2018年11月04日

高間響よどこへゆく 第26次笑の内閣『そこまで言わんでモリエール』

☆第26次笑の内閣『そこまで言わんでモリエール』

 作・演出:高間響
 助演出:河井朗
(2018年11月4日15時半開演の回/京都芸術センター・フリースペース)


 かつて今は亡き三遊亭圓生は、ある藝人について天皇陛下に見せられない云々と評したという。
 昭和天皇の天覧口演を一生の誉れと感じた圓生らしい物言いではある。
 それでは、高間響率いる笑の内閣の公演はどうだろう。
 諷刺皮肉が散りばめられているし、お下劣お下品な台詞もふんだんだし、アフタートークのゲストも相当やばい人たちが多いし…。
 けれど、今回のアフタートークで劇団洒落乙のぶった斬れのベティさんが口にしていたように、高間君といえば両極端に振り切ら(れ)ないバランス感覚の持ち主、昭和天皇や今上天皇は無理にせよ、次代の天皇ならば…。
 いや、『君の名は』があるからアウトか。

 なんてことを考えてしまったのも、高間君が第26次笑の内閣で『そこまで言わんでモリエール』のタイトルの下、フランスを代表する劇作家の一人モリエール(ちなみに、江守徹って彼からきてる芸名。江戸川乱歩や谷啓みたい)に挑んだからだ。
 このモリエールという男、国王ルイ14世の庇護を受けながら、諷刺皮肉に当てこすりのオンパレード、こいつは敵だとみれば徹底的にたたきまくって争うし、大の女好き。
 京都芸術センターのプログラムという基本的な枠はありつつも、高間君が好んで取り上げたくなるのがよくわかる。
 舞台は、1665年12月、モリエール率いる劇団は…。
 といった梗概は、公演チラシをご照覧あれ。
 モリエールという一人の劇作家・演出家・座長と彼を取り巻く人々の大騒動に仮託して、高間君の演劇そのものに対しての想いや人間関係に対しての想い(ぶっちゃけて言うなら、俺は喧嘩はするけど、ほんとはそんなもんしたくねえんだよ、みんなで仲良く愉しく芝居をやって、甘えたいときは甘やかしてくれってんだ、そら我がままだろうけどさ)がストレートに描かれている。
 関西小劇場界、というか高間君周辺のあれやこれや(極私的な内輪ネタだって、モリエールならばまあありだ)を際どくぶちまいて問題提起をしていたし、ここぞというところでは真情を吐露するような台詞も用意されていたが、そこは上述した如きバランス感覚の持ち主でもあるわけで、ほどよく捻りを加えて感情過多を避けていた。
 また、モリエールの作品・台詞も効果的に引用されていたのではないか。
 学生時代に接した岩波文庫版に比して、青山学院大学の秋山伸子教授の翻訳も笑の内閣の動き(身体のみならず感情)の多い芝居にぴったりだった。
(秋山先生訳のモリエールをぜひ一度読んでおかないと)

 もちろん、そうした高間君のテキストをそれこそドラマティックな舞台に仕立て上げるにおいては、河井朗の助演出(共同演出と呼んだほうがよいか)と演者陣の存在を忘れてはなるまい。
 正直、演者陣の所作や構成等、相当な部分で河井君の手つき手さばきを感じたことも事実だ。
 加えて、モリエールを演じ切った髭だるマンを筆頭に、高瀬川すてら、澤田誠、上原日呂、アパ太郎、熊谷みずほ、しらとりまな、土肥希理子、由良真介、BANRI、岡本昇也、山下ダニエル弘之、亮介の演者陣も各々の特性魅力を発揮していたのではないか。
 踏み込んでいえば、技術技量の長短はひとまず置くとして、高間君のテキストやあり方との齟齬、河井君の演出スタイルとの齟齬、ばかりか演者間の齟齬もいろいろと垣間見えていたのだけれど、そうした部分も込みの『そこまで言わんでモリエール』なのかもしれない。

 いずれにしても、内閣初出演初参加の顔触れが増していく中で、高間君がどのような作品を生み出し、笑の内閣としてどのような人間関係を創り出していくのか。
 公演そのものを大いに愉しんだ分、その点に関して非常に気になったということを最後に付記しておきたい。

 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 20:10| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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