☆平松晶子&中川さと子 ヴァイオリンデュオコンサート2018
出演:平松晶子、中川さと子(ヴァイオリン)
座席:H-1
(2018年10月6日14時半開演/青山音楽記念館バロックザール)
かれこれ25年も昔の話になる。
僕が文学部から大学院の国際関係研究科に進学した頃、立命館大学の国際関係学部は今とは違って衣笠キャンパスから少し離れた山道の半ば辺り、西園寺記念館という建物に居を構えていた。
学部は一家学生は皆兄弟、などと言えば大袈裟に過ぎるけれど、設置されてからまだ数年で比較的少人数、しかも独立したスペースでひと塊になっていることもあってか、学生教職員揃って国際関係学部はインティメートな空間を築き上げていたものだ。
(ちなみに、研究科は衣笠キャンパスのほうに研究室があったので、学部と合同の加藤周一先生の講義など、えっちらおっちら山道を登っていかなければならなかった)
学生オーケストラに所属しつつ、専門にヴァイオリンを学んでいる平松晶子さんという学部生が存在するということを知ったのも、そうした国際関係学部の精緻なネットワークの賜物だった。
その頃からクラシック音楽に関してちまちま文章を書いていたこともあって、早速平松さんとお話する機会を設けてもらったのだけれど、府立府民ホール・アルティで接したリサイタルの演奏ともども、音楽に向き合う彼女の真摯さにはいたく感心したものである。
卒業後は、当然の如く距離もできたが、それでも小林道夫さんが指揮するアマチュア・オーケストラのコンサートなど、何度かばったりすることがあって、お互いの近況を話し合ってはいた。
確か一番最後に会ったのは、ニコラウス・アーノンクールの京都賞受賞を記念したワークショップではなかったか。
その後、Facebookで「再会」した平松さんがなんとヴィオラ・ダ・ガンバに挑んでいることを知ったとき、思えば小林道夫さんやアーノンクールと、彼女の音楽的な変化にそれとなく立ち会っていたんだなと感慨を覚えたりもした。
そんな平松さんからお誘いのあった「平松晶子&中川さと子 ヴァイオリンデュオコンサート2018」を聴きに、青山音楽記念館バロックザールまで足を運んだ。
ちなみに共演の中川さんは、平松さんと同じく故阿部靖さんにヴァイオリンを学んでおり、ナゴヤシティ管弦楽団(現セントラル愛知交響楽団)のコンサートミストレスを務めたほか、オーケストラや室内楽、リサイタルと幅広く活躍している。
今回のコンサートは、18世紀前半のフランスの作曲家でヴァイオリニストでもあったルクレールの2つのヴァイオリンのためのソナタ第4番イ長調作品12-4に始まり、古典派のボッケリーニの2つのヴァイオリンのための2重奏曲ホ長調G.64、初期ロマン派のドイツの作曲家でこれまたヴァイオリニストでもあったシュポアの2つのヴァイオリンのための2重奏曲ト短調作品67-3、後期ロマン派のレーガーの古風な様式による2重奏曲(カノンとフーガ)ホ短調作品131b-1、そしてバルトークの44の2重奏曲BB104より第4巻(8曲)で終わる意欲的なプログラム。
音楽様式の時代的な変化ももちろんそうだし、ルクレールやシュポアといった自らヴァイオリンを弾く作曲家による「痒いところに手が届くような」作品とバッハを意識したレーガーや細かく仕掛けてくるバルトークの作品との作りの共通性、もしくは違いを知ることのできる構成にもなっていた。
いずれも興味深かったが、ボッケリーニの陽の中にふと現れる翳りのようなものや、バルトークの手をかえ品をかえ式の工夫が特に印象に残った。
平松さんと中川さんのデュオは、同門という共通理解・共通認識は当然ありつつも、単に良く言えばインティメート、悪く言えばべったりと同質の音楽に終わることのない、お互いの「違い」が明瞭に示され、その上で何をどう擦り合わせたかがよく窺える演奏だった。
それは、いわゆるピリオド・スタイルをどう捉えるかといった音楽的スタイルばかりでなく、火花が散るようなストレートな中川さんと、芯にある確固としたものがじわじわと燃えていくような平松さんの特性本質の「違い」でもあるように僕には感じられた。
今後、二人がさらにどのようなデュオを形作っていくのか愉しみだ。
横浜(10月19日)と名古屋(11月7日)のコンサートが残っているので詳しくは触れないが、アンコールは聴き心地のよい音楽が一曲。
いずれにしても、継続は力なりと痛感したコンサートだった。
ああ、面白かった!!!
2018年10月06日
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