンがソロを務めたヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。
 ハーンの実演を聴くのも今回が初めてだけど、終演後の「ヴァイオリンをやっている人が彼女の演奏を聴いたときどんな気持ちになるんだろう」というある女性のお客さんの言葉が全てを表しているような気がした。
 優れたテクニックはもちろんのこと、あるは激しくあるは流麗にと、その柔軟性に富んだ表現表出の幅の広さに感嘆する。
 特に、ホール全体を一手に惹き付けるかのようなカデンツァの集中力。
 ヴァイオリンの弱音の魅力を再認識させられた。
 パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルも快活で精度の高い伴奏を行っており、第3楽章のトルコ風の部分でのりのよさ、ハーンとの丁々発止の掛け合いにはわくわくした。
 ハーンのアンコールは、ヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番のプレリュードと同第1番のパルティータ。
 一気呵成の前者、余情にあふれた後者と彼女の魅力がここでも発揮されていた。

 休憩を挟んで後半は、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。
 よくよく考えてみたら、生の「ザ・グレート」も約25年ぶりということになる。
 大好きな交響曲なのに、うっかり聴く機会を損ねていたのだ。
 この交響曲に関しては、シューマンの「天国的な長さ」という言葉が有名だが、パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルが演奏すれば、(よい意味で)「煉獄的な長さ」ということになるのではないか。
 第1楽章冒頭からして、実にスピーディー。
 澱んでなんかいられますか、てな具合にさくさくさくさく進んでいく。
 もちろん、だからといって雑さとも無縁。
 ライヴ特有の細かい傷はありつつも、強弱緩急よくコントロールされた音楽がしっかりと生み出されていく。
 第2楽章など、かつての演奏スタイルであれば情緒纏綿、たっぷり歌わせるところだけれど、パーヴォ・ヤルヴィはここでも速いテンポで音楽を進める。
 だから、ゲネラルパウゼでは、パーヴォ自身が指揮したブルックナーの交響曲をすぐに思い起こしたほどだ。
 当然、続く第3楽章、第4楽章と音楽の流れは停滞することなく、華々しいフィナーレを迎えた。
 小林秀雄をもじれば、シューベルトの歌心は疾走する。
 とても聴き応えがあった。
 で、こうしたパーヴォ・ヤルヴィの音楽づくりの基本にピリオド・スタイル、オーセンティックな楽曲解釈、綿密なテキストの読み込みがあることは言うまでもないが、(これはハーンにも繋がるはずだけれど)それと共にパーヴォ・ヤルヴィという音楽家が、現代世界・現代社会に生きる一人の人間であるということも大きいように感じる。
 それをグローバリズムという言葉でくくってしまうと、あまりにも単純で陳腐に過ぎるものの、けれど彼彼女らが、インターネットで世界中が繋がり、昨日はヨーロッパ、今日は日本、明日はアメリカといった速いテンポでの移動を日々行い、クラシック音楽ばかりでなく、ロックや何やら様々な音楽、ばかりか様々なメディアに囲まれて生きていることも当たり前の事実であろう。
 その意味でも、僕はこの演奏を「煉獄的な長さ」と呼びたくなるのだ。
(弦楽器は、第1ヴァイオリンから8、7、5、5、3)

 アンコールは、シベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォ。
 パーヴォ・ヤルヴィのテンポの取り方にぶれはなかったが、弦楽器の歌わせ方やティンパニの荘厳な響きには、モーツァルトやシューベルトよりなお音楽への共振性を感じた。

 と、音楽を聴く愉しみに満ち満ちたコンサートでした。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 19:21| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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