☆日本センチュリー交響楽団第231定期演奏会(後半のみ)
指揮:川瀬賢太郎
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
座席:2階RF列1番
(2018年12月6日/ザ・シンフォニーホール)
コンサート前にたまたま入ったカフェで、マスターと常連とおぼしき男性のお客さんが今年ヒットしたDA PUMPのU.S.A.とジョー・イエローが歌ったオリジナルのほうの歌詞についてしばらく話をしていたが、常連のお客さんの「(カバーの歌詞は)これぞ日本人が感じるアメリカ!って確信犯的にやってるね」という言葉が中でも印象に残った。
日本人が感じるアメリカ!
いやいや、そればかりじゃない、トランプのアメリカもあれば、先ごろ亡くなった父ブッシュらのアメリカ、知識人たちのアメリカ、「アフリカ系アメリカ人」のアメリカ、ユダヤ系のアメリカ、アイルランド系のアメリカ、イタリア系のアメリカ、ヒスパニック系のアメリカ、アジア系のアメリカ…。
様々なアメリカが存在する。
そして、アメリカという国がそうした様々なアメリカに変容する契機はやはり19世紀末に始まり、20世紀に入って急速に進んだ社会的諸状況の変化、近代化に大衆社会化やそれと軌を一にした対外的伸長にあることは言うまでもあるまい。
そうした変化の中、アメリカ楽壇の主流の枠外で作曲活動を続け、結果それがアメリカそのものの諸相を体現するかのような独自の語法に達した作曲家こそ、チャールズ・アイヴズその人だろう。
そんなアイヴズが20世紀初頭に完成させながら、1951年になってようやく初演された交響曲第2番を川瀬賢太郎指揮日本センチュリー交響楽団が演奏するというので、大阪のザ・シンフォニーホールまで足を運んだ。
って、それらしいこと書きやがってこの!
(ちなみに、大切な予定があったため、前半のアイヴズの答えのない質問にバーバーの弦楽のためのアダージョ、あのマハン・エスファハニが独奏を務めたマイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲の日本初演はパスする)
で、今は亡き志鳥栄八郎もびっくりの大風呂敷の前説を書き連ねると、どれだけ奇怪で卦体な交響曲かとおののくむきもあるかもしれないけれど、なんのなんの、曲調それ自体は後期ロマン派風でもあり、ドヴォルザークの新世界よりなどの国民楽派風でもあり、アイヴズが育ったニューイングランドの自然を感じもさせる耳馴染みのよいものとなっていて、もっとずっと演奏されてもちっともおかしくない。
(先日、川瀬さんの師匠にあたる広上淳一がNHK交響楽団の定期公演で取り上げてはいたが)
ただ、そうした耳馴染みのよさがフォスターだとか讃美歌だとか、先行の諸作品の引用と変容によるものであるとか、単になだらかで美しいだけで終わらない不穏さがそこここに潜んでいるとか、全体的な結構であるとか、一筋縄ではいかない仕掛けがあれこれ施されていることも事実だ。
川瀬さんは、そうした作品の要所急所を的確に押さえつつ、歌うところは歌い祈るところは祈り、盛り上げるところは激しく盛り上げた、実に聴き応えのある音楽づくりを行っていたし、日本センチュリー交響楽団もしなやかな弦楽器をはじめ、木管金管打楽器、ソロ・アンサンブルともに精度の高い演奏でよく応えていた。
(なお、最後のちゃぶ台返しは、初演者のレナード・バーンスタインとは異なり、さっと切り上げるもの。それにしても、公演プログラムの服部智行の解説で知ったけど、あの不協和音って初演・出版直前にアイヴズが書いたものだという。なるほど、そうだったのか)
と、大いに愉しんだ演奏であり作品だった。
ああ、面白かった!!!
後半のみの「あと割り」で1500円、交通費をあわせても2300円は安いや!!!
2018年12月07日
この記事へのコメント
コメントを書く