☆O land Theater『しあわせな日々』
作:サミュエル・ベケット
演出・美術:苧環凉
(2018年10月21日14時開演/京都市東山青少年活動センター創造活動室)
O land Theaterがベケットの『しあわせな日々』を上演するというので、京都市東山青少年活動センターまで足を運んだ。
舞台上にはウィニー(坂東恭子)が地中、というよりも布を効果的に利用した苧環さんの美術を観れば強固な土中といったほうがより適切か、胸元まで埋まった状態になっている。
開演とともに時計のベルが鳴り、ウィニーは目醒める。
そして、歯を磨き、祈り、おしゃべりを始める。
だが、夫のウィリー(竹ち代毬也)は、彼女に顔を見せようともしない…。
といった展開の『しあわせな日々』は、ウィニーの一種狂躁的なおしゃべりやウィリーとのコミュニケーション/ディスコミュニケーションを軸にしながら、そこにグロテスクな滑稽さを交えつつ、人間関係の不毛さや不安定さ、ばかりではなく社会的な圧迫、危機的状況を描いた、切実で痛切な作品である。
苧環さんは部分部分で仕掛けを施しつつも、基本的には作品の要所を丁寧に押さえてバランスのよいオーソドックスな演出を心掛けていた。
と記すことができるのは、かつて学生時代に『しあわせな日々』を書籍で何度か読んだことがあるからだろう。
(たぶん、苧環さんが今回の公演で利用したものと同じだと思う)
正直、僕の観た回では演者さんの技術的限界が大きく、何度も集中が途切れてしまい、ある意味いたたまれなさすら感じていたが、最終盤の竹ち代さんの激しい動きでようやく解き放たれた(むろん、そうした意味合いの演技ではないとも思いつつ)気分になることができた。
と、こう記すと、僕がウィニーを演じた坂東さんを責めているととる向きの方もいるかもしれないが、そうではない。
約1時間半以上しゃべりっぱなしであり続ける坂東さんの苦労は、当然想像に難くないからである。
まずもってこの『しあわせな日々』という大きな課題に正面から向き合った坂東さんには、竹ち代さんへと同じく大きな拍手を送りたい。
それに、どこか岸恵子っぽくて1970年代までの洋画や海外ドラマの吹き替えっぽい坂東さんの声質は、ウィニーという登場人物のあり様によく合っていたし、表情の豊かな動きも強く印象に残った。
ただ、だからこそ、坂東さんの限界をより巧く活かす、もしくは庇う方法はなかったかと思ってしまうことも事実だ。
例えば、いっそ台詞の「切断」をデフォルメしきって、異化効果を生み出すとか。
もしくは、坂東さんはもちろんのこと、竹ち代さんにももっともっと「ぶち壊し」てもらって(それこそ黒澤明の『用心棒』のラストの藤原釜足のような)、ベケットの邪劇性を強調するとか。
逆に、そうしたべたべたなやり方が苧環さんの求めるものではないとすれば、苧環さんの表現欲求が十全に発揮された上で、個々の演者の負担の少ないものを上演していくか、もしくは、テキストに見合ったシビアなキャスティングを行っていくか、という判断が必要になってくるのではないだろうか。
いずれにしても、演出、演者陣ともども意欲的であり、それぞれの特性魅力が窺えた公演であっただけに、非常に残念でならなかった。
次回のO land Theaterの公演を心待ちにしたい。
2018年10月21日
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